画像フォルダに能因法師の歌碑があったかしらと見てみると、能蓮法師(藤原能盛)の歌でした。
石清水きよき流の絶せねばやどる月さへくま〔隈〕なかりけり
(千載和歌集・神祇)
能因法師ゆかりの古曾部も京都から近いし、いつか行ってみたいです。
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05-16 12:47
関西弁で言うなら「ほんまかいなっちゅう伝説」といったニュアンスでしょうか。
林羅山による碑銘と古曾部における能因法師の伝説については下記を参照。
『大阪府全志』巻之3、大正11年
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05-16 10:01
之句、不亦榮乎、其餘詠歌繁多不可枚擧也、攝津城邊有其舊蹟、今略書其姓名、以傳于後世云、
慶安三年春三月 日 日向守大江姓永井氏直淸書」
(原文に読点なし)
と、能因の略伝と古曾部における古伝について書かれていますね。とすると「疑凝(疑驚?)」の語は
05-16 09:54
補文章生、號肥後進士、後遁世改名能因、號古曾部入道、善和歌、此道昔無師弟、至能因初以長爲師、果然否、甞有秋風白河關之詞、世以爲美談、兵部太輔大江公資東洞院宅庭有大櫻樹、每年能因自古曾部入洛、往玩其花、花亦依人而其名彌顯、後冷泉院永承四年禁裡歌合時、能因獻和歌、有三室山楓龍田川錦
05-16 09:48
「疑驚」は『大日本国語辞典』に「うたがひおどろくこと。真実(まこと)にやとおどろくこと」とあります。「断る」は「説明する」の意。
慶安3年(1650)高槻城主永井直清の依頼により林羅山が撰した件の碑銘を確認すると、
「能因法師者、左大臣橘諸兄十代之孫也、本名永愷、父曰肥後守元愷、永愷
05-16 09:47
【疑凝(ぎぎょう)】
「古曾部の入道能因法師が跡を問へば、古墳草繁りて村雨あはれを添ふ。誰れ問ふ者なかりけるに、翰林処子羅山子、碑文を撰りて后(のち)の疑凝を断る。」
「古曾部の里の幽霊の事」(「宿直草」5-5より)
「疑凝」は高田衛の脚註には「疑驚(ぎきょう)の誤りか」とあります。
05-16 09:46
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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