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- » 2025 . 01
Category : ネトウヨ批判
これは頭の悪い出羽守ではないのか?
「ドイツでは~」といっているが、外地との比較では、日本本土のほうが悪条件であることを、全く考慮に入れていない。
「心温まる日本の難民救出」だが、dragonerさん以下の理解はあまりにも表層的に過ぎる。中でも一番表層的な理解は、次の「ドイツでは~」だ。
戦争末期に、外地国民の内地帰還が出来なかったこと指して「ドイツと比較して日本は国民保護の観点に欠ける」とするのは、妥当ではない。dragonerさん以下は、その背後にあった条件を全て無視している。
昭和20年では、内地よりも外地の方が安全であった。この事実を無視して「ドイツでは」とするのは、相当に乱暴である。外地邦人の安全確保といった面で見れば、内地還送の利は薄い。具体的に整理すれば次の3つに集約される。
1 本土決戦の危険性:内地は本土決戦で戦場になるが危険性ある
2 食料の問題:内地は飢餓線上にあるため健康上の問題がある
3 海上輸送力の喪失:当時は船舶輸送力そのものを喪失しており、海上輸送でのリスクが高い
実際、当時は、政府も外地邦人も、これらの理由から外地残留が内地に還送よりも安全であり、有利と判断している。
・1 本土決戦の危険性
当時の日本が、表向きに本土決戦構想を維持していた点考慮していない点、Dragonerさん以下甘すぎる。当時は、外地よりも内地の方が危険であった。本土決戦では、全内地を戦場にする建前であり、民間人を義勇隊として防衛戦投入すら考慮されており、大量死傷も已むを得ないとされていた。対して、朝鮮、台湾、樺太、関東州等の外地や、大陸での日本占領区域は保持出来る見込みをもった比較的安全な後方地域であり、本土決戦以降に戦争継続をする上での策源地になると考えられていた。外地に居る民間人保護の方策として、昭和20年7月までの段階で、内地還送をしなかった点を非難することは妥当ではない。
・2 食糧の問題
内地での食料問題を考慮していない点も甘すぎる。日華事変から内地の食糧事情はすでに厳しくなっている。さらに昭和20年度以降は、内地の食糧事情は更に悪化している。昭和20年度は、配給でも、最低限と考えられた穀物換算2合6勺も達成でない状況にあった。昭和20年度当時には、農業生産も食料品物流も麻痺している。本土決戦準備で農民含めて根こそぎ動員され、肥料生産も火薬製造にほぼ吸い取られ、少量できた肥料も飛行場整備に取られている。物流はもっと悲惨で、生産段階から末端まで全て麻痺している。トラックや馬の不足による小口輸送や、基幹となる船舶輸送の破綻、限界を超えた鉄道輸送といった問題があった。むしろ外地の食糧事情は戦時下でも良好であった。朝鮮、台湾、樺太、関東州と、いずれの地域でも食料や、石炭等の生活必需品入手は内地よりも格段に有利であった。食糧事情でも有利な外地に残すことが、在外邦人保護としては好ましい状態であった。
・3 海上輸送力の喪失
そして、昭和20年には、外地邦人を内地に送る手段がほぼ途絶している。この時期には、まともな外洋船舶はない。昭和19年には船団に汚穢船まで組み込む状況である。太平洋沿岸域に艦載機による空襲を受け、機雷による航行不能船舶も頻発した昭和20年には動かす船がない。仮に動かせる船があっても、沖縄方面以南への航路は途絶している。東シナ海や関釜航路、日本海航路も、内地側港湾は悉く機雷で封鎖されている。そもそも、瀬戸内海に残った船舶も、関門や大阪湾機雷封鎖により動けない状況にあった。仮に船腹に都合をつけてたとしても、潜水艦や機雷、航空攻撃にさらされる海上輸送を行うことは、在外邦人保護の面から妥当な判断ではない。
dragonerさん以下による「ドイツでは~」とする批判は、これらの点を検討しない表層的な理解である。外地在留邦人の問題について、満州の事例をクローズアップして内地送還を行わかなったことを批判している。だが、7月までの判断としては、北満地域(2月には民間人引き上げを計画していたが、実施しなかった)はともかくとして、全般的な判断としては外地残留が妥当である。また、8月、ソ連参戦以降には、やろうとしても輸送力がなかったという問題に行き当たる。満州以外でみれば、戦後まで外地に残った方が正解である地域も多い。終戦後も、台湾や朝鮮、樺太、上海では残留が有利と考える日本人は多く存在している。特に在台日本人は、食糧事情がよく、治安も良いために民国軍が上陸してきても、なお将来的に台湾に居住するつもりであった。
別に、樺太や張家口からの民間人救出事例を無視している点でも、dragonerさん以下による「ドイツでは~」は批判として表層的である。樺太やではソ連参戦以降、北海道への疎開が始まり、終戦後にも継続した事実がある。張家口でも駐蒙軍は終戦後なおソ連と戦闘を続け、在留邦人を国府支配地域に逃している。それを無視して「ドイツではソ連占領区域から助けたが、日本はそれをしなかった」とするのは、乱暴な結論だろう。
ただ、この話で一番興味深い点は、dragonerさんがする言動の盾である。dragonerさんは、平時において一般国民への惻隠の情もないのに、国家が戦時に一般国民を守ることを力説している点は指摘するべきだろう。dragonerさんは、今、起きてもいない「戦時日本の国民保護問題」に「ブチ切れ」ている。
「ドイツでは~」といっているが、外地との比較では、日本本土のほうが悪条件であることを、全く考慮に入れていない。
「心温まる日本の難民救出」だが、dragonerさん以下の理解はあまりにも表層的に過ぎる。中でも一番表層的な理解は、次の「ドイツでは~」だ。
内田弘樹@uchidahiroki
ドイツ海軍のように「バルト海沿岸から難民を必死で脱出させました!」みたいな「誰にも否定しがたい正義」(いやまぁこれもネオナチの錦の御旗になっちゃったりいろいろアレなんですが)を掲げられなかった軍隊というのは、直視するのは辛いモノです。
https://twitter.com/uchidahiroki/status/391579288199114752
dragoner@dragoner_JP
ドイツよりも遥かに広い地域に同胞バラ撒いておいて、あれですもの…… RT @uchidahiroki @dragoner_JP 戦時中のドイツ海軍みたいに「難民を脱出させるために頑張りました!」というエピソードさえまともにないあたり嫌ですよね。
https://twitter.com/dragoner_JP/status/391579312253456385
戦争末期に、外地国民の内地帰還が出来なかったこと指して「ドイツと比較して日本は国民保護の観点に欠ける」とするのは、妥当ではない。dragonerさん以下は、その背後にあった条件を全て無視している。
昭和20年では、内地よりも外地の方が安全であった。この事実を無視して「ドイツでは」とするのは、相当に乱暴である。外地邦人の安全確保といった面で見れば、内地還送の利は薄い。具体的に整理すれば次の3つに集約される。
1 本土決戦の危険性:内地は本土決戦で戦場になるが危険性ある
2 食料の問題:内地は飢餓線上にあるため健康上の問題がある
3 海上輸送力の喪失:当時は船舶輸送力そのものを喪失しており、海上輸送でのリスクが高い
実際、当時は、政府も外地邦人も、これらの理由から外地残留が内地に還送よりも安全であり、有利と判断している。
・1 本土決戦の危険性
当時の日本が、表向きに本土決戦構想を維持していた点考慮していない点、Dragonerさん以下甘すぎる。当時は、外地よりも内地の方が危険であった。本土決戦では、全内地を戦場にする建前であり、民間人を義勇隊として防衛戦投入すら考慮されており、大量死傷も已むを得ないとされていた。対して、朝鮮、台湾、樺太、関東州等の外地や、大陸での日本占領区域は保持出来る見込みをもった比較的安全な後方地域であり、本土決戦以降に戦争継続をする上での策源地になると考えられていた。外地に居る民間人保護の方策として、昭和20年7月までの段階で、内地還送をしなかった点を非難することは妥当ではない。
・2 食糧の問題
内地での食料問題を考慮していない点も甘すぎる。日華事変から内地の食糧事情はすでに厳しくなっている。さらに昭和20年度以降は、内地の食糧事情は更に悪化している。昭和20年度は、配給でも、最低限と考えられた穀物換算2合6勺も達成でない状況にあった。昭和20年度当時には、農業生産も食料品物流も麻痺している。本土決戦準備で農民含めて根こそぎ動員され、肥料生産も火薬製造にほぼ吸い取られ、少量できた肥料も飛行場整備に取られている。物流はもっと悲惨で、生産段階から末端まで全て麻痺している。トラックや馬の不足による小口輸送や、基幹となる船舶輸送の破綻、限界を超えた鉄道輸送といった問題があった。むしろ外地の食糧事情は戦時下でも良好であった。朝鮮、台湾、樺太、関東州と、いずれの地域でも食料や、石炭等の生活必需品入手は内地よりも格段に有利であった。食糧事情でも有利な外地に残すことが、在外邦人保護としては好ましい状態であった。
・3 海上輸送力の喪失
そして、昭和20年には、外地邦人を内地に送る手段がほぼ途絶している。この時期には、まともな外洋船舶はない。昭和19年には船団に汚穢船まで組み込む状況である。太平洋沿岸域に艦載機による空襲を受け、機雷による航行不能船舶も頻発した昭和20年には動かす船がない。仮に動かせる船があっても、沖縄方面以南への航路は途絶している。東シナ海や関釜航路、日本海航路も、内地側港湾は悉く機雷で封鎖されている。そもそも、瀬戸内海に残った船舶も、関門や大阪湾機雷封鎖により動けない状況にあった。仮に船腹に都合をつけてたとしても、潜水艦や機雷、航空攻撃にさらされる海上輸送を行うことは、在外邦人保護の面から妥当な判断ではない。
dragonerさん以下による「ドイツでは~」とする批判は、これらの点を検討しない表層的な理解である。外地在留邦人の問題について、満州の事例をクローズアップして内地送還を行わかなったことを批判している。だが、7月までの判断としては、北満地域(2月には民間人引き上げを計画していたが、実施しなかった)はともかくとして、全般的な判断としては外地残留が妥当である。また、8月、ソ連参戦以降には、やろうとしても輸送力がなかったという問題に行き当たる。満州以外でみれば、戦後まで外地に残った方が正解である地域も多い。終戦後も、台湾や朝鮮、樺太、上海では残留が有利と考える日本人は多く存在している。特に在台日本人は、食糧事情がよく、治安も良いために民国軍が上陸してきても、なお将来的に台湾に居住するつもりであった。
別に、樺太や張家口からの民間人救出事例を無視している点でも、dragonerさん以下による「ドイツでは~」は批判として表層的である。樺太やではソ連参戦以降、北海道への疎開が始まり、終戦後にも継続した事実がある。張家口でも駐蒙軍は終戦後なおソ連と戦闘を続け、在留邦人を国府支配地域に逃している。それを無視して「ドイツではソ連占領区域から助けたが、日本はそれをしなかった」とするのは、乱暴な結論だろう。
ただ、この話で一番興味深い点は、dragonerさんがする言動の盾である。dragonerさんは、平時において一般国民への惻隠の情もないのに、国家が戦時に一般国民を守ることを力説している点は指摘するべきだろう。dragonerさんは、今、起きてもいない「戦時日本の国民保護問題」に「ブチ切れ」ている。
dragoner@dragoner_JPだが、実際に起きた原発事故で故郷を追われた人々には、国家のために「産業の空洞化はさけるべき」だ「だから原発、必要」だとも言い放っている。
昨日、私がブチ切れたのは、戦時日本の国民保護問題を僅かな例外から肯定する人間は、未来の日本人を殺す存在になるという確信があるからです
https://twitter.com/dragoner_JP/status/391903541654077440
dragoner@dragoner_JP軍事に絡むことでは国民の安全、感情を主張し、原子力では現実に安全と安寧を奪われた被害者に「わりかし言えます」という。dragonerさんの矛盾は、非常に興味ふかいものである。
わりかし言えます RT @noiehoie: 耐え難きを耐え忍び難きを忍んで故郷を追われた人々や、生まれ来る子供の健康を心配する妊婦や、死と隣り合わせの労働を強いられる原発労働者に、「いやー、産業の空洞化はさけるべきでしょ?だから原発、必要でしょ?」とか、お前ら言えるのか?
https://twitter.com/dragoner_JP/status/89690064224911360
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12:49
きらきら星
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そう言えば本土決戦といっても別に全国民が死ぬ訳じゃないとか、
米軍の上陸地点は関東と南九州だけだから戦場は限定されるとかツイッターで言った人がいるらしいですね。
確かに本土決戦でも全国民が死ぬわけじゃない。
沖縄戦でも県民の「せいぜい4分の1」が犠牲になっただけですからね。
本土人口が当時確か9000万人でしたから、「せいぜい4分の1」が犠牲になるとしても2200万人程度で済みますね。
まだ日本人が6800万人も残るんだから楽勝ですね。成人男性全滅してそうだけど。
米軍の上陸地点は関東と南九州だけだけど、そこを足掛かりに内陸部に侵攻するわけだから
日本が降伏しなかったら日本全土が戦場になりますね。
まあ、上陸を阻止出来なかった時点で即時降伏すれば大した被害は出ないから楽勝ですね。
軍部と政府がそのことをキチンと認識して話を擦り合わせ、
上陸阻止失敗の時点で降伏を申し出る準備を整えてそのことを全軍に周知徹底しておけば済む話です。
はい、簡単ですね。
16:09
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小学生レベルの知識でも
19:27
おひさま
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4月5日 ソ連、日ソ中立条約の延長拒否を通達
4月7日 戦艦大和沈没
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連、日本に対し宣戦布告
8月9日 長崎に原爆投下
これじゃ、どう考えても本土に帰るなんて無理でしょ。
何を考えてそういう発言になったのかは真意を図り兼ねますが、この手の趣味の方は、誰でもわかる基本的な事実をぶっ飛ばす癖があります。
どうしてなんですかね?
No title
19:41
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00:58
こると
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だからこそその状況で本国に避難させたことが称賛されているのでは?
実際日本の上層部の末期の戦争指導では国民の保護は二の次で軍としては無策の誹りを受けても仕方ないのでは?
03:58
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本当にネトウヨですよ
避難ではなくて
12:58
おひさま
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というのは、1945年4月16日にはベルリン攻防戦が始まるんですね。この状況で、4月に「救出」というのは、まず無理。体良くお国の大事に「動員」されたとしか思えないんですよ。
敵の的になるような土地でなければ、そこに留まった方が安全かも知れないです。
13:40
通りすがり
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いや、無理でしょ
条件からして違いすぎる
まず、日本海及び関門海峡における飢餓作戦の結果として日本の海上輸送は壊滅的打撃を受けているし、アメリカの潜水艦も日本近海を封鎖するために展開している
脱出船団がろくに掃海もできていない海域をつっきらなくてはならないので、満州に取り残されるでは済まず、海の藻屑となる可能性が高い
実現性は低いでしょう
この時点でバルト海とは状況は異なる
更にもう一つ、ドイツ海軍が1月から終戦までの数ヶ月に渡ってピストン輸送をすることが可能だったのに対してソ連対日参戦から日本軍全体に対する停戦、武装解除の命令が下るまで2週間もかからなかったので、仮に機雷や敵戦力の攻撃を無視しても物理的に多数の邦人を運ぶことはできないでしょう
全員運ぶとなれば海軍全体がポツダム宣言の武装解除命令を数ヶ月に渡って無視しなくてはならない
No title
19:22
通貨
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いや、違うでしょ
バルト海ではアメリカの潜水艦が大規模な通商破壊作戦を実行していなかったし、飢餓作戦のような大規模な機雷による封鎖作戦が実行されたという話は全く聞きません
飢餓作戦によって日本の各港、関門海峡や対馬海峡などには大量の機雷がばらまかれており、これを十分に掃海することはできておらず、これをそのまま脱出船団が突破しようとすれば満州どころか海の底に取り残されかねないでしょう
また、ドイツ海軍には1945年1月から5月までの約4か月の期間が存在しましたが、旧日本軍には1945年8月9日のソ連対日参戦から1945年8月15日ごろの停戦、武装解除まで現地に情報が届くまでの時間を考えても一週間前後しか時間はありません
実行するだけの期間はありませんし、期間を延ばすのにしても海軍部隊のの大量動員はポツダム宣言の条件を破ったとみなされかねません
No title
19:26
サンコン
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独海軍の行動は賞賛されるものかもしれませんが、それを材料として旧軍を批判できるものではありません