反対した2人と棄権した3人(らとその一族)の運命が気にかかります。
https://t.co/RuEIQl8xn2
03-11 22:33
@tonton1965 そうすると、白鳥がおきみのもとにおりおり通っていた時期、ということになるでしょうか。
書き上げたのはもっと前かもしれませんけど。
03-11 21:24
@tonton1965 「その地獄も丁度三月の初め頃からその土地にゐなくなつて了つた。――尤も後に間もなく、長田が何処かへ隠してゐるといふことだけは分かつた」
『執着』の終わりの方ですね。
正宗白鳥『動揺』は明治43年4月号の「中央公論」発表ですが、当時の原稿の締切日はいつ頃でしょう。
03-11 21:12
@tonton1965 沢豊彦氏作成年譜のように「三月上旬」と見做しても、ちょっと辻褄があわないですね。『流浪の人』にはおきみを田原町に住わせて「をりゝゝ」そこへ通った、とありますし。
03-11 14:27
@tonton1965 島田論文の言うように明治43年「3月末」に「浅草田原町の知人の家に二階借りして住まわせるようにな」り、「そのあと」4月13日の「サンデー」72号で「先日拘留二十日といふ灸をすゑられた太田きみ子」と報じられ、ということですと、ちょっとおかしい気がします。
03-11 14:08
@tonton1965 「サンデー」72号(明治43年4月13日)のゴシップ記事「正宗白鳥『動揺』の実説…女主人公は蛎殻町の淫売…」にある、蛎殻町の高等淫売で、先日拘留二十日といふきついお灸をすゑられた太田きみ子、云々のことですね。
03-11 13:58
島田論文(「国文学研究」第78巻)の引用は年譜形式で、「三月、初旬、お君姿を消す」に続けて「白鳥、部屋代を出し」お君を住まわす、と書き、『流浪の人』を註に引いていますが、姿を消したのが初旬で、白鳥が田原町に住まわせたのが月末と取れば、島田論文の間での辻褄は合います。
03-11 12:17
『流浪の人』八で白鳥が「僕も櫻の咲くころ、久しぶりに郷里に行つてこようと思つてゐる」と語っているのは、きみ子を浅草田原町の二階に住まわせてから「しばらくの間」が経過した3月下旬と思われるので、「三月、初旬」のほうが納得は出来るのですが…
03-11 01:43
を浅草田原町の知人の家に二階借りして住まわせるようになったのは、三月末であり」となっていて、どちらが正しいか今のところ即断しかねます。
https://t.co/6j7lpUlJ8y
03-11 01:24
島田昭男「近松秋江私論――初期の小説を中心に――」(「国文学研究」第78巻、昭和57年)87頁には「三月、初旬、お君姿を消す」とあり、
https://t.co/pIcmyV2rp9
それより後に書かれた「近松秋江私論――「うつり香」について――」(「恵泉女学園大学人文学部紀要」第4号、平成4年)12頁では「白鳥がおきみ
03-11 01:16
「彼女おきみ(引用註:太田きみ子)は淺草田原町の知合ひの家に二階借りして、將来何をするつもりか、せいゝゝした態度でそこで過すやうになつてゐた。それでその部屋代は私のふところから出る事になつた。私は物珍しい氣持でをりゝゝ其處へ通つてゐた」
正宗白鳥『流浪の人』(初出『近松秋江』)八
03-11 01:15
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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