あっちこっちにばらばらに置いてあった西村賢太関連の書籍を集めてみると、これだけありました(すべて文庫本)。
私の場合、賢太への関心は、あくまで(徳田秋聲との関係から)藤澤清造の研究家としての側面に集中していたようです。
https://t.co/TOOgvTFlcm
02-12 22:42
「「代作」から考える」(『徳田秋聲と「文学」』鼎書房、2021年11月)には「曾根の検証の方が説得力があり加藤朝鳥代作説の信憑性が高い」とあります。
私は過去のツイートでは『日本文章史』とともに岡栄一郎説を採っていました。
02-12 22:22
ません。
ということは、生田長江等編『新文学辞典』の徳田秋聲署名文は代作者の書き下ろしなのでしょうか?
(そうなると、なぜこの2つの項目執筆者を徳田秋聲名義にしたのか判りません)
因みに『明治小説文章変遷史』は岡栄一郎代作説(野口冨士男)と加藤朝鳥代作説(曾根博義)とがあり、大木志門
02-12 22:21
先行する代作『明治小説文章変遷史』(文学普及会、大正3年5月)は内容が異なります。
「だ主義とです主義」
https://t.co/YMZ3Xha5vP
「とさ文体」
https://t.co/00MNLKL7zw
中村武羅夫代作説のある『創作講話』(新潮社、大正3年4月)と『小説の作り方』(新潮社、大正6年2月)にもこの記述はあり
02-12 22:20
生田長江 等編『新文学辞典』新潮社、大正7年3月。
「だ調とです調」の項の筆者が徳田秋聲
https://t.co/baZTHWlP9D
「とさ文体」の項の筆者が徳田秋聲
https://t.co/hqjVQcZ6dK
いずれもこれより後の刊行になる代作『日本文章史』(松陽堂、大正14年4月)63頁と41頁に同文あり。
しかし、それに
02-12 14:11
「〔昭和九年〕七月十一日(日推定)、軽井沢に発つ。家族後日。七月二十二日、立原道造来る。道造、軽井沢は初めて」とあり、犀星の文章には一穂らの訪問の記述に続いて「五日目くらゐに追分の古い駅から出てくる堀辰雄君」が云々とあるので、おそらく昭和9年7月15日の週の前半のことでしょう。
02-12 05:51
楢崎君と相語つて山間の避暑地にも東京の続きの賑やかさを搜るやうな様子であつた」
「文芸時評 一、山中に文学なし」(『慈眼山随筆』竹村書房、昭和10年2月)より。
楢崎勤と徳田一穂が軽井沢の室生犀星を訪れて碓氷峠を登ったのは、室生朝子『室生犀星文学年譜』(明治書院、昭和57年)に
02-12 05:41
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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