キブツって、コルホーズや人民公社のイスラエル版?という程度のイメージしかなく、このコラムを読んでキブツの一面を初めて知ったわけですが、今回この記事をUPするにあたって一応wikiに当たってみました。
・キブツ(wiki)
↑これを見ると、キブツ人口は、イスラエルのたった7%に過ぎないようですね。この数字も、紹介するコラムを読むと「さもありなん」と言う気がしてきます。では引用開始。
「常識」の研究 (文春文庫)
(1987/12)
山本 七平
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◆「理想郷」からの逃避
(~前略)
キブツ・ノフ・ギネソールを見学する。
何回か来たキブツで、このホテル同様のゲスト・ハウスに滞在したこともあった。
いつ見てもその面影は変わらないように見えるが、年々施設は立派になっていく。
キブツは言うまでもなく私有財産のない共同体だが、キブツ自体の共有財産は蓄積されていくので、それが立派な施設になっていく。
歴史の古い大キブツはみな同じ傾向にあり、それは建設の意気にもえるというより、一応の目的を達してあとは徐々なる充実へと向かっている段階のように見える。
その昔、これらのキブツを訪れた進歩的な日本人はみなこれを絶賛したものであり、森恭三氏なども感動に満ちたベタボメの一文を発表している。
「人間の顔をした社会主義」などという言葉があるが、キブツはすでにその状態を通り越して「能力に応じて働き必要に応じて支給される社会」、すなわち共産主義者が遠い目標として掲げている社会を実現している。
キブツ・ノフ・ギネソールも、すでにその段階である。
そしてここは、社会主義国のように何も隠しておらず、ありのままを見せているから、人がその実情を知らずに「労働者の天国」と誤認することもない。
またここで数年働いた後にヘブル大学へ行った日本人学生もいるから、一切の実情は明らかである。
その学生の案内でキブツをまわり、その人の説明をきく。
日本語で自由に質問し、相手も自己の体験を交えて自由に語る。
それは共産主義社会がそのタテマエ通りに運営されればどういう状態になるかを、そのまま物語っているといえよう。
病院、産室、幼児室、小学校から高校、図書館、映画館、娯楽室、老人ホーム等々、文字通り「ゆりかごから墓場」までのすべてが保証されている。
また労働はすべて「能力」に応じ、老人になれば希望する者だけが一日二、三時間の軽労働という形で軽減され、虚弱者などもすべて労働が軽減されているが、支給は平等、能力に応じて働き、必要に応じて支給されている。
さらに、各種委員会は全部任期一年で、全員の直接投票で選出される直接民生制である。
また本部や共同食堂などの管理は、各作業グルーブによって輪番制で行われている。
食事は三食ともセルフ・サービスで同じものを食べるわけだが、品数が多いので選択の余地はある。
同時に病人食、老人食も用意されている。
それは、まるで絵に描いたような共産主義共同体である。
昔の進歩的日本人はアラブヘの配慮はなく、社会主義は手放しの礼讃の対象であったから、こういう状態に異常な感動を示し、これを人類の到達する理想の状態と見て不思議ではなかった。
しかし、今日このキブツを紹介された人びとの反応は達っていた。
多くの人がまず感じたことが、「この先に何かあるのだろう」ということである。
そのためか期せずして質問はここで生れ育った人はどうなるのか、自動的にこのキブツの中で一生を送るのか、ということであった。
確かにすべては保証され、失業も生活不安も老後の心配もないのだが、自分の一生がすべて見えてしまう状態に若い人が耐えられるのであろうか。
これがその質問の底にあった疑問である。
案内の留学生氏は次のように答えた。
「十八歳まではキブツで育てられます。そこで兵役があり、これが終わると一年間の休暇があります。この休暇の間は広く一般社会を旅行し、見学し、また働くなり遊ぶなりしてさまざまなことを体験し、その上でキブツに残るか、一般社会に出ていくか、自分で決断することになっています」と。
その決断は各人各様だが、総体的に言えばキブツの人口は増加しておらず、むしろ減少の傾向にある。
みな、何となくそうだろうなあという顔でうなずきあっていた。
「これで完成した」というその先のない社会は、どのように保証され、どのように快適であっても、人々の精神を充足しきれない何かがあるのであろう。
これも一種の閉塞社会かも知れない。
社会主義-共産主義体制は、理想的に運営されてもこういった状態であろう。
これがもし各人の意志でなく上からの強権で強制的に施行され、しかも秘密警察的監視があり、能力以上に働かされて物資が矢乏しているとなると、そういう社会から逃げ出せるなら逃げ出したいと思う人びとが多くても不思議ではあるまい。
経済的には何一つ不自由ないキブツで生れ育ちながら、資本主義社会の荒波の中へと去って行く若者も多いのだから――。
社会主義が魅力を失って当然であろう。
【引用元:「常識」の研究/Ⅰ 国際社会の眼/P38~】
このコラムに取り上げられている「キブツ・ノフ・ギネソール」というのは、ググッて見てもヒットしませんでしたので、ソースがこのコラムだけというたよりない前提で、以下短い感想を。
これを読むとやっぱり「人はパンのみで生きるにあらず」と思えてしまいますね。
社会保障の完備した社会とは、未来の無い閉塞社会なのかもしれない。または、進歩の無い停滞社会なのかも…。
我々の頭の中には「社会保障は絶対的に善」という固定観念がありますが、少しは疑ってみる必要があるのではないかと最近よく思います。
次回も、これに関連すると思う山本七平のコラムを紹介する予定です。ではまた。
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