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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2015/11/19のツイートまとめ

kameiasami

堂本彌太郞 号寒星。明治廿年八月八日、京都市に生る 当三十七歳。〔関係先〕京都松竹合名社宣伝部長〔家庭〕夫妻〔趣味〕演藝
〔略伝〕京阪の新聞社に、記者生活を経て松竹合名社に入社。宣伝部を担任す
◇現住所 京都市下京区堺町三条南入
(揚幕社編『現代俳優名鑑』八宏社、大正12年)
11-19 20:17

大森痴雪、武林無想庵、堂本寒星らがいた京都新聞は現在の「京都新聞」とは別物です。
11-19 19:52

から「どうです無想庵にしては」と提案され、「よろしく」と答えたらその後ずっとそれで通ってしまったそうです。
堂本彌太郞もおそらく新聞社に入ってから寒星なんて号を付けたんでしょうね。
ついでに。無想庵の月給は20円で、主筆の25円と較べてもさして遜色がないほどの高給取りだったとか。
11-19 01:21

ところで大森痴雪に署名を求められた磐雄が本名を書くと「本名はいけない。雅号にして下さい」と言われ、雅号は当時すでに古くさかったけれど新聞ではまだ雅号でないと通用しない、大森痴雪、中島半狂、槇岡蘆舟みな雅号だというので、じゃあ再出発のつもりで「無念無想」と署名したら、それはおかしい
11-19 01:21

かけの小説『木乃伊採』を同紙に連載することを勧め、無想庵という雅号を付けてやったのは当時京都新聞にいた大森痴雪でした。
ずっと後の昭和11年7月、その年の5月に亡くなった痴雪を偲ぶ会が京都の四条大橋菊水で行われた際、武林無想庵と堂本寒星はともに会の発起人として顔を合わせています。
11-19 00:01

武林磐雄(無想庵)が一年ほど京都新聞社に勤めていたことを思い出しましたが、芝居茶屋の女将の妹と駆け落ちした磐雄が京都に腰を落着け、角田浩々歌客の紹介で京都新聞社に入社したのは明治39年ですから、明治20年生れでその時まだ19歳の堂本彌太郞が出会うことはなかったでしょう。磐雄の書き
11-19 00:01

  1. 2015/11/20(金) 03:42:47|
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