以前書いた「神、主人、奴隷の三角形とは~西欧の「契約」の背景にある神~」の中で、西欧の人々が法律の背後に「神意識」を持っていることを紹介しましたが、それでは、日本人はどうなのか?
それについて山本七平と岸田秀が対談している処を紹介していきたいと思います。
■伝統的規範と法
岸田 彼らの場合、なぜそうなったんですかね。それだけブレーキが必要だったのか。禁止を一つ一つ細かくつけないと行動の規範がつかない、ということなんでしょうね。
日本の場合は人間関係です。
自分の自我が相手によって支えられているから、相手からブレーキがかかるわけだ。相手のいやがることをしない。何かいやがることかは決めてなくて、対応において決まるわけだけど、その一線が歯止めになっているんですね。
彼らは「汝、殺すなかれ」という戒律があるから殺さないんだけれども、われわれは相手を殺せば相手がいやがるから殺さない。
だから、原則的にいえば、日本の道徳では自殺幇助罪などは罪じゃないでしょうね。
法律には触れるにしても、その人に罪悪感はないんだろうと思います。
自殺に罪悪感を持たないというのもそれですね。自殺であって、人を殺すわけではないから、人に迷惑はかけていない。
誰にも迷惑をかけないというのが、日本人のジャスティフィケーションですからね。
ヨーロッパでは、人に迷惑をかけないからいいじゃないか、という理屈は通らないでしょう。
山本 通らない。これはもう絶対に通りません。
岸田 神との契約に違反すれば、他人の迷惑いかんにかかわらず、通らない。だから向こうの法律で同性愛が禁止されているのもその一例ですね。
これも二人で楽しむだけで、他人に迷惑をかけるわけではないんだけど。
つまり、法律というものは、なんらかの形でその国の人々の共同幻想を反映するものなんです。日本人には、なぜ同性愛が犯罪なのか、どうしても理解できませんね。
山本 その意味で明治の日本における一番の問題点は、例の民法典論争ですね。近代的な法がないと条約改正ができないというわけで、民法をあわててつくるわけです。
ボアソナード(一八二五~一九一〇、フランスの法学者)などが顧問としてやって来まして、ドイツとフランスの民法をまぜこぜに翻訳して、急いで施行しようとする。
外国の民法を翻訳して強制施行する、そんな馬鹿なことをやった国はないというので、この時は民間からも強烈な反対が出る。
法学士会や穂積八束(一八六〇~一九一ニ、法学者)が大反対するわけですね。
それに対する政府の答弁はというと、ちゃんとヨーロッパ式の民法がないと、条約改正してくれないというんですな。
民法というのは、どこの国でも、その国の伝統的な慣習法を合理的に体系化したものであって、イスラム法を訳して日本に施行したら大変なことになるわけでね。
これと基本的には同じ事をやった。
日本における法律と、伝統的文化的規範とは、どこかズレているんです。だから、日本人はなんとなく法律を信用してないでしょう。
岸田 日本人はなかなか告訴しないですね。
最近はそういう習慣も多少できてきたけれども、元来、あまりしない。告訴しても裁判所からまず和解を提案してきますよ。
山本 中国の「律」は元来刑法のことで民法ではないので、この影響で裁判への一種の偏見があるだけでなく、まず”話し合い”の民族ですからね。
明治時代に「三百代言」という言葉があったでしょう。一種の軽蔑の言葉です。
伝統的規範に従ってやって、ちっとも悪くないつもりが、法律的には悪いというケースはいくらでもあるわけですね。
それを巧みにひっかけたり、ごまかしたりしたのが当時の代言人、すなわち弁護土なんです。
これが、ずるいことをやる人間だという意識から軽蔑の対象になる。
要するに伝統的規範と法とが、乖離しているからです。
岸田 だから、この間隙をつかれると、かんたんに詐欺にひっかかる。
相手は伝統的規範で押してくるし、あんまり何度も頼まれたからという、相手に対応する倫理でハンを押してしまう。その挙句、法律に裏切られるわけです。
だから日本人にとって法律はつねにうさん臭い。
山本 そのかわり犯罪の件数はというと、日本はきわめて少ないんです。
これは日本の社会が共同体だからなんですね。共同体の崩壊は必ず犯罪につながるわけで、いわゆる機能集団だけで、共同体がなくなっている社会では、犯罪がいくらあっても不思議じゃない。
日本では機能集団ができると共同体になってしまうし、家族が一家心中するぐらい一人格化しているから、共同体の名誉と家族という歯止めが効いて犯罪が起きないんですよ。会社のことと女房子供とが頭に浮かんで犯罪を思いとどまったなんてね。
たしかに日本では凶悪犯罪は減っていて、とくに強姦罪は徹底的に滅っている。
減っているのは日本だけでね、日本人は少しおかしいんじゃないか、と外国の犯罪学者がいってます。犯罪が一定比率あるのが、社会としては健全なんだ、と。
岸田 そうですね。日本では共同体がまだ健在で、共同体の道徳が生きているからですね。
どのような社会体制でも、そこに住んでいるすべての人が完全に満ち足りているというわけにはいかないんで、どうしてもいくらかは社会体制を乱す奴が出てくる。
だから、どのような社会体制でも、何らかの規範と、その規範を破った奴に対する何らかの罰は必要なわけです。
この規範は、当然、文化によって違っているし、罰だって文化によって違っています。
罰が文化によって違っているというのは、ある文化のなかに住む個人と別の文化のなかに住む個人とで、何か恐ろしいかが違っているからです。
もちろん、死や肉体的苦痛が恐ろしいという点では、どの文化に住む個人でも大体同じでしょうが、人間には、死や肉体的苦痛より恐ろしいことがあります。
自我の崩壊がそれです。
それは、自我や、自我を支えている信仰、理想、名誉などを守るために、死や肉体的苦痛を辞さなかった人が無数にいることからも明らかだと思います。
死や肉体的苦痛も、罰の手段としてある程度は有効ですが、どれほど強大な権力でも、すべての人の日常生活のすみずみまで監視の眼を光らせ、すべての違反を摘発し、罰することはできないわけですから、その有効性には限界があります。
どのような圧制的権力も、人びとが多かれ少なかれ自発的に規範を守るから維持されているわけです。
人びとが自発的に規範を守るのは、規範への違反が自我の崩壊の不安を呼び起こすからです。
文化によって、どういうことがこの不安を呼び起こすかが違っているわけですが、それは、文化によって自我の構造が違っているからです。
さっき言ったように、ヨーロッパ人の自我は神に支えられ、日本人の自我は人間関係に支えられているという違いがあるわけですが、ここが違っているのですから、当然、何か自我の崩壊の不安を呼び起こし、何か恐ろしいかということが、ヨーロッパ人と日本人とでは違っているわけです。
ヨーロッパ人にとって恐ろしいことは、神との契約、神の戒律に背いて神の怒りを買うことですが、日本人にとって恐ろしいことは、人びとに迷惑をかけ、人びとから非難され、見捨てられることです。
だから、日本人に対していちばん効果のある罰は、村八分や、罪九族に及ぶ連座制ですね。
野球部員の一人が非行をしたら、罪は野球部全体に及んで出場辞退に追い込まれるというのもそれですね。非行をしたその部員にとっては、それは自分一人がどんな罰を受けるよりもつらい。
個人主義の確立がどれほどやかましく言われたって、日本人は、実際には、個人主義の道徳では動いていないんです。
日本人が犯罪を犯さない最大のブレーキは、家族が世間で後ろ指をさされないかということですよ。
■サタンと幽霊
岸田 近代ヨーロッパの法体系は、神を国家に置き換えただけで、実質的には神の戒律です。
ヨーロッパ人は、法による処罰の背後に神の怒りを見るからこそ、罰を恐れ、法を守るわけです。
自我の構造が違う日本に、このような法体系が輸入されたことが、近代日本の混乱のはじまりですね。
日本人は、観念的には正しいとされているけど、心からは納得していない法体系と、「封建的」とか「古い」とかで否定すべきものとされているけど、実際には従っている道徳とのあいだに引き裂かれているわけです。
だけど、今、山本さんがおっしゃったように、日本人はなんとなく法律というものを信用しておらず、依然、実際には伝統的規範に従って行動しているから、犯罪が少ないんじゃないかと思うんですがね。
ヨーロッパやアメリカに犯罪が多いというのは、ニーチェは神は死んだと言ったけど、死にかかってはいてもまだ死んでいなかった神が本当に死んでしまったからではないでしょうかね。
彼らは神が歯止めですから、神がいなくなると、残るのは、法的な処罰の恐れだけでしょう。
それだけでは、犯罪は防げません。
ドストエフスキーじゃないけど、彼らにすれば、神がいなければすべてが許されるわけですね。
彼らは、神がいない日本人がなぜ道徳を守るのか、到底理解できないでしょうね。
ぼくは、「進歩的」とか「合理的」とかの理由で、個人主義の道徳を日本人に押しつけるのは、大いに問題があると思っているんですよ。
下手をすると、ヨーロッパ的な歯止めはついに効果を発揮せず、日本的な歯止めは効果を失うということになりかねない。
ま、そのような押しつけが成功するはずはないんで、安心しているんですが。
それから、いまお話しの、日本に強姦が少ないというのは、日本では共同体の道徳が生きているということのほかに、もう一つ理由があると思うんです。
そもそも強姦というのは性欲の問題ではなくて――つまり、たまりにたまった性欲が暴発するという単純なことではなしに――男らしさを証明する手段として存在するんですね。
アメリカでは確かに強姦が非常に多くて、日本の何十倍という数になるんですが、これはアメリカの男性が、より男らしさを証明する方向に駆りたてられているということです。
つまり、開拓時代に過大に要求された「男らしさ」という行動規範が、現在はさして必要でもなく発揮する場もないまま残されていて、その規範に自分をあてはめるために非常に苦しんでいるわけですよ。
日本の男には、母親に対する甘えがあるし、結婚してからも結構、女房に甘えるんですね。
日本の奥さんはよく亭主のことを「大きな赤ん坊を抱えているようなものよ」と言うでしょう。
ああいうことは、アメリカではあり得ない。
男らしさの規範に満たない男を激しく軽蔑するわけです。
その結果、アメリカの男はレディーファーストなどといいながら、無意識に女を深く憎んでいる。
つまり、アメリカでは男が女に甘えることによって、男と女の関係の対立を緩和するという条件が欠けているんですよ。
山本 犯罪の型は確かに文化の型をそのまま現していますね。
日本の場合、強姦は少ないけれど、男性の行う結婚サギは実に多いらしいですね。
届け出が少なくて実数はつかめないようですが、一人がとどけるとイモヅル式に被害者が出てくる。それがたいてい、女性が甘えられて、かねも体も喜んで差し出すという形でしょう。
(~次回に続く)
【引用元:日本人と「日本病」について/伝統的規範と法/P78~】
幾つか雑感を述べていきます。
まず、二人の主張である日本人の行動の規範における歯止めというのが、「人間関係」というのは妥当な指摘でしょう。
西欧やイスラムでは、禁止事項を事細かにあらかじめ決めてあるのに対し、日本は決まっていない。
その時の「対応」によって決まってくる、ということは、その時々の人びとの意識によっても左右される可能性があるということになります。昔だったら問題視されなかった事が、今なら問題とされ、それが行動の「歯止め」になるという風に。
基準が「人間関係」に依存するが故に、どうしてもその運用について「曖昧さ」というのが出てきてしまうような気がします(逆に言えば、柔軟な対応が出来るともいえますが)。
そして、一番の問題点は、おそらく日本の法律が、「伝統的規範」に必ずしも則っていないという点だと思います。
うまい具体例がちょっと思いつかないし、今思いついた例も、果たして適切な例かどうかも非常に怪しいのですが……。
例えば、談合問題などは、日本的価値観から言えば必ずしも間違っていると言えないのにも関わらず、違法であることとか…。多分、昔に遡るほど違法という意識を持っていた人は少ないのでは。
政経分離を巡る問題もその一つかも知れません。伝統的価値観から言えば、参拝活動など問題ではないのにもかかわらず、違法とされ、法に抵触しないようびくびくしながら参拝しなくてはならないこととか…。
ちょっと話がずれるかも知れませんが、いわゆる日の丸・君が代問題も、その変種かもしれませんね。
違法だの愛国心が危険だの主張されても、普通の人々は日の丸・君が代に伝統的価値観を見出していますから、それを否定されても受け付けない。
それどころか、そう主張する連中を、逆に伝統的価値観を損なうものと見なし、反発する。
これは左翼が主張するような「右傾化」というよりも、むしろ伝統的価値観を守ろうとする「保守化」と言ったほうが正しいと思います。
この問題を二人の視点から考えてみれば、一部の人びとを除いて、彼らの運動が共感を得られないのも、あたりまえといってよいでしょう。
今まで挙げた例は、ひょっとすると適切な例じゃないかもしれません(どなたかもっと適切な例を思いついた方がいましたら教えてください)。
ただ、西欧の法律が神(という彼らの伝統的規範)をベースにしている事と比べると、日本の法律は成立の過程から見て不自然なのは否めない気がします。
そういう意味ではやっぱり、日本人にとって「法律」とはちょっと信用ならないのかも。
それと、日本人の場合、「人びとに迷惑をかけ、人びとから非難され、見捨てられること」が歯止めになっているのは確かですが、こうも核家族化が進み、人間関係が希薄になってくると、その「歯止め」が働かない人が増え、犯罪が多発してくるのも仕方のない事かもしれません。
これへの対処は、やはりコミュニティの再生しかないような気がしますが…。
他になんかあるでしょうか?今は他に思いつきません…orz
最後になりますが、岸田秀が、日本人に個人主義の道徳を押し付けても成功するはずは無いと断言していますけど、これは果たして当たっているのか……?
これだけエゴイズムがはびこっている現状をみても、私はちょっと不安ですね。
今日はここまで。
次回は引き続き「サタンと幽霊」を紹介していくつもりです。
ではまた。
【関連記事】
・日本で個人主義が嫌われる理由とは?~神の歯止めを持たない日本人~
・日本人の組織とは?
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