はてなキーワード: 原野とは
パート1→ https://anond.hatelabo.jp/20240819184907
木曽呂はまっ平らな川口市に大宮台地が張りだした高台の地区。この木曽呂の東には川口ICがあり、その東側には人家希な地域がある。神根東と言えばいいのか。住所としては赤芝、石神という地域だ。
ここの場合は一般的な調整区域で建築制限されているのではなくて、近郊緑地保全区域という規制が掛かっている。
家やマンションが建てられないので畑をやるしかない。しかし都心から近い畑地域では花卉栽培が人気になる。そこでこの周囲では盆栽や植木が名産になっている。
しかし、植木って今は人気だろうか?あまり植木に精を出しているおじさんとかは見ない。なので下火となり、都市化によって農業自体を廃業してしまう人も多い。
すると土地が遊んでしまうし、そこに固定資産税も掛かってくる。
そういう訳で駐車場用途やヤード用途の買い手に売却、となる。緑地保全区域なのにホコリっぽいヤードだらけになるのが皮肉だ。
特に外環道川口東IC付近にはヤード類がまとまった箇所が数か所ある。
特養ホームというのは収益性が然程は高くないのに広い面積が必要な施設で、故に訳アリの土地、崖の下などに造られやすく、その為に災害で犠牲者が出る事がままある。
調整区域で特養ホームが例外に入っている場所などは当然候補地となる。
産経は近所の迷惑度を強調したくて特養ホームを入れたのだろうが、増田の場合は逆に「ああ、人家希な地域なんだろうな」と考えてしまうのだ。
増田はこの手の産経のキャンペーン記事を信用していない。何故ならクルド叩きキャンペーンは「中国人が水源地を買っている、日本の水が危ない」キャンペーンの続きだからだ。
この中国人水源キャンペーンの時は遂に具体的な売買の経緯などを取材して書かなかった。
増田含めてネットには不動産のうち、「負」動産クラスタというのが居る。不良不動産のインチキ売買や怪しい不動産ゴロの事などを調べるのが好きな人間だ。
そんな負動産クラスターズが「水源までの道路はあるのか、それは誰の管理か」「水源地の分筆は売主がやったのか、仲介の第三者取引か」「もしや嘗ての原野商法の土地を買い上げて今度は中国人騙してる原野で二毛作か」とウキウキでいたのに、結局最後まで具体性のある記事は一切書かなかった。
朝日新聞が取材して「どうやら中国人相手に原野商法しているようだ」という一定の取材記事を出したのに、アンサーは無し。朝日の件と違うケースがあるのかどうかも書かないし、一切の掘り下げも無し。原野商法は整地もせずに登記簿だけで行われる詐欺的商売で、売主が現地にも行かないという信頼?の元に為されるバカみたいな取引だ。だから地上からは一切の変化も見えず、金だけが動いてゴミを得るという事が行われる。故に掴んだ情報がどこの事かと言ってくれないと困るし、言ってくれたら登記簿取って何があったか調べられるのだ。
そういう掘り下げを全くせずに、今度は自衛隊基地の近くに外国人が土地持ってるのが判った、日本の危機だ!と煽る方向にだけ行ってそれっきりだ。
元々産経には一般向けではない産経枠記事というのがずっとある。街宣右翼とか宗教右翼とか向けなので程度は極端に低く、社会人読者が常識的なスキルで疑問を持つという想定がされない。例えば「なんで登記簿取って書かれている買い手や司法書士や銀行などに取材に行かないんだ?」という疑問を持つ人は想定読者じゃないのだ。そういう人は一般的には社会人と呼ぶ。
書いてる記者もまともな能力がない。公害問題の時に地盤沈下が起こり井戸水の汲み上げ規制が全国で出来ていたはず、という常識やそれらにアタッチする能力もない。かなり特殊な記事群と言っていいだろう。
クルド人問題では他の新聞は医療センターでのケンカを報じるくらいで取り上げない。地元紙の埼玉新聞はたまに取り上げるがトーンや内容が全然違う。「Xで定積載の平トラックを撮影して『過積載クルド』とする盛り上がりに迎合してやはり定積載の平トラックを掲載してアイキャッチにする」なんて事は当然しないし、そういう読者を想定していないのだ。それは良識とかじゃなくてただの常識だ。
という訳でしてこの記事自体は「いつものアレ」であって、「領海侵犯」「刑事裁判での被害者の人権」なんかと同じ枠なので全く信用していないのであります。
しかし、定積載のトラック捕まえて「警察がなぜか検挙しない!1」ってそりゃ定積載だからだよなぁ。しかもその写真をガイジンの悪事として記事に掲載する新聞があるって言うんだからすげえよなぁ。しかもよく見たら読者に提供してもらってるのな。つまりXでバズってるのを鵜呑みにした情弱さんを鵜呑みにしたって事よな。
地理がよく分からずにあの手の情報に踊らされている場合もありそうなんで、川口の地理も説明したいんだが、紙幅が尽きたので今度なー。そんじゃーね。
追記4:
湘南ライフタウンは藤沢市が人外魔境の原野につくった5万人の都市。イタチやたぬきしか住んでない原野な上にどこの駅からも5km以上離れているまともな感性があるひとなら絶対購入しない土地。限界ニュータウンゼロである。
「モノレールの建設予定がある」そういう流言をまことしやかに流したのである。ただの噂ではない。藤沢市がモノレール建設のためと思わせぶりな土地の買収を実行。また、アクセス道路にいかにもモノレールのための用地に見えるようなスペースを設定。アクセス道路のトンネルにはモノレールが通れるスペースを設定。
いやこれ、ぜったいモノレール開通するでしょ。モノレールが開通しない理由が見当たらない。
モノレールと東海道線1本で東京に通勤できる!!そんな期待をともない格安な住宅街は飛ぶように売れた。
後に藤沢市はモノレールの計画などない。検討したこともない。と公式に表明。
藤沢のようなクソ地方都市にはもったいないものすごい策士がいるんだよな。
いや。それでも藤沢はクソだけど。
https://mainichi.jp/articles/20230513/k00/00m/040/221000c
北海道白糠町と釧路市音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側の民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」とされ、民族の伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体の幹部らからは懸念の声が上がっている。
明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路市音別町の5ヘクタール強の原野。国道38号南側の海岸沿いに位置する。
不動産登記簿などによると、2021年8月、東京都港区の会社(A社)が、紋別市の会社から条件付きで買い取るとの所有権移転仮登記をした。条件は「本件土地の状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断したこと」とある。さらに今年3月、売買により、関係があるとみられる港区の別の会社(B社)に所有権が移された。
資源エネルギー庁の再生可能エネルギーの事業計画認定情報によると、この土地ではB社の名義で、発電出力1999キロワットの太陽光発電が22年3月に認定されていた。
法人登記簿によると、A、B両社はともに「太陽電池及び関連部材に関する卸・販売・輸出入業務」などを目的に設立された。社員欄には、海外の太陽光発電会社の関係者とみられる名前がある。土地購入手続きなどに携わったという日本人女性は毎日新聞の取材に計画が進んでいることを認め、「計画の見直しは難しいと思います」と答えた。
紋別市の会社の社長(78)は国道を挟んで北側の原野(約66・7ヘクタール)と山林(約330ヘクタール)も所有しており、「山林は東京都中央区の会社が太陽光発電を計画し、原野も別の複数の業者が発電用地を確保しようとしている」と明かした。
不動産登記簿によると、山林は22年11月、「売買代金完済」を条件に、東京都中央区の会社に所有権移転の仮登記が行われていた。紋別市の会社社長は「近くに送電線があり、計画は太陽光発電と聞いている」と明かした。さらに西側の丘陵地では、別の会社が設置した二つの太陽光発電が稼働しており、一帯は適地とみられる。
白糠町は馬主来沼の東半分を囲うような形で町有地284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全に努める。対照的に、西半分にあたる釧路市音別町側は保全の手は打っておらず、計画が進めば、沼の西にかけての多くがソーラーパネルで覆われる可能性がある。
白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は「寄り鯨が集落を飢餓から救った伝承のある土地で、アイヌ民族にとってはかけがえのない生活空間。守りたいのはやまやまだが、どうすればよいのか」と話す。
道東では釧路湿原国立公園の南側周縁部の原野でも、大規模な太陽光発電計画が水面下で進み、予定地には絶滅が危険視されるキタサンショウウオも生息することから、自然保護団体などから懸念の声が上がっている。【本間浩昭】
白糠町と釧路市音別町にまたがる周囲約4キロの海跡湖で、ヘラジカの角のような複雑な形が特徴。平均水深1・7メートルと浅く、冬には結氷する。縄文海進が約6000年前に終わり、海退の過程で砂丘が海水をせき止めて形成された。国指定特別天然記念物・タンチョウの飛来地で、環境省選定の「日本の生物多様性保全上重要な湿地」の一つ。北海道の「すぐれた自然地域」にも指定されている。
フンペ(アイヌ語で「鯨」)が漂着したことをパシクル(カラス)が教え、集落(コタン)が飢えから救われたとの言い伝えが残る道東の馬主来沼(パシクルトウ)。その西側の釧路市音別町で、大規模な太陽光発電計画が進んでいた。伝統的生活空間「イオル」の一角が侵食されかねない事態に、アイヌ民族は戸惑いを隠せない。
「寄り鯨」の伝承を裏付けるような出来事だった。昨年11月26日。沼から東に約3キロ離れた和天別川の河口近くに1頭のミンククジラが打ち上がった。死後かなり経過し、「海岸には腐臭が漂っていた」と白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は語る。「数年前のフンペ祭りの前日にも打ち上がった」という。一帯は、海が急に深くなっている海底地形や海流などの影響で、古くから鯨が漂着しがちな海岸線らしい。
この地に大規模な太陽光発電が計画されていると天内さんが聞いたのは1年ほど前。いったんは計画が立ち消えになったと聞いて「ほっとしていた」が、半年ほど前から再び業者が動き始めたと知らされ、「できれば造ってほしくない」と危機感を募らせる。
白糠町は、沼の東側を囲む形で約284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全する。昨年には太平洋を見渡す高台に、国のアイヌ政策推進交付金を得て、鯨の恵みに感謝する古式舞踊「フンペリムセ」(鯨踊り)発祥の地として、展望台やモニュメント広場、駐車場などを整備した。毎
年9月の第1日曜日には、寄り鯨の恵みに感謝を捧げる「フンペリムセ」が奉納される。
一方、沼の西半分を占める旧音別町側は1968年、音別町立自然公園条例を制定、沼周辺を町立自然公園に指定し、国道38号沿いに駐車場や説明板、周辺展望台を兼ねた休憩舎などを整備したが、面積は0・78ヘクタールにとどまっていた。
音別町は2005年の釧路市との合併で、白糠町を間に挟む「飛び地」に。条例は新市に引き継がれず、自然公園でもなくなった。「馬主来沼の存在は重要視されなくなった」と言う住民もいた。
音別町史にはこうある。「夕日が西山に沈む頃。白糠町側の高台に立って当町方向を眺めるとき、パシクル沼の水面に映る夕映え風景は、まさに一幅の名画を見る感がある」。釧路市は15年に選定した「音別新八景」の一つに「パシクル湖畔の夕日」を選んだ。
沼周辺は、アイヌの暮らしに必要な動植物の入手に欠かせない伝統的生活空間「イオル」とも位置づけられている。類いまれな景勝地とされる一帯の景観が「メガソーラーの海」に変わる可能性がある。【本間浩昭】
檄
われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
北海道(道東)に住んで、全道を走り回ったことで気づいたこと。
松前辺りを除くと街が明治以降に出来上がったものばかりなので、よく言えば合理的、悪く言えばつまらない。
近畿地方に見られるような、入ることがためらわれるようなエリア(被差別部落、新興宗教の町、ドヤ街など)がほとんどない。
街はどこに行っても似たような風景なので記憶がごっちゃになる。
北海道の地名はほとんどアイヌ語に漢字を当てはめたものなのだが(「札幌」、「帯広」、「稚内」等々)、旭川だけ和名が多い気がする。
帯広周辺の寿司は高いしうまくない。他方、札幌は安くてうまい店がゴロゴロある。
根室や釧路から札幌に魚を運ぶ過程で落としていけば良さそうなものだが、札幌に持って行った方が高く売れるのか。
内陸でどうしても魚を食いたいなら、帯広地方卸売市場2階の海鮮丼の店がベスト。
個性あるラーメン屋がほんとうに無い。東京や大阪からの観光客に「ラーメン屋でおすすめは?」と聞かれたときにいつも困る。
ちなみに「信玄」や「すみれ」に並んでいると、お水の姉ちゃんに「並ぶほどうまくねぇよ!」と煽られる。
あとは旭川の「蜂屋」や函館の「あじさい」辺りが有名だが・・・。
印象に残っているところだと、サロベツ原野、知床、積丹半島、礼文島、襟裳ぐらい。
あとは本州でも見られる景色のような気がする。登山でもすればまた違うんだろうが。
北海道はそのど真ん中に日高山脈が聳え立っており、そこを境に人・物・カネの流れがぶった切られている。
「北海道大好きなんです~」と言ってくる人がいると「どうせ日高山脈”以西”が好きなだけだろう」と斜に構えてしまう。
北海道のエリア分けとして札幌周辺を「道央」と呼ぶのだが、そのせいで道南が函館を指し、本来「北海道の中央」である富良野や「北海道の南」である襟裳が「道東」でひとくくりにされてしまうことに違和感がある。
今からでも「道央」は富良野とし、札幌・函館は「道西」、襟裳が「道南」、帯広・釧路・根室を「道東」とすべきと思う。
また思いついたら書く。