はてなキーワード: チャーシュー麺とは
「肉肉麺」とは、文字通り肉が大量に盛られたラーメンのことで、特に豚肉や牛肉を柔らかく煮込んだり、炒めたりして麺の上にたっぷりのせた、肉好きにはたまらない一杯を指します。台湾の「牛肉麺」のような本格的なものから、日本のラーメン店で「肉盛り」や「肉そば」として提供されるものまで様々で、肉の種類や調理法(煮込み、炒め、炙りなど)、スープの味(醤油、味噌、豚骨など)がお店ごとに異なりますが、共通するのは「肉の満足感」が非常に高い点です。
チャーシューが花びらのように並べられた「肉の壁」や、丼を覆い尽くすほどの豚肉などが特徴。
豚肉(希少部位)、牛肉、鶏肉(親鳥)など、お店のこだわりによって異なる。
醤油ベースの甘辛い味付け(豚すき肉風)、八角や生姜が効いた台湾風、鶏ガラ・豚骨ベースの濃厚なものなど、地域やお店の個性が出る。
豚肉を特製のタレで甘辛く炒め、旨味の強いスープと合わせたもの。
野菜やニンニクと共に、大量の豚肉(豚塊)がトッピングされるスタイル。
「肉肉麺」を探す際は、「肉そば」「肉盛りチャーシュー麺」「牛肉麺」「〇〇(地名)の肉麺」などで検索すると、お好みの肉肉しいラーメンが見つかるでしょう。
例えば「ふくちぁん」というラーメン屋なら「ふくちぁんラーメン」と名前が付いている商品。
だが、口に出して注文する時に妙な恥ずかしさが顔を出す。
値段が安いものを頼んでいると思われたくないわけじゃない。ただ名前を発音する瞬間が嫌なのだ。
しかし考えてみると「相手への関心の表明」があるのではないか。
自分としては「あー何でもいいからラーメンが食べたいです。そのためたまたま開いていたこの店に入りましたよ。決してあなた方の味を求めて来たわけではありませんよ」という顔をしていたい(メンタル的に優位に立ちたい本能かもしれない)。
だが「ふくちぁんラーメン」を頼むことで、一般のラーメンではなくまさに「ふくちぁんラーメン」を求めているという事実が発生してしまう。
全く不合理だとは思うが、人間の心理なんてそもそも意味がわからないものなのだろう。
単に「ラーメン」と言えばいいと思うかもしれないが、それはそれで「ふくちぁんラーメン」と言いたくなかったのかな?と見透かされそうで嫌だ。
ラーメン屋に来ている。
そこでは各ラーメンの特徴だったり、それぞれのトッピングがどういう物なのかという説明が券売機の近くにびっしりと書いてあった。
書いてあることはとても分かりやすく、そのおかげで初来店の私も特に不自由なく食感を購入する事ができた。
店員に案内された席に付き、冷たい水を飲んでいるとまた別の客が店に入ってきた。
彼はしばらく食券機の前で立ち尽くしていると調理中の店員を呼びはじめた。
私は「1万円札の両替でもするのかな」と思っていたが、どうやらその客はメニューの特徴などを聞いているようだった。
店員は少しの間説明していたが、その客がどんどん質問するので「食券機の隣に説明もあるのでそちらを参考にしてご購入ください」と言い、また調理に戻っていった。
メニューの説明文は食券機の真横に書かれており目に付かないはずは無いのだが、なぜこの客はそれを読まないのだろうか。
私は少し考えて思った。
世の中には文字に対して忌避感を持っていて、ある程度まとまった文章を無意識的に読もうとしない人が居るのでは無いだろうかと。
最近、SNS上で議論が発生しているときにYouTubeの動画を自説の根拠として挙げている人を見かけた。
その動画では調べても特に素性のよく知らない人物がさも真実かの様にとある主張をのべていた。その主張には特に根拠と呼べる様な文献などが提示されておらず、客観的に信憑性が怪しい物だった。
なぜこんなものを議論の根拠に挙げるのだろうかと私はそのとき呆れてしまったが、ラーメン屋で説明文を読まず店員に説明させる客を見て少し理解出来た気がした。
動画は一般的に口語で語られていて、根拠はさておきその主張は理解しやすい物だ。根拠も曖昧なので分かりやすいストーリーを作るのが容易になる。一方で、物事の根拠になるような論文などは基本的には文書として存在している。文字を読もうとしない人にとってはそのような文書は存在してないのと同じなのでは無いのだろうか。先ほどのラーメン屋の客のように。
近年、非科学的、非論理的な主張を恥ずかしげもなく展開しそれに賛同する人間が増えている様な気がする(SNSの大衆化によりそのような人が可視化されやすくなっただけかもしれないが)。
もしかしたら彼らも、意識的無意識的にかかわらず文字を読もうとしないで、理解が容易な動画もしくはSNS上の短文でしか情報を得られないのでは無いだろうか。
彼らに必要なのは、科学的な根拠となる文献を提示する事ではなく、丁寧に口語で語りかける事なのでは無いだろうか。
そんな事を考えてるうちに美味しそうなチャーシュー麺がやって来たので私は食べる事に集中しようと思う。
ラーメン二郎は多くて安くて美味くて早い。これが全てなんだよ。
これを踏まえていない議論は全て読むに値しない。
まず麺が多い。「小」を頼んでも普通の店の3玉くらい入っている。
チャーシューも分厚いのが2,3枚入っている。普通のラーメン店のチャーシュー麺の1.5倍は肉が入ってる。
トッピングのヤサイだって、ちょっとした野菜炒めくらい入ってる。
異常に多い。ハッキリ言ってドカ盛りの店だ。
世の中にドカ盛りの店があるのと同じように、世の中にラーメン二郎がある。
ラーメン二郎は異常に安い。
その上ラーメン二郎は店で豚骨を炊く贅沢なラーメンだ。それが2~3人前の量で700円。
何故商売が成立しているのか不思議なレベル。ラーメン二郎は異常に安い。
原価厨もびっくりだわな。
完全なる調和がそこにはある。
雑に作っているように見えて、あれが完成形なんだよ。
ネットの野次馬共がうまいと思わなくても完全に自由だが、俺達にとってはうまい。それだけの話だ。
フランス料理やインド料理やジョージア料理が人を選ぶのと同じように、ラーメン二郎も人を選んでいるだけだ。
豚の餌だなんだと言って見下しているやつは、ラーメン二郎に選ばれなかっただけだ。
ラーメン二郎は早い。人気のラーメン二郎には長蛇の列ができるが、他の行列のラーメン店と比較すると列はすぐに捌ける。そして着席してからはあっという間だ。
茹でるのに時間がかかる極太麺なのに、だ。
ラーメン二郎が早いのは、ラーメン二郎がロット制を導入しているからだ。
例えば席が14あれば、7人が1ロットだ。
一度に7人前の麺を、並んでいる時点で茹でておく。そして着席したらすぐにラーメンを出せるようにしておく。
「ロット制」によってラーメン二郎は原価率が極めて高い料理を高速で客に提供し、薄利多売でビジネスを成立させている。
ラーメン二郎がチンタラ飯を食う奴に厳しいように思えるのは、ラーメン二郎がロット制を導入しているからだ。
7人のうち1人でも遅い奴がいると、あらかじめ茹でてある次の人の分の麺と席が無駄になる。
原価率が極めて高いラーメン二郎にとって、これは致命的だ。
ただ、ロットからはみ出るほど遅くなることは、普通に食っていればまずない。
ダラダラ会話しながら食べたり、腹いっぱいなのに残すのが申し訳なくてダラダラ食ってたりしなければ普通は大丈夫だ。
食える量を注文して黙々と食えば何の問題もない。
今回は20分で炎上したが、麺料理なんだから20分を超えるなんてことは基本無い。
ラーメン二郎は何故多くて安くて美味くて早いのか?
つまり、大人なら誰もがその思いを持っているのと同じように、創業者にも学生に栄養のあるものを腹いっぱい食わせてやりたいという思いがある。
大盛りを「小」として出すのも、創業者の心意気だ。
驚くほどの大盛りを「小ですw」と言って出す創業者と、それを見てワクワクする学生。ラーメン二郎の原点は、この風景にこそある。
想像してみろ。
知ってる人は知ってるだろうが、創業者はハゲたメガネのオッサンだ。
おしゃべりが大好きで、いつもニコニコしながら客と喋っている。81歳という高齢だが、今でも本店では朝から総帥が厨房に立っていることがある。
総帥は81歳なのに太っている。きっと自分のラーメンをいつも食べているんだろう。信じられないことだ。
慶應義塾大学の学生の多くはBMW(ベーエムベー)を乗り回すボンボンだが、中には苦学生だっている。
ラーメン二郎はヤサイもニンニクも背脂も無料トッピングだ。苦学生は普段ヤサイなんて食えない。苦学生はヤサイとニンニクとアブラの食いだめをするためにラーメン二郎にやってきている。
物価高でラーメン1杯700円は総帥にとって正直キツいが、ハゲたメガネのオッサンは学生の前では強がって「何って...小ラーメンを出しただけだが?」と強がる。
武士は食わねど高楊枝って言うだろ?
武士たるもの、特大を出しても、「これは小だ」と言い張らないといけない。
俺達大人からすると下らないこだわりのように思えるが、総帥はシャイだからそういうやり方しかできない。
慶應義塾大学の学生は生意気にも頭が良いから、店が物価高でキツいんであろうことくらい理解している。
こんなに安い値段で腹いっぱい食わせてもらって大丈夫なのかな、なんて内心では店のことを心配している。
しかし決してそんなことは口にしない。
在りし日のラーメン二郎には、遊び心に溢れる創業者の心意気と、生意気だけど謙虚な学生の、二人の世界があったはずだろ。
儚いし、いじらしいだろ。
ラーメン二郎は特殊な環境かもしれないし、人も選ぶかもしれない。けど、何も知らない上に、知らない文化にも敬意を払えない奴に好き勝手言われたら悔しいだろ。
実際には俺もお前も学生ではなく、ただのハゲたメガネのオッサンだ。それに、俺達が行く店は本店ではない。そこに総帥はいない。総帥の弟子か、孫弟子がいるだけだ。
だとしても俺達は、ラーメン二郎に並んでいるときだけは慶應義塾大学の苦学生で、店員は総帥のスピリットを心に秘めているんだよ。
俺達は、ただ総帥の心意気をありがたく思っておけばいいんだよ。
お前は慶應生として世界に羽ばたいて出世してもいいし、出世しなくてもいいが、オッサンになっても2年に1回くらい店に行って、心のなかで創業者の体調を心配しながら、そんなことは決して口にしないで小ラーメンを啜って、ベトベトの赤いカウンターに座りながら学生の頃の美化された記憶でも思い出しておけばいいんだよ。
(スープや麺は購入したとして、)
煮豚(チャーシュー等)、支那竹、青物(絹さや、ほうれん草、他)、
煮卵、海苔、葱(青ネギ、白髪ねぎ等)、香辛料等(胡椒、一味、大蒜、他)、
付け合わせの物を考えると、材料、調理に関わるコストがかかる事は明白だ。
更に前述の麺やスープまで自作するとなると... 言う必要も無いだろう。
とは残念ながらならない。
5、600円で食べられたら納得できる、
700円台だとこの辺までかなと感じ始める、
それ以降は概ね1,000円と考えるようになり、
何故ならその金額で、他に旨いものを食べられる事を知っているからだ。
但し、「世の中で一番旨いのはラーメン」と考えている人からすると、
「旨ければ千円でも二千円でも払って食べたい、他の料理は二の次」となるのも当然だ。
でもたまには美味しいラーメンも食べたい、だけど千円は払いたくない、我儘な言い分です。
ラーメン¥750、ネギラーメン¥1,000、チャーシュー麺¥1,200...
美味しいのは分かる、コストがかかっているのも分かる、だけど高く感じてしまう。
「ラーメンは庶民の食べ物=ラーメンって安い物」というステレオタイプをどうしても消すことができない。
千円でも安いという人はいるんだろうけどね。
【追記】
こんなに伸びてるとは思わなかったので。
誤解を生んでしまった箇所が有った。
そこで
「千円以上出すのなら鮨とか海鮮丼とか食べたい。」
と書いたつもりだったのだが、そこはすっ飛ばす増田やブクマカがいるようで、
文盲とまでは言わないが、少しは元増田の気持ちを汲んでくれよと言いたい。
湘南のしらすや海鮮物も良いのだが、いかんせん海岸線沿いの渋滞が酷い。
あそこも旨いんだけどなあ。
みんなも旨いもの喰って肥りまくってくれ。
自分が1000円相当のものに2000円払ってぼったくりって思ったとしても、店側やほかの客は2000円相当に感じてるかもしれない
このため、ぼったくりと思ったのなら出来るだけ客観的事実を書くのがよい
ラーメン屋の例として
ラーメン屋に行って、ラーメン1000円、チャーシュー麺2000円だった
チャーシューが食べたくてチャーシュー麺を頼んだんだが、隣の人のラーメンがチャーシュー1枚に対し、私のチャーシュー麺は2枚と1枚しか増えていない
チャーシューの種類も普通のラーメンと同じだし、個人の感想になるが、自家製でなく、スーパーで売っているようなチャーシューだった
これに1000円はちょっとどうかと思う
って感じだな
ラーメンがまずいなら普通は「そんな店に行かなければいい」と考えるが、政治であれば容易に国は変えられないので、その重要なところの対応が成り立ってない。
長期政権は腐敗するからこそ政権交代が必要なので、いわばチャーシュー麺を注文するほどチャーシュー麺の味が落ちていくようなものだが、その要素も拾えていない。
豚骨ラーメンを成長させるために豚骨ラーメンを注文しよう、と考えることもない。
政権の評価は国の問題なので、この店にとって看板メニューはチャーシュー麺のままでいいのか、それとも豚骨ラーメンがいいのか、という判断を迫られていることになるが、ラーメンのたとえでは「個人の好み」で終わってしまう。
お前らは食べ放題のよろこびを忘れてしまった。ああ、なんと悲しいことだろう。
思い出せ、食べ放題のよろこびを。食べが放題なのだ。何をいくら食っても良い。いくらばかり食っても良いし、肉ばっか食っても良い。その喜びをお前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっと加齢だとは思う。胃が弱り、ガツガツするのをみっともないと思うようになり、アブラを受け付けなくなり、鶏肉とブロッコリーを蒸したやつしか食わなくなり、そしてお前らは食べ放題のよろこびを忘れた。
思い出してほしい、小学校6年生。サッカーか?野球でもいい。スイミングでもいい。運動会というパターンもあるだろう。なんでもいいが、試合の終わり、打ち上げですたみな太郎に連れて行ってもらった日のことを思い出せ。そういう記憶が無いなら脳内で捏造してもらっても構わない。
まずお前らはすたみな太郎の席につく。土曜日、ランチ。値段は2580円くらいだろうか?子供はちょっと安いから1580円くらいかもしれない。値段なんて覚えていない。親が払ってくれるからだ。
まあ、お前が小学生だった頃のすたみな太郎がいくらなのかは知らないが、とにかく驚くほど安い。最近はセブンイレブンでちょっと弁当とファミチキとアイスとコーラとコーヒーを買っただけで1580円くらい行くよな。しかしすたみな太郎なら食べ放題、食べが放題なのだ。
そしてまず肉を取りに行く。すると広がっている、肉が。食べホならではのよろこびだ。何をとってもいい。大人になると、すたみなたろうに置いてある肉が、ほとんど固形燃料か、あるいはゴムかの、どちらかであることに気づくが、野球終わりの小学生にはごちそうにしか見えない。
そして山盛りにとって席に戻り、ひたすら食べる。とにかく美味い。どうやって食べてもいい。適当にたべてもいいし、じっくりていねいに焼いてもいい。ここで問題なのは、食べホじゃない焼肉屋では"じっくりていねいに焼く"以外の選択肢が存在しないことだ。なんと不自由なのだろうか。
お前は小生意気だからきっと小6にして"すたみな太郎の肉とかゴムだろw"とか言って、少しでもマシそうに見える原価の高そうな肉ばかりをとるかもしれない。
だが、そんなことをされてもすたみな太郎は痛くも痒くもない。なぜなら、すたみな太郎にとって、お前の笑顔こそが一番の報酬だからだ。ほかの食べ放題屋はそうではないかもしれないが、すたみな太郎だけはお前の幸せを真剣に願っている。お前の打ち込んでいる、サッカーか、野球か、そろばんか、プログラミングか、なんなのかは知らないが習い事の成功を願っている。そして今でもお前の幸せを願っている。お前は今、幸せか?
お前は忘れてはいけない、食べホの魅力を。たとえお前が老いから食べホに行かなくなったとしても、食べホに魅力があったことだけは忘れてはいけない。
食べホには自由がある。何をどれだけ食ってもいい。殺人以外は何をしても許される。
たまに「デザートは一人1品」とか抜かす食べホもあるが、最初に告知しているのであれば別にかまわない。後出しジャンケンは卑怯だというだけの話で、最初からルールが決まっているのなら問題はない。食べホにおまけでデザートがついているのだと解釈すれば許せないことなど何もない。
食べホの魅力は食べが放題な部分にある。「ほかの客のためにほどほどにすべき」「ほどほどにしないと変なルールができて全員が損する」「品がない」などと抜かす奴は食べホの魅力をわかっていない。品がないのが食べホの魅力だ。(ホテルのレストランがやっている「高級中華注文制食べ放題」のように品のある食べホも世の中には存在するが、そういうのは例外かもしれない)
食べ放題の魅力は、後出しジャンケンをされないところにある。明文化されているルールの範囲であればなにをやっても許されるフリーダムさこそが食べ放題の魅力だ。「俺の行為で周りが迷惑するかも」なんて考える必要は1ミリも無い。マジで1ミリも無い。
自分にルールを決める権限がありながら後出しジャンケンをするカスの資本家店長も食べホの魅力をわかっていない。「スイーツは1品のみ」「フカヒレは1皿のみ」「一度に注文できるのは5皿まで」とルールを明文化して戦っている食べ放題屋さんは今ではありふれている。実にフェアだ。隣町のスポーツ少年団をサッカーでボコボコにしたあの輝かしい日のお前のように、完璧なスポーツマンシップにのっとっている。そういう店と比べると、ルールを決める権限があるのに明文化せず、シンプルなルールでお得そうに見せかけて客を呼ぼうとするのはフェアじゃない。
確かに、外れ値というものは存在する。赤字にならないようになっているはずの食べホに赤字の打撃を与える猛者というものは確実に存在する。だから外れ値が出たときの赤字を吸収できるように、それ以外の客で収益を上げられる仕組みにしておくべきだ。人間は食べる量が一定ではない。食べるものも一定ではない。だが平均すれば一定だ。
外れ値のせいで少食の人間は損をするかもしれないが、だからと言って外れ値を後出しジャンケンで排除したら、次に外れ値として後出しジャンケンで排除されるのはお前かもしれない。
後出しジャンケンで損をするのは外れ値の人間だけではない。お前も損をする。後出しジャンケンが横行すると心理的安全性が下がり、お前のような大して食べない老人までもが食べ放題を心から楽しめなくなる。だから、そういう資本家の横暴を許してはいけない。万国の労働者よ、団結せよ!
お前は年老いてしまった。豚バラを一切れ食べれば胃もたれする肉体になってしまった。店の弱点を突き、店長が泣くまで食ってやろうというガッツを無くしてしまった。そのガッツこそがお前をサッカーで活躍させたパワーの源だったに違いないのだが、お前はそれを忘れてしまった。
それ自体が悲しいことだとは思わない。老人には老人の役割がある。老人にガッツがあっても大して役にはたたない。お前のような老人には、威厳と、少しのユーモアさえあれば良い。
真に悲しいのは、お前がガッツを無くしてしまったことではない。お前が、食べ放題を楽しみにしていたあの頃の自分の気持ちを想像できなくなっていることだ。
老いてしまった肉体は取り戻せないが、老いてしまった想像力は少しくらいなら取り戻せるはずだ。今からでも間に合う。
だからこそ思い出せ、食べ放題の魅力を。そして行け、すたみな太郎に。
すたみな太郎に行きなさい。
そしてゴムみたいな肉を食え。それに飽きたらほとんど燃料としか思えない真っ白な肉を食え。そして黒毛和牛ではなく"黒毛牛"と書いてある謎の肉を食え。黒毛牛はそれでも他の肉よりは高そうだから、黒毛牛ばかりを食え。飽きたらラーメンを食え。タフな老人になれ。サンチュを焼け。手羽先を焼け。黒毛牛を焼け。ラーメンにカレーをかけろ。そのかわりに必ず全部食え。アイスを食え。他人の気持ちがわかる良い老人になれ。寿司にラーメンスープをかけてお茶漬けを作れ。黒毛牛を焼け。そしてサッカーで優勝しろ。サッカーじゃないのなら野球でもいい。お前が優勝できないならお前の子供が優勝しろ。子供も無理なら近所のガキでもいい。なんでもいいから優勝しろ。幸せになれ。お前の幸福、ただそれだけがすたみな太郎の望むことだ。そしてドリンクバーを混ぜろ。"黒毛牛"をラーメンに乗せてチャーシュー麺を作れ。そして唐揚げを焼け。寿司を焼け。
「てめぇ!ふざけたもん出すなコラ!」
可哀想にスタッフの学生風の男の子、ヘコヘコ謝って丼を下げようとするから俺が声かけた。
「その代金俺が払うから、それ俺に食べさせて」
戸惑う男の子にいいからいいからってそのまま俺のテーブルで貰って、店長らしきお兄さんが「困りますよー」なんて出てきちゃったんだけど。
輩に聞こえるように言ってやったよ。
この丼一杯にどれだけの命が入ってると思ってる?
髪の毛一本入ってたくらいでへこたれるやわな身体じゃねぇよって。
そんなとるに足らない理由で沢山の命を無駄にする事は許さんと。
おかげで俺はラーメンと後から来たチャーシュー麺を二杯たいらげる事になったので腹はパンパンだ。
レジでさっきの店長さんが「ラーメンの方のお代は本当に結構なので」と言うから、俺が食った以上それはできん!と無理矢理お金を置いて行った。
そしたら店長さんわざわざ外までついてきてさ。
「では、らーめんの方のお代は子どもの病気への募金に寄付させてもらいます」
って。
なんかそのラーメンチェーン店でやってる募金活動があるらしく、まあ俺は金を払ったからそれをどう使うかはあなたにまかせるよと。
俺はさ、親父も祖父も畜産で働いていたからどうしてもそういう気持ちが働いちゃうんだよなぁ。
髪の毛一本くらいで大声出していい大人がみっともねぇよ。
https://japan-who.or.jp/factsheets/factsheets_type/salt-reduction/
日本厚労省「「日本人の食事摂取基準」(2020年版)」では上記を基準値に算出され成人男性7.5g以下、女性6.5g以下である。
表1
では1日3食だとして計算すると1食あたり
実は、コンビニのおにぎりを1つ食べるだけで1食分の塩分をほぼ満たしてしまい(2個食べると厚労省基準でもオーバーである、おかずも食べれない)、ラーメンを完食してしまえばほぼ1日分は満たしてしまうのである。
はっきり言って、旨いものは、しょっぱかったり油がかなり入ってたりする。そう考えると、食べ物と資本主義と健康の相性はあまり良くないのだろう。旨くないと売れない問題があるのでこんな状態になってると思うのだが、食品生産側には頑張ってもらいたい。