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山本七平マンセーブログ。不定期更新。

サンヘドリン規定「全員一致の議決は無効」一考/~浅見定雄の山本批判に妥当性はあるか?~

【注意】…H21.4.27追記
この記事を読む前に、こちらの記事をまず参照されたし。



以前から、イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」を、批判する時に必ず持ち出されるのが、浅見定雄氏の「にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)」↓でした。

にせユダヤ人と日本人 (1983年)にせユダヤ人と日本人 (1983年)
(1983/12)
浅見 定雄

商品詳細を見る

私はあいにく未読であるので、浅見氏の主張が正しいかどうか今まで判断することは出来ませんでした。

ただ、アンチ山本七平から必ずと言っていいほどこの本を突きつけられたので、「へぇ~、ベンダサンの主張にも間違いがあったのか。でも、自分は、彼の日本人論の部分を評価しているだけだから、たとえ彼がユダヤ人の規定解釈で間違っていたとしても、それで以って彼の主張を否定しようとは思わないな」…程度に考えておりました。

ところで、この本から必ずといっていいほど引き合いに出される批判が、イエス・キリストが活躍していた時代のユダヤにあったサンヘドリン(国会兼最高裁判所のようなもの)の規定「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」とのベンダサンの記述なんですね。

最近よくコメントを入れてくれるApeman氏もご自分のブログ「Apes! Not Monkeys! 本館」上で、ベンダサンのサンヘドリンの規定解釈が間違っていると批判しています。
(詳細は、本人のブログ↓の下記リンクを参照されたし。)

・コピペされ続ける間違い

このApeman氏の記事を見て、このサンヘドリンの規定を巡る解釈について、浅見氏の主張というものが初めてわかったので、今日はベンダサンと浅見氏の解釈を検証して見たいと思います。

まず、浅見氏の批判の対象となった、ベンダサンの記述部分を引用してみましょう。

(~前略)

サンヘドリンというのはイエス時代のユダヤの国会兼最高裁判所のようなもので、七十人で構成されていた。

当時の法律は、いわばモーセ以来の律法が厳として存在し、問題はその解釈と適用だったから、厳密な意味では立法権はないが、新解釈には「立法」といえる面もあった。

またこの解釈と判例に基づいて判決を下したのだから最高裁判所でもあった。
イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである。

この判決に(新約聖書の記述が歴史的事実なら)少々問題がある。
いや少々どころではない。実に大きな誤判をやっているのである。

というのは、サンヘドリンには明確な規定があった。
すなわち「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。

とすると、新約聖書の記述では、イエスヘの死刑の判決は全員一致だったと記されているから、当然、無効である。

この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。

だがイエスの場合、このいずれをも無視して刑が執行されている。

律法の番人を自任していたサンヘドリンにしてはいささか解せぬことだが、これは私の考えではおそらくキリスト教発生時の創作だろうと思う。

というのは当時のキリスト教徒はもちろんその殆どすべてがユダヤ人であったから、彼らは、イエスの処刑は違法だと言いたかったのであろう。

事実彼らはイエスをモーセ、エリヤ、ダビデの正当の後継者と信じ、救いの主と信じていたから、違法に処刑されたと考えるのが当然であったろう。

しかし、それが、時も所も異る日本に来ると、日本人キリスト教徒のように「一人の反対もなかったということは、いかに人間が完全に罪に染まっているかを如実に示している」といった見方にかわってしまう。

(後略~)

【引用元:「日本人とユダヤ人」/六 全員一致の審決は無効/P100~】


上記引用のベンダサンの主張を箇条書きにしてみると次のとおりになるかと。

・サンヘドリンには「全員一致の議決は無効」という規定があった。

・この規定に触れた場合の処置は、次の二通りと解釈されている。
 (1)「全員一致」は偏見に基づくのだから「免訴」にする。
 (2)「全員一致」は興奮による「誤判」である可能性が高いから、一昼夜おいてから「再審」する。

・イエスの処刑は、(新約聖書の記述が正しければ)この規定に違反する。

・しかし、新約聖書の記述は、イエスの処刑を違法だと主張したい後世の人間による創作だろう。


ここで一つ注意しておきたいのが、ベンダサンの主張は、イエス・キリストの処刑(すなわち死刑の判決)を「前提」に展開されていることです。

それを踏まえて、いよいよApeman氏のブログ記事から、彼と浅見氏の記述を引用していきましょう。

まず浅見氏は『日本人とユダヤ人』の当該箇所のネタ元が『イエス時代の日常生活』(ダニエル・ロプス、山本書店!)の「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』」という箇所であると推定する。

そのうえで、タルムード第4章第1節に次のような規定があることを指摘している。


死刑罪でない裁判(直訳すれば「財産の裁判」)はその日のうちに完了してよい。

しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。


(『にせユダヤ人と日本人』、69ページ)


このテキストを解釈してみましょう。

タルムード第4章第1節の前段の部分「死刑罪でない裁判(直訳すれば「財産の裁判」)はその日のうちに完了してよい。」ですが、これはつまり、

・財産の裁判なら、全員一致でも決議は「有効」とする。

という解釈をすることができるでしょう。要するに、仮に全員一致で「誤判」であっても、その「誤判」を無効にする必要はない、といったところでしょうか。

続いて、後段の部分「しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。」の解釈ですが、これは、次のように解釈されると思います。すなわち、

死刑の裁判が全員一致で「有罪」であったなら、「翌日に裁判をやり直す」。

浅見氏の記述を見ると、どうやら彼の解釈も同じと見て間違いないと思います。
それではここで、ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の記述に戻ってみましょう。

この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし

ということは、ベンダサン説のうちの一つは、「翌日に決議をやり直す」という解釈そのものです。
つまり、サンヘドリンの規定が、翌日の再審を意味するとすれば、(ベンダサンの解釈は)なんら矛盾するものではない、ということになります。

さて、それでは浅見氏は一体「ベンダサン説のどこがいけない」と主張しているのでしょうか?
Apeman氏が引用した浅見氏の記述と思われる部分を引用して見ましょう。

死刑罪でない裁判では、全員が(被告の)有罪を主張しても無罪を主張してもよい。

しかし死刑罪の裁判では、無罪の主張は全員がしてもよいが、有罪の主張は全員でしてはならない。


(『にせユダヤ人と日本人』、71ページ)


上記の浅見氏の主張を、Apeman氏は次のように補足説明しています。

要するに死刑が科されない罪についての裁判は「全員一致」の判決でかまわないし、死刑罪の場合でも「無罪」判決は「全員一致」でかまわない。

死刑を宣告する場合にのみ「全員一致」の判決は回避されることになるが、それは「全員一致は無効だから」ではなく、(浅見氏の解説によれば)「被告人の生死にかかわる場合には必ずだれか弁護をする側に廻るよう義務づけるため」である。


このApeman氏の前段の解釈は、そのとおりだろうと私も思います。
問題になるとすれば、後段の解釈。

「全員一致は無効だから」ではなく、(浅見氏の解説によれば)「被告人の生死にかかわる場合には必ずだれか弁護をする側に廻るよう義務づけるため」である。

特に、「だれか弁護をする側に廻るように義務づけるため」という解釈は、一体元の規定のどこをどう読めば、そんな解釈が出てくるのでしょうか。

百歩譲って、そういう解釈が出来るとしても、それはベンダサンのいう「偏見」や「興奮に基づく誤判」への対処法であって、一つの手段に過ぎません。

仮に浅見氏の解釈が正しいとしても、結局、「誤判」を避ける為の措置であることは、変わりありません。違うとすれば、その結論に至る過程が違うだけです。
両者の解釈の違いを、簡潔にまとめてみました。

【ベンダサン説】
・「(死刑判決における)全員一致」の判決は「誤判」の恐れがあるから「無効」にして、翌日「再審」する。

【浅見説】
・「死刑判決」の場合「有罪ならその日のうちに完了してはならない」と規定があるから、「弁護」を義務付けるべく「再審」する。


果たして、両者の結論に違いがあるのでしょうか?結論に至る過程の解釈が違うだけではないでしょうか?

しかしながら、実際、浅見氏は、ベンダサン説を批判しています。
それでは浅見氏が、ベンダサン説を批判する根拠とは一体何なのでしょう。

それは、「財産の裁判」と「死刑の裁判」とで、処置が異なるという点だと思われます。
Apeman氏は次のように述べています。

つまり判決が「繰り越し」となるのは全員一致かどうかによるのではなく、死刑判決であるかどうかによる、ということ。


要するに、浅見氏(Apeman氏)の解釈をまとめると次のとおりになるかと。

・「全員一致」だから、「繰り越し(翌日に再審)」になるのではない。「死刑判決」だから、「繰り越し(翌日に再審)」になるのだ。
    ↓
・なぜなら「財産判決」の場合は繰り越さないと規定されている。
    ↓
・だから、ベンダサン説の「全員一致→無効」というのは誤りである。


しかし、よくよく考えてみるとこれは、単にベンダサン説を「誤読して」批判しているにすぎません。

そもそも「日本人とユダヤ人」の該当箇所を読み直してみればわかることですが、ベンダサンはサンヘドリンの規定を持ち出すにあたって、イエスの”死刑”判決を例に引いているんですね。

つまり、「死刑の判決」のケースを当然の「前提」として話を展開しており、「財産の判決」のケースについては全く言及していません。

ですから、当然、ベンダサン説における「全員一致の判決」というのは、すなわち「死刑の判決」のことと見なすべきです。

この関係をわかりやすく図示してみると次↓のようになると思います。

サンヘドリン規定フローチャート

単に順番どおりに、説明していないから「間違いだ」といっているに過ぎないのがわかりますね。

結論になりますが、浅見氏やApeman氏の批判というのは、ベンダサンの意図を(故意か偶然かわかりませんが)一切無視しており、誤って解釈するという「誤読に基づく」批判であるといっても差し支えないのではないでしょうか。

しかし、アンチ山本七平の論拠の内容を知ることが出来たのは私にとっても収穫でした。

なぜならば、「ベンダサンの主張がウソだ」と高言しているアンチ山本七平の連中の「批判の粗雑さ」を改めて確認することができたわけですから。

そういう意味では、とりあえずはApeman氏に感謝しなければならないんでしょうね。

ただApeman氏による浅見氏の引用が、正確かどうかという問題もあるので、やはり一度原典にあたる必要はあるとは思いますが…。


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コメント

潜水艦さん、ご自分はヌルリと逃亡ですか。

潜水艦さん、Apemanさんに「ヌルリと逃げるつもりかね」と絡んでいた本人が、こっちはどうしたの↓

http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-197.html#comment1362
「十条は『パッチギ!』大好き」発言→断定した根拠を問われる→断定に足る根拠を示せず→想像と事実の区別が付けられないトンデモ人間と判明→返答なし(現在逃亡中)

自分は逃亡しても許されるということかな?

またapeman先生が話をそらしてるね(´ー`)y-~~

http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-197.html#comment1360
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-184.html
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-185.html
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html

こっちでさんざんやってきた「百人斬り」の議題を山本七平の話にすりかえようとして必死だね。ま、apeman先生がどう見えるかはちゃんと過去ログを読んだ方々に判断をおまかせするよ。
正面突破がムリとなるとつまらん小細工をしたがるのが宗教サヨクだね。もっとも、本人は今の自分で頭がいっぱいで何が言いたいかもわかっとらんのかもしれませんがね。

しかしさ、自分たちが「本多勝一教徒」だからって、他人様がそーゆー風に見えるのかね? 
好きな本あったって内容全部が好きとは限らんし、著者と同じ考え方ってこともないのにね。
再掲になるけど、

「このひとのここは好きだけど、ここはちょっとイヤだな~。」とか、「この分野は面白いけど、こっちの文章はダメだね~。」とか、読書や人付き合いって相反する評価を持ってて当たり前なんだよな。だが、百点か0点でしか判断できないのがサヨクイデオロギーでね、何でもかんでも政治イデオロギーを通してしか評価できんのが宗教サヨクなんだよね。
あの旧ソ連ですら、知識人が自由に語れるサロンを黙認してたというのに、日本の宗教サヨクは中国と文革をお手本にしてるから始末に負えんねぇ・・。

しかしapeman城では、「先生の言うとおり!!」とか盛り上がってて不気味だね。サイレンの屍人たちのようだね。
「百人斬りapeman説」の数行も書けないのに、山本七平を全否定なんて出来るかは置いといてw そーゆー文章を読んだ人間はいいとこ山本の本を読まなくなるぐらいで、宗教サヨクに染まることはあり得んしなぁ・・。それとも、やっぱり本多勝一尊師にとっての「宿敵」だった山本を叩きたくてたまらんだけなのかね? それだったらいつもの「宗教戦争」なんだがね。

サイレン屍人の宗教サヨクにとって、素晴らしいサヨク達と異教徒の二種類が戦い続ける世界観らしいからね。こーゆー偏狭さゆえに「宗教サヨク」なんだけどね。

サヨクの考えを常人が理解するのは難しいんだ。日本語を書いてても見てる世界が違うんだね。
「寄生獣」で人間とパラサイトがわかり合えないのと同じでね。わかり合いたいひとはエサになっちゃうんだけどねw

哀れなりサヨク。

  • 2009/05/28(木) 20:33:37 |
  • URL |
  • 潜水艦 #3un.pJ2M
  • [編集]

七平トリック

まだまだある七平トリック。一人でも被害者が減るよう、告知にこれ努めたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090525/p2

ま、これも枝葉の話なんだがね(´ー`)y-~~

宗教サヨクには「誤読」「聖戦」というスキルがあることは前に説明済みだね。中島某が小林の「パール真論」でマグロの解体ショーみたいに主張を「虐殺」された時もそれを暴かれてたっけね。
自らの信じるイデオロギーに逆らう人間を全否定せずには収まらないのが「聖戦」。ふつーに読めばいいテキストをどうやって貶めるように読み取るか必死で誤解しようとする「誤読」。

この二つのスキルをもってしても越えられない壁(百人斬りの説明とか宗教的タブーでできない場合など)なんかがあると、全然違う話に逃げようとする。これもよくある手口なんだよね。気をつけないとそのうち「パンダはかわいいと思いませんか?」なんてぐらいズレてくのでご用心だよ。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20081205

プロもよくやる手口なのね。「インパール牟田口」なapeman先生でも使うぐらいお手軽なんだがね。
「迂回はムダだよー。」と教えるために多少つきあうのもいいけど、話題が元に戻ったらダメだとわかってる先生は必死でそらし続けるだろうからこの話題はほどほどがいいだろうね。主題は「百人斬り」の有無だよ。
交通整理のお兄さんのごとく、先生がどんなに逃げようとしても戻してあげてるからきっと本人も喜んでるでしょうな。なに、感謝の言葉なぞ要りませんよ。答えてくれるだけでいいのでねw

サヨクのしたいのは「議論」じゃなくて「宗教戦争」なんだよ。日本の戦国時代に神社とかが僧兵だしあって合戦したり焼き討ちしてたのと同じでね。同じ日本人と見ようとするから間違える。彼らはサヨクです。そこをお忘れなく。

原典にまでいちいちあたる必要はないと思いますぞ。先生の狙いは「百人斬り」から話をそらすこと自体なんですからな。そうすりゃ最悪でもウヤムヤにできると当てこんでるわけなんでね。
職場で一番使えなくてプライドだけ高くて、ミスを指摘されると徹底的に言い逃れしようとするのが一人は居るでしょ? それを思い浮かべながら対処すればいいんですよ。宗教サヨクはそんなもの。

でも、先生はここ以外のコメント欄は極力放置して逃げたいのが本音だろうね。ここ以外に話をそらせそうなトコがないから先生も必死なんだよ。猿獲り網のないところへと必死に走ってるわけなんでね。でも、フタはしてあるから先生も安心ですな。
(´ー`)y-~~

  • 2009/04/25(土) 12:52:43 |
  • URL |
  • 潜水艦 #3un.pJ2M
  • [編集]

もう一度強調しておきます

「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった」などという記述はタルムードにはありません。あるのは『イエス時代の日常生活』です。そして浅見定雄は、タルムードにあるミシュナをもとに『イエス時代の・・・』のこの記述は間違いであると指摘しています。
これに反論できないのに「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった」という記述があるのはなぜか? なんて問を立てるのはナンセンスです。

「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった」などという記述はタルムードにはありません。

>「イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである」との前書きがあります。

そんなものを「前書き」とはいいません。ではお尋ねしますが、第6章はなにのはなしから始まってますか? イエスの裁判ですか? 違いますね?

>それが「主題」に関係ないから言及しなかったと思われます。

なんで関係ないんですか? 第6章は古代ユダヤにおける死刑の問題を扱ってるんですか? 違いますね?

>ありもしない規定って何の話ですか?

もちろん「全員一致は無効」という規定のことです。あなたが「ほれ、ミシュナのどこそこにそういう規定があるじゃないか」と指摘できれば解決する問題ですが。

>もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

だ・か・ら、これが間違いなんですよ。死刑の有罪判決はすべて翌日まで「繰り越し」なんです。ミシュナにそう書いてあります。間違った前提に基づいて理屈をこねくり回しても正しい結論は出てきません。

>なぜそのような規定が存在したのか、解釈する必要はないということかな…

だ・か・ら、あなたが妄想しているような規定は存在しないのです。死刑で有罪の場合には(2票差以上で有効な判決の場合)すべて翌日まで「繰り越し」になる、というのが実際に存在する規定です。したがって、その規定の意味が「全員一致の弊害すなわち偏見・興奮に基づく「誤審・誤判」を防ぐこと」であるはずがない。実に明快でしょう? 「事実」に基づいて議論しましょうよ。

>なぜそのような規定が存在したのか、解釈する必要はないということかな…、というかひょっとしたら解釈する能力がないだけなのかも…。

あのですね、規定の趣旨について解釈するには、まずどんな規定が事実として存在したのかを確認することが必要でしょ? ありもしない規定をあると信じてさまよってるのがあなたです。

>もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

だ・か・ら、それは『イエス時代の日常生活』にある記述でしょ? タルムードに書いてあることじゃありませんよ。で、その記述が間違ってると浅見氏は指摘しているわけ。現に、そんな規定はミシュナにはありません。実際にあるのは、あなたも引用している通りの

>しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。

というものです。「全員一致」なんて関係ないでしょうが。

>バカバカしいのはあなたですよ。

返事になってませんよ。山本ですら「創作」だろうと言ってることをあなたは史実と前提して議論するつもりですか? イエスかノーで答えられる問です。

”単純思考の悲しさ”はまさにあなたにあてはまることでしょう。七平センセは正しい、だから七平先生は正しい。あなたが言ってるのは実質的にはこれだけです。

>サンヘドリンの規定についてはこれだけです。
>つまり、財産の裁判のケースについて何ら言及していないし、全員一致して無罪のケースも言及していない。

そうですね。そして「サンヘドリンの規定」についてはそれが「死刑の、それも有罪の判決のときに限る話」などという但し書きはついていないのですから、読者は当然あらゆる議決において「全員一致は無効」なのだと理解するでしょうね。現に『日本人とユダヤ人』はそう読まれてきました。今になってあなたが笑うべき屁理屈をこねているだけで。

>ただ、そうした規定があり、それに従っていたならば当時のユダヤ人には納得できるものだったんじゃないですか。

ま、実際にはそんな規定はなかったんですがね。

>そんなことは馬鹿でもわかるくらい当たり前のことです。

その当たり前のことを認めたくなくて悪あがきしているのがあなたです。

>・もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

だからこれは誤りなの。それは『イエス時代の日常生活』に書いてあることで、タルムードから引用されているわけじゃないの。

>上記の規定及び事例から「全員一致の判決は→偏見・興奮に基づく誤審と考えられるから→無効にして再審する」という「真意」を汲み取ったのが、ベンダサン説なのであって

違います。ちゃんと『日本人とユダヤ人』を読んでみましょう。だいたい七平センセは『イエス時代の日常生活』には言及してないし。七平センセは「サンヘドリンには明確な規定があった。すわなち『全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする』と」と書いてるんですよ? 「明確な規定」ですよ? 妙な屁理屈をこねまくってようやく到達できる架空の規定ではなく、「明確な規定」です。さあ、その「明確な規定」はタルムードのどこに書いてあるんですか?

>総督ピラトは、イエスを処刑したくは無かったのですよ。

初期キリスト教徒の書いたものを鵜呑みにするんですか(笑) 実際にはピラトは多くのユダヤ人を処刑していたことが明らかになってます。聖書学の常識です。

>確かにどっちも重大事だとは思うが、古代ユダヤ人はそのように規定を運用していたわけで、それを私はそのように解釈しただけの話です。

いやだから、「古代ユダヤ人はそのように規定を運用していた」ということを証明して下さいよ。『イエス時代の日常生活』以外のソースで。それが出来なきゃ、結局「七平先生は正しいから七平先生は正しい」にしかなりません。

>ですから、「最低一人が被告発者のために弁護することを保証せよ」なんて解釈が正しいとする根拠はいったいどこにあるのですか?

解釈じゃありませんよ。ミシュナにそう書いてあるんですよ。私のエントリで引用しておいたでしょ? 

> 死刑罪でない裁判では、全員が(被告の)有罪を主張しても無罪を主張してもよい。しかし死刑罪の裁判では、無罪の主張は全員がしてもよいが、有罪の主張は全員でしてはならない。
(『にせユダヤ人と日本人』、71ページ)

これこそ「明確な規定」です。

>前のエントリ「自己欺瞞と偽りの謝罪論」でも書いたけど、アンチ山本七平の連中が、どうしてここまでヒステリックに否定したがるのか…

「ヒステリック」はあなたの内心の悲鳴を投影したものに過ぎませんが、要するにインチキに騙される人を見るのは忍びない、ってことですよ。

>だいたい、ベンダサン説を躍起になって否定しまくるApemanさんの姿勢を、浅見説に適用してみれば、浅見説だって、たちどころにインチキ説・珍説扱いになっちゃうのに。

へえ、そうですか。後学のためにやってみせて下さいよ。そのためにはまず『にせユダヤ人と日本人』をちゃんと読まないとね。

>もう一度引用しますが、
>
>もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』
>
>という記述がなぜ存在するのか、よく考えてから物を言ったほうが恥を晒さずにすみますよ。

もう一度言いますが、それはあくまで『イエス時代の日常生活』に書いてあることに過ぎません。タルムードに書いてあるんじゃないんです。浅見定雄はその記述がそもそも間違っている、と指摘しているんです。だから、その記述が正しいことをあなたが証明できない限り、あなたは「誤りである」と指摘された前提にしがみつく哀れな亡者に過ぎないんです。

>しかし、ウソも百回付けば真実になるとはよく言ったものだ。

私がもってる『日本人とユダヤ人』は第61版なんですが、文春から出てる奴などもあわせれば100版くらいいってそうですね。実にぴったりだ。






馬鹿らしいと思ったが、一応反論しておきましょう。

Apemanさん、回答が遅くなり申し訳ない。仕事が忙しいので勘弁してくださいな(もひとつレスを書こうと思っているのですが、書く暇がないので明日以降にさせてください)。

>だとすれば「全員一致は無効」がイエスへの死刑判決を「前提」してる、なんてことはありえないはずですが?

「ありえないはず」なんて一方的に決め付けないでください。これはApemanさんお得意の「曲解」ですよ。
そもそも、原文読んでみれば、サンヘドリンの規定の説明に入る前に、「イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである」との前書きがあります。これを踏まえて話が展開しているのに、どうして前提でないなどと否定しうるのか?全く理解できません。

確かにベンダサンは「財産の判決」の場合には、「全員一致=無効」ではないことに言及していませんが、あくまでも「言及していない」だけで、それが「主題」に関係ないから言及しなかったと思われます。

それを、そうでない場合があるから、全くの誤りであると勝手に断定し、嘘つき呼ばわりしているだけの話なんですよね。浅見説というのは。

>>その規定の真意は、まさに全員一致の弊害すなわち偏見・興奮に基づく「誤審・誤判」を防ぐことですから、

>え~? 一体その根拠はなんですか? 山本「事実であろうと、なかろうと」七平はありもしない規定を盾にそう言ってるに過ぎないんですよ?


ありもしない規定って何の話ですか?

しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。

が元の規定ですが、この規定および実際の運用状況を記した

もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

から見て、その規定の「真意」は、「全員一致の弊害=誤判」を防ぐため以外、考えられませんが何か?

>>そもそも、浅見説「死刑判決→無効」のベースには、「全員一致」=「偏見/興奮に基づく誤審」との認識があることは否定できない事実です。

>え~? 「否定できない事実」? 一体その根拠は何なんですか? 浅見さんは「全員一致には偏見/興奮に基づく誤審のおそれがあるからタルムードでは否定されている」なんてことを主張してませんよ? 偽ユダヤ人の勘違いを勝手に投影しないで下さい。「事実」に基づいてはなしをしましょうよ。それとも「事実であろうと、なかろうと」なんですか、ここでも?


なるほど。規定を字句どおりしか読みこなせないApemanさんによれば、「死刑判決」→「翌日再審」と書かれた事だけが「事実」というわけですね。
なぜそのような規定が存在したのか、解釈する必要はないということかな…、というかひょっとしたら解釈する能力がないだけなのかも…。

私は、浅見説でも「弁護するため」と解釈していることから、浅見氏も「誤審」対策だと認識していたと判断し、そのように書いたのですが。
まぁ、それが誤りと言うならこの点については撤回しても構いませんよ。

>>>問2-6 サンヘドリンの規定によれば、死刑にかかわる罪の裁判において「全員一致で有罪」の判決が出ることはありえない、ということは理解できるか?

>>「ありえない(不可能)」でなく、「あってはならない(禁止)」ということでしょう。

>制度上「禁止」されているのだから「ありえない」のですよ。とりあえず議決して、もし全員一致だったら無効にされる・・・なんて仕組みではありません。


それじゃ、なぜ

もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

という記述があるのですか?
これは実際に、全員一致の有罪判決がでたから、「繰り越しになった」という事例を挙げているわけですから、「ありえない(不可能)」ではなく、「ありえた」わけでしょうに。

>>イエスの裁判が全員一致であったと主張されているのですから、実際「ありえた」のです。

>山本「事実であろうと、なかろうと」七平ですら福音書の記述は「キリスト教発生時の創作だろうと思う」と書いているのに、あなたはそれを「史実」としてはなしを進めるのですか(笑) 聖典くらいちゃんと読みなさい。バカバカしい。


バカバカしいのはあなたですよ。
繰り返しますが、

もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

という記述がなぜ存在したのか、人のことを哂う前にきちんと説明してごらんなさい。

>>>問2-8 「財産の罪」に関しては有罪判決であれ無罪判決であれ「全員一致」の判決が「有効」であることは理解できたか?

>>理解できます。

>はい、本当ならもうここで話はお終いですね。それ以降は「悪あがき」に過ぎません。


そこがApemanさん特有の”単純思考の悲しさ”ですよ。
Apemanさんは、白黒でしか判断できないデジタル脳のようですね。
そもそも、ベンダサン説を簡単にまとめると次のとおりです。

1.「全員一致」は偏見・興奮による「誤審」と考えられるから「無効」と判断できうる。
2.前記について、サンヘドリンの事例を挙げた。

サンヘドリンの規定についてはこれだけです。
つまり、財産の裁判のケースについて何ら言及していないし、全員一致して無罪のケースも言及していない。

言及していないということは、「必ずしも断定しているわけではない」ということが、デジタル脳のApemanさんにはわからないようですね。

ここの違いがわからんから、すぐ「インチキだ、嘘つきだ」と短絡的に判断するのでしょうが、その判断を他者に押し付けたり、従わない者に嘘つきだのインチキだのレッテルを貼るのはやめたほうがいいと思いますよ。見苦しい限りです。

>>ただ、全員一致(つまり誤審)の無罪判決なら、被告の権利の侵害にはなりえないから「有効としている」だけでしょう。

>一知半解説によれば「全員一致=誤審」なんでしょ? 死刑罰のある重大な犯罪に関して「誤審」が行なわれても古代ユダヤ人は平気だった、と言いたいわけですか?


さあ、私は古代ユダヤ人じゃないからわかりません。ただ、そうした規定があり、それに従っていたならば当時のユダヤ人には納得できるものだったんじゃないですか。

>>ただ、「全員一致の議決が無効」となるような場面など決して存在しない」なら、そもそも、この規定の存在意義がありませんね。

>ええ、だからそんな「規定」など存在しないのですよ。わかりました? 存在しないものを「存在する」と言い張るからそういう変なことになるのです。


そもそもApemanさんの意味する「存在しない」というのは、「全員一致の議決が無効」という字句そのものの規定が存在しないという意味でしょ。

そんなことは馬鹿でもわかるくらい当たり前のことです。

・しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。

・もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』


上記の規定及び事例から「全員一致の判決は→偏見・興奮に基づく誤審と考えられるから→無効にして再審する」という「真意」を汲み取ったのが、ベンダサン説なのであって、これは規定そのものではなく規定の「解釈」ですから、存在しないのは当たり前でしょうに。

浅見説というのは、どうやら、「字句そのものの規定がないから、ベンダサン流解釈は有り得ない」と決め付けるだけのモノみたいですね。

結局そういう否定方法しか取れないのがApemanさんら左翼の限界といったところでしょうか。
正直見ていて見苦しいですね。

>要するに「サンヘドリンがイエスを死刑にした」というのは初期キリスト教徒のプロパガンダに過ぎず、実際にイエスを死刑にしたのはローマ当局だ、ということですよ。

人に聖書を読んでますか?と聞く割には全くわかってませんね。
総督ピラトは、イエスを処刑したくは無かったのですよ。死刑にせざるを得なかったが、実質的に死刑へと導いたのはサンヘドリンであるのは、聖書を読まずともわかりそうなものですが。

まぁ、本音と建前の違いがわからないApemanさんだからそうした真相が読み取れないのは仕方がないですよね。わかります。

>>逆に軽微な判決時には、誤審であっても無効としていないこと。

>これがもう、どうしようもないこじつけですな。「死刑になってはならない者を誤って死刑にしてしまう」ことも「死刑にせねばならない者を誤って放免してしまう」ことも、どっちも重大事じゃないですか。後者が「軽微」だというのは為にする議論でしかありません。インチキです。


確かにどっちも重大事だとは思うが、古代ユダヤ人はそのように規定を運用していたわけで、それを私はそのように解釈しただけの話です。
そうした解釈の部分にも、いちいち「インチキだ」と噛み付かずにいられないのは、これまた批判の為の批判に過ぎない証ですね。

何が何でもインチキ呼ばわりせずにいられないのは、およそまともな精神状態だとは思えませんなぁ。

>>どうしてベンダサンの解釈も有り得ると素直に認められないのでしょう?

>だって全然ありえないですから。サンヘドリンの規定の趣旨を現代風に表現するなら、「被告発者にとり返しのつかないペナルティ(=死刑)を課す場合には、最低一人が被告発者のために弁護することを保証せよ」というものであって、「全員一致=誤謬」などと言う珍説に基づいてるわけじゃありません。


ですから、「最低一人が被告発者のために弁護することを保証せよ」なんて解釈が正しいとする根拠はいったいどこにあるのですか?

Apemanさんの引用部分だけでは、とてもそのような解釈を引き出すことは出来ないのですがね。
それに、仮にそうした解釈が出来たとして、どうしてその解釈が絶対正しいと言い切れるのでしょう?
そう決め付けられる根拠がさっぱりわからない。

結局、解釈の違いに過ぎない話なのに、自説を絶対と決め付けて、ベンダサン説を間違いと決め付けているだけなのが、Apemanさんとの議論を通じてよくわかりました。

前のエントリ「自己欺瞞と偽りの謝罪論」でも書いたけど、アンチ山本七平の連中が、どうしてここまでヒステリックに否定したがるのか…、これはもう、議論以前の精神分析的領域の問題ですね。

だいたい、ベンダサン説を躍起になって否定しまくるApemanさんの姿勢を、浅見説に適用してみれば、浅見説だって、たちどころにインチキ説・珍説扱いになっちゃうのに。

もっともApemanさんの場合、まず前提ありきだから、仕方のないことですけどね。

>いまや一知半解説のただ1つの根拠は

>>イエスの裁判が全員一致であったと主張されているのですから、実際「ありえた」のです。

であることは理解できていますか?


Apemanさんも、いい加減自覚したほうがよろしいかと思いますよ。
もう一度引用しますが、

もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』

という記述がなぜ存在するのか、よく考えてから物を言ったほうが恥を晒さずにすみますよ。

しかし、ウソも百回付けば真実になるとはよく言ったものだ。

Apeman先生も、虚報を発しておきながら謝罪せずに逃げ回っている朝日新聞同様、あちこちでこうした嘘つき呼ばわりテクニックを繰り返すのでしょうな。

そうしたやり方でしか、山本七平のことを否定できないとは…。
議論していて、左翼と言うのは本当に不毛な議論しか出来ない連中だなぁ…と改めて痛感した次第です。

  • 2009/04/23(木) 23:41:35 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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サヨクの暴れっぷりw
面白いwww


清く正しく美しい日本人、守ってねw
無形文化財としてずーっと存続してください、応援してますwwwwwwwww

  • 2009/04/22(水) 00:44:16 |
  • URL |
  • あはは #2StBtiNE
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自覚してます?

いまや一知半解説のただ1つの根拠は

>イエスの裁判が全員一致であったと主張されているのですから、実際「ありえた」のです。

であることは理解できていますか?

信仰の力!

いや~さすがですね。

>別のところにあったと解釈します。
>ちなみにですが、その主題とは、「全員一致=絶対的に正しい」と疑問に思わない「日本人の思い込み」を打ち砕き、「全員一致の弊害を説くこと」が狙いだったと考えます。

だとすれば「全員一致は無効」がイエスへの死刑判決を「前提」してる、なんてことはありえないはずですが?

>その規定の真意は、まさに全員一致の弊害すなわち偏見・興奮に基づく「誤審・誤判」を防ぐことですから、

え~? 一体その根拠はなんですか? 山本「事実であろうと、なかろうと」七平はありもしない規定を盾にそう言ってるに過ぎないんですよ?

>そもそも、浅見説「死刑判決→無効」のベースには、「全員一致」=「偏見/興奮に基づく誤審」との認識があることは否定できない事実です。

え~? 「否定できない事実」? 一体その根拠は何なんですか? 浅見さんは「全員一致には偏見/興奮に基づく誤審のおそれがあるからタルムードでは否定されている」なんてことを主張してませんよ? 偽ユダヤ人の勘違いを勝手に投影しないで下さい。「事実」に基づいてはなしをしましょうよ。それとも「事実であろうと、なかろうと」なんですか、ここでも?

>要するに、全員一致して死刑判決とならなかった場合はすぐ釈放されるという意味ですよね。

違いますよ。全然違いますよ。ちゃんと日本語読めてますか? 無罪判決の場合は全員一致だろうが、過半数での議決だろうが、即刻執行(=釈放)してよい、ってことですよ。全員一致かどうかは全然関係ないんです。判決が死刑か、そうでないかだけが関係あるんですよ。

>「ありえない(不可能)」でなく、「あってはならない(禁止)」ということでしょう。

制度上「禁止」されているのだから「ありえない」のですよ。とりあえず議決して、もし全員一致だったら無効にされる・・・なんて仕組みではありません。ちゃんと日本語読めてますか?

>イエスの裁判が全員一致であったと主張されているのですから、実際「ありえた」のです。

山本「事実であろうと、なかろうと」七平ですら福音書の記述は「キリスト教発生時の創作だろうと思う」と書いているのに、あなたはそれを「史実」としてはなしを進めるのですか(笑) 聖典くらいちゃんと読みなさい。バカバカしい。

>前問の前提がおかしい為、このApemanさんの質問は成り立たないと思います。

「前提」を間違って理解しているのはあなたです。

>理解できます。

はい、本当ならもうここで話はお終いですね。それ以降は「悪あがき」に過ぎません。

>ただ、全員一致(つまり誤審)の無罪判決なら、被告の権利の侵害にはなりえないから「有効としている」だけでしょう。

一知半解説によれば「全員一致=誤審」なんでしょ? 死刑罰のある重大な犯罪に関して「誤審」が行なわれても古代ユダヤ人は平気だった、と言いたいわけですか?

>ただ、「全員一致の議決が無効」となるような場面など決して存在しない」なら、そもそも、この規定の存在意義がありませんね。

ええ、だからそんな「規定」など存在しないのですよ。わかりました? 存在しないものを「存在する」と言い張るからそういう変なことになるのです。

>条件付で「是」とします。当時のユダヤは確か司法権をローマに剥奪されていたと聞いていますので。

おやおや、ちゃんとご存知じゃないですか(笑) 条件付きで「非」とします、ではなくて「是」とするのはなぜなんですか?
要するに「サンヘドリンがイエスを死刑にした」というのは初期キリスト教徒のプロパガンダに過ぎず、実際にイエスを死刑にしたのはローマ当局だ、ということですよ。七平センセだって「キリスト教発生時の創作」だと言ってるじゃないですか。まさかキリスト教徒の「創作」を元に古代ユダヤの法について論じるつもりなのですか?

>・逆に軽微な判決時には、誤審であっても無効としていないこと。

これがもう、どうしようもないこじつけですな。「死刑になってはならない者を誤って死刑にしてしまう」ことも「死刑にせねばならない者を誤って放免してしまう」ことも、どっちも重大事じゃないですか。後者が「軽微」だというのは為にする議論でしかありません。インチキです。

>どうしてベンダサンの解釈も有り得ると素直に認められないのでしょう?

だって全然ありえないですから。サンヘドリンの規定の趣旨を現代風に表現するなら、「被告発者にとり返しのつかないペナルティ(=死刑)を課す場合には、最低一人が被告発者のために弁護することを保証せよ」というものであって、「全員一致=誤謬」などと言う珍説に基づいてるわけじゃありません。
この点はミカについて山本「事実であろうと、なかろうと」七平が吹きまくった与太を考察すればよりはっきりするのですが、それをお望みですか? それとももう逃げ出したくなりましたか?




とりあえずApeman氏の問いに答える

Apemanさん、凄い量の書き込みなので、返答を書くのが大変でしたよ。
(仕事も忙しかったのでなおさら大変でした)

返事が遅くなったことは素直にお詫びしておきましょう。

返事を楽しみに待っているとのことでしたので、とりあえずこのレスを最優先にして他のコメントへのレスは明日以降にさせてください。
では行きますよ。

簡単な質問なんですけどねぇ
イエスかノーで答えられる簡単な質問をさせていただいたのですが、お答えいただけないようですね。
この際なのでその他の質問とあわせてまとめておくことにします。ほかの方は「一知半解さんはどう返答するだろうか?」と予想して楽しまれるとよいと思います。

問1 タルムードにはそのものズバリ「全員一致の議決は無効」を意味する規定はなく、実際にある規定は浅見氏が紹介している通りのものである、ということについて異議を唱えるつもりはないのか?


あくまでも「浅見氏が正しいのであれば」との前提つきですが、異議はありません。

問2 山本「事実であろうと、なかろうと」七平が「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」という規定を持ち出したのは、イエスに対する裁判について論じるためであるのか、それとも主な主題は別のところにあったのか?

別のところにあったと解釈します。
ちなみにですが、その主題とは、「全員一致=絶対的に正しい」と疑問に思わない「日本人の思い込み」を打ち砕き、「全員一致の弊害を説くこと」が狙いだったと考えます。

その材料として、サンヘドリンの規定を例に挙げたわけですね。

その規定の真意は、まさに全員一致の弊害すなわち偏見・興奮に基づく「誤審・誤判」を防ぐことですから、用例としては適切だったと思います。

問2-1 もし問2への返答が「別のところにあった」であるとすると、このエントリにおける「ベンダサンの主張は、イエス・キリストの処刑(すなわち死刑の判決)を「前提」に展開されていることです」という主張は間違っていることになるが、そのことは理解できるか?

Apemanさんがそう思い込んでいることは理解できますが、「別のところにあった」としても、それが故に、間違いだと決め付けることはできません。
そもそも、浅見説「死刑判決→無効」のベースには、「全員一致」=「偏見/興奮に基づく誤審」との認識があることは否定できない事実です。

たとえて言えば、字面を表面的・教条的になぞっただけなのが「浅見説」、規定の真意をえぐり出しわかり易く説明したのが「ベンダサン説」といったところだと思います。

問2-2 もし問2への返答が「イエスに対する裁判について論じるためである」の場合。『日本人とユダヤ人』(角川文庫)の100ページに次のような文章があること、そしてその時点ではまだ「イエス・キリストの処刑」は話題に上っていないことを認めるか?
「この発想は、いわばもう血となり肉となって、ユダヤ人の体質のようになっている。それは学者が意識的に体系的学説を組み立てる場合だけでなく、日常の些事や政治・経済の運営にまでしみこんでいるのである。その一例として、表題にかかげたサンヘドリンの規定のことをお話しよう。」


これは前提となる私の答えが違いますから、回答できません。

問2-3 上で引用した一文を読めば、「ですから、当然、ベンダサン説における「全員一致の判決」というのは、すなわち「死刑の判決」のことと見なすべきです」などという主張は恥知らずな詭弁であるか、一知半解さんが自分の信仰の対象である『日本人とユダヤ人』をまともに読めていないか、このいずれかであることは明白であると思うが、同意するかどうか?

これも前の質問の続きですから、回答できません。

問2-4 死刑にかかわる判決にも有罪判決(=被告人が死刑となる判決)と無罪判決(=被告人が死刑にならない判決)の2種類があることは理解できるか?

理解できます。

問2-5 問2-4への答えが「イエス」の場合。無罪判決の場合なら、「全員一致」であっても判決は即刻執行されてよいというのがサンヘドリンの規定である、ということは理解できるか?

要するに、全員一致して死刑判決とならなかった場合はすぐ釈放されるという意味ですよね。
理解できます。

問2-6 サンヘドリンの規定によれば、死刑にかかわる罪の裁判において「全員一致で有罪」の判決が出ることはありえない、ということは理解できるか?

「ありえない(不可能)」でなく、「あってはならない(禁止)」ということでしょう。
イエスの裁判が全員一致であったと主張されているのですから、実際「ありえた」のです。
従って、この問いそのものがオカシイと思いますので、なんともお答えしかねます。

問2-7 問2-6への答えが「イエス」の場合。そうすると「しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)」を「死刑の裁判が全員一致で「有罪」であったなら、「翌日に裁判をやり直す」と解釈するのはとんでもない間違いだ、ということは理解できるか?

前問の前提がおかしい為、このApemanさんの質問は成り立たないと思います。

問2-8 「財産の罪」に関しては有罪判決であれ無罪判決であれ「全員一致」の判決が「有効」であることは理解できたか?

理解できます。
要するに、死刑のように重大な問題でないなら、「誤審・誤判」を容認しているだけの
話です。「全員一致=誤審」である前提は何ら変わりません。

問2-9 死刑の罪についても、無罪判決であれば「全員一致」の判決が「有効」であることは理解できたか?

理解できます。
ただ、全員一致(つまり誤審)の無罪判決なら、被告の権利の侵害にはなりえないから「有効としている」だけでしょう。

問2-10 問2-6、および問2-8、問2-9への答えがすべて「イエス」である場合。するとサンヘドリンでの議決において「全員一致の議決が無効」となるような場面など決して存在しないことになるが、それは理解できるか?

問2-6が不適な問いでしたので、これも質問が成り立たないと思います。
ただ、「全員一致の議決が無効」となるような場面など決して存在しない」なら、そもそも、この規定の存在意義がありませんね。

問3 『日本人とユダヤ人』(角川文庫)101ページには「イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである」とありますが、一知半解さんはこの記述を是とされますか?

条件付で「是」とします。当時のユダヤは確か司法権をローマに剥奪されていたと聞いていますので。

問3-1 もし問3の答えが「是としない」の場合。ユダヤ人と称する著者が、わざわざ福音書についての反ユダヤ主義的曲解を日本人に紹介するのは奇妙な話だとは思わないか?

これは前提となる私の答えが違いますから、回答できません。

問3-2 もし問3の答えが「是とする」の場合。4つの福音書に揃ってピラト(ピラトゥス)が登場し、ルカの場合にはヘロデ(ヘロデ・アンティパス)まで登場するのはなぜだと思うか? ヨハネ18:31を一知半解さんはどう理解しているのか?

う~ん、問いの意味がいまいちわかりません。
つまり、サンヘドリンが裁いたなら、ピラトやヘロデが出てくる記述があるわけないだろうという指摘でしょうか?(ヨハネ18:31でググッてもいまいちヒットしないし)。

とりあえずそういう問いであるとした上で回答します。
これは、当時のユダヤの政治状況によるものに過ぎません。
当時のユダヤはローマに支配され、司法権を奪われていたと思います。

ですから本来なら、サンヘドリンで裁判してオシマイであるところ、ローマ総督であるピラトに処刑を執行して貰わねばならない。ところが、ピラトは罪も無いイエスを処刑するのを嫌がり、ヘロデに処理を押し付けた。ヘロデがどうして処理しなかったのかは聖書に疎いのでよくわかりませんが、結局のところ、ピラトにそのお鉢が廻ってきた。と理解しています。

問3-3 十字架刑がローマ人の処罰法であることを一知半解さんは知っているか?

はい。これでよろしいでしょうか。

では最後に、私の主張を簡単にまとめておきます。

【ベンダサン説の真意】
・「全員一致→誤審の恐れが大である」ということの指摘。
・日本人の「全員一致=絶対正義」との思い込みに警鐘を鳴らしたかった。

【サンヘドリンの解釈】
・死刑という重大決定時には、「誤審」があってはならないから、「全員一致→無効」としたということ。
・逆に軽微な判決時には、誤審であっても無効としていないこと。
・この規定は、「全員一致=無効」とも解釈できるし、「全員一致≠無効」とも解釈可能であること。

【浅見説の問題点】
・この規定のうち、「全員一致≠無効」の部分を理由に、ベンダサン説を否定しているだけに過ぎないこと。

つまり物事の一面だけ(確かにそれは正しいのであるが)を持って、相手を嘘つき呼ばわりしているだけなんですよ。
これを、難癖・詭弁・中傷のたぐいといわずしてなんといいますか?

どうしてベンダサンの解釈も有り得ると素直に認められないのでしょう?

それは、最初から「ペテン師・嘘つき」呼ばわりするのが目的だからでしょう。

しかし、結局、吹聴して廻っても無駄な骨折りなんですよ。
それは今でも世間に通用していることからも明らかです。
本当に嘘つきだったなら、とっくに忘れ去られているはずです。
結局のところ、本物は幾ら中傷されても、わかる人にはわかるということでしょうか。

あ~、疲れた。これで今日はとりあえず勘弁してください。

  • 2009/04/18(土) 01:10:31 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
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サヨク便衣兵がきたね(´ー`)y-~~

apeman先生を救おうと必死なサヨク信徒のかくらん行動だね。俺が書いたとおりに現れるもんだから、まるで連中と俺が舞台裏で打ち合わせしたかのような感じだけどねw

http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-201.html#comment1125

こっちでmugiさんも触れてることなんだけど、本多も後ろ暗いところが相当にあるんだよね。「中国の旅」を書いて以来、熱狂的に中国共産党に協力してきた経緯は有名すぎるほど有名でね。だったら、どっちがマシなのか信用できる内容が多そうなのはどっちか? って読者は選ぶんだよね。選挙なんかでも好きな候補が居なかったらそんな風に選ぶんだけどね。
本多や藤原は主張が間違ってるだけじゃなくて、仕事より政治を選んだから支持されなかった。山本はそれよりかマシに見えて面白いことも書いてたから、今でも本屋に置いてあると。それだけの話なんだよね。

宗教サヨクは「山本ほか本多様に敵対する人間を全てウソツキとすれば、日本中は本多の愛読者になるはず!!」とか思い込んでるようだがね。世界中で宗教がオウムだけになったって、わざわざオウムに入信する者は居ないってわからんのが悲劇なんだけどね。ま、本多の本に多くの問題があるのは自覚してるから周りに噛み付くしかないんだろうがね。
(´ー`)y-~~

http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html#comment1117

そういや、こっちでの続きになるけど本多勝一って本当に中国政府から表彰されてたんだね・・。流石の俺もビックリしたよww
http://www.tamanegiya.com/doutomionobaka21.1.24.html

中国国営の施設で表彰されたことを、中国共産党の機関紙で賞賛されてるというわけだね・・。どうみても中立的なジャーナリストじゃありません。本当にありがとうございました。まさに日本版ゲッベルス・・。
((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

このへんでapeman先生もまたおかしなことをお城に書いてるね。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090416

また「日本刀スーパーウエポン説」でウダウダと言ってるね。史料の切り貼りにも飽きたよ。前に「南京虐殺を疑うのは死体マニアの犯罪者と同じ!!」とか妙なこと言ってたけど、この本が元ネタだったのかもね。

死体と戦争 (ちくま文庫) (文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/448003918X/

これも「百人斬り」と同じで、衛生下士官なんて後方要員がいつ頃どんな場所で斬ったのかも触れてないのよね。戦犯としての追求をよく免れたもんだとか、戦争後半は日本軍よりいい銃火器もったゲリラに追いまわされてたはずなのに「殺人ゲーム」を楽しむ余裕なんぞあったのかね? と疑問はつきないがね。
ま、ご本人も21世紀に宗教サヨクにネタとして使われるとは思ってなかったろうがねぇ。
(´ー`)y-~~

この記事もそうだけど、apeman先生はイメージ操作が大好きなわりに、自分の見解は絶対に書こうとしないんだよな。引用したテキストの内容を信じるのか、自分はどう考えてるのか、信用できる史料はどれなのか、そういった具体的な話をしたがらない。そこを聞かれても逃げまくるのは、南京掲示板ほかで先生を知ってるひとはご承知の通りでね。
だから誰からも認めてもらえないのにすぐ逆ギレするから困るんだけどね。無責任クレーマーapeman先生。

>だって簡単な質問ですからね

俺が聞いたのも簡単な質問だったよね。「南京虐殺の概要はどうだと思う?」「日本は中国を侵略したと思う?」「今の日本人は中国とどう接するべき?」って基本的な内容すら逃げて答えてくれなかったでしょ。

>映画「南京の真実」の情報交換掲示板にもそういった条項はありませんでしたね?

今だって、こんなふうに言い逃れできると思い込んでいるわけで、他人様を対等な人間と見ずゲームの会話をしてるような応対をしてるのに気付いてないのかね。
すでにアンタは佐藤生さんたちの問いかけを知ってるのに、それを確信的に放棄してるってわけなんでね。
そんなこと平気でやってるのに、「自分だけは特別にしろ!!すぐに答えろ!!」とか、ここでワガママを言ってるわけなんでね。

これじゃ、「名無し(電波)さん」と同レベルの有様じゃないかね。「とにかくオレサマのワガママだけは通せ!!」かね。やっぱり先生は日本人じゃなくて中国猿人のようだね・・。50代男性の平均より幼すぎるんだよね。ご家族やお友達は苦労してるんだろうねぇ。
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

サヨクはむなしいね。
哀れなりサヨク。

  • 2009/04/16(木) 23:58:45 |
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  • 潜水艦 #3un.pJ2M
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 我らがイザヤ七平は「死刑判決」なんてケチな制限はしてないんだよね。なんせ「日本の常識はユダヤの非常識」なんだから。
 彼のイカれた、否、常識にとらわれないユダヤの知恵を卑小な「日本の常識」に合致するように歪曲するなんて、一知半解氏はヒドい。ひどすぎる!

  • 2009/04/16(木) 20:58:04 |
  • URL |
  • トーリ・スガリーナ #-
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偽ユダヤ人の常識は世界的に非常識

イザヤ・ベンダサンって偽ユダヤ人は、「日本の常識はユダヤの非常識」を売りにしていたヤツじゃん。
 で、調子に乗って「全員一致の議決は無効」なんてデタラメを出して大恥をかいたんだよ。
 いまさら数十年遅れで「冤罪を防ぐため」なんて詭弁を弄してもムダ。イザヤ七平自身そんな釈明してないんだから。

  • 2009/04/16(木) 20:37:50 |
  • URL |
  • トーリ・スガリーナ #-
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だって簡単な質問ですからね

おまけに山本「事実であろうと、なかろうと」七平信者である一知半解さんにとっては、信仰の根幹に関わる問題ですしね。

ところで

>「コメント欄運営方針」には、何日以内に応答すべし等という条項はない様です。

映画「南京の真実」の情報交換掲示板にもそういった条項はありませんでしたね?

Apemanさん、せっかちですね

この論点に関しても、全くの門外漢です。
しかし、以下の様なコメントは如何なものでしょうか?

> お答えいただけないようですね。

「コメント欄運営方針」には、何日以内に応答すべし等という条項はない様です。
多方面の分野でご活動中のApemanさんのお気持ちも分かる様な気もしますが。
やはり、「自己中心主義」がみえみえですね。

簡単な質問なんですけどねぇ

イエスかノーで答えられる簡単な質問をさせていただいたのですが、お答えいただけないようですね。
この際なのでその他の質問とあわせてまとめておくことにします。ほかの方は「一知半解さんはどう返答するだろうか?」と予想して楽しまれるとよいと思います。

問1 タルムードにはそのものズバリ「全員一致の議決は無効」を意味する規定はなく、実際にある規定は浅見氏が紹介している通りのものである、ということについて異議を唱えるつもりはないのか?

問2 山本「事実であろうと、なかろうと」七平が「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」という規定を持ち出したのは、イエスに対する裁判について論じるためであるのか、それとも主な主題は別のところにあったのか?

問2-1 もし問2への返答が「別のところにあった」であるとすると、このエントリにおける「ベンダサンの主張は、イエス・キリストの処刑(すなわち死刑の判決)を「前提」に展開されていることです」という主張は間違っていることになるが、そのことは理解できるか?
問2-2 もし問2への返答が「イエスに対する裁判について論じるためである」の場合。『日本人とユダヤ人』(角川文庫)の100ページに次のような文章があること、そしてその時点ではまだ「イエス・キリストの処刑」は話題に上っていないことを認めるか?
「この発想は、いわばもう血となり肉となって、ユダヤ人の体質のようになっている。それは学者が意識的に体系的学説を組み立てる場合だけでなく、日常の些事や政治・経済の運営にまでしみこんでいるのである。その一例として、表題にかかげたサンヘドリンの規定のことをお話しよう。」

問2-3 上で引用した一文を読めば、「ですから、当然、ベンダサン説における「全員一致の判決」というのは、すなわち「死刑の判決」のことと見なすべきです」などという主張は恥知らずな詭弁であるか、一知半解さんが自分の信仰の対象である『日本人とユダヤ人』をまともに読めていないか、このいずれかであることは明白であると思うが、同意するかどうか?

問2-4 死刑にかかわる判決にも有罪判決(=被告人が死刑となる判決)と無罪判決(=被告人が死刑にならない判決)の2種類があることは理解できるか?

問2-5 問2-4への答えが「イエス」の場合。無罪判決の場合なら、「全員一致」であっても判決は即刻執行されてよいというのがサンヘドリンの規定である、ということは理解できるか?

問2-6 サンヘドリンの規定によれば、死刑にかかわる罪の裁判において「全員一致で有罪」の判決が出ることはありえない、ということは理解できるか?

問2-7 問2-6への答えが「イエス」の場合。そうすると「しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)」を「死刑の裁判が全員一致で「有罪」であったなら、「翌日に裁判をやり直す」と解釈するのはとんでもない間違いだ、ということは理解できるか?

問2-8 「財産の罪」に関しては有罪判決であれ無罪判決であれ「全員一致」の判決が「有効」であることは理解できたか?
問2-9 死刑の罪についても、無罪判決であれば「全員一致」の判決が「有効」であることは理解できたか?
問2-10 問2-6、および問2-8、問2-9への答えがすべて「イエス」である場合。するとサンヘドリンでの議決において「全員一致の議決が無効」となるような場面など決して存在しないことになるが、それは理解できるか?

問3 『日本人とユダヤ人』(角川文庫)101ページには「イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである」とありますが、一知半解さんはこの記述を是とされますか?

問3-1 もし問3の答えが「是としない」の場合。ユダヤ人と称する著者が、わざわざ福音書についての反ユダヤ主義的曲解を日本人に紹介するのは奇妙な話だとは思わないか?
問3-2 もし問3の答えが「是とする」の場合。4つの福音書に揃ってピラト(ピラトゥス)が登場し、ルカの場合にはヘロデ(ヘロデ・アンティパス)まで登場するのはなぜだと思うか? ヨハネ18:31を一知半解さんはどう理解しているのか?
問3-3 十字架刑がローマ人の処罰法であることを一知半解さんは知っているか?

あ~そうそう

あなたの質問にも答えておきましょう。

>ところで、当記事において浅見氏やApemanさんの主張を、わたしなりにまとめさせていただきましたが、その内容が間違いないということで異議ありませんね。

私は「必要があらば自分で原典に当たってみるつもりのある」読者に向けて書いています。ところがあなたはそういう読者ではない。自分では『にせユダヤ人と日本人』を読むつもりがないわけですから、あなたは。それゆえ、あなたには浅見氏の議論を「まとめ」る資格などありません。そして私は私の主張があなたの「まとめ」によってではなく、私自身の文章によって判断されることを要求します。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090323/p1

要するにあなたの「まとめ」をオーソライズすることなんてお断りだ、ということです。

そうですか、じゃあしかたない

>>で、どうなんでしょう? これを真面目に主張なさるおつもりですか? 
>
>もちろん。

ということですので、遠慮会釈なくあなたのインチキを暴かせていただきます。
ゴマカシが効かないよう、一問一答式でやりたいと思いますが、どうですか? そうですね、まずはこの2問からいきましょうか。

問1 タルムードにはそのものズバリ「全員一致の議決は無効」を意味する規定はなく、実際にある規定は浅見氏が紹介している通りのものである、ということについて異議を唱えるつもりはないのか?

問2 山本「事実であろうと、なかろうと」七平が「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」という規定を持ち出したのは、イエスに対する裁判について論じるためであるのか、それとも主な主題は別のところにあったのか?

いずれもイエス、ノーで答えられる問です。

ついでに言うと、ここで山本「事実であろうと、なかろうと」七平はもう一つ変なことを言ってますね。そう、福音書をある程度知っている人間なら直ちに気付く程度のことです。ユダヤ人が福音書に詳しくなくても不思議はありませんが、偽ユダヤ人だとそういう言い訳もききませんね。

>だがイエスの場合、このいずれをも無視して刑が執行されている。

私ですら、こんな↑テキトーなことは書きませんよ(笑)

>Apemanさん

今回、初めて「にせユダヤ人と日本人」のベンダサン批判なるものの内容を知って、当記事をUPさせていただきました。

結局のところ、サンヘドリン規定を巡るベンダサンの主張が「真っ赤なウソ」である、とのアンチ山本七平の主張に全然中身がなかったことを確認することが出来て、Apemanさんには感謝してます。

そもそも、このような難癖程度の批判を以って、よく山本七平を全否定できるものだな…と思いました。ある意味、左翼ならではの「様式美」と言っても良いかもしれません。

>私なんぞ、誰かの議論の前提となる認識が間違っていたらついつい議論全体を見直してみたくなっちゃうのですが。それくらいの肝っ玉がなければ偽ユダヤ人教信者なんてやってられないですよね?

山本七平の論理に正面から反駁できず、「偽ユダヤ人」というレッテル批判しか出来ないアンチ山本七平の姿勢をかねがね不思議に思っていたのですが、アンチ山本七平が水戸黄門の印籠の如く持ち出してくる浅見定雄氏による山本批判の内容が難癖程度であることを知り、あなた方が、「レッテル貼り」でしか対抗できない事実を改めて認識できました。

>で、どうなんでしょう? これを真面目に主張なさるおつもりですか? 

もちろん。
ところで、当記事において浅見氏やApemanさんの主張を、わたしなりにまとめさせていただきましたが、その内容が間違いないということで異議ありませんね。

>横着せずに『にせユダヤ人と日本人』を全部読んでみたうえで考え直すつもりはありませんか? 「ある」とおっしゃるなら私も待ちましょう。「ない」とおっしゃるなら、このエントリによってあなたの知的・倫理的誠実さの欠如が明らかとなることを示すことにします。

まぁ、地元の図書館で探してみてもいいですけどね…。ただ、読む暇もあまりないし。
そういや、本多勝一の「殺す側の論理」にも、浅見氏の記述が引用されていますが、これまた悪文で読みづらく、内容も難癖レベルでしたから、「にせユダヤ人と日本人」も同様かと思うと、あまり気乗りはしませんな。
しかし、読まなければ誠実でないと決め付けるとは、随分とご勝手な判断ですね。
そもそも、あなたによる浅見氏の紹介が正しければ、改めて原典にあたる必要はないでしょうに。

>仮)山田二郎さん

>あなたの知的・倫理的誠実さの欠如が明らかとなってしまっているようにしか見えないんですけどね。

ほんとそのとおりですね。そういう人物から、「知的・倫理的誠実さの欠如」を問われるとは思いませんでした。

>管理人のみ閲覧さま

おっしゃるとおりです。そろそろ潮時のような気がしてきました。

  • 2009/04/12(日) 01:38:30 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

呼ばれたから来たんですよ

>一知半解 2009/04/11 14:10 Apemanさん、こんにちは。
>
>一応、この記事に対する私の解釈を拙ブログでUPしたので、(トラバもしますが)リンク貼っておきます。
>
>http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-204.html
>
>宜しくどうぞ

(http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090323/p1#c)

「よろしく」と言われたんで、一知半解氏にもう一度真面目にものを考える機会を差し上げよう、と思ったわけです。
一知半解氏は本多勝一らについて、「虚報を事実だ」と強弁しているなどと誹謗しているわけです。だとすれば、彼の教祖である山本「事実であろうと、なかろうと」七平の言論が「虚報を事実だ」と強弁していないかどうか、一知半解氏は誠実に考える義務があるわけです。

  • 2009/04/11(土) 22:45:05 |
  • URL |
  • Apeman #lrg3p7cc
  • [編集]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2009/04/11(土) 22:01:13 |
  • |
  • #
  • [編集]

結局、Apeman氏は何をしにきてるんですか?

こちらとしては、既にあなたの発言が正しい・正しくない以前に、あなたの知的・倫理的誠実さの欠如が明らかとなってしまっているようにしか見えないんですけどね。

  • 2009/04/11(土) 21:49:06 |
  • URL |
  • 仮)山田二郎 #JalddpaA
  • [編集]

さすがだ!

いやこれは脱帽しました。さすがに「事実であろうと、なかろうと」気にしないという一知半解さんは器が大きい。私なんぞ、誰かの議論の前提となる認識が間違っていたらついつい議論全体を見直してみたくなっちゃうのですが。それくらいの肝っ玉がなければ偽ユダヤ人教信者なんてやってられないですよね?

で、どうなんでしょう? これを真面目に主張なさるおつもりですか? 横着せずに『にせユダヤ人と日本人』を全部読んでみたうえで考え直すつもりはありませんか? 「ある」とおっしゃるなら私も待ちましょう。「ない」とおっしゃるなら、このエントリによってあなたの知的・倫理的誠実さの欠如が明らかとなることを示すことにします。

  • 2009/04/11(土) 21:32:37 |
  • URL |
  • Apeman #lrg3p7cc
  • [編集]

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お詫び

Apeman氏と一知半解氏の記事を読み比べて、一知半解氏の主張の方が正しいように見えた俺の印象は間違いでした。両氏の主張は完全にすれ違っていました。浅見定雄氏の主張を根拠とするApeman氏と、浅見説を理解していない一知半解氏の主張は噛み合っていなかったのです。 Ape

  • 2009/04/24(金) 16:30:39 |
  • 国家鮟鱇
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Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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