松山二日目の昼に「伊丹十三記念館」を訪問。路線バスの駅は近くにあるようだが、ホテルの前でタクシーに乗る。行く観光客も多いと見えて場所を告げると運転手はすぐに走り出す。15分くらいで到着。運転手は、「この辺りはあまりタクシーは流してませんから、お帰りの際は、あそこにバスの停留所がありますから」と指差して親切に教えてくれる。松山は明るく親切な人が多いな。
明るい風景の中、低層の落ち着いた建物。中に入ると受付の女性から丁寧な挨拶があり、常設展は撮影可能であること、特別展は写真はお断り願っていることなどを説明してくれる。館内は実に静かな雰囲気。
自動ドアが開くと、まず伊丹十三の写真がお出迎え。まるで伊丹十三の住居に招かれているよう。この写真は「伊丹十三の本」の表紙写真にもなっていたっけ。
常設展は、幼少期の記録から、デザイナー、イラストレーター、俳優、映画監督、エッセイストと綺羅びやかな才能で様々な世界で活躍をした伊丹十三の職業人としての軌跡と、音楽愛好家、乗り物マニア、料理通、猫好きなどの趣味人としての多様さを、芸名にちなんで「13」のエリアに分けて展示するもの。
「ヨーロッパ退屈日記」、「女たちよ!」に出て来たイラストやエピソードを思い出す数々の展示は、とても懐かしい場所に帰って来たかのような気分。
小学生の頃のまるで図鑑のような精密画を描いた観察日記。
この松山での高校時代の写真は上記の「伊丹十三の本」にも出て来たが、後ろから2列め、右から2番めの伊丹は、全員が詰め襟なのに一人だけ黒いシャツを着ているのがいかにもな印象。
パスタについて、「アル・デンテ」と言う言葉を最初に日本に紹介したのが伊丹十三かどうかについては確証は無いけれども、私が初めてその言葉と概念を知ったのは、伊丹十三の著作。早くから外国暮らしに慣れ、何事にも本格を愛好する人だった。
この蟹の殻割り器のイラストもエッセイに出て来た。
写真ではあまり良く分からないが、愛用の包丁には、極めて丹念に研ぎ込んだ跡が分かり、それがいかにも伊丹十三なのだった。
どんな疑問が生じても、答えは必ずこの本の中に見いだせた、とエッセイに書かれた愛用のバイオリン教則本。
文字のデザインを見ても、ああ伊丹十三だとはっきりと分かる個性。
残された挿絵を見ると本文まではっきりと思い出す。「目玉焼きの正しい食べ方」については私もまだ結論は出ていない。超一流の寿司屋でおむすびを作ってもらう「金のかかる話」については、私も随分寿司屋には金を使ったので、お願いすればできないでもないのではと思うが、さすがにちょっとなあ(笑)
展示室を出ると明るい光に満ちた美しくも静謐な中庭。そして明るい光の差し込む美しいカフェ。足を踏み入れると係員が、「どうぞ壁面にもイラストの展示がございますよ」と声を掛けてくれる。店の名前は「タンポポ」、イラストも映画「タンポポ」の出演者を描いたもの。
シャンパンを所望すると、店員が「オレンジジュースをお持ちしてミモザにもできますが?」と親切に聞いてくれる。これまた伊丹十三風味だなあ。 この飲み物の名前を知ったのは「ヨーロッパ退屈日記」だっけ。シャンパンにはビターなチョコが添えられている。チーズケーキも一緒に。展示品の余韻にふけって静かな時間を過ごした。
建物を出ると近くには、一六タルトの建物が。
車庫には伊丹十三が最後まで乗っていた愛車ベントレー。伊丹十三と親交があり、伊丹プロ社長も兼ねていた一六タルト社長の玉木泰は、伊丹十三が自死したとの知らせを聞いて松山から東京に駆けつけ、現場からこのベントレーを引き取り、泣きながら運転してもう主の居ない伊丹十三の自宅まで届けたのだと「伊丹十三の映画」に書かれている。実に痛ましい話である。
大街道方面に戻るために近くのバス停に。ここにも一六タルトの店舗あり。
記念館では、「新しい理髪師」の缶バッジと、「二日酔いの虫」、「スパゲティの正しい食べ方」のTシャツ購入。実によい場所であった。また来よう。
そしてお土産に一六タルト。
帰京してから、DVDボックスを引っ張り出して、「タンポポ」「マルサの女」「あげまん」と伊丹作品をずっと観ている。メイキングも。実に端正に良くできている。本棚にあった著作もあれこれ引っ張り出して、懐かしく拾い読み。
「ヨーロッパ退屈日記」の後書きで山口瞳は、「私は彼と一緒にいると「男性的で繊細でまともな人間がこの世に生きられるか」という痛ましい実験を見る気がする」と書いている。生涯を自ら終えた結末を考えると実に複雑な印象。その山口瞳もとうにこの世にない。
明るい風景の中、低層の落ち着いた建物。中に入ると受付の女性から丁寧な挨拶があり、常設展は撮影可能であること、特別展は写真はお断り願っていることなどを説明してくれる。館内は実に静かな雰囲気。
自動ドアが開くと、まず伊丹十三の写真がお出迎え。まるで伊丹十三の住居に招かれているよう。この写真は「伊丹十三の本」の表紙写真にもなっていたっけ。
常設展は、幼少期の記録から、デザイナー、イラストレーター、俳優、映画監督、エッセイストと綺羅びやかな才能で様々な世界で活躍をした伊丹十三の職業人としての軌跡と、音楽愛好家、乗り物マニア、料理通、猫好きなどの趣味人としての多様さを、芸名にちなんで「13」のエリアに分けて展示するもの。
「ヨーロッパ退屈日記」、「女たちよ!」に出て来たイラストやエピソードを思い出す数々の展示は、とても懐かしい場所に帰って来たかのような気分。
小学生の頃のまるで図鑑のような精密画を描いた観察日記。
この松山での高校時代の写真は上記の「伊丹十三の本」にも出て来たが、後ろから2列め、右から2番めの伊丹は、全員が詰め襟なのに一人だけ黒いシャツを着ているのがいかにもな印象。
パスタについて、「アル・デンテ」と言う言葉を最初に日本に紹介したのが伊丹十三かどうかについては確証は無いけれども、私が初めてその言葉と概念を知ったのは、伊丹十三の著作。早くから外国暮らしに慣れ、何事にも本格を愛好する人だった。
この蟹の殻割り器のイラストもエッセイに出て来た。
写真ではあまり良く分からないが、愛用の包丁には、極めて丹念に研ぎ込んだ跡が分かり、それがいかにも伊丹十三なのだった。
どんな疑問が生じても、答えは必ずこの本の中に見いだせた、とエッセイに書かれた愛用のバイオリン教則本。
文字のデザインを見ても、ああ伊丹十三だとはっきりと分かる個性。
残された挿絵を見ると本文まではっきりと思い出す。「目玉焼きの正しい食べ方」については私もまだ結論は出ていない。超一流の寿司屋でおむすびを作ってもらう「金のかかる話」については、私も随分寿司屋には金を使ったので、お願いすればできないでもないのではと思うが、さすがにちょっとなあ(笑)
展示室を出ると明るい光に満ちた美しくも静謐な中庭。そして明るい光の差し込む美しいカフェ。足を踏み入れると係員が、「どうぞ壁面にもイラストの展示がございますよ」と声を掛けてくれる。店の名前は「タンポポ」、イラストも映画「タンポポ」の出演者を描いたもの。
シャンパンを所望すると、店員が「オレンジジュースをお持ちしてミモザにもできますが?」と親切に聞いてくれる。これまた伊丹十三風味だなあ。 この飲み物の名前を知ったのは「ヨーロッパ退屈日記」だっけ。シャンパンにはビターなチョコが添えられている。チーズケーキも一緒に。展示品の余韻にふけって静かな時間を過ごした。
建物を出ると近くには、一六タルトの建物が。
車庫には伊丹十三が最後まで乗っていた愛車ベントレー。伊丹十三と親交があり、伊丹プロ社長も兼ねていた一六タルト社長の玉木泰は、伊丹十三が自死したとの知らせを聞いて松山から東京に駆けつけ、現場からこのベントレーを引き取り、泣きながら運転してもう主の居ない伊丹十三の自宅まで届けたのだと「伊丹十三の映画」に書かれている。実に痛ましい話である。
大街道方面に戻るために近くのバス停に。ここにも一六タルトの店舗あり。
記念館では、「新しい理髪師」の缶バッジと、「二日酔いの虫」、「スパゲティの正しい食べ方」のTシャツ購入。実によい場所であった。また来よう。
そしてお土産に一六タルト。
帰京してから、DVDボックスを引っ張り出して、「タンポポ」「マルサの女」「あげまん」と伊丹作品をずっと観ている。メイキングも。実に端正に良くできている。本棚にあった著作もあれこれ引っ張り出して、懐かしく拾い読み。
「ヨーロッパ退屈日記」の後書きで山口瞳は、「私は彼と一緒にいると「男性的で繊細でまともな人間がこの世に生きられるか」という痛ましい実験を見る気がする」と書いている。生涯を自ら終えた結末を考えると実に複雑な印象。その山口瞳もとうにこの世にない。
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