とあるので、牛田の記述はそのことを指しているのでしょう。
〖参考〗
『宇都野研全集』上巻(勁草社、昭和13年11月)年譜
https://t.co/7msUd7YGkP
06-07 17:30
とは医師で歌人の宇都野研(明治10年生、昭和13年歿)のこと。本郷区東片町22に小児科を開業していました。
徳田秋聲の「大学界隈/病院と名国手」に
「本郷にはその他にも名医がゐる。三浦博士の後継者たる塩谷博士とか、小児科において殆ど神のごとき頭脳をもってゐる宇都野博士などであるが」
06-07 17:28
【技、神の如き】
「本郷の並木道を一高前から東片町へ折れて北側の小児科病院。徳田秋聲氏をして、技、神の如き、と嘆かせた名医。医文ともに絶対的な中道を勁々と歩まれた老先生」
真名井基(牛田留治)「埴輪」(「京都文学 」昭和15年11月)
https://t.co/sBKST7N9QB
ここで語られている「K先生」
06-07 17:28
【奇怪なオノマトペ】
「二婦人の小説評」(「早稲田文学」明治41年11月)
https://t.co/nvv25jwgjX
以前に大木志門さんが紹介なさった記事ですが、「ウソウソ」「ボスボス」「モゾクサ」といった徳田秋聲作品特有のオノマトペが当時の読者にも奇異に感じられたらしいことが分かって面白いです。
06-07 17:26
ホクホク顔だった」
「太稚庵はだか日記」(「高志人」昭和38年1月)より
https://t.co/my0pzdt6Q3
翁久允の日記。昭和37年11月13日条。
「没する半年ほど前」とありますが、徳田秋聲は昭和18年に帰沢していないので、昭和17年2月に石川県文化振興会顧問として金沢で講演した時のことでしょうか。
06-07 17:25
【一穂も一人前になった】
「秋声さんと最後に逢ったのは没する半年ほど前だったと思う。戦争たけなわな頃で、私は富山から東京へ帰る汽車の中で金沢から乗ってこられた氏に出遇し、東京までいろんな話を交わしたのだった。「一穂ももう一人前になりましたよ。なかなかいいものを書くようになった」と
06-07 17:24
「とにかく日本の住所のヤバさをもっと知るべきだと思います」(inuro 2023年6月7日)
https://t.co/bnq6mEnAOg
京都市内の住所についても言及すべきでしたね。
東西南北の通りの名称と上ル・下ル・西入ル・東入ルの組合せなど。
06-07 14:07
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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