2016年5月13日(金)
昨日80歳で亡くなられた蜷川幸雄さんについて、 <当ブログでのレビュー記事> と 蜷川さんと懇意にしていた人々のニュース記事の リンクを御紹介します。
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<当ブログでのレビュー記事>
今、読み直してみると、尊敬する蜷川さんの演劇レビューではあるが、 一部を除いて結構辛口批評となっている。
コリオレイナス CORIO LANUS の演出 (3回連載) 観劇レビュー&旅行記 - 2007/02/27 23:58
博多座でNINAGAWA 『十二夜』を観た 観劇レビュー&旅行記 - 2007/06/09 23:06
「さらば、わが愛 覇王別姫」 観劇レビュー&旅行記 - 2008/03/20 23:52
映画 【アキレス と 亀】 ついでに「蛇にピアス」 観劇レビュー&旅行記 - 2008/09/27 23:12
ニナガワ芝居を見たが… 「血は立ったまま眠っている」 観劇レビュー&旅行記 - 2010年1月23日(土)
ニナガワ芝居 【アントニーとクレオパトラ】 を観ました! 観劇レビュー&旅行記 - 2011年10月22日(土)
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<演劇関係者などの追悼の言葉>
蜷川幸雄さん死去 実花さん「かっこいい父」…悼む声次々 毎日新聞 - 2016年5月12日 20時32分
蜷川幸雄さん死去 アングラから世界へ…演劇界を駆け抜け 毎日新聞 - 2016年5月12日 20時20分
蜷川幸雄さん死去 大竹しのぶさん「演劇人として一生の宝物をいただきました」 産経新聞 - 2016.5.12 21:04
蜷川幸雄さん死去 平幹二朗さん「最高の相棒」「生き還ってほしい!」 産経新聞 - 2016.5.12 21:29
藤原竜也、蜷川さん死去前日に見舞う「僕を産んでくれたのは蜷川さんです」 沖縄タイムス - 2016年5月13日(金) 09:50
津嘉山正種さん、蜷川幸雄さんを悼む「演劇の全て教わった」 沖縄タイムス - 2016年5月13日(金)19時16分
蜷川幸雄さん力尽く、死の間際まで演出家のまま 日刊スポーツ - 2016年5月13日7時53分
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蜷川幸雄さん死去 実花さん「かっこいい父」…悼む声次々 毎日新聞 - 2016年5月12日 20時32分
戦後の現代演劇界をエネルギッシュに駆け抜けた演出家、蜷川幸雄さんが12日、80年の生涯に幕を下ろした。“世界のニナガワ”の死去の報に、舞台で薫陶を受けた俳優ら関係者から、惜しむ声が相次いで寄せられた。
「父の娘でいられたこと誇りに」 長女で写真家の蜷川実花さんは「今日、父が逝ってしまいました。最期まで闘い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います」と、自身のインスタグラム(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にコメントを掲載した。
(以下、部分引用;詳細はリンクから御覧ください)
病床に台本3冊…劇作家、演出家、俳優の野田秀樹さんの話 16歳で蜷川さんの芝居を見て以来、自分にとってヒーローだった。実は声を最後に聞いたのが、去年の12月だった。電話したら、「俺だめみたい」と初めて蜷川幸雄の弱音を聞いた。昨日(11日)、病院に行って、10分くらい病室にいた。ベッドのそばに台本が3本あった。こんなに急とは思わなかった。あれだけエネルギーを振りまいてきた人は稀有(けう)だと思う。蜷川さんは、見せ方を圧倒的に知っている。
私の最高の相棒…俳優、平幹二朗さんの話 とうとうその時が来てしまいました。あなたは私の演劇生活の中で最高の相棒でした。もっとも若者の予測できない力に夢を託す君には不満もあったようでしたが……。「王女メディア」「近松心中物語」など数え切れないあなたとの作品は私の宝物です。日本の、いや世界の演劇界でトップに上り詰めたあなたの名は永遠に消えることはありません。
革命起こした人…歌舞伎俳優、松本幸四郎さんの話 60年以上の付き合いで戦友を失った思いです。私が10代、蜷川さんが20代の時にNHKのドラマで俳優として共演したのが最初の出会いで、1974年の「ロミオとジュリエット」で初めて演出を受け、「リア王」「オイディプス王」「オセロー」にも出演しました。日本の現代劇は蜷川以前と以後に分かれる。一つの革命を起こした人でした。
舞台の魔術師…演劇評論家、水落潔さんの話 現代劇の世界でどんな俳優よりもスターになった演出家でもある。独創的なアイデアで演出し、舞台が開いて最初の3分間で観客の心をつかんだ舞台の魔術師。平幹二朗さんに女性役をさせた「王女メディア」、安土桃山時代に置き換え、舞台を巨大な仏壇で覆った「NINAGAWAマクベス」などが印象に残る。
悔しいさびしい…俳優、市村正親さんの話 50歳の時、「リチャード三世」で初めて演出していただきました。「ハムレット」は53歳。「イチでハムレットをやりたい」と言われ、こんなに光栄なことはありませんでした。そして蜷川さんの代表作「NINAGAWAマクベス」。ニーナと出会うことができ、シェークスピア俳優にしていただきました。感謝してもしきれません。運命を呪います。悔しいです。さびしいです。
一生の宝物頂く…女優、大竹しのぶさんの話 「俺たちは同志だから」と言ってくださったこと、「世界を目指そうよ」「それじゃあ普通の役者でしょ? 許さないよ、もう一回」と言ってくださったこと、忘れません。演劇人として一生の宝物を頂きました。それは、私の中で色あせることなく輝き続けます。本当にありがとうございました。
演出家、宮本亜門さんの話 これほど見事に日本の魅力を力強く、大胆に、美しい革命を世界に見せつけたクリエーターはいません。蜷川さんが全身全霊で伝えてくれた生きるパッションとクリエーションの力を自分なりに精いっぱい受け継ぎたいます。
俳優、小栗旬さんの話 「ムサシ」以来、7年ぶりの公演を今年秋に予定しており、ついにまたご一緒できる、叱っていただけると心の底から楽しみにしておりました。ご冥福をお祈りいたします。でもつらいです。「おい!小栗。何やってんだよ!」という声が聞こえないのは。
俳優の吉田鋼太郎さんの話 偉大な演出家であり、最大の恩師であった蜷川さんの訃報に言葉が見つかりません。今はまだこの現実を受け止められておりません。
俳優の阿部寛さんの話 大きな存在を亡くしました。稽古(けいこ)場では厳しい言葉を吐き、鬼になれる人でした。一方で常に俳優の成長を考えてくれる愛情深い人でした。芝居に迷いが生じた時、蜷川さんの教えは僕の心の支えでしたが、もうその教えを請うことができなくなってしまいました。あと1回でいいから蜷川さんと稽古場でお会いしたかったです。今まで本当にありがとうございました。
蜷川幸雄さん力尽く、死の間際まで演出家のまま 日刊スポーツ - 2016年5月13日7時53分
「世界のニナガワ」と呼ばれた日本を代表する演出家蜷川幸雄さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全で都内の病院で亡くなった。80歳。1960年代に俳優から演出家に転向し、180本以上の舞台を演出した。多くの俳優が蜷川演出の洗礼を望み、数々の海外公演も成功させるなど、世界的に高く評価された。最近は車いすで酸素吸入器を携帯しながら演出を行ったが、昨年12月中旬から肺炎で入院していた。
蜷川さんの力が尽きた。昨年12月中旬、今年1月の舞台「元禄港歌」の稽古中に肺炎と診断され入院。1月上旬には自身の半生を描いた舞台「蜷の綿」の稽古の予定だったが、延期を発表した。3月25日、舞台「リチャード二世」の「悲劇喜劇賞」授賞式は欠席したが、直前に出演者と病室で会い、5月25日初日の舞台「尺には尺を」を念頭に「嫌いなリハビリを頑張り、4月に戻る」と話した。
リハビリに励み、車いすで病院内を3時間も回った。4月23日に「尺には-」に出演する藤木直人、多部未華子が病室を訪れ、演出プランを聞いた。主治医も「普通なら、とっくに亡くなっている。アスリートみたいな体で、稽古場に行くという気力が命をつないでいる」と驚いた。毎日演出補が病室で蜷川さんの指示を受け、稽古場に帰った。病室で「稽古場に行くぞ」と鼓舞し、枕元には演出予定の台本3冊を置いた。しかし、5月に容体が急変。11日に見舞った演出家野田秀樹氏(60)は「目は開けていなかったけど、『野田さんが来たわよ』という声に、ウーッとか、アーッとか言っていた」と振り返った。12日、妻の女優真山知子(75、本名蜷川宏子)、2人の孫らにみとられて息を引き取った。稽古場に訃報が伝えられると、多部らも泣きだしたという。
69年に盟友清水邦夫作の舞台「真情あふるる軽薄さ」で俳優から演出家に転身。石橋蓮司、故蟹江敬三さんと劇団を結成したが、74年に市川染五郎(現松本幸四郎)主演「ロミオとジュリエット」で商業劇場に進出。大胆かつ繊細な演出で高く評価されたが、仲間たちに批判され劇団を解散。その後は大劇場を中心に活動。「王女メディア」で初の海外公演、シェークスピア作品「リア王」「NINAGAWAマクベス」を本場英国で上演し、「世界のニナガワ」と呼ばれた。
木村拓哉を唐十郎作「盲導犬」に起用するなど、ジャニーズ事務所のアイドルを起用した舞台で若いファンを呼び込んだ。芸術監督を務めるさいたま芸術劇場では、55歳以上限定の高齢者を集めた「さいたまゴールド・シアター」、若手俳優の育成を目指した「さいたまネクスト・シアター」を旗揚げした。
年10本の舞台を演出して第一線で走り続け、体はボロボロだった。90年に胃潰瘍で吐血、97年に心筋梗塞、09年に脳梗塞で倒れ、12年に狭心症で心臓バイパス手術を受けた。14年の香港公演では宿泊先で下血しチャーター機で帰国した。それでも蜷川さんは車いすに座り、酸素ボンベを携帯し酸素吸入器のチューブを鼻に入れた状態で稽古場に通い現役演出家にこだわった。8月に森田剛、宮沢りえ出演の舞台「ビニールの城」、12月に1万人の高齢者の「ゴールド・コンサート」演出を予定したが、ともに予定通り行うという。
◆蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)1935年(昭10)10月15日、埼玉県川口市生まれ。開成中・高を卒業後、東京芸大美術学部を受験するも不合格。55年に劇団青俳に入団。俳優としてドラマ・映画に出演し、68年に退団して現代人劇場を旗揚げし、69年に演出家デビュー。現代人劇場を解散し、72年に桜社を結成するも、「ロミオとジュリエット」演出をきっかけに桜社も解散。83年「王女メディア」のギリシャ公演成功を機に世界に進出。10年に文化勲章。妻は女優真山知子で、写真家蜷川実花さんら2女をもうける。
<葬儀日程>
▼通夜 15日午後6時から
▼葬儀・告別式 16日正午から、いずれも東京都港区南青山2の33の20、青山斎場で
▼喪主 妻宏子(ひろこ)さん
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テーマ:演劇
- ジャンル:学問・文化・芸術
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