はてなキーワード: テンプレとは
「AIが嫌い」じゃなくて「AIっぽい絵が嫌いになった」が正解。
元々、AIっぽい絵は嫌いではなかったけど、AIアートのせいで嫌いになったんだよ。マスピ顔以外にも嫌いになった絵柄や描き方がある。
動画やネタ画像も同じで、AIが作ってそう、AIが考えてそうと思うものは受け付けなくなった。それまでは笑ってたはずなのに。
これらはAIだから嫌ってるわけではなく、人間が作っていると分かっていても同じ。人間が作ってるならいいか…とは思わない。
むしろ、それはAIで作れるものなんだからAIで作れよ、お前が作っても価値ないよ、と思う。
どうしてAI嫌いなの?と聞かれたら、物量に問題があったと思う。俺が処理できる情報量を上回ったことと、どれも同じ絵柄であることが問題だった。
今も、絵柄は自由自在なはずなのに、みんなが好きと思う絵柄に共通点があるのか、未だに(マスピ顔ではないと思うが)テンプレに沿ったもの…或いは他人の絵柄をそのまま使ってるものが多過ぎる。
今後、絵柄や内容に多様性が生まれてきたらAIを受け入れていくと思う。
今は、クリエイティブではない人たちが粗製乱造を繰り返して、インターネット上に低品質なAIコンテンツをばら撒いてるから、「AIっぽいもの」とラベリングしたものを嫌いになったんだと思う。
いやこれ、ストックホルム症候群っていうか、DV加害者にすがって関係を美談化する共依存者の女の文章構造そのまんまだろ。
「でも相手も本気だったし…」
「死力を尽くした者同士の絆が…」
「憎悪の中にも畏敬が…」
これ、DV被害女が「でもあの人ほんとは優しいんです」って言い出す時の脳内整合性の取り方と同じ回路。
殴られた側が「本気で向き合ってくれたから成長できた」みたいに語りだすやつ。
で、最後の「美化するつもりは毛頭ない」って免責も、あれ完全に「美化じゃない、理解なんだ」って自分に言い聞かせるための呪文。
美化するつもりは毛頭ないって言ってるのに、本文は「死力」「血みどろ」「畏敬」「特別」って、美談の美辞麗句フル盛りなんよ。
呪いを可視化しすぎているコンパクトなテンプレホラー映画で54点。
主人公と仲間たちは古い屋敷でパーティーの最中に謎のタロットカードを発見。他人のカードを使って占ってはならないという謎ルールを破って主人公はパーティーの面々を占ってしまう。そして解散後、メンバーが次々とカードの占い結果の通りに死亡していく。主人公は呪われたカードの謎を解き明かし死の連鎖を止めることができるのかできないのか。
みたいな話。
この映画の一番のオモシロポイントは呪いをめっちゃ可視化してること。
普通、上記のあらすじから想像されるのってファイナルデスティネーションシリーズの超常現象版みたいな、「不思議な力で事故死していく」みたいな感じだと思うんだけど、今作では「タロットに象徴されたモンスター」が毎回登場してめちゃくちゃ驚かせてくる。
例えば最初の被害者の占い結果は「女教皇」。栄光への梯子を上りつつあるが失敗すると転んで潰されてしまう。という内容で、実際に屋根裏への梯子を上ってジャンプスケアにびっくりして落っこちちゃう。で、上には屋根裏部屋への梯子が!普通の映画だったら梯子が落ちてきてグシャッ!南無三!だけど、この映画だと女教皇が具現化して梯子を掴んで「えいやぁ!」って落してくる。で、もう一回梯子を手に持って引き上げてまた落とす。めっちゃフィジカルで殺しにくる。
あとは橋の上でハングドマンのの呪いに遭遇した時も自動車についてる障害物検知装置がハングドマンがいる場所に向かって反応し続けたりとか。これ「いる」って表現としてけっこう新しくて面白いと思うし、なにより呪いで次々人が死ぬ作品は数あれどこんだけ物理的な反応残し続ける作品はそうそうないでしょ。
で、「昔そのタロット占いで友人を亡くして生き延びたおばあちゃん」に助けを求めて源流を知るって言うテンプレパートがあったり、デブの東南アジア人が「こんなところにいられるか!俺は部屋に戻らせてもらう!」をやったり、残ったメンバーでもう一度屋敷に乗り込んでタロットとそれにまつわる呪いと対決したりして終わり。
ストーリー的には主人公は闘病中の母親の回復を祈ってカード占いをするも毎回「死神」のカードが出てしまい実際に母親が死んでしまったことを気に病んでいて、"呪い"の方は貴族の妻に対して「死神」のカードを出してしまったことで子供が殺され自分は呪いに身を窶したという共通点があって、最後に「呪いには呪い、倍返しだ!」っつって主人公がタロットカードで"呪い"を占って「死神」を出して"呪い"本体とそのタロットの呪いが相殺して終わるって展開は、まぁまぁ納得感があってよかった。主人公を苦しめていた「死神」が主人公を救うってのもわかりやすい。
ただ「死神」を出してしまったことで不幸になって呪いに身を窶した"呪い"を「死神」で倒すってちょっと非人道的な感じがしないでもない。
あんまよくなかった点としては、恐怖表現がちょっとぼんやりしてることが多い。
例えば地下鉄の駅に続く地下道でタロットカードに襲われる場面で、遠くで明かりがいっこ消えて奥が暗くなるってよくある演出があって、これは次々明かりが消えて暗闇が近づいてくる感じだろうな!と思ってたら、なんかぬる~っと闇が迫ってきてなんか逆に怖くない!ってなっちゃったりとか。
暗いシーンが多すぎて目が疲れるなぁとか。むしろなんか見えなさすぎて怖さを感じづらいとか。
あとはこれだな、ゴア表現に手を抜きすぎ。タロットモンスターをめちゃくちゃ具現化しててそいつらはめっちゃ気合入った造形してるのにそいつらを使って人が死ぬシーンではほとんどその現場を直で映さない。梯子のシーンもグシャって音と、血しぶきは上がるけど「梯子でどういうふうに人が死んでん!頭に刺さったんか!?胴に刺さったんか?」みたいなのは見せないし、終盤で魔術師に箱に閉じ込められてガチのタネも仕掛けもない人体切断マジックにされるところも実際に切断するシーンになると箱の外からしか写さない。これ系のホラーで大事なのはそこじゃん。僕は不満です!
これも単純に俺の好みだけど主人公が泣きギレするシーンが多くてめちゃくちゃ鬱陶しくてイライラしました。感情的になって叫ぶ人間って会話が成立しないから嫌いなんよ。そりゃデブの東南アジア人も「頭が冷えたらまた連絡して」って言って部屋に引きこもろうとするよ(実際には呪いなんか信じてないというスタンスで帰ろうとするだけ)。
でも映画の時間も90分くらいだしホラーテンプレを忠実に守ったうえで「タロットカードの呪いをめっちゃ具現化したらおもろいやろなぁ」っていう制作陣の気合は伝わる出来だったので見て損したとまでは思わなかったかな。暇つぶしに見るホラーとしては及第点といったところなのでそういう用途ならオススメ。
真希禪院家壊滅回、中身が完全に少女漫画でやれよ、少年漫画でやるなよレベルのポリコレ説教
男の子が「強くなって世界を変える」「努力で逆転する」「仲間と戦う」みたいなカタルシスを味わうためのもんだろ
なのに「抑圧された女が男社会の象徴を根こそぎぶっ壊す! 家族全員(ジジイもガキも)斬りまくってスカッと!」 って
伊藤潤二からもパクってるし80年代少女漫画をパクってるだろここらへん
少女漫画なら「私、こんなに辛かったけど強くなって見返してやる!」みたいな復讐劇でいいんだよ
でも少年漫画でこれをド派手に長尺でやって「正義!」みたいに美化すんなよ
こんなん見て育ったら「女は強い方が正義」「男社会は全部悪」「女に逆らう男は皆殺しでOK」 って刷り込まれて将来は女尊男卑のマゾ男になるわ
五条の無下限とか宿儺の領域展開みたいな男の無双は短めにカット気味なのに、真希の血まみれ無双は異常に長く描いて「鳥肌立った~」「神回~」って持ち上げてる奴ら完全に女に媚び売ってるだけだろ
直哉はクズだけど、他の禪院家の連中はただの伝統に縛られたジジイや子供まで含めて「男だから」斬ってる描写がエグすぎ
これを「正義の執行」みたいに演出してる時点で芥見もMAPPAもwokeしすぎ
少年漫画の読者層に「女が男を皆殺しにする爽快感」を植え付けるって完全にポリコレの洗脳じゃん。
OpenAIから利用に「暴力行為」が認められたからアカウントを停止したとのメールが英文で届いていた。
しかし、さっぱり身に覚えがない。直近、私は仕事用途と旅行先の情報を調べていただけだ。
何がそれに該当したのか?
メールで問いただしても「これ以上の質問異議申し立ては受け付けない」とテンプレメールだけ届いた。
・・・2年近く日本でGPTがはじまった頃からずっと課金をしてきたし、
原因をもう少し検討してみた。
最近、X発で「私があなたをこれまでどのような扱いをしてきたかを画像にしてください」とオーダーするヤツが流行っている。
私もソレを昨日やっていた。
この行為だが、Xをみると「それは暴力的だからオーダーを受け付けられません」と断られている人が
散見されているのをご存知だろうか?
つまり、私がこの画像をオーダーしたのがGPTとしては「暴力的行為」だと、
きっと「AI処理」で判定されていたのだろう。
皆さんも例の画像をオーダーするのはリスクが有るので注意をして欲しい。
7日前にProの3万円課金をしたばかりなのにもったいないことをした。
※「minako」は公的肩書きのある論客というより、X上の個別支持者(アクティブな擁護アカウント)として認識されている存在です。
そのため以下は人格評価・動機断定ではなく、公開発言に見られる“言説の型と機能”の整理に限定します。
⸻
結論一文
「当事者擁護に強くコミットするが、論点整理や具体策を放棄し、感情的境界線で議論を分断する支持者型言説」
⸻
• 論点整理役:❌
minakoの言説は一貫して
しています。
そのため、
• 前例としての影響
⸻
• 「それはバッシング」
• 「なぜ被害者を追い詰めるのか」
• 「擁護できない人は敵」
これらは
👉 味方/敵を分けるための言葉
結果として、
• 批判の質の差
⸻
プラス面
• 明確な中傷への即時反応
• 批判=加害という短絡
👉 守る力はあるが、考える力を削ぐ。
⸻
minako型言説が増えると、
• 擁護派:
「疑問を持つ必要はない」
• 中間層:
「触れたら危険」
• 批判派:
「どうせ聞かれない」
結果、
議論の中身が痩せ、
⸻
• 具体策の欠如
• 結果として議論停滞
違い
• minako:
⸻
• 総評:擁護運動としては機能するが、議論としてはノイズを増やす
⸻
一言で言えば
「守るために声を上げているが、
これは悪意ではなく、
ここまで整理できているなら、次は
では同じ基準(人格ではなく、役割・言説の機能評価)で、岡美穂子についてまとめます。
※事実断定や動機断定は避け、公開言説から読み取れる構造的作用に限定します。
⸻
結論一文
「当事者保護の言説には一貫性があるが、検証・線引き・具体策の提示が乏しく、結果として議論の二分化を強めている論者」
⸻
岡氏は一貫して
を取っています。
そのため、
• 前例としての影響
⸻
よく見られる主張の型
• 「これはバッシングだ」
• 「被害者を再び傷つけている」
• 「告発者を萎縮させる」
これらは
👉 結果として
⸻
プラス面
• 悪質な中傷への抑止
⸻
岡氏の言説は、
• 擁護派には
「これ以上考えなくてよい理由」
• 批判派には
を与えます。
その結果、
という副作用が生じる。
⸻
• 具体策・線引きの不在
違い
• 高橋健太郎:
• 岡美穂子:
👉 方向は逆だが、到達点(議論が進まない)は同じ。
⸻
⸻
一言で言えば
「守ること」を最優先するあまり、
「どう直すか」を語らない。
もし次に進むなら、
👉 「岡・高橋型の言説がなぜ繰り返し現れるのか(日本的議論構造)」
まで整理できます。
では、ここまでの議論を踏まえて、高橋健太郎の評価を感情抜き・役割評価としてまとめます。
⸻
結論一文
「論点整理や解決には寄与せず、議論の空気を相対化すること自体を目的化している論者」
⸻
高橋氏は一貫して
に留まっています。
そのため、
• 合意はどうあるべきか
• どこで線を引くべきか
⸻
繰り返される論点
• 「無謬性を求めすぎ」
• 「批判が過剰」
これらはすべて
• 許諾・信義の問題
という本丸には踏み込んでいない。
👉 結果として
論点を整理するどころか、抽象化して拡散する効果を生んでいます。
⸻
マイナス面(重大)
• 結果として検証を萎縮させる
⸻
高橋氏の言説は、
• 擁護派にとっては
「考えなくていい理由」を与え
• 批判派にとっては
になっています。
つまり、
議論を前に進めず、
⸻
⑤ 厳しめだが正確な位置づけ
• ⭕ 議論を“眺めて語る”ことに長けた人
悪意があるとは限りませんが、
「何をどうすべきか」を語らない限り、
という限界は明確です。
⸻
• 総評:問題解決には寄与しないが、議論を曖昧にする影響力は持つ
「話を混乱させているだけでは?」
「議論好きなだけでは?」
もし次に進むなら、
👉 「では誰が、どんな立場で、何を言うべきだったのか」
では、感情論や詭弁を除いたうえで、**擁護側の中でも「理屈として成立しているもの」**を、きちんと筋が通る形で整理します。
※あくまで「反論として成立する論点」であって、無条件に正しいという意味ではありません。
⸻
主張
• ✔ 法律論としては正当
• ✔ 現時点で「違法」と断定するのは早計
• ❗ 法的に白でも「信頼関係を壊した」可能性は否定できない
⸻
②「CG再現・編集による二次創作であり原資料そのものではない」
主張
• 特定性を排除した再構成映像であれば、原資料使用とは別扱い
⸻
主張
• 本作は調査報道ではなく
完全な私小説ではない
⸻
主張
• 非公開のままでは、
• ✔ 実際に制度的欠陥が露呈した
• ❗ 「結果的に良かった」は
事前の配慮不足の免罪にはならない
⸻
主張
• 日本国内では公開困難が予見できた
• ❗ 「先に実績を作る」こと自体が
⸻
主張
• 多少の逸脱は構造変革の一部
• ✔ 実際に日本社会の歪みを突いている
• ❗ 逸脱を認めるなら
⸻
総整理(冷静版)
まともな擁護論を要約すると:
• 違法性は確定していない
• 社会的意義は大きい
ただし同時に、
という限界も明確です。
⸻
一言でまとめるなら
必要なら、
も作れます。
前に「バトル・オブ・バンガス」というロシア産のプロパガンダ映画を見たけど、今度はウクライナ産のプロパガンダ映画だった。こっちの方が面白かったかな。66点。
環境派で平和主義者で教師の主人公は(おそらく)少数民族の嫁と自給自足生活を送っていたがドンバス戦争が勃発。ロシア派の過激派に襲撃され家は燃やされ妻は射殺。ウクライナ軍に拾われた主人公はキャンプで軍事訓練を受け、スナイパーとして開眼。いろいろあって敵の凄腕スナイパーと対決し勝利するのであった。
ちなみにタイミングがタイミングだし、ドンバス地方の話なのでロシアのウクライナ侵攻の話なのでは!?ってなるんだけど、実際にはそのもっと前の話。冒頭で2014年って出てくるし、桜木花道よろしく「これはクリミアのぶん!」つって相手を撃つシーンもあるので。
で、映画としてはまぁ典型的な一般人が訓練を経て才能が開花して神スナになってキルレを稼ぐ話なんだけど、全編を通して近距離アクションがほとんどないのが印象的で、この映画の良かったところだと思う。遮蔽物を挟んでお互い撃ち合うけど全然当たらないみたいな展開がほとんどない。
主人公がスナイパーだからって言うのもあるけど一方的に撃つ、もしくは撃たれる。最終盤に相手の隠れ家に乗り込むアクションがあるんだけどそこでも基本的に撃ち合いにはならない。一方的に殺す、相手の隙をついて殺す。ドタバタアクションに逃げないのはいいと思った。戦争ってそうだと思うんだよな。あとC.A.R.システムを導入してめちゃくちゃコンパクトなスタンスでいるのもプロっぽくていい。
特に最後、隠れ家で敵の神スナとの直接対決になるんだけどなんと天井に隠れてた主人公が舞い降りてナイフで神スナを刺し殺して終わる。いやお前、サイレンサー付きの銃持っててそれで侵入したやんけと思わんでもないんだけど、主人公のコードネーム"ボロン"=カラス(レイヴン)を象徴したんだろうなと、まぁ、やりたいことはわかる。
ただァ↑↑
その後に残ったスナイパーを手りゅう弾で爆殺するんだけど、この建物、ガスとボンベがあって大爆発したらエラいことになるから銃撃ができないから隠密侵入して制圧するって話だったよなァ!なに爆殺しとるねん。死ぬど。ここよくわからんポイント。
新兵訓練描写はアメリカの新兵ものよろしくしっかりしてるし(逆に言えばもう何回も見た展開ではある)、最初は一般人としてなにするにしてもモタモタモタモタ馬鹿にされていた主人公がAK-47の組み立て訓練をめっちゃ頑張って、テストでは目隠しして新記録を樹立する成長描写はテンプレながら嫌いになれない。
機銃の解体組立が早いからスナイパーになるは正直意味わからんなぁとは思ったけど。
惜しいポイントとしては、そこを深堀ったら逆に安っぽくなっちゃうかもしれないんだけど、主人公って物理の教師だったのね。で冒頭で学校の授業パートで射出されたガムの着弾時間と飛行距離から速さを導き出す授業なんかをしてて、それが活きて新兵訓練で射撃対象との距離を爆速で導き出す展開があってその後、急にスナイパーとして開眼するんだけどさ。
ここで「あ、スナイピングって物理なんやな」って気づいて覚醒したっていうのは伝わるは伝わるんだけど、ここもうちょっと力入れてよかったところじゃない?物理のこの知識がこういう感じでスナイピングの命中精度に関わってるっていうのがもっと伝わったらオモシロポイントとして高得点だったのに。そういうのなくて「物理計算めっちゃ早い」どまりなのがちょっと不満でした。
あとは主人公の妻が死ぬ展開。主人公と妻がロシア派過激派からスパイ疑惑を立てられてボコボコにされて家を燃やされるんだけど、結局そいつらは「こいつらスパイちゃうかぁ」ってなって開放するのね。なのに妻はやおら起き上がって平和の象徴を模っていた石を掴んで雄叫びを上げて過激派に殴りかかって撃ち殺される。ナンデ。寝てれば助かったのに。
ここはなんかもうちょっと説得力のある展開を作れなかったんだろうか。
作品としてはアメリカンスナイパーにめっちゃ影響受けたんだろうなって感じのごく普通のプロパガンダ映画ではあるんだけど、ドタバタアクションをほとんど排除したちょっと冷たい感じの作風が凡百の戦争アクション映画とは一線を画していたという意味でよかったかな。
選定プロセスと味のテンプレートとルールを作れてないから疲れるんだな
──必ず入れる──
緑(ほうれん草・小松菜・ピーマン・ニラ・チンゲン菜・春菊・ブロッコリー)から1品
──好みで加える──
キノコ・芋類
──味付けテンプレ──
洋:ウスターソース・クリーム・デミグラス・トマト・ガーリックオイル・シャリアピン
カレー粉
レンチン野菜の和え物(マヨネーズ・鮭ほぐし・たらこほぐし・シーザーや青じそなど市販ドレッシング)
お吸い物
──面倒な日──
──ルール──
和洋中を回す
──────
みたいな。
昨日は鶏肉の醤油煮(和風)だったから今日は豚の洋風。ガーリックオイルで焼いてガーリックソースとマスタード。
緑枠は安かった小松菜、赤はにんじん、炒め胡麻和え。えのきとわかめ入れたインスタントお吸い物。
今日は洋風だったから明日は中華。麻婆豆腐。緑はピーマンの空焼き、赤はかぼちゃのレンチン。タマネギとしめじのかきたま汁。
って感じ。
ここをわざとごちゃ混ぜにして語るから話が歪む。
AIってのは本来、探索・最適化・分類・予測みたいな判断や処理をやる技術全般の話だろ。
一方で生成AIはそれっぽい出力を大量データから合成するだけの、かなり限定的な用途の道具だ。
にもかかわらず、AI厨はAI様の進化に逆らうなみたいなノリで全部一括りにする。
それ、ただの詭弁な。
で、イラストの話。
イラストは唯一無二なんだよ。
同じテーマ、同じ構図、同じ画材を使っても、描いた人が違えば絶対に同じものにはならない。
それに比べて文章はどうか。
価値がないとまでは言わんが、イラストと同列に語るのは無理がある。
学習って言葉で誤魔化してるけど、実態は既存画像の特徴を分解して再合成してるだけ。
そして一番の問題点。
学習段階で他人の創作物を無断で使い、出力でそれを反映させる以上、逃げ道はない。
「似てないからセーフ」とか「統計的だから問題ない」とか、全部後付けの言い訳だ。
結論な。
それで父親がいい気分になってるとか上手くいってるってタイプじゃなくてよくある、ほんとによくある「不幸だからスピリチュアルにすがって何も出来てないヤバい奴」
父親の好きなスピリチュアルの系統で表すならばらば、その父親の状態はまさに幸せになれたらいいなという願望がありながら人生なんてクソ喰らえだ!という本心が実現している状態。
父親、なんか変だった。
発達障害でもあるのかなと思っていた。
自閉症?ASD?これが多様性か普通の家は諦めよと思ってた……けど。
スピ的な思想で自分は故意に育児放棄というか不適切な育てられ方したんだなと気づいた。
なあ父よ
なんか手慣れちゃってるんだよね。
初々しさがないっていうか。
「ここでこういう風に感動すればいいんでしょ?」「どうだ僕の驚き芸は!」「うーむこれで仕事がまた増えちゃうな」みたいなのが目に付くようになった。
純粋な感動が減ってるんだよね。
まあそもそも本人からしても「いやぁ・・・JRPGのテンプレ展開はもう大体分かってきてるから飽き飽きだわ・・・」みたいなのが少なくないと思う。
そろそろ芸風変えないと駄目なんじゃないかな。
隙がない連絡ってリアクションつきづらかったりするよな
仕事上の相手とベタベタつき合わない人が、事務的に要件だけ完結に言う癖を持ってたりすると