と直してみました。
要するに秋聲の妹フデにはもともと許嫁の青年がいたのに、笹島嘉吉郎の妻すがの思惑と、自意識の強いフデ自身の野心から、笹島の末弟の平太郎に接近した。平太郎は事情を分かっていながらその行動を許したってことですよね。
07-13 21:20
平太郎と云ふ名が、秋聲の耳にふと嫌悪と懐しさの不思議な刺戟を与へずにはおかなかつた。それは、彼の従姉〔すが〕が自分の実家と笹島の家とを結つけるための政略から、恐らく自意識の強かつた妹自身の小さい野心から、許婚の青年をそつち除けにした秋聲の妹〔フデ〕を許した、笹島の弟の名であつた。
07-13 21:00
https://t.co/EawdhQpeSj
ですが、それでも意味が通りません。文章がおかしいからですね。
「自分の実家S――との家とを結つけるための政略」
は正しくは
「自分の実家とS――の家とを結つけるための政略」
だと思います。ここは全集でも前者のままですが「本文校訂覚書」で断って正すべきですね。
07-13 20:04
徳田秋聲『夜行列車』三より。
https://t.co/5d7mQqqbyn
殆どの人はこれを読んでさっぱり意味が判らないと思いますね。
イニシャルと実名との対応関係は
周三:徳田秋聲
S――:笹島嘉吉郎
芳太郎:笹島平太郎(嘉吉郎末弟)
彼の従姉:津田すが(嘉吉郎妻)
妹:徳田フデ(秋聲実妹)
で、系図を示すと
07-13 19:57
「芳太郎と云ふ名が、周三の耳にふと嫌悪と懐かしさの不思議な刺戟を与へずにはおかなかつた、それが許婚の青年をそつち除けにして、彼の従姉が、自分の実家S――との家とを結つけるための政略から――恐らく自意識の強かつた妹自身の小い野心から――周三の妹を許した、S――の弟の名であつた。」
07-13 19:44
【津田すが、笹島嘉吉郎関連作品】
徳田秋聲『四十女』
https://t.co/1hV4kvGYRx
『無駄道』
https://t.co/UAaKnPF2PM
『夜行列車』
https://t.co/6vUEgnBmuW
『光を追うて』
https://t.co/rtkWdvBIrb
07-13 16:07
確実に焼失しています(ただし竪川以南ですので、命は助かっているかもしれません)。
震災のあった大正12年から浅草山之宿の護謨靴商に、昭和10年代に樺太の本斗郡内幌村村会議員に笹島平太郎の名が見られますが、それぞれ同一人物かは不明です。
07-13 16:01
三十七番地)を経営していたようです。
『大日本帝国商工信用録』(改訂増補27版)博信社出版部、大正8年11月
https://t.co/eFxZTaMusw
店舗名が嘉吉郎の「オイル商店」に似ていますね(どちらかが誤記で同一名ということもあり得そうです)。
本所区は関東大震災でほぼ灰燼に帰したので、この店舗も
07-13 16:00
【笹島平太郎】
笹島嘉吉郎の末弟で徳田秋聲作品に芳太郎(『夜行列車』)、芳さん/芳造(『無駄道』)などの名で登場し、『光を追うて』に「笹島の弟の平太」、明治26年の「無著庵日記」に平太郎と記されている笹島平太郎は、大正8年当時、機械油、諸油一式販売「オイル商会」(本所区松井町一丁目
07-13 15:56
徳田秋聲『四十女』植竹書院、大正3年10月
https://t.co/cskr9ql56V
やはり「安治川橋の広い住家」の住所が北区安治川南二丁目一二一、ということで間違いないだろうと思います。
07-13 10:08
笹島嘉吉郎の安治川の店については、『四十女』に下記の記述がありますね。
「磯野が益其事業を盛立てゝ、安治川橋の広い住家へ引移つたのは、秋の頃であつた。私は其時分、都合で京町堀の寺の二階へ引移つてゐた。月に二度ぐらゐは、磯野の家を訪れた」
※磯野は笹島の作中名
07-13 10:08
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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