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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私の思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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Author:junsky07 私の旅行記や、オペラ・バレエ・ミュージカル・演劇等の観劇の感想などを気の向くままに書いてゆきます。



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長らくお読み頂きありがとうございました。
【ザルツブルグにモーツァルトを訪ねて-完結】

連載しておりました
【ザルツブルグにモーツァルトを訪ねて】
は、昨日で完結致しました。

 と言いますのは、この連載は元々【JUNSKYblog2007】で第1回から第28回まで連載していたものを、第29回よりこちらに移転し、第35回(最終回)までを今年1月から2月にかけてに掲載していたものだったのです。

 従いまして、各記事の下にある、第○回へのリンクをたどっていただきますと、投稿日付は遡りますが、内容的には最後までお読み頂けます。

 今月(2007年6月)からは、新しいシリーズ【中欧三都市ふらり旅】を連載致します。
これは、一昨年行きました、ブダペスト-ウィーン-プラハの旅の日記です。

 今後ともよろしく御願い致します。

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ザルツブルグにモーツァルトを訪ねて-完結
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テーマ:ヨーロッパ旅行記 - ジャンル:旅行

【中欧三都市ふらり旅】連載開始
本日より、新シリーズ【中欧三都市ふらり旅】を開始いたします。

旅行に行ったのは一昨年のことですが、古都の旅ゆえ、それほど「タイムリーではない」という訳でもありませんので、今後ともよろしく御願い致します。

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【中欧三都市ふらり旅-第1回】

ブダペスト編

 ことし(2005年)のゴールデンウィークも比較的並びが良かったので、初日と最終日に有給休暇を取って、昨年行って病み付きになったウィーンをはさんでハンガリーのブダペストとチェコのプラハを訪れました。
 今年もまた旅行記を御友人の皆様に配信いたしますことを御容赦ください。(この旅行記はメルマガ方式で配信していたものです)
 なお、いままで同様文体はそのときの気分でさまざまで、時間経過も必ずしも経時的ではありません。

では、はじまりはじまり・・・


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 去年(2004年)は、殆ど1週間前に思いついて航空券を捜したらうまいのがあったが、今年は余裕?を見て1ヶ月前からリサーチ開始。
 数社にe-mailで引合いを掛けていたが、どこも「満席状態でございます。」との返信。

その中で比較的近い条件のチケットを紹介してくれ、空席待ちなど便宜を図ってくれた【LTKライゼビューロー(ドイツ語で旅行社の意味)福岡】に依頼(実際ドイツ生まれの会社だという)。
E-MAIL [email protected]
ホームページは、ここをクリック
ドイツの本拠は、ここをクリック 
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 4月18日(出発の10日前)ようやく4月28日ブダペスト・イン、5月5日プラハ・アウトという希望通りの航空券が約15万円で入手できた。

 このLTK福岡、こちらの希望を何度も聞いてプランを変更してくれ、最終的には当初予定のKLMからKAL(大韓航空)に変更して旅程と予算を希望に合わせてくれ、とても対応が親切だった。
 そのうえ応対してくれた方がスタイル抜群の美貌の女性で(ずっとメール応対だったが、入金時に初顔合わせ)・・・。その入金と交換に航空券受け取り。
 昨年は当日空港で受け取りというきわどい状況であったので一歩進歩。

ここから時間を追って箇条書き

2005年4月28日(木)
8:00 愛車(ゼロハン)で空港へ。国内線ターミナルから無料シャトルバスで国際線へ。
9:00 福岡銀行で800ユーロ両替(約11万円)
9:15 大韓航空カウンターへ。20人くらいの列を待つ。
9:40 セキュリティチェックへ。100人以上の列。去年より1時間半遅いので列も相当長い。
10:05 パスポートチェック終了。
10:15 搭乗 Airbus A300-600 → 10:30 ゲート離脱 → 10:40 離陸

20070602001606.jpg
      Inchon(仁川)空港

11:55 韓国・仁川(Inchon)空港着陸。 Transfer
13:25 パリ行きに搭乗 Boeing B747-400 → 13:52 ゲート離脱 → 14:30 離陸(55分遅れ)

2005年4月28日(木)
19:20(時差7時間) パリ シャルル・ドゴール(Chales De Gaulle)空港着陸
20:15 Air FRANCE Transit Counter 着。(到着予定時刻:18:25)

ところが、第一日目に大ハプニングが・・・


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第一回は何も面白いところがありませんでしたが、今後の展開にご期待ください。

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パリにて足止め
中欧三都市ふらり旅-第2回
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 大韓航空がInchonでの出発から1時間ばかり遅れていて、上空で取り返すかと思っていたところパリでは2時間到着遅れ。

 さらに着陸後もゲートまで30分以上のろのろとTaxing。

機内ではTransferの時間が短い人を前方には誘導していたが・・・

20070603004413.jpg


さらにターミナルに着いたかと思いきや、構内バスでの移動。このバス、客席を油圧リフトで飛行機の出口の高さまで昇降して客を取り込むという面白いもの。しかし、時間に余裕の無い我々にとっては随分悠長な設備だと感じた。歩いて降りるほうが余程早いのでは?

結局、機内での前方誘導は無意味な結果に。

20070603004422.jpg


 それでも、パリからのTransit専用のAir Franceの窓口には、ブダペスト行きの出発予定時間の20分前には着いたのだが、むげに「Too Late on boarding なんやらかんやら(既に間に合わない)」と係員の声。電話連絡で出発を待ってもらう要請もしない。

 そのうえInchonからParisの便も大韓航空とAir Franceのシェア便だと言うのに!

 こういうトラブルに対抗できるほど英語が達者ではなく、韓国語も解らないので、大韓航空の地上係員の韓国人女性に英語で抗議して、それからAir Franceの係員に取次いでもらう状態。

 それが私一人ではなく、外国人も含めて10人以上がTransfer不能なので、その女性もてんやわんや状態。

 結局、抗議も虚しくそこに居た行き先もさまざまな十数名はTransferできず、パリにホテルを確保してもらうことになった。ホテルと夕食・朝食は当然大韓航空持ち(当然)。

 今日、ブダペスト空港にホテルからタクシーをよこしてくれることになっていて、連絡先も聞いていたので、大韓航空地上係員に電話してもらい途中から私がタクシー運転手と話すが、運転手も片言の英語。
明日に変更を頼んだが通じたのかどうか?

 そうこうしている内に時刻は午後10時近くなり、パリの夜を楽しむのも無理。せめて夜景でも眺めようかと思っていたところ、紹介されたホテルはパリ中心部ではなく、空港からシャトルバスで20分ほどの、他に交通機関もないトランジット専用ホテル。

 そのうえ、そのシャトルバス発着場への案内も無く自分で捜す始末(空港の出口の番号はさすがに教えてくれたが、それがどっちの方向やら・・・)。

21:50 Hotel Campanille 着。風呂に入り夕食をとり翌日の準備を終えると日付が変わっていた。
ParisHotel01.jpg


第一日目からさんざんな旅となってしまった。この旅の先が思いやられる始まりである。

翌朝も早朝の便ではなく、ブダペスト到着は昼過ぎの予定。

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中欧三都市ふらり旅-第2回
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九州芸術工科大学創立40周年記念イベント
001.jpg
  (入り口の記銘碑は、今も「九州芸術工科大学」)     

昨日も御案内していましたとおり、
本日(2007年6月3日)、九州芸術工科大学創立40周年記念イベントが
九州大学・大橋キャンパス(芸術工学部)で開催されました。

このイベントのホームページは、ここをクリック

002.jpg


午前中は講演会と卒業生からの思い出メッセージ。

講演会(シンポジウム) 九州大学・大橋キャンパス(元・九州芸術工科大学)
 6月3日 10:00~15:00(多次元実験棟)
10:40-11:00 芸術工科40年と音響教育 藤原恭司
「芸術工学」実践者たち育成の歴史
003.jpg
  (講演する藤原恭司先生)
11:00-11:20 音響研究の成果と今後 岩宮眞一郎
11:20-12:20 卒業生からのメッセージ
1,5,10,15,20,25期の代表

午後は牧田先生の業績とこれを引き継ぐ研究成果や課題について
シンポジウムが行なわれました。

13:30-14:00 牧田康雄先生の業績 藤原恭司
  研究成果1
14:00-14:30 牧田康雄先生の業績 日高孝之(6期) 
 研究成果2
14:30-15:00 牧田康雄先生の業績 永田 穂 
 設計成果
005.jpg
  (永田 穂先生の講演のもよう;東京文化会館設計時の様子)
006.jpg
  (永田先生の講演の終わりに旧・NHKホールでのカラヤンの演奏の貴重な映像が紹介されました)
  
第2部として「交流コンサート」が開催され、現役オークストラ【芸工大フィル】に十数名のOB・OGが参加して演奏されました。

交流コンサート

15:30-16:15 合同演奏 
 ベートーベン「エグモント序曲」 (指揮 佐々木実) 
 シューベルト「未完成」 (指揮 森田祐輔)
007.jpg
   (交流コンサート で「未完成」を演奏する合同オーケストラ) 
 ヘンデル「メサイア」からハレルヤコーラス (指揮 佐々木実)
現役オケ 卒業生 当時のメンバー

 最後のメサイヤでは約40名の合唱団(平均年齢55歳)がヘンデルの讃歌を歌い上げました。
 私自身が歌っていたので、演奏中の写真は無し。
004.jpg
   (昼休み後の練習風景)

 コンサート終了後は、引続き、第3部「懇親会」が開催され、「Newカニアナ・パンチ」「アレグロ・ヴィヴァーチェ」のアトラクション演奏が場を盛り上げました。

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    「Newカニアナ・パンチ」

010.jpg
    「アレグロ・ヴィヴァーチェ」

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翌朝パリからブダペストへ
中欧三都市ふらり旅-第3回
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2005年4月29日(金)Paris にて

5;00 起床。シャワーを浴び6時に朝食。
昨日一緒に足止めになった日本の若者が“食堂”に居たので声をかけた。

7:30 ちょっと早すぎるがミニシャトルでドゴール空港へ。いくつものゲートに立ち寄りながら行くので結構時間がかかった。8:07 空港の目的のゲート(Air France前)着。
8:10 Air France カウンターでブダペスト行きにCheck in.

9:30 搭乗。しかし最終搭乗客を待ち定刻になっても動かない。
10:17 30分遅れでようやくゲートから離脱。
10:36 Take off。
こんなに遅れるのであれば昨日のtoo lateは何だったのか!

上空より結構大きな湖が見えた(今回唯一の機上写真)。
20070604183141.jpg


12:20 ブダペスト着陸。(時差無し)

12:35 昨日から?待っていたタクシー運転手イシュトバン氏にピックアップされ市内へ。
 片手で運転しながら盛んに地図を指差し、後ろ座席に座っているこちらも向きながら(脇見運転はやめてくれ~!)片言の英語で一生懸命観光案内?してくれる。
 エリザベートのことを話すと、「エリザベートは大好きだ。しかし、フランツ・ヨーゼフは大嫌いだ。そこの橋は以前フランツ・ヨーゼフ橋と言ったが今では自由橋に名前が変わっている。
 こちらはエリザベート橋のままだ。」と言う。ミュージカル「エリザベート」での表現は、ハンガリーの人達の素直な気持ちをそのまま現したものだった。

 降り際に“Kannst du sprachen Deutch?”とこちらから聞くとドイツ語で「ドイツ語がしゃべれるのか?」と驚いて聞き返し、『英語での説明に苦労したのに・・・』という雰囲気であったので“a little”と応えた。

 イシュトバンさんには、昨日大韓航空の係員の携帯電話で「パリで足止め」の連絡はしたが、本日も到着が大幅に遅れ、かれこれ2時間は空港で待っていたのではないかと思う。
 料金として、日本で予約時より所定の21ユーロを正しく請求されたので、待ち賃として10ユーロ余分に支払った。

13:00 BURG Hotel 着。
20070604183301.jpg
  (宿泊した BURG Hotel を背景に三位一体像を見る・絶好の立地だが高くない)

 さて、ブダペストはBUDAPESTであって、ブタペストでもブダベストでもブタベストでもない。

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中欧三都市ふらり旅-第3回
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「三位一体像」
中欧三都市ふらり旅-第4回
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20070605195016.jpg

 ホテルの目の前が「三位一体像」というモニュメント、その先がMatyas教会と「漁夫の砦」というブダペストの観光案内に必ず載っている名所のエリア内。
観光の中心である王宮も歩いて楽勝のシチュエーション。

 ホテルの格こそ三ツ星で、そこそこではあるが、この立地は最高と言える。
何しろホテルの窓のすぐそこが「三位一体像」で「Matyas Temple」も「漁夫の砦」も見えているところだから。

20070605195030.jpg
  (ホテルの窓から見えるMatyas Temple)

「三位一体像」は当時流行した伝染病ペストに対して再び起こらないようにという記念碑だという。

その横は超高級ホテル・Hilton。
20070605195758.jpg
  (左;「三位一体像」の奥が Hilton Hotel )

 少しホテルBurgで休憩し、荷物を整理して14:00から王宮の丘周辺を歩く。まず周辺をぐるっと歩き回って周辺状況を確認した後15:10Matyas教会へ入る。

※ なお、現地語の記述にはドイツ語やフランス語のように文字の上にウムラウト“・・”やアクサン“ ’ ”が付いているのだが、このパソコンにその機能がないので、音調記号は省略。

 ハンガリーもチェコも丁度1年前の昨年5月1日からEUには加盟したのだが通貨は従来どおりのようだ。
ハンガリーではフォリント(100Ft≒50JPY)。

 ユーロが使えないということで、ちょっとホテルに戻って両替してきたところ。

ついでにホテルのフロントで「ブダペスト・カード」という公共交通機関フリーパスを購入。
48時間4700Ft。

(今回は短め、次回は「Matyas 教会」なのでちょっと長めの予定)

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Matyas教会
中欧三都市ふらり旅-第5回
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2005年4月29日(金)午後 Budapest にて

Matyas教会(Matyas Templon;拝観料600Ft)はゴシック形式の建物ではあるが、16世紀にはトルコに占領されていたということで、現在の建物は再建らしい。

MatyasTemp01.jpg


建設時期の異なる意匠も高さも違う二つの塔がアンバランスに建っている。

MatyasTemp00.jpg


案内書によると現在の形になったのは14世紀のことで、1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国の国王(ハンガリー王)に就いたフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃の戴冠式が行われ、リストは「ハンガリー戴冠ミサ曲」を作曲し自ら指揮したという。


この戴冠式の模様はミュージカル「エリザベート」でも描かれ、エリザベートが三色旗(ハンガリー国旗)をデザインに取り入れたドレスで現れ、ハンガリーの(オーストリアの)危機を救ったと歌われる。


ブダペストはマジャール民族の都市ということで、教会内の壁や柱は赤と黄色(黄土色?)を基調とする極彩色の彩色が施されている。しかし、この彩色・デザインは19世紀末のものらしい。
ヨーロッパというよりはアジア系の雰囲気がする。

MatyasTemp03.jpg


アジア系といえば、人の名前は日本と同じ姓・名の順であると言う。ピアニストで作曲家のフランツ・リストは現地ではリスト・フェレンツ(Liszt Ferenc)というらしい。他の文法までは踏み込む余裕はなかったが、おそらくヨーロッパ言語圏とは異なる文法だと思う。

館内には、その戴冠の際の「王冠」(レプリカ)が展示されている。頭頂部の十字架が傾いているのは損傷や経年変化ではなく、元から故あってそういうデザインがされたものである。ミュージカルの小道具でもその通り傾けて作ってあったが、最初のころオペラグラスで見た観客は小道具の不具合と思ったそうだ。

MatyasTemp06.jpg


その皇妃エリザベートの像(白大理石のようだ)も堂内に面した2階に、ひっそりとしかし凛とした表情で立っていた。
20070606175252.jpg


今回は文が長いというよりは、写真が多いのですみません。


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中欧三都市ふらり旅-第5回
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「漁夫の砦」
中欧三都市ふらり旅-第6回
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「漁夫の砦」

前回配信の中で、王冠の上の十字架の傾きについて書いたが、現地で買ってきた「王冠のいわれ」(The Holly Crown)を読んだところ、傾きは基準鉛直線に対して地球の地軸と同じ傾きの23.5度になっているという。

Matyas教会(600Ft)を出て「漁夫の砦」(Halaszbastya)へ。

Halaszbasya01.jpg


いわれは、漁師が戦争をしたという訳ではなく、元漁師組合のあった場所に建国1000年(1896年)を記念してフランツ・ヨーゼフ1世により計画され1902年に完成したということで、本当の(戦争の)砦ではなく、ミレニアム記念碑である。


この砦の前に騎馬像が建っているが、これは建国の父・初代国王・聖イシユトバーンという。


今ではブダペストの町のほぼ全景をドナウ越しに見渡せる最高の展望台として有名である。
20070607181904.jpg

確かに絵になる光景が見渡せた。
特に正面に見える国会議事堂はガイドブックによると、内部が実にきらびやかだそうだが、外部も重厚で且つ明るく美しいシルエットである。


この「漁夫の砦」の2階部分は展望レストランになっているという。商売上手!
Halaszbasya02.jpg


15:35 三位一体広場(Szentharomsag ter)を離れ、歩いて王宮(Budavari palota)へ。
途上に発掘・修復中の城壁の広大な「工事現場」があった。
20070607181820.jpg


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小沢征爾氏の後任決定 ウィーン国立歌劇場
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 【ベルリン6日共同】オーストリア政府は6日、2010年で任期切れとなるウィーン国立歌劇場の小沢征爾・音楽監督の後任をオーストリア人のフランツ・ウェルザーメスト氏(46)とする人事を発表した。同氏は米国のクリーブランド管弦楽団の音楽監督で、世界的に注目されている若手指揮者。

 同歌劇場の支配人もホレンダー氏からフランス人のドミニク・メイエール氏(51)に交代する。メイエール氏はパリのシャンゼリゼ劇場の総支配人。

 小沢氏は02年に音楽監督に就任。
 ウィーン国立歌劇場の音楽監督は、作曲家マーラーや指揮者カラヤンらも就任した欧米のクラシック音楽界では最高級のポストの1つ。
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西日本新聞Web版 2007年06月07日01時18分

ウィーン国立歌劇場へのリンクは、ここをクリック 


今日は、ニュースのコピペで済みません。
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NINAGAWA 『十二夜』
博多座でNINAGAWA 『十二夜』を観た。

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 歌舞伎の大御所・尾上菊五郎が座長の「菊五郎劇団」がウイリアム・シェークスピアの「ロマンチック・コメディ」に分類されると言う 喜劇『十二夜』を、世界のNINAGAWA(蜷川幸雄)演出でやると言うので、興味を持って観に行った。

 2005年にお江戸で初演し、大きな反響(大センセーション)を起こしたものという。 再演を博多で行なうことにしたようだ。

 公演パンフの蜷川の言葉では、「言ってみれば、イギリス人が歌舞伎座で『忠臣蔵』を演出するようなものだよ」と言っている。これは、2000年に英国のロイヤル・シェークスピア・カンパニーで『リア王』を演出した時の言葉。

 『十二夜』は、以前ミュージカル版で大地真央がヴィオラ、岡幸二郎がセバスチャンをやったのを観たことがあるが、これはオリジナル設定であった。
このとき、亡くなった本田美奈子が道化の「猫」の役をやっていて雰囲気もあり歌のうまく役に嵌まっていた。

Juniya01.jpg

今回の『十二夜』の設定は、舞台は日本、時代は?明記されていないが若衆歌舞伎華やかなりし頃の元禄時代?

配役は
ヴィオラ:琵琶姫;尾上菊之助
シザーリオ(実は男装したヴィオラ):獅子丸;尾上菊之助
セバスチャン(ヴィオラの双子の兄):斯波主膳之助;尾上菊之助
と、尾上菊之助の三役早変わり。

マルヴォーリオ:丸尾坊太夫;尾上菊五郎
フェステ:捨助;尾上菊五郎
と、こちらも尾上菊五郎の二役早変わり。

マライア:麻阿;市川亀治郎
今や、猿之助スーパー歌舞伎に無くてはならぬ立ち役であり、風林火山で主役の武田信玄・晴信を演じている亀治郎が悪知恵の働く女形。

Juniya03.jpg


筋立ては、基本的にはシェークスピアの原作に従っているが、双子の兄妹が船旅中に嵐で遭難し、別れ別れになるが・・・
妹は、男装して左大弁のもとに小姓の仕事にありつき・・・

という話。
兄;斯波主膳之助と妹;獅子丸が入れ替わったり勘違いされたりする混乱が一つのポイント。

終幕に兄と妹の再会シーンがあるのだが、配役上はどちらも尾上菊之助。
そこまでは、早変わりでこなしていたが、この場は早変わりではこなせない。
ここは、観てのお楽しみ。

 無料貸し出しのイヤホンガイドを借りたがこれは中々良かった。
観ただけでは解りにくい筋立てや役者名やシェークスピアの原作での役の位置づけや、時代背景などを説明してくれて解りやすい。
特に退廃したカトリックの考え方に対して、清廉潔白を旨とする清教徒の考え方を対峙させて描きながら、シェークスピアその人は清教徒の建て前に批判的であったらしいことや、兄妹の禁断の恋や同性愛にも言及していた。

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 (終演後の博多座客席:9割がたの入りだった)  

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ブダの丘・王宮
中欧三都市ふらり旅-第7回
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4月29日。まだブダペスト第一日目である。

なお、地勢感があったほうが良いと思いますので、近々地図を添付させていただきます。

20070610224358.jpg

15:47 城壁内王宮中心部へ。ウィーンのように王宮の居室や家具調度そのものを公開しているわけではないようだ。
美術館や図書館などとして使用されている。
時間が押しているので残念ながら美術館はパス。
この美術館(Magyar Nemzeti Galeria)は展示内容も豊富で、時間があれば見る価値のあるところだそうである。

20070610224413.jpg


ブダペスト歴史博物館(Budapesti Torteneti Muzeum : 900Ft)のみ鑑賞。
いわゆる民族の歴史を特にブダの丘の変遷を中心に展示してあるのだが、その一角でくだりの長い階段があり、地下に防空壕のような要塞のような石造りの天井も高い広大な空間が残されていた(ガイドブックでは14・15世紀の王宮跡とのこと)。

後で外に出てからわかったことだが、この地下と思っていた部分は石垣の中にあたる所であった。山の斜面を切り拓いて城壁を造っているので片側(城内)の地上から見ると地下にあたるところも、反対側(ふもと側)からみると城壁の中になるわけだ。

戦時には武器や糧食の倉庫にもなり病院にもなった空間であろう。この空間そのものを歴史的遺産として展示しているわけだ。
上がり口が幾つもあってそこそこに「宝物」(発掘品)などを展示してあるのだが、元のところへは横で繋がっていない。何度か昇り降りし結局、元来た道を戻らなければならなかった。

17:00 ようやく出口にたどり着き、歴史博物館を出てすぐの所にある展望台のような一画でドナウ川を臨む。まだ充分明るい。
20070610224428.jpg



頭上にはシンボルともいえる「怪鳥」が入場者を睨んでいる。この「怪鳥」、どうもコンドルか禿鷹のように見えるが(頭部が小さいので鷲・鷹ではないと思う)、建国の父アールパード(バードではない)を生んだトゥルルという名前だそうだ。
20070610224343.jpg


後先になるが、ガイドブックによるとこの城は13世紀の蒙古来襲の後に建設されたそうだ。日本の鎌倉時代・北条時宗の時代の元寇に重なる時代である。

その後、先に書いたトルコ来襲など度々の戦渦を経て、現在の建物は1950年の再建という。

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中欧三都市ふらり旅-第7回
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ペスト地区へ
中欧三都市ふらり旅-第8回
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2005年4月29日
17:45 城内バスでモスクワ広場(Moszkva ter)へ(王宮の丘のすぐ下)。Ter は広場の意味らしい。

この広場はトラム・バス・メトロのターミナルで各方面からの便が集中している。モスクワというのはソ連の影響下での命名か?

MoscowTer.jpg

そこからトラム(路面電車)を乗り継いでペスト側(ドナウ川東岸)へ移動しながら街並みを眺める。

最初に書くべきであったが、ドナウ川は南北に流れていて西岸をブダ地区・東岸をペスト地区といい、1873年に統合されブダペスト(ブダペシュトと発音する方が近いらしい)となったとのこと。

去年ウィーンで初めて“近代的”路面電車を体験したが(幼かりし折の大阪市電や学生のころの西鉄路面電車以来)、欧州では路面電車が重要な市民の足、観光のアクセスに活用されている。
これが結構、車や歩行者と共存しているから面白い。

ウィーン同様、乗客の善意に支えられているようで乗車賃を入れる箱さえなく、切符も持っている人の方が少ないくらい。車内で切符は売っていなくてターミナルで買って車内の刻印機を通すことになっているが、誰もそうはしていない。

路上の停留所は10cmほど石積が高くなっているだけで、券売機も無い。切符を買おうと思うと結構苦労しそうな感じである。結局乗り降り自由という感じ。
私はブダペストカードを持っているので安心して乗降できるが・・・。

20070611193422.jpg

18:30 エリジャーベト(と現地では発音するらしい;Elisabeth)橋の袂(地図の南側)でトラムを降り、橋を歩いて渡る。まだ太陽は高い位置にありなかなか暮れそうに無い。

渡りきった橋の袂にElisabeth銅像があり写真撮影。
20070611193414.jpg

ゲッレールトの丘のふもとにあり、見上げるような断崖に急な階段が見えている。
地元の若者がたむろ(まさにそういう雰囲気)していたので長居せず早々にその場を去る。

今回目ぼしい写真がありませんので、中心部地図を掲載します。
BudapestMap01.jpg

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船上レストランで食事
中欧三都市ふらり旅-第9回
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夕食は地元の料理をそれなりの民族料理店でと思い、ガイドブックにある中心部から少し離れた本格的民族レストラン(民族楽団生演奏付き)を捜しに出掛けた。

トラムを乗り継いでそれらしきところへたどり着き、その界隈を歩き回ったが、それらしきお店が見当たらない。
地図で見る限り間違えているわけではないので、しばし捜したがあきらめて、トラムでモスクワ広場まで戻る。

ガイドブックに「船上レストランがある」とあったので、再びトラムに乗りペスト側のドナウ河畔のそれらしき当たりまで移動。
20070612222021.jpg

観光名所・くさり橋(Szechenyi Lanchid)にライトがともり、ドナウ川を隔てて王宮が美しくライトアップされ、それがまたドナウ川の川面に反射して一層映えている。
20070612222000.jpg


最初に顔を出した船上レストランは、敢え無く「満席でございます」とシャットアウト(正装で来るところ?)だったが(というのは、時間帯からして満席のはずがないので)、そこから100mほどの隣の船上レストランでは一人客でも歓迎され、そこで腰を降ろす。いつのまにか9時半になっていた。

民族料理と、通の間では有名な(?)トカイ・ワイン(Tokaj Wine)を試す。
20070612221930.jpg

メインディッシュはTypical Hungarian Dishとしてウエイター御推薦のものを頼んだが、『Duck grilled with sweat sauce』と英語で添え書きされていた。
トカイ・ワインはしつこくなくスッキリした飲み心地でとてもおいしかった。
(ミュージカル「エリザベート・宝塚版」でハンガリーの革命家達が「トカイワイン」と指定して注文する場面がある。)
http://www.herend.co.jp/story/story5t.html
シーザーサラダは、二人分はありそうで、スープはビーフシチューのようなたっぷりとしたもの。
民族料理も結構なものでした。(写真あり)
デザートとコーヒー(Café Captino)含めて8200Ft。チップ込みで9000Ft支払って夕食を終了。

11:15pm「くさり橋」を歩いて渡り、王宮の丘に登るケーブルカーの駅に着いたが、さすがに営業終了。その横の長~く続いているのが下からでも解る斜面と階段を腹ごなしに登ることにする(他に選択肢はない)。
11:25 登山開始。アルコールも入っているのでさすがにつらい。
11:45  Matyas教会前に着く。Matyas教会と三位一体像がライトアップされていたので記念撮影。
20070612223002.jpg


12:00丁度、ホテルの部屋に着きダウン。大いに疲れた。
Transfer失敗から始まったこの一日の長かったこと。まだ、実質一日目だ。2005年4月29日の日付が変わるところである。

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トータル・アクセス 1万突破
本日、2007年6月12日
アクセストータルが、10,000を超えていることに気付きました。

御訪問いただいている皆さまのおかげです。

FC2アクセスランキング:34位(低迷中)
週間IN:30
週間OUT:210
でした。

今後ともよろしく御願い致します。
クリックにも御協力頂ければ幸いです。
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ありがとうございます。

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ハンガリー・国会議事堂
中欧三都市ふらり旅-第10回
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2005年4月30日(土)

ホテル移動

朝5時に目が覚めた。7時朝食。7時半チェックアウト。

 今日は朝からホテルの移動を行わなければならない。このホテルに2泊すればよかったのだが、予約のいきさつから連泊はできず、別のホテルへ変わらなければならない。

 夜では捜すのが大変なので朝から捜すことにする。
予約はしてあるのだが、地図や交通手段の案内が極めてわかりにくい。
Hotel Burgのフロントも「そのホテルは知らない」とのこと。
住所からホテル所有の地域地図を見て乗り継ぎを教えてくれたが、結果的にこれが正確ではなかった。

 詳しく述べるとこの件だけで相当長い話になるので省略するが、沿線のバスの運転手も知らないというし、見つけるまでさんざんな苦労であった。

ようやく9:10、そのホテル「Hotel Classic」に到着。
http://www.hotels-in-budapest-hungary.com/hotelclassic.php
結果的には、トラムの停留所から歩いて10分程度のところであり、『極めて不便なところ』という訳ではなかった。


国会議事堂

ブダペストはハンガリーの首都である。

9:45 トラムで再びモスクワ広場に到着。
MoscowTer02.jpg

 Mostkva ter(広場・駅)からメトロに乗り換え国会議事堂に向けて二駅。

このメトロ【M2】号線は、ドナウ川の下をくぐるので、極めて深いところを通っているらしく、長~いエスカレーターである。こう長いと、さすがにエスカレーターの上を歩く人は居ない。
ガイドブックによると、じっとしているせいか『スリの被害が多いので注意!』とのこと。
20070613234923.jpg


 ドナウ川を越えたペスト側のBatthyany terを上にあがると目の前が国会議事堂(Orszaghaz)。
ガイドブックによるとシュティンドル・イムレ設計で1884年から1904年までの20年間かけて建設されたとのこと。これもミレニアム行事の一環?
20070613234938.jpg


 ところが、国会議事堂の日本語解説は時間帯が異なるし、入り口は相当な混雑。この列を待っていると1・2時間費やしそうにも見えたので内部見学はあきらめ外側だけにとどめる。

 その向かい側にある民俗学博物館に入る(10:07am 400Ft)。
荷物はクロークへということで写真なし。
来場者は少ない。広大な空間(天井のチョー高い広々としたホールなど)が待ち受けていた。平日とあってか学校からの団体見学があった。
展示内容は民族衣装(時代ごとの)や農耕・馬具・武具・工具など。

自由広場

11:40 民俗学博物館を出て、ナジ氏(1956年のハンガリー革命の当事者?)の銅像の横を抜けて「自由広場」(Szabadsag ter)へ。
20070613234954.jpg


広場の中心にあるモニュメントの頭頂部は☆。側面の徽章はいわゆる「カマ・トンカチ」社会主義・労農同盟を示すマーク(旧ソ連の国旗にあったマーク)。
その下のレリーフは労働者が決起している姿。すなわち革命の記念広場ということらしい。『社会主義』崩壊後も、壊さずに公園として整備して残しているのは特徴的。

ハンガリーといえば1989年、オーストリアとの国境を最初に開放し、東ドイツ人を始め多くの市民の『東側』から『西側』への脱出の窓口となったところで、
これが突破口となり、あの一連の『社会主義』崩壊に至った『革命』の端緒になったところである。

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聖イシュトヴァーン大聖堂
中欧三都市ふらり旅-第11回
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聖イシュトヴァーン大聖堂

自由広場を抜けて「郵便貯金局」(Magyar Kiralyi Takarekpenztar)に向かう。
この建物は「工芸美術館」(Iparmuveszeti Muzeum)とならんで世紀末建築(19世紀末)なかでもレヒネル・エデンの作となるモザイクタイル(セラミックス)を使ったマジャール民族風の意匠が特徴だという。
屋根に特徴があるので、写真では解りにくいが・・・。パリでアール・ヌーヴォー運動が起こっていた時期に重なる民族芸術運動である。
20070614193308.jpg


そこも中に入れそうもないので、次は「聖イシュトヴァーン大聖堂」(Szt. Istvan Bazilika)へ。
入り口をくぐる頃には正午になっていた。
20070614193338.jpg

入り口付近でチケットを売っていたのでそれを購入し(400Ft)、列に並んでいるとすぐに階段があり、流れに従い登り始めたところ、この階段は曲者。どこまで行っても終わる様子はなく、一度少し広いところに出たが、そこから又、ラセン階段を登ることしきり。何十メートル登って来たことか。展望塔の上についた。そこではなにやらTV中継のスタッフが動き回っていた。
20070614193743.jpg


後で解ってもしかたないが、この展望塔のすぐ下までエレベーターが通じているのだ。 さきほどの400Ftはそのエレベーターの料金らしい。

ドームの基底部(といっても地上数十m)はレンガ積み、ドームの球面の下地は木造の骨組みである(もちろん現在は鉄骨で補強されている)。ドームの高さは建国の896年を記念して96mだという。
国会議事堂のドーム高さも同じく96mだそうだ。
20070614193914.jpg


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ベルリンに行ってきます!
SHOWTECH2007 という2年に1回開催される大展示会を視察するために、ドイツ-ベルリンに1週間(往復含む)行ってきます。

この間、本ブログもメールも停止中となると思います。
帰国後ベルリン情報を書きます。

よろしく御願い致します。

2007Jun16  JUNSKY
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ベルリンより第一報
しばらく、UPしていませんでしたが、ようやくインターネットカフェで第一報を送ることができます。
日程の多くは終了し、仕事上のイベントは先ほど終了しました。

明日は、予備日でベルリンを観光します。

また、後ほど報告します。
本日はこれにて。

第一報でした。
みんな元気です。
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本日帰国!お待たせ
お待たせしました。

ドイツ共和国ベルリン市より、本日朝帰国しました。

成田で荷物受け取りに時間が掛かり(実際には、同僚の荷物の出が遅かった訳ですが)その上荷物検査係が、ANA福岡行きは4階搭乗口だというもので、そちらに行ったら4階の「Informatinn Counter 」では、1階に戻れと言う。
そうこうしているうちに、搭乗カウンターに到着したのは、発着時間の10分前で搭乗に間に合わないとのこと。

結局、羽田まで京急で移動して乗ることになっちゃいました。14:30羽田発。
しかし、これもギリギリで、地上係員がゲートまで案内する状況。
午後4時20分ごろ、福岡空港着。

帰りが一番疲れた。

機中ではほとんど寝なかったので、ブログを書いているのがつらい。
すぐに眠気が起こってくる。
と言うわけで又今度。
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聖イシュトヴァーン大聖堂(つづき)
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念のため!これはベルリンではありません!!!
ブダペスト旅行の続きです。

2005年4月30日(土)

聖イシュトヴァーン大聖堂(つづき)

それはさておき、ドームの周辺が回廊になっていて、ブダペストの街が一望できる。ところでこの回廊にはフェンスとてなく、飛び降りようと思えば誰でも飛び降りられる状態で、日本では考えられない。
一回り・二回りして景色を眺めたのち今度はエレベーターで降りる。

20070625201708.jpg

聖堂内を見学。荘厳なつくりである。昨日のMatyas教会と雰囲気は全然違う。昨日はマジャール民族系とすれば、こちらは欧州系? もっと“きらびやか”というべきか? 金銀モザイクという感じ。フランツ・ヨーゼフ1世の好みか?

去年の「ウィーン一人旅」でも書いたが、こういう大きな聖堂では柱のワンスパンごとのウィング部分に小規模(数十名)の礼拝所が造られていて、それぞれ信仰対象の彫像(日本では仏像で総称できるが)や絵画が置かれている。それらを統合する形で大聖堂となっている感じである。
20070625201651.jpg

大聖堂脇にはMuseumのようなところもあり、絵画が展示してあり、また聖イシュトヴァーン(970?~1038)の右手のミイラなるものが厨子に入れられて展覧されている。
20070625201626.jpg


古い建物のように見えるが、ネオ・ルネサンス形式で1851年着工1905年完成というから、事実上ハプスブルグ家最後の皇帝と言われるフランツ・ヨーゼフ1世(座位1848~1916)の時代に重なる。(最後の皇帝はカール1世だが、座位1916~1918)
これもミレニアムを睨んだモニュメント?
まだ百年しかたっていない記念行事の教会なんて、なんか有り難味もなくなるなぁ!

19世紀後半から20世紀初頭にかけてハプスブルグ家はどれだけ国家の(庶民から巻き上げた)金をつぎこんだのだろうか?

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メトロ【M1】号線
中欧三都市ふらり旅-第13回
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メトロ【M1】号線

「聖イシュトヴァーン大聖堂」を出て、ハンガリー国立歌劇場(Magyar Allami Operahaz)へ。
12:32 歩いてオペラ座前着。劇場正面にハンガリーを代表するリストの銅像がある。
前にも書いたが、ハンガリーでは日本と同じように姓が先。
フランツ・リストは欧米式呼び方で、
ハンガリーでは、リスト・フェレンス と呼ぶそうだ。
20070626185817.jpg


 チケット売り場で、本日「エーケル劇場」で行われるワグナー「ローエングリン」のチケットGET!

 内部を見ることはできなかった。日程の関係からこの国立歌劇場での観劇はできず残念。
劇場のホームページは、ここをクリック
20070626185834.jpg


メトロ【M1】に乗り、「リスト記念館」に向かう。

 ところで、このメトロの駅の地上からの深さが【M2】号線とは対照的に極めて浅い。
地上から階段を21段下りると、そこは地下鉄ホーム。階段の段差を測ったわけではないが、見るからに20cmは無い。すなわち地上から3.5mほど下は駅のフロア。
道路の厚さは幾らあるのだろう。鉄板に直接舗装しているんだろうか?
20070626185852.jpg

この沿線の駅の幾つかで乗降したがどこも21-23段しかなかった。
従って、車両もちょっと小ぶり。トラムよりもはるかに背が低いが、乗客にとって頭がつかえる様なことはもちろん無い。写真から推察するところ車両高さはホームから2.5mくらいか。
MetroM1.jpg


なお、このトラム【M1】号線、1896年に建国1000年を記念して建設され、世界でもロンドンについで2番目だったというから、当時のハンガリーが、ハプスブルグ帝国の中心地として、いかに先進国であったかわかる。

これまでも幾つか紹介したが、建国1000年記念では数多くの事業が行われているようだ。

その2年後の1898年、皇妃エリザベートはスイス・レマン湖のほとりでルイージ・ルケーニによって暗殺される。

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リスト記念館
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リスト記念館

ガイドブックを見て、リスト記念館の最寄の駅(Vorosmarty.u.)で降り、近辺を捜すが解りにくい。
それでも、メトロ上の幹線道路の歩道を2・3回往復して捜すと、大通りから少し横に入ったところに遠慮がちに案内表示があった。
Liszt.jpg


午後1時、リスト記念館(Liszt Ference Emlekmuzeum)入場。ブダペスト・カードを見せると入場は無料。しかし、写真料金というのがあって、写真を撮る方は700Ftお願いしますとのことで、これは割引き無し(なかなかいい考え、商売上手)。
来館者は数人。

リスト(1811~1886)は「ピアノの詩人」ショパン(ポーランド)と並ぶ(といっても作風は正反対ともいえるが)ピアノ曲を大成させた作曲家・指揮者。『愛の夢』や『ハンガリー狂詩曲』が有名。

彼の手形があったので比べてみた。それほど“巨大な手”というほどではなかった。
20070628004924.jpg


BGMでリストの曲が常に場内に流れているが、突如ピアノの生演奏の音が別室から聴こえる。そちらに行ってみると、リスト存命の頃から開発が行われていた「自動ピアノ」による演奏であった。おそらく彼自身の演奏の再現なのだと思う。現在はヤマハの自動ピアノ装置が低価格で家庭用ピアノにも取り付けできるが、当時としては大変な発明であったと思われる。その演奏は1曲まるまる再現され結構な時間であった。(曲名の知らない曲であった。10分位か?)
LisztAutopiano01.jpg


公開している部屋の下階にはリストの蔵書のライブラリーがあった。(たまたま通りがかりにちょっと見えた)

LisztPiano01.jpg


13:37 リスト記念館出る。
http://www.hungarytabi.jp/ongaku.htm

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東京で前泊
6月17日から24日まで、【SHOWTECH2007】という展示会に参加のため、ベルリンに出張してきました。

 業務は6月19日から22日の3日間で、前後に一日づつ現地視察(Sight Seeing)、他は日本と欧州の移動に消費です。
従って、実質5日間(あしかけ6日間)の滞在となります。

 福岡から成田へは、当日早朝のANA便で手配の計画でしたが、乗り継ぎ時間にあまり余裕が無く、また旅行の直前にANAのコンピューター・ダウン事故もあったので、前日の内に移動することにしました。

 せっかく前日東京に行くなら、観劇しなくっちゃ!と言う訳で、早速公演をインターネットで検索。
 Bunkamura オーチャードホール(渋谷)で昼公演のSymphonic Ballet コンサート【Rhapsody in Blue】を、そして
新国立劇場・中ホール(新宿・初台)で夜公演のシェイクスピア劇【夏の夜の夢】
二本を見ることにしました。

 当日(2007年6月16日・土)は、朝10:10発のANA248便。
今回はいつものバック一つに全部荷物を詰めて、愛車(ゼロハン)で福岡空港の自転車駐車場へ。
大きなトランクなどは一切無し。原付に積める簡単な荷物!

ほぼ定刻に離陸。快晴!
 半分寝ていましたが、1時間あまり飛んだところで富士山がくっきり見えました。ここは、いい年をしてミーハーになり写真をGET!
MtFuji.jpg

翼の日の丸の上に、富士山という、右翼が喜びそうな構図。
しかし、私もちょっと気に入った構図です。いかにも日本象徴です!

 羽田にもほぼ定刻には着いたとはいえ、開演まで1時間ちょっとしかありません。京急で途上の青物横丁のホテルに荷物を預ける積りでしたが、とても時間がなく、旅行バッグをもって、そのままオーチャードホールへ。
オーチャードホールで着席したのは、開演5分前という状況でした。

荷物を持って渋谷から急いだので、汗だくです。

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以下、次回と致します。

ベリリンしごと旅 第2回へ

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東京でベルリン出張を前に観劇
ベルリンしごと旅-第2回
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ベルリンに出張する話しの続きです。

渋谷のオーチャードホールに着いたのは、急いできても開演5分前で、汗だくでした。

落ち着かないままに、シンフォニック・バレエが始まりました。

Rhapsody01m.jpg

 このバレエ・コンサート。ドイツ帰りの服部有吉(作曲家・服部良一の孫、服部克久の甥)がバレエとコンテンポラリィダンスを融合させたような新たなパフォーマンスを構成し、オーケストラのクラッシク楽曲の演奏で踊るというものです。
 オケは東京フィル。指揮は 金 聖響。ピアノはジャズピアニストとして一躍脚光を浴びている松永貴志。

 まずは静かにドビュッシーの「月の光」のピアノ演奏からの導入です。細部を覚えている訳ではありませんが、柔軟な動きで、この美しい音楽にコラボレイトして行きます。
 オーケストラは舞台奥に配置し、紗幕を開けたり閉めたりして雰囲気を演出します。紗幕は音響的には殆ど音を遮断しませんので、効果的です。
 曲は、メンデルスゾーン、バーバー、シェーンベルクと近代・現代と時代が下がってきます。

 休憩があって、いよいよ今回の演奏会のタイトルである「ラプソディ・イン・ブルー」です。
 この曲はアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュインがジャズの要素をふんだんに取り入れた20世紀前半を代表する音楽です。
 ピアノ協奏曲の体裁を取っていますが、「ピアノ協奏曲」とは冠していません。ピアノは上に紹介した松永貴志。高度なテクニックで簡単に弾きこなしています。

 振付・主演の服部有吉は先日NHK-TVのトップランナーに出ていたように思います。
 華やかな経歴に安住できず、自らに試練を課す為にドイツ・ハンブルク・バレエ団からカナダに移籍、日本に帰国してきたようです。それだけにバレエのテクニックも最高水準です。
 服部有吉のホームページは、ここをクリック

 充分堪能しました。
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 この公演終了後、今度は渋谷から新宿・初台の新国立劇場に移動です。
こちらでは、中劇場でシェークスピアの「夏の夜の夢」を見ました。
NatyunoYo01m.jpg

 妖精の世界と、現実と劇中劇が折り重なる複雑な構造。
新国立劇場の回り舞台を駆使してその異なる世界を表現していました。
 世界は異なっても出演者は同じ。村井国夫と元宝塚の麻美れいが中心となり若手が脇を固める状況でした。
 シェークスピアでも悲劇ではなく、喜劇に近い大団円を迎えるストーリでした。

下の写真はロビーにあった新国立劇場の模型(中劇場部分)
NNT-M01m.jpg

 
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コダーイ記念館
中欧三都市ふらり旅-第15回
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※注:この記事は、ハンガリー・ブダペストの続きです。
 (ベルリンではありません。お間違いなく!)

ついで、コダーイ記念館を捜す。

コダーイ・ゾルタン(1882~1967)はバルトーク・ベラ(1881~1945)と並ぶハンガリーの民族作曲家。リストと一部重なる次世代の作曲家。『ハリー・ヤーノシュ』が中では有名か?
近年、日本でも合唱曲を中心に熱心な支持者が居て普及を続けている。福岡にも福岡コダーイ研究会だったか、そういう団体がある。

こちらもなかなか探しあてることができなかった。
ガイドブックに示された記号の建物は古めかしいが(というか、保守管理もあまり行われていないようなさびれた)一般のボロ・アパート風(しつれい!)。そのまわりのそれらしき店舗のある建物を確認したが、そこにもなし。
Kodaly01.jpg


再び、さびれた建物に行き入り口の居住者表札を見ると、その中にコダーイ(Kodaly Muzeum)の名前を見つけた。コダーイが1924年から亡くなる1967年まで住んでいた所。
そして「御来館の方は呼び鈴を押してください。」と書いてある。呼び鈴を押すと、目の前の、ボロの扉が開いた。「ボロなのにオートロックにはなっているんだ!」

そして、相当年配の女性が「こちらですよ」と手招き。来館者は他に一人も居ない。
こちらもブダペスト・カードで入場は無料。しかし、写真はNG。写真集や絵葉書を買ってくださいとのこと。(本日添付の写真は全てパンフをデジカメ撮影したもの)
Kodaly02.jpg


コダーイはバルトークと行動を伴にして、エジソンが発明したばかりの蝋管録音機を担いで国内(一部国外も)をまわりハンガリーの民謡を収集して、膨大な楽譜資料(ライブラリ)を作成した功績が讃えられている。

ここには、彼の自筆譜が年代を追って大量に展示してあった。色鉛筆による書き込みもリアルだったのでレプリカではなく本物だと思う。コダーイ研究者には、よだれが出るような必見ものだ。
Kodaly03.jpg

記帳ブックがあったので一筆啓上。前の方を繰って見ると居るはいるわ、次から次へと日本人の記帳。半分くらいが日本人ではないかというほど。コダーイは日本人に人気があるんですね。
記帳を終えて帰ろうかとした時、ようやく次の来訪者。この方たちも日本人の中年夫婦(夫婦?かどうかはわからないが)。

14:25 コダーイ記念館出る。


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