今日2月1日は秋聲の生誕日
02-01 23:45
俳句でなく漢詩を載せたのは、まだ満足に俳句が詠めなかったから、という説明が一応は成り立ちそうです。
俳句が詠めなければ漢詩でなくとも掌編小説か短文の類でもよかったのではないかとの反論もありえますが、翌29年12月には新体詩さえ発表しているので、漢詩を載せてもおかしくないとは言えます。
02-01 10:50
捻くつた」というのは、真軒三宅少太郎に漢文を学んだ秋聲は読むだけでなく実作も少しはしていたということでしょう。
秋聲が「読売新聞」掲載の紫吟社[即吟抄][水無月集]等に俳句を発表し始めたのは明治29年6月で、仮に秋聲堂主人が徳田秋聲とすれば、明治28年10月発行の「北辰会雑誌」第5号に
02-01 10:50
いくらか其の気になつて、その時、紫吟社の人達の俳句の運座があるから今度出て見るやうに言はれて、出ることにした」
徳田秋聲「紅葉先生と私」(「経済往来」昭和8年9月1日)より。
ここに書かれているのは、秋聲が尾崎紅葉の門下となって間もなくの明治28年夏ごろの話です。「漢文や漢詩なら少し
02-01 10:49
【徳田秋聲と俳句・漢詩】
「田舎にゐる時分、悠々君は既に小春菴といふ師匠に近づいてゐて、俳句を詠んでゐたが、私はその時分から詩的情念に欠けてゐたとみえて、俳句は詠めなかつた。漢文や漢詩なら少し捻くつたが、和歌や俳句には親しめなかった。しかし先生が俳句をやつた方がいゝといふので、
02-01 10:48
この「殘暑招客」がいちばん徳田秋聲の詠みそうな漢詩ではありますね。
詩の内容はともかく、言葉選びだけを見れば「詠史」「午睡」の方がまだしもすっきりしてると思います。
02-01 00:06
新稲法子先生くらい漢詩が読めればいろんなことが見えて来るんでしょうけど、私なんかのレベルから見ても、あんまり上手とは思えないですね、秋聲堂主人の漢詩。とくに言葉選びが生硬な気がします。例えば「更嘉水碧連山碧。又愛松陂与竹陂。」辺りの同語反復とか。 しかし3篇のなかでは、
02-01 00:05
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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