Yahooブログ 「ぴんぐーの1日」
こんにちは、ぴんぐーです。
長らくブログをごぶさたしておりましたが
この度のYahooブログのサービス終了はとても残念なことです。
開設当初よりブログを通じて楽しくお付き合い下さいましたみなさまに
この場をお借りしまして心よりお礼申し上げます。
閉鎖に伴い、今までの記事はアメブロへ引っ越すことにいたしました。
移転先では、みなさまにいただいたコメントが見られなくなってしまうのがとても残念なのですが
またどこかで繋がることができたらうれしく存じます。
ぴんぐーより。
※当ブログの過去記事は後日こちらへ引っ越します
【転載】
ブログページを丸ごとコピーするツールがありました。
コメントも残ります、個人的な保管用におすすめです。
「ブログのバックアップ・引越し「ホームページクローン作成」サイトのまるごとオフライン閲覧」
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-37135628
BBC 19 August 2016 Last updated at 16:57 BST
The picture of five-year-old Omran Daqneesh sitting in shock in an ambulance following an air strike has been seen as an image of the suffering of Syrian civilians in the country's continuing civil war.
一昨日からアレッポの男の子の姿が世界中のニュースを駆け巡っている。
そして今日は
2012年にアレッポで銃撃に遭い亡くなったジャーナリスト山本美香さんのご命日。
過去記事 2012/8/22 「アレッポの恵み」
今自分がアレッポのために何もできなくても
美香さんが命がけで伝えたかったこと
世界で苦しむ人たちの声を受け止め続けることも
わたし達にできる大切なことの一つだと思う。
アレッポを救うことができなくても
彼らの声を聞いたじぶんたちの考え方生き方が
自国を崩壊に向かわせない力になるし
それは必ず世界のあり方にも通じていくと信じる。
以下に紹介する
ロンドン五輪開催中に掲載された美香さんの記事は
彼女がシリアで亡くなる直前に執筆されたもので、
世界がリオ オリンピックに沸く今また世界に読んでほしいものだ。
今日この記事に出会えたことを
美香さんから世界へのメッセージとして
ここにシェアさせていただきます。
山本 美香 執筆記事
「五輪の熱戦の陰で シリアにも目を」
2012年8月11日
「世界の中の山梨」(朝日新聞山梨版)
山本 美香 記念財団HP より
http://www.mymf.or.jp/index.html
わたしが女でも
親の家や職業が何でも
銃を持った警備などいない町の集会場へ
白日の下堂々と顔を出して
一人であるいて投票に行ける。
誰に投票しろとも強要されず、誰にしたかも問われず
真っ直ぐ投票所を出て
銃弾の痕も
爆撃で瓦礫になった家も
打ち捨てられたままの遺体もない町を
はしゃいで走っていく子供たちの笑い声を聞きながら
襲撃に怯えることもなく
今夜の晩ご飯は何にしようかなどと
ぼんやり歩いて帰ってこれる。
そんなたわいもないことを
検閲を伺うことなく気ままにネットに投稿し
それを読んだ誰かが
怒りと狂気にまかせて私を襲い
酸やガソリンを浴びせ
家族もろとも家に火をかける
そんなこともない。
わたしの母国はそんなところだが
それのどこが当たり前だろうか。
権利を許され、自由を許され
仕事があり、仕事をした報酬が受け取れて
あふれるものの中から好きなものを買って
毎日の食事を用意できる。
それのどこが当たり前だろうか。
その感謝と
それを正しく保ち
間違いなく伝える責任は
命ほどに重い。
親の家や職業が何でも
銃を持った警備などいない町の集会場へ
白日の下堂々と顔を出して
一人であるいて投票に行ける。
誰に投票しろとも強要されず、誰にしたかも問われず
真っ直ぐ投票所を出て
銃弾の痕も
爆撃で瓦礫になった家も
打ち捨てられたままの遺体もない町を
はしゃいで走っていく子供たちの笑い声を聞きながら
襲撃に怯えることもなく
今夜の晩ご飯は何にしようかなどと
ぼんやり歩いて帰ってこれる。
そんなたわいもないことを
検閲を伺うことなく気ままにネットに投稿し
それを読んだ誰かが
怒りと狂気にまかせて私を襲い
酸やガソリンを浴びせ
家族もろとも家に火をかける
そんなこともない。
わたしの母国はそんなところだが
それのどこが当たり前だろうか。
権利を許され、自由を許され
仕事があり、仕事をした報酬が受け取れて
あふれるものの中から好きなものを買って
毎日の食事を用意できる。
それのどこが当たり前だろうか。
その感謝と
それを正しく保ち
間違いなく伝える責任は
命ほどに重い。
(注:今日の話は長くなるよ)
昨年、ガラス作家さんからベネチアンガラスのご注文がありまして。
真紅のベネチアンガラスを装飾なしで作ってもらってほしい
というご依頼で、
それをもとに新しい造形作品の構想があるということでした。
カタログにない商品を、不自由な外国語で
お客さまの希望を説明しながら 誤解なく間違いなく注文するのは
実に緊張する仕事でしたが、
一方ではそんな仕事に密やかなワクワクもありました。
途中、製造・出荷の遅れもあり、ヒヤヒヤ やきもき。
その頃ちょうどミラノでイタリア工芸品の展示会があり、
発注したメーカーさんの代表に会える機会があったので
初めての単身渡伊ながらイキナリ
「はよせいやゴルァ」と
外国語で直談判しなければいけないミッションも生じました。
そんなこんなでようやく海を越えベネツィアから届いたガラスは
一つ一つ包みをほどく度に
部屋中にまばゆい光を放ち(自分にはそう思えた)
しかしその輝 きは、物理的なガラスの光以上に
イタリアの・・・中世ベネツィア文化の歴史と息吹を受け継ぎ
今を生きている職人さんたちの
確かな技術と情熱の結晶の輝 きでした。
それから3ヶ月、作家さんから個展の絵はがきが届き
そこにはあのガラスが
より美しくロマンチックに姿を変え
全く新しい作品になっている写真がありました。
― ご尽力いただいたベネシャンガラスを使って
裏面のような創作品が出来上がりました。
誰もやっていないはずの、私の第一号作です。
今全国展を巡っています、ありがとうございました ―
・・・ありがとうございましたは全くこちらの方で
得難いものを求めさせていただき
得難いものをこの目にしてこの手に触れ
そしてまた
世界に一つのガラスが
世界に一つの作品に生まれ変わる感動に出会うことができました。
わたしの、生涯を通じた夢の一つに
「西洋の美に込められたこころをこの国にも伝えたい」
というものがありますが
それと対を成すもう一つの夢は
「西洋とも たくさん共感し合える我が国の美意識(こころ)を
海の向こう側へ、感動をいただいた恩返しのように伝えたい」
というものです。
すぐにこの写真を
ガラス を作ってくれたベネツィアのメーカーさんにも送り
つたないイタリア語で作家さんの感謝を伝えました。
というか言葉などなくても
彼らが、このガラスを 作った職人さんが
一目でこの作品にときめいてくれたらいいなと願いを込めて。
そして、あるわたしの友人が言う
(彼女はとある占星術のようなものに詳しいのですが)
わたしの星には「橋渡し」の天賦と役目があるという言葉を思い出し
もしそれが本当なら
わたしの夢や野望や、ご縁をいただいている今の仕事が
その天命に適っているのだろうかと
ありがたく嬉しく胸に染みいるのでした。
その友人は言いました
「人と人、時にはあの世とこの世の橋渡しさんは、
その人自身には利益や充実感が感じられないかもしれないし
自分には大変なことかも しれないけど
その役目が確かにたくさんの人を幸せにするんだよ
だからそれを嬉しいと思える人であれば
それはとても大きな幸せなんだよ。」
・・・っ て、いや、自分だって幸せ満喫したいですけど(笑)
あわただしく過ぎていく毎年・毎日のなかで
ふとした出来事の嬉しさが今日を明日に手渡す力になる。
どうかこれからもずっとそんな人生を愉しんでいけたらと
御年96才になる作家さんの
力強くロマン満ち満ちの作品に思うのでした。