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【WEEKEND PLUS】(485) それは法と社会規範への挑戦…違法でも密かに活動を続ける台湾のヌーディストコミュニティー



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台北から車で1時間半ほど離れた、苗栗県の山中にあるB&B(※朝食付き民宿)のベッドルーム8部屋全てとロビーを、あるグループが貸し切った。ここは台湾でもかなり辺鄙なエリアだ。周りを森に囲まれ、苗栗県の中央駅からは40㎞も離れている。ここで彼らは、外部から邪魔されずに自然を満喫できる。そして、まさにそれこそが重要なのだ。何故なら、彼らは皆、裸でいるのだから。厳密に言えば、他の殆どのアジア諸国と同様、台湾では公の場で裸になることは法律で禁止されている。台湾はアジアの中でも最も進歩的な国として知られる。2016年には初の女性総統が誕生し、2019年には同性婚が合法化された。だがそれでも、ヌーディストの為のリゾートやビーチは存在しない(※尤も、脱衣での入浴を許可する温泉は存在する)。ナチュリズム(※ヌーディズムの別名)は欧米ではより一般的で、ドイツでは19世紀後半から“フライケルパークルトゥア(自由な身体文化)”という考え方が社会で受け入れられ、礼賛されてきた。イギリスやその他の国では、ヌーディストよりもナチュリストと呼ぶほうが好まれる。というのも、ナチュリストという呼び方は自然への愛をも含意するからだ。ナチュリスト団体としては世界最大規模の団体で、オーストリアに本部を置く『国際ナチュリスト連盟』によると、「ナチュリズムは性的なものではなく、寧ろ自然と調和した生き方であり、自己や他者、環境を尊重する心を育む目的で、集団で裸になることを特徴とするもの」だそうだ。

台湾では、ナチュリスト達は自らをティアンティ(※“天体”を意味する中国語)と呼び、〈自然に還れ〉という意味のLINEグループを作って活動している。このグループには現在、260人のメンバーがいるという。ナチュリズムが台湾に入ってきたのは、2000年代中頃から後半にかけてのことだ。SNSを通じてオンラインでネットワーク作りができるようになったことで、この文化が広まった。グループは毎月イベントを開催しており、その規模は場所を借りて数十人で行なうものから、10人以下の小さなパーティーまで様々だ。今のところ、メンバーは全員台湾人だという。グループのホスト役を務めるのは、50代のケヴェン・リャオ・ティアンウェイ。台湾南部の高雄市出身の、元自動車部品ディーラーだ。「元々リーダーだった人が諸事情でイベントをやらなくなったので、南部に住む友人達でパーティーをするようになり、結果的に自分がこういう活動をするようになったんです。台湾にナチュリズムが入ってきて20年になりますが、私は未だこれからも続くと思っています。私がイベントを主催しなくなっても、若い人達が後を継ぐでしょう」。彼らの中に暫くいると、誰も服を着ていないということを忘れてしまう。今回のB&Bの貸切イベントには、30~70代の男性20人と女性10人が参加した。上も下も丸出しだが、ゆったりソファーに腰掛けたり、キッチンで一緒に料理をしたり、カラオケをしたりしながら、皆、カジュアルに話をしている。勿論、ルールはある。同意なしにインターネット上でメンバーの写真を共有してはならない。若し共有する場合は、顔にモザイクをかける必要がある。グループ内でのポルノの共有は禁止されており、ルールを破った者はLINEグループから削除される。また、人前での性的な振る舞いは禁止されており、女性メンバーに対するハラスメントも許されない。こうしたイベントでは大抵、女性より男性のほうが多くなる為、ホスト役のリャオは女性が嫌な思いをせず、安全に感じられるよう、最大限の努力をしている。グループのメンバーは、最低でも2ヵ月に一度はパーティーに参加することを求められる。もぐりを排除する為だ。苗栗県でのイベントにいた女性メンバーの殆どは、夫と一緒に参加していた。参加者の過半数がカップルで、シングルの男性も数人いたが、女性の場合は殆どパートナーと一緒だった。私が初めてこのグループのイベントに参加したのは昨年、60代の女性であるジュリア・フー・ヨンエンが企画した、新北市烏来区の温泉旅館での集まりだった。フーはこの10年、リャオと共にグループの活動を仕切ってきた。彼女は新北市三芝区の人里離れたところにある農場で過ごすことも多い。メンバー達はそこに、自分達だけの非公式ヌーディストリゾートを造ったのだ。

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週末になると、彼らは鶏や野菜でいっぱいのこの農場に集まり、食事や日光浴をする。私が訪れた日はよく晴れていて、外で浴びるシャワーはとても気持ちよかった。私はそこで、農場を経営するトム・ヤン・ハイヤンと知り合った。彼はこの農場の元所有者で、昨年6月に亡くなった兄のリュウ・イーについて話してくれた。リュウは「台湾におけるナチュリズムの草分け的存在だった」という。「彼が亡くなってから、私達はこの場所を造る為に一生懸命動きました」。台北のプロダクトデザイナーで、50代のトニー・リュウ・チャオチュンは、自身の最初のヌーディズム体験をこう振り返る。「日本で日本語を勉強していた時に、温泉についての雑誌を買ったんです。体に悪いところがあり、温泉に浸かれば良くなると思って。初めて温泉に行った時、上司が『日本では温泉に入る時は服を脱がなければならない』と言ったんです。知らない人と一緒でしたが、その習慣を受け入れるようになりました」。台湾に帰国後、彼はSNS上で自分と同じ考えの人々を見つけた。それ以来、〈自然に還れ〉の活動に参加し続けている。他の多くの台湾人ヌーディストと同様、ヤンがヌーディズムを初めて体験したのは海外だった。「1992年にニューヨークに住んでいた頃、ニュージャージー州のヌーディストビーチを訪れたんです。2010年に台湾に戻ると、友人が高雄市でヌーディズムのイベントがあると教えてくれました。参加してみると、皆とてもフレンドリーで、昔からの友達みたいでした。まるでデジャヴです」。それでも、ナチュリストになるのにはリスクもある。高雄市のアーティストであるEE・ルアン・レンジュは、自分がナチュリストであることをオープンにしているが、それで苦労もしたという。

彼女は台湾メディアで何度も取り上げられたことがあり、複数のテレビ番組やその他のメディアで自分の体験を語ってきた。だが、彼女は言う。「殆どのナチュリストは、自分がナチュリストであることを他人には言いません。秘密にしておくんです。私はパフォーマンスアートをする時に裸になるので、ヌーディストであることをオープンにするのに抵抗はありませんでした」。65歳になる彼女は、2005年から〈自然に還れ〉で活動しているが、残念ながら、家族の中には彼女のことを認めない者もいる。「新聞やテレビでカミングアウトしましたが、理解してもらうのは中々難しいです。当時大学生だった息子には『彼女になんて言ったらいいの?』と言われました。私は『それは貴男の問題でしょ? 私には関係ないよ』と返しました」。彼女はいつも自分のやり方を貫いてきたという。「母は保守的な女性でした。汗水流して働いて、とても悲しそうでした。それが女性の運命だったんです。私は母のようにはなりたくありませんでした。自立したかったんです。自由が好きなんです」。だが、彼女は台湾のナチュリズムについて楽観的ではない。「ナチュリズムが今より認められるようになるとは思いません」。彼らに同行する中で、私はナチュリストの年齢層が高いことに気づいた。その多くは既に退職していて、若くても50過ぎだった。若者のほうが一般的によりオープンで進歩的なものだが、若い世代はナチュリズムにそれほど関心を持ってはいないようだ。しかし、例外もある。1980年代後半に生まれたアンヌ・チェン・ハオアンは、私が参加した直近のイベントでは一番若い参加者だった。話をした他の多くの参加者と同じく、彼女も最初のヌーディズム体験は海外だった。「2008年にベルリンに行きました。ナチュリストのイベントには参加しなかったのですが、彼らを見る機会がありました。それは彼らにとっては日常的なことで、服を着ないで日光浴したり、泳ぎに行ったりするんです。カルチャーショックでしたが、良いものだなと思いました」「ナチュリズムの基本理念は“ボディーポジティブ”で、これは女性にとってより重要なものです。何故なら、女性は自分の体に対してとても意識が高く、それはとても苦しいことなのです。女性が自分のことをもっとポジティブに見られればと思っています」。どんな体型の人でも、見た目に関係なく、ナチュリストのイベントに参加することができる。性的な興奮を求めてやってくる人はがっかりするだろう。だが、大事なのは性的魅力ではない。ボディーポジティブの核心にあるのは、社会規範に異議を唱え、どんな欠点があってもそれに関係なく相手を受け入れるという考えだ。だからこそ、ナチュリストはありのままの姿でいることにこれほど満足しているのだ。「私達は皆、キャラクターを演じています。服は社会における自分の武器みたいなものです。でも裸になれば、それを脱ぎ去ることができます。人の体は皆違って皆美しいと、私は思います」とチェンは言う。「皆が同じ体だったら退屈でしょう?」。 (取材・文/在台アメリカ人作家 レイ・ヘクト)


⦿サウスチャイナモーニングポスト電子版 2024年1月21日付掲載⦿

テーマ : 台湾
ジャンル : 海外情報

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George Clooney

Author:George Clooney

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