ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

あいまいな日本への、あいまいなイメージ。

2012-03-20 22:03:44 | æ–‡åŒ–
『あいまいな日本の私』という本、覚えていますか。大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した1994年、その受賞晩餐会で基調講演を行いましたが、そのタイトルが『あいまいな日本の私』。川端康成氏の『美しい日本の私』に掛けたタイトルですが、翌1995年に出版されています(英文タイトルは、“Japan, the ambiguous, and myself”)。

そのノーベル賞作家の大江健三郎氏をはじめ20名もの日本人作家が集合したイベントがフランスで行われました。「サロン・デュ・リーヴル」(“Salon du livre de Paris”)、1981年に始められたフランス語圏最大の書籍見本市。1992年からは15区、ポルト・ドゥ・ヴェルサイユ(Porte de Versailles)の見本市会場(Parc des Expositions)で行われています。今年は、3月16日から19日まで。

その「サロン・デュ・リーヴル」が、今年、特集した国(le pays à l’honneur)が日本というわけです。そこで、大江氏のほかに江國香織、萩尾望都、吉増剛造、綿矢りさ、島田雅彦、角田光代、平野啓一郎、辻仁成各氏など20名の作家がジャンルを超えて会場に集い、さまざまな講演やインタビューなどを行ったようです。日本のメディアも紹介していましたので、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、大江健三郎氏のタイトルにもいう「あいまいな日本」・・・日本人から見ても曖昧な社会ですから、外からはいっそう分かりにくいのではないでしょうか。その「あいまいな国」に対して一般的にはどのようなイメージが持たれているのか、そうしたイメージにフランスの日本学者はどう反応しているのか・・・日本にスポットの当てられた「サロン・ドュ・リーヴル」を機に、そうした視点でまとめた記事を15日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

ある友人が、楽しそうに言っていた。イギリス人は、常軌を逸したもったいぶり屋(des guindés excentriques)。ドイツ人は、生粋のクラシック音楽愛好家(des brutes mélomanes)。イタリア人は、愛すべきうそつき(des menteurs sympathiques)。ポルトガル人は、メランコリックなお祭り大好き人間(des fêtards mélancoliques)。では、フランス人は? 傲慢な誘惑者(des séducteurs arrogants)。国民性を端的に述べる、こうした決まり文句のリストを作ることは至って簡単だ。しかし、対象が日本となると、世界の他の地域すべてよりも多くの表現が必要になる。伝統に満ちたウルトラモダンな国、テクノロジーと精神性の土地、やくざと優雅さが同居する国、不可解な人々の密集したコミュニケーション大国・・・こうした形容は果てるともなく続く。

フィリップ・ペルティエ(Phillipe Pelletier)は本当にやるべきことが多かったと言うべきだろう。このリヨン第2大学の教授で、日本専門家は、“La Fascination du Japon”(日本の魅惑)というタイトルの著作を出版したが、その中で日本へ貼り付けられた多くの形容を解体する試みを行っている。

最初の誤った理解は・・・日本は一つの島だ、というもの。誤解であり、日本は列島だ。四つの大きな島と数千の小さな島々からなっており、その内430の島に住人がいる。一つの島だという誤解は事実に反するだけではない。一つの島という誤解が、地形と社会文化、両面での均質化というイメージの形成に貢献してしまっている。豊かな多様性はしばしば無視されている。

別の受け入れられている誤解は・・・日本人はすべてにおいて我々西洋人とは逆のことを行っている、というもの。日本では、クルマは左側を走行し、人は文字を縦に書き、数を数える時には指を折る(フランスでは握った指を伸ばします)。こうした指摘は、1903年に出版されたエミリー・パットン(E.S.Patton)の“L’Art de tout faire à rebours chez les japonais”(『さかさまの国日本』)によって広められている。

しかし、シリーズの方針によるのか、他の作者たちは程度の差こそあれ受け入れているのだが、フィリップ・ペルティエは人口に膾炙している日本のイメージ、それが事実に即したものであれ、変更せずにはいられないと感じているようだ。そこで、「日本、ハイテクの天国」(La Japon, paradis de la haute technologie)という紋切り型のイメージを批判するために1章を割いている。しかし、残念ながら反証や理由によって読者を説得させるには至っていない。

彼が取り上げた別の定着しているイメージは、「日本は絶え間なく自然災害に襲われている」(Le Japon est sans cesse frappé par les catastrophes naturelles)というものだ。27,000人の犠牲者を出した1896年の津波、3,000人が亡くなった1933年の津波、6,000人以上が犠牲となった1995年の神戸での地震、そして、死者・行方不明合わせて2万人以上(実際には19,009人)となった2011å¹´3月11日の悲劇。こうした悲劇的事実が単に受容されている誤ったイメージとして提示されることに、驚き、あるいは戸惑いを感じざるを得ない。

では、彼の手法とはどのようなものなのか。受け入れられているイメージの基には何があるのか。既存のイメージは間違いなく誤ったものなのか。そうしたイメージと常に戦わねばならないのか。彼が提示しなければしないほど、疑問が湧いてくる。

日本のイメージを分析するにあたって、彼が多少なりともエドワード・サイード(Edward Said:1935-2003、パレスチナ系アメリカ人の研究者)のオリエンタリズムとポストコロニアル研究の貴重な成果を活用するのだろうと思っていたが、まったく触れていない。西洋が植民地化しようとした日本は、植民地を持つ列強の一カ国になったのであり、このことがアンビバレントなイメージを生み出しており、このことはしっかり研究されるべきだった。フィリップ・ペルティエは日本をよく理解している一人だが、彼のこの著作は、論理的枠組みがないせいか、読者に物足りなさを残すものとなっている。

・・・ということで、日本を特集する「サロン・デュ・リーヴル」が行われただけに、日本に関するフランス人の著作にもさまざまな角度からスポットが当てられているようです。特に日本に関心のある層からは、批判的な意見も出てきやすいのでしょうね。

日本人にとっても、「あいまい」で分かりにくい日本社会。外から眺めれば、また別の視点で、中からは見えないものが見えてくるのではないかという期待もありますが、やはり理解しにくい、曰く言い難い社会なのかもしれません。「あいまいさ」の中に、「日本」がある・・・

しかし、それでも、まずは日本人が日本とはこういう国だと、説明できるようにすべきなのではないでしょうか。日本は複雑な国です、あるいは西洋人には理解しにくい国です、といってしまってはそれでおしまい。というか、逃げでしかないような気がします。自分はどういう人間か、ということを語るのが難しいように、自分の国はこういう国だと説明するのは難しい。難しいですが、それをやらないと、外国の人たちとの対話は成り立たないのではないでしょうか。論戦を張るにしても、敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。自分とはどのような人間で、祖国・日本とはどのような国なのか・・・逃げずに考えたいものです。

ドパルデュー、DSKを演じる!

2012-03-19 20:43:27 | æ–‡åŒ–
一足早い春休みでした。といっても、管理組合の設立総会やら、いろいろとスケジュールは入っており、ゆっくりできたわけではないのですが、ブログはちょっとの間、休ませていただきました。

早熟少女のショックから覚め、気分一新、リフレッシュされましたかどうか・・・心許ないばかりなのですが、再開の一歩は政界と映画のコラボ。あの名優、ドパルデューが、あのドミニク・ストロス=カンを演じることになる、という話題です。伝えているのは、14日の『ル・モンド』(電子版)です。

3月11日、パリ郊外、ヴィルパント(Villepinte)で行われたニコラ・サルコジの集会にジェラール・ドパルデュー(Gérard Depardieu)の姿があった。サルコジ大統領が声をひときわ張り上げると、賛意を示すべく、親指を立てていた。アステリックス(Astérix)を演じたクリスチャン・クラヴィエ(Christian Clavier)と、その近くにいる堂々たるオベリックス(Obélix:アステリックス・シリーズの実写版でドパルデューはアステリックスの無二の親友、オベリックス役を演じています)は、もはやアーティストがあまり集まらなくなったガリアの村(アステリックスの舞台)の最後の抵抗者のようだ。

14日、今度はジュネーブで、ドパルデューは上演の後、ラジオ・テレビ・スイス(Radio télévision suisse)とのインタビューに応じたが、フランスの中央官庁もかくやと思わせる大理石と金箔でできたサロンが会場で、大勢の記者が集まった。ジャーナリストのダリユス・ロシュバン(Darius Rochebin:スイスのフランス語テレビ局・Télévision suisse romandeで“Pardonnez-moi”という有名なインタビュー番組を持っています)がドパルデューに関する噂について質問した。その噂とは、6月に撮影が始まるといわれているアメリカ人監督、アベル・フェッラーラ(Abel Ferrara:ジュリエット・ビノシュが出演した“Mary”という2005年の作品では、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞しています)の次回作に、ドパルデューがDSK役で出演する、というものだ。

ドパルデューはあっさりと認めて、「彼のことは好きではないのだが、だからこそその役を演じることにした」と語った。DSKのことは、傲慢で、思い上がった人物だが、だからこそ演じがいがあると評している。嫌いな人間を演じることは、刺激的な挑戦であるかのようだ。ドパルデューにとって、「DSKはある意味、フランス人の典型だ。ちょっと、傲慢で。そう、フランス人をそれほど好きではないのだ、特に彼のような人物は」と述べた。

また、気に入らないのは彼の行動のモラル面というよりは、彼の性格が垣間見えるその物腰なのだそうで、「彼を支持できないのは、そのモラル面ではなく、彼の存在自体、例えばその歩き方、手をポケットに入れて歩く姿なのだ。誰だって、恥知らずなことを思い浮かべたりできるものだが、しかし彼の場合は・・・。しかも、IMF(仏語では、FMI)やその他の大きな国際機関のトップたちが巨大な権力と巨万の富を持っていることは良く知られている。ラカン(Jacques-Marie-Emile Lacan:1901-81。フランスの精神分析医、哲学者。パリ・フロイト派のリーダー)はそうした人たちを飼いならすべく指導役を与えたのだが、しかし・・・」

DSKを受け入れることはできないのだろうか。手錠を掛けられた姿を世界中に晒すという屈辱でもダメなのだろうか。ノンだ。「いずれにせよ、威厳のない人間から感銘を受けたことは一度もない、決して」と、ドパルデューの答えはにべもなかった。

1カ月前、アベル・フェッラーラは、パリにやってきた際、『ル・モンド』とのインタビューで、「次回作は富と権力を手にした人々を描くものとなる。撮影は、パリ、ワシントン、ニューヨーク、つまり権力の中枢で行う」と語っていた。そのシナリオは報道とフェッラーラが独自のルートで入手した情報を基にすでに書かれているが、あくまでフィクション作品だ。そして、その作品にはもう一人のフランス人スターが加わる。イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)がドゥパルデューの共演者として、アン・サンクレール(Anne Sinclair:DSK夫人で、テレビ・キャスター)の役を演じるのではないかと言われているのだ。フェッラーラ自身、『ル・モンド』に対し、「次回作のテーマは、政治とドパルデューとアジャーニのセックスだ。彼ら二人の映画となると言えるだろう」と語っていた。

・・・ということで、世界中で大きな話題となった、いわゆるDSK事件が、ドパルデューとアジャーニというすごい顔合わせで映画化されるようです。今から公開が待たれますが、この二人のセックスが大きなテーマのひとつ・・・どんな映像になるのでしょうか。

しかし、ドパルデューはフランス人なのに、フランス人嫌い(francophobe)なんだそうです。嫌いなところはどこかと言えば、その傲慢なところ。傲慢なフランス人・・・

 調査会社Mandala Research LLCが実施した観光客の評判に関するアンケート調査によると、日本人が「世界でもっとも歓迎される観光客」に選ばれた。中国国際放送局が報じた。
 調査会社Mandala Research LLCがクーポン共同購入サイト「リビングソーシャル(Living Social)」を通じてオンライン調査を実施した。日本人が「世界でもっとも歓迎される観光客」に選ばれた理由は、「マナーやエチケットをよく守り、礼儀正しく、物静かでつつましく、クレームや不平が少ない」などが挙げられた。
 一方、フランス人は「気が小さく、無礼、外国語が話せない」などの理由から、「最悪の観光客」に選ばれた
(3月6日:サーチナ)

傲慢で、無礼なフランス人。しかも、フランス語しか、話さない・・・これでは、世界の嫌われ者と言われても、仕方がないですね。「フランスは好きだが、フランス人は嫌いだ」とか、「フランス人がいなければ、フランスはもっといい国になるのに」といった声も、よく聞きます。しかし、だからこそ、フランスとフランス人は、おもしろい・・・と思ってしまうのは、へそ曲がりだからでしょうか。「肝胆相照らす」となるか、「同病相哀れむ」となるか、さて。

“L’hypersexualisation des jeunes filles”・・・少女たちの性的早熟は何の影響か?

2012-03-08 21:50:27 | ç¤¾ä¼š
例によって、『世界の日本人ジョーク集』からの一節。

 会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?
 アメリカ人は、男を射殺した。
 ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
 フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
 日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

日本人はともかく、フランス人は3Pも厭わぬ好き者、と見られているようなのですが、そのフランス人にして、最近の少女たちの性的早熟ぶりはちょっと度を越しているのではないか、という意見が出ているようです。

どのような分野にそうした状況が見て取れるのか、その背景は、そして社会はどう対応すべきなのか・・・6日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

UMP(国民運動連合)所属の上院議員、シャンタル・ジュアノ(Chantal Jouanno:元環境担当相、元スポーツ相、2011å¹´9月からパリ選出の上院議員、女性の空手家で多くの国内タイトルを獲得しています)は5日、“L’hypersexualisation des jeunes filles”(少女たちの性的早熟)に関するレポートを公開した。このレポートに関し、二人の社会学者が分析を行った。リシャール・プーラン(Richard Poulin)はポルノの影響を指摘し、フレデリック・モネロン(Frédéric Monneyron)はモードの世界に早熟さを見ている。2人の社会学者はジュアノ・レポートに関してもそれぞれ見解を述べているが、そのジュアノ・レポートは、子ども憲章の採用、子どもを性的に表現する映像の販売禁止、外見だけで評価する子ども対象のミスコンテスト(les concours de mini-miss)の廃止を訴えている。

リシャール・プーランはオタワ大学(カナダ)の社会学教授で、“Sexualisation précoce et pornographie”(性的早熟とポルノ)という本を2009年に出版している。

・“L’hypersexualisation”は新しい風潮なのか、それとも従前からあったものなのか?

・むしろ最近の傾向だと言える。1970年代にはフェミニスト運動の隆盛やユニセックス・ファッションの普及など、男女平等についての新しい風が吹いていたが、今や退潮の時代にいる。女性も少女たちも、好かれるためには女性的でなければならないと思い込んでいるからだ。1990年代に誕生したこうしたカラダに関する新たな基準は、ポルノ産業の影響について考えさせることになる。私は最近の少女たち、つまりポルノの氾濫した時代に生まれ育った世代に対して危機感を抱いている。彼女たちにとってポルノが性教育の主な教材となっている。カナダでの研究によれば、ポルノとの接触は13歳頃から始まるという。将来、その影響は大きなものになるのではないか。

・どうしてポルノと性的早熟が結びつくのか?

・ポルノは非常に女性化した少女たちの映像をこれでもかと投げかけてくるが、その影響は社会の深い所にまで達している。その影響は、欲望、妄想に留まらず、性交渉にまで及んでいる。今や、少女たちはいっそう「女性」になり、同時に大人の女性たちは子どもっぽくなっている。一般的に、女性は美しくあるためには若々しくなければならないと思うようになっている。こうした新しい風潮は女性たちの内面に影響を及ぼしている。例えば、少女たちの間では脱毛が一般化している。オタワでは、87%の女子学生が脱毛を行っている。こうした風潮は何もカナダに限った事ではない。雑誌“20 ans”のある号が脱毛を特集しているのを見て驚いた記憶があるが、この雑誌は1994年以降、すべてのむだ毛の処理を紹介している。さらに驚くべきは、“nymphoplastie”手術の再流行、つまり、女性器を若返らせるための外陰唇の整形手術が増えていることだ。今日、カナダでは、美容整形手術のほぼ10%がこの“nymphoplastie”手術だ。

・ジュアノ・レポートの提案をどう思うか?

・法律で規制するのはいいことだと思うが、レポートは性的な早熟の現状にしか言及しておらず、その原因を語っていない。性教育の改善など、カナダですでに提出されているのと同じようなジュアノ提案には全面的に賛成だが、最も大切なことは、ポルノと取り組む事だと思う。だが、その点には触れていない。そこには触れないようにしているようだ。なぜなら、多くの人にとって、ポルノは表現の自由と同化しているからだ。1990年代のポルノの一大普及は新自由主義的価値(la valeur néolibérale)の勝利と時を同じくしている。それ以降、ポルノを規制することなど問題外となってしまった。

フレデリック・モネロンは、モードと性的特徴に関する専門家で、ファッション専門学校“l’école Mod’Art International de Paris”で社会学を教えている。

・少女たちの性的早熟は、モードの世界での風潮か?

・オートクチュールやモードの世界では、特に新しいことではない。ロリータが登場したのは10年前だ。ファッション・モデルの年齢を見れば、さらに明らかだ。10年前、カーラ・ブルーニ(Carla Bruni:ご存知サルコジ夫人で、元トップ・モデルですね)の世代では、モデルたちは20代で活躍した。それが今日では、14~15歳の少女たちがステージ上でキャット・ウォークをしている。こうした状況に政治家たちが気付くのに10年もかかったということの方が、滑稽だ。

・ジュアノ・レポートの提案をどう思うか?

・いくつかの分野、例えば性的な少女の映像を販売することを禁じることなどは効果があると思う。メディアや広告の影響を考えれば、子どもらしさを侵害するような映像を放送することを止めさせることは良いことだ。しかし、子どものミスコンテストの禁止については賛成しかねる。ごく一部の子どもたちが対象であり、影響は瑣末なものだからだ。

・こうした風潮は今後も続くと思うか?

・もう慣れっこになっている。今後もモードの世界では続くだろう。しかし、ファッションの世界は、成り行きまかせで、絶えず変化しており、常に新しい美を追い求めている。新しい美は時に伝統的な物差しとはかけ離れてしまう。例えば10年前、ファッション誌“The face”は身障者を登場させて物議をかもした。デザイナーたちはつねに新しいものを、衝撃のあるものを、ショックを与えるものを追い求めているが、そのイメージは性的に早熟なものというわけではない。社会と同じ程度だ。

・・・ということで、少女たちは一日も早く大人の女性になりたい。一方、大人の女性たちはいつまでも若々しくありたい。そのために、少女たちは化粧どころか脱毛もし、大人の女性は見えるところ、見えないところ、できるところはすべて美容整形で若返らせる。しかも、ビジネスの世界が、大人びた少女、いつまでも若い女性を、利用しようとする。

なにも、カナダだけのことではなく、もちろん、フランスだけのことでもありません。我らが日本社会にも、背伸びをした少女、大人びた少女がいる一方で、「魔女」と言われる若々しい女性たちがいて、それぞれにスポットを浴びています。共通しているのは、「女性」を売りにしていること。決して悪いことだとは言いません。But、女性解放、男女同権を勝ち取ってきた先人たちはどう思うでしょうか。これも時の流れ、仕方のないことなのでしょうか。時代は繰り返す。決して一本調子ではなく、行きつ戻りつ、進んでいく。今は、ただ、一時的に逆戻りしている時期であって、また再び時計の針は進みだすだろう。そう、考えるべきなのでしょうか。それとも、船の針路は異なる方向へ向いてしまったと考えるべきなのでしょうか。さて・・・

若さは、武器か・・・フランス政界の場合。

2012-03-07 22:20:13 | æ”¿æ²»
今やアメリカでは共和党の予備選挙真っ只中ですが、オバマ大統領が当選した前回の大統領選挙で、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama Jr.)の首席スピーチライターを務めたのは、当時27歳のジョン・ファヴローでした(Jon Favreau:1981年6月6日生まれ。私と同じふたご座、まったく関係ありませんが)。史上2番目に若い首席スピーチライター(最も若かったのは、カーター大統領の首席ライターだったジェームズ・ファローズ)であるということとともに、その原稿のほとんどをスターバックスの店内でパソコンに向かって書いたということで話題になりました。若さが力になる。

しかし、魑魅魍魎が跋扈する政治の世界。一寸先は闇と言われますから、若さだけでは不安だという声も、当然あるのではないでしょうか。若さ、あるいは若々しさが重視されるアメリカでは、若さが大きなパワーを持つことになるのでしょうが、はたして、歴史のある国々では、どうなのでしょうか。日本で、二十代が永田町で主要な役割を担うことを想像できますか?

では、フランスでは、どうなのでしょうか。再選を目指すサルコジ陣営が格好の例を提供してくれています。紹介しているのは、週刊誌“l’Express”(『エクスプレス』誌)の電子版(5日)の記事です。“De vives tensions apparaissent dans l’équipe de campagne de Sarkozy”(サルコジ陣営で大きな緊張関係が生じている)・・・

サルコジ大統領は、選挙戦序盤で苦しい展開を強いられてきた。与党・UMP(国民運動連合)内からも、大統領側近たちの責任を問う声が上がっている。

「大統領周辺にはちょっと経験の足りない人たちがいる」・・・このようにUMP所属で院内会派“Droite populaire”(人民右派:フランスのアイデンティティ、治安、移民を主要テーマに、2010年6月に旗揚げされたグループで、現在42人の議員が所属しています)に加わっているリオネル・リュカ(Lionnel Luca:Alpes-Maritimes県選出)は批判している。サルコジ大統領の側近たち、特に“spin doctors”(報道機関に対し、依頼者にとって好都合な解釈で情報を提供する担当者、といった意味で使われる英語です)と呼ばれる人たちの経験不足が、リュカ議員によれば、キャンペーンが始まって以来繰り返される失敗の原因になっている。

失敗のリストはすでに連綿と続いている。ジャン=ルイ・ボルロー(Jean-louis Borloo:中道の急進党・Parti radical党首、下院議員、サルコジ政権で環境相、経済・財務・雇用相などを歴任)をVéolia(ヴェオリア:水事業、公共交通、エネルギー、環境などの分野に展開するコングロマリット)のトップに据えようと大統領府が画策しているという噂、サルコジ大統領がバイヨンヌ(Bayonne)で野次られた事件、民族浄化を連想させる“épuration”という言葉を使ったサルコジ大統領、外国人参政権に対するゲアン内相(Claude Guéan)の罵詈雑言、ハラール(halale:イスラム法に則って加工・処理された肉食品)に関する論争・・・

リオネル・リュカは、「サルコジ大統領は自らの選対本部にちょっと籠り過ぎで、しかもその側近たちは必ずしも選挙に精通しているわけではない」と語っている。では、船長は船を進めるのに誤った副官を選んでしまったのだろうか。リュカが語るように、選対本部のトップたちは選挙の現実をよくは知らないのだろうか。

チーム・サルコジ(team Sarkozy)の表看板である、報道官のナタリー・コシュースコ・モリゼ(Nathalie Kosciusko-Morizet:1973年生まれ、今年2月22日にサルコジ陣営の報道官に就任するまで、環境・持続開発・交通・住宅相でした)はそのポストに就任以来、党内から手厳しい非難にさらされている。「NKM(ナタリー・コシュースコ・モリゼ、長いので略してNKMと言われているようです)、彼女が身を隠している間、他の人たちが与党の立場を守るために先頭に立っていた。しかし、最後においしい所を独り占めしたのは彼女だった」と、リュカは批判している。

その結果、プレ・キャンペーンで頑張ったにも拘らず、何ら見返りのなかった議員たちの間に、不満が高まっている。また、特にジャック・シラク(Jacques Chirac)に近い40代の閣僚、ヴァレリー・ペクレス(Valérie Pécresse:1967年生まれ、予算・公会計・国家改革相、政府報道官)、フランソワ・バロワン(François Baroin:1965年生まれ、経済・財務・産業相)、ブリューノ・ルメール(Bruno Le Maire:1969年生まれ、農業・食料・漁業・農村地域・国土整備相)が、NKMと同じように、与党にとって向かい風が吹くとメディアから消えてしまうと見做されている。

「大統領はひどくがっかりしている。メトロの切符に関する失言の後は怒り狂っていた」とリュカは付け加えている。その失言とは、交通大臣であったNKMがメトロの切符1枚を、実際の1.70ユーロではなく、4ユーロちょっとと述べてしまった件だ。

NKMは報道官というポストを独り占めすることができた。彼女の周囲には、国会議員や党の執行部など80人の雄弁を持って鳴らす人々(80 orateurs nationaux chargés de porter la bonne parole de leur candidat sur le terrain)がいるが、彼らはほぼお手上げ状態だ。「ナタリーは副報道官を置かないためにできる限りのことをした」とその80人の一人は言っている。別の一人は、「彼女は、一人の天使だけをお供に天国へ行く心地良さをサルコジ大統領に売りつけたのだ」と語っている。UMP幹部にとってのNKMに対する最新の不満は、“viande halale”(ハラールの肉)に関するクロード・ゲアンの発言に対し十分な支援を行わなかったことだ。

経験不足を別の言葉でいいかえれば、若さの暴走だ。こうした非難のターゲットになっているのは、サルコジ大統領の選挙公約ライター、ジャン=バティスト・ドゥ・フロマン(Jean-Baptiste de Froment)とセバスティアン・プロト(Sébastien Proto)だ。前回2007年の公約作成者だったエマニュエル・ミニョン(Emmanuelle Mignon、la magicienneと呼ばれている)への批判は、逆に動かないこと、背後に徹し過ぎることだった。

サルコジ陣営の選対本部長、ギヨーム・ランベール(Guillaume Lambert)もやはり、非難から逃れることはできない。バイヨンヌでの出来事の後、バイヨンヌのあるピレネー・アトランティック県(Pyrénées-Atlantiques)の知事を罷免したらどうかと述べた件について、2007年の本部長に比べ経験不足だと批判されている。前回の本部長は、クロード・ゲアン(現内相)だった。

ゲアン内相は最も意欲的にメディアに登場する一人だが、リオネル・リュカによれば、他の閣僚の支援が不足している。「今やたった一人の閣僚、つまりゲアン内相と、フィヨン首相しかいなくなってしまったと思えるほどだ。全く不十分だ。決して優れた戦略ではない」とリュカは語っている。

サルコジ大統領は、きっちりと組織立てずにさまざまな方面に兵隊たちが展開する軍隊を持とうとした。今確かに多くの部隊がいるが、それぞれが自分たちのことしか考えていない。リオネル・リュカは、「国会のUMP議員たちは今、無気力になっている。指示も方向付けもなされていない。組織として動かす必要がある。たぶん、動き始めるのは3月11日(この日、5万人を動員して、パリ郊外、セーヌ・サン・ドニ県のVillepinteで大集会を行い、そこで公式な選挙公約を公表することになっています)以降になるだろう」と述べている。

・・・ということで、選対の報道官になったナタリー・コシュースコ=モリゼが38歳、そして批判されている3閣僚が40歳代。やっかみだったり、シラク前大統領に近いとか、理由はそれぞれあるのでしょうが、若くして抜擢された政治家へのバッシングが激しいようです。そういえば、サルコジ大統領誕生後、フィヨン内閣で法相を務めたラシダ・ダティ(Rachida Dati)も1965年生まれですから、今で46歳。やはり、集中砲火を浴びていました。

大統領に家父長的イメージを求めると言われるフランス人。日本ほどではないにしろ、“seniority system”があるのでしょうか。若さは武器ではなく、一歩間違うと凶器になる、といったとらえ方をされているのでしょうか。それとも、やはり、若いものに先を越された僻みなのでしょうか。フランス人、嫉妬は強そうですものね。

若さが大きな武器になるアメリカ政界。片や、経験が重視され、若いだけでは・・・という考えの強いフランスと、我らが日本。対極にあるような日本とフランスが、この点については同じような状況にあるようです。違うようで、やはり、人間。似ているところもありますね。同じようで、違う。違うようで、似ている。だから、面白い、といったところでしょうか・・・

忘年会に呼ばない日本のイジメ。会うことを拒むEUのイジメ。

2012-03-05 20:11:18 | æ”¿æ²»
子どもは大人を映す鏡、と言われますから、学校でイジメがあるなら職場にイジメがあって当たり前、ということなのでしょうか。職場でのイジメ、特にパワハラと言われるイジメが、2010年には4万件も報告されていたとか。こうした実態に、厚生労働省が大人のイジメ対策に本腰を入れ始めた、というニュース映像を2月29日にテレビ朝日がネット上に公開していました。

毎日おごらせる、社員旅行や忘年会に呼ばない、罵声を浴びせる、寒い部屋で仕事をさせる、身体的暴力を伴う・・・日本社会にはイジメが蔓延しているのでしょうか。高貴な人々の品格や、今いずこ・・・いや、昔からあった???

しかし、学校でイジメがあるのは、日本に限った話ではなく、イギリスやアメリカでも報告されています。ということは、アングロ=サクソンの特徴? とも限らないのかもしれません。何しろ、EU首脳の間に、フランスの大統領選挙に出馬している社会党候補、フランソワ・オランド(François Hollande)には会わないことにしようという、暗黙の了解ができているというニュースが流れているのです。

誰が言いだしっぺで、そこにはどのような背景があるのでしょうか・・・3日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

EU首脳たちの間に反オランドの連携があるのだろうか。いずれにせよ、3月4日に発行されたドイツの週刊誌『デア・シュピーゲル』(“Der Spiegel”:約110万部というヨーロッパ最大の発行部数を誇る週刊誌)がそう伝えているのだ。その記事を信じるのなら、ドイツのメルケル首相(Angela Merkel)とイタリア、スペイン、イギリスの、いずれも右派の首脳たちは、社会党の候補者をボイコットすることで同意しているようだ。その社会党候補者、フランソワ・オランドは3日、ディジョンでの集会で、自らが考える大統領像を発表している(“présidence indépendante et impartiale”と述べています)。

メルケル首相とイタリアのモンティ首相(Mario Monti)、スペインのラホイ首相(Mariano Rajoy)は、各種世論調査で優勢を伝えられているフランソワ・オランドに会わないという口約束をどうもしたようだと、『デア・シュピーゲル』誌は述べている。この約束に、イギリスのキャメロン首相(David Cameron)も加わっているようだ。

『デア・シュピーゲル』誌によれば、保守派の首脳たちは社会党候補の「当選したら、財政協定について再交渉をする」という声明に衝撃を受けた。財政に関する協定(財政規律条約)はユーロ圏を救済する中心的役割を果たすと彼らは考えているからだ。条約に署名しなかったイギリスのキャメロン首相が加わっているのは、イデオロギーの違いによるものなのだろう(EU27カ国のうち、イギリスとチェコを除く25カ国の首脳が署名しました)。

次期大統領に誰がなってほしいかという件に関するメルケル首相の考えは、誰もが知るところとなっている。2月6日、サルコジ現大統領に全面的支援を行うと公表したからだ。パリで行われた仏独閣僚会議の後、メルケル首相は、「サルコジ大統領をすべての面で支持します。私たちはともに友好関係にある政党に所属しているのですから」と述べ、サルコジ大統領が2009年に行われたドイツの国会議員選挙で彼女を支援し、首相に再選されるのを助けたことにも言及した。

メルケル首相は、1回あるいは数回、サルコジ大統領の集会に出席することになっている。フランソワ・オランドは、ニコラ・サルコジがメルケル首相の支援を必要としているのは事実だとして、その支援を次のように皮肉った。「メルケル首相がサルコジ大統領の支援をしたいなら、当然その権利はある。しかし、それは骨の折れる仕事になるだろう。なぜなら、フランス人を説得するのは容易ではないからだ。」

フランソワ・オランドはメルケル首相に会見を申し込んだが、首相はサルコジ大統領のライバルにベルリンで会うのかどうか、明言を避けている。世論調査でサルコジ大統領をリードするフランソワ・オランドがメルケル首相とベルリンで5月に会うと伝えられたが、確認は取れていない。

日刊紙『ディ・ヴェルト』(Die Welt)のインタビューを3日に受けたドイツのヴェスターヴェレ外相(Guido Westerwelle:同性愛であることを公表した有力政治家。ベルリンのヴォーヴェライト市長もカミングアウトしています)は、フランス大統領選にあからさまな介入をしないようにとドイツの政治家たちにくぎを刺した。

「ドイツのすべての政党に慎重さを求めます。ドイツ国内の政治的対立をフランスに持ち込むべきではありません」と述べるとともに、外相はフランスの大統領選にドイツの政権が露骨な肩入れをすべきではないと、次のように語った。「ドイツはフランス国民によって選ばれたいかなる政権ともうまく協働するという事実にいかなる疑いの余地もありません。」

・・・ということで、左派の有力大統領候補、フランソワ・オランドを、右派の各国首脳たちがのけものにすることにより、フランス国内での彼のイメージに打撃を与えようとしているようです。しかし、テレビ番組でオランド候補が言っていたように、フランスの大統領はフランス国民が選ぶもの。メルケル首相らの動きがもし本当なら、フランスにとっては内政干渉。自尊心の強いフランス人が、受け入れるはずがありません。それどころか、逆効果。何しろ、そのへそ曲がりぶりは、ジョーク集でもお馴染みですから。

難局に直面しているヨーロッパ。今こそ団結が必要だ、ということなのかもしれませんが、その団結は政治的立場を超えてなされるべきなのではないでしょうか。それとも、サルコジ大統領支持は、個人的好き嫌いなのでしょうか。今まで一緒にやって来たんだから、これからも一緒にやりましょうよ。気心の知れたニコラの方が、良いわ・・・

統合を進めてきたEU。他国の政局に介入するほどまでに、その垣根が低くなっている、という見方もできるかもしれません。意識レベルではすでに、連邦制へと向かっているのでしょうか。統合という欧州の挑戦を、信用不安・財政危機が、意外と大きく進展させるかもしれません。

“Adieu”か“I’ll be back”か・・・EU首脳会議のサルコジ大統領。

2012-03-04 20:50:00 | æ”¿æ²»
再開を期待しない別離の時には“Adieu”で、“Au revoir”にない重みがありますね。3月1日・2日にブリュッセルのEU本部で行われた欧州理事会が、サルコジ大統領にとっては、任期最後のEU首脳会議でした。大統領に再選されれば、再びやってくることになりますが、世論調査では、第1回投票での投票意向こそ社会党のオランド候補に肉薄してきたようですが、決選投票ではまだ大きく引き離されています。

ブリュッセルでの記者会見は、“Adieu”という挨拶になったのか、それとも『ターミネーター』のシュワルツネッガーよろしく“I’ll be back”という決意表明だったのか・・・2日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

「私の声を今後も聞くために皆さんにできることは、私を再選させることです」・・・1日・2日に行われた任期最後の欧州理事会(le Conseil européen)を終えて、記者会見で、サルコジ大統領はこのように語った。大統領は、再選されない場合でも、欧州でのポスト、例えば欧州理事会議長とか欧州委員会(la Commission européenne)委員長といった職責を求めることはないと表明した。「心底から、そう思っています。いかなる場合にしろ、いかなる方法にせよ、現在も、将来においても、そうすることはありません」と述べた。

こうした声明には、背景がある。サルコジ大統領は、その前日、欧州理事会常任議長に再任されたヘルマン・ファン・ロンパウ(Herman Van Rompuy)のような控え目で妥協の術に長けた人物に取って代わることはできないと自ら述べている。「バローゾ(Jose Manuel Durao Barroso)委員長にしても、私は自分をなぞらえることはできません。国家元首という、まさに情熱を傾ける対象であり、困難も付きまとう責任ある地位で働くことの名誉や栄光に浴した後では、どんなポストも自分に相応しとは思えないものです」と大統領は続けて語っている。しかし、こうした発言は、まさに戦術的なものだ。すべてのメディアが世論調査で劣勢を伝えられているサルコジ大統領は新しいポストを探しているようだと伝えているが、そのことと全く逆の内容を述べたということだろう。

ブリュッセルで、サルコジ大統領は、あくまで大統領として振る舞った。候補者であるということを忘れさせることはなかったが。財務危機をせき止めた実績を持つ候補者、欧州の中心にいて、ヨーロッパを自分で思うように造り変えるには二期目がどうしても必要な候補者だ。彼が思い描くのは、財政・経済においていっそう統合されたユーロ圏、移民・通商・産業に関して再考を進める一種の連邦、ヨーロッパ連邦となるEUだ。

サルコジ大統領は、この記者会見で、欧州各国の財政を救済する基金の創設に関して意思表示をしない社会党を激しく非難した。30人ほどの記者を前に、形だけのオフレコで、「もし自分が左派だったら、恥ずかしくてたまらないでしょう。ミッテラン(François Mitterrand:元大統領)やドロール(Jacques Delors:元欧州委員会委員長)などといった偉大な欧州人のことを考えれば、左派と言えども彼らが判断を留保するとは思えません」と述べた。

ニコラ・サルコジが再選された場合、(イギリスとチェコを除く)EU25カ国が署名し、フランソワ・オランドがもし自分が当選したら再交渉すると言っている新しい欧州予算条約(財政規律条約)をどのように批准することになるのだろうか。サルコジ大統領は、「社会党はまた棄権することになるのではないか」と揶揄した。そして、「新しい条約は、欧州はそう簡単にはくたばらないと言う信念を呼び起こすに違いない」と述べた。

記者会見は反英国のとげのある言葉なくして終わることはなかった。キャメロン(David Cameron)首相は欧州経済を活性化することを目的とし、スペイン、イタリア、オランダ、ポーランドなど11カ国が共同署名した、自由主義的な新たな提案を携えてEU本部にやって来ていた。

12カ国の提案を自分の提案であるかのように語っているキャメロン首相に対して、サルコジ大統領は、「欧州各国が共通署名するほどに、イギリスが欧州を愛してくれていて満足しています。イギリスが条約に署名しないと決めた後に、キャメロン首相から書簡をもらいましたが、引っ込んでいるつもりはないという意思表示のようなものでした。欧州にイギリスは不可欠です、いつもはそう言いませんが」と述べ、イギリス人記者に(苦手な)英語で“We need you”と語りかけた。

・・・ということで、“Adieu”でも“I’ll be back”でもなく、いわばいつものようなサルコジ節と思えたのですが、『ル・モンド』の記者には、別れの言葉と聞こえたようです。何しろ、ご紹介した記事のタイトルが、“Les adieux de Sarkozy à Bruxelles”ですから。

ところで、何らかのポストなり、地位なりを辞する時、「立つ鳥跡を濁さず」と言いますね。『広辞苑』によれば、「立ち去る時は、跡を見苦しくないようによく始末すべきである。また、退き際はいさぎよくあるべきである」ということで、実践されてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 昭和18年(1943年)の秋、彼(ポール・クローデル)はパリのある夜会に招かれ、次のようにスピーチしました。
 「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」
 そして、最後にこう付け加えた。「彼らは貧しい。しかし、高貴である」
(出典不明、ご容赦を)

そう、我らの先人たちは高貴であったのです。去り際も、潔かったのでしょう。そしてポール・クローデル(Paul Claudel:作家・外交官、1921年~27年に駐日大使)のスピーチから70年近く、今日、同じ日本社会をフランス人が次のように評しています。

 アンドレ・キャラビ(Andre Calabuig)氏は、1927年フランス生まれの84歳。同国ペンクラブの会員だ。日本では『目からウロコのヨーロッパ』などの著書がある。日本在住 40年以上の親日家だが、どうも最近、このニッポンで目に余る出来事が多い。マナー、お金、日本語、女性、子供……。そのキャラビ氏が、いまの日本人に向 けて、箴言集で発する痛烈な「キャラビズム」。さて、あなたはどう受け止めるか? 今回は、「政治」編である。
 * * *
●Les promesses des politiciens s’évaporent le lendemain des élections.
 政治家の約束は選挙の翌日には蒸発する!
(略)
●De nos jours les gens veulent avoir des droits,mais pas de responsabilités!
 最近、人間は権利だけを求めるが、責任は要らぬと思っている!
(3月3日:NEWSポストセブン)

ここで、ちょっと、思い出すのは、鴨長明の『方丈記』の一節。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

時代とともに、人は変わっていきます。人が変われば、社会も変わる。仕方のないことです。ただし、どう変わるかが問題。よい所は残し、改めるべきは勇気を持って改める。そうしたいものですが、これが実践するとなると難しい。しかも、逆方向に進むのはたやすい、ときていますから、ますます世の中ままならないようです。

野次られるより、野次馬の方がましだ!?

2012-03-03 21:50:58 | æ”¿æ²»
「弥次馬 / 野次馬」・・・『広辞苑』によると、①馴らしにくい馬。強い悍馬。また、老馬。一説に、「おやじうま」の略で、老いた雄馬ともいう。②自分に関係のない事を人の後についてわけもなく騒ぎ回ること。また、そういう人。という意味なんだそうです。「おやじうま」が転化したもの・・・「おやじギャグ」などを連発していると、根っからの野次馬根性の持ち主と見做されかねないですね。ほどほどにしないと・・・

ところで、確かに野次馬は多いですね。特に有名人の周囲には、野次馬が殺到する場合もあります。スターにとっては、有名税と諦めるしかないのでしょうが、ありがた迷惑なこともあるのでしょうね。なったことがないので、想像するしかないのですが。

ただ、殺到される、取り囲まれると言っても、ふつうは温かいまなざし、あるいは好奇の目で見られるだけで済む場合が多いのでしょうが、スキャンダルの渦中にいたり、捜査対象にでもなろうものなら、罵声を浴びせられることもありますね。野次馬が、野次を飛ばすことになります。

パパラッチも含め、野次馬に囲まれることの多い著名な政治家たち。特に、大統領、あるいは大統領選候補者ともなれば、地方遊説など、どこに行ってもカメラのフラッシュと多くの国民に取り囲まれます。しかし、所属する党の地方支部などが準備万端、しっかりガードしますから、野次馬はいても、野次られることは少ないのでしょう。ところが、どうもサルコジ大統領には、野次や有権者とののしり合いが付いて回るようです。

有名なのは、就任の翌年2008年、農業見本市で大統領が会場にいた国民に握手をしようと手を差し出したところ、「触るな、汚らわしい」(Tu ne me touches pas, tu me salis.)と拒絶されてしまいました。怒ったサルコジ大統領は、「お前こそ、とっとと消え失せろ」(Alors casse-toi, pauv’con.)と叫び返しました。多くのメディアの前でしたから、国民に広く伝わってしまいました。

それから4年、今年の農業見本市では、終始、笑顔を振りまいていましたが、3月1日、南西部、スペイン国境に近い、バスク地方のバイヨンヌ(Bayonne)で、騒然とした状況に巻き込まれてしまいました。しかし、さすがに大統領を5年近く務めてきたせいか、言い返したり、怒鳴ったりすることはありませんでした。その状況は、フランスのニュース番組を見る限り、凄まじい野次、怒号の嵐でした。野次馬どころではない。クルマから降りるのもままならないほど。具体的には、どのような状況だったのでしょうか。そして、政界からはどのような反応が起きたのでしょうか・・・1日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

サルコジ大統領は3月1日、バイヨンヌで、多くの反サルコジ派の野次と怒号に出迎えられた。すると、その騒動の責任をフランソワ・オランド(François Hollande:社会党の大統領候補)に帰し、国家のトップを浄化すると言って下部組織を煽ったせいだと非難した。

この日の午後早く、バイヨンヌの歴史地区では、数十人の反サルコジ派の若者たちが大統領の到着を待っていた。大統領が到着すると、クルマから降りるより早く、彼らは一斉に野次を飛ばし始めた。「富裕者のための大統領、サルコ」、「サルコジ、さっさと失せろ」・・・こうした野次を覆うように、「サルコジを大統領に」という支持派の声も上がったが、反対派より少なかった。

「バイヨンヌの路上で、野次と小競り合い」(Bronca et incidents dans les rues de Bayonne)というタイトルの記事を早速、日刊紙“Sud Ouest”(本社はボルドー、南西部を中心に配布される新聞で、発行部数は約35万部)が自社のサイト上(Sudouest.fr)に発表した。また多くのジャーナリストが、ツイッターでこの出来事を広めた。例えば、日刊紙“Parisien”の政治記者、フレデリック・ジェルシェル(Frédéric Gerschel)は次のように伝えている。

「ニコラ!ニコラ!」と叫ぶ支持者に交じって、多くの反対派が「ニコラ、立ち去れ」(Nicolas kampora ! )とバスク語で叫んでいた。大統領はバイヨンヌの狭い道を辛うじてスペイン通りにあるバーへと逃げ込んだ。大統領へは、バスク語で“Batera”と呼ばれる、バスクとしての自治体設立を要求する団体から、多くの小さな投票用紙が投げつけられた。

サルコジ大統領は午後4時頃そのバーに駆け込んだが、窓には卵が投げつけられた。バーの前には多くの人だかりができ(野次馬ですね)、大統領が外に出られるようにCRS(Compagnies républicaines de sécurité:機動隊員)が急遽、増員されたほどだ。

大統領は午後5時頃CRSに守られてそのバーを後にしたが、メディアに対して、早速、社会党の対立候補を非難して、「オランドは国政のトップを浄化すると言ったが、そのことが下部組織の人々を熱くさせた」と述べた。というのも、2月19日、フランソワ・オランドは、ニコラ・サルコジをUMP国家(UMP=Union pour un mouvement populaire:与党の国民運動連合)とも言える組織を警察や司法に作ったと批判し、もし自分が大統領に選ばれた暁には、その組織に繋がっている高級官僚を総入れ替えすると述べていたからだ。UMPはこの発言をまるで魔女狩り(chasse aux sorcières)だと非難した。

サルコジ大統領は、さらに批判を展開し、「オランド氏の支持者である社会党員が、暴力を伴うデモで独立主義者たち(バスク独立派ですね)と協力するとは残念ことだ。もしこうした行為が社会党の言うデモクラシーなら、我々のデモクラシーとは異なっており、論戦を始めざるを得ない。今日の騒動は、政党の名にふさわしくない行為だ」と語った。

オランド候補の後塵を拝しているというサルコジ大統領にとってありがたくない世論調査の結果がいくつも公表された週の最後を激しい口調で締めくくったようなものだ。

オランド陣営は、1日の夜、大統領サイドからの攻撃に、素早く対応した。「フランソワ・オランドとその陣営は、いかなる暴力も批判する。つねに挑発者はいるものだ。だが、もめごとや暴力に社会党員は決して加わっていない」と、オランド陣営の報道官、マニュエル・ヴァルス(Manuel Valls)はテレビ局・BFM-TVの番組で語ったが、「浄化する」という言葉には触れなかった。

フランソワ・オランド自身も、木曜の夜、リヨンでの集会の後、「我々は選挙戦のレベルを維持すべきであり、決して不要な論争や言葉の暴力、ましてや身体的暴力に堕してはいけない。我々が有している唯一の権利は抗議する権利であり、同時に我々の義務は投票する義務だ」と述べた。

・・・ということで、バスク地方という独特な状況にある地域での騒動でしたが、第1回投票まで2カ月を切り、国民レベルでもかなりヒートアップしているようです。

第1回投票は4月22日。誰が5月6日の決選投票に進むのでしょうか。ますます、目が離せません・・・と言えば言うほど、野次馬ぶりが明らかになってしまいます。さすが、おやじうま!

今や、「冨すれば鈍す」・・・富とモラルの関係。

2012-03-01 21:12:02 | ç¤¾ä¼š
「貧すれば鈍す」という言い回しがあります。『広辞苑』には、「貧乏になると頭のはたらきがにぶくなる、また、品性もさもしくなる」とあります。

はたしてそうなのかどうか、坂の上の雲をいちずに目指していたときには、こうも言えたのかもしれないのですが、今や、どうなのでしょうか。一方、以前には、「清貧」という言葉もありました。同じく『広辞苑』によれば、「行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること」という意味です。

貧しくなると、品格も失うのか、それとも、私欲がないからこそ、結果として貧しいのか・・・どうお考えになりますか。

リーマン・ショック以降、「強欲」というレッテルを張られている業界があります。しかし、給与が良いせいか、学生の就職したい企業の上位に相変わらず名を連ねています。品格よりも、給与が大事、私利私欲が重視されている。清貧など、もはや死語同然、なのでしょうか。

このようなことを考えてしまったきっかけは、2月29日の『ル・モンド』(電子版)の記事。そのタイトルは、“Plus on est riche, moins on a de morale, c’est prouvé”(人は豊かであればある程、モラルを失う。そのことが証明された)・・・どのような内容なのでしょうか。

政界では、「エリート」と「庶民」が対立する問題となっているが、このことはさらに議論を呼ぶべき研究テーマだ。というのも、雑誌“Proceeding of the National Academy of Sciences”(PNAS:アメリカ国立科学アカデミー紀要)の2月27日号に、アメリカとカナダの研究者が論文を発表したが、その論文は、社会階層と行動の倫理観との間に反比例する関係があることを明らかにしているからだ。つまり、端的に言えば、豊かであればある程、情けないモラルで行動する傾向が強い、ということだ。

カリフォルニア州立大学バークレー校のポール・ピッフ(Paul Piff)に率いられたアメリカとカナダの研究者グループは、いくつかの論拠を提示している。研究者たちは7つ以上の異なる実験手法を取ったが、その結果は同じ傾向を示した。

まず、簡単な実験から。交差点に立って、優先道路を無視して現行犯で罰則を受けるクルマを観察することだ。もう一つの観察も似たものだが、通路を塞いで歩行者の邪魔となるクルマを調べることだ。この二つの観察において、研究者たちはクルマを5段階に分類した。廃車寸前のクルマ(グループ1)から高級セダンタイプ(グループ5)までだ。その結果は、グループ5に属するクルマのほぼ30%が優先道路を走っている他のクルマに道を譲らせている。この割合は、グループ1と2に属するクルマの4倍、グループ3と4のクルマの3倍になっている。歩行者優先に関してもほぼ同じような相関関係がみられた。

ここで、高級車に乗っていることが必ずしも富裕であることと一致しないのではないかとおっしゃるかもしれないが、ほぼ一致しているのだ。研究者たちは研究室で別の実験を行って、上記二つの観察結果をより確かなものにしている。それぞれ百人ほどを被験者として集め、まずは異なる状況・行為を説明した。モラルに反しても目的を達しようとする、第三者を犠牲にしても不当な方法で富を得る、交渉において嘘をつく、職業上の過ちを容認する、などだ。その後に、こうしたことを自分でも行うとどの程度思うかという質問に答えてもらった。すると、被験者の属する社会階層とモラルに反する行為を行う可能性の間に明確な相関関係が示された(つまり、社会階層が上の人に、モラルに反する行為を容認する割合が高い、という結果ですね)。

別の実験では、200人ほどの被験者に「さいころ」を振るゲームを行ってもらった。5回さいころを振って、一定以上のスコアになった場合、賞金を出すと事前に説明しておいた。もちろん、細工が施してあり、5回の合計が12以上にならないようになっていた。従って、12以上になったという報告をした被験者は嘘をついたことになる。民族、性別、年齢、宗教、政治思想といったプロフィールを考慮に入れても、共通項は見いだせなかった。だが、社会階級が嘘をついた人たちの共通項として浮かび上がったのだ。では、社会階層の高さとモラルの低さに見られる関係は、何に起因しているのだろうか。研究者たちによれば、部分的にしろ、強欲さを是認する傾向が強いということに起因しているようだ。

・・・ということで、社会的階層が上の人ほど、モラルに反した行為を行う、あるいは容認する傾向が強い。それは、強欲を是認する傾向が強いことが一因となっている。つまり、欲しい物を手にする意思の強さ、行動力が、時として他人に迷惑を掛けたり、ルールを破ったりすることに繋がりかねない、ということなのでしょうね。

まあ、その通りですね。決断力、意思の強さ、行動力、つまり上昇志向があってこそ、階段を上ることができるのでしょう。しかし、時として、目的のためには手段を選ばずになってしまう。そこが問題だ、となるのでしょうね。「貧すれば鈍す」ではなく、「冨すれば鈍す」・・・

一方、他人との競争を否定する人がいます。ひたすら、平和に、共存共栄を。しかし、逆の立場の人からは、ぬるま湯だ、切磋琢磨しないと進歩もない、共存共栄ではなく、共倒れになるだけだ、という批判が出ます。

自分の掲げた目標、あるいは夢に向かって、最大限の努力をする。しかし、人事を尽くして天命を待つ、ルールを破ったり、他人に迷惑を掛けるようなことは一切しない・・・そのような聖人君子が多いほど、その国の「品格」も高くなるのでしょうが、現実には、さて。

皆さんの周りに、こうした立派な人たちは、たくさんいますか。それとも、上記の研究結果を裏付ける人たちが多くいますか。日本の品格は、日本人一人ひとりの品格が形作っている。そう思えば思うほど、頬を染めずにはいられません。鏡を見れば、そこに映っているのは、社会的階層もモラルも高くない50男の姿・・・慙愧に堪えません!

オスカー、映画誕生の地へ凱旋す・・・第84回アカデミー賞。

2012-02-28 22:15:01 | æ–‡åŒ–
映画の都と言えば、ハリウッド。では、映画の父は・・・ご存知の方が多いと思いますが、フランス人のリュミエール兄弟、Auguste-Marie-Louis LumièreとLouis-Jean Lumière。1894年にシネマトグラフ・リュミエールを開発し、世界最初の実写映画『工場の出口』(La Sortie de l’usine, Lumière à Lyon)を翌1895年、パリで公開しました。50秒ほどの実写映画で、製作は弟のルイ・リュミエール。リヨンにあるリュミエール兄弟の工場を出てくる労働者たちを映したものです。

リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ映写機は、さっそく多くの国々に輸出されましたが、日本でも1897年2月20日、大阪の南地演舞場でリュミエール兄弟の製作したフィルムが公開されたそうです。当時から、関西には芸術や新しいものを受け入れる土壌があったのかもしれないですね。

「映画の父」、リュミエール兄弟が実写映画を上映してからわずか34年後、1929年5月16日に始まったのが、アカデミー賞の授賞式。今では、オスカー像を手にすることが、映画人にとって最高の栄誉と言われています。

24もの部門賞がありますが、その中でも最高の賞は、やはり作品賞。映画界最高の栄誉とは言われるものの、やはり「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)というアメリカの映画人の団体が選定する賞だけに、外国映画の受賞は難しいようで、その分、外国語映画賞という一部門を創設しています。

だから、というわけでもないのかもしれませんが、今までフランス映画が作品賞を受賞したことがありませんでした。それが、ついに、今年、受賞!!! それも先祖返りではないですが、モノクロのサイレント映画での受賞となりました。「映画の父」がフランス人だったことを思い出させたのでしょうか。

いや、作品のレベルが高かったのだ・・・27日の『ル・モンド』(電子版)がフランス映画のアカデミー賞・作品賞受賞を伝えています。

ミシェル・アザナヴィシウス(Michel Hazanavicius)のフランス映画、『アーティスト』(The Artist)は、26日夜、ロサンジェルスで5つのオスカーを受賞し、伝説の仲間入りをした。作品賞とジャン・デュジャルダン(Jean Dujardin)が受賞した最優秀男優賞は、それぞれフランス映画初の受賞となった。すでに世界中で多くの賞を受賞したこの作品が、アカデミー賞を受賞するとの呼び声は高かった。何しろ、セザール賞6部門(フランスのアカデミー賞で、1976年から受賞が始まっています)、英国アカデミー賞7部門(英国映画テレビ芸術アカデミーが選定する賞で、British Academy of Film and Televison Artsの略“Bafta”で知られています)、ゴールデン・グローブ賞3部門(ハリウッド外国人映画記者協会が選定する賞で、1944年から授与されています)、インディペンデント・スピリット賞4部門(独立系映画のアカデミー賞とも言われています)を受賞していたのだから。

アメリカにおける映画の年間授賞式で、フランス映画がこれほどのオスカーを手にしたことはなかった。アカデミー賞の歴史で、初めてアングロ=サクソン以外の国の映画に作品賞が授与されたわけだが、その『アーティスト』は作品賞以外にも最優秀男優賞、監督賞、作曲賞、衣裳デザイン賞を受賞した。

しかし、『アーティスト』も期待されていた他の部門では、惜しくも受賞を逃している。助演女優賞は、セザール賞で最優秀女優賞を受賞していたベレニス・ベジョ(Bérénice Bejo)ではなく、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(La Couleur des sentiments:テイト・テイラー監督)のオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)、撮影賞はマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)、美術賞も『ヒューゴの不思議な発明』、編集賞はデヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』(Millenium : les hommes qui n’aimaient pas les femmes)、脚本賞はウッディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)が受賞した。

『アーティスト』のプロデューサー、トマ・ラングマン(Thomas Langmann)は主催者の「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が彼に誰もが希う賞を授けてくれたことに感謝の言葉を述べた。また、父親である、監督・プロデューサーのクロード・ベリ(Claude Berri:『愛人 / ラマン』のプロデューサー)、そしてミロス・フォアマン(Milos Forman:『カッコーの巣の上で』や『アマデウス』の監督)、ペドロ・アルモドヴァル(外国語映画賞を受賞した『オール・アバウト・マイ・マザー』の監督)など著名な映画人たちへ敬意を表した。

監督のミシェル・アザナヴィシウスは、妻の女優、べレニス・ベジョ(アルゼンチン生まれ、両親とともに3歳の時に軍事政権を逃れてフランスへ。アザナヴィシウスとの間には3歳の男の子と1歳の女の子がいます)に感謝の言葉を掛けるとともに、3人のアメリカ人監督に謝辞を述べた。3人とは、「ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー、そしてビリー・ワイルダー」(Billy Wilder:『麗しのサブリナ』、『七年目の浮気』、『昼下がりの情事』、『アパートの鍵貸します』などの監督)だ。

作品賞を受賞する少し前、監督賞を受賞した際、アザナヴィシウスはとても感動し、「今、世界で最も幸福な監督です」と述べるとともに、「あまりの興奮にスピーチを忘れてしまいました」と告白し、「時として人生は素晴らしい。今日がその日です」と語っていた。

フランス人俳優として初めて主演男優賞を受賞したジャン・デュジャルダンは、微笑みながら、彼の演じたジョルジュ・ヴァランタン(George Vlentin:『アーティスト』はサイレント映画です)が話すことができるなら、きっと“Oh, putain, merci ! Génial ! Formidable ! Merci beaucoup ! I love you”と言うだろう、と述べた。彼はまた、役作りの参考となったサイレント映画時代の大スター、ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks:1915年から34年に、多くの作品に出演するとともに、監督・プロデューサーとしても活躍。「映画芸術科学アカデミー」の初代会長です)、そして妻で女優のアレクサンドラ・ラミー(Alexandra Lamy)に敬意を表した。

他のフランス映画も候補に挙がっていたが、長編アニメーション賞ではジャン=ルー・フェリシオリとアラン・ガニョルの『パリ猫の生き方』(Une vie de chat)が、ジョニー・デップが声優を務めた、虚言癖のあるカメレオンの話『ランゴ』(Rango)に屈した。

マーティン・スコセッシが監督をした、はじめての子ども向け3D作品、『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)も前評判が高かった。そして実際、5つのオスカーを受賞した。録音賞、美術賞、音響編集賞、視覚効果賞、撮影賞という技術関係の賞だ。

俳優部門では、メリル・ストリープ(Meryl Streep)がフィリダ・ロイド監督(Phyllida Lloyd)の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(La Dame en fer)で主演女優賞を獲得し、3つ目のオスカーを手にした。オスカー像よりもきらびやかな衣装に身を包んだ62歳の彼女は自らの説明し難いほどの素晴らしい経歴に対し列席者に謝辞を述べた。

今年の受賞シーズンに多くの賞を獲得していたオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)は、当然の結果として助演女優賞を受賞した。「このような素晴らしい恋人を賜りありがとうございます」と、小さく、筋肉質で、頭のつるつるしたオスカー像を恋人に譬え、涙にくれた。

カナダ人俳優のクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)は、82歳にして助演男優賞のオスカーを手にした。マイク・ミルズ監督の『人生はビギナーズ』(Beginners)で、人生の黄昏にゲイであることをカミングアウトする役を演じた彼は、スピーチで「私より2歳しか年長でないのに、今までどこにいたんだい」と、ユーモアを交えてオスカー像に語りかけた。会場は総立ちで彼に喝采を送った。オスカーが誕生したのは1927年で、クリストファー・プラマーの生まれる2年前だった。(註:英語版の「ウィキペディア」によるとアカデミー賞の受賞式が始まったのは1929年5月16日です。これでは、クリストファー・プラマーと同じ年齢になってしまいますが、第1回授賞式の選考対象になったのが1927 / 28年のシーズンに公開された作品だったため、1927年に誕生したオスカーというプラマーのスピーチになったものと思われます。)

前評判の高かったもう一作、アレクサンダー・ペイン(Alexander Payne)監督の『ファミリー・ツリー』(The Descendants)は脚色賞を受賞。脚本賞は『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)の脚本を担当したウディ・アレンに授与された。彼にとって4つ目のオスカーだが、賞の授与式に反対するウッディ・アレンは従前と同じく欠席した。

外国語映画賞はイラン映画『別離』(Une séparation)が受賞した。2月24日に受賞したセザール賞をはじめ、すでに世界中で多くの賞を受賞しているこの作品を監督したアスガー・ファルハディ(Asghar Farhadi)は、「イラン国民にこの賞をもたらすことができて誇りに思う。イラン人はすべての文化・文明への敬意を忘れず、敵意や恨みを軽蔑する人々です」と語った。

アカデミー賞授賞式の模様は世界中にテレビ中継された。会場は「ハリウッド&ハイランド・センター」(Hollywood and Highland Center)。フィルム・メーカーのコダックがチャプター11(破産法)適用を申請したため、「コダック・シアター」から名前が変更になっている。なお、ビリー・クリスタルが9回目の司会を務めた。

・・・ということで、フランス映画が初めてアカデミー賞作品賞を受賞し、主演男優賞もはじめて手にしました。これで、映画発祥の地としても、やっと溜飲を下げることができたのではないでしょうか。しかも、授賞作が、第1回の「つばさ」以来、83年ぶりというサイレント映画。まさに祖先帰りですね。

しかし、同時に、3D作品が技術部門で5つのオスカーを受賞。新旧織り交ぜ、今後の映画の進むべき道を模索しているのが現状ということなのではないでしょうか。

ところで、映画のタイトル。原題、フランス語のタイトル、日本でのタイトル・・・確認が大変でした。同じ、あるいは直訳なら苦労も少ないのですが。しかし、タイトルで観客動員数が増減することもあるのでしょう。宣伝マンが知恵を絞って付けているタイトルですね。

そういえば、かつて淀川長治さんが、ユナイト映画の宣伝部に勤めていた時、苦労してタイトルを考えていたという思い出話をしていたのを記憶しています。しかし、残念ながらどの作品だったか、思い出せません。淀川さんを偲んで、今日は、この辺で。サヨサラ、サヨナラ。

UFO、OVNI、未確認飛行物体・・・70周年を祝う!?

2012-02-27 21:17:36 | ç¤¾ä¼š
“UFO”と言えば、ピンクレディー。

♪♪それでもいいわ 近頃少し
  地球の男に あきたところよ
  でも私は確かめたいわ
  その素顔を一度は見たい

あるいは、カップ麺を思い出したりしますが、“UFO”が“OVNI”となると、パリで発行されている情報誌。

大学に入る前後だったとかと思いますが、パリで日本語の情報誌『いりふね・でふね』が刊行されたという情報に、これはすごいなと思った記憶があります。「ウィキペディア」によると、創刊は1974年。当初は有料だったようです。1979年に『OVNI』と誌名を替え、無料配布(広告料収入で運営)されるようになったようです。

1981年には「エスパス・ジャポン」を開設。イベントや図書の貸し出しを行っています。個人的にも、パリ滞在中は、たいへんお世話になりました。『50歳のフランス滞在記』で「先人たちの知恵」としてご紹介した本は、この「エスパス・ジャポン」でお借りしたものが大半です。日本人によって書かれたフランス関連の図書、特に年代物が充実しており、日本では手に入れにくい作品も読むことができます。

また、各種イベントも。作品展示、講演会、演奏会など、狭いスペースですが、熱気あふれるイベントを行っています。手作り感のある、草の根的な日仏交流の場となっています。

さて、その“OVNI”。“objet volant non identifié”の略ですね。日本語では、未確認飛行物体。UFOã‚„OVNIに関する情報は昔からあるのだろうと思いがちですが、少なくとも私はそう思っていたのですが、実は公式な報告がなされてから、今年で70年なんだそうです。

情報誌『OVNI』は創刊38年。その倍ほどの70周年を迎えた“OVNI”。フランスでは、どのような状況にあるのでしょうか。信じられているのでしょうか、科学的な研究が行われているのでしょうか・・・26日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

空飛ぶ円盤(les soucoupes)とその乗組員である宇宙人(leurs occupants extraterrestres)は、26日、70周年を祝った。奇妙な飛行物体が昔から存在するにせよ、“ovni”が公式に誕生したのは1942年2月26日のこと。第二次大戦中のその日、ロサンジェルス上空で不審な飛行物体が確認された。飛び立ったアメリカ空軍のパイロットはその物体へ攻撃を行った。アメリカ軍は日本軍の攻撃だと思ったのだ。何しろ、パール・ハーバーから3カ月も経っていなかったのだから。

翌日、軍は単純な誤認によるスクランブルだったと説明した。しかし、1974年になって、その未確認飛行物体をある将軍が当時のルーズベルト大統領(Franklin Roosevelt)に報告していたという事実が公になり、UFOの存在を信じる人々に確信を与えることになった。

この「ロサンジェルスの攻撃」の記念日を翌日に控えて、グザヴィエ・パッソ(Xavier Passot)は58歳の誕生日を迎えた。「運命づけられているとしか思えない」と、彼は笑って述べている。このエンジニアは、2011年から“Geipan”という至って真面目な団体の代表になっている。“Geipan”とは、“le Groupe d’études et d’information sur les phénomènes aérospatiaux non identifiés”(未確認航空宇宙物体に関する研究情報グループ)の略で、国立宇宙研究センター(le Centre national d’études spatiales:CNES)の一部門となっている。ovniに関する研究機関としては世界で唯一の政府の支援を受ける民間団体なのだ。

“Geipan”は、緑や灰色の小人に関する神話ではなく、観察によって未確認物体の厳格で科学的な存在証明を行おうとしている。グザヴィエ・パッソは「ovniは科学的な手法によって分析されるべきだと常に考えている」と語っているが、彼やそのグループが調査を行うには、その情報はあらかじめ文書によって警察に通報されなければならない。突飛な証言や作り話を排除するためのフィルターとなっているのだ。

“Geipan”が注意を払うケースは、4つのカテゴリーに分類されている。37%の目撃証言は完全に、あるいは間違いなく確認される情報で、41%が確認されそうもなく、22%は確認できない情報だ。ほとんど確認できない情報を排除すると、本当に不思議な出来事に関する情報は少ししか残らない。グザヴィエ・パッソもこうした困惑にぶち当たっている。

では、説明しえないケースは地球外物体(une existance extraterrestre)の存在証明になるのだろうか。“Geipan”の代表者だったジャン=ジャック・ヴラスコ(Jean-Jacques Velasco)をはじめとする一定の人々は、「ウイ」へとその一歩を踏み出している。ヴラスコによれば、いくつかの目撃証言はプロのパイロットから寄せられたもので、疑いようのないものだ。彼らは空での勤務に慣れており、判断に影響を与えるような社会的事情からは距離を取っているからだ。またヴラスコはレーダーに捉えられた未確認物体についても言及している。最もありえる科学的仮定は、ovniは存在するというものだ。

この種の信用のおける証言にもかかわらず、“Geipan”の現代表はそこまで言い切ることはしない。「パイロットたちは自然現象を見誤った可能性がある。またパイロットたちが社会的影響から隔絶されていると言いきることもできない。パイロットたちの中には、ovni信者もおり、信仰が判断をゆがめることもありえる」と語っている。

グザヴィエ・パッソにとって、ovniの存在をめぐる論争は、しばしば宗教論争でしかなくなってしまう。「ovniの存在を信じる気持ちは、神を信じる宗教心に近いと思う。こうした場合、すべてのものが科学的に説明しうるという考えは、一種の宗教と言えないだろか」と、語っている。

そして、「異常に懐疑的な人たちの判断もまた歪んでいる。宇宙人が存在するという仮定よりもさらにばかげた仮定を提案するほどだ。実際、我々人間は、自分には分からない、と言う勇気を持つことが必要だ」と述べている。

・・・ということで、“ovni”つまり“UFO”の存在を調べる組織が、フランスでは国立の組織にあるそうです。合理主義的なフランス人のこと、未確認物体であろうと、単に夢見るのではなく、科学的に究明しよう、分析しようとしているのでしょうね。

「合理的」と「情緒的」。対極的であるようですが、もちろん、どちらかが優れているというわけではありません。違う、ということですね。

いつもご紹介する『世界の日本人ジョーク集』にも、対極的行動を取るとして紹介される日本人とフランス人。しかし、もちろん、すべてが対極的なのではなく、同じ部分、似た部分もありますね。

同じ人間と言えども、異なる点がある。されど、似ている部分もある。どこがどう違うのか、どう似ているのか・・・「ヒューマン・ウォッチング」の面白さでもあります。