今回は、日本軍が示した「勇気」とは一体なんだったのだろうか?ということについて、岸田秀の分析を紹介して行きます。
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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(前回の続き)
真珠湾奇襲のときに五隻の特殊潜航艇が出撃しましたが、これがほとんど生還を期し難いことは初めからわかっていました。
実際、四隻は沈み、一隻が浜に乗り上げてその乗員の一人が日本兵の捕虜第一号になりました。
戦死した九名は軍神とされ、戦争中、その写真が、天皇・皇后両陛下の写真とともに、多くの家に飾られていました。
特殊潜航艇の出撃は、戦術的効果を期待してのことではなく、開戦の劈頭(へきとう)に自ら死を覚悟して出撃した勇士を範として示し、全軍兵士に、ひいては全国民に同様な覚悟を迫るという精神的効果をねらってのことだったと思われます。
真珠湾奇襲の日本軍戦死者五十五名のうち、特殊潜航艇の九名だけが軍神として祭られたのは、そういうわけなのです。
一九四四年秋、大西滝治郎海軍中将の発案で始められた、世界の戦史に例のない神風特攻隊も同じ趣旨のものでしょう。
特攻機は、初めのうちこそ敵の意表を突いていくらか戦果を挙げたようですが、アメリカ軍は護衛機を増やし、弾幕を密にするなどの対策をただちに講じたので、そのあとはほとんどがむなしく海面に突っ込むだけになったようです。
「一機をもって一艦を屠(ほふ)る」と怒号していましたが、結局、四千機ほど出撃して、敵艦まで達した言わば命中率は、五%以下だったそうです。
特攻隊も、日本兵の死を恐れぬ勇気を誇示するという精神的効果をねらってのことだったことは明らかです。
現実的効果が問題なら、特攻隊員に想像を絶する苦しみを強いるだけで、敵に打撃を与える効果はほとんどないことはわかっていたのですから、中止したはずです。
しかし、戦局がますます不利となっていた当時、その精神的効果がますます必要になっていたのです。
精神的効果とは、言い換えれば、気休めのことですが、人々は、これほど死をものともしない勇気を示せば、必ずや戦局は逆転すると、心のどこかで信じていました。
このようなとんでもない作戦に対して、ほかの国なら当然起こるであろう反対が日本国民には起こらなかったのは、「死を恐れぬ勇気」があれば勝てるという、この作戦の前提となっている観念を、軍部のみならず広く国民一般も信じていたからでしょう。
どれほど現実と矛盾していても、現実に裏切られても堅持される観念を妄想と呼びますが、この観念は、まさに妄想の域に達していました。
これを信じるしか、屈辱状態を解消し、誇りを回復する道はないと見えていたので、この観念を捨てるわけにはいかなかったのだと思われます。
これほどまでに、近代日本人の屈辱感は深かったのです。
日本軍が、日米戦争において、最終的に敗北したにとどまらず、個々の戦闘でも惨敗したのは、何度も繰り返しますが、「死を恐れぬ勇気」で勝とうとした、勝てると思っていたことが原因です。
戦争に勝つためには、何よりも補給や情報が不可欠に重要ですが、日本軍が、「輜重兵が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と歌って、軍需物資の輸送を任務とする輜重兵を馬鹿にしたり、敵の軍艦ばかりを狙って輸送船を見逃したり、暗号を解読されていても気づかず使いつづけたりなど、補給や情報を軽視したのも、一連のことです。
「死を恐れぬ勇気」さえあれば、他のことは大して重要ではないと、心のどこかで信じていたからです。
何よりも悲惨だったのは、もともと不可能な「死を恐れぬ勇気」を強要された日本兵たちでした。
どこの国の兵士だって、苛酷な状況におかれ、生命の危険に晒される点では同じで、多かれ少なかれ悲惨ですが、不可能なことを強要されるというようなひどい目に遭わされたのは、日本兵だけでした。
しかも、日本兵はそれを名誉と思わねばならなかったのでした。
特攻作戦にもっとも典型的に示されていますが、日米戦争を、日本は、現実的次元での自衛のためとか、国益のためとか、アジア民族の解放のためとかをめざして戦ったのではなく、ひとえに空想的次元で日本の誇りを守る、または回復するために戦ったのです。
日本軍の戦い方がそのことを証明しています。
日本軍は統一的戦略を欠き、支離滅裂で馬鹿げたことばかりやっていたとしばしば非難されます。
日本軍が何らかの現実的目的のために依っていたとの前提に立ち、その観点から考察すれば、まさにその通りです。
しかし、誇りのために戦っていたという観点から見れば、日米戦争中の日本軍の作戦行動は、支離滅裂どころではなく、真珠湾奇襲から第一次ソロモン海戦〔一九四二年八月、三川艦隊が護衛の米巡洋艦四隻を撃沈しながら、肝心の輸送船団を見逃した海戦〕、太平洋の島々での玉砕、神風特攻隊を経て戦艦大和の特攻出撃に至るまで実に首尾一貫していたことがわかります。
日本兵が懸命に必死に戦ったことは事実です。
そのため、個々の戦闘局面で異常な強さを発揮するということはありました。
しかし、基本的に現実的次元から浮き上がっていましたから、個々の局面での強さ、勇敢さは、全体的戦略のなかでは生かされず、払った犠牲の割には効果が薄いのでした。
もちろん、勇気というものは必要不可欠であって、もし日本兵が初めからまったく勇気を欠いていたとしたら、日清戦争に敗れ、そのあと日露戦争など始められるわけはなく、始めたとしてもすぐ敗れ、近代日本は、欧米諸国に侮られ、いつまでもそのみじめな植民地にとどまっていたでしょうが、近代日本の誤りは、勇気をあまりにも妄想的に重視し過ぎたことです。
勇気というものは、本来、戦果をあげるための手段ですが、その手段が目的と化し、不必要な場合でも、いやそれどころか、勇敢であれば、敵に損害を与えないだけでなく、ただただ味方の損害を増やすことにしかならない場合でもやたらと強迫的に勇敢でなければならないのでした。
つまり、日本軍は、言わば勇気フェティシズムに陥って、そのためにかえって作戦の失敗を招いたのでした。
このように、アメリカに押しつけられた近代日本の屈辱的状態を、日本兵の万邦無比の勇気を拠りどころとして軍事的にアメリカに勝つことによって解消しようとした野心的企ては、これほど日本国民が一つの目的のために一致団結することはもう永遠にないだろうと思われるほどに猛烈にがんばったにもかかわらず、ただ一点において誤ったために、すなわち、おのれの力についての誇大妄想的過大評価に陥り、現実とずれてしまったために不可避的に挫折しました。
(後略~)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/屈辱感の抑圧のための二つの自己欺瞞/P48~】
上記の岸田秀の分析を読むと、結局のところ、日本軍が示した勇気というのは”気休めのための”勇気に過ぎなかったのだな…と思わざるを得ません。
山本七平が、「私の中の日本軍」の中で「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった。(註)」と指摘していますが”日本軍の勇敢さ”とは、自らを見る勇気がなかった「臆病者の勇気」でしかなかったのではないか…と私は考えます。
(註)…拙記事「残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~」参照のこと。
だからひたすら”強迫観念的”に勇敢であらねばならない。
そして、それに異を唱える者はその「気休め」の邪魔をする者だから、「非国民の敗北主義者」と罵り、排除せざるを得ない。
その結果、その勇気がアメリカ軍に通用するという一方的な思い込みの下、「戦いに勝つ」という”本来の目的”がないがしろにされ、いたずらに自軍の兵士を犠牲にするだけに終りました。
そうした過去の現実を見つめ、反省する。
それこそが、「本当の勇気」ではないでしょうか。
そうした事実から目を背け、ただ単に「日本軍の勇敢さ」を賞賛し、美談化する。
そして、日本軍の欠点を指摘されれば、まるで名誉でも毀損されたように受け取り、そう指摘した人間を「バカタレ」と罵り、相手の口を封じるような人間こそ、自らを見る勇気を持たない”臆病者”に過ぎないとしか私には思えないのですが…。
まさにこれこそ「反省力無きこと」の見本と言えるのではないでしょうか。
岸田秀の紹介はこれでオシマイにして、次回以降は、山本七平の「私の中の日本軍」から「トッツキとイロケの世界」について紹介していきたいと思います。
ではまた。
【関連記事】
・日本軍の実態【その1】~無能な司令や参謀が続出した日本軍~
・日本軍の実態【その2】~「死を恐れぬ勇気」で勝とうとした日本人~【追記あり】
・残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~
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