日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)
(2004/06)
岸田 秀
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(前回の続き)
■アメリカの盲点
ついでながら言えば、たびたび問題にする、敗戦後の日本に対するアメリカの特別な寛大さも、その逆である残忍さと同じく、インディアン虐殺と関係があるのではないかと、僕は考えています。
アメリカ人はインディアン虐殺を大体、次のように正当化しているようです。
「われわれだってインディアンを絶滅させるつもりはなかったのだ。
彼らをわれわれの文化、われわれの社会に受け入れ、われわれと仲良くともに生きてゆけるようにしようと最大限の努力はしたのだ。
たとえば、彼らの子供たちをわれわれの学校に入学させ、立派なアメリカ人に教育しようとした。
しかし、彼らは、その野蛮な文化に固執し、われわれの優れた文化を断じて受け付けなかった(これは必ずしも事実ではありません)。
われわれが彼らを拒否したのではなく、彼らがわれわれを拒否したのだ。
彼らは、自分たちが生きてゆける道を自ら閉ざしたのだ。
そこで、やむを得ず、われわれは、彼らが滅びてゆくのを手を拱いて眺めることになったのだ」、と。
アメリカ人は、日本人を、インディアンと同じように、徹底的に殺戮し、絶望的状態に追い込んだのだが、日本人がインディアンと違うところは、それにもめげず、絶望的状態から立ち直り、自ら進んで積極的にアメリカ文化を採り入れ、アメリカのような自由と民主主義の国になろうとしたことだと、アメリカ人には見えているようです。
つまり、敗戦後の日本の繁栄は、アメリカ人にとって、インディアン虐殺の正当化を支える、この上なく好都合な根拠なのです。
「日本を見よ!アメリカ人とインディアンとの物語は不幸な物語であったが、日本の例は、間違っていたのはアメリカ人ではなく、インディアンだったことを証明する。
インディアンと日本人に対するわれわれの政策は同じだったのに、インディアンはほとんど絶滅し、日本は繁栄している。
すなわち、インディアンだって、日本人と同じようにすれば繁栄できたはずなのだ。絶滅したのは、インディアンが悪いのだ。
われわれは、遅れた野蛮な文化を捨てようとしない者を罰しただけなのだ。それは神の正義のためだったのだ」と、アメリカ人は考えることができるわけです。
日本人の一部(自民党、通産省、外務省など)は、日本がアメリカ文化(政治思想なども含めて)を受け入れ、アメリカと似たような国になればなるほど、アメリカ人は日本に対して寛大になり、いろいろ便宜をはかつてくれ、気前よく肋けてくれることに気づき、実際はどうであれ、できるかぎり日本をそのようにアメリカ人に見せかけようと努めるようになりました。
この策はある程度、成功しました。
アメリカの寛大さに支えられた戦後の復興、さらに、一九六〇年代から八○年代までの高度経済成長は、その一例でしょう。
実際、アメリカは、テレビ、テープレコーダー、カメラ、オートバイ、自動車、半導体などに関して、自国の産業が壊滅寸前になるまで(壊滅したのもあります)、日本製品の輸入を野放しにしました。
日本の技術が遅れていたときは、特許だの、企業秘密だのと細かいことは言わないで工業技術もほとんど無制限と言っていいほど開放してくれました。
その点、アメリカ人は実に鷹揚でした。
アメリカ人が、日本人のこの策になかなか気づかなかったのは、どれほど工業技術を教えてやろうが、どうせ大したことができるわけはないと日本人を甘く見ていたためでもありますが、主たる理由は、以上説明したような、インディアン・コンプレックスとでも呼ぶべきものに囚われていたからです。
日本に対するアメリカの断固たる壊滅的攻撃、日本の敗北、日本占領、戦後の教育改革、政治改革などの一連の施策の結果としての今日の日本の繁栄という物語は、インディアン・コンプレックスに苦しむアメリカ人の精神安定のために必要だったのです。
それは、インディアンに対しては失敗した、アメリカ人の建国以来の夢、他民族に受け入れられるアメリカ文化の普遍性の夢がついに実現した物語でした。
日本人のためというより、アメリカ人自身のために、アメリカ人はこの物語が崩れるのが怖かったのです。
これは、さっきも問題にした、敗戦後の日本に対するアメリカの寛大さの理由の一つであったと思われます。
アメリカは、ドイツに対しても、第一次大戦後のドイツに対するイギリスやフランスと比べてはるかに寛大でしたが、日本に対する寛大さには、ドイツに対する寛大さにはなかったそのような理由もあったのではないかと思います。
横道に逸れますが、ついでに言っておくと、ベトナム戦争は、日本での成功に気をよくしたアメリカ人が柳の下の二匹目の泥鰌を求めて、この物語をベトナムでも再演しようとして戦った戦争でした。
植民地をつくる気はなく、ベトナムの領土が欲しいわけでも、ベトナム人を搾取して儲けるつもりもなかったのに、はるか彼方のアジアの小さな国に五十万以上の大軍を送り、ベトナムの地に足を踏み入れた兵士は計三百万人に及び、そのなかから六万近くの戦死者と三十万を超える負傷者を出し、千七百機の航空機(戦闘機と爆撃機)を撃墜され、千五百億ドルの戦費を費やし、アメリカ経済を疲弊させてまで十五年間も戦ったのは、そこにアメリカの夢がかかっていたからでした。
ベトナム戦争に敗北したときのアメリカのショックの深さは、アメリカ人にとってのこの夢の重要性を示しています。
この夢が破れれば、アメリカ人は、やはりインディアンを虐殺したのは間違いであったという事実を突きつけられるのです。
アメリカ人にとって、ベトナム人は、独自の文化を守ってアメリカ文化を拒否したにもかかわらず滅びないインディアンでした。
ベトナム人という名のこのインディアンの存在を容認できるのなら、なぜ、かつて、独自の文化を守ってアメリカ文化を拒否したインディアンの存在を容認してやれなかったのかと、アメリカ人の良心は疹くのです。
それを避けるためには、ベトナム戦争に勝たねばならなかったのでした。
ベトナム人をインディアンと同じ目に遭わせなければならなかったのでした。
なのに、負けたのです。
ベトナム戦争中、アメリカはなぜそんなにベトナムにこだわるのかと不思議がられて、ベトナムの共産化を許せば、ドミノ倒しのように周辺諸国も共産化するという、いわゆるドミノ理論を持ち出しましたが、このドミノ理論は、アメリカのこの不安が神経症的不安であったことを示しています。
たとえば、不潔恐怖症の患者は、身体の一部(手など)が汚れると、その汚れが全身に伝わるような不安に駆られて、血が滲むようになるまででも手を洗いつづけます。
アメリカは、不潔恐怖症患者が手の汚れにこだわるように、ベトナムの共産化にこだわったのです。
それが神経症的不安に過ぎなかったことは、ベトナムが共産化しても、周辺の諸国に関係なかったことが証明しています。
精神分析によれば、神経症的不安とは、抑圧された本来の現実的不安が置き換えられたもの(代理症状)なのですが、この場合、アメリカの抑圧された不安とは、インディアンにかかわる不安でなくて何でしょうか。
しかし、アメリカ人も馬鹿ではありません。
ついに、アメリカ人の一部が日本人のこの策に気づき、日本は自由主義、民主主義の国ではない、日本の資本主義はとこかおかしいと、日本を警戒し始めました。
いわゆるリヴィジョニストたちです。
このリヴィジョニストたちは、日本では、いたずらにジャパン・バッシングをやっていると見なされたようです。
確かに、彼らのなかには、日本が嫌いで嫌いで日本を貶めようとしているだけの人もいたようですが、彼らの多くは、これまでの日米の友好関係がアメリカの日本誤解にもとづいていることを指摘し、日本を正しく理解しようとしていたと考えることができます。
僕は、むしろ、彼らとの関係のなかにこそ、真の日米友好関係へと至る道があるのではないかと思っていますが、この問題はまたあとで取りあげます。
それにしても、正義という観念に関しては、日本とアメリカとは正反対の国ですね。
アメリカほど正義にこだわる国は他にないと思いますが、逆に、日本ほど正義にこだわらない国も珍しいんじやないですかね。
江戸時代の喧嘩両成敗の思想は、何はともあれ、喧嘩した双方のどちらの言い分か正しいかはいっさい問わないで、とにかく喧嘩した奴が悪いということですから。
「みなさんがそうおっしやるなら、そういうことにしましょう」で通る国ですから。
東京裁判で、悪人にされて裁かれるというこの上なく侮辱的なことをされて、そのこと自体をそれほど怒っているようでもなかったし(これは、すでに述べたように、ストックホルム症候群(註)の一つとも考えられますが)。
(註)…過去記事『「自己欺瞞」と「精神分裂病/ストックホルム症候群」』参照のこと。
当時の日本人は、東京裁判にアメリカ人が込めた悪意にあまり気づかず、どうしてアメリカ人はこんなことをやりたがるんだろうと、いささか不思議に思っていたようです。
しかし、アメリカ人には、そうせざるを得ない深い理由があったのです。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/東京裁判とアメリカの病気/P172~】
確かに日本の敗北とその後の繁栄というのは、自由民主主義という旗頭を掲げるアメリカにとっては非常に「都合が良い」ケースだったんでしょうね。
アメリカが現在に至るまで、自由民主主義を広めようとする「押し付けがましい動機」は、自らの建国精神に基づく自由民主主義こそ、至上の体制であるという確信があるからなのだろうな…と漠然と考えていましたが、岸田秀の意見を読むと、むしろその「確信が無い」からこそ、押し付けてでもその正しさを証明したいという”反復強迫”に基づく動機があるからではないか…と思うようになりました。
確かにアメリカの「押し付けがましさ」というのは、自らの利益誘導という面もあるのでしょうが、抑圧されたインディアン・コンプレックスという一因にも多分に影響されているのかもしれません。
さて、次回は、現在に至るまでなぜ日米関係がまともな関係にないのか?ということについて、岸田秀の主張を紹介していく予定です。
ではまた。
【関連記事】
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