はてなキーワード: 小作人とは
国内ニュースを追ってると取り留めのない厭世感の妄想が止まらないので一旦吐き出す
政治家や経営者は結局、日本人の雇用や労働を戦前の小作人時代に戻してこき使い倒したいのだろうと、これに尽きる。
・日本人がどうなろうと心底どうでもよく、自分達だけが肥え続ける事しか頭にない人達
いくら制止の声が上がろうと権力ゴリ押しで日本に寄生目当ての移民を投入し続ける
・イスラムだのアフリカだのの移民が天皇制に敬意を払えるとは全く思えない
日本のパスポートが欲しいだけで日本人になりたい訳じゃないのと同じ
・クソチャイナやイスラム移民に国を乗っ取られた日本人はどこぞの数少ない先住民のように秘境へ追いやられそう
まともな介護など望むべくもない、自分達が要介護の頃には無理矢理延命どころか移民に体よく捨てられて終わり
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
元のエントリより論点はズレてしまうのだが、東京で働くいち田舎者としてこんな奴・こんな考え方もあるということを書きたい。
高学歴・低学歴で人を分けた場合、私の家族や地元の人は確実に低学歴だ。私も漏れなく、一族で初めて四年制大学に進学した人間である。
だが、地元には、高学歴、低学歴だけでは括れない、東京と地方の二元論だけでは語れない価値があると私は考えている。
以下、東京や田舎という言葉が出てくるが、あくまで私の体験したn=1の東京と田舎の話です。
私の地元は日本海側のど田舎にある。集落は四方が山に囲まれて、交通量が少ないので信号すらなかった。
通っていた小学校は全校生徒が70人弱だった。今は統廃合されて、通っていた小学校はもうこの世界から名前が消えてしまった。
小学校は田舎すぎて少人数クラスになり、先生の指導が行き届いたのか比較的賢い学校だった。
田舎なのにやたら成績のいい子ども達がいると話題になり、関東の大きい大学の教育学の先生が研究しにきたほどだった。
私の小学校は同級生が14人しかいなかったのだが、そのうち3人が旧帝大に進んでいる。(私は国立大に落ちて私立に行きそのメンバーには入れていないのですが…)
定期的に周辺で熊や猪が出て、集団登下校が義務付けられていた地域の学校で、だ。
サピックスも日能研もない地域で遊んで勉強していた子たちが、田舎すぎて逆に賢くなっていた。
先生に気軽に絡めて質問もできるので、みんながゲーム感覚で勉強をしていたのもあったのかもしれない。
私が後に勉強エンジョイ勢になって大学院まで行ったのもこの時期に下地が作られたと思う。
そんな地域もあったということを知ってほしい。
そして、私の地元は田舎なのだが、田舎ゆえに一つでかいカードがある。
親が地域の伝統工芸の職人なのだ。地元ではそこまで珍しくない職業だ。
詳しく書かないが、親が歴史ある工芸の職人をしていたので田舎に住みながらとんでもなくでかい文化に接していた。
職人として知見を広めるために親が美術館や博物館に行くのにもよくついて行っていたし、色んな工芸や美術の知識を親から聞いていたので、よく言う「文化資本」的格差を東京で感じることがそんなにない。
それに、地元では小規模ではあるが車で20分くらいのところに美術館はあったし、車で1時間(田舎では普通の単位)で県庁所在地に行けたので、そこにはもっと大きな美術館がいくつもあり、そちらも大きな文化的拠点になっていた。
家族に話を戻すが、親戚がみな佐官・大工・和菓子・別の伝統工芸など職人のオンパレードだった。
そして兼業農家も多かった。
彼らは職人と言っても、アーティストではなくブルーカラーな人たちだ。
だが、彼らは大学に行っていない・行くという環境にないだけで馬鹿ではない。むしろ賢い。
賢くなければ職人業というビジネスをしっかり営むできない。農業だってそうだ。
なので私は、ブルーカラーに類される職業の人たちを学歴がないからといって話の通じない人たちと断じることができない。
それに、日本の産業を支えているのは彼らのような人たちなので、とても下に見たりとかはできない。もちろん、中には変な人もいるとは思うけど…。
このことを知れていることも、私が田舎(というより社会の下のほうなのかも)で育って良かったという一つのポイントだ。
日々山や川を見ていると、それぞれが気候に合わせて美しく形を変えていくのは、上京するまでの18年間一度も飽きの来ない風景だった。
山にはこんな動物がいて、木の実があって、山菜があって、木があって…という知識も家族に教わった。
山の保ち方、間伐の仕方、川での魚の獲り方も教わった。
地元の自然は人間の歴史と深く関わっていて、そんな中で生まれた民話もたくさんあった。
地元の地域には日本史に出てくるような人や事件が関わっていたこともあり、地域の人に話を聞いたり地域の研究本を読むと、時間の軸を深く辿ることができた。
小学校で勉強エンジョイ勢になっていたので、そういう地域の勉強はとても楽しかった。
私は多分そんな環境があったから文化そのものに興味を持って、大学・大学院でも詳しくはぼかすが文化系の研究をしていた。
ちなみに、私は案の定実家が細いので大学・大学院に行くために数百万の奨学金を借りています。機会格差って最悪だよな!
それでも、自分の熱中できる研究対象を見つけられたのは自分の育った環境があったからだ。
今はエンタメに関わる職に就いているが、それも田舎で美しい風景を見て、楽しく勉強をして、家族から文化を学んだからだと思う。
ただ、そんなにアツい文化があっても私の育った集落は本当に本当に人間が陰湿だった!
そこに関しては、東京のような人が多すぎて他人への関心を薄くせざるをえない地域が本当に楽に感じる。
かつて、私の父が重い病気に臥せった際、集落で噂になると尾鰭がついて嫌なので、絶対に口外しないよう家族で気をつけていたのだが、どこからか父の入院の話が漏れて集落中に広がってしまった。
気を遣うふりをして私たちの家にやってきて、直接父の病状を聞いてくる全然親しくない人までいた。
父親はその後死ぬのだが、その後も父の死についてヒソヒソ言われて、当時11歳の私はこの世界は本当にクソだと思った。
他にも、私が上京・進学・就職したことも色々言われているらしい。他人への興味が本当にすごい。
地元にいた頃は外の世界を知らないので、人間は陰湿ということが脳みその奥まで刻み込まれてしまった気がする。
補足すると、田舎にはもちろんいい人もいる。
だが残念だがらマジョリティは、上記のような噂好きで目立つ人や出来事に積極的に関わって言いふらす人たちだった。
人の陰湿さについては、もちろん東京でも一つの街に定住したらきっとしがらみはあるのだろうけど…
恐らく私の故郷ほど「うちらの家は江戸時代から付き合ってます! うちは昔は地主だったのに小作人の家のあんたはそんな態度でいいのかな?」レベルのしがらみはそんなにないのではないか。
それでも私は地元のことを「資本も娯楽も何もない最悪な場所」とは全く思わない。自分を形成した場所だからだ。
だけど大都市的価値観、東京を絶対とする価値観ではきっと理解されないのだろうなーとなかば諦めている。
なので東京出身の人の前では「羨ましいです〜」と言うのだが、それは半分くらい本当で半分嘘である。
なぜなら田舎の自然と文化と陰湿さの中で自分は育ったので、自分の文化的素養と反骨精神は多分都会では育たなかったと思うからだ。
東京の資本的な豊かさには憧れるものの、そもそも東京や他の大都市で生まれていたとしたら性格は全く違っていたと思うし、今の自分が好きなので、「東京に生まれたかった」とはそこまで思わない…
あと、東京の人は地方が豊かだという言説にすごく敏感な気がする…ので、ポーズでも「私は田舎者なので憧れの東京で来れて嬉しいでやんす」という態度でいたほうが楽だ。
(この前Xでバズっていた「東京の人は車がないのにシャトレーゼなどのチェーン店をどうやってハシゴするのだろう」みたいなポストに、東京の人がやたら攻撃的に言い返していたのがなんか印象に残っている…。
基本的に東京の人は、地方のほうが優れている側面がある可能性もあまり認めない傾向にある気がする)
こんなに言ってしまっているが、前提として私は東京のことが大好きだ。
好きだから働いているし、何より仕事・研究・趣味・生活などあらゆる面で圧倒的に機会が多い。出会う人も多様だ。
だから私は東京にいられて幸せだし、この場所にしがみつくし、しばらく居続けると思う。
ただ、たまに自分が芯から東京出身みたいな言動をとりかけてハッとする瞬間がある。
私のような東京で働く田舎者は東京的世界観に合わせすぎて、自分の故郷を否定するときがあると思う。
東京の感覚が間違っているのではなくて、ただ、自分を形成しているものを拒否してまで東京で生きなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。
私は、地元は最悪な面もあるが、全然最高なところもあったと断言できる。
夕方の雄大な雲の流れ、雪の降った朝の空気、眠れない夜に聴く川の流れの音、一生懸命「ホーホケキョ」を練習するうぐいすの声、初夏の稲穂の上を通り抜ける風、祖母からぽつぽつと語られる昔話、父と山で採ったびわの味、職人である家族の美しいてさばき…これは私は自分の故郷で生まれ育ったから得られたものだ。
多分「嫌なことがあったから地元から離れたんです」という人も多いとは思うのだけど…あなたを形成した場所をすべて否定するのは苦しくはないですか。
私は地元の陰湿な人間が大嫌いだったので、そんな人たちや出来事のことは肯定しません。
よくも悪くも自分のことを形成しているのが地元だなと感じます。
私は田舎者であることを自分の中に留めておいて、東京で働く中で多様な視点をもっていたいと思う。
商品を全国で売っている自分の会社では、絶対に必要な視点だから。
仕事以外でも、東京にいる人とのコミュニケーションでこの視点があって良かったなと思うことはままある。東京は多様なバックグラウンドを持つ人の集合体だからね。
だけど、私がこんな文章を書けるのも、東京に出て、高学歴に類される大学に行き、高倍率とされる企業に入って、東京で生きていける程度の余裕があるから、ということもあるかもしれない。
そのグロテスクさについては、また考えなければいけない。
それでも、やっぱり私は田舎者である自分を否定しきれないし、できないと思う。
ここまで読んでくれた方で、地方出身の人がいたら、最初から東京にいるように振る舞い消費する過程で過去の自分や経験は全部上書きしなくてもいいと思います。
あなたを構成したものが地元のどこかにあるなら、それは抱きしめてほしい。
Gemini Deep Researchで本当の話なのか調査させ、はてな匿名ダイアリーへ投稿出来るように要約させた
はてな匿名ダイアリーを指定したら口調が勝手に変わって吹いたw
2025年末、「娘のはじめてPCにLinux」という議論がネット上で波紋を呼んだ。これは単なるOSオタクの戯言ではない。 「エリート層は子供にRaspberry Pi(ラズベリーパイ)を与えて"支配側"へ育て、一般家庭や公教育はiPadを与えて"消費側"に留め置く」という、現代の身分制度(デジタル階級社会)への警告だ。
本稿は、英国王立協会やGIGAスクール構想の実態、労働市場データを分析した「公教育の機能不全と家庭内資源動員に関する調査報告書」の要約である。 結論から言えば、「中流以下の家庭こそ、なけなしの金を払ってでも子供にLinuxを触らせろ」ということになる。
かつてのデジタルデバイドは「ネットに繋がるか否か」だった。スマホ普及後の現代における格差は、「コンピュータの制御権(Root権限)を持っているか否か」である。
英国王立協会はすでに2012年の段階で「学校のICT教育はオフィスソフトの使い方しか教えていない」と酷評している。 その結果、富裕層の私立校では専門家を雇ってRaspberry PiやAI活用を教え、貧困地域の公立校では管理が楽なiPadを配って終わり、という絶望的な「質の乖離」が起きている。米国でも同様に、富裕層の子供ほど「消費的なスクリーン(TikTokやYouTube)」から離れ、ChromeOSやRaspberry PiやUbuntuなどを導入し創造的なプログラミング教育を受けている。
日本の金のある自治体の公立小中学校で配られたiPadは、MDM(管理ツール)によってガチガチに制限されている。 逆に、ChromeOSはLinuxベースであり開発環境として優秀なのだが、教育委員会は「セキュリティ」と「管理コスト」を理由にその扉(ChromeOSやLinuxでの創造的な授業)を諦めた。 結果、公立校の生徒はiPadで「Web閲覧」と「ドリルアプリ」しかできない。
一方で、開成や筑駒といったエリート校の生徒は、制限のない環境でサーバーを構築し、Unityでゲームを作り、競技プログラミングに没頭している。iPadの 「サンドボックス(砂場)」の中で遊ばされている公立校生と、システムの内側に触れているエリート校生。このスタート地点の差は、10年後に致命的な「年収の差」となって現れる。
「社会に出ればWindowsだろ?」というのは20年前の常識だ。 現代の高付加価値インフラ(AWS、Google Cloud、AI開発、IoT)は、ほぼ全てLinuxで動いている。
GUI(マウス操作)はAIにとってコストが高いが、CLI(コマンド操作)はAIへの命令(プロンプト)そのものであるため、相性が抜群に良い。 Linuxを学ぶことは、「AI時代におけるコンピュータへの正しい命令作法」を学ぶことと同義だ。
「MOS(Microsoft Office Specialist)」というフィルター機能は低下し、GithubやPixiv、Youtubeなどでのクリエイティブな活動履歴(何を作れるか)がパスポートになる。貧困・中流層がこの壁を越える唯一の武器が「技術力(ポートフォリオ)」だ。
中流以下の公教育が頼りにならない以上、家庭で動くしかない。幸い、Linuxの世界は「金はかからないが、知恵と時間はかかる」。これは資金力のない家庭にとって最大の勝機だ。
30万円のMacBookは不要。企業落ちの中古ビジネスPC(ThinkPad X250/X260等)なら、秋葉原や通販で1.5万〜3万円で買える。 Windows 11が入らない型落ちこそ、軽量なLinuxには最高の機体だ。Raspberry Pi 4や400の中古も良い選択肢となる。
親が教えられないなら、CoderDojo(無料のプログラミング道場)のようなコミュニティに子供を連れて行けばいい。そこには「技術を楽しんでいる変な大人」がいる。その出会いが重要だ。
「壊れるから触るな」ではなく、「壊してもOSを入れ直せば直るから、好きにいじれ」と言って管理者権限(Sudo)を与えること。 YouTubeを見る端末を、YouTubeを作る端末に変えること。
高価なiPadを買い与えて安心するのではなく、1万円の中古PCを与えて「黒い画面」に向かう子供を応援すること。 その小さな投資が、子供を「デジタル小作人」から救う唯一の手段になるかもしれない。
大前提が先ず違うな
王様が国を支配してというのは絶対王政を指していると思われるが、絶対王政は当時の最新の統治体制だ
絶対王政の前は合議制で、この合議制にも様々な形態があったが基本的には議論を介して物事を決めるという方針が取られていたため非常に決定が遅かった
この合議制という複雑かつ遅々として決まらない統治体制を権力集中によって改良したのが絶対王政で、絶対王政の確立によって王へ忠誠を誓った官僚が主導する統治が可能になったんだ
絶対王政はその実、官僚が国を左右したため王は血統が保証されているのであれば誰でも良く、だからこそ当時の王族はよく暗殺された
絶対王政下の貴族は何をしていたのか?だけれど、一部の最上流貴族(いわゆる宮廷貴族)以外は普通に民草と農業をしていたという記録が山ほどある
貴族は札束を数えるため汚すのは指先だけなんてのは産業革命以降の極々最近の話で、だからこそ多くの時代で「冬は戦争できない」状況だったのだ
大昔は王様が国を支配して小作人たちに安い賃金で労働させていたわけだけど
産業革命や民主主義運動によって多くの人々の小作人的な労働形態から解放されて豊かになった
ところが現代ではIT化によってそれなりに賃金を得られていた仕事がどんどん失われている
今はまだ移民だったり女性の社会進出なんかに責任をなすりつけているけど
この先何十年、いつまでたっても生活が苦しいままだったら
やがて「どうやら社会の仕組みがおかしいのでは?」と思い始めるのではないか
工場が自動化されれば工員が、店舗がオンライン化されれば定員が、RPAやERPで総務や経理が、AIでプログラマが
現金一括でもらえるわけではないのは知っているが
稼いでいる人が富を得て何が悪いのか、という意見はあると思うが
その富は他人の仕事を奪うサービスを生み出したことで得た収入なのであれば
奪われた人たちのために税金として徴収して社会に再配布されるべきだと思う
でも現実は一生かけても使い切れないほどの国をも超える報酬を得ている人たちがたくさんいる
こんなことが長く続いたら富の独占への怒りで
普通に考えて何の問題もなくガンガン成長してるんなら政府が規制かけるわけなくね?
政府が規制かけたのはバカみたいな働き方をして、させ続けた結果、
心身の疾患、果にはDEATH OF KARO(病死、自死含む)が社会問題になったから
政府として国民の生活を守るためにやむなく敷いたのが労働規制だろ。
何なら政府なんか経団連とズブズブのズブなんだから労働規制には消極的だっただろ。
あと世界的に日本の働き方は異常だってずっと言われ続けていたわけで。
日本の成長が止まったのは政府が労働規制をかけたからじゃなくて
終わってる生産性を長時間労働で誤魔化し続けていたのを改善できなかったからじゃねぇの。
地主と小作人の関係が、戦後GHQに解体されて農地が分配され農業が民主化された
そんなことが書かれていた
でも俺の地元はまだ7割くらいが農家だったし、社会の先生も兼業農家だったから何となくこの記述に不満があったんだろう
先生が「これ東京の視点だよねぇ」とかボソッといったのを今でも覚えている
コメ不足で日本の農業に注目が集まってるけど、どう改革するかみたいなことがいまさら言われている
でも農家界隈だともう30年前くらいには議論しつくしてて集約なんだよね
GHQ政策のせいではないが、結果的にこれらは家父長制という呪縛と結びついて、夢をあきらめ農業をしなければいけない長男がばくぞうして人生設計がぶっ壊れた人が多くいただろうね
でも右(というか自民党)からすれば票田になるし、左からすれば民主化万歳だし
そもそも田舎の連中のことなんてとくに興味があるわけでもないから、この刻み農地問題はずっと無視されてきた
この政策で救われたやつらなんて、都会のやつらくらいだろう、ちゃっかり農協の本部も東京だしな
そんで都会のやつらは大企業に勤めることに血眼になってるのがうけるよな
そんなに民主化万歳ならみんなフリーランスにでもなればいいのに
俺と周辺の農地持ってた地主は、農業から離れて東京に移住してるらしいという話を、じいちゃんから聞いたことがあるw
「なんだよ、地主のほうが農業とかいうオワコンから離れられて良い生活してるじゃん」って思ったよね