【参考】
室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」
https://t.co/gIBB8d79QV
「角川書店の山本〔容朗〕さんの話では、よく銭湯で宇野に出会い、山本が退社後の夕刻の時にはいりにゆくと、何時でも、宇野に出会い熱心にからだを洗っているのを見うけた」云々。
07-06 23:08
ようです(田中敦『落語九十九旅』岩波書店、2016年5月、70~73頁)。これによると「はなしかさん」は「花鹿山」と表記されています。
『むらく新落語集』(三芳屋、明治43年10月)より「深山がくれ」
https://t.co/LEHHi50JC0
こちらでは「落語家山」(はなしかざん)と表記されています(126頁)。
07-06 17:05
たかは判りません。
このお噺は、二世曾呂利新左衛門(1842-1923)が明治29年、中国地方から九州を旅する泥丹坊堅丸という噺家を主人公に据えて「新百千鳥」に連載した連作『噺家一人旅』(「猿丸」「狼講釈」「べかこ」「深山隠れ」〔速記では「深山の一ツ家」・「老女の魂魄」〕)の第4作目が元の
07-06 16:59
@tonton1965 桂米朝は〈芸人が旅をして不入り続きで、動きがとれなくなってしまうことを御難と言いますが、(中略)「深山隠れ」などというはなしは、落語家が御難をするはなしなので、昔からこんなネタをやってると売れなくなると言って、演る人も少なかったそうです〉と書いています。果たして米朝がどの程度演じ
07-06 16:58
ろうか。私はそんなことを思い出しながら本郷郵便局の手前を左に折れた。最初の路地を右に曲ると宇野浩二の家の前に出る。確か、その小路を曲る辺りで、私は、徳田さんから水上勉さんを紹介されたことがあった。〉
山本容朗「本郷での今東光さんの艶聞」(『居酒屋の作家』潮出版社、昭和57年)
07-06 11:23
本当に風呂好きだったのだろう。「赤門湯」で、宇野さんと出会ったのは、一度や二度ではなかった。
ある時、私は、この宇野さんの風呂のことを室生犀星に話した。すると、室生さんは、「われは歌えどやぶれかぶれ」〔原文ママ〕という小説に私の名前を入れて書いてしまった。
あれは、いつごろだった
07-06 11:22
探すことが出来なかった。私は徳田さんといっしょにこの銭湯によく入りに来た。そして、徳田家の近くに住む宇野浩二といっしょになった。宇野さんは身体に石鹸をつけてよく洗っていた。徳田さんは話しかけられると、途中で湯へ入りますといえず、冬など風邪をひいてしまうとこぼしていた。宇野浩二は
07-06 11:22
というのもあったと思い出した。
昭和二十五年四月、私は大学に入り、東京の暮しをはじめてから、その前から知りあいだった徳田一穂さんのところによく出入していた。一穂さんは徳田秋聲の長男である。その家は、本郷区森川町百二十四番地であった。
「赤門湯」はなくなってしまったのだろうか。私は
07-06 11:22
〈本郷通りを駒込へ向って歩いていて、私は赤門の前を通り過ぎようとしていた。あわてて、落第横丁と表記のある横丁の角に立つとペリカン書房の看板が見える。そう、「赤門湯」という銭湯があった筈だ。私は本郷通りを出て、その大通りから、ちょっとへっこんだ場所にあった銭湯を探した。「正門湯」
07-06 11:21
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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