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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

名文章ご紹介シリーズ【その3】~飢餓における人間と動物の違い~

このコーナーは、山本七平の著作の中から、読んだ私が「うむ、なるほどっ」と感心した文章を選りすぐり、私の下手な解説抜きでご紹介しようというものです。

今回は、全然800字以内に収まりませんが、非常にいいことばかり書いてあるものですから、あえて削りませんでした(ていうか、削ることが殆どできませんでした)。

こういうことが書けるのも、やはり飢餓を体験した人ならでは…なんでしょうね。




「人間は被造物である」などという言葉の、哲学的・宗教的意味は私は知らないし、知る気もしない。

だが人間は、「一定量の食物を絶えず注入していない限り正気ではいられないという点では、麻薬中毒患者のような一面があり、『食物の禁断症状』を起すと、『麻薬の禁断症状』以上に狂い出し、麻薬中毒患者同様に動き出すように造られてしまった生物なのだ」と私は思わざるを得ない。

その人が、どういう思想・信条をもとうと、どういう社会制度の下で生きていようと、このことには差がない。私は、医原性麻薬中毒の体験から、特にこの感が深い。

人間が傲慢になれるのは、飢えていないときだけである。飢えてさえいなければ、神の如き気分になって、正義の旗印を高くかかげて全世界を糾弾できる。

従ってそういう格調の高い(?)、時には居丈高な論説などを読むたびに、私は「ハハァ、この人は満腹しているな」と思わざるを得ず、従って何の感動も受けないが、しかし決定的ともいえる「飢え」の中にあって、なお人が口にする鋭い言葉の中には、やはり「人間は人間であって動物ではない」と感じ、生涯忘れられないほどの強い感銘をうける非常に崇高な言葉もある。

もっともその言葉を紹介しても「昭和元禄満腹の民」は、何か崇高なのか全くわからないかも知れないが……。

(中略)

私は、弁護士出身のLというアメリカ軍将校に私的な仕事をたのまれ、彼が転勤するたびに、自分のいる収容所から、あちこちの収容所に出勤するという妙な収容所生活を送っていた。

(中略)

ここ(将官収容所)にだけは、当番兵がおり、驚くなかれ「残飯」というものが存在していた。

私はA少将の当番兵と親しくなった。彼はもう四十近かったと思う。兵隊は三十以上の人間をみな「ジイ」と呼ぶ。従ってみながジイと呼んでいたので私は彼の名は知らない。

このジイは見るからに実直な人で、昔と全く同じようにA少将につかえていた。これは非常に珍しいことであった。

戦争中は閣下、閣下と土下座せんばかりの態度をとり、戦争が終れば、今までの土下座を一変させて罵倒するというような態度は、本人はどういう気持か知らないが、見ている私などには逆にそれが奴隷根性に見えて不愉快であった。

罵倒するなら戦争中にすればよい。
しかしそれはできない。そしてこういう人に限って、今度は、収容所長のアメリカの軍人には何一つ言えず、いわば土下座しているのである。

ジイはそういう人でなかった。
彼を見ていて気持がよかったのは、彼を律しているのが、一つの「自律」だったからである。もちろんその「自律」の質は私とは違う。

しかし自律が自律である以上、各人各様に違うのが当然で、みなが同じなら、これは自律のように見えて、実は、何者かに律せられている他律にすぎまい。

将官に土下座して米英を罵倒し、今度は一転して、収容所長に土下座して将官を罵倒する、同じ図式の行為は当時の収容所同様今の日本でも大手を振って横行しているが、常に何かに土下座して何かを罵倒していないと精神的安定が得られないのは、自律性なき証拠であろう。

(中略)

あるとき彼がトラッシュ缶に入った残飯を重そうに運んでいたので私はそれを手伝った。その時彼は、重い口を開いて、不意に次のような話をした。

ある日、一般収容所から、草とりか何かのため十数人の使役が来た。
彼らの一人がこの残飯の缶を見つけると、あっという間に全員がそれにむらがり、我先にと夢中でそれに手をつっこんで残飯をロに運んだ。

熱地の残飯である。もちろんすえてどろどろになっている。
彼らは手から腕からロのまわりまで残飯の汁でベタベタにしながら、無我夢中で手を動かしていた。ジイはしばらくあっけにとられてそれを見ていた。

そのとき不意に一人の男と視線が合った。それはかつての上官である一曹長であった。

その瞬間その曹長は、ちょっと腰をかがめ、残飯の汁でベタベタの両手を合わせ、おがむような態度で彼に哀願して言った。

「ジイ、どうか向うをむいていてくれ、どうかこの浅ましい姿を見んでくれ。どうにもならん、どうしても手が動くんじゃ」と。

この言葉に、私は非常に感動した。

「自分の意思に反して自分の手が動く」という意識、この意識は人間にしかない
動物にはその意識はない。

そして一個人であれ一民族であれ、このことを忘れれば人間の資格を失い、それが行きつく先は自滅であろう――たとえそれが飽食によって失われようと、さらに徹底した飢餓で失われようと――と私は思った。

by山本七平

【引用元:ある異常体験者の偏見/アパリの地獄船/153頁~】



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