まさにノイジーマイノリティ特有のけたたましさですよね。
彼等の言い分をみていると決まって検察/検審ファッショだの素人による公開リンチだの小沢を排除する為の陰謀だの唱えています。
そして、必ず次のように結論付けます。
「今の日本社会は法治社会ではない。人権がいつ踏みにじられるかわからない人治社会なのだ」と。
まぁ、確かにある特定の視点に立てば、彼等の云うような側面は否定出来ません。
事実、起訴イコール罪人と見なされてしまう現象が存在することは過去にもあったことだから。
しかし、彼等の見方はいささかバランスを逸していると思う。
それは彼等の主張のほとんどが、彼等以外の人達が小沢一郎に対して抱いている数多くの疑問に全く答えていないことを見ても明らかでしょう。
それでいながら、検察サイドやマスコミサイドの落ち度を責める事ばかり汲々としている。
小沢擁護派の手にかかっては、小沢一郎の政治資金疑惑など、単なる手続きミス以外の何物ではなく、その主張を見ていると、まるで小沢一郎が全くの善人・無垢の犠牲者であるかのような錯覚さえ抱かざるを得なくなるほど。
もちろん、世の中、ひどい偏見を持った人間は幾らでもいます。
ただ、そうした人間が主張する「日本は法治社会ではない」という主張は果たして妥当なのでしょうか?
確かに彼等の指摘は、ある面では頷くことが出来ます。
ただそれは、多面的な物体のうちの一面を指摘したに過ぎません。
以前にも過去記事「感情国家・日本【その4】~「市民感情」がすべてに優先する日本~」で、ベンダサンの「日本は感情国家である」という指摘を紹介したように、いくら外国と条約を批准しようと、日本国民の感情に批准させなければ無効とされてしまう一面を、日本社会は持っているのですから、彼等の指摘も当たっていることは当たっているのです。
要するに、感情的に納得できない限り、いくら法的に正当な行為であっても、手続きに落ち度がなくても、その主張は無視され拒絶してしまう特徴を持つ社会なんですよね、日本という国は。
確かにこうした特徴だけをデフォルメして問題視すれば、日本は法治社会に非ず、暗黒の人治社会としか映らないでしょう。
では、一体その「感情」とは、何に基づいて生まれてくるのでしょうか?
私が思うに、その「感情」は「話し合い絶対」という原理に基づいています。
日本社会では、何よりも「問いかけと応答」という”対話姿勢”が重要なのです。
たとえ、全く対話にならない相手だとしても、相手を無視していきなり杓子定規に対応すれば、即座に非民主的・独裁的という批難を浴びることは、日本社会においてはざらです。
つまり、日本人という民族は、対話姿勢を取らない人間には極めて非寛容であるということですね。
そしてそのような人間は感情的に排斥してしまう。
だから日本では、ヒトラーのような独裁者が現れにくいのでしょう。
(その代わり、その感情に逆らう人間は法の保護も受けられなくなるという欠点がありますが)
たとえ主張そのものには納得できなくても、対話の姿勢を取り、「俺とお前」の二人称の関係を構築する/した、と見なされさえすれば、たとえ相手の主張そのものに頭では納得できなくても、感情的には納得しうるのが日本人なのです。
例えば江戸城開城における勝海舟と西郷隆盛の会談などは、その一例ではないでしょうか。
そうした「話し合い絶対」社会では、対話姿勢を取らないことは致命的ですね。
即、独裁的・非民主的と見なされてしまうわけですから。
そう考えると、大多数の国民が今回の措置に対して不審に思わず、小沢擁護派の主張に何ら耳を傾けようとしないのは、小沢一郎に対話の姿勢が全く見られない事にその原因を求めることが出来るでしょう。
そうした根本の原因をなおざりにしたままなら、いくら小沢擁護派が声高に検察ファッショだの素人のリンチだの叫ぼうが、国民の共感を呼ぶことは出来ません。
結局のところ、現状を見るに、小沢一郎は排斥されて行く運命にあるように思いますね。
ここまで読んでいただければ、日本社会というのは、「法」治社会であると言い切ることは出来ず、かといって、「人」治社会であるとも言い切れないことはご理解いただけるのではないでしょうか。
それでは、一体どういう社会なのでしょうか?
それは山本七平が著書「派閥の研究」の中で次のように表現しています。
すなわち、日本は「納得」治国家であると。
そしてその「納得」というのは、「人として」納得できればいいのであって、法律は二の次です。
つまり、どんな法律でも、絶対的ではなく、「人として」許容できる程度の違反は大目に見られる社会。
戦後、法律を遵守してヤミ米を摂らず餓死した裁判官がいましたが、日本社会においては法律を百パーセント遵守するのはありえない。
法律より「人間」が優先される社会ですから。
そうした社会では、法律を厳守する人間の方がむしろバカだと思われてしまう。
ですから、いくら法律で決められていようが、「人間性」に反する法律は全く無視されてしまう。
そうした一面だけを見れば、「法」治社会ではない。
かといって、無法社会ではないわけです。
そこには厳然として「人間性」という”あいまいな”規定・判断基準があるわけです。
確かにヤミ米を喰っていかなければやっていけない。
しかし、そんな状況でも「あいつは脱法行為をやりすぎだ!」と思われたら最後、それを罰する法律が探しだされてきて初めて咎められるわけです。
つまり、日本の絶対的基準は「人として、人間として」であって、「法律」ではない。
「法律」と「人間性」とが対立すれば、法律は形骸化してしまい易い社会なのです。
上記のヤミ米エピソードについては、過去記事「憲法至上主義者のオ○ニー行為が、憲法を毀損してゆく…(笑)」の記事の中で引用紹介した「日本人とユダヤ人」の記述を参照していただくとわかりやすいかも知れません。
この「人として」という基準は、その時点、その社会情勢に応じて変動しますから、実に曖昧であって、それを「法」治的視点から見れば、全くの「人」治社会にしか見えないのも無理はありません。
しかし、そうした「法」治的視点から見ている人間ですら、普段、自らが行動するときには、「納得」治的視点で動いているのが常なのです。
日頃は、「納得」治社会の人間として振舞っていながら、特定の問題についてはいきなり「法」治社会の人間として振舞う。
問題なのは、この「ダブル・スタンダード(二重基準)の使い分け」を自覚していない日本人が多いことです。
自らが無意識的・無自覚的に従っている行動規範(人間性に基づく話し合い絶対主義/「納得」治社会)に拘束されていながら、何が自分の行動を拘束しているのかわからない。
わからないまま、日本社会が、民主主義と法治の社会だと思い込んでいる。
そしていざ、この思い込みに反する法治とは思えない出来事が起こると、即座に「日本は人治社会だ」と思い込んでしまい、声高に騒ぎ立てるわけです。
今回の小沢擁護派のように。
これは、小沢擁護派だけが陥り易いわけではありません。
この「使い分け」を自覚していない限り、誰でも陥る可能性があると思います。
だから、自らのその時々のポジションに応じて、ある時は「法」治社会の人間として振る舞い、ある時は「納得」治社会の人間として振舞う例が、後を絶たないのだと思います。
そうなってしまうのも、結局は、自らを拘束している行動規範をキチンと自覚していない為です。
その振る舞いが、オポチュニスト(機会主義者)の行動と同じになってしまうのはある意味、当然ですよね。
そして、こうした機会主義者は、自らのそうした振る舞いを咎められると、必ず次のような態度を見せるようになるものです。
1.徹底した応答無視
2.逆切れ
3.話題逸らし
4.揚げ足取り
小沢擁護派には、これらの要素を多分に見いだすことができますね。
反小沢派の民主党の政治家達も同じ傾向が強い。
類は友を呼ぶって奴ですね。
それはさておき、こうした小沢擁護派に「納得治社会」である日本を糾弾する資格があるでしょうか?
私は全く無いと思います。
彼等は「対話の重要性(納得治社会の実現ということ)」とかを普段唱えていながら、いざ自らの立場が悪くなると、都合よく「法治の厳格な実施」を要求する。
いわば、「納得治社会」が生んだ典型的オポチュニストが、自らの社会の特徴もわからずに批判しているだけなのです。
原因もわからないまま、対処しようとしているだけの行為なんですよね。
その結果、起こるのは混乱だけ。
その混乱に乗じて、小沢一郎は延命を画策している。
結局は、扇動者の跋扈を助長するだけなのです。
いい加減、この悪循環を断ち切りましょう。
その一歩として、まず、自らが無意識に従っている行動規範を自覚すること。
これが出来なければ、いつまでたっても日本人はこの泥沼から抜け出せないでしょう。
【関連記事】
◆感情国家・日本【その4】~「市民感情」がすべてに優先する日本~
◆憲法至上主義者のオ○ニー行為が、憲法を毀損してゆく…(笑)
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