明治28年10月よりも数ヶ月早い時期ということになります。
それらは「記憶に残るやうな句でもなかつた」とのことですが、ほぼ同時期の秋聲堂主人作の漢詩と比較する上でもたいへん興味深いです(これまでに発見されているのかどうか。八木書店の全集には入っていません)。
02-17 11:23
引用した「紅葉先生と私」(「経済往来」昭和8年9月1日)で紅葉に「紫吟社の人達の俳句の運座があるから今度出て見るやうに言はれ」た頃にあたり、「読売新聞」掲載の紫吟社[即吟抄][水無月集]等に俳句を発表し始める明治29年6月よりも約1年、秋聲堂主人が「北辰会雑誌」第5号に漢詩を発表した
02-17 11:22
徳田秋聲は『光を追うて』四十四に、田岡嶺雲の「青年文」に「評論ともつかず感想ともつか」ない文章を発表していた明治28年6月前後に、芭蕉七部集や其角の五元集を読み、蕉風よりも蕪村の俳諧や子規の俳句に多く感心し、「日本新聞」に二度ばかり投句を試みて撰に入ったと書いています。
これは先日
02-17 11:22
得る。秋聲氏の小説には、西洋風の意味での詩的精神がない。しかし俳句を詩と呼ぶ意味での、一種の国粋的の詩的精神がある。その意味に於て、秋聲氏もまた詩人なのだ〉
萩原朔太郎「俳句の本質について」(『郷愁の詩人与謝蕪村』小学館、昭和21年、173頁)。
https://t.co/QP3T3uIoas
02-17 06:53
【国粋的な詩的精神】
〈日本の文学者には、西洋風の意味の詩的精神がなく、西洋風のスタイルをした詩人が居ない。しかし日本風の意味の詩的精神、即ち俳句のポエヂイを所有して居り、その限りに於てまた一種の「詩人」なのである。このことの実証は、徳田秋聲氏などの文学について、最もよく理解され
02-17 06:52
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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