何の誇張もなく「縮図」してゐる見事さは、市井事もの作家の武田麟太郎が私淑したのも無理はないと思はれるくらゐで、僕もまたこのやうな文学にふとしたノスタルヂヤを感ずるのだ。〉
06-27 19:40
織田作之助は同誌掲載の「文学的饒舌 1」(「文学雑誌」昭和22年2月)で秋聲の『縮図』について次のように語っています。
https://t.co/P53cIiZ4Yz
〈「縮図」は「あらくれ」ほどの迫力はないが、吉田栄三の芸を想はせる渋い筆致と、自然主義特有の「あるがまま」の人生観照が秋聲ごのみの人生を
06-27 19:40
エルマーナの田中と呼んでゐた。」
瀬川健一郎「解説」(「文学雑誌」昭和24年1月)
https://t.co/3tGvDYB4QK
同誌所載の「青春の自画像――昭和十三年(二十六歳)の日記/織田作之助」への解説です。
06-27 19:38
【喫茶エルマーナ】
「なほ随所にあらはれるF茶房といふのは、長栄館の近くの喫茶エルマーナのことで、三人の姉妹が店を開いてゐた。エルマーナの日本訳は三人姉妹だと、むづかしい辞書を調べたのは杉山平一であつたが、その店へ日夜入りびたつてゐたのは田中儀一であつた。だから織田は田中のことを、
06-27 19:37
(「織田作之助名作選集」11、現代社、昭和31年12月)
https://t.co/IjUqlq412d
昭和14年の話。少し後になぜ徳田秋聲がぎょっとしたのかについての会話があります。
06-27 17:16
誰だろう、あの老人はと考えながら、私は本郷の電車通りの方へ歩いて行った。エルマーナという喫茶店の前まで来て、あ、徳田秋声だったのかと思い当った。私の下宿の向いのフジ・ハウスは徳田秋声が経営しているのだった。」
織田作之助「夫婦善哉後日」〈第1章 落第横丁〉
06-27 17:15
【秋聲とばったり】
「下宿を出ると、寒かった。白い風が白く走り、東京特有の空ッ風だった。思わず二重マントの襟を立てた途端、向い側のフジ・ハウスというアパートから出て来た老人と視線が合った。眼鏡の奥がキラッと光るその眼差しが印象的だった。老人は何かはっとしたようだった。
06-27 17:15
太田菊子「この頃の生活から/「深夜の歌」の会」(「生活と趣味」昭和11年7月)
https://t.co/6Fgi9AssMV
「徳田秋聲全集」別巻年譜に記載なし。
06-27 02:17
昭和11年6月25日午後5時半から、芝の満鉄本社階上のエトアールで、小寺菊子『深夜の歌』の出版記念会が、長谷川時雨「輝く会」主催で開かれました。
「徳田秋聲氏は、病中を特に出席されてゐましたが、病気の故で一言も話されなかつたのが、寧ろ一種の気分を醸し出してゐました。」
06-27 02:16
【柳浪の徳田秋聲評】
〈『あの人の作はあの人の人格です。』と先生は云はれた。〉
「纂録/広津柳浪氏を訪ふ」(「新文林」明治42年8月)
https://t.co/DuDfbnn8u7
06-27 02:14
桑原武夫「おやじ」(「桑原武夫全集」第4巻、朝日新聞、昭和43年11月)
https://t.co/OSJV1Uzmwr
「こんなふしだらな生活をして」ということは、『仮装人物』をはじめとする後期の作品を好んでいたのでしょうか。
06-27 02:12
【桑原隲蔵の好み】
〈文学は父にとっては娯楽であった。鷗外、漱石はほとんど読もうとせず、谷崎潤一郎、佐藤春夫などを好んで読み、また、「こんなふしだらな生活をして」と文句をいいながら、徳田秋声や宇野浩二は好きだったようだ〉
06-27 02:05
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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