同じ雑誌に父が三月か長くて半年も持たないと書けば、それは当然父親の目に入ったことが想像されるわけで、秋聲がそれを知っていたとしても流石にあんまりですね。次号の続編掲載が見送られたのは、本当に一穂が看病で多忙だったというより、病床の秋聲への配慮が働いたのかなと思わなくもないです。
07-16 22:15
https://t.co/JEms5VxYOC
明治30年前後、箪笥町の紅葉宅裏の崖下の十千万堂塾で風葉、春葉らと棲んでいた頃のことですね。記述に好い加減な点はありますが、「黄色い声で英語交りの話をした」「若いのか年寄かわからない顔をしてゐた」「外は陰気に見えて、中々の陽気もの」等、なるほどと思います。
07-16 21:42
若いのか年寄かわからない顔をしてゐた。山田潤子〔ママ〕などの話を聞いて吃驚したであらうが、彼は、どの点からも、横寺町の玄関の壁の外へ錐の尖を見せて、一時は、小土佐全盛時代の堂摺連だつた。外は陰気に見えて、中々の陽気ものだつた〉
斎藤弔花「明治酒客気質」(「理想日本」昭和19年1月)
07-16 21:41
【若いのか年寄かわからない顔】
〈徳田秋聲はその頃から老実で、森川町〔ママ〕に住んでゐたころは、仲間での学者、エンサイクロベヂアなどを買込んで、黄色い声で英語交りの話をしたり、戯作者気質の硯友社の一派とは一風変つたところを見せてゐた。当時秋聲は二十七八歳であらう。
07-16 21:40
最後に「父」が癌宣告されて、三月、長くて半年も持たないと書かれているので、秋聲の文章と併せて読んだ人は暗澹とした気持ちになったのではないでしょうか。
同号には一穂の『提督の手紙』も掲載。
07-16 21:37
(「新創作」第35号、昭和18年9月)
https://t.co/k6GwiHLW6n
なお、徳田秋聲の絶筆となった「病床より」は当誌の第34号(18年8月)に掲載されましたが、国会図書館本はその部分が切り取られています。
https://t.co/POvBSroVtw
第34号掲載の徳田一穂『旅に寝て』では
07-16 21:36
【旅に寝て】
〈前号に於て好評であつた徳田一穂氏の「旅に寝て」の続篇は、残念ながら本号休載の已むなきに至つた。といふのは、前号に於て既に御案内でもあらうが、御父君徳田秋聲先生の御病気のためである。秋聲先生の一日も早い御本復を心からお祈りする次第である〉
椎名麟三「こうろぎの声」
07-16 21:30
【最晩年の写真】
書斎めぐり(その百十六)「徳田秋聲老」
(「書物展望」昭和18年3月)
https://t.co/XDXM965mLY
正確な撮影日は判りませんが、死の約8ヶ月前。明らかに顔にむくみが来てやや相が変わっていますね。
07-16 21:28
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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