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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2018/03/17のツイートまとめ

kameiasami

あー、よかった💓
03-17 23:56

@tonton1965 書簡の消印(4.8.3)と「日光、山内禅智院」「三十日にこちらにまゐりました」云々の記述が、沢年譜の「(昭和4年7月)30日から、日光へ避暑に行く。山内禅智院に滞在」と合致しますね。
03-17 18:35

@tonton1965 明治43年から店があったとは知りませんでした。
大正8年2月25日と3月2日の秋江書簡に「縄手通 葉村家方」とあるので、おそらく「葉村家」が大正8年時点での正式な店名と思いますが、前述のように「玉の家」と書いていたり、「葉村屋」(これが嵐和三郎の屋号ですね)と書いている資料もありますね。
03-17 17:02

@tonton1965 秋江書簡の見出しが秋江全集では「大正6年9月13日」で消印が「神奈川箱根町6・9・1 前0-9/本郷6・9・15 □0-1」となっているのが先日から気になっていました。秋聲宅に10日より前に届いていたとすると、秋江全集の書誌情報の誤りでしょうか。
秋聲年譜に「10月13日付」とあるのもおかしいですね。
03-17 16:45

@tonton1965 『近松秋江と「昭和」』613頁(大正3年5月19日)には「四条縄手大和橋上ル玉の家に投宿」とあります。しかし後には秋江も幹彦も「葉村家」とだけ書いているので(滞在時は手紙の差出人住所にも葉村家方と書いている)、旅館としての実名も玉の家から葉村家に変わったのだろうと思います。
03-17 11:52

て京都の俳優です」とあります。
沢豊彦の『近松秋江と「昭和」』、『近松秋江私論』の年譜にある「玉の葉村家」は、上記の「玉の家」と「葉村家」とを混ぜていると思われます。
「玉の家」の屋号がこの後「葉村家」に変わったのでしょう。
03-17 02:15

近松秋江「秋声氏と久雄氏とに」(「読売新聞」大正4年5月9日。全集10巻235頁)に「私の今泊つてゐる祇園縄手通りの玉の家といふ家は(中略)宿屋とはいひながらも看板もかけてゐない寂然とした家で、文楽座の人形つかひの名人故桐竹紋十郎の後です。(中略)今はその倅の代です。長男は嵐和三郎といつ
03-17 01:08

  1. 2018/03/18(日) 04:16:13|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
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