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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2017/12/25のツイートまとめ

kameiasami

パルスプラザに来てます💑
綺麗やわ✨
https://t.co/iHnqFPZT39
12-25 21:13

@ebaranakanobu81 メドゥーサの首を持つペルセウスもどうぞ加えて下さい。
12-25 15:53

と一穂氏の指さす床の間には一尺位の高さに積んであつた。〉
前垣内照子「徳田秋声」三、遺族及遺跡(「学苑」148号、昭和28年6月)より。
殿田氏は、殿田良作か。
12-25 15:48

【徳田秋声の日記】
〈考証家殿田氏は、「日誌は克明につけておられた様だ、山の上町の太田さんの家で計らずも見たのであるが、柔い皮表紙の大学ノートの様な罫の引いた日誌帳だつた。」と言われたが、徳田家を訪ねた時も「日記はこれですが、まだ目を通してないので、誰にも見せてありません。」
12-25 15:47

物吉の御短刀ハ、味方ヶ原の時、[石舌]〔つか?〕ニ公の御手懸られしに鞘つまり不抜、夫故御物吉と云とそ(ぞ)。
12-25 15:44

三方原の戦で家康が(進退窮まって自害しようと)短刀の柄に手をかけたが鞘づまりして抜けなかった。それ故「御物吉」と呼ぶようになった、という意味とすれば[石舌]は「つか」と読むのでは。
出典は『名古屋叢書』三編第9巻ですかね。
https://t.co/P25DQAcpDe
12-25 15:44

横関愛造「徳田秋声 大いなる文学的遺産」(『思い出の作家たち』法政大学出版局、昭和31年)より。
野口冨士男が和田芳恵との対談で(『徳田秋聲ノート』)、「先生書いているけど、一穂さんに理科系の学校へ入って科学者になってもらいたかったんでしょう」と発言してるのは、このことかしら。
12-25 13:05

と、前置きして関忠果(改造社出版部長)君の話だが、あるとき、徳田さんがしみじみとした口調で、
「君、困ったよ、一穂のやつめ小説を書いているんだ、わしはあいつは科学者にしたかったんだ、工学系統に進ませたいと思っていたんだが……」と大きく歎息したというのである。〉
12-25 12:51

に対しては、特に目をかけていた。「葛西をまねろ」という言葉は、弟子たちがおりおり聞かされたものである。その葛西が死んだと聞いたとき、“葛西の前に葛西なく、葛西の後に葛西なし”と長大息したことは、あまりにも有名な話である。〉
〈「いつのころであったか、年月ははっきり記憶していないが」
12-25 12:50

〈「近松(秋江)の愚痴と、岩野(泡鳴)の談論風発は閉口だね。おこったってはじまらんと思うのは正宗(白鳥)の話しっぷりだ。さればといって、いつでも肩のこるような島崎(藤村)の話しっぷりも難物だ」
いつだったかこんなことを話して笑っていたことがある。〉
〈多くの門下生のなかで、葛西善蔵
12-25 12:49

  1. 2017/12/26(火) 04:15:54|
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