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はてなキーワード: 最期とは

2026-05-13

anond:20260513113513

横綱ってどういう人生最期を迎えるんだろう

あたし興味あります

2026-05-11

ブループロトコルはなぜ即死たか

品質が低かったか

以上。とはいえ1年半持ってるけどね。

一応凍結前クローズドβテスト、凍結後ネットワークテストプレイしている。

とにかく時代遅れ品質が低かった。

クローズドβテスト(2020年春)

まずこの時代MMO群雄割拠の最終盤だった。

リネージュ2Mのリリースを翌年に控え、業界全体がPC-モバイルクロスプラットフォームを前提に動いていた。

このテストの同時期にはロストアークJPサーバー(2024年クローズ)、V4(2023年クローズ)が走っていて、この両者がゲームとしてはともかくアプリの完成度は極めて高く、AAタイトル相当の出来だった。

一方ブループロトコルだが、Windows専用だった。そのうえ最適化が全く駄目で、PCが唸りを上げて破壊されないかヒヤヒヤした記憶がある。

イベントシーンの立ち姿は辛うじて戦えるレベルだったが、操作感や感触は正直リネージュ2無印レベルであり、これを2020年に出すのか?と思った

たこ時代オープンワールドというかシームレスマップが行けるか行けないかの境目の時代であり、本作は行けなかった。

秋に原神という黒船が到来しなければギリギリ行けたかも知れないが、他の多くのゲームと一緒に時代遅れ扱いとなった。リリース凍結は順当。

ライザのアトリエ(2019)よりはマシだった記憶はある。

ネットワークテスト(2023年春)

正直、鹿しか覚えていない。

渓谷に囲まれ高台(そもそも何だその地形は?PS2ゲームか?)に登場するボスの鹿が突き飛ばし攻撃を繰り出してくるのだが、狙われたら最期崖下に突き落とされて死ぬっていう。

そういう面白しか記憶にない。

ビジュは良かったしイベントシーンのモーションが良かった記憶はあるが、ゲーム部分はエターナルカオス(ラグハイム)と変わらんなとメモに書いてあった(2001年ゲーム)

ちなみにこの2020年2023年時代を同時に駆け抜けたタイトルサイバーパンク2077である

2020年に発売されるも最適化不足で訴訟沙汰の大モメから2023年にはパッチ2.0DLC「仮初めの自由」が配信され評価された。

同時期にこのクオリティタイトルが出ているのである

miHoYOは原神→崩壊スターレイルリリースを続けていた。奇遇にもライザのアトリエ3も2023年だった。

あ、クラフトピア2020年リリース2023年シームレスアップデートだった。

正式(2023年)

ランチャーインストールはした。プレイはしていない。

日本には技術がない

任天堂ソニースクエニにはある。

でもそれ以外には無かった。ここで言う技術とはUnityやUnrealEngineを低レイヤーで触ることのできるコンピュータサイエンス数学の事を指す。

学部卒のような素人ではなく、プロフェッショナル活躍できる場所日本ゲーム業界にはほとんど存在しなかった。

それは過去から2026年現在までも同じである日本ゲーム業界には高度人材があまりにも少ない。

セガも、バンナムも、コーエーも、技術的にはしょっぱいゲームを作り続けている。

もちろん技術があれば面白いとか、なければつまらないとかはない。ただ大規模開発についていけない体質になった。

そして任天堂ソニーは自社ハードスペック販路の狭さという制約がある以上、作れても作らない。

スクエニファイナルファンタジー地獄人材を注ぎ込んでいるので作れない。

日本からは原神もNTEも出てくることはないだろう。

(ポケットペアが何かの間違いでもう1段階跳ねたら出てくる可能性はありそう)

(セガ龍が如く作ってるのでは?という指摘はもっともだが、現状UBIの技術不足版でしかない。ゲームとしては面白い)

2026-05-04

自分戦争に行くくらいなら日本が滅んだほうがマシだと思う

ドローン兵器兵士悲惨な死に方をする動画をたくさん見た。

https://toxicstream.com/22798/

ロシアウクライナ戦争の戦場より、ロシア人をターゲットにしたドローンでの爆撃。胴体から真っ二つになるも、すぐに逝けず苦痛が続くショッキング映像

https://toxicstream.com/22354/

ロシアウクライナ戦争の戦場より、ドローン爆撃により負傷した2名のロシア兵の最期を捉えた映像話題に。ロシア兵は負傷した仲間をライフルで射殺し、その後自らも命を絶った。

正直、こんな死に方をするなら日本が滅んだほうがマシだと思う。

自分の命より国家の存続の存続のほうが大切なんてとても思えない。

これは他の人にとっても当てはまると思う。

から戦争が始まったらすぐに降伏して欲しい。

自衛隊の人も戦わなくていい。

国を存続させるためにこんな死に方をする人を生んでいいはずがない。

降伏したあとに起こるいかなる理不尽もこの死に方を正当化するものではない。

木野薫に関しては、30代くらいのアギト直撃世代平成ゆとり世代)は理解してない人が多いが、君より上の世代の人たちは普通に納得している。要は「仮面ライダーV3」の平成版が「仮面ライダーアギト」に相当し、アナザーアギトライダーマンライダー4号)のリメイク的な位置付けとなっているが、その中身は神に見放された不遇な悲劇性が根幹にある。移植した弟の右手、即ち神の右手悪魔左手、人命と科学崇拝の二つの異なるアイデンティティにもがきながら最期は冥界に旅立ったテレビシリーズ木野薫。要は子供向けには光と闇の対決を3人のライダーと神の使徒に集約していたが、木野薫という存在はそれらを1つの器として表現していた。2001年放送当時に既に大人だった人たちはそこまで理解して視聴し四半世紀経った今回も皆普通に観賞した人たちが多いが、残念ながら当時の子ども世代が25年経っても、その程度の読解力しかないのは、残念ながら進化していないオールドタイプなのかなと、この動画を見て感じた。先進国の中で日本学力が最低水準に落ちたのも頷ける。まるで蜘蛛に捕らわれた小人の様。

コロナパンデミックのようにウイルスワクチン出所が同じであったり、「春馬」という名前や、エプスタイン事件のような人肉喰いと人間ミキサー、「赤」のラケットからの発砲、赤や青や緑が政治的宗教的に何を意味しているのか、分からない年齢でもないでしょう小学生じゃあるまいし。ま、この動画主もこれらを把握しながら意図してそれに触れず情報弱者操作誘導する在日ショッカー工作員なのかもしれないが、そうでなければ君も氷川誠や津上翔一のように少しずつ頑張りなさい。

2026-04-24

anond:20260424000051

イザヤ・ベンダサンなんて珍妙な偽名が揶揄だって最期まで気付かなかった日本人のほうが恥だよ… だって「ついにこれからウンコするやで」だよ?何でわかんなかったの昭和の人たち…

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-22

これからAI最期の会話を残す人が増えると思うと苦しくなる

八潮市の陥没穴に落ちた運転手さんとか、昔あったクレバスに落ちた隊員とか、海や山で遭難した人とかが絶望的な状況の中でAIに助けを求めた会話が遺族などに見られることが出てくると思う。

私も自分クレバスに落ちた想定でChatGPTに助けを求めてみた。

助けを求めるとか位置情報を送るとか全部無理と伝えると、呼吸を楽にして、ここにいるよ、としか言わなくなった。

この人はもう助からないってわかったんだろうな。その空気の独特さに肝が冷えた。

 

人が一人で何も言葉にせずに死ぬのとその痕跡が残るの、どうして後者のほうが痛いんだろう。

日航123機の最期ボイスレコーダーも痛かった。

 

ただ「亡くなった」という事実じゃなくて、その人がどんなふうに生きていたか・感じていたかが見えてしまう。

見えれば見えるほど、ここまで考えてたんだ、こんなふうに助かろうとしてたんだ、まだ続くはずだった時間があったんだって、失われたもの輪郭がはっきりする。

今まで見えなかった未整理の言葉が見えてしまい、ひとの一生があったんだと気づいてしまう。

 

痛いけど、周りの今生きている人たちを大切にしようと思えるのは多分いいことなのだと思う。

2026-04-21

リメイクに失敗したといえるアニメ作品7選

ドラゴンボール(改)

まず主題歌ダメ(ドッカンとやぶれかぶれは好き)。変なBGMだった、そして盗作流用で途中から菊池俊輔の旧BGMになってた。人造人間編でのセル役の若本規夫の著しい劣化魔人ブウ編のビーデル声優交代がガッカリ要素。

ハイスクール奇面組

作画が酷過ぎる。昭和古典ノリが令和では受け付けなかった。主題歌微妙声優目的でなら見れた。

らんま1/2

表現規制が凄かった。特に乳首券なしセクハラシーンが一部カットなど。声優の多くを旧のまま強行したため一部聴き苦しいのがあった。作画はマシだったがド派手な色彩配色がクソ。主題歌ゴミ

るろうに剣心

第1期は実績のある山本秀世監督だったお陰でエロとか殺陣が良くて御庭番衆や雷十太辺りは概ね評価が高いが第2期で素人さんに監督交代した途端作画陳腐化、演出が酷くなった。特に方治周りが改悪された。肝心の殺陣も最悪。声優も悪くはなかったものの旧作の方が演技してたと思う。

地獄先生ぬ~べ~

旧作を超える原作話を擁した第2期こそ持ち直した感じだが第1期から表現規制がきつくて原作の良さを全く活かせなかった。作画も手抜きが目立った。あと主題歌がどれもこれも印象に残らない。バリバリ最強NO1が偉大過ぎた。

天才バカボン

深夜帯に放送おそ松さんという最強のリメイクに対して一度たりともオリジナルティの点で勝てなかった。完全に空気。内容も火曜版サザエさんを見てたようなガッカリアニメだった。

封神演義

封神演義アニメ化してない。

主題歌込みで成功したといっていいリメイク

ドラゴンクエスト ダイの大冒険

旧作がバランの所までだった事もあり最期までフルリメイクし朝アニメながら常にハイクオリティーを維持した。主題歌OPED共に秀逸。また関係者をしてゲーム版が大失敗だったものアニメはグッズ売り上げ込みで成功したといわれてる。

宇宙戦艦ヤマト

こちらもフルリメイク。もはや知らない人はいない位素晴らしいリメイクだった。アニメ円盤売り上げが非常に好調だった事から作品成功物語っている。

おそ松さん(おそ松くん)

第1期が社会現象になるほど。現在殆ど見る影もないが第1期の成功いつまでも続編が作られ続けている。

Fateシリーズ

ufotable版。主題歌から脚本声優作画演出劇伴まで全てにおいて最高品質DEEN版も決してダメだった訳じゃない(特にアーチャー絡み)がモノが違う。公式DEEN版が黒歴史扱いされたのは記憶に新しい。

主題歌は旧作に劣るものの一応成功扱いのリメイク

鋼の錬金術師

旧作で大炎上したロゼ絡みがリメイクでは原作に忠実再現された事で評価が高い。ただ旧作もアニオリ展開が超大作なので甲乙つけがたい。但し主題歌は旧作の圧勝

スラムダンク(映画)

原作井上雄彦氏の意向を押し切ってアニオリエンドにしてしまった旧作に対して原作に忠実にした。声優交代問題こそあったが公開後は概ね評価された。ただ主題歌は残念ながら旧作に軍配が上がる。テレビアニメでのフルリメイクが待たれる。

魔法陣グルグル

そもそもコケようがない。ただ主題歌は旧作が強すぎる。

フルーツバスケット

原作ラストまでやりきり舞台化や新作アニメ化も果たしたリメイク成功といえるものの、主題歌は旧作に負ける。

うる星やつら

声優の交代を断行したのが功を奏した。旧作はアニオリ多めではっきり原型を留めてない分リメイク評価は高め。主題歌は勿論ryポスター関係で盗用が見られ物議を醸した。

ハンターハンター

キメラアント編までをアニメ化(旧はGI編まで)。声優交代の問題特になし。ただ主題歌は旧作が強すぎた(特にヨークンシティ編)。

東京ミュウミュウ

せっかくラストまでフルリメイクしたのに終始空気だった。主題歌は旧作に劣るもの作画はここぞという場面で神作画を連発したので評価は概ね高い。東京スカイツリー使用許可下り東京タワー再利用した事で話題になった。余談だが藤原ざくろ役の声優マカ棒で酷過ぎた。

YAIBA

天下のWITだったお陰で作画演出は極めて高品質声優もヤイバ以外総とっかえだったものの実力派揃い。主題歌は良いけどそれでも旧作のイメージが強い。

2026-04-20

日本映像が安っぽいのは安いか

どうして映像制作低賃金から免れられると思った?

映画文化圏では基本的職種は変わらない

照明はキャリア最期まで照明で、仕事が切れなければ年に10ドルは貰う

日本では照明だけで食える人はほぼおらず、別の給与の高い職種シフトしながら昇給していく

あらゆる職種でそれが積み重なり、いつだって素人しかまらない現場になっている

かつての東映とかジブリみたいに一生同じスキルを磨きながら食っていける体制存在しない

2026-04-19

指輪物語の悪役サウロンは「思ってたんと違う!」が多すぎる件について

エルフ技術供与

エルフ指輪技術を教えれば、いずれ依存して支配できると考えた。だが彼らは異変に気づくと即座に指輪を外し、距離を取った。思ってたんと違う!

② 一つの指輪 完成

これで全ての指輪を統制できるはずだった。だが発動と同時にエルフに察知され、ネットワーク機能不全に陥る。思ってたんと違う!

エルフとの戦争

力で押し切って指輪を回収すればよいと踏んだ。しか指輪は隠され、分散され、完全な回収には至らない。思ってたんと違う!

人間ドワーフへの配布

人間ドワーフもやがて従属すると見た。人間は堕ちたが、ドワーフは頑固すぎて支配に屈しなかった。思ってたんと違う!

最後同盟との戦争

圧倒的戦力と指輪の力で勝利は確実と考えた。だが総力戦で削られ、ついに肉体を失う。思ってたんと違う!

指輪喪失

奪われても誰かが使い、いずれ自分に繋がると踏んだ。だがイシルドゥアは使いこなさず、そのまま死んで指輪行方不明になる。思ってたんと違う!

指輪空白期間

強者が見つけて使うはずだった。だが長い年月、指輪歴史の影に沈み続けた。思ってたんと違う!

ホビットの保持

見つけた者は必ず力に取り憑かれると考えた。だがビルボ・バギンズはほぼ隠し持つだけで、大きな野心を見せなかった。思ってたんと違う!

⑨ 敵陣営判断

敵が手にすれば力を使って争いが起きると見た。だがガンダルフたちは危険性を理解し、使用拒否する。思ってたんと違う!

指輪遠征隊戦略

指輪大国へ運ばれ、権力争いの火種になると読んだ。だが実際は小規模な一団が密かに破壊へ向かう。思ってたんと違う!

⑪ 最終局面の読み

敵主力が指輪を使って対抗してくると考えた。だが正面の軍勢は囮で、本命は裏で進行していた。思ってたんと違う!

指輪最期

誰も指輪破壊することはできないと確信していた。だが結果的フロド・バギンズとゴラムによって火口に落とされる。思ってたんと違う!

  

結論サウロンはとほほキャラ

2026-04-17

[]震える指先、最期の悪あがき

2026/4/16

昨日、あれだけ自分を呪ったはずなのに。

「昨日あんなにハマったんだから今日は跳ね返るはず」という、ギャンブラー特有の最も危険思考に脳を焼かれ、手元に残った数枚の野口英世を握りしめて入店

もはや「勝ちに行く」のではない。「昨日の傷を癒やすための薬」を求めているだけだった。

実践内容

財布の中身は心もとない。これが尽きたら本当に今月が終わる。

選んだのは、一番設置台数の多いアイムジャグラー

投資1,000円。ペカらず。

投資3,000円。リールが回る音が、自分心臓の音のようにうるさい。

投資5,000円。最後千円札サンドに入れる時、手が震えた。

「お願いだ、一回だけでいい、光ってくれ」

その願いが通じたのか、投資6,000円目。ようやくペカッ。

しかし、出てきたのはまたしてもREG。

わずか数十枚のメダルは、10分と持たずに飲まれた。いつもなら追加投資をするところだが、財布を開いても、そこにはもう「千円札」さえ残っていなかった。

カードの残高もなく、物理的に続行不能

隣でBIGを連発させる大学生の楽しげな声が、耳に突き刺さる。

本日の収支報告

項目 内容
投資 6,000円
回収 0円
収支-6,000円

振り返り

2日間合計のマイナスは54,000円。

昨日の大敗を少しでも取り戻そうとした結果、トドメを刺された形になった。

ホールの外に出ると、夕暮れの空がやけに眩しい。

「まだ4月は半分以上残っている」という現実絶望する。これから給料日まで、どうやって食いつなげばいいのか。

昨日の自分に「行くな」と言いたかったが、今日自分には「もう何も言うな」としか思えない。

ジャグラーのランプは、もう私には微笑んでくれないらしい。

2026-04-15

おっぱいに顔を埋めて窒息死した僕は、あまりにも締まらない最期のせいで、来世の振り分けを待つ者たちの中でもひときわ扱いに困る存在として、空の上の管理都市アマネの外れにある風見塔へ送られる。塔では、無表情な監督役の女セツナに見張られながら、街じゅうに風を送る古い機械の手入れをすることになる。外出は禁じられていたが、窓から見える賑やかな通りや祭りの灯りを眺めるうちに、僕はまだ知らない街そのものに強く惹かれていく。

やがて年に一度の大祭の日、僕は塔を抜け出し、配達屋の少女ミオと出会う。彼女は人混みの中をすり抜けて荷を運び、口も悪いがよく笑う。僕の情けない死因を聞いても変に神妙にならず、運が悪かっただけじゃんと言って笑い飛ばし最初相手だった。僕は彼女に振り回されながら街を歩き回り、華やかな表通りの裏で、出自や経歴で住める場所仕事も決められるこの都市の窮屈さを知る。一方で、誰かと並んで飯を食い、誰かのために走ることの楽しさも初めて覚えていく。

そのころ都市を取り仕切る長官ロクドウは、秩序を乱す者を下層区画へ追いやり、街をもっと清潔で従順ものに変えようとしていた。ミオはそんなやり方を嫌い、行方不明になった弟を探していたが、やがて彼女自身もロクドウに目をつけられる。さらに僕が長く塔に閉じ込められていたのは、風見塔の機械を動かす素質を持っていたからであり、下手に街へ出れば都合のいい道具として使われかねなかったためだと明かされる。ずっと冷たかったセツナも、本当は僕を守るためにそうしていたのだった。

やがてミオは捕らえられ、僕もまた皆の前で笑いものにされる。自分はやはり外へ出るべきではなかったのだと思いかけるが、セツナ背中を押され、僕はもう一度街へ向かう。大祭の夜、ロクドウは大風路の起動式を利用して街を完全に支配しようとするが、僕は風見塔の中枢へ飛び込み、街じゅうの止まっていた風を解き放つ。すると閉ざされていた区画が開き、隠されていた不正も、囲い込まれていた人々も一気に表へ出る。ミオの弟も救い出され、ロクドウは失脚する。

数年後、隔離場所だった風見塔は街に開かれた場所となり、僕はそこで働きながら暮らしている。ミオは相変わらず街を走り回っているが、その隣で、僕も一緒に走っている。

2026-04-14

犬が

1週間前の朝、犬が亡くなった。

犬はもう18歳の老犬で、

腎臓肝臓が少しずつ悪くなっていて、

目も耳も衰えて、

オムツをしていたものの、

時間になればご飯を催促し、

おやつもしっかり食べて、

ゆっくりだけど散歩にも行けていた。

夕飯を完食して、眠って、

朝見たらもう亡くなっていた。

ペットのいる飼い主が、

安らかな最期を願うのは皆同じだと思う。

私も母も父も妹も、

できることはなんでもしてあげたくて、

食べ物温度管理に気を使い、

こまめに病院に連れて行っていた。

犬は病院嫌いで、

弱ったところを見せたらまた病院とでも思ったのかもしれない。

一人で逝かせてしまった。

痛くなかっただろうか。

苦しくなかっただろうか。

18歳の大往生だと自分に言い聞かせているけれど、

やっぱり悲しい。

介護らしい介護をさせてくれずに逝ってしまった。

はいなくなったというのに

リビング

いつもの散歩道に

寝転んでいる犬や

前を向いて一生懸命歩く犬の

気配を感じる。

もう使うことのない

犬の食器

犬のブラシが

犬のハーネスリード

犬のために揃えた物を見るたびに

この家は「犬のいる家」ではなくなり

「犬がいなくなった家」になったのだと

現実に引き戻される。

深い深い悲しみの中で、

犬の写真ぼんやりと眺めていると、

犬の目が飼い主を向いている写真の多さにハッとする。

リビングテレビを見る家族を見つめていたり、

公園で立ち止まってカメラを構える私に

「早く行こうよ」と

文句を言いたげな視線を向けていたり。

今思えば、

リビングで寝そべっている犬の顔は、

常にこちらを向いていた。

人間トイレに行くと、

すぐに気付いてトイレまで探しに来ていた。

日々のお世話で、

「私から何を与えてあげられるか」ばかりを気にしていたから、

気付けていなかった。

愛情だとか信頼だとかそういうのをひっくるめたものが、

犬との日常には確かにあったのだと、

今更そんなことに気が付いて、

涙が止まらない。

ありがとう。会いたいよ。

死体蹴りってそんな腹立つもん?

格ゲーの話ね

テンション上がってるんだから技を最期まで出し切って死体蹴りになったりすることもあるじゃん

死体蹴りされてムカつく相手避難してやろう!って感情はどこからくんの?

2026-04-12

anond:20260412004738

そらそうよ

同じく文系最期は夜中の喫煙ながらプラモ作りで焼け死んだ景山民夫が「文学研究なんていか屁理屈をつけるかってことか、と気付いた時点で大学は辞めた」ていうとるぐらいやから

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