欧米を見学して来たのだが、法螺吹の鶴田君に師事してゐるやうな男だから頭のほどはどうせ知れたものである。著述も見たが、古い美術家で、内容はない。かゝる人を欧米へ派遣したところで、曇つた眼に何が見えるのだらうか」と、散々ですね。
なお安岡正篤が渡欧したのは昭和13年12月から翌7月で、
12-14 23:47
徳田秋聲に『漢詩読本』を寄贈した安岡正篤のことをのちに秋聲がどんなふうに言ってるかというと…
昭和14年7月11日の日記によると、鶴田久作(兼堂)が二女のお婿さん候補を占って貰うとかで、安岡正篤宅を訪れた。「安岡氏の帰朝談が都新聞に出てゐたとかである。この人は政治筋から三万円もらつて、
12-14 23:41
夕ご飯作りながらチラチラ観ていた水戸黄門第13部「復讐 化け猫騒動」で、東野英治郎の黄門様が真剣白刃取りをして悪者の家老?を横へ薙ぎ倒したのにはびっくり。
スターウォーズep3でヨーダが物凄く強いのを見た時くらいの驚き👀‼
(ところで花見小路は新居から歩いて直ぐのところにあります💑)
12-14 19:27
「『貴方が若し咲子さんを愛していらつしつて、その上に父の秘密をそつとしておきたいのなら、咲子さんの前途について、もつと何とか考へて上げても可い筈だと思ひますわ。』文代は大胆に踏込んで言つた」
徳田秋聲『闇の花』「寂しき家」その一。
そうよ、そう、よく言ってくれました!
12-14 17:24
この詩を読み、「何かモンテエヌの感想文でも読むやうで、老年の心境にぴつたり来るものを感」じたとのこと。
漢詩読本の多くの作品の中で特に黄庭堅(黄山谷)の詩に心惹かれたのは、前々からその詩文に親しんでいたからってことかしら。
https://t.co/2sk2nhnt0L
12-14 17:21
ずっと以前にも言及しましたが、徳田秋聲は、昭和12年の「灰皿」という文章(非凡閣版秋聲全集別巻所収、昭和12年11月)で、黄庭堅(黄山谷)の「老色日上面、歓悰日去心、今既不如昔、後当不如今」という詩について語っています。秋聲は安岡正篤から寄贈された『漢詩読本』(日本評論社、昭和11年)で
12-14 17:19
@knulpgohan 恥ずかしいンゴ😅
12-14 07:43
@davu0628 いいえ、跋とは書物の最後に附ける文のことですので、後記と同じ意味です。改版の跋文には書いてなかったのですね。
12-14 07:42
《ダンサーと菊池寛氏》
〈菊池寛先生はダンスを初(ママ)めてから、やつと一年ばかりなので、踊りにゆけばダンサーが先生になつてリードするが、今日は五百名のダンサーを集めて、「清らかな恋愛に生きる女性の幸福」を一時間にわたつて講演した。〉 (「日の出」昭和12年2月)
https://t.co/Hd15YUMVWi
12-14 06:17
おはようンゴ (^^;
12-14 06:11
18時過ぎに帰宅、すぐに夕ごはんの準備、19時から食事、20時から後片付け、それからお風呂。寒いから21時過ぎにベッドインして22時頃に寝て1時過ぎに目が覚めました😪
寝る前に、しりとりして私が負けたので、語尾に「ンゴ」って付ける呪いをかけられました😓
12-14 02:24
「士大夫三日不讀書」云々は、北宋の黄庭堅の言として、石川淳が随筆「面貌について」の冒頭に引いていましたね(『夷斎筆談』所収)。
12-14 02:09
陸紹珩の「酔古堂剣掃」は名言嘉句の抜粋録ですので、引用元がありますね。
「レファレンス協同データベース」によると「士大夫三日不讀書」の原典は、黃庭堅「黃庭堅文集」所収とのこと。
「黃庭堅文集」の何巻に収録されているかは未確認です。秋聲が抜粋録か原典かどの本で読んだのかは判りません。
12-14 01:24
@davu0628 吉井勇『玄冬』の跋文に「私はこれ等の歌集に『梵字本』といふ名称を与へてゐるが、それは表紙の一隅に梵字を捺すことを特徴としてゐるがためであつて、今度もまた『伎芸天』の種子を選ん」だとありますね。
12-14 01:21
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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