はてなキーワード: チキンレースとは
やっぱやめとくかチキンレース開催中!
なお、ぼんやりとしたTwitterにいるタイプの女オタクに向けた文章なので主語がデカいです。申し訳ない。
ぬい活を断った飲食店をめぐって、ぬい活に対してのヘイトが高まっている。正直、ぬいぐるみをずらずらと狭い店内で所狭しと並べて行っているのであれば、店舗側から苦言を呈されてもおかしくない。また、ぬいぐるみを汚損した等余計なトラブルを避けるために断るのも納得がいく。
一方でこれに端を発して、ぬい活をしている人に対して「キモイ」「頭がおかしい」などと心無い一言を浴びせる人が増えている。マナーを守っている人間に対して、やっかみをかけるのはいただけない。
ただ、一点気になったのは「ぬい活は何も悪いことをしていない」と、自分たちの「道徳性」を訴える反応が多かったということだ。
「キモイって言わないで」「ぬい活に文句を言う人のほうが意地悪!」
気持ちはわかる(かくいうわたしもぬい活をするオタクの一人である)ものの、一般人から見れば「変」な人ではあるだろう と思うからである。
それはかつて、アニメTシャツを着ていたオタクが見られていたまなざしと同じだ。プリキュアの映画を見ている大きなお友達と同じだ。
その「変さ」「キモさ」を自覚して生きる昔からのオタクの精神性を、受け継いでいるのかと思っていたが「自分たち気持ち悪いものとして扱うな!」と怒っているのだ。
この件でも思ったのだが、「正しい側」のポジションに自分がいることに固執するオタクが女オタクには非常に多いように感じる。
春泥先生の謝罪文についてもそうである。海外のオタクに指摘されたことは、「未成年に対するグルーミング描写」なのにもかかわらず、
「女性キャラの性的表現をしないこと」について釈明を行った。指摘されていることと、謝罪内容がかみ合っておらず「一見正しそうな位置」に立とうと頑張る仕草にしか見えない。
そもそも、BLは実在しない男性を多かれ少なかれ性的に見て楽しむコンテンツだ。また、性的マイノリティの人に向けた偏見も大いに含まれている。その「加害性」の一面を持っているのにも関わらず、一見「正しく」見える謝罪をすることは、はっきり言って浅はかとしか言い表せない。
また、「チェンソーマンのデンジくんの性欲は正しい性欲だからメロい」についてもそうだ。本編を見れば明らかだが、デンジ君は普通に胸を揉むし、性欲のために裏切るし、「正しい」男ではない。
別にデンジくんが正しくなくてもかわいいじゃん。かわいそうでかわいいじゃん。なんでそれを直接じゃなくて「女性にリスペクトがあって~正しい描写で~」という必要があるんだろうか。正しくなくても、正しいことをアピールしなくても好きでいいじゃないか。
同じように私が好きな男性向けコンテンツを腐す発言をする女オタクはかなり多かった。「こんな服着る女はいない」「童顔なのが気持ち悪い」「こんなの好きなの男だけ」などと言われた。ハッシュタグまで作って、自分の好きなものを否定された。「正しさ」を盾に他人の「好き」を攻撃する仕草をする人が多いのである。
自分の脳の中やフィクションの、実在する人間に影響しない「正しくなさ」を愛そうよ。「キモさ」を愛そうよ。正しい・正しく見えるポジションに固執して、自分の「正しくない欲」を嫌うのは修行僧みたいにメンタルが鍛えられている人しか難しいよ。
男オタクみたいに「俺たち変だろチキンレース」をしろって言ってるんじゃないんだよ。ただ、フィクションや自分の脳内の「正しくなさ」に向き合って、少しだけ愛してみようよ。誰かの迷惑をかけない「キモイこと」「正しくないこと」をほんの少しだけ受け入れてみようよ。
いいなぁ、おばちゃんが29歳の時はやっとクズ男と結婚しないで済む事が確定して一人を謳歌してやろうと舵を切れた時だったから、結婚にまだ未練を持てているのや未来がまだあるのは羨ましいよ。
その後外国に出奔して大学院目指すも病気で挫折、就職もできないかと思いきやうまいことスタートアップの正社員→JTCの正社員→外資の正社員で年収は上位5%に入る賃金、そうなってくると出会う人も変わってきて、手に職のある友達が増えたし、この数年は学歴的に二段階上の外国語がいくつか話せて話題も豊富で料理も洗濯も掃除も裁縫もできる楽しいおじさんと日々を過ごしてる。年下だけど。お互い未婚独身だけど別にこれでいいかなと。人生どう転ぶかわからないね。
30の時に妥協した方が周りと背比べした時に同じになれて安心かもしれないけど、あのチキンレースに乗せられて無駄な時間と精神を消費させられなくて本当に良かったって思ってる。
何より今出会って腹を割って話せる人達に出会えなかったなって思ってる。
おばちゃんは29歳で無理して妥協して苦しみながら結婚しなくて正解だったと今では100%思えているよ。まだ40代で若いつもりだけどね!ナンチッテ。
辺野古沖で転覆した船の構造は横揺れに弱いというエントリを書いたが、団体側のあまりの杜撰さへ頭に来て書くことを放棄した。
しかし、一部の方々からの意見をまとめれば「知識があってせっかく筆をとったのに放棄するのは社会貢献にならない」の様なお叱りを受ける。
ここ数日、書くかどうか考えていたが、時間が経てば経つほどに追加情報がその杜撰さを強固にし、考えれば考えるほど怒りを増幅する結果となった。
つまり、このエントリは私の心身へ多大なストレスを受けながら書いたエントリであり、このストレスを察していただければ幸いである。
さて、海事に関してあまり詳しくなく、ましてや船体構造の知識へアクセスすることすら困難な一般の方が、前回のエントリで気になるのは「逆を言えば横揺れに強い船舶ってどういうもの?」ではないかと思う。
専門用語を多く重ねても一般の方の理解を阻害するだけなので端的に言えば「重心が低く、幅広で、強く水の抵抗を受ける船舶」である。
これを大いに実現しているのが双胴船(そうどうせん)と呼ばれる、まるで2つの船を横に並べ合体させたような構造を持つ船で横揺れに関して非常に強い。ちなみに双胴船は多胴船の一種で必ずしも合体させるのが2つとは限らない。
続いて、一般人でもパッと思い付くのが、伝統木造船を紹介する教養情報やエンタメバラエティでまれに登場する、カヌーやシーカヤックの横へ張り出し構造を追加する方式である。これをアウトリガーと呼ぶ。
見た目そのままに転覆する横揺れ方向へ張り出しの支えを設けることで転覆を防ぐ方式で、古代人すら発想した非常にシンプルな解。多胴船はこの伝統的なアウトリガーから発展したと考えられている。
しかしこの多胴船やアウトリガーに欠点が無いわけではなかった。
先にも触れたように横揺れへ強い船は「重心が低く、幅広で、強く水の抵抗を受ける船舶」であり、3つ目に挙げた「強く水の抵抗を受ける」とは即ち船速(せんそく)が出しにくいことを意味するのだ。
特に帆船の時代へ入ると交易によって(当時の価値観として)極大長距離を頻繁に移動し、取引を頻繁にするようになると船速は非常に重要となった。
かつ、アウトリガーなどへ頼る横揺れ防止設計は、極大長距離を移動中に沖合でアウトリガーが破壊された際にそのまま生命と財産を失うことを意味していたため、一般的に船としてイメージされる単胴船(たんどうせん)で一体設計をした方が安心だった。
結果として、現代の多胴構造やアウトリガー構造は一部の特殊な用途の船を除いて、内陸の川や湖、陸から非常に近い沿岸部でしか使われなくなった。
このエントリを読んでいる方々も、アウトリガーを持つカヌーやシーカヤックが出た記事や写真や映像を思い出すと内陸か陸の見える沿岸でしか使われていない事に気付けると思う。
続いて、多胴構造やアウトリガー構造ではなく単胴構造としての横揺れ対策の別解だ。
これも一般の方へわかりやすく説明すると「船体構造として水面の下の船底構造物を広く長く深く取る」という解にたどり着いた。
これは、ご飯をお茶碗へよそう時のしゃもじを想像し、水面へ対してしゃもじを立てたまま直角に沈めるとわかりやすい。
立てたしゃもじを深く沈めれば沈めるほど、しゃもじの幅広の面が受ける抵抗は強くなる。船でも同様に船底の下にしゃもじを付ければ横揺れに強くなるという発想だ。
様々な種類があるが、船の竜骨(キール)を広く長く深く取った「フィンキール」や、横揺れ防止するためにメインキールの両サイドへ補助のキールを設ける「ビルジキール」などが発想された。
当然ながら「フィンキール」や「ビルジキール」に欠点が無いわけではない。
前述したように水の抵抗が増えて船速に影響するばかりか、水面下、つまり船の喫水下の構造が長大化することによって浅い水深では座礁する危険性を伴う構造である。
ここまで説明してようやく辺野古沖で転覆した平和丸および不屈がなぜあの様な船体構造を採用していたかがわかる。
ここまで説明を読んだのであれば、この端的な結論を理解できると思う。
「平和丸および不屈はあえて喫水が浅い船を採用していたのは、水深の浅い珊瑚リーフの観察を間近で行うと共に、喫水の深い海保艦艇が珊瑚リーフに近付けないことを利用して逃走するためだった」
実は海洋ネイチャーウォッチング系の小型船では喫水が浅いことがかなり有利に働くというのは海事業界の中でも観光系では共通認識で、釣り船であればアクセスできるポイントが増えるし、辺野古の珊瑚や知床のヒグマであればかなり近付くことが出来る。中〜大型船ではこのようなことが出来ない。
珊瑚であれヒグマであれ、より近付けば観光客は喜ぶ。観光客に目的のものを見せなければカネが稼げない。だから運航業者は無理して出航するし、より近付くというチキンレースを始めたりしがちなのだが、結果として起こるのは推進プロペラを破壊したり座礁したり、今回のように転覆したりする。
ここで私は提言する。
今回は荒天で珊瑚リーフへ極度に近付いて転覆したと思われるので、基地反対派が普段から必死に守ろうと訴え続けてる珊瑚リーフに損壊が無いか状態を確認すべきである。
私の本音を明らかにすると、当初は可能性として珊瑚リーフの損壊があるかも知れないと気付いていたが、これに言及するつもりは無かった。海事業界の仲間として多少の擁護というのはそういうことだ。
しかしながら、あまりにも杜撰な運営体制および法令の不遵守、これらを恣意的に擁護し続けるオール沖縄および左派政党、そして支持者たちの態度に対して怒りを覚え、私はこれまで培った海事知識のすべて使って糾弾をする事に決めた。
私も左派である。沖縄の基地問題へ対してなるべく沖縄の支援をしてきた。しかしながら今回は決して見逃したり許すことはできない。アナタたちは間違っている。
2/22に閉じ込められた20人のうちの1人です。
天望デッキからの夜景を満喫して、下りのエレベーターに乗った。
異音がして止まった。
午後8時20分。
最初は「すぐ動くだろ」と思ってた。30分経っても動かない。
1時間経っても動かない。
アナウンスで「隣のエレベーターから橋渡しで救出する」と言われた。
時間かかりそうだった。
その時点でもう腹の中では戦争が始まってた。
天望デッキで食ったソフトクリームが悪かったのか、夕飯のカレーが悪かったのか、
もう原因とかどうでもよくて、とにかく出口を求めていた。
3時間目に一回波が引いて「勝った」と思った。
4時間目に第二波が来た。
人間としての尊厳と、括約筋の限界と、どちらが先に来るかというチキンレースに負けた。
音は出なかったと思う。
たぶん。
幸いだったのは冬でコートを腰に巻けたことと、エレベーターの隅にいたこと。
密室で20人もいるのに、意外と嗅覚は麻痺する。してくれ。頼む。
午前2時ごろ救出された。最後に出た。コートを腰に巻いたまま。
嘘は言ってない。怪我はしてない。
そうだな。
でもな、○川徹が翌日のテレビで「トイレはどうしてるのか」って代弁してくれてたらしいな。
ありがとう○川さん。代弁してくれてありがとう。でも俺に関してはもう代弁の段階じゃなかった。
済んでた。
全部済んでた。
5時間半って書くと短く見えるかもしれないけど、括約筋にとっての5時間半は永遠だよ。
今でもエレベーターに乗ると腹が痛くなる。
パブロフの犬じゃなくてパブロフの腸。条件反射で腸が動く体にされた。
二度と行かない。
しかし価格理論の眼鏡をかければ、それは英雄の物語ではなくインセンティブの失敗の物語である。
市場の失敗ではない。むしろ、市場が存在しないことによって生じる巨大な調整失敗だ。
国家は互いに威嚇し、軍事費は膨張し、外交は抑止という名のゲーム理論的チキンレースに変わる。
これは価格理論の教科書に載っている、古典的な外部性の問題である。
そして外部性のある行動は、必ず過剰供給される。戦争も例外ではない。
戦場の兵士を想像してほしい。銃声が鳴り響き、砲弾が飛び交う。
人間の身体は正直だ。恐怖は交感神経を支配し、膀胱は弛緩する。つまり、自己放尿である。
国家は名誉や歴史や宗教を語るが、ミクロレベルでは戦争とは「恐怖で失禁する人間の集合行動」にすぎない。
ここに冷酷な洞察がある。
兵士は合理的だ。撃たれたくない。だから撃つ。しかし同時に恐怖する。
もし国家が戦争のコストを完全に負担するなら、戦争はほとんど起きない。なぜなら価格が高すぎるからだ。
自由貿易とは単なる商業ではない。それは国家間の利害を市場で結びつけるメカニズムである。
互いに貿易している国は、互いの繁栄から利益を得る。つまり、戦争は機会費用を伴う。
工場がミサイル工場になる瞬間、半導体は戦車になる。そして貿易利益は蒸発する。
関税は政治的には魅力的だが、経済学的には危険だ。貿易を減らすことは、戦争の機会費用を下げる。
貿易が深い国同士は、戦争すると自分が破産する。貿易が浅い国同士は、戦争しても失うものが少ない。
この単純なインセンティブ構造を無視してナショナリズムを煽る政治家は多い。
戦争当事者の問題は宗教でも歴史でもない。相互依存の不足である。
戦争とは、英雄の行為ではない。それは、「誤ったインセンティブ」「価格の欠如」「外部性の放置」のトリプル放尿によって生まれる制度的自己放尿である。
そしてその最終的な帰結は、国家の演説でも、旗でも、栄光でもない。
それがある限り、人間は恐怖しても、少なくとも互いを撃つより取引する方を選ぶ。
そしてこの結論は、驚くほど単純だ。
貿易せよ。さもなくば放尿せよ。