はてなキーワード: アンバランスとは
確かに、母娘の確執の部分は重たいわりにあっさり処理されすぎていると思う。
かなり明確に教育虐待として読める描写であるにもかかわらず、主人公の能力が精神面も含めてあまりにも超越的なので、結果として「主人公が強いから乗り越えられました」で済んでしまっているようにも見える。
そのあたりは近い経験がある人からするとたまったものではないだろうなという感じはする。
作品全体は概ねフィクション/ファンタジー的なのに、変な部分だけ妙にリアリティがあるせいで、「これはギャグ時空なのか、シリアス時空なのか」みたいな困惑は確かにあった。
彼について考えるとき、僕はいつも少しだけ居心地の悪いカフェの隅に座っているような気分になる。窓の外では、理由もなく風が吹いている。カップの中のコーヒーはもう冷めかけているのに、なぜか飲みきるタイミングがつかめない。
ゴッホという画家は、どうやら僕らが教科書で習ったような純粋な芸術家というより、もっと生々しくて、手触りのある存在だったらしい。デッサンの練習には女性モデルを選びたがり、ときにはその境界線を曖昧にしてしまう。若い頃には娼館に通い、絵を描くという行為と、欲望とが、うまく分離できていなかったようにも見える。
それはどこかで、現代の映画監督のスキャンダルを思い起こさせる。創作と権力と欲望が、同じテーブルの上に並べられているような、そんな感じだ。
でも同時に、彼の中には奇妙なほど強い宗教的な情熱もあった。神に近づこうとする衝動と、地上的な欲望とが、同じ身体の中でせめぎ合っている。そのアンバランスさが、かえって彼をより現実的にしている気もする。
彼は生涯、家族に頼り続け、うまく人と折り合いをつけることもできなかった。人から好かれるタイプではなかったのだろう。むしろ、周囲を少しずつ疲れさせてしまうような人物だったのかもしれない。
そして結局のところ、彼は明確な成功を手にする前に、自分自身の内側で何かが壊れてしまった。
もし彼が生前に大きな成功を収めていたら、それはそれで、どこかしっくりこない気もする。成功した彼の姿を想像すると、なぜだか物語のバランスが崩れてしまうのだ。まるで、最後のページだけ誰かが書き換えてしまった小説みたいに。
重要なのは正しさではなく、「自分は大衆より一段上にいる」という位置取りです。
次に来るのが内的報酬です。
ここで生じているのは、実際の洞察ではなく
いわば、
状態です。
その陶酔を支えているのが「雑な気持ちよさ」です。
これらを全部スキップして、
その結果、
この文章は
という一連の流れで成立しています。
つまり、
精度の高い分析ではなく、
になっている。
いわゆる“気持ち悪さ”の正体です。
超正統派でないイスラエル国民は、「徴兵・予備役」「就労」「納税」でイスラエル国家を支えています。
イスラエルの徴兵法はイスラエル国民の男女に広く適用されており、18歳前後から軍務に入り、国防の人的基盤を実際に担っています。女性にも兵役義務が及ぶ点はイスラエルの大きな特徴です。
しかし超正統派は、イェシーバーでのトーラー学習を理由に、市民に法的に課される兵役または国民奉仕を免除されます。
この仕組みは建国期の取り決めに始まり、宗教学校に通っていれば徴兵を先送りでき、26歳で「恒久免除」に移る運用が続いています。
イスラエルといえば男女ともに兵役というイメージが強い(男性だけ兵役があり壮絶な男女分断が起きている韓国とよく比較されますね)ですが、
超正統派の兵役は免除されています。超正統派は、イスラエル人なのに男性も女性も兵役に行っていません。
就労・納税面でも、主に非超正統派のイスラエル国民が担っています。
IDIの2024年統計では、非超正統派ユダヤ人男性の平均月収は超正統派男性の約2倍とされています。
2023年に超正統派1人あたりの直接労働税負担は非超正統派ユダヤ人の28%にとどまり、
所得税を払っている割合も超正統派男性23%に対し非超正統派ユダヤ人男性は62%と大きな開きがありました。
超正統派の所得が低い理由として、超正統派向け教育は、一般的な教育と比べて免除科目が多いことが挙げられています。
超正統派の男子高校生の85%が、数学や英語などの基礎科目を免除された宗教教育機関で学んでおり、これがその後の低就業と低納税につながっているとされています。
2024年の就業率は超正統派男性54%、超正統派女性80%。
超正統派女性は教育の問題により低所得な仕事に就いているとはいえ就業率は高いです。超正統派男性は所得が低いうえに無業が多いのです。
そして超正統派には公共交通の割引、住宅支援、自治体税の減免、国民保険料軽減などの恩恵があります。
出生率も他のイスラエル人女性の2.5人に対して、超正統派女性は6.4人とかなり高いです。
超正統派女性は、低賃金とはいえ80%は働いているし、子どもをすごい数産んでいるという点で国家に貢献しています。たくさん出産するというのはとても辛いものです。
非超正統派の男女は教育レベルが高く所得水準も高いです。いわゆる科学技術先進国イスラエルのイメージは彼・彼女らが形成しています。
超正統派男性は…。ただ特権を享受しているだけで、誰に対しても何も貢献していません。男性に出産や授乳はできません。そして働きません。納税しません。兵役にも行きません。優遇と恩恵のみ受けている特別な地位です。
イスラエル国家を支えているのは「徴兵・予備役」「就労」「納税」を担っている非超正統派の男女であるため、超正統派が増えても国の負担が増えてしまうだけなのです。
非超正統派2.5人に対して、超正統派6.4人…このアンバランスが続けば、「支えてもらう側」が多すぎて制度は倒れるでしょう。
超正統派男性は国家への貢献度が低く、他属性のイスラエル国民から利を吸い取っているような存在です。
2024年6月にはイスラエル最高裁が超正統派特権を「不平等で違法」と判断しましたが、それでも超正統派男性にとってだけやけにイージーモードなイスラエルの制度は変わっていません。
いい脚本を作ることはいいアニメーションを作ることよりもはるかに難しい。52点。
団地で主人公男子コウスケは主人公女子ナツメと家族同然に暮らしていたがコウスケの祖父の死を境に疎遠に。団地の取り壊しもありそれぞれ別の家に越していきナツメは最近はサッカークラブにも顔を出さずすれ違いが続いている。夏休みに入り友人2名に団地への潜入に半ば強引に誘われたコウスケはそこでナツメと出会い、さらにコウスケに思いを寄せるお嬢様とその連れも侵入。その時、突如大雨が降り、気が付くと団地は海の上を漂流していた。団地に棲息するノッポ君と男子3名女子3名のサバイバル生活が幕を開ける。
みたいな話。
アニメーションはちゃんと金かけて作られてるなって感じで登場キャラは表情豊かで可愛いし、風景はきれいだし、後半、崩壊する団地を観覧車で引っ張るシーンはCGの使い方もうまくその迫力は特筆すべきものがある。劇場版(Netflixだけど)アニメ映画として見るべきクオリティはある。
あらすじを読んでもわかるように、登場人物は3対3マッチング+1となっているが語るべき物語がある人物はそのうちの2名+1しか存在しない。主人公のナツメとコウスケである。この2名は本来家族でない2人が団地という場所で出会い家族になり、コウスケの祖父が欠けたことで関係が壊れてしまっている。そしてその団地も取り壊されかけている。ちなみに+1のノッポ君は団地の擬人化、精霊、付喪神的なサムシングである。
親の不仲を見て育ち家庭に居場所がないと感じていたナツメにとっては団地がコウスケ家が初めての「居場所」であったことから今もその不在を受け入れられない。また当然続くものと思われていた日常を自分の些細な一言で壊し、自身とナツメに深い傷を負わせてしまったコウスケもそのことを背負いきれずに苦しんでいる。
作中で描かれる旅はある意味で言えば2人が、記憶の"海"をたゆたう団地の中でそれぞれの傷と向き合い乗り越えてあの日々と後悔に別れを告げる旅であると言える。
そしてこの部分はまぁいい。映画という大きな作品で語るべき話だとも思う。
ただ、2時間ある映画で語られるドラマがこの一点しかない。なので、常にナツメの団地とコウスケとその祖父への思いと迷い、コウスケのナツメへの思いという話が進んだり戻ったりし続け、ナツメは常に後ろ向きにイジイジし続ける。そしてそれに対して勝手についてきたお嬢様が「こんなことになったのはお前のせいや!」とナツメを責め立てそのツレの善性メガネがそれを諫める、という展開が何度も何度も続く。
もうわーったよ、その話はと思うし、お嬢様はこの作品における客観性という名の残酷さを一手に引き受けさせられすぎていてかわいそうになってくるし、善性メガネはこの世の善性を一手に引き受けた女神のようでまぶしすぎる。こいつこの極限状態でナツメのこともお嬢様のことも責めずどちらにも寄り添い、最終的にお嬢様に「私はれいなちゃんの後ろをついていくばっかりだったから主体性を持ってちゃんとした友達になりたい」と語りだす。善性の擬人化だろこいつ。あと見た目もかわいい。
そして男2名は、まぁ、なんかうろちょろしてる。
そして彼女ら、彼らは特に何らかのバックグラウンドがあるわけではないためこの旅で何の成長も用意されていない。
2人のドラマの脇で「この旅を盛り上げるためのパーツ」としてしか機能していない。善性メガネが崩れるアパートで屋上から落っこちそうになって大けがをする、とか。かわいそう。そして2人のドラマ自体は2時間という尺を完全に持て余している。
彼らにも小さな成長要素を持たせてそれを絡めて2人の大きな成長を導くか、2人のドラマと割り切って30分くらい尺を削るかどっちかにした方がいいと思う。とにかく現状はあまりにアンバランスすぎる。
そう思ったのか最後に同じく記憶の海を漂う観覧車がやってきたところで急に観覧車の精がやってきて手を貸してくれる展開になり、お嬢様が「私が最初来た遊園地や!」ってなって2人で話して感傷的になる展開が唐突に現れるが、別にお嬢様は単にノンデリなだけで恋の悩み以外に何もなさそうなので、これ何の話なんやとなる。
う~ん、そうじゃねぇんだよな。
まぁそんな感じかな。
アニメーションとしては劇場版として十二分のクオリティがあったと思うけど脚本面が少なくとも2時間の尺に見合う中身がなかったかなって感じ。まぁ、かわいい小学生がたくさん見られるのでロリコン、ショタコンの皆には文句なしにオススメだし、2人のドラマ部分に関してはちゃんとやってはいたのでギリでオススメかな。
故あって、初めてあいみょんの『マリーゴールド』をきちんと聴いた。
筆者はあまり日本のポップスに詳しいほうではない。一応聞くけど、まあコーネリアスだったり坂本慎太郎だったり、「サブカルクソ野郎」的なものをよく聴いているタイプだ。洋邦問わず聞くという自認ではあって、最近は個人的にロカビリー再評価ブームがきていてWild Roostersをよく聴いている。あとはモッズ、モッズが参照しているサザン・ソウルなんかを好んで聞くし、過去の音楽ではなく現在のものだとX-Over Jazz系をよく聴いている。Greg Speroとかね。そういえばKIRINJIの新譜よかったよな。リズム隊の「生感」がいままでで一番いいんじゃない?
で、そういう筆者が、故あって『マリーゴールド』をまじめに聴いたわけだ。聴く前の印象は「無難」「予定調和」「日本人の脆弱性を突いている」というような印象を持っていた。じっさい、コード進行、メロディ、アレンジにおいては、完全に「変」なところがない。こんなの「すでに刷り込まれたもの」を日本人に耳にぶち込んだら全員「好き〜」ってなるやつじゃん。という。まあ唯一アレンジにおいては逆再生? ボリューム奏法? がギミックとして仕込んであって、この手の保守的なポップスにおいてはちょっとおもしろいギミックだな、尖ってんじゃんと思った。思ったけれど、それ以外については全て「既視感マックス」の楽曲ではあると思ったし、それを覆すほどの強度のあるギミックではないよね。とはいえ、この「既視感マックス」をやるのってべつにそう簡単なことではないし、それをやるのはすごいんですよ。すごいんだけど、冒険心のない、「もうみんなが知ってて警戒心を持たなくてもよくてパッと入ってくる」という意味でたいへんに「日本の音楽文化で育ってきた人たちの心にスッと入っていく」脆弱性を突いたつくりの曲という意味では意外性やひっかかりが全くない曲だな、というのは、聴く前に持っていた印象とあまりかわりがなかったんだよね。
けど、一箇所だけ「え、まじ?」ってなって引っかかった部分があって、それが「むーぎわらの〜、ぼうしのきーみがゆれたマリーゴールドにに、てる」の部分。「に、てる」ってそこでブレス吸うんか!? おなじメロディーのところでは全部こういう「文節の切断」が起こっている。こういう、文節をブレスやフレーズを切っちゃうやりかたっていうのはまあ今までもやられなかったわけではない。宇多田ヒカルの「な、なかいめのべ、ルで受話器を取った君」もだいぶへんなところで切ってる。けどこういうのってあんまり「伝統的で既視感マックスで保守的な"歌謡曲"」でやることってあんまなくない? そこにぼくはちょっとアンバランスさを感じて「ひっかかり」を得たんだよね。
ポップスにおいて、この「ひっかかり」ってのはかなり大事だと思っていて、「なじみのある感じ」と「ひっかかり」が両方あって初めて「ポップスとしておもしろい曲になる」と思うんだよね。何度も言うけど、べつに「文節を切っちゃう歌い方」ってこれがはじめてじゃなくて、いろんなところでやられているけど、これだけ曲もコードもアレンジも保守的な「歌謡曲」で、こういうことをやられているのは結構大きな違和感としてかなり仕事していると思う。
で、これが意図的なのかどうかはわかんないんだけど、めちゃめちゃいい違和感じゃんこれ、とぼくは思ったわけ。この文節のぶったぎりがなければ、「凡庸な歌謡曲」で終わってもおかしくないところを、この文節ぶったぎりがそうさせていない。逆に、アレンジ、コード進行、メロディどこかに「斬新さ」があったらこの文節ぶったぎりは「あ〜はい、そういうジャンルね」で回収された気がする。そういう意味で、「基本全部めちゃめちゃ保守的」に、一箇所だけ「保守的じゃないやん! という違和感」を忍び込ませている構造はかなり「新しいしキャッチー」を成立させているな〜って思ったんだよな。
最初に書いた通りぼくは日本のポップスあんまり詳しくないから、的外れなこと言ってるかもしれない。けどぼくは「あいみょんって要するに懐メロの焼き直しでしょ」って思っていたことを懺悔したい気持ちになったよ。という記録
それで何だかんだ年に10回以上は上野行くので勘弁してくれ(他にも行きたいとこあるし
どっかのV並みは無理だが行ったら募金箱には必ず入れてるし
付き合い先の社長就任祝いに東博の時計と東博の缶入り菓子持ってくし
無料をサーっと歩いて冷やかすのも一苦労やねん
つうか地方の「なんとか町立」の美術館博物館のハコの豪華さはどっから金出てんのアレ
35°Cでもエアコン付かないで扇風機ぶん回してるだけの環境で源平の頃の奉納品わんさか置いてる神社の宝物館と
地方の中核都市の昭和に建てちゃったせいで微妙な内容でまとまってる博物館と
近現代作家のアートメインですごい快適でゴージャスな建築の町立ミュージアムと
較べちゃいけないとはいえ、各地のハコと内容の極端なアンバランスは思うとこはある
おらが村に文化施設をというのは正しいとは思うがバラけすぎではというか
アートで町おこし、の名目の土建のカネも文教扱いで一緒くたにされて「芸術にこんだけ予算割いてんだろ」扱いされてね?
それで国立の名を冠してる方面の運営がままならないとか何でやねんというか
なんつうかさコピー簡単な現代量産品目じゃ日本人というまとまりのアイデンティティの支えにならんでしょ
中華が簡単にコピー持ってきてホラこっちのが綺麗でしょで置き換えられちゃう程度のモノだったらカネと物量で中華の勝ちなのでな
美麗オタク絵師なんざこの先は中華の美麗絵師に置き換わるわけだし
ガノタがどう引きこもろうが中華カッチョイイロボに若い子は流れるし
なんなら古さ勝負でも最近は中華どんどん発掘して文革でぶっ壊した分を補充してるし
今ある古いもので日本人の自意識をどうにか作っとかないと金あるやつほど日本に居つかないでしょ
そしたら税金も取れなくなるじゃん
ロレックスとポケモンカードで自意識飾ってる連中にな、ちょっと税金高くても日本に居とこうかなみたいな気分をインストールするのにこそ文化活用しよう
途中でクサしましたが面白アートを金かけて展示してくれてる町立ミュージアムさんや草の根アート活動の皆さんの展示そのものはモノにより大好きなので全否定ではないですモノによりどうでもいいですごめんなさい
もはや何を言ってるのか
長年デブをやり続けてきた人生だが、最近になってさすがに体重を落として健康に気を遣わなければと思い心機一転。
とは言え、そもそも元々の食生活が乱れていたために特別なことは何もしなかった。
元々の食生活というのは主に米の食べ過ぎ。炭水化物の摂りすぎである。
ひどい時には米3合を炊いて一晩で平らげる生活を連日続けたりしていたため、おかげで体重は100kgを超えた。ちなみに身長は170cmちょっとなので相当アンバランス。
そのため、まずは米の食べる量を人並みにし、主菜と副菜を必ず摂る。3食必ず食べる。
とは言え、100kgちょいが80kg台中盤になったという感じ。自分の身長が170cm台前半なことを踏まえると、まだまだ世間一般的にはデブの部類。
それでも知り合いたちには明らかにお腹の出っ張りが引っ込んだね、とか顔がシュッとしたね等ありがたいことを多々言われた。
特別なダイエット等をせずに15kgも落とせたのだから、人間って太れば太るほど最初の段階は痩せるのもハードルが低いんだなと思った。
現に増田は80kg台中盤になった現状、体重が順調に落ち続けてはいるものの、以前よりは落ち方が緩やかになった。
よくSNS投稿の謳い文句で見かける「◯ヶ月で◯kg痩せた投稿者の食事(ダイエット法)」みたいな言い回し、あれがあまりにも極端な数字の場合はアテにしてはいけないのだなと。
別にその人たちのダイエット法や食事にケチを付けるつもりはない。それ自体は素晴らしいし間違っていないと思う。
結局その人たちも増田みたいに「体重をグッと落としやすいフェーズ」だった頃の記録を部分的に切り取って都合よくPRしているだけに過ぎないのではないか。
今回の増田の痩せた話も「元々普通じゃなかった食生活を普通の内容に戻し、100kgから85kgに落とした」という部分を伏せた上で「2ヶ月で15kg痩せました」という部分だけ声高にアピールすることが出来る。
自分で書いていてごくごく当たり前のことを言っているなという自覚はあるが、この「嘘は言っていない」トラップって思えばこの世の至る所に散らばっている気がする。
競馬で「Aの馬は過去この競馬場でたくさん買っているから本命!逆にBの馬はこの競馬場で勝てていないから消し!」とかやったとしても、実はAの馬はレベルの低いレースにしか参加していなかっただけかもしれない。逆にBの馬はレベルの高いレースばかりだったのかもしれない。
2018年のサッカーロシアW杯にて、日本代表と同じ組になった中で最もFIFAランクが高いのはポーランド代表であったが、これも実は対戦相手に恵まれていた結果ランクが上がっただけなんて言われている。
(とは言え、ポーランドに良い選手は何人かいたし、日本代表は普通にその時負けているわけだが)
仕事で販売する商品などの金額見積もりをする際、Aさんは1億円の見積もりを5件こなしたと報告している反面、Bさんは2000万円の見積もりを2件こなしたと報告している。
数字だけ見たらAさんの方が仕事をスピーディーにこなせていると思いがちだが、実はAさんの見積もりは同じ商品を1億円分ドカっとまとめて見積もりするだけの内容。一方Bさんの見積もりは50種類の各商品を細かく見積もりしなきゃいけないという条件にて2件。こう書くと印象が変わる人もいるかもしれない。
我々現代人は情報化社会の波の中で日々膨大な情報を無意識下だとしても頭に入れ続けているかと思う。
そうなると情報を受け取る側としてありがたいのは要約された内容。正直、モノによってはいちいちそれの文脈が〜とか背景が〜とか読み取るのなんてやってらんない。
もちろん最低限のファクトチェックは大切だし、現にしっかりやっている人がほとんどだとは思う。
でも人間ファクトチェックをしっかりしている時ほど、事実かどうかの確認さえ取れたらあとは十分となってしまうのかもしれない。
本当は「何故その謳い文句通りになったのか」の背景だったり根拠だったりまで読み解こうとする努力をしないといつか痛い目を見る時が来るのだろうか。
そうは言ってもそんな暇も無いよね。難しいよね。
とりあえず色々書きたいこと好き勝手書いちゃったけど、「◯ヶ月で◯kg痩せました」っていう文言。
アレ蓋を開けたら増田みたいなケースかもしれないからそれ言ってる人のことを信用するべきか冷静に考えた方が良いかもしれないよね。
ポジティブな話の裏には常にポーランド代表がいるって思った方が良いかもしれないよね。
ちなみに言い忘れていたけど、増田が今になって痩せようと決意した理由。
糖尿病ってどんなイメージ?甘い物食べ過ぎの人?おしっこが甘い人?足切断?
症状も色々あるんだけどさ、そのうちの一つにこんなものがあるんだよね。
急激な体重減少
増田の体重減少は糖尿病の症状とは医者にも言われていないものの、可能性は0じゃないよね。
ほら、やっぱり信用しちゃダメでしょ。
・日本の少子化は東京一極集中で若者が東京に集まりすぎたのも原因の一つになっている。
・婚活アプリは女性よりも男性のほうがユーザーが多くアンバランスな状態で非常に競争が厳しく女性は選べても選ばないので晩婚化がひたすら進むことになる。40歳、50歳未婚の日本に住む女性もいずれ当たり前になると予想。女性の単身者が急増しそう。
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データや傾向から見ると、日本では女性にとって選択肢が少ない環境の方が結婚に結びつきやすい構造があります。理由を整理します。
1. 心理的要因
・選択肢が多い → 「もっと良い相手がいるかも」と迷う → 決断を先延ばし
・選択肢が少ない →「この人しかいない。他はいない。」 妥協点を見つけやすく、決断が早まる
結果として、地方都市や小規模コミュニティでは婚姻率が高くなる傾向
・首都圏は女性優位で選べる環境が多く、独身率が高くなる。若い女性が日本全国から東京に集結する。賃金格差、男女格差、田舎の仕事は現実的ではないと判断されたか。
・地方都市は男女比が比較的バランスが良く、選択肢が少ないため婚活成功率が上がる
出会いのチャンスが少なくても、「出会った相手と結婚しやすい」構造
3. 実際の傾向
婚活市場:選択肢が多いほどマッチングは成立しやすいが、結婚に至る確率は低い
💡結論
婚活戦略としては、地方都市や比較的選択肢の少ない環境で勝負する方が効率的
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再掲
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葬送のフリーレンで一番残念なのはストーリーの一番の骨格であるフリーレンがオレオールへ旅に出る動機のアンバランスさ
情動的ではなかったフリーレンが、腑に落ちる様な背景描写もなく何故かヒンメルが亡くなった時だけが例外的・特別に扱われて涙を流し後悔する
これがどうしても安っぽっいと思わせてしまう
まず早期に地場の不動産屋に行って、現在のワンルームを、5000万円に実際の売買となったらあるであろう値引きの分を考えて3%ほど上乗せした価格でレインズに載せてもらい、引き合い(登録物件が他社から閲覧された件数)を教えてもらえばいいんじゃないの。建て替え計画を知ってる業者が買いに出てくるかで妥当性を見れる。建て替えになるからレインズバージンを失うリスクを考える必要もない。引き合いが弱ければそのワンルームは実状5000万の価値が無いわけで、5000万で買ってくれる人がいるなら売ってしまうのがいいだろう。
4000万追加で出すべきかは不確定要素が大き過ぎるから何とも言い難いが、ローン組んだらその金利、手持ちの別資産でやりくりする場合はその運用機会の喪失を考えるとコストは思った以上に大きい(住宅ローンは無理でしょ?)。また、気にしているように資産のうち不動産のエクスポジャーが大きくなり過ぎるのもある。よほど場所や品質がよく高値で売れそうなタワマンが建つのでもない限りおすすめはしにくいよね。特にタワマンの中のワンルームというのはその資産価格に対して修繕積立などのコストが割高になりがちであるし。
ただ、本当に現在のワンルームで5000万もの値がつくような地域であれば、タワマンにしてから売った場合にかなりの額が期待できる可能性はある。それにたったプラス4000万という提示をしてくるのはややアンバランスだけども。