園良太のブログ(3/11原発事故避難者/人民新聞/2002年から社会運動

更新再開。1981年東京生まれ・関西在住。社会変革を目指し続ける原発事故避難者です。

連載:来たるべきその時(革命)のために③ 野党共闘路線の終わりと、2011年3月11日~4月10日からの総括開始

連載:来たるべきその時(革命)のために③ 野党共闘路線の終わりと、2011年3月11日~4月10日からの総括開始
 
長く体調不良になり中断してました。書ける日が出てきたため、連載再開します。
また今年の都知事選、衆院選、兵庫県知事選の結果は、一つの運動時代が完全に終わったと思いました。次を考える時でしょう。
<運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。>
なお2000年代の情勢と運動は、今後の連載で同時に触れていきます。
 
1
 今は運動も社会も「3.11以降」だ。その運動は、11年~15年の国会前など街頭直接行動と、16年~今までの野党共闘路線に大別される。後者が意味や役割を終えたのだ。
“自民党の石破は「平成の琉球処分」といわれた、2013年に自民党の沖縄選出議員5人に辺野古移設反対の公約を反故にするよう恫喝をかけて屈服させた人物である。
立憲民主党の野田は、2012年の首相在任時に多くの反対の声を振り切り、原発事故以降初めて大飯原発の再稼働をおこない、公約に一切なかった消費税の10%への増税をおこなった。
このような2人の国家主義者を党首とする2大政党によって争われる今回の選挙は、2012年の民主党政権の崩壊以降に始まった、多党化と2016年の安保法制反対運動によって主導された野党共闘路線の政治サイクルとしての一つの終焉を物語っている。”(人民新聞10月20日号、末岡友行)
 
これは都知事選で蓮舫が石丸伸二にすら負け、兵庫県知事選で斉藤が勝ってしまった事とも共通する。議会オルタナティブの消滅2024年。
僕は東京や大阪で街頭直接行動に全力をかけ、結果身体を壊しながら、状況を見てきたつもりだ。そもそも論を確認したい。
 
①首都圏発の「国民連合政府」~野党共闘は、戦争法や自民党を止める手段を、街頭でできる全てを尽くしきらないまま、戦争法成立により選挙に「移した」こと(消去法)
②その現代選挙は、小選挙区制で一本化しないと自民に勝てないという、「負け戦」に近い舞台だったこと。
③負け戦で何とか勝つために、「立憲主義」以外の合意点や課題を後ろに下げる「譲歩」、社会変革的には「後退」から進めたこと。
(以上は一定必要だったと思うし、頑張ってきた人々をくさすつもりはない)
④それを「共闘の前進」と言い続けてきたが、今や「選挙」は、保守二大政党、ポッと出の石丸、デマまみれの斉藤に収斂されてきたこと。一方で社会変革は、待ったなしで求められていること。ここは世界共通だ。
こうした総括をしながら、私達は絶望も同じ事の繰り返しもせず、第3ステージの民衆運動を作る時だと思う。
 
==============
 
ï¼’
それは、第1ステージの振り返りが基礎になる。近年最大の盛り上がりの経過・良い点・反省点で、今なぜこうなっているのか・次の高揚時にはどうしたらいいかがわかるからだ。
 
「3.11以降」とは、①日本列島(広くは北半球)が放射能汚染で壊滅し始めた事。また壊滅を隠す嘘と強権の政治が始まった事。それはここでまとめたのでぜひ一読を。https://note.com/jinminshinbun/n/n804f912ef677 
②数十年ぶりに大勢の人々が運動に関わり始めた事。核と戦後日本、経済成長などを根底から反省し拒否する可能性があったこと。シールズやその同世代は3.11が学生で直撃して始動したし、僕より年上の大人も大挙してやってきた。
これから振り返るのは、要はそうした新旧の人々が同時行動する時に起きる、ハレーションと試行錯誤の現代版だ。これはとても普遍的だから。
 
時系列で書くと、
①新旧が協力する奇跡と高揚
②改良か、革命か。つまり原発廃止だけでまとまるのか?それとも放射能汚染や原発労働者差別などの単純な「反原発」に収まらない問題を掘り下げたり、沖縄・安保・戦争責任・反資本主義などの社会変革に広げるのか? ということ。
③反弾圧か、警察ともなあなあでやるか。
④そうした時、僕や周囲はどんな経験な対話や失敗をしてきたか
⑤snsを交えた主導権争い、罵倒や暴力的行為
⑥党派的引き回しや囲い込み
⑦議会と街頭。
 
次から国の動きに加え、自分、素人の乱、東電前アクションなど、フリーター労組、旧ヘイトスピーチに反対する会、首都圏反原発連合、共産党や民主党など、大飯原発~汚染がれき反対運動への大弾圧、しばき隊&あざらし、シールズと「直接行動」など、やり取りと、今だったらどうするかを具体的に書きたい。今後のために。
 
============
 
3
2011年3月11日~18日

2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故。東北の人々は、地震津波で多大な死者を出し、それらと放射能からの大規模な避難を余儀なくされた。
関東の人々は地震被害が直撃ではなかったものの、放射能が広く降り注いだ。そして「意味不明な計画停電で動けない」「家にこもって原発作業員に祈れ」「頑張ろう日本の洪水CM」にさらされた。
これは支配層の計画的な扇動だ。社会統合の崩壊→人々が大規模に西へ避難したり、政府や原子力村の打倒に立ち上がる事を恐れたからだ。

twitterはここで最初の力を発揮した。「安全、大丈夫」と言い張る国に対し、そうではない事実を探し、知り、共有する場として一気に広がったからだ。
そして敏感な人々や仲間は、すぐ西日本へ保養や避難に行った。被曝の知識と移動の経験が足りなかった僕は東京に留まり、運動仲間と互いの生存を確かめながら、反原発の緊急学習会などへ通った。

そして僕は、動く自分達と「全員家で祈れ」との落差から、これは戦前戦中の手法を使った支配戦略だと気づいた。それを打ち破るには、事故の責任者を名指す行動が必要だと思い、首相や大臣らが集合していた新橋の東電本店前で3月18日から抗議を始めた(なお最初の抗議はたんぽぽ舎の3月12日)。

この状況は、次の原発大事故、大震災、侵略戦争の発生時にも必ず作られる。当時まとめた文章を読んで下さい(自著『僕が東電前に立ったわけ』のベース)。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2011/03/21
 
============

ï¼”
2011年3月18日~4月10日

snsや動画配信の世界は、今でこそ炎上・有象無象・デマ拡散が極まったと言われる。マスコミ不信を前提に、ネットに対する評価も割れている。だが3.11後の時は、「嘘ばかりつき私達を黙らせるマスコミ/事実がわかって反原発の声を上げられるネット」という構図が明確化した。

つまり、最高の権力者や命を壊す放射能に、被害者の民衆が対決するという、本来の階級対立とネットの使い道がはっきりした。今でも最大の成功例ではないだろうか。
(つまり99%VS1%。この普遍的な階級対立の構造がうやむやにされてるから、例えば「兵庫の斉藤&立花に協力することが権力との対決だ」と錯誤されてしまう)。

まず、動画配信。僕らが東電前抗議を始めた時、黎明期のIWJ、個人配信者、海外メディアが次々配信や取材をしてくれた。「ようやく抗議が始まった」と。街頭での声は配信で家にいた人々に伝わり、責任追及の必要性を共有した。
そして参加・協力者が3人から増え始め、3月27日・4月1日に東電前には400人が集まり、終了後の話し合いで「東電前アクション」を立ち上げた。3月27日の既存団体の定例デモにも1200人集まった。前の月は20人だ。

東電前では、様々な人々が、重苦しさの中で溜め込んでいた思いや主張を爆発させた。それがそのまま責任者全員への追求になった。
東電抗議とその拡散は、震災と原発を同じ扱いにして黙らせる最初期の圧力を突破した。

次に、SnS。「原発やめろ」という言葉とデモだ。人々が声を上げ始めると、今度は「電気が足りなくなる、対案出してみろ」「原発は専門的問題だ、無知な素人は黙っていろ」という権力者や右派の圧力が降り注いだ。よく見る光景だが、人々の覚醒を防ぐために相手も必死で圧力をかけてきた。

これに対し、「#原発やめろ」という投稿がtwitterを席巻した。西日本への初期保養から戻ってきた素人の乱の人々が、4月10日に「原発やめろデモ」を企画して投稿した事がきっかけだ。

彼らの強みは、皆高円寺近くに住んでて毎晩集まり、体験や状況について様々話し合いながらデモを準備できたことだ。―「ぐちゃぐちゃ言われるけど、原発やめろでいいじゃん!」ー心の叫びであり一番シンプルな言葉が、デモ参加と結びついた。
こうして「専門家/素人」で黙らせる次の圧力をこれまた突破した。
 

3つ目に国際連帯。この場合は海外からの(やや情けない)影響と言える。事故直後から欧州各国で反原発デモが多発し、ドイツは脱原発を決断した。Twitterで日本にもすぐ伝わり、「遠方ですぐ動いてるのに当事者の自分達が動かないのはおかしい」とデモへ促した。
世界民衆の同時課題、同時行動であり、ネットはそれを媒介した。それが本来の使い道と可能性だ。今年のガザデモで発揮されているが、もっと、常に行われれば世界は変わる。

そうして迎えた原発やめろデモ第一回は、ぺぺ長谷川氏が亡くなる前に「個人的に過去最高のデモ」と書いていたと思う。高円寺駅から集合場所へ人の波がうねり続けた。デモは路上とゴール場所の公園を占拠した。


初参加者は同じ思いの人が大勢いる勇気を、企画者やスタッフは見たことない人々が次々参加する感動と衝撃を味わった。根底には共に、国家の圧力や事故の絶望感を行動で打ち破る解放感があった。

こうして東電前抗議や、原発やめろデモ第1回は、人々が立ち上がる時に必須な「共感と勇気の連鎖」を生んだ。
これを作り成功させることこそが、今も日々最も問われていると思う。(続く)
 
※ここまで読んで、「今の運動はダメ、自分達は良かったと言いたいだけじゃん」と思う方もいるかもしれません。そんな事を言いたいのではなく、これから自分(達)の葛藤や失敗もたくさん書いていきます。
 

2011年3月18日

3月27日




連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第2回 自分の目覚めと00年代と「9.11」

 予告編&第1回:https://x.gd/fdig7

1、準ひきこもりが歴史や社会運動と出会う

僕は一番多感な10代後半に人間関係から遠ざかっていたため、社会問題に関心を持った。9.11以降の運動に参加し、世界を獲得していった。

81年6月に東京で生まれた。中学2年(95年)の初夏に、小学時代から仲良く遊んでいた先輩達に突然暴力を振るわれ続け、ショックでそれ以降ずっと人と話ができなくなった。学校には行くが完全に一人、外出できるが誰とも話さず、孤独に浮遊し続けた。

勉強にも乗れず、97年に高校は工業高校に入った。そこでも一人で、また横並びの校則が厳しかったため、環境に疑問を持った。なぜこんなに自分は辛いのか?横並びさせられるのか?学校とは?なぜこうなった? それが自分を責めるよりも周囲=社会の成り立ち=戦後史などに関心を向けさせた。親が持っていた何でも体制や流行を批判する雑誌『噂の真相』や、自分で探した本など読み始めた。

2学期からすぐに都内の定時制高校に移り、誰とも話せず読書や町歩きを続けた。援助交際~少年犯罪など同時代で身近だった。一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。

一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は民主主義と平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。


理由は、高度成長以降、日米安保の元で企業戦士と消費社会を作る事に専念し、家庭も学校も地域もそのために作られた。だが冷戦とバブル崩壊後にその画一性が矛盾を極めたからで、根本的な平和主義や民主主義を達成していないことこそ問題で、目指すべき方向性だからだ。

そうして僕は戦争反対・反権力の思いは固まっていった。こうして90年代以降、生きづらさをきっかけに社会運動に来る人が増えたのは偶然じゃないだろう。

99年後半から、ため込んだ思いを図書室の会報に書き始めた。それを機に徐々に人と話せるようになっていった。01年春、社会学を学びたくて夜間大学に入学。その年9月11日に、米国ニューヨークのwTCビルにハイジャックされた飛行機が突っ込む「9.11事件」が起きる(写真1)。世界は激動し、僕の目は世界に開かれ行動したいと思い、その半年後にアフガニスタンへの報復攻撃反対の「ピースウォーク」に初参加していく。

言いたいのは、今もコミュニケーションや自己不全に悩む多くの人たちに、社会運動を通して原因を社会化し、自分を解放する道がある。特に閉塞を極める日本では皆がそうしてほしいという事だ。

 

2.9.11は世界をどう変えたか

10代の僕が日本の政治や戦争に反対し始めた先には、世界の長年の南北格差があった。パレスチナ問題、北側先進国による南側の植民地化、今も続く経済的搾取。

ソ連が解体して米国は90年代に一人勝ちし、マックやマイクロソフトなど米発のグローバル企業が世界を覆った。世界中の紛争に介入し、引き起こし、軍事覇権も欲しいままにした。

「9.11」の実行犯は、南側のアフガンのイスラム教徒らの怒りから生まれた「アル・カイーダ」だった。北側世界の中心・米国NYを突き刺した。

激怒した米ブッシュ政権は、「対テロ戦争」と称してアフガンを大規模空爆した(写真2、3)。冷戦までの国家対国家戦争ではなく、敵は対象も場所も不明確な「テロリスト」だと規定し、延々と攻撃を続ける。軍事力が圧倒的に上でも続ける「非対象戦争」の中で、社会も恒常的な戦時体制にしていく。これが米国、欧州、日本に急速に広まった。経済のグローバリズムは世界中への非対称戦争と一体になった。軍需産業や民間軍事会社や監視社会化はますます増長し、正当化された。

ここで日本が憲法9条を主張していたら違っただろう。だが自民党が政権復帰していた。小渕、森の不人気を挽回するため登場した小泉純一郎政権は、即座に米国を支持した。「テロ対策特措法」をほぼ全会一致で成立させ、自衛隊の艦隊をインド洋に派兵し、支援(写真4)。マスコミも「テロを許さない」の大合唱。テロ扱いすれば何でも悪、はここから始まったのだ。そして米軍も自衛隊も、仮想敵=ソ連が消えても「テロリスト」を作ることで延命し続けた。

これに対し日本の市民・平和運動は、「テロにも報復攻撃にも反対」を掲げて大きなデモや集会を始めた(テロにも~と言うか言わないかは議論になり、分かれた)。世界の反グローバリズム運動も、99年に続く01年のイタリア・ジェノバwTO会議で反対運動を爆発させた後、対テロ戦争への反対を世界規模で展開した。

アナキストや学生運動も行動を開始。また90年代から地球規模の環境問題に市民が対応するnGO、阪神大震災で始まったnPOが広がっており、アフガン攻撃に対しても彼らは反対に立ち上がった(ピースウォーク)。これらが絡み合いながら、巨大なイラク反戦運動へと結実していく。(続く)



 

連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」予告編と第1回

★はじめに★

昨年著書『賢人と奴隷とバカ』を出版した思想家の酒井隆史さんに、2010年代の社会運動と思想の総括を人民新聞でインタビューしました。
今の閉塞感の原因を話しているので、ぜひ読んで下さい。
 
酒井さんは「近年を総括する言説や議論が無さすぎる」と言います。
そして、「園君も同時代の運動経験を総括してほしい、貴重なものになる」と言われました。
また20代前半の友人達に「不調で現場に行けないなら、公開文章を書くのがいい」「90年代以降の運動資料が全然ない」と言われました。
そこで、2000年代と10年代(3.11以降、写真1)の運動経験と全体状況を振り返る連載を始めます。
主な視座は、
①運動になぜ行き始めたか、00年代のアフガン・イラク反戦運動と小泉政権、反貧困/フリーター運動と政権交代、反差別の振り返り
②10年代、3.11以降の反原発の街頭での運動爆発。第2次安倍政権と戦争法案への反対。そこからなぜ真の社会変革や路上占拠などに行かなかったか、成功・対立・自他の失敗の総括(これがメイン)。
③反原発から反ヒバク、放射能からの避難へ全体が行かなかった総括と、今までの自分や人々の被害実態
④それらの結果今どのように閉塞しているか、流れを変えるにはどうしたらいいか。
 
タイトルは<来るべきその時(革命)のために>。
運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。 
まずはお知らせします。不調でもやれることをやりたい!
 
=================================
 
連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第1回 前史としての1990年代
 
世界は冷戦崩壊後、日本は冷戦&バブル崩壊後の1990年代に大きく変わった。1回目は前史としての90年代と現在とのつながりをたどる。僕は10代なので運動経験ではない。
・先立つ80年代後半、中曽根政権が国鉄をJRに、電電公社をNTTに民営可した。日本の新自由主義の始まりだ。それで中曽根は日本最強の国鉄労働組合を解体し、社会党系ナショナルセンターの「総評」も解体。日本の社会運動は、今に至るまで労組の組織的参加やストライキが激減し、韓国のキャンドルデモに見られるような規模やパワーが奪われた。
「市民」と「個人」の運動がますます強まり、良さもあったが、チェルノブイリ事故後の反原発運動の高揚は90年代に入ると収束した。「日本の原発は大丈夫だ」と増え続けた。
 
・90年前後の社会主義圏の崩壊で、米国は世界の軍事と経済の一極支配を狙った。日本に自衛隊海外派兵の協力を求め始めた。まず91年イラクに湾岸戦争を仕掛け、日本を「金しか出さない」と批判。慌てた海部政権は92年に「PKO法」を成立させ、戦後初の戦争後の海外派兵を可能に。PKO法への反対は、90年代最大の反戦運動や国会での抵抗を生んだ(写真2、3)。
 
・新自由主義、海外派兵、金権腐敗政治の混乱は、93年に非自民党の細川連立政権を生んだ(1955年体制の終わり、裏に小沢一郎)。94年には初の社会党村山連立政権が成立。同時に社会党は安保・自衛隊・天皇制を認め、96年には社民党に変わり大幅縮小した。
またアジアの民主化などで、日本軍「慰安婦」の被害者が次々名乗り上げ、日本政府は戦争責任に一定の謝罪や賠償に応じざるをえなくなった(河野談話、村山談話)。
総じて、90年代前半は様々な地角変動が起きていた。
 
・だが96年頭に橋本龍太郎政権が成立、自民党が政権復帰。前年、沖縄少女暴行事件に対し、沖縄の怒りが爆発(写真4)。それへの対処と称して、沖縄普天間基地を辺野古に移設するSACO合意を米国と結ぶ。また97年に日米新ガイドラインを決定。PKOに続く軍事化を進めた。
そして、住専や山一証券の破綻を利用し「構造改革」を開始。新自由主義・金融資本主義・グローバリズムを一気に進めた。消費税も5%に上げた。これによりリストラや倒産が激増、98年には自殺者が初めて3万人を突破した。自民党は新自由主義政党に変わり始め、新たな時代も支配し始めた。
「お気楽なフリーター」ではなく、不安定な働き方が急拡大した。今も運動に40~50代が少ないのは、長年不安定雇用にさらされ、身も心も疲れきっていることが大きい。
 
・90年代前半に抗して、戦争責任、日本軍「慰安婦」、フェミニズムを否定するバックラッシュが一斉に始まった。「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりらが97年に「新しい歴史教科書を作る会」を結成。98年に『戦争論』出版。侵略戦争をサブカルで美化し、今に至る流れを作った。政界では安倍晋三や日本会議が同じ主張と組織化を強めた。
・小渕、森と自民党政権は継続。日の丸君が代を国旗国家にする、更なる海外派兵法、盗聴法による監視社会化など着々と進めた。
 
・さて、社会と文化の変化だ。バブル経済は90年末に終わり、93、94年に就職氷河期が到来。僕が社会問題に目覚めた社会不安の深刻化――95年阪神大震災とオウム真理教事件、96年女子高生援助交際、97年少年犯罪とサカキバラ事件、ひきこもりや不登校などなど。戦後の若者運動からここに至る流れを、僕は大学の卒論で書いた。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2009/12/30)
 
・それに遅れて、文化表現もどんどん内容が暗くなる(今の90年代ブームは、わざと暗くなる前に限定している)。今に至る「失われた30年」の始まりだ。これらを縦に貫く戦後史への構造的視点の無さにより、いつも「今」しか見えず、私達がどこから来て、どこにいるのかを見えなくしている。いつまでも人々を政治から遠ざけて、閉塞させている。
 
・1970年生まれの知人から、「90年代の運動が一番盛り上がりに欠けて辛かった」と聞いたことがある。国内は停滞し、国際連帯も見え辛かったからだろう。大学の運動は縮小し続け、90年代末には各大学の寮や学生会館が潰されていき、小奇麗で自治ができない○○タワーに建て替えられた。こうした自治つぶしと監視の強化は社会全体で進んだ。
 
・だが世界では、99年にシアトルWTOへの反乱で反グローバリズム運動が始まり、00年代には巨大なうねりを作っていく(写真5)。ネグり=ハートも『帝国―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』を刊行。そして、「9.11」と国内外の新たな反戦運動を控えていた。僕も大学に入り動き出していく。(続く)
 

 

【大阪市廃止への賛成論に対して・元都民の声・大阪の良さは地域商店街と人のつながり】

【拡散願い・大阪市廃止への賛成論に対して・元都民の声】
こちらでもお知らせした「否決勝利を喜び、三度目の投票やこれ以上の大阪破壊をさせないため緊急アピール行動へ! 11月2日17時~19時大阪市役所前」をやりきりました。いいねを頂いたみなさんに感謝します。
 
市役所前で訴えた内容をこちらでも共有させて下さい。「大阪の成長を止めるな」の呪文ではない、未来構想をみんなで打ち出さないと、維新の会は無くせないと思います。
 
f:id:Ryota1981:20201103213909j:plain
===============
大阪市役所前行動でやりきったけどだいぶ疲れた。都構想に一番賛成した北区で、「大阪変えたい」と一番賛成した同世代30~40代の男性へのアピールに(僕は39歳)、東京出身者として力が入りすぎたからです。以下訴えました。
 
「東京が失った変えてはならないものが、まだ大阪にはあります。地域商店街や人と人との会話・つながりです。それを活かし発展させる事が未来です。都構想は再開発と民営化でそれを壊します。
 
僕の東京の地元私鉄には隅々までチェーン店とコンビニしかなくて泣きたくなるし、それで小学校の同級生の米屋や食堂も潰されてきました。
でも大阪に移住してから、代表的なチェーン店のカフェベローチェをようやく初めて見たのは、私鉄沿線ではなくここど真ん中の淀屋橋でした。大阪にはまだアーケードと個人商店があり、物を落としたら拾ってくれて話しかけてくれる!(だから反都構想の街宣でも数多くの会話が生まれた)
 
そんな大阪の良さとは正反対の都構想。そのおこぼれなど皆さんには来ません。電通・パソナ・吉本やウーバーイーツや「GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)」のように、安倍や維新と仲良しの企業や、独占的な超企業だけに行くのです。今日も明日も奴らは密談しているでしょう。市民のための市役所や府庁ではなく、どこぞのホテルで、税金を使って!
大阪や全国の衰退は、地場産業の育成をやめ、USJ等の外や東京の大資本に投げたから起きたと思います。地域単位で産業、商店街、会話を再構築すれば復活できます。それがポストコロナ、ポスト気候変動です。
 
だからよく言われる「大阪市民は分断されている」は正確ではないと思います。実態は、主に私と同世代の「働き盛り」男性が、維新との癒着や再開発のおこぼれをもらえるという幻想を見ていることがメインだからです。安倍ースガの岩盤支持層と同じ、「新自由主義右翼」思考(『世界』11月号『誰が安倍政権を支えてきたのか』より、その数有権者の約2割。ちなみに維新が山本太郎をやたらと意識しているのは、「上記の幻想で騙そうとした30~40代」に対して事実を働きかけていた、つまり対象が被って悔しかったからだと思います)。
 
実際は非正規から正社員まで、99%におこぼれなど来ません。そのうちコロナでまた大量リストラにあい、個人商店も潰され、政権も維新も推進するウーバーなどのマッチングサイトで働かされます(今まさに激増中)。雇用契約すら結ばないから自転車で事故しても労災も払わない、非正規雇用より酷い「マッチング労働」ですよね。
 
また、たまたまおこぼれが来たとしても、汚い利権に魂と未来を売るだけです。
汚い吉村や、維新の口だけモブ議員に、あなた達を代表させるのをやめましょう!自分の住んでいる地域と人間関係に目を戻し、そこから出発しましょう!そうすれば性懲りもない大阪市廃止の繰り返しは終わり、未来が拓けます。

f:id:Ryota1981:20201103231833j:plain

 

4月27日に大阪府庁へ出した「新型コロナウィルス 感染症(COVID−19)を残り超えるための要請書」(回答待ちです。また直接行きます)

f:id:Ryota1981:20200422185654j:plain

2020年4月27日 大阪府知事 吉村洋文様

【新型コロナウィルス 感染症(COVID−19)を残り超えるための要請書】

                   コロナ生活補償を求める大阪座り込み行動

1 感染の拡大を抑え、医療のオーバーキャパシティを抑えるために、経済活動は必要最小限にして、自主隔離を各自が行う必要があり、そのため必要な生活保障、事業継続保障を行うこと。

 2 生活保障には家賃の補填、免除(府営住宅を含む)、債務の利子の免除・元本の返済猶予(介護福祉士等就学資金貸付、母子・父子・寡婦福祉資金、ヒューファイナンス大阪、中小企業向けの貸付け制度、生活福祉資金貸付、保育人材確保のための貸付事業、大阪府育英会、大阪府公立高等学校修学奨励費を含む)がまず行われる必要があり行うこと。家のないものには公共住宅の無料開放や簡易宿泊所などの無料の貸切りを実行すること。また現在借家、借地しているものの追い出しの禁止を行うこと。

 3 またテナントに入っている商店は家賃負担が売り上げの3割を占めるのが普通であり、休業保障だけでは家賃負担で潰れる。このままではコロナショック中に小商いの大量倒産が起きる。安心して休業し、必要最小限の経済活動にするためにも家賃の補填や免除を行うこと。

 4 家賃の免除、債務の利子の免除、元本の返済猶予を行うと株や不動産投資信託などが暴落するリスクがあるためコロナショックがひと段落するまで金融市場の閉鎖を要請すること。銀行への必要な資金は公的資金を投入すること。

 5 生活保障のために世帯に必要な一定範囲の光熱水費、通信費は免除する。また電車、バスも無償化する。そのため一定の公的資金を、電気、ガス、水道企業体、通信会社、公共交通機関に補助、もしくは公有化すること。

 6 新型コロナウィルス 感染症が拡大している状況化では住民税、中小企業の事業税、自動車税、国保料、健康保険料、年金の基礎年金部分などの各種社会保険料を免除(一律納付猶予、減免規定にCOVID-19を加え申請なしに一律減免を行うなど)すること。また医療費、介護費も無償化すること。

 7 学費・保育を無償化(府内にある公私立の認可・無認可を問わない保育園・幼稚園、フリースクール、私立小学校・中学校、府立高校を含む公立・私立高校、府立大学を含む公立大学・私立大学、各種学校など)するとともに、払った授業料に対しては補償金により返還すること。必要な教育が在宅で受けられるよう、無料のネットの環境や無料の教育コンテンツを充実させること。

 8 基礎的な生計費を保障するため、ベーシックインカム(個人への一律給付金)を実施する。自主隔離が必要な期間中、毎月、生計に必要な一定額を全住民(在日外国人や野宿者など住民票のない人も含む)に支給する。

 9 ただしベーシックインカム(毎月の一律給付金)ついては世帯毎でなく、個人に給付を行うこと。生活保護においても現在地主義をとっていることから、野宿者など住民票がない、住民票が異なる市町村に存在する住民にも、居住地で支給できるようにすること。また振り込みのための銀行口座などがない場合にも受給を行えるようにすること。また入国管理局の収容施設から仮放免中の住民にも一律給付金の受給を行えるようにすること。また総務省の指針では「外国人のうち、短期滞在者及び不法滞在者は住民基本台帳に記録されていないため、対象とならない」とされているが、技能実習生や留学生として滞在資格が喪失して、大阪府で生活する住民が数多く含まれている。指針の対象外者であっても一律給付金の支給を行うこと。上記の措置が国費で難しければ、府費によって支給を行い、一律給付が全住民にいきわたるようにすること

10 企業の解雇を完全禁止するとともに、有給休職を取得したり、休職を自由にできるようにする

 11 新型コロナウィルス 感染症のリスクにさらされながら働く医療関係者や運送労働者、介護労働者、保育労働者、学童保育労働者などの危険手当支給、または待遇を大幅に改善すること

 12 公的資金を防護具や医療器具、製薬の生産に向かうよう、公的資金を導入するとともに、その生産に関わる知的所有権はオープンソースにする。特にワクチン、製薬の開発のための知的財産権は共有化すること。

 13 医療関係者の緊急養成の講座を短期間で行うとともに、退職した医療免許などを持つものに必要な職場で仕事をするよう、志願を呼びかけること。また必要な病床(想定フェーズ4における15000床)、宿泊施設を公的資金によって早急に確保すること。

 14 北の「先進国」は南の国(第3世界の国)の脆弱な医療対策のために増産した必要な防護具、医療器具や薬、短期的な人材育成、人材派遣、また必要な資金援助を行うこと。また南の国への債務の帳消しや、経済制裁の中止を政府に要請すること。

 15 食料生産を保障するために、小規模農民への補助金を行うとともに、都市住民も家庭菜園などで農業生産を行うよう奨励し、住民にも土地を貸し与えたり、公共の緑地帯、オープンスペース(公園を含む)での栽培も認めること

 16 自主避難と同時に、虐待やDV、ハラスメントなどから逃げだすためには公共の場所が不可欠である。家庭にいられない、いづらい人間が、家から逃げ出せる場所の確保を、公共施設を開放して行うこと。その場合、換気をして、社会的距離を保ちながら「逃げ場所」の公共施設(図書館など)を開くことやシェルターの増設、緊急の被害者へのアウトリーチや24時間の電話相談を行える十分な体制の整備を行うこと

17 COVID-19の検査体制の拡充と、病院、保育所、学童保育、児童養護施設、刑務所、老人介護施設、障がい者支援施設、各種シェルター(あいりん地区の臨時夜間宿泊所やDVからの避難施設)、一時保護施設、生活ケアセンター、など密集状態が避けられない施設での感染防止策を行うこと。また上記の施設にマスク、消毒液の十分な供給を大阪府は保障すること

18     国、大阪府、が行う生活保障、事業継続保障対策が、住民に周知されるよう広報を行うこと。同時に、デジタルデバイドなどで情報が行き渡りにくい生活高齢者などへの支援を考えること。また、住民が困っていることなど相談しやすいよう、総合相談窓口をつくること。

19 十三市民病院のコロナ指定病院化は、現場労働者に一切話がなかった。吉村府知事はこのような記者会見での一方的政策発表とトップダウンを即座に中止し、全てにおいてまず私たちコロナ生活被害者や現場労働者に聞き取りを行うこと。それに基づいた政策案を作った上で、市民が傍聴可能な形での府議会審議で決めていくこと。事業継続支援が行われていな状況を棚に上げて、大阪府の休業要請に従わない店舗の店舗名公表を行わないこと。

20 必要性や緊急性のない事業や開発(投資的経費、開発関連予算)、訴訟(あいりん総合センターの立ち退き訴訟など)は一旦停止し、都構想関連の経費の執行も停止し、必要な資金が新型コロナウィルス 感染症対策に行くようにするとともに、医療体制、生活保障、事業継続支援のための職員体制の見直しを行うこと。内部留保や富裕資産への臨時課税を実施すること。特に大阪万博・IR(カジノ)の誘致、夢洲・舞洲の開発、地下鉄新なにわ筋線・北梅田駅の開業、大阪公立大学の新キャンパス建設と森ノ宮東の開発、リニア新幹線の新駅と新大阪の開発、あいりん総合センターの解体工事とあいりん地区の開発関連の予算を執行停止にすること

*大阪府の権限を越えるものについては、国に要望を大阪府から行うとともに、必要性について社会的に発信を行うこと。以上の要望項目について大阪府から回答を行うこと。

f:id:Ryota1981:20200422185654j:plain

【4.27コロナ被害への生活補償と地球規模の解決を求める大阪府庁前座り込み・要請行動】へ

みなさまへ。コロナ被害問題・27日の大阪府庁前の参加呼びかけです。また20日の大阪市役所前座り込みの報告です。
20日は多くのマスコミが取材に来ました。関西テレビ映像:https://www.ktv.jp/news/articles/31047312671848ca8fe5235d0e648edd.html
しんぶん赤旗記事:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-21/2020042113_02_1.html

朝日新聞:下記の画像

交渉の全映像(たぬき御膳さん):https://www.youtube.com/watch?v=nKp59utjmBs&feature=youtu.be

以下、ぜひ拡散お願いします。

★☆★☆★☆★☆転送、転載、参加願い
★☆★☆★☆★☆

【4.27コロナ被害への生活補償と地球規模の解決を求める座り込み・行政交渉】へ

4月27日(月)11時半 大阪府庁大阪府庁舎南側通用門口集合(大阪国際がんセンター前:府庁舎に「りそな銀行」の看板があります)
11時半~昼休みアピール。13時頃~15時頃まで府庁要請行動(コロナ関連予算の府議会も開催しています)。
呼びかけ:コロナ生活補償を求める大阪座り込み行動(暫定) 連絡先:080-4095-3319
―自治体は今すぐ全員に現金給付・解雇の禁止・家賃や公共料金無償化を!
―吉村府知事の十三市民病院コロナ指定化は、現場の声を一切聞いていない!
―松井市長の「病院に雨合羽募集」は「アベノマスク大阪版」。安全な防護服を作って配れ!
―吉村・松井は人気取りの愚策をやめて、市民の声を直接聞け!

私たちは、新型コロナの被害で仕事を失った派遣社員・フリーランス・学生や支援する労働組合などの集まりです。
緊急事態宣言以降、大阪市のコロナ危機管理本部が開かれず、府庁・府知事が記者会見で一方的に
政策を発表するようになりました。そのため現場無視や一部業者との癒着が露骨に表れています。
そこで4月27日はこれまでの大阪市役所から、行動の対象を大阪府に移します。府議会で補正予算の
審議が行われる予定のため、そこに向けて要求行動を行います。
また上記の場においては、みんながどのような問題を抱え、どのような支援策が今使えるのかということを相談あるいは情報交換ができるようにしたいと思います。ぜひご参加下さい!

【4月20日大阪市役所前行動報告】
マスコミ報道:関西テレビ映像:https://www.ktv.jp/news/articles/31047312671848ca8fe5235d0e648edd.html
しんぶん赤旗記事:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-21/2020042113_02_1.html
朝日新聞:下記の画像

交渉の全映像(たぬき御膳さん):https://www.youtube.com/watch?v=nKp59utjmBs&feature=youtu.be

<文章報告>

私たちの要請文:https://ryota1981.hatenadiary.org/entry/2020/04/03/221615

朝、雨が激しく降ったが、昼には完全に止んだ。大阪市役所前で横断幕を広げ、机と椅子も出して座り込みを開始する。12時からアピール開始、仕事がなくなり収入が途絶えた仲間の切実な報告や、週末に労働相談を受けてつけていた労働組合、反貧困をたたかう仲間からアピールを受けた。また今回、ここには参加できないが、急遽「コロナ専門病院」とされて現場が大混乱に陥っている十三市民病院で働く仲間や、休業要請が出ても店を開けなければならない、飲食店経営の仲間から託されたアピールが紹介された。また朝日新聞、関西テレビなどのマスコミも取材に来ており、インタビューをしたりチラシを撒く様子を撮影したりしていた。また、差し入れられた無農薬の野菜も配られた。

13時を過ぎて、6日に提出した要望書がどのように取り扱われているのか確認するべく、市役所に入る。TV撮影用に横断幕を掲げて市役所内に入る。ロビーには松井市長が呼びかけて集められた雨合羽が段ボールに積み上げられ、仕分け作業が行われていた。このマンパワーを市民のために使えよ。
まず1階の政策企画室、広聴担当を訪ね、前回要望書提出時に対応してもらった小豆澤さんに話を伺うも、電話で事前確認したとおり、各部局の対応できる課に要望書は投げているか、そこで対応できるかどうかは分からない。様々な要望が出ているので、回答は連休明けになる、新型コロナウィルス感染症対策本部会議は4月3日に開かれたきり、1度も開かれておらず、私たちの要望書が対策本部会議で議題にもされていないということである。

その後、要望書に直接対応してもらえそうな、福祉局と健康局に二手にわかれて要望書について問い合わせてみることにした。福祉局へはホームレスや生活困窮者の自立支援を行うグループが生活福祉部にあるので、そこに行ってみる。生活福祉部では「テレワーク」をするわけにもいかず、職員が総出で出勤し、電話等の対応に追われているようであった。総務部の担当者も出てきたのだが、二週間前に渡した要望書について、各担当部署への振り分けをやっている所であるとのたまう…そんな作業、1日で出来るだろう!生活福祉部の担当者にしても、要望書への回答は然るべき手続きを経て行うとの一点張りで、こちらが緊急に支援を必要としているのに、連休明けにしか回答が出ないのはおかしい!要望に対する検討の途中経過を教えて欲しい、あるいは市独自で考えている支援策はないのかとさらに問いただしたところ、国が決めたことをやるのに手が一杯で、市独自の支援策・対応策については何も考えていない…実質のゼロ回答であり、それを引き出すのに1時間以上もかかった。

健康局に行った仲間は、医療・検査体制の拡充要請、マスクや防護服を支給することの他、医療従事者に特別手当を支給することや、十三市民病院のコロナ専門病院化についての申し入れを行った。健康局の部屋や会議室にも集められた雨合羽が積み上げられ、仕分け作業が行われている。本末転倒である。一連の要請行動を通して、いかに大阪市役所が住民の要求を吸い上げることなく、トップダウンで決められた仕事をただこなすだけの組織に成り下がっているか…ということが痛いほど分かった。

要請行動を終えた後、報告のアピールやコールを行い、その後1時間ほど今後の行動についての確認を行った。来週27日は大阪府議会に合わせて、傍聴や要請を行うため、11時30分に大阪府庁舎南側通用門(がんセンター前)に集合すること。連休明けに要望書への回答を確認する市役所前行動を行うこと、27日ぐらいには「緊急事態宣言」を延長するかどうか決まっているであろうから、今後の方針についてはその時にまた決めるということになった。

f:id:Ryota1981:20200422185654j:plain

f:id:Ryota1981:20200422185708j:plain

f:id:Ryota1981:20200422185952j:plain

f:id:Ryota1981:20200421123506j:plain

 

【コロナ事態の中、社会運動や文化活動をどうするか】ー自粛要請の「自己責任論」を乗り越えるために

f:id:Ryota1981:20200405183952j:plain

f:id:Ryota1981:20200403120705j:plain

f:id:Ryota1981:20200405184057p:plain

【コロナ事態の中、社会運動や文化活動をどうするか】

3/25以降、コロナで首都圏が戒厳令化し、全国にも波及している。まずは苦しむ仲間たち全てに連帯を送りたい。
①もはやコロナ疾患は誰もが身近で、対策は不可欠。検査数が少ないため、若年層も含めて潜在的感染者は多数。
②だがそうなったのは政府の「人災」であり、今は災害時の不安を利用して支配を強める『ショックドクトリン』をされている、とはっきりさせたい。

この①と②の両方で、市民運動や文化活動が真にやれない状態に追い込まれている(感染恐怖、外出自粛、会場封鎖、バッシング等)。
それはなぜか、どうすればよいか、国やメディアは論じない。人間と民主主義に欠かせないこの点を、運動を行ってきた立場からはっきりさせたい。

●なぜ「政府の人災」か?ポイントは何か?
①日本は五輪開催や観光誘致を優先するために、初動に失敗した(クルーズ船対応など)

②挽回するための「突然・現場丸投げ」の一斉休校で、社会を弱者から順に混乱・疲弊のどん底に落としている。

③補償をしない外出自粛要請を続け、大不況を招いている。また日本独特の自粛要請は、新自由主義的な「自己責任論」を蔓延させた(ここ重要。後述)。

④東京五輪を延期した途端に、首都圏の患者数発表を激増させた。つまり五輪にこだわって感染を放置した期間に、首都圏の患者は爆発的に増えている。この事を小池、安倍、五輪委員会は一切反省も責任も取っていない。五輪延期の翌日から突然出てきた小池は、延期の悔しさを自粛の強権で晴らしたい幼稚な独裁者そのもの。患者激増と封鎖を突然上から聞かされたら誰もがパニックになるし、まさにショックドクトリン。
大阪維新も、都構想やカジノの推進か、自粛の強権を振るうかで迷っている。どちらも人命救済や生活補償は頭に無い。

⑤国の新自由主義政策で、医療費とくに感染予防対策予算などを長年削り続けた。その結果、私達も医療現場も無検査と医療崩壊二重危機に襲われている。自分で自分の状態がわからないから私達は不安になる。私達は何よりも状態を知る権利がある。

⑥パンデミックの頻発は、原発や気候変動と同じく、日本や大国が進めてきた新自由主義・資本主義が原因。

それは1:森林伐採・開発で人間と離れていた野生動物が人間のいる場所へ出てこざるをえなくなり、異なる動物に留まっていたウイルスが人間に触れて変異し毒性を発揮したこと。

2:「先進国」の過剰消費により、第3世界の食の生態系が変化した。欧米の大量漁獲により魚から肉食中心に変わらざるをえず、都市の周りの巨大な工業的飼育場に依存する「家畜革命」が起きた。その飼育場がウイルス発生や伝播の温床になっている。

3:コロナ被害は、何がこの世界に必要な仕事かをはっきりさせた。全てを経済効率で判断し、そうでないものは切り捨てるのが資本主義。医療・福祉・教育を削減し、金融業・軍隊、軍事産業・巨大インフラ開発を優先してきた。でも前者の人々こそこの世界には必要不可欠だ。後者はカネの投資や引き上げを自分勝手に繰り返すことで世界恐慌の原因を作り、戦争で人命を奪う。まさに不必要であり害悪だ。

つまり私達の世界観と世界の仕組みを変える時。新自由主義・資本主義をやめて、持続可能な社会に転換させる時。また転換をせず、この事態への責任も取らない安倍政権や仲間たちに、緊急事態宣言というより強大な権限を与えてはいけない。

=================

●自粛要請とは、文化活動・社会運動・利権と無縁な仕事への「自己責任論攻撃」

日本政府は現在もリーマンショック時も、世界恐慌を作った責任者である投資家・株式市場・大企業の救済しかしていない。昼の仕事と満員電車は解消させようとしない。
新自由主義の先駆者・英サッチャーの有名な発言に「社会など存在しない。個人があるだけだ」がある。
つまり国家=上下関係や市場=利害関係とは異なる、人と人との助け合い、文化表現、異議申し立てはいらないと言い、「自己責任」で切り捨てる政策をしたのだ。

日本が真っ先に「補償をしないイベント・外出自粛要請」をしたこと。これは多くの労働者を苦しめると同時に、ライブハウスなどの文化産業や夜の仕事をまるで「無駄で順位の低いもの」と狙い撃ちした。また市民のつながりに欠かせない「公」民館や「公共」図書館を上から一気に封鎖した。これこそ新自由主義に忠実な政策だ。
欧米では大学生が一人暮らしの老人を助けに行ったり、労働組合が戸別訪問で悩みを聞いている。だがそうしたつながりが弱い日本では、今、老人・シングルマザー・子ども・障がい者・外国人などが孤立に苦しみ、見捨てられている。

さらに日本らしいのが、「善意の市民」も文化やナイトワークや寄り合いや社会運動の開催を、snsなどで「バッシング」していることだ。これは新自由主義とセットの「自己責任論」が今も心身に深く浸透している結果だといえないだろうか。

利害とは別の文化活動は人間の心の安定に欠かせないため、自由や補償が不可欠なこと。でも文化産業や零細のナイトワークは政権や大企業の利権と無関係なため標的にされ、そこの労働者や利用者が押しつぶされていること。そして異議申し立てや助け合いをする社会運動は、社会を良くするために欠かせないこと。

この構図を見えなくさせている自粛要請は、国家と資本主義が責任を回避・転嫁するための「攻撃」だ。そして「自己責任論」が文化や運動-ひいては私たちみんなを追い詰めている。国家頼みのロックダウンか、市場頼みの無検査放置か、の2択に追い込まれている。だがこの2択から意図的に除外された文化や運動が現状を変えると小倉利丸さんは言う。https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/

コロナ対策は不可欠だが、対策資源を豊富に持つ国家がそれをサボり、わずかしか持たない中小零細・表現者・社会運動に国家と同等の責任や対策が問われてしまっている。それができないから中止に追い込まれる。これは3.11後の避難者バッシングと同じく、「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」ように権力者側が仕掛けたものだ。(ブルーハーツ:https://www.youtube.com/watch?v=I68t-vJZinc)

私たちはこうした攻撃から、一度冷静に距離を取らなければいけない。

=========================

●では、社会運動や表現はどうすればいいのか
社会運動や表現活動は、医療や福祉と同じくこうした時こそ必要だ。
とはいえコロナ疾患の不安や生活苦が迫る。また行動の際も疾患対策は欠かせない。

★まず、運動や文化の優先順位の整理。

1:政府・大企業は悪政を何も「自粛」していない。沖縄・辺野古の米軍基地建設や南西諸島の自衛隊配備が代表例だ。辺野古は今も毎日座り込みしている。それと連帯する行動も継続が必要だろう。コロナ解雇が吹き荒れる中での年に1度のメーデーや、原発再稼動や汚染水放出時の抗議や裁判も同様だ。

2:コロナ被害の経済的補償や医療現場への保障が無さすぎる。それを求める行動、いま世界中に広がる労働者ストライキなどは不可欠。「今すぐ生活・医療補償の拡大を!」を統一スローガンにすること。4月6日、大阪市役所と交渉します。
呼びかけと要求:https://ryota1981.hatenadiary.org/archive/2020/04/03

補償のために新型コロナ特措法の「緊急事態宣言」を求める声も高まっているが、宣言は補償を何も義務づけておらず、無関係。また運動や外出への法的規制力もない(ない方がいい)。
解説:https://news.yahoo.co.jp/byline/tarobando/20200327-00169975/
安倍政権の宣言は補償ではなく、モリ・カケ・サクラのようなやりたい放題の独裁にしか使わず、上述の「自己責任論」がさらに強化されると断言できる。参考:「京大の藤原辰史:パンデミックを生きる指針」https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic
また、宣言を出さなくてもすでに自粛ムードが相当広がったので、「宣言」は実質出されているのと同じ。よって安倍は日本の国際的評価・株価を下げないために出さないだけだと思う。運動・民衆側が宣言を求めるのは、無意味かつ自殺行為。

3:この危機から地域社会を再生すること。身近で助け合える関係性がないと災害時に人は終わる。権力任せにせず、相互扶助の関係を作ること。その実践に国から金を出させること。

4:世界的な視野を持つこと。世界中で毎年、「南側」の国々で50万人から多い時は100万人から150万人ぐらいの人がマラリア病で死んでいる。それを「北側」は本気で救おうとはしてこなかった。新型コロナが世界を揺るがしたのは、豊かな「北側」に住む私達にも被害が及んだから。世界の不平等と無関心の表れ。自分や一国だけの解決はありえず、弱者や搾取された国々の立場に立った解決を今度こそ行なうこと。
参考:インドから声明「人民に焦点を当てたグローバル・パンデミック対策」を要求する」
「http://www.labornetjp.org/news/2020/1585299810928staff01

★次に、運動と自分自身のコロナ対策。
この危機とウイルスはしばらく収束せず、共存していかざるをえない。原発放射能は空間にばらまかれるので抑えようが無く、またすぐに距離を取れば被ばくを防げるが、人から人へ移るウイルスの場合、人が完全に一人で生きることは不可能なので、移り方を止める工夫が大事)。
そこで上記のような優先順位(僕の考えですが)で、開催の可否を決める。
そしてマスクをつけ、マイクには消毒する。デモや街宣は人と人との距離を取って行なう。屋内より野外。
ネットを最大限活用する。不安な人、体調がよくない人は休み、自分がやりたことをやって免疫力を高める。
個々の立場を尊重し、ケンカ別れをしないこと。
ただし、人は孤立や孤独でも死ぬ。家にこもればDVも増える。今後そのストレスは益々増える。地域の寄り合いは不可欠。ネットでも励ましあう。そして抗議・要請行動を求める流れも必ずまた来る。

以上です。また書きます。協力して難局を乗り切っていきましょう!