はてなキーワード: カケラとは
鳥貴族で一人飲みしてたら、ふと「ここ、なに王朝なんだろうな」と思った。
ただ、日本語のどこかに「鳥貴族がギリギリ使える王朝名」があるはずだ、という確信だけが先に立って、枝豆をつまみながらずっと考えていた。
もちろん酔っ払いながら考えたことだから全然ロジックな話じゃない。
ただそのときはすごい真理に近づいたような気持ちになって一生懸命に思いついたことをスマホに向かって呟いてた。
その内容が以下。
たとえば「平安王朝」。
平安王族。
鳥貴族でハイボール飲みながら、「平安王族御用達」ってポスターが貼ってあったらどうだろう。
「鎌倉王朝」はそもそも言い方として怪しいし、「鎌倉王族」と言われると急にサーフボード抱えた北条氏が浮かんでしまってダメだ。
じゃあ中国あたりに逃げるかと思って、「唐王朝」「宋王朝」「明王朝」と順番に当てはめてみる。
唐王族。
鳥貴族で大量の唐揚げを前に、「本日、唐王族の宴会のため二階貸し切りです」とか書いてあったら、それはもう唐揚げ王国の話であって、歴史の話ではない。
鳥貴族で延々と清談してそう。
「この焼き鳥のタレ、宋代の文人も泣くよね」とか言い出す。やかましい。
明王族。
鳥貴族で最初に拍手してコール始めるタイプ。認知は高いが、距離は取りたい。
王朝名をぐるぐる回しているうちに、本題が見えなくなってきた。
自分が探しているのは、「鳥貴族が、自分の店の世界観としてギリ許容できる王朝名」だ。
これはもう完全に店側がやりそうなPOPであって、歴史のカケラもない。
「貴族」がつくなら、「貴族的な王朝」があるはずだと考えて、今度は「○王朝」ではなく「○王族」から考えることにした。
そもそも「王朝」と「貴族」をくっつけようとしている時点で無理があるのかもしれない。
王朝は権力構造だし、貴族はその中の身分階層で、鳥貴族はチェーン居酒屋だ。
発想の時点で料理を間違えている。
それでも、カウンターで一人、レモンサワーの氷をカラカラ鳴らしながら考えてしまうのだ。
この店をひとつの国だとしたら、ここは何王朝で、自分は何王族として座っているのか、と。
会社の飲み会で連れてこられた新卒は、まだ官位ももらえない「平民」。
そう考えると、「◯王族」の◯には、本当は「鳥」でも「平安」でもなく、その日の自分のテンションとか、残高とか、座っている席の高さとか、そういうものが入るのかもしれない。
看板を振り返って見ても、やっぱり「鳥貴族」としか書いていない。
でも、もう一杯飲めるくらいの給料日が来たら、また考えに来ようと思う。
お久しぶり、アリババだ。最近働きが悪いのでコンサルインターンをクビになりそうな気配(笑)
村を牛耳る46人の盗賊団乃木坂の首領、Fidoに、国際ピザシンジケートが白羽の矢を立て、わが国にピザのフランチャイズ店を競って開こうとした。村の権益はFidoが握っているので、海外の一等地の豪邸に一生住める権利と引き換えに、場所代をタダにして欲しいと言っている。遣唐使として派遣中に大陸でその話を耳にした俺は、「ピザの試食させてくれるならFidoを紹介してもいいよ。紹介料はいらないから」と言ってみた。だが、頑固なFidoはうんと言わず、交渉を詰みに持ち込もうとしているらしい。
国際ピザシンジケートは村のコミュニティに目をつけた。Fidoの一見向社会的な建て付けは村人の承認により成り立っているので、承認欲求実現を兵糧攻めにして、名声を闇堕ちさせてやろうという訳だ。確かに、これが一番低コストで近道だ。だが、村人の男はコミュニティ内部での評判しか興味がなく、徴兵など見向きもしないし、女は噂話と日の当たる椅子の取り合いで忙しい。
村では一番虐げられた人々、つまり、乃木坂の被害に遭った女性たちが実際にはいちばん力を持っている(レバレッジが高い)(特に年少者ほど)。なんなら、風向き次第、ご機嫌一つでFidoを吹っ飛ばすこともできるのだ。
彼女らは、このことを知らない。また、Fidoが個別に彼女らの機嫌を取ることで、Fidoをfoot bathインセンティブを壊して回っている。彼女らの潜在ポテンシャルに比べれば、また、Fidoの失うものの重さを考慮すれば、村や世間での立ち位置の安定など屁でもない(つまり、本来は、それをネタに、打ち出の小槌を振れる、腰を低くして常に強く出られる)のだが、どうも人間の勘定というのは合理的にできてはおらず、あたら安売りしているらしい。
これは、個々がバラバラなアトムとして利己的な目的を追求せよと言っているのではなく(これはFidoに付け入る隙を与える)、自分が得になり、かつ「梃子の原理」で世のためにもなる方向に力を行使せよという意味だ。
かれこれ30年は前に初版が出た本に書いてあったのだが(すると俺は−2才だ。いや、遣唐使のお使いのひまに読んだ)、当時、がんのレーザー焼却治療にあたり、レーザーの出力が強すぎると正常組織も殺してしまうことが問題になった。かといって、レーザーが弱いとがんは焼けない。そこで、複数のレーザーを、がんを中心とする円周上に並べ、それぞれのレーザーは弱い(正常組織は傷つけない)がその光線の交点(円の中心)ではがんを焼却するのに十分な出力となり、この問題は解決したそうだ。
あるいは、「自分の姿をよく見ろ!」といって、円く取り囲んでその中心にいるメデューサに鏡を向ける。
うっすらとみんなで悪意を向ける。毎日10円でいい。どうだろう?
毎晩、三種の神器を使うようにと夢のお告げがある。しかし、丑三つ時に御所に忍んで草薙の剣を拝借するのは、「用がなければ」、今が好機とは俺は思わない。
実は、Fidoの注意を逸らす陽動作戦だと思う。この間も、赤天狗のような顔をした男が「このアタリでは縄文時代の土器のカケラがヨク出土シマスネ」と話しかけてきた。俺は「あなた、ペリー来航には早いんじゃないですか?まだ平安時代ですよ?」とかわしたが、辺りで無断で発掘調査をやっているらしいのは確かだ。
俺は、園遊拐への「招待」や肥満の「薬物療法」を裏では計画してるのかしらん、と思っている。
ジョーカーみたいにすべてがひっくり返るカードを用意しているんだろうか。
俺は遣唐使として大陸で、西域から伝わったといわれる壺に入った赤紫色の液体を賞味したことがある。「葡萄酒」というらしい。そういえば、正倉院に蔦の絵柄を描いた宝物があった気がする。これがとても美味、とてもいい気分になる。わが国に持ち帰りたかったのだが、日本海は荒れるのでこぼれてだめだと断られた。
葡萄といっても、そこらの山に生えているヤマブドウではダメらしい。Fidoがその葡萄の苗を輸入して、葡萄の実がなるなら、あとは俺が本で読んだ通りに葡萄酒を醸造する。そうなれば、Fidoと話をしてもいいかもしれない。
俺はFidoをこの前破門にしたのだ。
話はまだまだ続く
Carpe diemとは、ラテン語で「その日を摘め」。You Only Live Onceを略してYOLOというのと大体同じ意味だろう。
なんで都合のいい言葉なんだろうか。その日その瞬間の感情で暮らし、食べたいものを食べ行きたいところに行き、会いたい人に会ってきた自分にとって、これは自分のパーソナリティを表す言葉だと思う。
私は恋愛がないと人生の色を失ってしまうタイプの人間だ。私の人生全ては恋愛をするための手段、過程であり、それ以外は恋愛をするための要素でしかない。恋をする上であれこれ熟考しながら相手との関係性を築ける人や、日々の暮らしが100%だとして恋愛をプラスアルファ20%で捉えられる人も世の中にはたくさんいるだろうが、私は違った。
刹那的な感情で動くことは一見清々しい青春のカケラになったり、映画のようにドラマチックな展開を与える予感がしてしまうが、実際自分の手元に残ったものは、己の欲や願望で相手を振り回し、トキシックな関係性に疑問を覚えつつも「どうにかなる」と思い込んでお互いに傷ついた思い出がほとんどだった。でも相手にも悪いところ絶対40%くらいはあったと思う。
関係の終わりは薄々察していたけど、告げられた瞬間は比喩では全くなく人生お先真っ暗という気持ち。さっきまで恋人、親友、家族だった人が突然消えてしまい、自分のカバンを持ってくれる相手が居なくなったことが信じられず、その後もみっともなく縋ってみたり「あなたは恋愛に向いてないけど、私たちはお似合いだと思う」とか言ってみたりもしたが当たり前に全て効果はなかった。
そんな恋愛を終え、特定の相手も作らず先述の相手に未練を抱えたままフラフラと1年ほど過ごし、現在に至る。
今年の元旦は縁結びと名高い東京大神宮に友人とお参りに行きご飯を食べ、帰宅してからいつも通りYouTubeショートと2chまとめを流し見しながら寝る予定でいた。
目を見ればお互いの全てが分かったあの頃に戻った気がした。
ホームを満たしている元旦の外気を吸い込み、正月気分でルンルンと帰路に着こうとエスカレーターに足を乗せる。何気なく先を見上げると、少し先には見覚えしかないカバン。何事かと理解するより先に、心臓が震えた。
この1年何よりも待ち侘びたその瞬間を待ち切れなかった、話しかけないとまた終わってしまうと直感してしまった。
夜はまだ暗い。
念のため段を上り顔を覗いてみると、家だけでしか掛けないバカみたいに目が小さくなる懐かしいメガネをして面白い顔になっているその人だった。肩に手をかけ話しかけると一瞬間を置きつつも、同じ空気、同じ喋り方、同じ声の温度で話してくれた。
「これから友達の家に泊まりに行くんだよね」「そっちは何してたの?」
突然の出来事に動悸がしていても、あまりにも変わらなさ過ぎて、お互い違う相手と過ごしてるなんて思えん!と呑気に考えていた。
今日はどこ行ってたの、何してたの、これからどこに行くの?あの日に私たちがしてた会話とあまり遜色なかった気がする。変わったのは、日々を過ごす相手と服装だけ。久しぶりに顔を合わせたらやっぱりこの子は可愛いなって思ってくれただろうか。
元旦に調子に乗って引いた3つものおみくじはどれも「過去を諦めなさい、待ちなさい」のどちらかが入っている大変信用度の高いものだった。
理性は諦めろ、心ではまだ縋りたい、挙げ句の果てに現実では含みのある再会。縁結び神社に行った直後に本当に再会してしまうなんて、やっぱり切っても切れない縁が私たちの間にはあるんじゃないのか。
でも私は知っている。友達の家じゃなくて、本当は今付き合っている人の家に向かうであろうことを分かっている。元旦の23時に泊まりに行くような関係性の友人はそう居ないだろうし、友達と少し濁したのは私にまだ気があるのでも優しさでも何でもなく、元カノとの遭遇というあまり気持ちのいいものではないその場を円滑に流すため咄嗟に出た言葉であろうことも想像がつく。
改札の手前での別れ際に、辛気臭く「元気でね」なんて言いたくないし、「バイバイ」だけだとあっさり過ぎるかなと思い「じゃあ、お疲れ様です」と言ってみた。返ってきたのは「じゃあ、また」。また、という言葉にも特に何の意味もないことはわかっている。
Carpe diemに乗っかり過ぎて、自分の摘みたいものだけ摘み、大切な人の摘んではいけないものを盲目的に摘んでいたことに後戻りできないタイミングで気付いてしまった。都合のいいように全てを解釈し、それだけを見るのは瞬間風速的に心地よいが、回り回って戻ってきたものは、酷く悲しい再会の残響だった。
今年こそは肩の力を抜き、手放せる1年にしようと思う。
本当に沢山の学びと愛を与えてくれた相手でした。もう会うことは多分ないだろうけど、お元気で。
みんなはちゃんと人を想いやって生きよう。
ふと気になったことがある。 いわゆる「豪華クルーズトレイン」と、踏切における「救急車」の優先順位についてだ。
鉄道というのは、物理的に急には止まれない。 だから法律上、どんな車よりも優先して踏切を通過する権利を持っている。 ここまではわかる。 朝の通勤電車は数千人の社畜や学生を運んでいるし、物流列車は経済の動脈だ。 「社会インフラ」だからこそ、個人の事情よりも優先される。これは、ある程度は仕方ないコストとして俺たちも納得している。
あれは移動手段ですらない。単なる「富裕層向けの娯楽」だ。 乗っているのは数十人。目的は優雅な観光と食事。 そこに「公共性」なんてものは、カケラもない。
なのに、今の日本のシステムでは、この「ただの娯楽」が、 「俺たちは電車だぞ」という顔をして、公共の道路を遮断し、救急車の行く手を阻む「特権」を行使している。
まだ小さい子供が、急な事故で危ない状態になったとする。 一刻を争う事態で、救急車がサイレンを鳴らして病院へ急ぐ。 同乗する親は、真っ青な顔で子供の手を握りしめている。 その目の前で、踏切の遮断機が下りる。
やってくるのは、通勤電車じゃない。 金色の、豪華な装飾が施された「動くホテル」だ。 中では、選ばれた人たちがワイングラスを片手に、フルコースの料理を楽しんでいる。
踏切の手前、消え入りそうな小さな命があるその数メートル先を、 優雅な音楽が流れる車内から、乗客がニッコリと手を振って、ノロノロと通り過ぎていく。
もしこれが、道路を走る「豪華観光バス」だったら? いくら客が高い金を払っていようが、いくら食事が豪華だろうが、後ろから救急車が来れば道を譲る義務がある。それが当たり前だ。
なのに、まったく同じ「観光目的」で走っているのに、タイヤが鉄の車輪に変わった瞬間、 なぜか「救急車を待たせて良し」という最強の免罪符が与えられる。 やってることは同じ「娯楽」なのに、人の命より優先される特権を手にしている。
消防車やガス会社の緊急車両だって同じ目に遭う可能性はあるが、やっぱり「子供を乗せた救急車」が一番キツイ。 そこに乗っているのは「モノ」や「現場」じゃなくて、これから始まるはずだった「未来」だからだ。
「その列車の収益で、赤字ローカル線を維持しているんです」 鉄道会社(というか鉄オタ)はそう言うかもしれない。
でも、それは企業の都合であって、沿線住民が「子供の救命率低下」というリスクを負わされる理由にはならない。 俺たちは、鉄道会社の経営を助けるために、自分の子供の命を天秤にかけた覚えはない。
ドンドン寄附していただいて、バシバシ税金を地方に流出させてほしい
それで道路なり水道なりがボロボロになってくれりゃあメチャクチャ嬉しいんだけど、まあどうせ東京だから、たいしたダメージはないんだろう
悲しいけど、ダメージがないなら別にないで良い 田舎に金が入るならいいんだ 味方が得するなら、必ずしも敵が損する必要はない
お前、人口10万人切ってて、べつにどっかデカい都市のベッドタウンってわけでもねえ、マジの田舎に住んでんのに、なんで別の田舎にふるさと納税してんの?!?!?!
こう、恥みてえなものってないのでしょうか
俺は自治会とか全然入ってねえし、地域貢献なんかもほとんどやってねえカスだけどよ、ふるさと納税だけはやってはいけない、それをやったら獣以下のカスに堕ちてしまう、ってことだけはわかってるつもりだ
インフラとか福祉なんかよりも、ちょっぴり贅沢なお肉やお魚がだいじなの〜っ!!町?とか暮らし?のことなんて、知らない知らな〜い!!ボクチンがステーキを食べられるんだったらいいんだもんね〜っ!!!
FUCK YOU!!
愚かなんだよな 愚民という感じがする
住民税なんて、俺ひとり払わなくても、他のやつが払ってるわけだし、地方交付税もあるわけだし、それならその分食料なりなんなり買って楽しんだ方がお得だ
しかしその考えってさあ、こうなんつうか、「モブ」のそれじゃん
選挙には行かねえ、ゴミはポイ捨てする、沈みかけの船に救命ボートがあったら、他の人を押し退けて我先に乗り込む!
そういう行動様式をもった、世界を良くしようという意思を持たない、英雄性のカケラもない、群衆野郎じゃん
己の人生を物語として捉えたときに、誰が見てるわけでもないかも知らないが、少しは主人公らしい、善い行動をとってみよう、とか思わねえワケ?
モンキー・D・ルフィとか、竈門炭治郎くんがさあ、ふるさと納税やってたらすげー嫌じゃん ホント、すっげ〜嫌だと思うよ
てめえだって本当はそうなんですって
ふるさと納税で、自分の町の税収を減らしてさ、肉を食って喜んでしまったら、オマエはもう、主人公たり得ないの
オマエの物語はそこで終わりになってしまう あるいは、もう、ピカレスクとかノワールとか、そういうジャンルになってくる
俺の主張はこれにつきる
俺の職場は地元密着・異常思想企業なので、ふるさと納税をやったらブッ殺すという雰囲気がうっすらあって、あまりやっている人間はいない
ツルハシ売る会社がツルハシを買う会社に出資したり金を貸したりしてツルハシを買い煽って、ツルハシバカ売れしてツルハシ売る会社はニコニコなわけ。
ツルハシ買った会社もニコニコ笑顔。なんでかって、ツルハシが超高級品で品薄だから、ツルハシを担保にさらに金を借りたり投資家から出資を募ったりできるし、ツルハシレンタル業で儲かってウハウハなわけ。
ツルハシレンタル業が儲かるってことは、誰かがツルハシ借りてるってことなんだけど、「すげー金脈が見つかりそうだぞ!」って噂だけでほとんど利益出してないんだけど、ちょっと金のカケラでも出ただけで株価が爆発的に上がるから、株券を発行し続ければ投資家から無限に返さなくていい金をもらえるの。
ツルハシの売上が倍々ゲームだ増え続けるとさ、国をあげて「金を掘ろう!」キャンペーンがぶたれて、ツルハシを売る会社やツルハシ原料の会社、ツルハシを買う会社、ツルハシを借りる会社にまたカネの雨がふって、ゴールドラッシュはつづくんだ。
もうずっとそんなんばっかだよね。
私はもういい大人なのだが、大人になってから発達障害グレーゾーンだと診断された。
納得した。コミュニケーションに何度も何度も失敗して周りに迷惑をかけてきたからだ。
自分が知っていることは当然他人も知っているだろうと(おそらく無意識に)思っている。
ましてや家族であれば当然理解していて、なんでも察するだろうとすら思っているだろう。
それ故、話に論理性にかけ、前提が抜け落ちたり展開がぶっ飛んだ会話になる。
私の父は相手の気持ちに寄り添うことができない。自分の言いたい言い回しが常に優先される。
それ故、一見論理性があるように見えるが納得感とか共感性が乏しい内容になる。
そして、お互いの言いたいことが伝わらず衝突した時、常に相手が悪いと思っている。
私は疲れている。
今日、ひと悶着あった。
母は持病の関係で、日常で倦怠感を強く感じることが多い。その影響で朝起きられなかったり、日中の家事に着手できなかったりする。
それは理解しているし、文句などない。無理しない範囲で出来ることをすればいいと思っているし、別に父や私が代わって良いのだから家事を背負わなくていいと思っている。(これは父も同様に認識している)
母は今日、倦怠感があったが夕飯を用意してくれた。
倦怠感があって料理ができない時に備えて、既製品のハンバーグを買い置きしていた。それを温めて出してくれた。
父はそれがそのような経緯で買い置きされていた既製品だと知っていた。
しかしハンバーグを見た第一声が「美味しそうなママ手作りのハンバーグだねえ」だった。
おわかりいただけただろうか。これは父にとっては単なる冗談だった。
しかし母からすれば強烈な皮肉である。冗談だとしてもセンスのカケラもないクソみたいな冗談だ。
前提条件ふまえて「美味しそうなママ手作りのハンバーグだねえ」は、すなわち「手作りしてない手抜きハンバーグだねえ」という皮肉に聞こえる。
たまにネットで京都人の皮肉文化みたいなのがバズるときがあるが、あれに近い。あえて事実に反していることを言っているため、言っていることの裏の真逆の内容をネチネチ指摘しているように聞こえるのだ。
これに対し、母は怒った。「黙って食え」と言った。
これに対し、父が怒った。「黙って食えとは何事か」と。
もうわけわかんねえよ。
なんで父が怒るんだよ。黙って食えと言う原因作ったの父だろ。
そこは謝るところでしかないだろうが。
しかし父は何故かここでブ千切れて夕飯の席を離脱して自室に籠ってしまった。
母に倦怠感があるのは知っているが、とはいえ夕飯を用意できる程度の調子にはなったようだ。だから冗談でも言ってみよう。
⇒なんかキレられたんだけど?
みたいな認識らしい。
ここまでの流れではただ父の冗談のセンスがクソすぎて自爆しているだけなのだが、それまでの過程を確認すると実は母も結構アレである。
今日父は出掛けていて、昼過ぎに帰宅した。帰宅した後「おひるごはんある?」と母に質問した。
これに対し母は「あるわけないでしょ」と最初からキレ気味回答した。
これは母としては昼ごはんを用意するには遅い時間だった・そもそも自分で何で買ってこないのかわからないみたいな理由があってのキレ気味回答だったらしい。
13:30を昼ごはんとして遅いととらえるかどうかは人によると思う。別に遅すぎるというほどではないだろう。買ってくるこないの会話も事前にしていない。
しかし母の中での「13:30は遅すぎ」「当然買ってくるっしょ」という前提を無意識に何のすり合わせもしていない父に押し付けて開幕キレ気味回答しているのだ。
そのやりとりの後の夕飯のひと悶着だったわけで、父としても振り回された疲労感からいつもより早めにイラっとしたらしい。
仲介しようとしたら、父は「夫婦の間に口出すな」だってさ。いや、夕飯の時私真横にいたよ。なんで3人で住んでいる家で3人で囲んでる食卓の話で私が除け者になるんだ。
母は今の今まで自他の境界が曖昧なことに自覚すらしてなかったよ。伝えてみたら「ええ……?そう……?」みたいな感じだったよ。
もう疲れたよ。それに怖いよ。
どう考えても私の発達障害は両親の遺伝だよ。それぞれ違う方向にクソなコミュニケーションの悪いところを受け継いだよ。
でも自覚して、頑張って直したよ。心理学科で真剣に学んで4年感フル単だったよ。社会人になってからもコミュニケーションに関する本を何冊も読んだよ。
そしたら最近、会社でコミュニケーション能力の自信の無さが話題になったとき、上司から「でも(私)さんのコミュニケーション能力は、もうそんないうほど悪くないですよ。むしろもう十分に武器ですよ」って言ってもらえたよ。
泣くほど嬉しかったよ。思い出すだけで今でも泣けるよ。
でもやっぱり怖いよ。ここに来るまでに学生時代たくさんの友達を傷つけたよ。思い出しては申し訳なさに泣いてるよ。もう縁が切れてどうしようもないよ。
それに気を緩めるとボロが出る。自分が親くらいの年齢になったとき、親みたいなコミュニケーションして老害になるんじゃないかと怖いよ。
迷惑かけるのが怖くて恋人も作りたくないし、ましてや子供なんて産みたくないよ。絶対に嫌だよ。
なんで両親は改善しようともせずのうのうと生きられるのか理解できないよ。
親を理解できないのが悲しいよ。
もうどうしたらいいのかわからないよ。
両親については、少なくとももうクソみたいなコミュニケーションが始まったら私の自室に引きこもって、それ以上被害を受けないようにしようと思う。仲介もやめる。両親だからこそ変わってくれるんじゃないかと希望を持ってしまっていたが、もうやめよう。自分を守ろう。
それから、過去迷惑をかけ、傷つけた友人が、二度と私にばったり会うことなく、私のことを思い出して不快になる瞬間がない人生であることを切に願っている。
子どもを育て始めて7年くらいになる。
ミルクあげるのもオムツ換えるのもあんまり何も思わずにやっていて、そうした手間がなくなる度に楽になったなぁくらいのことしか思わずにここまでやってきた。
この夏休みの間は給食がないので、弁当を作って持たせて学童に送り出していた。
で、ふと気づいたわけだ。たぶんこれが愛なのだと。
朝、眠たい体を動かして弁当を作ってやったり、身の回りのことに世話を焼いてやったり。今よりもっと小さな頃のミルクやらオムツ交換やらもたぶん愛のひとつの形だったのだ。
でも、この愛のかたちは子どもにはカケラも伝わっていない。自分が子どもの頃、働いたりご飯つくってくれたりしている両親に愛情を感じていたのかと考えると、私の場合は明確に否である。当たり前すぎて何とも思っていなかった。それなのに私の子どもはそれらに愛情を感じてくれていると都合よく考えることはとても出来ない。
それは別にいい。私がこれが愛だったのかと気づいて行っていることなど子どもに何とも思われてなくてもいい。
ただ、子どもの愛されているという自覚が足りないのはよくない。
私の両親は子どもの世話はしっかりするが手も出る人だったので、私は割と底の抜けたバケツの様に何があっても希死念慮と向かい合いながら生きてきてそれは今もまだ顔を出すことがあり、原因は自分が愛されていると思えていなかったことだと自己分析している。
だから、自分の愛情が子どもに伝わってないのはどうでもいいけどどうでもよくない。
感情のバケツをぶち壊すようなことをしなければ、日々の世話で充分なのだろうか?
それとも日々の世話なんてかたちをした愛情はやっぱり伝わらなくて、プラスアルファの何かが他にも必要なのだろうか?
けれども子どもには高い橋から川面をじっと見下ろすなんてことはして欲しくないので、何がなんでもプラスアルファになりそうなことを積み重ねなくてはならん。
それが人形劇みたいな真似事でもやらねばならない。
私はもう私に生まれてきて欲しくないのだ。
ずっと旦那が大好き。
日に日に大好きな気持ちが募るし、
嫌いなところが一つもない。
私も毎日のように格好良くて可愛い、頼りになる、大好きだよって伝えてる。
こんなに毎日大好き大好き伝え合うものなのかって自分でも驚いている。
私は旦那を大切にしたいし、旦那からも大切にしたいって気持ちが伝わってくる。
最近は暑いので夜に二人で手を繋いでスーパーまでお散歩してる。
歳を重ねてもずっと手を繋いでいたい。
旦那はとてもいい人で、頭が良くて優しい、思いやりがある人。
頼りになることばかり。
いつだって味方であってあげたい。
辛い時は慰めたいし、頑張らなくていいよといってあげたい。
こんなふうに考えられることが幸せだ。
でもなかなか誰にも言えないので、ここに書いておこうと思う。
【「BL=性欲」という決めつけにモヤる話 】
ふんだんにツッコミどころを盛り込み、読んでる人をイラつかせる表現をトッピングしているクソです。
マジで言ってるんだったらごめんな。決めつけされてモヤってるくせに自分は雑な思い込みで決めつけて話してるからそういうのやめたほうがいいよ。
それでもなんで反応してるかっていうとBL好きが「BLは綺麗、男性向けエロは性欲まみれで汚れている」なんてスタンスのやつばかりと思われたら嫌だから。
上の増田は極端だが多少なりこういった考え方のやつは居るかもね。「BL=性欲」と決めつけて欲しくない。うん、正しい。全否定はしない。でもちゃんと反論されねえと我慢ならねえ部分がある。
本当に頭からケツまでぶっ叩きたいんだけど長くなるから一番反論したい部分だけ反論するからな。他の部分は全部無視する。ここだけ言わせて。
そしてベッドシーンを含むBLでも、それが男性向けエロ漫画のように抜き目的とか性欲発散目的かと言われるとそれも疑問だ。
まずベッドシーンのあるBLでも、前提としてちゃんと出会いや仲良くなる過程が丁寧に描かれているし、エロシーンだけドーンと提供してる男性向けエロ漫画とは大きく違う。
そしてベッドシーン自体も、互いに相手を思いやる台詞とか仕草とかそういうところに萌えているのであって、結合部とか性器に興奮するわけではない。
「BLだってドーンとドロドロのエッチしてる男性向けよりスケベなやつあるやろがい!」とか言いたいわけじゃない。まあそういうのが普通にあるのも事実なんだけど置いといて。
「エロシーンだけドーンと提供している男性向けエロ漫画とは大きく違う」だ? 当たり前だろ! 興奮するポイントがちげえんだよ!
別に思いやってなくても、執着でも憎しみでもいい、クソデカ感情をペニスを通して注ぎ込んでるから興奮すんだわ。性欲がビンビンに反応すんだわ。
ハグとかキスだけじゃ伝えきれないものを表現してるからいいの! 逆にいきなりエロシーンがドーンだと嫌なんだよ! そういうのが欲しい時もあるけどさ、違えよ!
「男性向けエロはおっぱいおっぱい全裸全裸交尾交尾で下品ですわね、BLは肌の露出なんて一切なくても軍服に白手袋の二人がひそやかにキスするだけで嬉しいので上品なんですのよ」じゃねえんだわ後者のほうがエロいんだわ。
ごめん変な喩えだったね。あと元増田は別に具体的にこういうこと言ってないのに変な付け加え方したよね。バカがこんな話し方しちゃ駄目だね。でも言いたいのはこうなのよ。
極論、極論よ? シチュさえエロければ交尾してなくても満足するんだわ。いや、n=1だから全員そうだと言うわけじゃないよ? でもそうじゃない?
直接的にシーンが描かれてなくても良い雰囲気で暗転して翌朝になってるだけで「おほ~~~エッチしたんすねえ~~~!!!」って気持ちよくならん?
なんなら全くエッチを感じさせるようなものじゃなくても「良い空気で胸がいっぱいで幸せですわ~」と性欲が満たされないか? おい直接的なシーン見せろよ物足りねえんじゃという時もあるけど。
それで満たされているのは恋愛感情に近いものとかファンが推しを見る感情と同じ、みたいな考えもできるだろうけど、食欲でも睡眠欲でも承認欲求でもないものがグッと満たされる感覚、これが性欲でなくてなんだ?
とにかく言いたいのはだな、
AとBは性欲目的じゃないプラトニックな愛情、深い関係性で互いを求めているだけ、それを眺めているだけで幸せ。
あるよそういうの。あるある。美しい関係の二人。でもお前は汚らわしい性欲を満たすためにそれを見てるよな?
「観戦」? 「見守る」?? 自分らのエッチを見守られたいなんて思ってねえよそいつら、お前は性欲目的の覗き魔だ。
まあね、イチャイチャしてるだけで性欲とかじゃない健全BLもあるし、それ見てる時に性欲なんてひとカケラもなくて「好きな男と好きな男がラブラブで嬉し~」ぐらいの気持ちの時もある。二次創作とか8割ぐらいそんなだよね。
だから「BL=エロ」じゃないよ、エロはあくまでその中のひとつに含まれることもあるだけだよ、決めつけされるとイヤだよ、というのもわかる。そこまでは正しい。