洗濯機・ファックス・レンジ・炊飯器あまた電子の音に呼ばれて
抗ひてみたき日電話鳴る度に鳴らしておきぬ私は留守
湯を掬ふ柄杓の手もて弦掬ふヴィオラ・ダ・ガンバ長閑なる午后
以上、須川よう子『酢薑』「喜久屋足袋店」(玲瓏叢書16、玲瓏館)より。
05-21 23:59
石の家石の道路は土や木に降るより跳ねる春の霰は
西鶴忌繻子の黒足袋求めんと下町喜久屋足袋店を訪ふ
アケボノスギとメタセコイアは同じにて落羽松とは違ふと覚ゆ
05-21 23:57
@kayanoyasan こんばんは~🌠 その方たちは豆腐地蔵さんですね😃
さっきまですごーく久しぶりに《吉原炎上》を観てました。なんだかしんみりしますね……
内容はほとんど覚えていましたが、左とん平の「鼠鳴き」には、あ、こんなのもやってたんだ、とちょっと感動しました。
05-21 23:52
21時からBS-TBSで映画《吉原炎上》があります🔥
05-21 19:15
@kayanoyasan 豆腐小僧は雨が大好き😉
05-21 17:33
湯を掬ふ柄杓の手もて弦掬ふヴィオラ・ダ・ガンバ長閑なる午后
須川よう子『酢薑』より「喜久屋足袋店」(玲瓏叢書16、玲瓏館)。
確かにガンバの運弓は柄杓で弦を掬うような手付きかも。「水掬ふ」でなく「湯を掬ふ」にしたのは感覚の冴えですね。
https://t.co/pX12HhXSzu
05-21 17:32
@kayanoyasan 豆腐小僧が今そちらに向かってます
05-21 17:29
当歌集にはヴィオラ・ダ・ガンバを詠んだ歌もあります。それは……
05-21 07:30
藤代がパトロンの秋本(カフヱ・ドラゴンの経営者)と訪れた日本料亭の様子。これは、北大路魯山人が中村竹四郎と大正14年から東京赤坂山王台の星岡茶寮に開設した会員制の高級料亭がモデルでしょうね。
05-21 07:17
「山王へ来て、二人は高いところにある瀟洒な家で、気取つた日本料理を食べた。芸術家であるそこの主人を、秋本も知つてゐたが、何から何まで自作に係る食器なぞに、藤代も驚かされた。そして茶がゝつた粛かな小間で食事をしてゐるうちに、(後略)」
徳田秋聲『道尽きず』「充されぬもの」より。
05-21 07:16
それに、狭山が藤代の青山の居宅から退出するとき、「これから一寸牛込の方へ行つて、それからホテルへ出かけようかと思ひます」と言っているのも気になるところ。
もちろん藤代のモデルが水谷八重子だとか、彼女の所属する劇団が研究座や牛込会館の芸術座をモデルにしているという訳ではありません。
05-21 07:13
のニーナを演ずることになった藤代と、演出家の狭山との会話。意味深な親指は藤代のパトロン、秋本を指します。
『かもめ』の日本初演は大正11年7月、有楽座における研究座公演で、ニーナ役を水谷八重子が演じました。
八重子は震災後、牛込会館で『殴られるあいつ』のコンセーラも演じていましたね。
05-21 07:07
〈「私に出来るでせうか。」
「僕は屹度好いと思ふんですがね。」
彼はさう言つて、ちよつと拇指を示して目顔できいた。
「え、来てますの。」
「さう、ぢや又。」
「でも介意ひませんわ。貴方さへお差閊へございませんでしたら。」〉
徳田秋聲『道尽きず』「充されぬもの」より。
チェーホフ『かもめ』
05-21 07:04
活動小屋へ入る藤代。
銀座シネマ(正しくは、シネマ銀座)は、大正13年2月、京橋区銀座7丁目中央通りに開場した洋画専門の活動常設館です(当時、映画館は常設館とか活動小屋、活動館などと呼ばれていました)。秋聲もよくここで活動写真を観ていました。
05-21 06:57
「パラアを出てから、また其の辺を少し歩いて見たが、どこへ行くと云ふところもなかつたけれど、其儘家へ帰る気もしなかつたので、足が自然(ひとりで)に銀座シネマの方へ向いた。
そこではちやうど最初の軽い喜劇が始まらうとしてゐる処であつた。」
徳田秋聲『道尽きず』「深みへ」より、
05-21 06:52
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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