『
2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (2) 』の続きです。
フランスという、日本では十分に知られているとはいえない国の政治の一断面であるこの演説を私が紹介するのは、フランスの政治の現場を垣間見ていただきたいと思うからですが、それと同時に、この演説からは、日本の政治に欠けているもの、日本の政治家に足りないもの、日本の有権者が知らないことが見えてくると思うからです。
そして、何よりも、私自身が、この演説を聞いて、(脱原発についての中途半端な目標設定などいくつかの点を除いては)たいへんに感動を覚えたからです。いくつかの箇所では感動の涙を誘われたところもありました。
前回の『
2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (2) 』では、フランス共和国を治めるとはどういうことなのかを小分けにして聴衆に一つ一つの項目を印象付けようとしたようなイントロでしたが、今回は、フランソワ・オランド氏が政治家を志した背景や彼自身の経歴について語ります。
演説の全編はこちらから見ることができます。
●Vidéo Dailymotion ■Discours de François Hollande au Bourget 1e partie 2012年1月22日 ル・ブールジェでのフランソワ・オランドの演説 第一部http://www.dailymotion.com/video/xnwrm4_discours-de-francois-hollande-au-bourget-1e-partie_news ■Discours de François Hollande au Bourget 2e partie 2012年1月22日 ル・ブールジェでのフランソワ・オランドの演説 第二部http://www.dailymotion.com/video/xnwrru_discours-de-francois-hollande-au-bourget-2e-partie_news
今回は、第一部の最初の約15分ちょっとのところから32分ちょっとのところまでに当たる部分を、私の訳でよろしければ読んでいただこうと思います。
■フランソワ・オランド 2012年1月22日 演説 (パリ北方)ル・ブールジェにて 共和国を治めるということは、この職務のために私自らを準備してきたということです。私は大統領職の大きさと困難さを知っています。私は私自身をみなさんの良心に値するものにします。そして、同時に私自身に忠実でいつづけます。私の人生のすべては、私をこの時のために準備してきました。私の約束、私の責任、私の成功、私の試練、私はいつも私が自らに定めた道を歩んできました。 私は社会主義者です。私の左派としての思想は、遺産として受け継いだものではありません。明晰な意識で、左派の道に進もうと自ら決める必要があったのです。私はノルマンディ地方のむしろ保守的な家庭で育ちました。しかし、私の家族は教育を通じて、私に選ぶ自由を与えてくれました。私はそのことについて両親に感謝しています。私とは反対の思想を持っている父には、私のこの確信を強めることを援助してくれたことに感謝しています。度量の大きい魂を持った母には、最も素晴らしいこと、つまり人の役に立ちたいという大志を私に伝えてくれたことに感謝しています。左派でいることを私は自分自身で選び、愛し、フランソワ・ミッテランと勝ち取った勝利の中で夢見てきました。1981年の(社会党政権の)成果において、1988年の(社会党政権の)成果において、左派を私は毅然と擁護してきました。共和国国会議員として、私は左派に仕えてきました。リオネル・ジョスパンとともに左派を治めてきたことも私の名誉です。私はそれらをさらに前進させることを求めます。 今日、私がみなさんを代表した大統領選候補です。私がみなさんの希望をかかげます。私が勝つ務めを引き受けます。私がこの闘いでみなさんを勝利に導きます。みなさんがあまりに長く待った勝利、10年も待った勝利にみなさんを導きます。もう10年もたつのです。それから右派が政権について、私たちが築いてきたものを解体してしまったのです。 親愛なるみなさん。もう少し言わせてください。 私はフランス田園地方の議員です。農民がその労働の素晴らしさを体現しているもののそれに値する対価を得ていない、そういう地方です。私はそのリムーザン地方の、コレーズ県の者として、多くのことを学びました。私は(コレーズ県県庁所在地)テュルの市長でした。人口はやっと17000人の小さな町ですが、歴史の中では大きな地位のある町です。テュルは対ナチスドイツ抵抗運動(レジスタンス)の町でした。テュルは殉死の苦難を経験しました。ナチスの暴虐によって、1944年6月9日、99名が絞首刑にされ、200名が強制収容所送りにされたのです。毎年、この6月9日には、苦難に殉じた人々のことを思い出すために、私の町の街角という街角を祭儀の行列が練り歩き、花飾りが建物のバルコニーを彩っていました。そこは、命のなくなった死体がゆっくりと揺れていた場所だったのです。私の頭の中にはその苦難に殉じた人々の名前があります。彼らは私のヒーローです。私は彼らのことを決して忘れません。彼らは私を前進させます。あらゆる瞬間に彼らは、私たちの自由のために自分たちの命を捧げた彼らの貴重な人道の教訓を私に思い出させるのです。これらのレジスタンス運動の活動家たちが名声を得ることはありませんでした。レジスタンス活動家には報酬もありませんでした。勲章もありませんでした。彼らは何も求めていませんでした。彼らは自分たちの行動に対して、特別配当も、ストックオプションも求めなかったのです。彼ら、彼女らは誇りある人間でした。彼ら彼女らを動かしていたのは大志でした。そして、それが私たちの名誉を救ったのです。なぜなら、彼ら彼女らは何よりもまずフランスの価値を信じていたからです。そうです。彼らの闘いこそが今日私の進む道を照らしています。 私はコレーズ県議会の議長です。政治家を輩出したことで知られる地方です。しかし、要求水準の高い地方です。支持を獲得した者は少なくとも心情的価値は獲得したことになります。たとえ、いつもその者が正しいとは限らなくてもです。私には何も与えられていませんでした。私がもぎとったものは私自身で勝ち取って、結実させたのです。 私は大統領選への立候補を約1年前に宣言しました。私は市民参加の予備選で有権者を説得することに成功しました。しかし、私の成功を予測していた人は最初ほとんどいませんでした。私はこの予備選結果発表の翌日、予備選立候補者全員を集結させるようにしました。そして、私は彼らに心を込めて挨拶をおくります。 マルティーヌ・オブリには、私たちをみな、今日ここに集合させてくれたことに感謝します。 ジャン=ミシェル・バイレにも、急進左翼党を私たちのもとに集結させてくれたことに感謝します。 親愛なるみなさん。今日私がここに到達したのは、この粘り強い行動の成果です。偶然の結果ではなく、(意思による)達成なのです。 みなさんは私のことをご存知です。何人かの方々はずっと前から、30年も前から私を知っています。それは、ある方々にとって忠実さや強靭さを示す時間でもありました。 確かに、私は自分を露出はしません。私は私自身であり続けます。それが私の力です。今ここで皆さんが見ている私が、本当の私自身なのです。 私は権力を勝ち取りたいのです。しかし、私は野望家ではありません。私は権力に、フランス国民に奉仕する役割を与えたいのです。私は、権力の必要性も、権力の有用性も、権力の方向喪失の実例も知っています。私はこれらのことに関しては、落ち着いた人間です。私は社会的行動を私の人生のすべてにしてきました。私は多くのことを犠牲にしてきました。私は与え、受けてきました。時間、仕事、衝撃を。しかし、私には一貫性があり、それを保ち続けています。私は自分の選択をするにあたって常に不変です。私には、私自身であり続けるために絶え間なく変わり続ける必要がありません。 私は、国家が効果的であるためには、特にそのトップにある者が確かな方向性を持っていることが必要だということを意識しています。しかし、国家のトップにある者がそれ以外の者たちを結集させることができなければ、知性を動員することができなければ、私たち一人一人の中の精髄を動かせなければ、集結の声、和解の声、鎮静の声を聞かせることができなければ、成功はありえないのです。私は名誉、儀典、豪華な宮殿が嫌いです。私が求めるのはシンプルさです。慎みではなく、本物の権威の印です。 ひょっとしたらみなさんがずっと前から気づいているかもしれませんが、私が長い間隠してきた私の秘密を告白いたします。カネに魅了されている人々がいるのに対して、私は人々が好きなのです。私は一人一人のまなざしの中に期待を読み取ります。私は一人一人の顔の中に興味津々の気持ちを読み取ります。一回一回の握手を一つの出会いと感じます。一つ一つの微笑みを一つの幸運と感じます。 私は国家を知っています。私はそこの出身なのですし、いろいろな方法で私は国家のために働いてきたのですから。私が一度も大臣をやったことがないと非難する人たちもいます。しかし、現在大臣である人たちを見ると、私は安心するのです。(1981年)当時、同じ者たちが、フランソワ・ミッテランに対して11回も大臣だったと批判していたのです。その比較ついでに言うと、(1841年生まれ、1929年没の共和派の政治家)ジョルジュ・クレマンソーが65歳にしてやっと大臣、議会議長になったことを思い出していただく必要があるでしょうか?しかし、私はそこまで待つつもりはありません。お約束いたします。 また、私は、歴史とは悲しいこともあるものだということを知っています。何も事前に獲得されてはいないということも。逆行しない、変化することがない、攻撃されることはないと信じていることも、いかなるときにも心の中で打ち砕かれるということも。経済危機、狂信、テロリズム。もちろん、自然災害もあります。私たちには平穏はないのです。人類の歴史も平穏ではありえません。人類は説明できないような不毛の時期も経験しています。また、時には、考えられないような不意打ちも。 国家指導者はあらゆること、つまり最悪の事態に対して準備ができていなければなりません。そして、常に用心深くなければならないのです。進歩のために、人類の尊厳のために、民主主義のために、倦まずたゆまず闘い続けなければならないのです。感情的な動きや流行や歴史の歪みに流されてはならないのです。針路を保たなければならないのです。私は意志的な楽観主義者です。私は、人民が一つの計画のもとに結集して自らの歴史を作り上げてゆくという最良のことは可能であると信じています。私は、今フランス人は確かな方向性、根本的なことに基づいた結集を期待していると確信しています。そして、特に、フランス人を導くことになる者に対して、思慮、鎮静、敬意、信頼を期待していると確信しているのです。 信頼とは、法や規則の中に出てくる言葉ではありませんし、値段もありません。しかし、多くのものをもたらすのです。信頼は多くのことを引き起こします。信頼はそれ自体では何も解決しません。しかし、信頼をつかむことができれば、信頼はすべてのことに許可を与えるのです。ですから、私はフランス人に再び信頼を与えたいのです。 二つの重要な日付が私の政治生活に残っています。 激しかった一つの日付が、(大統領選第一回投票で、社会党候補リオネル・ジョスパンが極右政党国民戦線のジャン=マリー・ルペン候補に得票がわずかに及ばず、第三位で早々と敗退した)2002年4月21日です。この時の傷はまだ私に残っています。警戒が足りずに、脅威を前にして意識の明晰さも足りずに、左派の分散を招き、左派が排除されて、右派が10年も政権につくことを許したのは恐ろしいことでした。私はそこからあらゆる教訓を引き出しました。 私は、対立勢力のいいようにはさせません。 私は、労働者たちの利益を守るために何もしなかった政治勢力に当の労働者たちが仕方なく投票しなければならない事態にはさせません。 私は、ある政党が、決して信頼できる解決法を提案できないのに、問題を単純化して歪めるようにはさせません。 私は、ある政治勢力が、実際は人々を利用しているだけなのに、人々の代弁者であるかのように登場するままにはさせません。 私は、フランスの名において、私たちの敵はここにいて、その敵は色や宗教を持っていると友人である市民たちに信じさせて分裂するようにはさせません。なぜなら、それは、私たちの共和国の原則それ自体に反することになるからです。 私は、いかなる政治勢力にも、怒りや窮乏を利用して、フランス共和国や欧州連合や人権そのものに問題があると主張するままにはさせません。 私は、いかなる政治勢力にも、死刑の復活を主張するままにはさせません。 私は、このリスクを避けるために、この大統領選挙に欠けるものが出ないように、最後の最後まで闘います。なぜなら、結局、私たちの市民の大部分が望んでいるのは、左派と右派の間の選択、つまり、この国に関する真の決定を下すうえで最もはっきりしたこの選択肢だからです。 私の記憶に刻まれているもう一つの日付は、もっと幸福に満ちたものでした。それは、(社会党のフランソワ・ミッテランが大統領に当選し、右派から左派へと政権交代がなった)1981年5月10日です。私は26歳でした。私には、何十年も待っていた人々が何を求めていたかがわかっていました。やっと来た政権交代。勝利の幸福。左派には他の成功もありました。(ミッテランの再選された)1988年、(国民議会にすでに多数派を持っていた保守のジャック・シラク大統領が新たな多数派を求めて国民議会を解散したところよもやの敗北を喫して、右派大統領のもとで左派のリオネル・ジョスパン内閣が成立した)1997年も左派の成功でしたが、1981年の成功と同じ影響力は持つことができませんでした。しかし、私はノスタルジーに浸りたいわけではありません。左派の叙事詩は輝かしい時代にだけ限られてはならないからです。(人民戦線内閣という左派連合政権が成立した)1936年、(ミッテラン政権が成立した)1981年だけではなく、私は、左派を長期的に定着させたいのです。私が候補者になったのは、その糸を結び直し、左派の歩みを続け、左派とフランスを調和させるためなのです。ここにいるみなさん、遠くにいるみなさん、私は5月6日、みなさんの幸福、喜びを見たいのです。私は勝利の喜び、勇気の歓喜、そして同時に自由の横溢(おういつ)を見たいのです。私はみなさんとともに、フランスを治める権利を勝ち取りたいのです。 私は私たちの国をよく知っております。私はこの国を回り、何度も隅々までめぐりましたが、いまだに飽きることなく、新たな発見をしております。私はフランスの町々が変わる姿、創造する姿、起業する姿、この国の農民の辛抱強い労働で手入れされている農地、漁民の漁場、給与労働者の知性が技術者の能力と合わさった工業生産の場を見てまいりました。一方、静寂が支配し、生活が退いた村々について知らないわけではありません。才能や成功への意欲があるにもかかわらず、怒りと絶望が混ざり合った島流しのような街々について知らないわけではありません。このようなフランスに私はみなさんとともに仕えたいと思っています。
(翻訳転載ここまで)
ここで私の気に入ったところをいくつか抜き出すなら、次のところでしょうか。全部じゃありませんけど。
『私は社会主義者です。私の左派としての思想は、遺産として受け継いだものではありません。明晰な意識で、左派の道に進もうと自ら決める必要があったのです。』
「中道」に自らを位置づけたがることの多い日本のある種の政治家の態度に比べて、意思の力や決意や信条の強さを感じました。
『彼らは自分たちの行動に対して、特別配当も、ストックオプションも求めなかったのです。』
オランド氏の故郷テュルのレジスタンスの闘士に敬意を表した後に出てきたこの一文は特に巧みです。「わが身を犠牲にした暴政への抵抗者たちは報酬を求めてそういう行動をとったのではない」という文字通りの意味のほかに、「行動」とか物理学の「作用」とかを意味する「action」という言葉に「株式」という意味もあることを使って、この演説の後半に金融政策について触れるための伏線にしているのです。この一文を言った時のオランド氏にちょっと得意げな表情が浮かんでいるように見えるのは私の気のせいではないと思います。この一文の言語遊戯の中に、フランス語の精髄を感じるのです。これをオヤヂギャグといってはいけないのです。
『カネに魅了されている人々がいるのに対して、私は人々が好きなのです。』
これって、うちのサイバー政治団体(笑)「
世界愛人主義同盟 」のスローガンのパクリ...なわけはありません(笑)が、フランス語ではbling-blingという擬声語で表現されるチャラチャラした成金趣味のイメージがある新自由主義者サルコジー現職大統領を、名前を出さずに批判したなかなかうまい一文だと思います。確かに、オランド氏の経歴には華美なところが少なそうですから。
そして、1936年の人民戦線内閣にまでさかのぼる部分は、国の歴史は政治が作っているという責任感をオランド氏が意識していることをうかがわせます。それと同時に、国の成果と進歩を一つ一つ思い返して自分がさらに前進させようとする意思を感じます。単に目の前の政策課題がどうでそれをどう解決するかとかいうだけにとどまらない歴史観や社会観や人生観を重要な演説の中で示すことができないと政治家として尊敬されることはないのだということをわからせてくれる演説の構成だと思いました。
プラス、ユーモアもですね。先ほどの『彼らは自分たちの行動に対して、特別配当も、ストックオプションも求めなかったのです。』というところだけではなくて、『私が一度も大臣をやったことがないと非難する人たちもいます。しかし、現在大臣である人たちを見ると、私は安心するのです。』というところも、軽妙なユーモアがあります。
こうしてこの演説を聞いて、政治家の演説とは本来これだけの感動があるもののはずだということを初めて発見した私でした。すぐれた大河ドラマやコンサートのように、とても印象的な部分、感動を覚える部分はまだ先にもいくつもあります。
次回にさらに続きます。 全文を通して読みたい方は、『
フランス大統領選 : 社会党フランソワ・オランド候補、2012年1月22日の選挙戦開始演説全文訳 』をどうぞ。
これは、「
2012年フランス大統領選 」の記事の一つです。
築地市場の豊洲移転に反対 して食の安全を守りたい。●Like a rolling bean (new) 出来事録 ■2012-01-25 【今日締切→2月10日まで延期です】署名を!「築地市場移転予定地の取得に関する監査請求」http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11145494564.html ■2012-01-10 署名と送付をお願いします!「築地市場移転予定地の取得に関する監査請求」 http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11131637999.html
↑『がけっぷち社長 』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政 」から。
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これは民主主義の勝利その閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。そもそも原発は多くの欧米列強は脱炭素を悪用し原発を推進しようとしています。
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「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
新書は「石しアンドリュー・バルトフェルド1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。12月13日は聖ルチアの記念日でもある。イタリアの歌謡でサンタ・ルチアとして歌われるシラクサのルチアの記念日は、西欧では12月13日とされています。ルチアは生涯を神に仕えることを決意し、自分の財産を貧しいTakeshi1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。2024年12月13日は南京大虐殺から87年2024年12月13日は、南京大虐殺から87年を迎えます。日本人学校の生徒が殺害される事件が起こり、かなり緊張感が高まっているようです。今の中国では大学を卒業しても希望しTakeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)カーチス・ルメイカーチス・ルメイは東京大空襲の指揮者。東京大空襲では死者10万人以上,被災者100万人以上を出しました。あまりの非道さに「鬼畜ルメイ」とあだなされました。ところが196Takeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)国家無答責,受忍限度論,統治行為論 国家無答責論は明治憲法下での大原則でした。戦後国家賠償法が施行されましたが,政府及び司法にはまだこの考えが残っているように思います。
大阪空港騒音公害訴訟上Takeshi婚外女性を玉木の輿に乗せて、自分に都合が悪くなったら切り捨てた #玉木雄一郎に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する #国民民主党に騙されるな橋下徹のずれた発言橋下徹が小泉みゆき嬢を国民生活党で職員として雇うことを提案したそうです。いくら不倫を擁護するにせよ、橋下徹の発言はやはりずれています。Takeshi玉を衒いて維新を売る立憲民主党の誤り @edanoyukio0531 @izmkenta @okada_katsuya @nagatsumaakira @tsujimotokiyomi @OogushiHiroshi @junyaog @kikuta_official @s_mizuoka @shigetoku2 @hirofumi_ryu @sokuno2 @masayo_tanabu @saito_yoshitakaNo title 野田代表の政治センスの無さは相変わらずのようです。一応リベラルな政党という事になっている立憲民主党がバリバリ保守の維新の会と組めば政党の理念が死んでしまいますクテシフォン新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo titleさらに「リンゴ病」も流行っているそうですね。
本当に油断できません。
以前購入したN95マスクとゴーグル、一度、最寄りの政令指定都市に行ったときに使ったきりですが、津木野宇佐儀新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo title「コロナはまだ終わってない」と吐き捨てたくなるときがあります。
それに「インフルエンザ」と「マイコプラズマ肺炎」が終息するどころか「これからじゃないか」と間違いアンドリュー・バルトフェルド