西来寺《八相涅槃図》享保12年。
――鯨のゐる涅槃図
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#備忘録
02-16 22:35
から、「云ひました、それに相違ありませんもの。」と答へた。「では徳田君は。」「徳田さんは然う行きません、私には喰はれない人です。」と三人大笑ひをした事がある〉
真山青果「附録」(小栗風葉『天才 前編』隆文館、明治41年3月)
※「竈の下の灰」は全財産の意。
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02-16 22:26
【徳田さんは喰えない】
〈秋聲氏が甞て私〔引用註:真山青果〕を前に置き、氏〔同:小栗風葉〕に向つて、「真山君は恐ろしく君をアマク見て居るぜ、全るで小児だ、コツチに悪気があるなら、竈の下の灰まで搔廻して見せると云つて居たぜ。」と笑つた事がある。「全くそんな事を云ふのか。」と尋ねる
02-16 22:26
「元来うそをほんたうらしく感じさせるのには、成るべく簡単に書くのに限る。くどく説明すればするほどうそが一層うそらしくなる。(中略)現代の日本の作家で、ほんたうらしく書く点に於いては徳田秋聲氏を第一とするが、さすがに同氏は此のコツをよく心得てゐる」
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より。
02-16 17:19
初出の「三田文学」明治43年5月号が出た頃の秋聲は『新世帯』(明治41年、「国民新聞」連載)、短編集『秋聲集』(同)、短編集『出産』(明治42年)等により世評が高まりつつあった頃で、『足迹』の連載より前の話ですね。杢太郎さん、お目が高いです。
02-16 07:21
「僕等はあまり多い粗削りの藝術に倦きて居る。もつと仕上鉋のかかつたものが欲しいのである。予が所謂自然派の作品のうちで徳田秋聲氏を尤も好むのも此純藝術家的の見地からである」
木下杢太郎「京阪見聞録」(『地下一尺集』叢文閣、大正10年3月)62頁。文末に初出、明治43年「三田文学」とあり。
02-16 07:05
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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