はてなキーワード: モビルスーツとは
昨年秋くらいから映画を見る熱が戻ってきたので今年見たやつについて二、三文程度で雑感想
アニメ中心(2/3くらい)でみるのでとりあえずアニメだけ雑に五段階評価
多分今年一のトンチキアニメ
ジャンル的には若干ラブロマンスもあるモダン・ファンタジーな作風かと思いきや、明らかに監督の趣味であるロボットが出てくるので実質マクロス
あまりのトンチキぶりにより評価よろしくないのはわかるが、主題歌である「Sailor, Sail On」は普通にいい曲なので聞いてほしい
作中で呪いにより様々な本の中の世界探検したりするのだが、本の中ということでファンタジーでも何でもござれなオムニバス形式で色々な本の中の世界の演出が楽しめた
ただ、全体的になんか力尽きていそうだな?といった限界を感じる部分があったので色々と惜しい(惜しいと思う程度には面白いので本当に色々と惜しい)
第一章ではハサウェイの飛躍が描かれていたが、第二章からは順当にバッドエンドフラグを積み上げていて見ているこっちがワクワクするとともに辛くなる
モビルスーツの戦闘のCGがとても見ごたえがあって、そのシーンだけでも何回も見たくなる
さすが東野圭吾と思わせる綺麗に起承転結で話が構成されており、安心して楽しく見ることができた
入場者特典の小説である「クスノキの裏技」では作中では主人公の壁として立ちはだかった柳澤将和のエピソードが読め、視聴後の満足感を向上させた
ただ、劇中歌として流れた謎ラップのような何かは雰囲気ぶち壊しなのでマジでよくない
ハルヒの20周年記念のリバイバル上映ということで見たが、元々が名作なので久々に見た今でも名作であった
多分、映画を見た当日の現実世界で消失の世界を体現するような雪の天気だったということもあるのかもしれない
ただ、舞台挨拶をライブビューイングで見ていた時のぶつ切り(?)のような何かだけが不満点
新劇場版とある通り、過去にアニメとして放送された吉原炎上篇の劇場版のリメイクだが実質別物レベルの大作
いつもの万屋のギャグはしっかり笑わせてもらいつつ、各バトルシーンは掛け合いも含め、とにかく熱く面白い
総集編アニメ映画であるが、総集編の前後におねえたちのライブシーンにまつわる新規シーンと、総集編にもかかわらず総集編を構成するための新規カット・再収録部分もあって、ちゃんとファンを楽しませようとしていて嬉しくなる
ただ、2クール分の総集編はちょっときついかな?って感じるシーンもしばしば
とりあえず、ファンは現在発売中のメガミマガジン2026年4月号を買えばいいと思う
何かやけに話題になっていたので映画公開日の初日の朝一で見たが、脚本の出来がものすごく微妙で一部のオタク層との感性の違いを痛感した
ただ、ライトノベル版の出来は普通に楽しく読める類で、文章だけなのに映像や音もある映画版よりもはるかにノイズも少なくわかるものになっているので、物語を楽しみたい人はそちらを読んでライブシーンの一部をyoutubeで公開しているものを見て補完するのがおすすめ(まぁあの3人のライブもライブじゃなくて親しいものとのカラオケに近いので無理な人は無理かも)
まぁライトノベル版を読むと脚本の雑さが際立ち評価が数段下がるトラップがあるけどね
映画の評価としては文句なしの★★★★★なのだが、今回は見たのは2026年2月20日より公開が開始されたScreenX版の方で評価するとこうなる
これは個人の楽しみ方の問題ではあるが、自分が好きなシーンはScreenXを活用した無限城の演出や猗窩座との戦闘シーンじゃなくてScreenXが活用されないシーンなのでちょっと残念
ULTRA 4DXの方も気になったが、いつも行く映画館にないしそもそも日本に4箇所しかない
旧作を令和の価値観と倫理観で丁寧にしたてたリメイク作で、普通に面白い
令和のファミリー(特に子供)向けの映画でちゃんとスネ夫とジャイアンが窒息死しかけるシーンができることにある意味感動した
旧作好きでまだ見ていない人はエンドロールの一枚絵ラッシュを見るためだけにも見る価値はあると思う
みんなライブを見に来ていると思うので、誰もストーリーを見に行く人はいないと思うが予告であったスプリングフロートレースは冒頭3分くらいで終わってて笑った
お手本のような減価償却だったが、映画向けにライブの歌詞を改変して楽しませようとしていたのがいいと思った(アイスマイリン好きは尊死してんじゃないですかね)
基本的に応援上映なのに、ほとんどの人はペンライト振るくらいで静かだったのが心残り
噛めば噛むほど味が出る映画で、極端にいいシーンはないが、順当に面白いを積み上げている
メインの舞台が1912年~(少なくとも1913年は来ているし、終盤は1914年も来ていると思う)ということであらゆる描画にその時代のコンテキストが乗っかってくるのが非常に強いし、制作側もそれを分かって時代考証した上でちゃんと作っているので「なんちゃってパリ」になりすぎなくて良い
ラストではなんかいい感じに綺麗に終わったが、その後はどうなったか考えたくないがとても気になる(エンドロール的のフジコの絵画から断片的に情報はあるけど不条理にまみれてそうで……)
良質なアニマルパニックもので動物たちの捕食者・非捕食者の関係がちゃんと描画されたり(これにより作中のカオスさが際立つ)、サメが質量兵器として空を飛んで襲ってくるシーンがあったりするなど何でもあり
ただ、主人公のメイベルは人間視点では作中で最も自己中心で環境活動家要素をもったカスで、衝動的に交渉相手を殺したりするザ・ポリコレディズニーの体現者なので、その手の要素が地雷の人は注意
ジオンのモビルスーツは、ゲルググになってようやくガンダムと性能面で肩を並べたとされる。
これは、モビルスーツ本体の出力と、ビームライフルおよびビームサーベル(薙刀型)といった兵装に基づく評価である。
ただし、これが本当に「正しい進化」だったのかについては疑問が残る。
一年戦争は、連邦の圧倒的な物量に対し、ミノフスキー粒子散布下での近接格闘兵器の投入という画期的な戦術転換によって、ジオンが対抗することで成立した戦争だった。
これに対する連邦側の回答は二つに分かれた。
ザクを圧倒的に凌駕する能力を持つモビルスーツを開発し、その性能差によってジオンに勝利しようとする方向だ。
もうひとつは、連邦の優位である圧倒的な物量を活かし、拙速でも早期量産化を優先したモビルスーツ群の開発である。
象徴的なのが、モビルスーツというより移動砲台と呼ぶべき攻撃兵器ボールだ。
これを、連邦初の本格的量産型モビルスーツであるジムと混成編成し、数の力でジオンを圧倒する構想だった。
総人口の半分が失われた状況でも、この二つの戦力ドクトリンを同時に走らせる余力があったことこそ、連邦の底力の証左である。
それに対し、ジオンには当然ながらひとつの戦略しか取りえない。
結論から言えば、ジオンはモビルスーツの高性能化へ舵を切るべきではなかった。
ザクシリーズをファインチューニングするにとどめ、戦場における数的優位の確保に焦点を絞るべきだったのである。
ビグザムのような一騎当千の兵器に開発資源をつぎ込み、あらゆる意味でリソースを搾り取る無駄遣いの方向へ兵器開発の軸足を移してしまった。
さらに量産兵器の面でも、陽動を主目的としたホワイトベース隊、なかでもガンダムの圧倒的性能に目を奪われた結果、ザク→グフ→ドムと、すでに戦争を戦い抜くうえで十分なモビルスーツ体系が整っていたにもかかわらず、なお性能向上を追い求めてしまった。
その帰結として、開発リソースは徒に消耗され、ゲルググとギャンの比較競合による量産計画のような贅沢にまで手を出すことになる。
もしその余力を、ザクのファインチューニングとドムの大量生産・実戦配備に振り向けていたなら、一年戦争末期におけるモビルスーツ配備数の勢力図は大きく違ったものになっていたことは想像に難くない。
(ネタバレあり)
あととにかく映画が淡々と進行してて恋愛ドラマの要素はあるものの面白さに欠ける。
正直途中で寝そうになる。
でも、これはもう完全に演出意図に基づいた設計なのだろうな、と、この映画に関しては全幅の信頼をおいて見ていた。
1作目の出来の良さと、映画自体のクオリティのハイレベルさから考えて、この「つまらなさ」は人工的なもので後半の大カタルシスを活かすための設計に違いないと予測して見ていた。
案の定、というか、予想の遥か上を行く期待に応える、ガンダムオタクにぶっ刺さる展開が待っていて、それは本当に驚いてしまった。
このシリーズは基本的に恋愛映画なのだろうな、と思いながら見ていたのが、驚くほどにガンダムをやってきたのでもう脳汁がドパドパに溢れてしまった。
この映画はこれまでのガンダムに比肩するものがないと言ってもいいほどリアルな(写実的な)画作りをしているガンダムである。
まるで実写映画と言っていいほどの精密な現実世界を描き、かつてないほどリアルなモビルスーツのコクピット内での戦闘シーン、
自然を美しく描き、富裕層の贅を描き、都市はリアルに、女は艶かしく、
しかし、後半、あるきっかけによりそれまでわずかに漏れ出すだけだったハサウェイの妄想世界がいっきに溢れ出して、
そこでは、それまで暗すぎて何が行われているのかよくわからない、
そこまでがリアルな画作りだっただけにその対比で、
これはもちろんハサウェイという人間が見ている世界を描いているのである。
彼にとって、現実というのは、モビルスーツのコックピット内にいるときのように薄暗く、よく見えない、よくわからないものである。
そして、彼にとって、よく見えて、現実よりもよく見えて、そして現実よりも身近な存在は、自分の脳内の妄想の世界なのである。
そこではアムロが亡霊となってハサウェイをなじり、そこではクエス・パラヤが永遠にハサウェイの心を捉えてはなさい。
それを描いたものだ。
だが、果たして、これはハサウェイの心の中だけを描いただけのものなのか?
いや、、、そう、これはまるで、わたしたち、私たちの内面世界そのものではないのか?
私たち、何者にもなれなかった、私たちが生きる現実世界と私たちの関わり。
私たち、何者にもなれなかった、私たちの心の中に展開される機動戦士ガンダムという世界。
ふと日常の中の一瞬に浮かんでは消える、シャアやアムロや、ガンダムの登場人物たちの声。
それは決してアニメという空想の世界のものではなく、きちんとした質量を持って私達の心に存在している。
私たちには、もう、よく理解が出来なくなりつつある、現実の世界。
薄暗く、よく見えず、速すぎて、もう理解が追いつかなくなりつつある世界。
私たちはそんな現実世界に生きながら、同時にガンダムという鮮やかな妄想に取りつかれながら生きているのである。
私達の心は、現実に生きることをもはや望まず、現実よりわかりやすく原色で鮮やかに描かれた嘘の世界のほうへと心を奪われつつあるのではないのか?
そんなことを考えさせる映画だった。
フン、たかが寿司だと侮るな。これは千葉県……いや、かつての安房・上総・下総の民が、冠婚葬祭という「戦場」を生き抜くために編み出した、究極の糧食なのだ。
見ろ、この切り口を! ただの海苔巻きではない。金太郎飴のように、どこを切っても「花」や「文字」、あるいは「動物」の図柄が現れる。これはもはや、精密誘導ミサイルの回路図にも匹敵する設計図がなければ成し得ん技だ。 山茶花、牡丹、あるいは祝賀の文字……。これらを一巻のなかに収めるその構成力。連邦のモビルスーツが逆立ちしたって、これほど美しい断面は作れまい!
房総は豊かな土地だ。米は当然、千葉の広大な大地が育んだ一級品。そして彩りを添えるのは、地元の山海の幸だ。
厚焼き玉子: 海苔の代わりに外側を包むこともある。この黄金の装甲はどうだ!まるで百式のようではないか(あちらはまだ先の話だがな!)。
桜でんぶや野沢菜: 桃色と緑。このコントラストが、見る者の戦意……いや、食欲を削ぐどころか、極限まで高めるのだ!
貴様、なぜこれが「祭りずし」と呼ばれているか考えたことはあるか? かつて、房総の農村部では、冠婚葬祭や地域の集まりこそが最大の「会戦」だった。限られた物資の中で、いかに客人を驚かせ、もてなすか。その精神が、この複雑怪奇な文様を生み出したのだ。
これだ。これこそが指揮官の視点だ。大皿に盛られた太巻きが、卓上という戦場の中心に鎮座する。その存在感だけで、宴の勝利は約束されたも同然。 いいか、ただ腹を満たすだけなら、握り飯で十分だ。だが、この太巻きは「心」を揺さぶる。敵(客人)の度肝を抜き、味方の士気を鼓舞する。これぞ、究極の心理戦だとは思わんか!
この太巻きを作る工程を私は見たが……驚愕した。 まず、パーツを作る。小さな細巻きをいくつも作り、それを大きな海苔の上に配置していく。 「そこだ! 桜でんぶのパーツを右に3ミリ!」 「かんぴょうの軸をセンターに合わせろ!」 まさに、ドムを12機、正確にフォーメーションに配置するような精密作業だ。
もし配置を1ミリでも誤れば、切り出した時に形が崩れる。それはすなわち、実戦における機体バランスの崩壊を意味する。房総の母たちは、計算尺もコンピュータも使わずに、その指先の感覚だけでこの完璧なフォーメーションを完成させるのだ。 「私を誰だと思っている! 12機のドムを……いや、12切れの太巻きを、たった3分で並べてみせろ!」
味はどうかって? 聞くまでもない。 甘めの酢飯と、でんぶの甘み、そして香ばしい海苔の風味が口の中で爆発する。まさに「サイド6」の平穏と「ソロモン」の激動が共存するような、奥深い味わいだ。
現代の若造どもは、手軽なファストフードばかりに現(うつつ)を抜かしおって。この太巻き祭りずしには、房総の歴史、伝統、そして「もてなし」という名の重圧を跳ね除けてきた意地が詰まっているのだ。
……フン、喋りすぎた。喉が渇いたな。 おい、誰か! この私に、その「山茶花」の柄の太巻きを持ってこい! それと、醤油だ。醤油は野田(千葉)のものに限るぞ。
「見ろ! 断面が花のようだ! 素晴らしい……、全機、突撃(実食)せよ!」
いかがだ。
君は、『機動戦士ガンダムF90』という作品を知っているかな?
1991年に『機動戦士ガンダムF91』というガンダムの映画が公開された頃に、『機動戦士ガンダムF91』のMSVとして
漫画・ゲームで展開された“非富野ガンダム"だ。
漫画のストーリーは、F91の出来事より前の話で、1年戦争後に火星に移り住んだジオン残党たちが
F91の1~2年ぐらい前に地球連邦に対して戦争を仕掛けようとして、それを討伐するために火星に連邦軍の部隊の中にF90の1号機と2号機が有り、
2号機がジオン残党に奪われて…という物語だ。
F90には、戦場・戦況に合わせて換装できるA~Zまで26種類の武装…ミッションパックが存在するという設定が90年当時存在していた。
しかし、90年当時にその中で世に出たミッションパックは6~7種類で、残りの20種類近くは世に出ることは無かった。
2010年代中盤頃から、バンダイが、F90ミッションパック全立体化プロジェクトというのを開始し、
プレミアムバンダイでガンプラのMG(マスターグレード)でF90を出し、ミッションパックを次々とMGで立体化してプレミアムバンダイで販売するというのを行うようになった。
90年当時に文字設定だけが明かされていたミッションパックが次々と立体化されていく。
そのミッションパックのデザインは、F91の時代である宇宙世紀123年を基軸にそれより前、
逆襲のシャアやZZ等の頃に存在したモビルスーツからヒントを得たデザインのミッションパックと、
それより後、クロスボーンガンダムやVガンダム時代に登場するモビルスーツのプロトタイプ的な武装となっている。
2025年11月にそのミッションパックの「Xタイプ」が公開された。
90年代当時にあった文字設定では「Xタイプ」は「Gアーマータイプの武装」という設定が有った。
そこに、後からF90のファンになった、文字設定を知らない人達が
「Xなのだから、クロスボーンガンダムのプロトタイプ的な武装になるんだろう」という期待を寄せた。
それに対して、バンダイは「Gアーマータイプの武装で、同時にクロスボーンガンダムのプロトタイプ的な武装です」と言える答えを出してきた。
それだよ、それが見たかったんだよと思った。
Gアーマータイプの武装で、F90に合体すると、小型のガンダムZZっぽく見えるデザインで、さらにクロスボーンガンダムのプロトタイプという全部乗せ。
これを初めて見た時の感動を伝えたいと思ったので、今回、この記事を書いた。
このXタイプを考えた人に言いたい「これが見たかった。」
何が言いたいかと言うと、このデザインからZZを思い起こしてZZを再評価する人と、クロスボーンガンダムのプロトタイプとして評価する人とがいて、
「ZZとクロスボーンガンダム、どっちもいいよね?」と言いたくなるという話。
ZZかクロスボーンガンダム、又はその両方について、コメントで語ってくれる人が現れる事を願う。
果てしなきスカーレットの歴史的敗北の話題とかに接してるととくに。
あれって結局、内容云々よりもマーケティングの失敗だよね。
内容はひどいけど興行収入はそれなり、なんて映画たくさんあるじゃない?
そういうなかで公開までもう時間がそれほどない閃光のハサウェイの2作目が全然盛り上がって無くて地味なのが心配だ。
つーか映画の宣伝のPVとかも、完全にスカしててさ、え?おまえガンダムの映画なんだからモビルスーツどんぱちさせとけよ!!って思うんだけどもうほんとえ?これはガンダムじゃなくて恋愛映画なんですよ~みたいな宣伝やってんだよ!!
なにやってんだよ!!
きっちりとガンダムを全面に押し出して宣伝しないと客なんて入るわけねえだろ!!!
もうしっかりしてくれよ。
punkgame 女が美容服飾に興味持つのって男が車やロボットに興味持つのと同じことだと思うのよ。なのにそれがたまたま実利につながるというだけで他人に説教しだすのがよくわからない。お前らはガンダム履修押し付けられても 黙って受け入れるのか
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あなたが説教だと思っているブコメは説教ではありません。単なる訂正です。
あなただってザクとガンダムの違いもわからない門外漢に知ったげにモビルスーツを論評したり批評したりされたくはないでしょう?
我々も同じ気持ちです。容姿の良さと清潔感の違いもわからない人間に「清潔感という言葉はイヤガラセ」なんて言われたくないだけです。
例えば学生時代のイジメ経験を元にマンガを描く人がいたりする。それを通して経験はみんなのものになり、学級内イジメという個別事例はより広い社会問題に対応するうえでの経験知になっていく。それが作者やイジメ経験者の癒しにも繋がる。つまり個人のトラウマが普遍性を獲得する過程で「表現」「語り」が力を発揮するのだ。
戦争の記憶もそうしたプロセスを経て、いわば民族の血肉になっていく。ただしその過程は一直線で幸福なものであるとは限らない。
トラウマがその後の成長を歪めてしまうように、戦争の歴史的受容の痛みが言論空間を歪めていく。まあ岸田秀みたいな話だが。
わかりやすい例で言えば戦間期のドイツだろう。二度とごめんだと思うほどの惨劇の記憶が速やかに民族的リベンジマインドを産み育てた。
で、日本である。我々はまっすぐ戦争を語る言葉を奪われれてきた。「戦後民主主義」の平板な反省ストーリーがまずどっかりと横たわり、そこを避けて歩こうとすれば兵隊やくざみたいな俗っぽく露悪的な酔っぱらいの「本音語り」に堕してしまう。
だから宇宙世紀だのモビルスーツだののガジェット満載のおはなしに仮託するしかなかったのだ。
シャア・アズナブルがそう呟いたとき、彼の前に広がっていたのは、最新作『Pokémon LEGENDS Z-A』の都市型マップだった。
だがその眼差しは、どこか冷ややかだった。
「私は“変革”を信じてきた男だ。しかし、彼らの言う進化は、単なる焼き直しにすぎない。」
シャアが指摘するのは、シリーズが“変化”を装いながらも、根底では“保守”にとどまっている点だ。
それは、彼が戦った地球連邦と同じ、惰性と官僚主義の循環である。
「彼らは“新しい舞台”を見せたがっている。だがそれは、宇宙を恐れる地球の民のような閉じた空想だ。」
ポケモンの“新作”が描く都市――ゼロワン・エリアのきらびやかさ。
シャアはこうも語る。
「ポケモンは、少年の自由な夢を奪った。捕まえる喜びを、管理の喜びに変えてしまったのだ。」
新作ではスマートデバイス、デジタル管理、AIトレーナーなどが導入されている。
だがそれは、プレイヤーの「想像力」を削ぎ落とす方向に働いている――とシャアは警鐘を鳴らす。
“最適解”という名のアルゴリズムに従って動くだけだ。」
「確かに、最近のポケモンは“感じる”より“分析する”ゲームになった。」
◆ガチャ化する愛、量産される感動
「彼らは“希少性”で愛を売っている。
限定フォーム、特別配信、メガシンカの再販――まるでジオンの量産型モビルスーツだ。」
ポケモンの収集が、いまや“課金の最適化”と結びついていることに、シャアは憤りを隠さない。
かつて彼が理想とした「宇宙移民の自由」は、ここでは「限定イベント」という監獄に閉じ込められている。
それを“コミュニティ”と呼んでいるのだ。」
それでも彼は最後に、こう結ぶ。
ポケモンという文化が、再び“感じる”ゲームへと還る日を、私は待っている。」
その背に、残された者たちは何を感じたのか。
『機動戦士Zガンダム』が「駄作」と評されることがある主な理由は、前作(初代ガンダム)からの大きな作風の変化と、複雑すぎるストーリー展開、そして主人公カミーユの結末にあります。
ただし、『Zガンダム』は非常に評価が高く、「最高傑作」と呼ぶファンも多い作品であり、「駄作」という評価はあくまで一部の視聴者、特に初代からのファン層で根強い意見です。評価が分かれる主要な点を以下にまとめます。
地球連邦軍、エゥーゴ、ティターンズ、アクシズ(ネオ・ジオン)、カラバなどが入り乱れており、それぞれの思惑や裏切り、寝返りが頻繁に起こるため、物語の全体像や勢力図が非常に分かりにくいという声が多くあります。
主人公のカミーユ・ビダンが、積極的に戦況を動かすというよりは、事件や戦いに巻き込まれていくという形で物語が進むため、「カミーユの視点」から見て話が掴みにくいと感じる視聴者もいます。
初代ガンダムのような「少年兵が戦場を生き抜く」というシンプルな戦争のリアリティから、より政治的な権力闘争やエスパー的なニュータイプ論に焦点が移ったことで、初期のファンが期待したドラマと異なる印象を与えました。
物語のクライマックスで、主人公のカミーユが精神崩壊に至るという衝撃的な、しかし救いのない結末を迎えます。多くの主要人物も戦死し、全体的に悲劇的なトーンで終わるため、「見ていてつらい」「後味が悪い」と感じる人がいます。
カミーユは初期にすぐにキレる描写が多く、「感受性が高すぎる」「未熟すぎる」と感じられ、アムロのような共感を持ちにくいという意見がありました。
多数のデザイナーが参加し、変形機構を持つ機体(Zガンダム、アッシマー、ガブスレイなど)が増えたことで、見た目だけで機体の所属陣営が判断しづらくなり、戦闘シーンの分かりやすさが失われたと感じるファンもいます。
カミーユが未熟な少年から戦士へと成長し、その過程で多くの葛藤や苦悩を抱える人間ドラマの深さが高く評価されています。また、クワトロ・バジーナ(シャア)やアムロ・レイなどの旧作キャラクターの再登場と新たな役割、フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった悲劇的な強化人間の描写も、物語に深みを与えています。
「反連邦組織(エゥーゴ)と連邦内のエリート組織(ティターンズ)の戦い」という、初代よりも進んだ政治的・軍事的な対立構造を描き、その後のガンダムシリーズの基盤を作りました。
モビルスーツデザインや戦闘描写は、当時のアニメーション技術を駆使しており、画期的なものでした。
このように、『Zガンダム』は革新性と複雑性を追求した結果、前作の作風を愛するファンの一部からは受け入れられず「駄作」と評価されることもありますが、その深みのある人間ドラマと複雑な群像劇によって、現在ではガンダムシリーズを代表する名作として広く認識されています。
俺は彼女と別れた。理由は、向こうがメン地下にハマっていたことだ。
最初は「まあ推し活くらいなら…」と余裕ぶってた。でもいつの間にか、俺との時間は戦場で横転したザクの残骸みたいに無力化され、彼女のクソデカ感情は推しにフルチャージされていた。どちゃくそ悔しかった。
思えば、あれはまるでガンダムの戦場だった。俺はジムに乗ったパイロット、全力で彼女を守ろうと攻撃しても、彼女の熱量は新型モビルスーツのガチ恋ビームの前では無効化される。シールドもビームライフルも効かない。コクピット内で拳を握りしめながら、俺はムラムラしていた。泣くほど悲しいのに、性欲だけが残っている。手を動かしても、頭に浮かぶのは彼女の好きな推しの映像ばかり。泣きそうになりながら、俺は何をやっているんだろうと思った。
彼女は俺に「愛してる」と言った。でもそれは、ジムのビームシールドみたいなもので、推しのガチ恋ビームには一瞬で貫かれた。性も時間も、心も全部奪われ、俺はただ戦場で翻弄されるだけだった。コアファイターで逃げようにも、感情の重力に引きずられ、横転を繰り返すばかり。
早く忘れて、次に行きたい。まだ未練タラタラだけど、次は俺のことをちゃんと見てくれる、俺専用のガンダムに乗ってくれるような相性のいい相手に出会いたい。