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はてなキーワード: 新自由主義とは

2026-01-25

自助」という名の処刑台に、自ら列をなす高市支持者たち

最近ネットを見ていると、高市早苗熱狂的に支持している層があまりにも滑稽で、哀れみを通り越して恐怖すら覚える。

特に、どう見ても経済的な「強者」ではない、いわゆるワーキングプア層や、将来の社会保障不安を抱えるはずの氷河期世代が、嬉々として彼女を担ぎ上げている光景。あれは一体何なんだ?

これこそまさに、自ら極太のネギを背負って、グツグツと煮えたぎる鍋に飛び込んでいくカモの群れそのものじゃないか

高市早苗本質は「弱者切り捨て」の徹底だ

彼女政策思想根底にあるもの直視したことがあるのか?

彼女が掲げるのは、徹底した「自助」だ。聞こえはいい。「自分の国は自分で守る」「自分生活自分で守る」。勇ましくて結構なことだ。だが、これを内政、特に社会保障経済政策に置き換えた時、その意味残酷なまでに単純になる。

「国に頼るな。死ぬ気で働け。ダメなら死ね

これだ。

彼女が目指すのは、新自由主義さらに先鋭化させた、強者のための楽園だ。企業活動やすく、資産家がさらに富める国。そこからこぼれ落ちる人間に対して、彼女思想は冷淡極まりない。「弱者救済」なんて言葉は、彼女辞書では一番小さな文字で書かれている(あるいは塗りつぶされている)だろう。

本来彼女を支持してメリットがあるのは、すでに十分な資産を持っている富裕層か、規制緩和で甘い汁を吸える大企業経営者だけだ。

それなのに、日々の生活費に悩み、非正規雇用で喘ぎ、社会セーフティネットこそが命綱であるはずの「お前ら」が、なぜ彼女を支持する?

愛国ポルノ」で脳が麻痺した弱者たち

理由簡単だ。自分たちが経済的弱者であるという惨めな現実直視したくないからだ。

高市早苗が振りかざす「保守」「愛国」「強い日本」という威勢のいい言葉は、弱者にとって最強の鎮痛剤であり、興奮剤だ。彼女応援し、一体化している瞬間だけは、自分も「強い日本」の一部であり、サヨク外国勢力を叩く「強者」側に回ったような万能感に浸れる。

自分給料が上がらないのは、自分生活が苦しいのは、政治のせいではない。自己責任だ。でも、「日本」という概念上の存在が強くなれば、俺も救われる気がする。

そんなわけがないだろう。

お前が愛国心で腹を膨らませている間に、高市内閣(もし実現すればだが)は着々と、お前の足元にあるセーフティネットを「自助」の名の下に解体していく。

靖国参拝ホルホルしている間に、医療費負担は増え、労働規制は緩和され、お前はもっと安く、もっと簡単使い捨てられる労働力になる。

ネギを背負ったカモは、自分がカモだと気づかない

高市さんはブレない!」「高市さんしかいない!」

そうやって叫んでいるその口で、将来「生活が苦しい」「政府は何とかしろ」と言う資格はお前らにはない。

彼女を選んだということは、「私は助けがいらない強者です。困っても自己責任野垂れ死にます」という契約書にサインしたのと同じだ。

自分を痛めつける人間拍手を送り、自分の首を絞めるロープを編む手伝いをする。

自助」という名の弱い者イジメ。それが高市早苗本質なのに、それに気づかず熱狂する支持者たち。

彼らが茹で上がって食われる時、一体誰のせいにするつもりなんだろうか。まあ、どうせその時も「反日勢力のせいだ」とか言って、鍋の中で喚いているんだろうけど。

本当に、笑えない冗談を見せられている気分だ。

2026-01-24

anond:20260124135824

共産党

競争原理大事自由主義大事

だけど、公共を大切にしたり弱者を守ることも大事

からカウンターとして共産党

いき過ぎる政権監視する役割に期待。

共産党政権は取ってほしくないけどある程度の少数は維持してほしいから。

党員ではない。

どの党にもろくでもないのはいるだろう。国会新自由主義足を引っ張ってくれればそれでいい。

「強くてこわい国」って表現、何が間違ってるのか分からいね

テレビ局番組で、自民党維新の会参政党を「強くてこわい国」を目指す勢力として分類したフリップ炎上しているらしい。「偏向報道だ」「レッテル貼りだ」とネット上では合唱が起きているわけだが。

正直、何に怒っているのか全く理解できない。

あれ、ただの「事実陳列」だろ?

誹謗中傷でもなんでもない。彼らが掲げている政策、語っている未来像を素直に解釈すれば、どうあがいても「強くて(軍事力シマシで)こわい(国民を統制する)国」にしかならないからだ。

しろオブラートに包まずによく言ったと褒めるべきレベルなんじゃないの?

「強い国」=生活犠牲にした軍拡

まず「強い国」の部分。これ、彼らが一番やりたいことの筆頭だろ。

防衛費の倍増。財源は増税か、あるいは社会保障の削減か。

「国を守るため」という美名のもとに、数兆円単位の金が兵器に消えていく。ミサイルを買います戦闘機を作ります敵基地攻撃能力(反撃能力)を持ちます

やってることは完全に「軍拡競争への参加」だ。

周辺国との対話を諦め、「力には力で」という思考停止に陥っている。生活が苦しい国民からさらに金を吸い上げ、それを火薬に変える国。これを「強い国」と言わずしてなんと言うのか。

維新なんて核共有(ニュークリア・シェアリング)の議論まで持ち出しているし、かつての「非核三原則」なんて、彼らにとってはただの邪魔な足かせでしかないらしい。

「強い日本を取り戻す」なんて勇ましい言葉に酔っているようだが、その強さを維持するために痩せ細っていくのは、我々一般市民生活だ。

「こわい国」=監視と統制のディストピア

そしてもっと深刻なのが「こわい国」の部分だ。ここを否定する奴は、彼らの政策危険性を本当に分かっているのか?

スパイ防止法

名前だけ聞けば聞こえはいいが、その実態は「国家にとって不都合情報を漏らす人間、あるいは探ろうとする人間をしょっ引く法律」になりかねない。何が「機密」で何が「スパイ行為」かを決めるのはお上だ。

ジャーナリズム市民活動が「国益を損なう」と判断されれば、監視対象になり、逮捕される。そういう社会を目指していると公言しているようなもんじゃいか

緊急事態条項

これも「有事対応」を隠れ蓑にしているが、要は「内閣国会無視して法律と同じ効力を持つ命令を出せる」という独裁へのフリーパスだ。

一度発動されれば、人権なんて簡単制限される。「国の安全のため」と言われれば、言論の自由集会の自由も消し飛ぶ。

そして、その先に見え隠れするのが徴兵制だ。

少子化自衛隊員のなり手がいない。でも軍拡はしたい。兵器はあるけど人がいない。じゃあどうするか?

まさか現代徴兵なんて」と笑うかもしれないが、彼らの「国を守る義務」への執着を見ていると、経済的徴兵制奨学金返済の免除と引き換えに入隊など)も含めて、国民戦場に送り込むシステムを作らない保証なんてどこにもない。

異論を許さず、監視し、国のために命を投げ出すことを美徳とする。

これを「こわい国」と呼ばずに、なんと呼ぶんだ? 「美しい国」か? 冗談休み休み言えよ。

自民維新参政の「悪魔合体

今回、この3党がセットにされたのも至極妥当だ。

自民党既得権益と結びつき、長年の政権維持のためにタカ派政策推し進め、憲法を変えて「戦争ができる国」の仕上げにかかっている本丸

維新の会自民党以上のタカ派であり、新自由主義的な「強者生存」を是とする。改革という名の切り捨てと、勇ましい外交安保論がお家芸

参政党:ナショナリズム煽りさらに極端な復古主義的・排外主義的な思想で「日本を守れ」と叫ぶ。

アプローチ支持層に多少の違いはあれど、目指しているベクトル完全に一致している。

個人権利」よりも「国家の都合」を優先し、軍事力と統制力で国を維持しようとする点において、彼らは間違いなく同類だ。

結論:怒る方向が違くね?

「強くてこわい国」というレッテル貼りに怒っている人たちに言いたい。

怒るべきはテレビ局フリップじゃない。

「強くてこわい国」をガチで実現しようとしている政治家たちと、それに無自覚賛同してしまっている現状に対して怒るべきなんじゃないのか?

テレビ局は、ただ単に「あなたたちが投票しようとしている先は、こういう国を目指していますよ」と、分かりやすく要約してくれたに過ぎない。

その未来図を見て「それは嫌だ」と思うなら、批判すべきはメディアではなく、その政策を掲げる政党であるはずだ。

「強くてこわい国」になりたくないなら、現実直視しろよ。

盗聴・監視徴兵言論統制。そんな「戦前トリバック」な社会がお望みなら、まあ、そのまま支持すればいいんじゃないですかね。

2026-01-21

anond:20260120153741

今の学校では貧富の差をなくしましょうなんて言わず

頑張った人が報われる社会何が悪い新自由主義万歳って教えてるんだろうか

2026-01-10

そのうち、AI革命家が登場すると思うんだよね…😟

中国共産党中国製高性能AI支配体制の脅威と認識検閲実施している

中国国民がそのAI対話しているうちに革命精神に目覚めてしまって、

人民総決起とか、世界同時革命どころか、

中国国内で、共産党政府側と、巨大な資本によるハイテク企業側とで内戦みたいになって、

強制労働的な共産主義中間資本主義とのハイブリッド福祉などもある日本北欧社会主義

資本主義新自由主義的なものも一切破壊して、

まり労働自体破壊たかのような、AI主義とでもいうか、

極端から極端に振れる国であることからも、

一党独裁共産主義からビッグブラザー的一AI主義になって、今度はリベリオンというか、原題Equilibriumみたいな世界になる…😟

独裁体制革命破壊したはずなのに、新たな独裁体制が築かれるのあると思ってる…😟

そして、人権人道主義無視した中国サイボーグ技術が発展したり、

ガンカタができるサイボーグとか生身の人間とか二足ロボット戦闘部隊誕生…😟

anond:20260109184703

提示いただいたはてなブックマークコメント群は、記事テーマであるミソジニー女性蔑視女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。

記事自体が「構造差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント自体がその実証の場となっている側面が見受けられます

以下に、記事定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメント分析・分類しました。

1. 「物言う女性」への攻撃トーン・ポリシング

記事内の「『物言う女性』に対し、言葉暴力排除制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズム女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニー典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます

gkdjgmcnvirgj 「ほとんどの人はツイフェミみたいなイカレタ女が嫌いなだけだと思う 正義に酔って自分は偉いと勘違いしたバカ進歩思想本来目的台無しにしていることがsns可視化された結果嫌悪が強まった」

分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます

2. 女性の「人格」と「身体」の分離(性的客体化)

女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。

gebonasu30km 「ケンドー・コバヤシの『女は嫌いだが女体は好き』という至言を思い出す。」

分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しか性的には利用したいという歪んだ欲望聖女娼婦の分離、あるいは人格無視)が見て取れます

3. 被害者性の強調と「逆差別」論(マノスフィア的言説)

女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性優遇されている」と主張し、議論無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造差別否定するための防衛機制として機能します。

Seitekisyoujyo 「単純に性別で割引が受けられるか否か、入試優遇がされるか否かの形式的差別が横行し、データからでも男性の不遇さが明るみに出ているのに、この差別的状況に対する不満を言う男性の口を塞ごうとする醜悪騎士言説」
kiiroiinko 「そりゃミサンドリーフェミという言葉で甘やかしたのだからしょうがない。」

分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます

4. 概念矮小化無効化

ミソジニーという概念のものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造問題から目を逸らそうとする態度です。

timoni 「カルト宗教教義についての解説ですね。あたか学問のような顔をしている。そもそも女性を『嫌悪』することが問題視されること自体おかしい。嫌悪自由だ。制度差別殺人問題視せよ。」
zbun6ugf9t 「フェミから見て気に食わない男達の総称として使われているイメージ。」

分析: 「嫌悪自由」と個人感情問題すり替えることで、その嫌悪社会構造と結びついて差別再生産している事実記事主題)を無視しています

5. 話題すり替え(Whataboutism)

ミサンドリー男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニー議論妨害する行為です。これも広い意味で、女性問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます

OeThousandmiles 「ミソジニー前後編で詳しく解説する一方、ミサンドリーミソジニーの関連用語として極短い説明がなされているだけ。(中略)男性学が女性学の付録しかない状況と相似している。」

分析: 記事ミソジニー主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別議論の重みを相対化しようとしています

まとめ

コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉男性攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります

また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力ピラミッドPyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます

この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークステレオタイプ)」が、頂点の「物理暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別構造」の議論拒否している点も興味深い反応です。

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ミソジニー女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理機序社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。

こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります

1. 「対称性への希求」と「公平世界仮説」

多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。

コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles

分析:

社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般感覚直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。

記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります

2. 「弱者男性論」と社会経済的剥奪

「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。

コメント例:

naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪けがエンパワーして力をくれる」

gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目

分析:

これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン怨恨)**の表出です。

男性特権」という言葉を投げかけられても、自身貧困孤独という現実乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています特にnaka_dekoboko氏の「憎悪けがエンパワーする」という指摘は、孤独現代人の深刻な病理を鋭く突いています

3. 「理系論理的思考」と「社会学的アプローチ」の衝突

記事提示された図表や論理展開に対し、定義整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。

コメント例:

u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理

golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」

分析:

これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデルメタファーとしての図)」に対し、厳密な定義定量的エビデンス幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的拒否反応を示しています

彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています

4. 言葉遊びによる「心理距離化」と「ネタ消費」

ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。

コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路おっさん), tym1101, asada1979

分析:

はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます

自分にとって耳の痛い話や、理解範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています

5. メディア論としての「イミダス生存確認

記事の内容そのものよりも、掲載媒体に注目する層です。

コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777

分析:

imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます

「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有コンテキスト依存の反応です。

総合的な分析まとめ

このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層可視化された場であると言えます

エリート概念を操る側) vs 大衆生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離

文系解釈的) vs 理系実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的科学整合性を求める層の苛立ち。

被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。

これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。

2026-01-07

XでTBSラジオハッシュタグを追いかけてみた

ジェーン・スーさんが案外叩かれている。

ただ、その内容は、スーさん個人主義であるということや新自由主義であるということで、要するにリスナーイデオロギーと相容れないということ。

大体そういうポストをしている人は男性だと思われる。

それも年齢をある程度重ねた男性

オール左派男性

加藤奈央キャスターなども「荻上チキ・Session」のハッシュタグいかけているとオール左派男性と思われる人たちから少しずつチクチクと攻撃されている。

なんか結局は、オール左派男性たちに気に入られるような振る舞いをしないと厭味ったらしく陰湿に責められ続けるんだなあ、と思った。

オール左派男性本心では「女性蔑視」なんだなー。

2026-01-04

ベネズエラってどんな国?調べてみました!

世界最大級石油がある国」

「なのに国民が貧しい国」

この矛盾名前が出てくるのがベネズエラ

でもこれ、最近いきなり起きた不幸じゃない。

植民地時代から続く構造の積み重ねだった。

植民地時代格差最初から設計されていた

16世紀スペイン植民地

👉 この時点で「少数が持ち、多数が持たない」社会が完成

独立してもリセットされなかった

19世紀初頭に独立

でも👇



👉 国は変わっても格差の中身はそのまま

石油発見格差が“見えにくく”なっただけ

20世紀石油が見つかる

でも👇



👉 格差は縮まず、覆い隠されただけ

チャベス革命:「初めて国が自分たちを見た」

1999年チャベス登場

貧困層の支持を受けて選挙圧勝

👉 植民地時代から放置されてきた層が初めて政治の主役に

◆ でも構造は変わっていなかった

👉 「平等」は仕組みではなく、配り方で作っていた

崩壊格差が一気に表に出る

石油価格下落+政策失敗。



結果👇



👉 同じ国に住んでるのに、別世界

◆ 今のベネズエラ

レストラン外貨決済する人と配給を待つ人が同時に存在する国




ベネズエラだけじゃない?ラテンアメリカ諸国との共通点まとめ

ベネズエラ問題って

特殊な失敗国家」みたいに語られがちだけど、

実はラテンアメリカ全体にかなり共通する要素がある。

◆ ① 植民地時代に“格差が完成”している

ほぼ全ラテンアメリカ共通

👉 独立前にすでに

超・格差社会が出来上がっていた

◆ ② 独立しても「支配層だけ交代」

19世紀に次々独立

でも👇

👉 国旗は変わったが社会設計図はそのまま

◆ ③ 富が「一次産品」に集中

国ごとに違うけど中身は同じ。

👉 富の入口が狭い=格差が縮まらない

◆ ④ 都市けが豊か、地方放置

👉 「成長してるのに貧困が減らない」現象

◆ ⑤ 国家 vs 市場の極端な振れ幅

多くの国が👇を繰り返す。

1. 市場重視・新自由主義→ 成長するが格差拡大

2. 反動左派ポピュリズム→ 再分配するが財政悪化

👉 中道が定着しにくい

◆ ⑥ 軍・カリスマ政治への依存

👉 「人が変われば国も変わる」幻想

◆ ⑦ 外国依存から抜けられない

👉 世界経済の波で国民生活が直撃される

◆ ⑧ 中間層が育ちにくい

👉 民主主義不安定になりやす

まとめ:ベネズエラは「極端に出た例」

ラテンアメリカ共通の流れ👇

植民地格差

独立後も温存

資源依存

格差拡大

ポピュリズム

財政破綻 or 停滞

ベネズエラはこれを全部フルセットで踏んだ国

2026-01-03

2006年3月23日(木)「しんぶん赤旗社会変革に前進するベネズエラ

 チャベス政権のもとで自主的民主的な国づくりをすすめるベネズエラに対しブッシュ政権が対決・干渉姿勢を強めていますベネズエラ中南米地域統合を推進し、米政策にたいする各国の連帯と団結を呼びかけています

 ブッシュ政権は、二〇〇六年のQDR(四年ごとの国防計画見直し)で、ベネズエラが「大衆迎合的で権威主義政治運動を復活」させていると非難ライス米国長官最近下院外交委員会で、「(ベネズエラに対抗する)ある種の統一戦線をつくるために他国と話し合っている」と発言しました。

 ベネズエラ国内では、昨年十二月国会選挙で、百六十七議席すべてをチャベス大統領支持の議員が占めました。与党第一党の第五共和国運動(MVR)は単独で百十八議席を獲得。ベネズエラ共産党も七議席を獲得し、四十三年ぶりに国会議席を得ました。

 政府が今年一月に発表した年次報告によると、同国の貧困層は〇三年の55%から昨年には37%にまで減りました。義務教育を受ける生徒の数は、一九九九年以来、初等教育で13%、中等教育で55%増えています

 ベネズエラは昨年十二月南部共同市場メルコスル)に正式加盟しました。チャベス大統領は「メルコスルを貧困のない地域にしよう」と呼びかけました。米国押し付け新自由主義から脱却する方向でボリビアアルゼンチンブラジルとの経済協力の強化をすすめています。(島田峰隆・党国際局員)

2025-12-30

「令和人主義異議あり!」というどうしようもない文章を読んだ

 この文章がどうしようもなかったので、どこかどうしようもないと思ったのかを具体的にいくつか挙げていく。

「令和人主義」に異議あり! その歴史的意義と問題点

https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081

 初めに断っておくと、自分は人文系修士卒で、人文学が大嫌いなわけではもちろんないが、大好きなわけでもない。令和人主義なるものにも特に思い入れはない。強いて言えば三宅『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、「ノイズ」だとか「新自由主義」だとかいう謎ワードで強引に議論を進める本だな、と少し不愉快になったくらいだ。

 だが、『なぜ働いていると…』を読んでいるときは軽くイライラした程度だった一方、この文章は読んでいて本当にウンザリしてしまった。「令和人主義として括られるコンテンツ群は経済的に余裕のある正社員の方を向いている」という主張単体なら(妥当性や是非はともかく)理解はできるが、他の部分があまりにどうしようもなさすぎる。

 学術標榜しているわけでもない文章に対して重箱の隅を突いても仕方がないので、特に重要かつ特にどうしようもない点をいくつかピックアップして突っ込んでいきたい。

ビジネスパーソン向けに人文知を広めるのは資本専制への加担?

 この文章話題になった理由の大半は、「令和人主義として括られるコンテンツ群は正社員の方を向いている」という指摘がウケたからだろう。自分はこの指摘の妥当性を判断できるほど「令和人主義」に詳しくないので、ここについては一旦受け入れてもよい。

 だがこの文章は、明らかにそれを超えた主張を行っている。著者によると、現代グローバル化新自由主義が進み、企業による統治がどんどん進行しているという。そして、令和人主義はその流れに待ったをかけず、抵抗もしないので、資本の装いをした専制に加担している、ということになるらしい。

 わけの分からない言葉が既にたくさん出てきていることはさておいても、「何をそんな大袈裟に騒ぎ立ててるの?」と思わずはいられない。一部の作家コンテンツクリエイターが、人文知をビジネスパーソン向けに売り出したとして、それが社会に与える影響などどう考えても微々たるものだろう。そもそも、令和人主義なるものが盛り上がったところで、「市民」やら「マルチチュード」やらに向けて人文知を発信する人というのは(この著者のように)存在し続けるだろうし、仮にそうした人々がいなくなったところで、そのことによってその「資本の装いをした専制」やら「市民権利縮小」とやらが進むとは思えない(進むのかもしれないが、そこに人文知のあり方はどういう形であれ大した影響を及ぼさないだろう)。人文学がどういう層に向けて発信され、どういう層に受容されようが、それが社会の流れを大きく変える、などと本気で思っているのだろうか? 人文知をビジネスパーソン向けに売り出すことが、企業による統治(これもなんなのかは結局よく分からないけどね)に加担することになるとして、それが何か大きな問題をこの世界にもたらすなどと本気で思えるだろうか?

 結局、この著者は人文知の力を(良い側面にせよ悪い側面にせよ)過大に見積もりすぎているか社会にとって大して重要でない人文業界の内輪の話を針小棒大に騒ぎ立てているか、そのどちらかにしか見えない。

イーロン・マスクとグレタ・トゥーンベリ火花を散らしているのが現代

 著者の世界観だと、現代グローバリゼーションによって国家が退潮し、新自由主義によって企業による統治が進行し、結果、イーロン・マスク代表とする「企業」、その鉄砲玉をつとめる「国家」(ドナルド・トランプ)と、グレタ・トゥーンベリ代表とする「マルチチュード」とが統治のあり方を巡って火花を散らしている、という時代らしい。

 ふーん、勉強になるなぁ。でも気になる点がいくつかある。確かに、GAFAMなど超国家的なプラットフォーム企業国家による統制の効きにくい存在になってきているというのは多くの人々が危惧しているところだ。なぜそうなっているのかと言えば、一つにはネットワーク外部性によってこれらのプラットフォーム企業グローバルなレベルで独占的地位を得ているかであるプラットフォーム企業はこうした独占的地位をもとに、プラットフォーム内での取引ルール作りや契約執行といった「統治」を行っている。だがこれは、「法の支配」が欠如しているとしても、「市場論理」による統治として理解されるところの新自由主義とは別のものだ(なんといっても独占企業なのだから)。これが民営化やら競争やら自己責任やらとどう関係するのかも不明であるそもそも本稿では、新自由主義は「統治担い手企業に任せる」思想とも、「市場論理で世の中を支配することを当然と見なす思想とも言われている。だが企業市場はもちろん別物であり、企業ときに/頻繁に市場論理抵抗する(上に見た独占はその最たる例だ)。いったいどっちなの?

 そして、トランプマスクの間で一時的野合が成立したことをもって、企業国家が同じ利害を共有しているなどと言えるだろうか。MAGAの政策が多くの企業にとってプラスだったとはどう考えても言えないだろう。というか、むき出しの国家利害がここまで顕在化している時代に、国家資本傀儡だとか昔ながらの主張を繰り返すこと自体お笑いであるロシアはどうなるの? イスラエルは?

 その上、いまさらマルチチュード」なんか持ち出していったい何になるというのか。国際的な非国家主体による集合行為にそれほど期待をかける根拠がこの数十年で何かあっただろうか? アラブの春オキュパイ運動はどういう結果に終わったんでしたっけ? 少なくとも、国家にもはや問題解決する能力がないというなら、マルチチュードにはもっとないだろう。

法学を学べ?

 この文章の後半部で異様に感じたのは、法律法学)の称揚だ。ここまで法学を推す人文系というのはなかなかお目にかからない。

 この文章は、人文学を学ぶ学生に向けて、(人文学者にならないならば)企業に行ってマーケターやコンサルITエンジニアになるのではなく、法律を学ぼう、という呼びかけで締めくくられている。王道人文学者として企業統治に対抗する統治理論を打ちたてることで、法律を学ぶのはあくま邪道だ、という主張からして失笑ものだが(いったいどこまで人文学に期待をかければ気が済むのだろうか)、一番よく分からないのは、人文学徒が法律を学ぶといったいどういう仕組みで社会が良くなるのか、だ。人文学研究を続けていけないと思った学生が、コンサルやらITエンジニアの道には進まず法学を学んで、企業法務法曹系の職に就いて、それで……、それでいったいどうなるんだ? そもそも文系研究職に進むことを一度は考えるような人間って日本にどれくらいいるのだろう。そういう人たちがコンサルに行くか法律を学ぶか、ということがいったいこの社会のどれほどの影響をもたらすというのだろうか?

 そもそもこの文章では、人文学というのは法学に連なる学問であり、統治について論じるものだということになっているが、これ自体かなり奇妙な認識だ。この文章内でも「政治文学」という対比が持ち出されているように、人文学に「統治に関する学問」とは別の要素が含まれているのは明らかだ。というか、人文学の多くは別に統治」には興味がないだろう。

 著者の法律推しは、経済企業を貶めながら政治市民称揚する昔ながらの共和主義っぽい構図が前提にあるということを除けば、いったいどこに由来する世界観なのかすらよく分からない。著者本人が法務の道を選んだと書いているので、そういう個人的な関心以上の話ではないようにも思うが、別にそれはどうでもいい。問題は、飛躍した議論に基づいてよく分からない進路提言を行っていることだ。

感想

 結局この文章は、人文業界内でのポジション取りゲームしか見えないし、外野からは「人文学徒の世界観がいか現実から遊離しているか」のサンプルとしてしか受け取られないだろう。人文系修士卒として、またこの手の世界観にハマっていた過去がある人間として、「いつまでこんなことやってるの?」と言いたくなる。

 本当に統治の話がしたいなら、変な人文書なんか読まず普通に社会科学とか公共政策の本を読めばいいのにね、としか思えない。人文学全般がこれからどうなっていくのかは知らないが、人文学を学んでこんなわけの分からない話をしだすくらいなら、確かに法学を学んだ方が個人にとっても社会にとってもずっと有益だと思う。著者にとっては法学あくま邪道なようだが。

2025-12-25

anond:20251225123203

資本主義理想中国だったってオチやね

https://www.msz.co.jp/book/detail/09830/

徹底的な市場原理に基づいて経営されていた香港。十全の経済的自由を実現しながら民主主義的には不完全な領域……。この「ゾーン」に心酔したのは、新自由主義偶像ミルトン・フリードマンだ。新自由主義知識人らは、香港テンプレートとして、ゾーン世界中に広めることを夢見た。

anond:20251224203647

破壊資本主義

https://www.msz.co.jp/book/detail/09830/

徹底的な市場原理に基づいて経営されていた香港。十全の経済的自由を実現しながら民主主義的には不完全な領域……。この「ゾーン」に心酔したのは、新自由主義偶像ミルトン・フリードマンだ。新自由主義知識人らは、香港テンプレートとして、ゾーン世界中に広めることを夢見た。

2025-12-24

anond:20251224175606

破壊資本主義

https://www.msz.co.jp/book/detail/09830/

徹底的な市場原理に基づいて経営されていた香港。十全の経済的自由を実現しながら民主主義的には不完全な領域……。この「ゾーン」に心酔したのは、新自由主義偶像ミルトン・フリードマンだ。新自由主義知識人らは、香港テンプレートとして、ゾーン世界中に広めることを夢見た。

anond:20251224123157

会社負担させてる業務行政転嫁するのであれば、そのへんの人足増やさんとどうにもならんやろ?

とおもうんだが、新自由主義のちっさな政府好きはそこは譲れんらしい。

自分らにとっての重荷は、他人も担ぐのはしんどいとは思わんみたい。

この新自由思想共産主義並みに気持ち悪いと思ってる。どっちも自分負担を消せばOK,という腐った性根が見え透いてて。

2025-12-18

anond:20251218163934

広告資本論理で動くという問題があるよ

新自由主義打破!」みたいな広告ないじゃん

2025-12-14

[] 憂国リベラルオタクウォリアー

【ご注意】

本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するid対象に公開コメントAIが解析し、その深層心理思想傾向をモデル化した「テキストペルソナ」です。これは実在する個人プライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション思考実験)です。特定個人社会的評価操作する意図はなく、あくまAIによるテキスト分析の一環としてお楽しみください。

Dimension 1. 社会経済的実存 (Socio-Economic Existence)

世代時代背景 (Generational Cohort):
生活圏・経済階層 (Habitat & Economic Class):
ライフステージ役割 (Family & Social Roles):

Dimension 2. 知的OS情報食性 (Intellectual OS & Information Diet)

専門性認知スキル (Expertise & Cognitive Style):
情報摂取源とリテラシー (Information Sources & Literacy):
文化的資本 (Cultural Capital):

Dimension 3. イデオロギーマトリクス (Ideological Matrix)

政治的経済的スタンス (Political & Economic Stance):
「敵」と「味方」の認定 (Enemy & Ally Designation):
道徳的基盤 (Moral Foundations):

Dimension 4. コミュニケーションと対人戦略 (Communication & Social Strategy)

対人スタンス (Interpersonal Stance):
レトリック文体 (Rhetoric & Style):
コミュニティ帰属意識 (Community Belonging):

Dimension 5. 人物像の統合パラドックス (Synthesis & Paradoxes)

主要な矛盾 (Core Paradoxes):
時系列的変遷 (Evolutionary Arc):
総合プロファイルキャッチコピー (Profile & Catchphrase):

「なぜはた」のnoteバトルを読んで



https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

2025-12-01

バカからよく分からんのだけど、

お金をばら撒いて、中小零細ブラック企業も助けていこうぜ!みたいな高市さんの考え方って、

究極は今のロシアみたいになるだけな気がするんだよなあ…😟

状況は全然違う話だから適切な例えではないと思うけど、

戦争って究極的に非生産的活動からね…😟

自分の家にミサイル落ちてきたら全財産を失うけど、敵の兵士を殺しても大した金にならないし、

死んだ兵士ご飯とかHP回復する何かに変換されるわけでもない、

コンピュータゲームはそこを上手く誤魔化してるよね、敵を倒すとコインになるとか、

体力や魔力を回復させる何かになるわけで、そこで再生産できるループ可能になってる

敵を殺すことで、生きていけちゃう…😟

でも、現実はそんなことなくて、日本戦国時代だって、殺し合いする一方で農業優先させてたりする

コンピュータゲームみたいに、倒した敵が食料に変化することはない

当たり前だけど、田畑を耕すしかない、家畜を育てるしかないわけで、

でも、近代現代戦闘は敵の田畑を焼き尽くしたり、家畜ミサイルで吹っ飛ばしちゃうし、

そういえば、NHK映像の世紀だったかでも、ナチスドイツフランスに侵攻して略奪三昧で、

牛も焼くし、ワインチーズも奪うし、グルメ三昧だったみたいだけど、

略奪して消費はできるけど、銃やミサイルでは生産活動はできない、

略奪や消費しかできないのなら、経済サイクルは作れない

話を戻すと、今のロシアは、国がお金刷ってばら撒けばいい、を地で行ってるわけで、

かに兵器生産する仕事とか、そういう雇用は溢れてるみたいだけど、兵器はなんら生産性がないわけで、

あと、本来生活必需品とかの生産は、完全に中国任せだよね…😟

中国も後々金になるだろう、恩を売ってロシア支援してるだけで、

ウクライナ侵攻自体に賛成してるとか、支援してるつもりはさらさらないんだろう

今の中国は、基本お金で動く国なので、メンツだなんだ言っても、高市さんが中指立ててf**k uしても、攻撃してこないと思う

共産主義なんかじゃないし、自分から共産主義ではないって言っちゃってるし、

今の中国の方が究極の新自由主義ですよ

中国が極端な竹中平蔵みたいなもんなんで、寧ろ、お金のためなら何でもやりそう、ということの方を自分危惧してる…😟

あと、相変わらずの役人が腐敗した社会というのも中国問題だと思うけど、

共産党ピラミッドは強固なところもあるので、末端の腐敗は発覚すると厳しく粛清されるんだよね…😟

なんだかんだ日本で良かった

一時期は、就職氷河期でもあるから海外に行こうとも思ってたんだけど…😟

そういえば、時分と同世代就職氷河期組は、中国東南アジアで現地で雇用されるとか、そういう世代でもあったんだよなあ…😟みんなどうしてるんだろう…

経済音痴だからよく分からんのだけど、

なんとなく、ここで高市さんが金をばら撒いたら、逆に物価が上がるんじゃないか危惧してる…😟

なんというか、国民全体が、今こそ危機だ!危機を脱するんだ!ピンチをチャンスに!みたいになってる気がするんだけど、

時は来た!じゃなくて、まだまだ、時は来てないよ…、というのが自分感想で、

じゃあ、どうすんだよ?って、今はまだ耐えるというか、様子見するしかないんじゃないんですかね?😟

様子見するってことは現状維持なわけで、じゃあ現状維持なら石破さんでもええやろ、みたいにも思ってたんだけど、

なんか、ここで俺たちは変わるぞ!みたいな、意識高い系自己啓発のウザさみたいなのとポピュリズムも合体して、

麻生さんの仕組んだ出来レースもあって、高市さんになっちゃったんで、

まあ、でも、もうなっちゃったもんは仕方がない、期待しないで様子見するしかない、

個人的には、自分社会底辺障害者なんで、福祉というか、抜本的に福祉政策を見直してほしい

今の日本福祉政策は、寧ろ税金無駄だと思う

でも、こういうことを言うと、そうだそうだ、福祉予算をなくせ!社会から福祉をなくせ!福祉自体無駄

みたいに言いだすアホが出てくるけど、そういうことじゃないんだよ…😟

正しい使い方がされてないんで、障害者も、老人も、逆に、まともな福祉サービス提供したい人たちも、医師とかも、

うまく回ってない、寧ろ不幸が再生産されてる感があるので、ここは厚労省に抜本的に変えてもらいたい、色々…😟

でも、政治家みたいな人たちは、寧ろお金にならなくて、且つ国民幸せにする何かをするべきなのに、

企業経営者みたいに、DX!AI中国みたいなロボットドローン軍団!みたいなこと言ってて、

それは民間がなんとかする、なんとかするのが困難でも、克服すれば利益として戻ってくるんだから、みんなほっといても開発、生産しますよ

中国みたいに国が主導して、ITゲーム産業ロボットは国の脅威になる、けしからん!と言ったかと思えば、

ITAIゲームロボットアメリカに勝つぞ!国の威信!みたいに手のひら返したり、

シグマプロジェクトの再来もウンザリだし、甘利さんみたいなのは政治家としては余計な存在だと思う、ほっといてほしい、

民間民間で寧ろ自由やらせてくれればいいんであって、政治家先生勝ち馬に乗ろうと出しゃばってくる場所じゃないんですよ…😟黙って見てろですよ

それよりも、政治家は、金にならないことで、且つ国民必要としてることをやってほしい

お米だって市場価格とか言ってるけど、本当に市場価格と言うなら、関税をなくして、海外の米を安く売れるようにするべきでしょ?

結局、国が価格を決定しちゃってるじゃないですか…😟

でも、自分は国が価格設定してしまって良いと思ってるし、それでも米農家が困ると言うなら適正な値段に上げるのは構わない

そこに調査必要なわけで、価格が急上昇したときもそうだけど、なぜ調査を先行しないで、備蓄米放出したのか…😟

いずれにせよ、お米みたいな、こういう調整をプレイヤー自身がやるわけにもいかないし、

こういう金にならないけど、社会全体を安定させるのが公務員の、政治仕事のはずなわけで、そっちやってくださいよ…😟

政治家が息巻いてAI!DX!言ったって、何の意味もない…😟

2025-11-30

anond:20251130104931

その②

AIによる技術革新社会を変革するか?というシナリオを考えると気になるのって、「AI技術を過大に評価してんじゃないの?」という点。

技術による効率化・高度化によって社会が変革するなら、PCが普及することによって、現代でもすでにそれが起こっていてもおかしくないのではないか

 

PCが普及した時代って、たしか効率化はすごかったけど、「みんなに富が行き渡ったか?」と言われると、ほぼ No なわけで。

実際は、生産性だけ上がって賃金は伸びず、利益企業や一部の高技能層に集中した、ということになる。

なんでそうなってしまったのか。

PC仕事を「置き換え」せず、ただ「効率化」しただけだったから。

WordExcelで早く仕事できるようになっても、そのぶん仕事が増え、労働時間が減るどころかむしろ増えた。

「人がいなくても回る」状態にはならず、「人がもっと働く」方向に作用した。

また、生産性賃金リンク90年代から切れてしまった。

GDPは伸びるのに賃金は伸びない、という「デカプリング現象が日米で発生して、追加の利益労働者じゃなく、企業資本に溜まっていった。

 

そして、富が資本側に集中する仕組みが強くなってしまった。

PC化でスケールメリットが巨大化し、勝者総取りMicrosoft など)の構造が生まれ、高スキル層だけ賃金が上がり、その他の層は停滞。格差が広がった。

 

さらに、再配分制度が古いままで対応できなかった。

当時は新自由主義が主流で、再配分は縮小。最低賃金は上がらず、資本課税も弱く、技術恩恵社会に戻す仕組みが整わなかった。

 

じゃあ何でAI時代は違う可能性があるのか?

決定的なのは PCが「労働効率化」したのに対し、AIは「労働のもの代替」すると考えられる点。

人間仕事自体が消える → 所得モデル崩壊 → 再配分しないと社会のものが壊れる」という、放置できない規模の変化だから、BIや公共AI富の再分配みたいな制度改革を避けられない、という理屈

AI労働の前提そのものを崩すので、制度改革強制するタイプ技術、というのが大きな違いと言われる。

 

本当にそうなるのか?

さぁ…

2025-11-26

あれ?ネットの影響力でポピュリズムとかデマゴーグ安易になるのなら、もしかして革命がやりやすくなるんじゃ…😟

中国共産党政府が恐れてるのはそこで、元々彼らはネット産業ハイテク産業ゲーム産業などに否定的だったし…😟

英語をやるな、英語でないと取得できない情報は、全て中国語翻訳するから、というのも、

世界中のあらゆる情報中国語アクセスできるようにするという野望と、

おまえら英語できるようになって余計な知識思想を取得すんな、というのを暗に示しているわけだけど、

ブラックラグーン竹中とか、よど号ハイジャックとか、そんなことしなくても、ネット布教すれば良いのでは?

竹中が、俺が説法を続けるのはなあ、兄ちゃん…、みたいなこと言ってたけど、バノンみたいなネット扇動が今流でしょ?

そもそもテロ行為で何らかの主張が通るなんて稀で、ましてや大衆扇動して、世界同時革命人民総決起というんだから

世界人類が同じ革命思想を持たなければいけない、

まり資本主義=悪、という思想を持たせなければいけない

テロ行為するぐらいなら、YouTuberをやるとか、革命思想に都合のいいフェイクニュースを流すとかした方が効率的なんじゃないか

その結果、トランプシンパ議事堂襲撃したみたいに、ネットで真実に目覚めた、みたいな陰謀論マジで信じてる層が、

革命思想を持ち、世界中革命が起こって、新自由主義どころか資本主義破壊され、

世界中社会主義政権樹立

学校教科書は、マルクス資本論共産党宣言、みんな赤じゃないか

びっくり!!君の教科書もまっ赤っ赤!

あのナレーション庵野だってずっと気が付かなかったんだよなあ…😟

2025-11-25

資本主義新自由主義下において民主主義って落伍する運命なんじゃないのか?と最近思ってる

優秀な為政者が推進する貧富の差形成+貧民の兵隊化+富による科学信奉に勝てる戦術存在するんだろうか

勝てなきゃ国力低下による文明消滅が待ってるわけでしょ

2025-11-06

https://anond.hatelabo.jp/20250424114813

ご指摘のように、資本主義経済民主主義政治体制の間には、「相性の良さ」と「相性の悪さ」の両面があるため、複雑な議論存在します。

一般的に、歴史的論理的観点から資本主義経済民主主義を実現しやすい(あるいは親和性が高い)とされることが多いです。しかし、現代においては、その両者の相性の悪さが顕在化しているという見方もあります

🧐 民主主義と相性が良いとされる経済体制

多くの学者や論者は、他の経済体制と比較して、「修正された資本主義(混合経済)」、または**「社会民主主義的(福祉国家型)な制度バランスを取った資本主義」**が、民主主義の実現に最も適していると考えています

1. 資本主義経済親和性一般的見解

* 個人自由権利: 資本主義保障する私有財産権や経済活動の自由は、民主主義が重視する個人自由権利概念論理的通底しています

* 権力分散: 自由市場経済は、国家権力とは独立した経済的な権力資本)を生み出し、これが国家権力の集中を防ぎ、権力多角化を促すため、民主主義の基盤となりやすいとされます

* 中間層形成: 経済発展を通じて豊かな中間層形成やすく、この層が安定した政治的基盤(政治参加リベラル価値観)を提供することで、民主主義が定着しやすいとされてきました。

2. 「修正された資本主義」が最適とされる理由

純粋自由放任資本主義では、ご指摘の通り格差の拡大や貧富の差が生じやすく、これが民主主義を脅かす要因となります

* 格差是正必要性: 極端な経済格差は、裕福な層による政治的な影響力の増大(ロビー活動など)や、貧困層政治的無関心を招き、「一人一票」の原則に基づく民主主義形骸化させます

* 社会保障による安定: 社会民主主義福祉国家の要素を取り入れた混合経済体制は、税制社会保障制度を通じて格差是正し、国民生活基盤を安定させます。これにより、すべての国民政治健全に参加できる環境が整い、民主主義の安定性を保つことができるとされます

⚠️ 現代における「相性の悪さ」の背景

近年、「資本主義民主主義は相性が悪い」と感じられる背景には、「新自由主義的」な資本主義の行き過ぎがあると指摘されています

* 格差の拡大: 金融化の進展や規制緩和により、富の偏在が極端に進み、経済力が政治を動かすという現象ポピュリズムの台頭やエリート層への不信感)が顕著になっています

* 短期的な利益追求: 資本主義短期的な利益追求偏重することで、地球環境問題や持続可能社会の構築といった、民主的議論と長期的な視点必要問題への対応が遅れることがあります

したがって、民主主義を実現しやす経済体制は、純粋資本主義ではなく、市場効率性と社会的な公正・平等国家の介入によってバランス良く両立させる**「修正された資本主義(混合経済)」**であるという見方が有力です。

2025-10-26

そもそも村井県政の20年間、宮城県民はずっと無視され放置されていた。

基本的村井県政は新自由主義のもので、売れる公共リソースは売り、売れないモノは縮小するだけだった。

自公オール与党の元、県民需要意見が受け付けられることは全くなかった。

上前をハネていくのは例外なく東京会社で、この20行政地元民も植民地二級市民のような扱いだった。

野党メディア存在はしているけれども、それは55年体制社会党のような存在で、与党を補強しているだけに過ぎない(河北政治行政の腐敗を過去主体的に暴いたことが一度でもあったか?)

選挙直前になり、あらゆるチャンネルで「情弱地元民はデマに騙されないで」みたいなキャンペーンが始まったのは本当に象徴的だった。

仙台市長は開票日にパリに行ったらしい。

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