今回は、なぜそのような逆転が起こったのか、そして戦犯裁判というものがどういうものだったのか、について、山本七平の見解を紹介していこうと思います。
その前に、順法闘争について説明しておきましょう。まず、これを押さえておかないと、本題に進めませんので。
■順法闘争(wiki参照)
通常は省略ないし簡略化して実施されている行為を法令や規則を厳格に遵守すること(順法)を理由として完全に、あるいは必要以上に励行しこれによって通常よりも業務能率を停滞させるサボタージュの一種である。
法令・規則を遵守しているのであるから形式的には通常の業務行為であるため、国家公務員法などにより争議行為を禁止されている公務員がこれを行っても違法とはならない。
日本では、下記に示す旧日本国有鉄道(国鉄)の順法闘争がよく知られている(~以下略)
話は逸れますが、国鉄ってこんなことやってたんですね。これじゃ、ダメになるわけだ。
それでは、この国鉄の順法闘争と、陸軍のタテマエ闘争との類似点、及びその図式について山本七平の説明を引用していきましょう。
「諸君!」連載、児島襄氏の『幻の王国・満州帝国の興亡』を読んでいるうちに、思わず、アッと声を立てるほど驚いた。
それは満州事変の首謀者のやったことと私のやったことは、そのやり方の基本図式においては、全く同じだったという驚きである。
もちろん事の大小には天地の差がある。それを問題外とするなら、文字通り「全く同じ」と言わざるを得ない。
そして今の社会でこれとそっくりの行き方を求めれば、それは「順法闘争」であり、陸軍式に言いなおせば「タテマエ闘争」であろう。陸軍も国鉄も同じくらい古い組織だから、同じ行き方になるのも当然かも知れない。
しかしおそらくこれは陸軍と国鉄だけの問題でなく、「タテ組織」なるものに必然的に生ずる事態なのかも知れない。
(中略)
わかりやすいように、順法闘争と対比しつつ、その行き方の基本的図式を説明しよう。
まず「絶対にだれにも反対できない大義名分」をかかげる。
それは「在満邦人の生命財産の保護」でもよいし「乗客の安全」でもよい。こういう大義名分そのものには絶対にだれも反対できない。
「邦人の生命財産なんかどうでもよい」とか「乗客の安全なんか考慮する必要はない」などとは、口が裂けてもいえまい。
もし万が一そんなことをいえば、徹底的に叩かれて沈黙させられるだけてなく、一種の舌禍事件として責任者はその職をも失い、社会的に葬られる。
従って、まず大義名分を大声で言い、予め、反対・反論を封ずるわけである。
軍隊の内部では、これが「部隊命令」「作命(作戦命令)の遂行」等々、である。
絶対だれも言わないことだが、もし万一だれかが「命令など実行しないでいい」とでも言おうものなら、それは「統帥権干犯・天皇否定」になるから、この大義名分の前にはだれも声が出せない。
そこでそれを楯に一挙に既成事実をつくってしまい、作ったら「タテマエ」すなわち「順法」で押し通し、法・規則・規定を自己の目的に副うように正確に順守し、定められた通りにやったまでだと主張することによって、自己の意思を押し通してしまうわけである。
【私の中の日本軍(下)/陸軍式順法闘争の被害者/218頁~より引用】
私の中の日本軍をお読みになればわかる事なのですが、山本七平は砲兵隊の部付将校として、部隊間競争(物資・ガソリン・食糧等の奪い合い)をするにあたって、既成事実をつくり、タテマエで押し通し…ということを部隊長の指示に従い、散々やっていたんですね。
そのことと、満州事変の首謀者が行っていたやり方が全く図式が一緒だったというわけです。
それでは、この順法闘争やタテマエ闘争の結果、どのような責任の取り方につながるのか、引き続いて山本七平の記述を引用していきましょう。
順法闘争で汽車が「とまる」。
だがこの方式を逆にすれば「暴走」も可能であろう。
だがそれで恐るべき事故を起したらどうする、その場合、その責任はだれにあるのか。国鉄総裁であろうか。だが国鉄総裁の首をいくらすげかえても順法闘争をとめることはできない。
だが今も昔も責任のとり方は似ていた。陸軍総裁という職はないが、それに相当する地位の人の首は何度もすげかえられたはずである。
しかしそれは国鉄総裁の首のすげかえと同じで、それによって「陸軍式順法闘争」すなわち「タテマエ闘争」がなくなるわけはない。
そして実際に汽車をとめたり軍を暴走させたりする「力」の実体は、いつもわからないままなのである。だれもそれに触れないし、だれにも究明できない。
そして国鉄総裁とか、また青年部に突きあげられている実権なき委員長とかいったような「名目上の責任者」の責任をいろいろな方向から追及しても、現実には、追及すればするほど実態がわからなくなってしまう。
そして結局は何らかの名目上の責任者を処分しておしまいにする。
一方、内部にいるわれわれから見れば、実際には「この人こそ本当の責任者ではないか」と思われる人がはじめから全く不問に付されている。
否それどころか、時には「本当の責任者」が「名目上の責任者」を告発して処刑場に送るに等しいこともしている。
(中略)
こういう点で、さまざまな問題を考えさせられるのが、韓国出身の洪思翊中将の処刑である。
(中略)
洪中将は、終戦と同時に日本人ではなくなった。従って、その裁判は相当に慎重であり、アメリカ側もあらゆる点で遺漏なきを期したらしく、法廷記録が通常の戦犯の三、四倍もある。
洪中将自身は、個人的には何一つ犯罪行為といえることはしていない。
彼はある位置にいたというだけである。
確かに「名目上の責任者」だが、実質的には何ら権限を行使しえず到底責任者といえないことは、満州事変における本庄中将以上であり、また順法闘争における国鉄総裁以上である。
【私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/249頁~より引用】
順法闘争・タテマエ闘争の結果、責任は「名目上の責任者」がかぶるだけで、なぜそうなってしまったのか、もしくは、その原因を突き止めたり、防止することができない形に終わってしまう、ということですね。
引き続き引用していきましょう。
ではいったい以上のような状態にある者を、犯罪者と規定することが出来るであろうか。そしてその責任を追及することで、どこかにいる本当の「責任者」を隠してしまうことが果して「正義」なのであろうか。
いわば「形式的責任犯」というものがありうるか、そしてその処罰は正義にかなうか、という問題がここで出てくる。
ありえないという立場に立った(それだけではないが)のが東京裁判におけるインドのパル判事だと思うが、「ありうる」「ある」という立場に立っていたのが、実は「陸軍刑法」なのである。
戦犯への判決を調べていくと、このことがはっきり出てくる。
戦犯法廷のある人への判決は、奇妙なことに、陸軍刑法を適用すると、それと全く同じ判決になるのである。
死刑になったある種の「責任犯」は、陸軍刑法を適用するとやっぱり死刑なのである。そしてそれはその後も、「戦争責任」の問題で常に出てくる問題である。
たとえば本多勝一記者の「天皇は処刑するか、勝組に引渡せ」という判決だが、陸軍刑法を天皇に適用するとほぼ本多判決と同様になる。
「司令官、全軍ヲ帥イテ敵二降伏シタルトキハ死刑二処ス」と。天皇は陸海軍の名目的「総裁」すなわち大元帥で総司令官だから、この条項をあてはめれば、本多判決同様に天皇は死刑ということになる。
以上の言葉は、私見ではなく陸軍刑法の考え方をのべただけだから、もってのほかだと思う方は陸軍刑法を非難されればよい。
確かにこれは、不思議な問題である。というのはこの論法を推し進めると、洪中将の処刑も正当ということになってしまうからである。
【私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/250頁~より引用】
ここで、戦犯裁判と「軍法」との関連がはじめて指摘されました。
山本七平は、二人の少尉の裁判と「軍法」との関連性をこの後詳細に説明していくわけですが、その前に面白いことを紹介しています。
だが、その要点、すなわち本多判決と陸軍刑法が一致するという点は、考えてみれば少しも不思議ではないのかも知れぬ。
オフチンニコフ氏が『さくらと沈黙』の中で非常に面白いことを言っている。
戦後アメリカ軍が戦争中の日本の「戦意高揚映画」を押収して、全部映写してみた。
すると何とそれが全部「反戦映画」に見えたというのである。もちろんナレーションと台詞はわからなかったであろう。
最近のいわゆる「反戦映画」だが、これもつづけて映写してみたらどうだったであろう。おそらく全部が一貫した見方に貫かれる「反戦映画」で、同時にそれは逆に見れば全部「戦意高揚映画」であって、差は詠嘆的ナレーションの内容の一部だけだということになると思う。
いわば基本的な「視点」は同じなのである。
従ってそういう修飾を全部消していき、「判決」の出どころ、すなわち判断の基点を求めていくと、本多判決と陸軍刑法は全く同一で同判決という結果になるわけで、それは結局両者の精神構造が同じだからであろう。
オフチンニコフ氏にとっては、そうなるのが当然で不思議でないかも知れぬ。
【私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/251頁~より引用】
戦意高揚映画と反戦映画が同じに見えた…というのは、非常に興味を引かれました。
ただ、そこからの展開は私にはちょっと理解するのが難しくて、山本七平の言っていることが正しいのかどうなのか判断がつきませんでした。「本多勝一の精神構造が、軍法を絶対と考える軍国主義者と実は精神構造が一緒である」という指摘なのかな…と受け取っているのですが、この解釈にいまいち自信がありません(汗)。
まぁ、それはさておき、先に進みましょう。
「陸軍刑法」と「戦犯法規」と最近の「戦争責任の追及の基準」との関連は、私には非常に興味がある問題で、その解明の焦点は前述の洪思翊中将の処刑にあると思う。
だが、ここではこの「責任犯」は一応除外して、「実行犯」(という言葉が適語かどうかわからぬが)に問題を限定したい。
そしてこの実行犯となると、戦犯法廷そのものに、陸軍刑法すなわち「軍法」の性格が、非常にはっきり出てくるのである。
私はもちろん「戦犯裁判」をキーナンが豪語したような「文明の裁き」とは思わない。しかし清瀬弁護人のいわゆる「野蛮人の首狩り」とも、単なる「報復」とも考えていない。
「責任犯」という考え方自体がいわば「軍法」の基本的な考え方であったように、実行犯への戦犯という考え方も、その底にあるのは「軍法」で、勝者が敗者を軍法会議にかけた、という形になっている、
と私は考えている。
従って「原爆投下を命じた者がなぜ無罪どころか告発もされず、無差別爆撃をして捕虜になった搭乗員を処刑した者がなぜ死刑なのか」という疑問は、判決は「正義の代行人」の判決だというキーナン的立場からする疑問で、これを一種の「軍法会議」の変形と見るなら、その一面は当然すぎるほど当然で、疑問の余地なき判決なのである。
戦犯への裁きを「正義の裁き」とは考えてはならないし、また「首狩り」や「報復」と考えてもならないとは、この意味である。
この場合だけでないが、こういう点で日本のマスコミはつねに無定見であると思う。
「法」は確かであったのだ。しかしそれは一種の「軍法」であった。軍法を絶対の「正義」と考える者がいれば、それは軍国主義者であろう。軍法と同じ判決を下す者も同じであろう。それはいずれも正しくないであろう。
【私の中の日本軍(下)/捕虜・空閑少佐を自決させたもの/252頁~より引用】
戦犯裁判は、「正義の裁き」でも「文明の裁き」でも「首狩り・報復」でもない。
「勝者が敗者を軍法会議にかけた」のだ、という山本七平の指摘は、私には非常に新鮮に感じましたし、結構的を得ているのではないかと思います。
長くなったので今日はここまでにします。
次回は、なぜ二人の少尉の裁判が、東京と南京で違った結果となったのか、山本七平が軍法をキーに説明していますので、そのことを紹介していきたいと思います。
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