見ることのできないものには、共鳴することができないと言ふに過ぎない。」
徳田秋聲「祝賀会の後(二)」(「時事新報」大正9年11月28日)こちらは、過ぐる5月9日に死去した泡鳴の文学を擁護するに託つけて、因縁のあった漱石を批判していますね。
01-03 22:13
「芸術を高尚らしい茶気や、智識的遊戯の対象とすることには、私はもはや飽きたやうに思はれる。私は漱石先生の芸術が決して泡鳴君の芸術に優つたものだと思ふことはできない。」
「私は芸術に哲学が不必要だとは言はない。学問が無用だとも思はない。たゞさう云ふものゝために累ひされて、真の人間を
01-03 22:13
に続きます。
たしかに気味悪いですけど、勝本は戦後になってから秋聲作品を鼓を打って批判したこともあり、秋聲の弟子格の野口の筆致には端から毒がある気がしますね。
01-03 21:51
の白髪頭をみつめていた」
野口冨士男「浮き名損 岡本かの子」より。〔 〕は引用註。
野口は、勝本清一郎から、岡本かの子が勝本を日本ペンクラブの書記長にすると言ってきかなかったとか、タクシーで一緒に帰ろうとして肥った身体をギュウギュウ押しつけられたとかいう自慢話を聞かされ、上記の引用
01-03 21:35
「勝本〔清一郎〕さんはドーラ夫人〔ドーラ・シンドラ〕との結婚以前に藤間静枝(藤蔭静樹)につづいて山田順子と同棲したことがあって、永井荷風と徳田秋聲の恋人をうばったという自負があったので、〔岡本〕かの子女史にもモーションをかけられたことを誇りたかったらしい。私は、気味の悪い思いで氏
01-03 21:34
「三島霜川選集」中巻83頁と年譜254頁によれば、『馬肉』の初出は「江湖」明治41年5月1日です。
ちなみに『千波万波』は日高有倫堂より翌明治42年7月刊。
https://t.co/TyzQx2IR9J
01-03 21:05
@tonton1965 そうでしたか。「近松秋江全集」月報の編集後記に(T)と署名しておられる滝口富夫さんが、富六さんです。
01-03 18:43
ちなみに、徳田秋聲の家に入り込んだ山田順子(当時、満24歳)でさえ、百々子(満7歳)から「おばちゃん」と呼ばれています。
でも順子自身も百々子に「おばちゃんが何々してあげる」なんて言ってるので、現代とは感覚が違うんでしょうね。
01-03 16:57
ずっきー(夫)の親戚の女の子に「おねえちゃんは叔父さんのお嫁さん?」ときかれて、「おねえちゃん」と呼ばれたことにずっと機嫌をよくしている30女😍
新婚10日目💕🏠💑💕
01-03 16:02
【参考論文】
相沢直樹「ツルゲーネフとピーサレフ」スラヴ研究 1990;37:43-83.
https://t.co/fWPUaiP2cY
ツルゲーネフとピーサレフとの関係についての好論文です。私がこれを初めて読んだのは、2007年だから、もう12年前かぁ……
01-03 15:22
てきたのは極めて否定的な手紙でした。
ツルゲーネフは自作への世評を非常に気にする人で、もちろん創作する人は多かれ少なかれそうでしょうが、彼の場合はちょっと度を越してる気がしますね。もしその頃インターネットがあったら、朝から晩までエゴサーチしてそう😅
01-03 15:17
るピーサレフの論文について、後年「彼は私がバザーロフで言いたかった全てを殆んど完全に理解した」「私がバザーロフのなかに持ち込んだロマンチズムのかけらを理解したのはピーサレフだけだった」と回想したほどに、高く評価していて、『けむり』についても好意的な評価を期待していた訳ですが、返っ
01-03 15:11
ツルゲーネフが1867年4月に「ロシア報知」第3号に発表した『けむり』が激しい批判に晒されていたころ、待望していたピーサレフの書評が1ヶ月近く経っても掲載されないことに痺れを切らして、新作への見解を聞かせてくれと催促する手紙を出したことを思い出しました。
ツルゲーネフは、『父と子』に関す
01-03 15:11
けいけいさんにとても嬉しいことがあったのなら、私も嬉しいな😃💕
01-03 14:55
@tonton1965 富六さんは、滝口富夫さんですよ。
ご存知と思っていました。
01-03 14:42
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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