今日は、そのことについて、『日本人と「日本病」について (文春文庫)』の中から山本七平と岸田秀が対談で端的に説明している箇所を引用していきます。
■「断章取義」
岸田 ぼくはずっと以前から山本さんのご本はほとんど読んでいるつもりなんてすが、そうして感じたことは、そのお考えが、あるいは失礼かもしれませんが、ぼくの考えていることときわめて共通する点がある、という気がしたんです。
つまり、日本人は自分の行動を規定している規範というか、原理というか、そういうものに対して無自覚的である。
そして、意識していないがゆえに、太平洋戦争をその典型として、他民族と接したときにいろいろな摩擦が起こってくるわけですね。
その問題を解決するためには、まず、自分たちを真に動かしているものを意識化すること、知ることであるということを、山本さんはあちこちで述べていらっしゃるわけです。
この考え方というのは、実は、私のほうの仕事である精神分析そのものなんですね。
山本さんは日本の現代史の数々の局面を分析するのに、「空気」という言葉を用いておられるわけで、その発想にぼくが「共同幻想」と呼ぶところのものと大きな共通性を感じました。
一度お会いして日本人論と日本の近代史の分析について、大いにお互いの考えをぶつけ合ってみたかったんです。今日ははからずもこういう機会が持てて、非常に喜んでおります。
山本 それはどうも、光栄です。
岸田 神経症の患者は、一応ちゃんと主観的動機というものを持っていて、意識面ではさまざまな正当化を行っているんです。ただし、それは彼を真に動かしているものとは達う。
これは一神経症患者にとどまらず、人間の集団というか、民族についても言えるんですね。
そもそも人間の精神発達の過程でいうと、まずはじめは自閉的、自己中心的なんです。
すべて自分を中心にして世界は回っていると思っている。
この自己中心性から脱却するには、他者との衝突しかないんですね。他者と衝突することによってはじめて、自分の見方が普遍的なものではなくて自分にしか通用しないんだということがわかってくる。
これなくして精神発達はあり得ないんです。
これは個人についてだけではなく、国家という集団についても言えるのであって、日本の鎖国というのは、一種の幼児期だった。
その期間中も長崎でオランダとつき合っていたとはいっても、あれは言わばこっちの勝手になるつき合いで、やめようと思えばいつでもやめることができる。
これでは本当の意味の他者との衝突は起こってこないわけで、国家的なレベルで日本が自己中心的だった時代なんでしょうね。
山本 そうですね。
岸田 ただ、他者との衝突というのはで両刃の剣なんでしてね、それが全然なければ精神は発達しないけれども、あまりにも強い衝突が起こると、こっちの人格が混乱しちゃう。
ペリーの来航は実はそのひど過ぎるショックだった。
そこで日本人の精神構造が狂ったんじゃないか、というのがぼくの考えなんです。
たとえば、家の中で両親に可愛がられて何一つ不自由なく育つ。下男、下女がいたといってもそれは他人じゃない。ところが、ある時突然、両親が死に、家が破産して、冷たい世間に放り出された。
さてどうしたらいいかわからない、と一生懸命にあがいたのが、明治以来の日本なんじゃないか。
山本 ええ。たしかに日本は文化的な衝突というものを最も経験していない国です。それがなぜか、こうも巧みに近代化らしきことができてしまったところが、実に不思議ですね。
たとえば、仏教が来たといっても、都合のいいところしか取り入れてない。
儒教にしても、さかんに唱えるわりに本格的儒教体制をつくる気はない。
革命をやって、日本を解体して、ちゃんと科挙の試験をして士大夫を作るという気はないんですね。
徳川時代の町人学者の行き方は「断章取義」と言われています。
章を断って義を取る、つまり原典の文脈をバラバラにして、自分に必要なものだけを取るんですね。
石田梅巌(一六八五~一七四四、江戸中期石門心学の祖)などはその典型で、彼は町人で商家の一番頭で権威がありませんから、聖人の教えにこうあるという形で表現する。
いわば、自分の体系を聖人の片言隻句の引用ですべてつないでしまう。
原典は仏教だろうと儒教だろうとかまわんわけで、これはつまり思想を取り入れたということではなく、表現を採用して権威化したに過ぎないんです。
そのため真の思想的対決には決してならない。
面白いことに朱子学の受容もそうなんです。
確かに朱子の正統論は日本に大きな影響を与えて、これから天皇の絶対化が生まれてくる。
同時に浅見絅斎(一六五二~一七一一江戸中期の朱子学者)の『靖献遺言(※)』のようなそれに基づく個人の絶対的規範もできる。
(※註)…中国思想の殉教者の殉教記録および遺言集。収録されているのは屈原『離騒懐沙賦』、諸葛亮『出師表』、陶淵明『読史述夷斉章』、顔真卿『移蔡帖』、文天祥『衣帯中賛』、謝枋得『初到建寧賦詩』、劉因『燕歌行』、方孝儒『絶命辞』
しかしその両者を組織的体系的につなぐことはせず、それに基づく新しい体制に関しては全く考えていないわけです。
明治以降も大体においてそうでしてね、今度は朱子学的天皇絶対と個人の絶対的規範はそのままにして、その中間に西欧の組織を入れてしまう。
いわば和魂洋才と称して、才だけもらっておく。
これが伝統的な手法なんですよ。
いまの日本のキリスト教会にしても、「断章取義」です。
聖書の思想体系は問題にせずに、自分たちの精神構造に合う句だけをもってきて組み立ててしまう。
そうでないなら、たとえば旧約聖書の「列王妃」と『資治通鑑』の歴史観の異同などは最も気になる問題のはずです。
今度、私は、説教集などで、聖書からの引用の実態を調べてみようと思うんです。
どういうところだけ引用しているか。
それによって日本のキリスト教会を通じて、その精神構造がどうなっているか、逆にわかるでしょう。
で、私は冗談に、日本文化は「サザエ」である、というんです。
中は背骨なしでグチャグチャしてていいんです。外をきちんと閉じておき、必要に応じて蓋を少しあける。
ヨーロッパ人は脊椎動物ですから、日本人には背骨(バックボーン)がない、という。
確かにそうでしょう。
そのかわり貝がちゃんとある。(笑)
外部を固めて何物も入れず、時折ちょっと口を開けて、必要なものだけ取る。
これをずっとやってきた。
だから、自分はこうであるということが、外へ行くと言えなくなるんですよ。
貝のように口をつぐむか、「相手の立場に立って」となっても「自分の立場に立って」がない。
したがって、対決はしない。
だが、徳川時代の尊皇イデオロギストは必ずしもそうでないです。
やはりペリー・ショックの影響は大きいでしょうね。
対決ということを誰もが反射的にいやがる。
ところが、たとえばエルサレムなんていう所は、「相手の立場に立って」といえる場所がなくなるんですよ。三大宗教のどの立場に立っても、ほかの二つから文句が出るでしょう。
岸田 なるほど。
山本 この前テレビでエルサレムを紹介するときに、結局、三大宗教共通の聖所であるという言い方で押し通しちゃったけれども、こんな妙な話はない。
三方から文句がきても不思議はないんでしてね。だいたい彼らは自分の立場を明確に主張してくる。
イスラムはイスラムの、ユダヤはユダヤの立場をね。
だから、つくづく思いましたが、ああいうところへ行って論争しても、これは勝てない。
「相手の立場に立つ」人間が一種の内心の決意を経て土俵にのぼるのと、なんらの決意もなく、当然の状態を当然のままで出てくるのとでは、勝負になりませんよ。
日本の対外的な摩擦は、すべてこの問題を抱えているんです。
岸田 結局、他人との友好的な協調のあり方が違うんですね。
山本 違うんです。
岸田 日本人は、自分の主体的判断をお互いに捨ててというか、横にのけておいて仲よくやれば、対決も葛藤もないんだという、一つのフィクションの上に立っている。
一方、向こうではお互いに自己を最大限に主張し合って、その主張の間に共通一致点を見出すことが双方の協力友好の基礎ですよね。
友好ということの意味が日本とは初めから違う。
だから、日本人が自我を捨てることを前提とした日本的やり方で仲よくしようと思っても、向こうは仲よくなってくれない。
日本人が自我を捨てたって、向こうは自我を捨ててはくれませんからね。
すると、日本人の方では、こっちは自我を捨てて譲歩しているのに、おまえは少しも歩み寄ってこないと腹を立てる。
向こうに言わせれば、そこで日本人がなぜ腹を立てるのかがわからない。
山本 そこなんです。「双方互譲の精神をもって」と新聞の社説なんかではよく出ていますね。
しかし、譲れば相手が一歩踏み出して来る社会では、双方徹底的な自己主張をして妥協点を見つける以外にない。
いわば、実にしんどい対話が必要になる。これがわかっていないんです。
(後略~)
【引用元:日本人と「日本病」について/「断章取義」/P20~】
上記の対談の中で、非常に重要だと思ったのが次の二つ。
一つ目が、友好について。
日本人の考える友好のアプローチが、世界相手では通用しないということ。
それを、通用すると信じ込んでいること。
通用するとの思い込みが破れた際、裏切られたと感じて一方的に腹を立てること。
これは、戦前から現在に至るまで全然変っていないのではないでしょうか。
左翼の「対話重視」を訴えるナイーヴな主張に、それが通用するとの思い込みを感じてしまう。
ネット右翼の感情的な反発に、裏切られたという感情を感じてしまう。
いずれも、非常に日本人的なんだなぁ…と思いますね。
そして、二つ目が、「日本人が自らの行動規範を自覚していない」という指摘。
このことは、「戦前の反省」というものにも物凄く影響を与えているとおもう。
自らの行動規範を把握していないから、反省が頓珍漢なものになる。
「戦前の日本軍の残虐行為をあげつらう」とか、「9条に縋る」とかすることで反省につながると勘違いしているのも、この「自分たちを真に動かしているものを意識化すること、知ること」という行為を避けているからでしょう。
この点については、二人の対談でまた出てくるので、後日また詳しく紹介していくつもりですのでお楽しみに。
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