「私に即して私を抜け出る、つまり自分のしたことを他人のようにみ、且書くということである。この骨法を私は秋聲先生の作品から学び」というのは秋聲文学へのきわめて本質的な指摘ですね。
川崎は小田原市街を紹介しながら秋聲論、私小説論を一頻り述べ立てた後、
「秋聲サンの墓がまだ立たない
04-26 23:36
浅見淵「川崎長太郎会見記」(「群像」昭和31年11月)は、浅見が小田原に川崎長太郎を訪ねた折りのことが語られていて、たいへん面白いです。とくに「だがよオ」「~でよオ」という川崎の語り口には思わず顔がほころんでしまいます。
ここで浅見が川崎の「私小説作家の立場」から引用している、
04-26 23:26
宇野浩二が秋聲宅を訪れたとき、ちょうど山田順子がいて、「宇野君は文学好きだし君も文学好きだから議論するといい」と秋聲に勧められた。宇野は帰ってきて広津和郎に「あほくさ」と言った。この話は広津と江藤淳の対談で語られています。(『江藤淳全対話』2「文学と実生活」)
04-26 22:56
徳田秋聲『さか波』(「文芸界」明治37年10月)を読んでいて、ああ、この娘も嫁入り前にお腹が大きくなるパターンね、と思ってしまいました。舞台は地方で、栄螺山とか出てくるので、金沢でしょう。
04-26 00:54
RT @tonton1965: @kameiasami 1939年2月21日に山水楼で菊池寛賞銓衡委員会が開かれ『仮装人物』が受賞、林房雄が反対した、というのはどこに書いてありましたっけ。
04-26 00:14
RT @tonton1965: @kameiasami 『近古史談全注釈』には『明良洪範』からとあるのですが今のところ見当たりません。
04-26 00:13
@tonton1965 された時、学芸員の豊田和平は図録に「典拠は見いだすことができなかった」と書いています。
『明良洪範』は江戸中期成立ですね。国書刊行会本を探してみます。
04-26 00:07
@tonton1965 「『近古史談全注釈』には『明良洪範』からとある」
調べて下さってありがとうございます。幕末から明治初期の、漢文で書かれた逸話・見聞集は見つかるんですが、それより古いのがなかなか見付からないんですよね。これを題材にした横山大観「千ノ与四郎」が野間記念館に展示
04-26 00:00
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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