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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私の思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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【ポーランド + α 気まま旅】 第100回 最終回!
2010年8月26日(木)

ながらくお付き合い頂きました
【ポーランド + α 気まま旅】 も
  本・第100回 を もちまして 最終回となりました。


  お読み頂き、ありがとうございました。

  旅行の方は、2009年9月29日(火)夕方のプラハから福岡への帰路です。

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2009年9月29日(火) ~ 30日(水)

 どうにか、プラハ空港での大韓航空【KE936便】へのチェックインも間に合い、
定時の 19:25 に離陸しました。

 こちらは、離陸前の搭乗機です。(前回と同じ写真)

P9290171m.jpg

 機内では、音楽を聴いたり、映画を見たりしながら大半は寝ていました。

9月30日 12:35 Inchon Airport(Korea)着陸

 こちらは、着陸してターミナルから出て写した大韓航空【KE936便】

DCF_0307m.jpg

福岡行きに乗り継ぎ
 
 乗り継ぎ時間は、2005年は4時間半もあって時間を費やすのに大変でしたが、
今回は1時間50分と程良い処。

 会社宛のお土産をプラハで買い忘れたので、ヨーロッパ土産がないか捜しましたが、
さすがに見当たらず、当たり障りの無いチョコレート菓子を買いました。

14:00 福岡行き搭乗開始 A300-600 大韓航空【KE789便】
14:15  Takeoff
15:35 Fukuoka Airport 着陸 (飛行時間 80分)  外は小雨模様。

 こちらは、福岡空港に着陸してターミナルから写した大韓航空【KE789便】

DCF_0309m.jpg

駐輪場に置いておいた『愛車』カブ号で帰宅しました。

その後、久しぶりに行きつけのスーパー銭湯(天然温泉とのこと)に行き、
併設の食堂の「うな重」を夕食にしました。

DCF_0310m.jpg

 ひさしぶりに日本の“温泉”にゆっくり入り、「うな重」を食べて、ほっとしました。

**************************

これで、【ポーランド + α 気まま旅】全100回を終了致します。

改めまして、ながらくお読み頂きありがとうございました。 

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第100回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第99回 へ       
     この連載を最初から読む
       前振り(第1回から13回)を省略して旅行記本編の冒頭(第14回)から読む

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  主要日程

  2009年 自 至 便名 交通手段 等
第1日 9月21日 福岡 ソウル    
  敬老の日 10:30 11:55 KE788 大韓航空
第1日 9月21日 ソウル フランクフルト   フランクフルト滞在
  敬老の日 13:15 17:35 KE905 大韓航空
第2日 9月22日 フランクフルト ワルシャワ   ワルシャワ滞在
  国民の祝日 20:55 22:40 LO380 ポーランド航空
第3日 9月23日 ワルシャワ 市内観光   メトロ・徒歩
  秋分の日        
第4日 9月24日 ワルシャワ ショパンツアー   ツアータクシー
  8/8振休        
第5日 9月25日 ワルシャワ クラクフ   クラクフ滞在
  8/9振休 12:15 15:10 5302 鉄道
第6日 9月26日 クラクフ ヴェリチカ塩鉱   ツアーバス
  (土)        
第7日 9月27日 クラクフ アウシュビッツ・ビルケナウ ツアーバス
  (日)        
第8日 9月28日 クラクフ プラハ   プラハ滞在
  8/12振休 5:30 6:45 OA771 オリンピック航空
第9日 9月29日 プラハ ソウル    
  8/13振休 19:25 12:35 KE936 大韓航空
第10日 9月30日 ソウル 福岡    
  8/14振休 14:15 15:35 KE789 大韓航空
 


帰り便スケジュール
2009Sep29
17:22 ホテルをCheck Out
17:28 I P Pavlova (Metro C)
17:43 Mezeum (Metro A)
17:58 Dejevcka より路線バスにて空港へ
18:35 PRAHA Airport
18:40 大韓航空 Check In
19:11 搭乗 A330-300
19:25 Takeoff
2009Sep30
12:35 Inchon Airport(Korea)Landing
Inchonでの乗り継ぎ時間は、1時間50分と程良い処。
14:00 福岡行き搭乗開始 A300-600
14:15 Takeoff
15:35 Fukuoka Airport Landing (飛行時間80分) 小雨模様




テーマ:ヨーロッパ旅行記 - ジャンル:旅行

やっとのことで プラハ空港に到着しましたが・・・
2010年8月21日(土)

【ポーランド + α 気まま旅】 第99回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)夕方のプラハ空港です。 
 
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2009年9月29日(火)

ようやく、空港内の長いパッセージを歩いて搭乗受付に行くと省エネ?のせいか、薄暗く、営業している窓口もまばら。

(この辺も出発が間近に迫っているので写真を撮る暇無し!)

ソウル行きの出発時間は、19:25。

 前回と同じところにあるのだろうと一番端のカウンターに18:40頃着くと、電気もついておらず、営業している雰囲気は無し。 既に18:45 近い。

 しかし、カウンターに二人係員が居たので「大韓航空のカウンターは何処か?」と訊くと「ここです」との返事。

 「ソウル行きに乗るのだが」、と言うと早速電話を掛けて、預ける荷物が間に合うか問い合わせをしていた。

 「来るのが遅すぎたのか?」と訊くと 「そういう訳ではない」との返事。
 荷物を預ける方も間に合った。

 「預ける荷物のFinal Deatination は福岡だから」 と念を押すと 「福岡にしています」 との返事。 一安心。
(これは、前回2005年の折、荷札が最初ソウルのInchoenになっていて訂正させた経験から)

 と言う訳でどうにか搭乗手続きも終わったので、パスポートチェックをスムーズに通ってB-09Gateへ。

P9290171m.jpg


 19:00搭乗開始のところ、まだ15分ほど時間があったので、搭乗機の写真を撮り、隣接している免税店でお土産を購入。
お菓子と洋酒とタバコと香水しか置いていないので、お菓子をとり合えす3個買った。

機内に入ってから、会社あての御土産を買っていないことに気付いたが、あとの祭り。

Incheon で何か物色して見よう。

 19:11搭乗。19:25の予定通りに出発した。

すなわち、結果的には間に合ったが、薄氷を踏む思いであったということは事実だ!

で、今、機中でこれ(ブログ原稿)を書いているところ。

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前回(2005年)の帰り便スケジュール参考(【中欧三都市ふらり度 第55回】 より)

2005May05
16:30 ホテルをCheck Out
16:35 I P Pavlova (Metro C)
16:45 Mezeum (Metro A)
16:45 Dejevcka
17:10 PRAHA Airport
17:20 大韓航空 Check In
19:45 搭乗 A330-300
20:15 Takeoff
2005May06
12:47 Inchon Airport(Korea)Landing
Inchonでの乗り継ぎは時間がありすぎ。4時間半。
17:22 福岡行き搭乗開始 A300-600
18:15  Takeoff
19:22 Fukuoka Airport Landing (飛行時間67分)

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第99回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第98回 へ      第100回 へ  
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ホテルに戻り 荷物を受け取って プラハ空港 へ
2010年8月18日(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第98回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)午後のプラハの続きです。

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2009年9月29日(火)

シナゴーグ(ユダヤ人)街付近のバス停から16:38発(運行表で)のバスで、
ルドルフヌィ芸術家の家近くのバス停まで乗りました。

P9290161m.jpg
    (乗車したバス停付近の立派な建物)

P9290164M.jpg
    (こちらは、その反対側の河畔)

芸術家の家のバス停から歩いてすぐのメトロ駅から四つ目の I.P.Pavlova 駅まで (17:00)
既に通い慣れた路を歩いて ホテルに戻りました。(17:05)

ソウル行きの出発時間は、19:25。

ホテルで、荷物を3個から2個に組み替え。

17:22 ホテル発 ⇒ Museum は見えているが 荷物もあるので、【I.P.Pavlova】 から メトロ乗車。(17:28)
C号線で 【Museum】 へ。 ところが、飛び乗ったメトロの進行方向は逆!

次の駅で反対側に乗り直し、【Museum】 着は 17:43。(私としたことが何と無駄な時間!)

【Museum】 で乗り換え、飛行場行きバス乗り場のあるメトロA号線 の 終点 【DEJVCK】 まで。

DCF_0303m.jpg
    (DEJVCK 駅付近の風景)

そこから、17;58発の空港行きバスに乗り込んだのまでは良かったのですが・・・

P9290166m.jpg

このバスはエクスプレス直行ではなく、各駅停車。

それは良いのですが、丁度退勤時のラッシュにぶつかり少し渋滞。これは予想外の展開。

ソウル行きの出発時間は、19:25。

そして、「Terminal-1」 のバス内の電光掲示を見て、降り立ったところは草むらの中?
というにふさわしい空港とは全く異なるところ。(18:20)

DCF_0306M.jpg

先ほど、「Terminal-3」は、確かに通ったので、そう間違いはないと思ったのですが、
こんなところで降りた私が馬鹿でした。(前回2005年の経験は生かされなかったようです)

 一瞬呆然としましたが、ここで慌てて歩き出しては迷いかねません。
出発時間は1時間後に迫っています。

ソウル行きの出発時間は、19:25。

各駅停車の路線バスなので、次のが来るだろうと待っていると、5分ほどで来ました。

「Terminal-1」 に行きたいんだが?と(英語で)訊くと 「乗って良い」 とのこと。
ようやく 「Terminal-1」 という表示が見えるところに来たので、降りようとすると
運転手が 「次の停留所だ」 と言います。
ぐるっと回ってもっと近くまで行くのかと、そのまま乗っていると着いたのは 「Terminal-2」

「Terminal-1と言ったじゃないか?」 と文句を言うと 「Really? You can walk」 だって!

そりゃ歩ける距離だが、大きな荷物を持っているんだよ。 18:35頃

(この辺になると、時間が迫っているので、ターミナルの写真を撮る余裕も無い!)

ソウル行きの出発時間は、19:25。

ソウル行き国際線の搭乗まで1時間をすでに切っています!

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第98回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第97回 へ      第99回 へ  
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ポーランド東部 マイダネック強制収容所跡で 火災発生
2010年8月11日(水)


【ポーランド + α 気まま旅】 番外編

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 今日から15日まで「お盆休み」です。

 今日は、今年初の台風第4号が日本に接近していますが、九州には上陸せずに日本海を北上中。

 中国での大規模水害をはじめ、インドや世界各地で洪水が発生しています。
中国の洪水は急速な開発と森林伐採の影響とも言われています。

 さて、ポーランドでは、数ヶ月前にアウシュビッツ博物館を含む広い地域でヴィスワ川の氾濫で水没しましたが、今度は別の収容所跡博物館が火災に見舞われたようです。

ナチス強制収容所跡で火災、収容者の靴7千足焼ける(朝日新聞) - goo ニュース
 
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ポーランド収容所跡地で火災、犠牲者の遺品焼失か 

      読売新聞 2010年8月11日(水)13:26
 【ベルリン支局】AP通信などによると、ポーランド南東部ルブリン郊外のナチス・ドイツによる「マイダネク強制収容所」跡の博物館で9日夜、火災が発生し、収容所として使われていた木造の建物が半焼した。

 保管されていたユダヤ人犠牲者らの靴1万足の大半が焼けた恐れがあるという。

 火元は旧収容所の台所付近とみられている。火災の原因は不明。電気系統のトラブルの可能性がある。

 同博物館によると、マイダネク強制収容所は第2次世界大戦中の1941~44年、ナチス・ドイツがユダヤ人ら15万人を収容。ユダヤ人6万人を含む8万人がガス室などで殺害された。
 





【ポーランド + α 気まま旅】 番外編
   【ポーランド + α 気まま旅】 第95回 へ      第97回 へ  
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プラハでの昼下がり 遅い昼食 と シナゴーグ地区 散策
2010年8月4(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第97回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)午後のプラハのつづきです。 
 
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2009年9月29日(火)

 旧市街広場に面した「チェコ料理」のオープンテラスのレストランで
チェコビールと鳥の胸肉のピリカラ料理を注文しました。

P9290132m.jpg

P9290131m.jpg
 
 コーヒーはチェコのOldCafeを頼みましたが、これはウィーンのアインシュペンナーみたいな感じで結構おいしかった!コニャック入りのようです。
 
P9290133M.jpg

 お代は、トータル 525kc

 帰国の飛行機の時間に向けて、これからは、時間の管理が大切です。

 前回は4時半にホテルを出ても1時間半も早すぎたのですが、今回は19:25ソウル行きなので、5時過ぎにはホテルを出たい処です。


 広場に面した教会をちょっと覗いてみました。

P9290137m.jpg

P9290138M.jpg
     内部は豪華絢爛と言うよりは、比較的シンプルな作りです。

次に、ユダヤ人地区のシナゴーグにゆくことに。

地図に従って行くと問題なくそこに着きました。

P9290141M.jpg


その一つに入ろうとすると入場券を向かいのBoxOfficeで買ってください、とのこと。
幾らか訊くと500kc。

P9290148M.jpg


ランチと同じくらいするし、多額のkcを残さないためにすでにさっきのレストランで現金払いしたこともあり、50kc札と小銭くらいしか残っていないので、内部の見学はパスし、外観だけ見て歩きました。

P9290146M.jpg

    塔の時計は、午後4時になろうとしています。 ↓
P9290147M.jpg

これが結果的には正解だったのは、そのあと時間が結構厳しい羽目に陥ったからです。

P9290149M.jpg

P9290150M.jpg

P9290157M.jpg

P9290158M.jpg


 付近のバス停から16:38ルドルフヌィ芸術家の家近くのバス停まで乗り、
そこからメトロで既に通い慣れた路をホテルに戻りました。

メトロ I.P.Pavlova 17:00着 ⇒ 徒歩 ⇒ ホテル着 17:05
 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第97回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第96回 へ      第98回 へ  
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プラハの 【火薬塔】
2010年8月3日(火)

【ポーランド + α 気まま旅】 第96回

  久々の【ポーランド + α 気まま旅】への復帰です。
  旅行の方は、2009年9月29日(火)午後のプラハです。

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2009年9月29日(火)

 そこから前回(2005年)見ていない「火薬塔」をみるために Metro で 2駅移動。

 Frorenz 駅?だったかを降りて、方向感覚と地図を頼りに探しましたが、
しばらく方向が掴めませんでした。

P9290095m.jpg

 移動すると解りにくくなるので、同じとこら辺を各方向に向かって回転しながら落ち着いて
確認すると、目の前の立派な建物がどうも 「プラハの春音楽祭」 の開幕が行われるという
「市民会館」 であるらしいことが解りました。

DCF_0295m.jpg
      こちらが 【プラハ市民会館】(同じような写真で済みません)

P9290105m.jpg


それが解れば、目的の「火薬塔」のある方角は明らかです。
すこし歩くと隠れていた高い塔が見えてきました。

DCF_0296M.jpg

見つけてしまうと、さっきまで何で見つけられなかったのだろうか?と言う感じ。

P9290103M.jpg


「火薬塔」のすぐ横から路を地図を頼りにしばらく歩くと、予定通り旧市街広場に行き当たりました。

P9290115m.jpg

P9290118M.jpg


 広場に面して ミクラーシュ教会 が見えるので、前回(2005年)も来ているはずですが、
この広場の印象は記憶によみがえって来ません。
 前回入った教会の入り口が反対側だったのでしょうか?

P9290123m.jpg
      広場の向こう側 右寄りに見えるのが【ミクラーシュ教会】

P9290116m.jpg
      これは、確か【ヤン・フス像】だったか・・・?


広場には多数の飲食店がビルや屋外席や屋台などを使って店を出していますが、その一角のレストランが「チェコ料理」と表示してありましたので、そこに座りました。

チェコビールと鳥の胸肉のピリカラ料理を注文しました。

P9290130M.jpg

 食べ始める頃には午後3時を過ぎていました。

P9290126M.jpg

 今日の夕方の便で帰国の途に着くので、これからは、時間の管理が大切です。
 
 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第96回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第95回 へ      第97回 へ  
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プラハ市内を散策
2010年7月13(火)

【ポーランド + α 気まま旅】 第95回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)午後のプラハです。

 国立博物館を出て、前回(2007年)に訪問できなかった名所にゆくことに。
 
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2009年9月29日(火)

そこからバーツラフ広場を通ったり、横道を行ったりしながらエステーと劇場に向かいました。

P9290083M.jpg

P9290088M.jpg

P9290069m.jpg

P9290070m.jpg

途中には、前回入った【アルフォンス・ミュシャ美術館】の横を抜け、

P9290076m.jpg

ようやく、エステート劇場の横へ出ます。

P9290090m.jpg

しかし、昨日のようにはそう度々うまく行く訳はありません。この日の昼の公演は何もないようでした。

P9290089M.jpg

P9290091m.jpg


そこから前回見ていない「火薬塔」をみるためにMetroで2駅移動。

P9290094m.jpg

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第95回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第94回 へ      第96回 へ  
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チェコ 【国立博物館】 つづき
2010年7月3日(土)

【ポーランド + α 気まま旅】 第94回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)午後のプラハです。



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2009年9月29日(火)

国立博物館関係の写真の続きです。

P9290043M.jpg
   (中庭から見える外壁の装飾)

P9290052m.jpg
   (階段の中段にあるピアノ。サロンコンサート用か?)

P9290053M.jpg
   (ロビーの柱のひとつ)

P9290057m.jpg
   (「国立博物館」内にある 「国立博物館」の全景模型)

P9290063m.jpg
   (こちらは、国立博物館に隣接する建物)
 
 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第94回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第93回 へ      第95回 へ  
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「プラハの春」 ならぬ 「プラハの秋」 の昼下がり 国立博物館へ
2010年6月28(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第93回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)お昼のプラハです。

 午前中は、ホテルで久々にゆったりして、前日までの強行軍の骨休めをしながら、
この「旅行記」の続きを書いたりして時間を過ごしました。
 
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2009年9月29日(火)

 結局、ホテルに荷物を預けて外出したのは12時前になっていました。

まずは、前回 2005 年の訪問で行く時間がなかった「国立博物館」へ。

 ホテルから I P Pavlova までは遠いとは言え、歩いて5分しか掛かりませんでした。

そこから目の前に見えている Museum まで歩いてまた5分も掛からず 12時過ぎには到着。

P9290003m.jpg

メトロ の Museum 駅側から行くと、「国立博物館」の裏側に出ます。

そこから右ウイングを(上の写真で左方向に行き、建物の角を右へ)回ると、
第90回で夜景を掲載した チェコ「国立博物館」の正面です。

P9290067m.jpg

「国立博物館」の正面に「ヴァーツラフ広場」があり、商店が並んでいます。

上の写真の正面入り口前から見た「ヴァーツラフ広場」です。(

          写真中央の「馬上の騎士」がヴァーツラフ皇帝
P9290005m.jpg

「ヴァーツラフ広場」の幅と奥行きを感じていただけるでしょうか?
正面突きあたりの建物の向こう側が 「ブルタヴァ川」 となります。

大阪の御堂筋のような感じですが、メトロで二区間(駅三つ)分。
いわゆる『歩行者天国』で、御堂筋のような自動車道ではありません。


こんな写真を撮ったりしていたので「国立博物館」への入場は12;20になりました。

入場料 150kc に写真撮影許可証 50kc で、合計 200kc およそ4ユーロ。540円位?
まあ、手ごろなところです。

P9290009m.jpg


まずは、その壮大な建築構造物と内装の豪華さに驚かされました。

P9290010M.jpg

     (エントランスの階段)

展示の中身はウィーンのオ-ストリア国立「自然史博物館」と同じような鉱物や化石や
『Zoology』 と称した、絶滅種も含む あらゆる動物の「剥製」の展示 等など。

P9290037M.jpg
     (マンモスの実物大剥製? これは、レプリカです)

と言う訳で展示物の観察もそこそこに建築や内装の写真ばかりを撮っていました。

P9290041m.jpg

    (各展示ホールに向かう階段)

P9290018M.jpg

    (こちらは、ドーム状の天窓がある中央ホールと四方の壁画の一面)

P9290017m.jpg

    (その部分拡大です。他の三面も撮りましたが、省略)

 他にも多数の写真を撮りましたが、最小限だけ掲載しました。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第93回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第92回 へ      第94回 へ  
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プラハのホテルで「旅行記」入力
2010年6月25日(金)

【ポーランド + α 気まま旅】 第92回

  旅行の方は、2009年9月29日(火)未明から午前中のプラハです。

ホテルでのひとこま

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2009年9月29日(火)

 昨夜、宿泊している部屋の隣にあるパソコンルームを使ってこの旅行記の入力やメールをしていたらいつの間にか2時になっていた。

P9280212m.jpg
   (日本より持参したモバイルパソコンは【acer : ASPIRE one】;左)

気がついたらパソコンルームで居眠りをしてしまっていた。

驚いて、シャワーのみさっと浴びて寝る。

7時の目覚ましで起きて再びパソコンを立ち上げた。
カメラデータの移動ができていなかったのだ。

7時過ぎに遅めの朝食に行くと、朝食の開始は7時半からだと言う。
ホテルとしては、遅めである。 出直した。

P9290215m.jpg
     (こちらは、パン・チーズ・ハムなど主食のコーナー)

このホテルでは一人当たり取り皿が一枚で、他に取り皿を置いていない。

P9290218s.jpg

 それも小さめのもの。こういう方法で消費量をコントロールしている訳だ。

     P9290220s.jpg

      これなら、一応取った分を食べてしまわないと次を取れない。

P9290216m.jpg
     (こちらは、果物・ケーキ・ヨーグルトなどデザートのコーナー)


          P9290221s.jpg

           食べ残しを防ぐ効果があるかも知れない。


朝食後、パソコンルームをもう一度使ってメールチェックと送信。(安否便りの類)


そうこうしている内に、早くも9時半を過ぎたので、フロントでチェックアウト・タイムを訊くと、
12時とのこと。ゆったりできることがわかりもう一度パソコンに取り組む。

結局、ホテルに荷物を預けて外出したのは12時前になっていた。


 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第92回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第91回 へ      第93回 へ  
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 【ヴァーツラフ広場】 独立と革命と民主化の『拠点』
2010年6月21(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第91回

  旅行の方は、2009年9月28日(月)深夜のプラハの続きです。

 オペラ 【ルサルカ】 が上演された 【国立劇場】から
  夜の【ヴァーツラフ広場】へ行きました。
 
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2009年9月28日(月)


 国立博物館の裏側というかこちらの方が表側ですがが、ヴァーツラフ広場です。

 飲食店やブティックなど商業施設がこの広場の周辺に並んでいるので、
日中は、雑踏でごった返していますが、さすがに夜11時前となると人通りもまばら。

P9280191m.jpg

ここは、1964年の「プラハの春」民主化闘争や
1989年の「ビロード革命」の舞台として
多くの民衆が結集した広場です。

P9280190m.jpg
  (【28.X.1918】の記念標識
   1918年10月28日は、第一次世界大戦とロシア革命の影響下で、
   ハプスブルグ家の帝国【オーストリア・ハンガリー二重帝国】
   の支配から「独立した記念日」とのこと。
   この頃まで、ハプスブルグ帝国が存在していたことが驚き!)

      詳しくは、ここをクリック 「チェコスロバキア」
      こちら、「チェコ共和国」公式サイト へも、どうぞ


その後、夕方声が掛かったブルダヴァ川の船上レストランがまだやっていないかどうか確かめるために、再びMetroでルドルフヌィに。

 さすがに夜11時前でもあり、営業は終わっていました。

P9280195m.jpg
    (ライトアップされた【芸術家の家コンサートホール】正面)

P9280203m.jpg
    (同じく 【芸術家の家コンサートホール】全景)


ライトアップされた夜景を写真に収め、再び行き慣れたルートでホテルに帰りましたが、12時近くとなっていたことは、間違いありません。

P9280201m.jpg
     (ブルタヴァ川をはさんでライトアップされたプラハ城を眺む)


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本日の万歩計 14,753歩,9.59km
公共移動手段を使っている分、歩きは少ないようです。

(ここまで、現地時間28日夜プラハのHOTELで追記)

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第91回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第90回 へ      第92回 へ  
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【RUSALKA】 を見終わって
2010年6月18日(金)

【ポーランド + α 気まま旅】 第90回

  旅行の方は、2009年9月28日(月)深夜のプラハです。

  【国立劇場】で公演された
 オペラ 【ルサルカ】 を見終わりました。

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2009年9月28日(月)

【ルサルカ】の長いカーテンコールが終わって国立劇場から出てきた時には
午後10時半を過ぎていました。

P9280176m.jpg

今日は、午後2時からプラハ国民劇場で、スメタナの「売られた花嫁」
午後7時からチェコ国立劇場でドボルジャークの歌劇「ルサルカ」
と3時間以上に渡る、地元の作曲家による国民オペラを2本続けて見たことになります。

P9280178m.jpg


早朝プラハに来た甲斐があったというものです。
ホテルも早く部屋に入れて睡眠をとったおかげで、オペラ鑑賞中も起きていることができました。

これを聴けただけでもプラハトランジット1日延長の目的は達成されました。

P9280183m.jpg

 こちらは、国立劇場のすぐ近くにある国立博物館です。

P9280189m.jpg

 その裏側というかこちらの方が表側ですがが、ヴァーツラフ広場です。
 上の写真の『馬上の騎士』はヴァーツラフ将軍(Svatý Václav ~AD:935)

   (以下、次回に回しました)


 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第90回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第89回 へ      第91回 へ  
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チェコ国立劇場 にて オペラ 【ルサルカ】 RUSALKA 人魚姫伝説 鑑賞
2010年6月17日(木)

【ポーランド + α 気まま旅】 第89回

 旅行の方は、プラハで、
 2009年9月28日(月)の夜です。

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2009年9月28日(月)

午後7時開演の オペラ 【ルサルカ】 を観劇しました。

あの【新世界交響曲 “From the New World”】 で有名な
チェコ民族が誇る作曲家ドヴォルジャークの 数少ないオペラ の一つで
チェコ国民の多くが筋書きを知っている有名な『国民オペラ』です。

アンデルセンの寓話「人魚姫」とも、ほぼ共通するストーリーです。

以下のあらすじは、歌劇 「ルサルカ」 Rusalka より引用

作曲:ドヴォルジャーク:1841年~1904年 
     Antonín Dvořák
初演:1901年 3月31日、国民劇場(プラハ)
            先ほど「売られた花嫁」 を見た劇場
   2005年5月3日には、国民劇場でルサルカを鑑賞しました

登場人物
 ルサルカ…水の精(S)
 王子(T)
 外国の王女(S)
 水の精のおじいさん(B)
 イェジババ…魔法使いのおばあさん(A)
 森番(Br)
 料理人の少年(S)



P9280166m.jpg 

第1幕 深い森の奥の湖畔
月の光を浴びて三人の木の精の娘たちが歌い遊んでいる。賑やか声に誘われて、湖から水の精のおじいさんが姿を現す。柳の木の枝には水の精ルサルカが座って物思いに沈んでいる。彼女は、しぱしばここで水浴びをする美しい王子に恋をしているのだ。王子と愛し合うために人間になりたいと願うルサルカに、水の精のおじいさんは、魔法使いのおばあさんのイェジババに相談しなさいと助言する。
イェジババを訪ねたルサルカは「人間の姿になることはできるが、引き替えに声を失う」と聞かされる。その上、もし恋人が彼女を裏切るようなことがあれば、その時は二人で水の底に沈まねばならないという。それでも思いを断ち難いルサルカは、愛を貫くためその過酷な案件に従う。
一方、狩りの仲間から離れてひとりで森をさまよう王子は、人間に姿を変えたルサルカに出会う。貧しい服装ながらその豊かな金髪はまばゆいばかりだ。二人は目を見交わし、いつか固く抱き合う。王子はルサルカを城に連れて帰る。
 



P9280161m.jpg

第2幕 王子の城の庭園
森番は料理人の少年から今夜の宴が王子とルサルカの結婚式だと聞かされる。森番はその娘が妖精や魔法使いでなければよいがと案じる。
一方の王子は、城に連れ帰って一週間たつのにいまだ話の通じないルサルカに飽きていた。彼は祝宴に招かれた外国の王女に目移りし、ルサルカが着替えに行った隙にこの外国の王女と仲良く踊る。庭の池からこの様子を見ていた水の精は、王子の心変わりを嘆くルサルカを励ますが、そこに王子が外国の王女を伴って現われて愛を誓い合う。驚いたルサルカは樹の陰から飛び出して王子の腕を引くが、怒った王子に突き飛ばされる。水の精は、ルサルカを水の中に引き入れる。
この様子を見て恐怖に駆られた王子は外国の王女に助けを求めるが、なぜか彼女は冷たい笑いを浮かべて立ち去る。 



P9280164m.jpg

第3幕 森の中の湖畔
森に戻ってきたものの妖精に戻ることも叶わぬルサルカは、ひとり柳の枝に座って虚ろに過ごす。魔法使いのおばあさんイェジババは、愛する男の血があれば妖精に戻ることができると教えて短剣を渡すが、いまだ王子を愛するルサルカは剣を湖に捨ててしまう。
城の森番と料理人の少年がイェジババを訪れる。彼らは、城からルサルカが姿を消してから王子が重病に陥ったと言い、ルサルカの不実を責める。しかし、それを聞いた水の精は、湖から姿を現して不実は王子の方だと叫ぶ。驚いた二人は逃げ去る。
夜の森に王子がひとりで現れてルサルカを深す。ルサルカは王子の不実を嘆き、王子は許しを乞う。ルサルカは口づけすれば彼の命はないと告げる。しかし、王子はルサルカを抱いて自ら口づけをする。ルサルカは王子の亡骸と共に湖の底に沈んで行く。 



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中身は全体として新鮮だったので、前回2005年に国民劇場で聴いた時には殆ど寝ていたのでしょう。(その時居眠りしていた実感は確かにありました!)


P9280168m.jpg
   (カーテンコール:コック姿の料理人の少年の左側がタイトルロール:ルサルカ)

P9280169m.jpg
   (カーテンコール:指揮者も舞台に上がって観客の声援に応える)

P9280171m.jpg
   (カーテンコール:全員で観客の声援に応える)

終了した時には、午後10時半となっていました。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第89回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第88回 へ      第90回 へ  
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チェコ 【国立劇場】 STATINI OPERA へ
2010年6月14日(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第88回

  旅行の方は、2009年9月28日(月)夕方のプラハです。

  今回は、【国立劇場】で これもチェコの誇る民族作曲家・ドボルジャークの
 オペラ「ルサルカ」 です。

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国立劇場に着いたのは、6時過ぎとなっていました。

P9280123m.jpg

ここでもロビーに大勢の人々が居たので、窓口に並んでいると、多くの方は電話予約分の受け取りのようでした。

P9280122m.jpg

P9280124m.jpg
   (ホワイエの時計)

 私の番になったので、この公演の当日券はあるかと訊くと、良い席のほうですか安い方の席が良いですか?と聞かれたので、「Cheeper one , Balcony is OK」 というと、最上階の中央バルコニー席の右端の席を販売してくれました。(席の位置も案内嬢に聴いて初めてわかりました。)

 右下の端がサイドバルコニーにけられますが、400チェコ・クローネということですので、結構な位置と視界だったと思います。
P9280126m.jpg
   (GETした座席から舞台を見る)


P9280137m.jpg
   (GETした座席から下手側バルコニー席を見る)


P9280141m.jpg
   (GETした席から客席中央のシャンデリアを見る)


P9280047m_20100614191523.jpg
   (GETした座席から舞台と客席を見る)


P9280144m.jpg
   (5階客席中央から舞台正面を見る)


P9280152m.jpg
   (1階客席から後方バルコニー席を見る)

P9280156m.jpg
   (オーケストラ・ピット)

 いよいよ、オペラ「ルサルカ」 の開演です。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第88回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第87回 へ      第89回 へ  
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オペラ 「売られた花嫁」 を見終わって 【芸術家の家】 方面を散策
2010年6月10日(木)

さて、
【ポーランド + α 気まま旅】 第87回

 旅行の方は、プラハで、
 2009年9月28日(月)の夕方です。
 

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2009年9月28日(月)

 オペラ 「売られた花嫁」 を見終わって 劇場から出てきた時は、時計の針は5:15頃になっていました。

 その後、次はルドルフヌィの「芸術家の家」にトラムで移動し、プレイガイドに行ってみましたが、閉まっており、今日の公演は無いようでした。

P9280097m.jpg
   (コンサートホール【芸術家の家】の前はトラムや自動車の行き交う場所)

P9280099m.jpg

 その界隈で「芸術家の家」やプラハ城などの写真を撮って、

P9280100m.jpg
   (【芸術家の家】側からプラハ城をのぞむ)

P9280103m.jpg
   (【芸術家の家】正面)


P9280107m.jpg
   (以下、プラハ城 を背景に) 

P9280109m.jpg

P9280116m.jpg

P9280114m.jpg
    (カレル橋を背景に)

 次に地下鉄(メトロ) Museum 近くの国立劇場を目指しました。
 メトロで2駅で、到着。5分ほど。
  (Staromestska で乗車 ⇒ Mustek ⇒ Museum 下車)

P9280118m.jpg


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【ポーランド + α 気まま旅】 第87回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第86回 へ      第88回 へ  
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プラハ 【国民劇場】 で オペラ 「売られた花嫁」 鑑賞
2010年6月9日(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第86回

  旅行の方は、2009年9月28日(月)夕方のプラハです。

  前回は、【国民劇場】で チェコの誇る民族作曲家・スメタナの
 オペラ「売られた花嫁」 を見たという話でした。

  続きをどうぞ。

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 オペラ「売られた花嫁」の粗筋は、取り敢えずとして、
 【国民劇場】 の内部の写真を幾つか御紹介します。

P9280042m.jpg
  (私のGETした座席から下手〔しもて:舞台に向かって左側〕バルコニー席を見る)

P9280046m.jpg
  (私のGETした座席から正面『額縁』と『緞帳』を見る)

 
P9280045m.jpg
  (私のGETした座席から上手〔かみて:舞台に向かって右側〕バルコニー席を見る)


P9280054m.jpg
  (『額縁』上部の装飾屋根)

P9280047m.jpg
  (オーケストラ・ピット)

P9280058m.jpg
  (客席中央上部を大きく飾るシャンデリア) 

P9280060m.jpg
  (『中入り』:Intermission ;先ほどとは別の『緞帳』が掛かっている)

P9280081m.jpg
  (カーテン・コール)

P9280083m.jpg
  (長く続くカーテン・コール;オーケストラは引き上げているのに拍手は続く)
 
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 オペラの内容は、他愛のないものですから省略。

 歌手の皆さんそれぞれ好演でしたが、歌手の力量は昨日クラコフで聴いたヘンデルの歌劇の方がうまかったと思います。
 短く感じましたが、3幕2回休憩で約3時間の公演で、カーテンコールが終わって出てくると、時計の針は5:15頃になっていました。


 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第86回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第85回 へ      第87回 へ  
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プラハ 観光
2010年6月7日(月)

さて、
【ポーランド + α 気まま旅】 第85回

 旅行の方は、ポーランドからチェコ共和国の首都プラハに到着した
 2009年9月28日(月)の早朝です。
 

 プラハの街は、2005年ゴールデンウィークの
 【中欧三都市ふらり旅】
   以来早くも 4年ぶり になります。
 
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2009年9月28日(月)

 チェックインはしても部屋の使用は午後2時とか4時とかが、多いのですが、幸い朝から部屋が確保されていました。8:20入室。

 で、早速部屋に入って、シャワーを浴びたついでに下着一組を洗濯したあと、一眠りしました。

P9280009m.jpg


 寝はじめた時点で既に9時を過ぎていましたので、11時に目覚ましを掛けましたが結局起きたのは11時40分を過ぎ居ていました。

P9280004m.jpg

 せっかくの時間に勿体無いようですが、午後に観劇できた場合に、居眠りしないための準備です。

 起きてから、最小限の荷物を持って、又徒歩でI P Pavlova 駅まで行き、そこからトラムを使って、ブルタヴァ川あたりを散策。

P9280013m.jpg
   (ブルタヴァ川:国民作曲家スメタナは【モルダウ】の名で交響詩を作曲
    当時公用語であったドイツ語読みでは、モルダウ川と言ったらしい。)

P9280016m.jpg
   (ブルタヴァ河畔からプラハ城方面を眺望)


P9280024m.jpg
   (ブルタヴァ河畔からプラハ城の対岸を眺望)


P9280022m.jpg
   (ブルタヴァ川にかかる橋の上から国民劇場を見る)

P9280038m.jpg
  (ブルタヴァ川にかかる橋の上に居た白バイ警官 写すことの許可を得て撮影)

 その足で、5年前にもオペラを見た国民劇場に行ってみました。1:30頃だったと思います。

P9280035m.jpg
    (国民劇場)

 ここで、今夜何かやっていないかと、あてずっぽうでいったのですが、観客らしき人々がロビーに居ます。

 隣接のプレイガイドに行き、今日の演目を見るとまもなく、午後2時からオペラ公演がある様子。
9月の公演案内をみても題名(チェコ語)では類推できませんた。

 しかし、その名前の案内のところをよく読むとスメタナの歌劇らしいことが解りました。
私が知っているスメタナの歌劇は「売られた花嫁」という邦題のものくらいです。

 ダメ元で窓口に訊くと、当日券があるとのこと。

 バルコニー2段目の中央から少し上手よりの絶好の席が 500Kc(チェコ・クローネ)で手に入りました。およそ20ユーロですから 2,500円 くらいの席ですが、見晴らしも充分です。

 開演予定の午後2時から少し遅れて序曲が始まって、初めてその公演が
歌劇 「売られた花嫁」 に間違いなかったことがわかりました。


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【ポーランド + α 気まま旅】 第85回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第84回 へ      第86回 へ  
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プラハ (PRAHA) 到着! (2009年9月28日)
2010年6月3日(木)

【ポーランド + α 気まま旅】 第84回

  旅行の方は、2009年9月28日(月)早朝のプラハです。

  なお、「Praque」 と書くのは英語で、現地では 「PRAHA」 です。

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 プラハ空港でも白タクらしいおじさんが声を掛けてきましたが、
「公共交通機関で」と言って断りました。

 こちらは2005年に来ているので、バスなどの便があることを知っています。

 バス停はすぐに見つかり(というのは、2005年は帰路にプラハ市内から空港だったので。
 そのときも前日に下見はしておいたのですが・・・) 乗車 7:12 出発。

 地下鉄と連絡する駅「DEJVICKA」で全員下車したので、運転手に聞いて私も降りました。
 7:32 「DEJVICKA」到着。

 Metroの自動券売機でどうにか一日フリー乗車券(一日パス)を100Kc(クローネ)で購入。
 100Kc で大体500円程度。 自動券売機の説明を読み取るのが大変でした。
 (二日パスは自動券売機には無かった。)

 実際に使用する料金は100Kcより安いかもしれませんが、乗り換える度に券売機で確認するのが面倒なので、大体 一日パスとか 二日パスとか御当地のサービスが一杯付いた旅行者用カード(ウィーンカードとかプラハカードとか・・・)を買うことにしています。

 プラハカードは、600Kc 近くもするし、プラハ滞在は二日だけで、あまり観光地を回って入場する予定もないので、今回は一日パスを今日と明日の2回買うことにしました。

 7:45頃、「DEJVICKA」から 【Metro-A号線】 に乗って「Museum」まで、

P9280001m.jpg
 (このホームは 【C号線】 のホームで 停車駅案内の両端に【C】と書いてあります。
  この駅は「Museum」で、駅の になっています。乗り換え線を 【A】 と表示)

そこから 【Metro-C号線】 に乗り換えて、「I P Pavlova」 まで。
乗換えを含んで20分ほど。

 ホテルのあるらしき場所の地図は出力していなかったようなので、
インターネットで大体の位置を前日確認しておきました。

 それらしき方向に歩いていると、2005年に泊った「SAN MARCO HOTEL」がありました。
途中のホテルで住所を示して方角を聞いたら「間違いないが、もっと先だ」とのこと。

P9280002m.jpg
  (朝8時頃ですが、まだうす暗い状況でした。 実際より明るめに映っています。)

 ようやく、HOTEL AMIGO PRAHA に8:15頃に到着しました。

P9280003m.jpg

 チェックインはしても、部屋の使用は 午後2時 とか 4時 とかが、多いのですが、
幸い朝から部屋が確保されていました。 8:20入室。

(ここまで、2009年9月30日Incheon空港の乗り継ぎ待ち時間に修正追記)

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HOTEL AMIGO PRAHA ★★★★
冷蔵庫 ○
湯沸かし器 ×
電源コンセント(浴室に3個)
インターネット 別室あり。
 設置のPCからLAN回線を外して持参のPCに繋ぎなおすと使えた
コーヒー、紅茶などのティーバック ×
ボトルWater ×
Safty Box ○
湯船  ×
浴用アメニティGoods(髭剃り、歯ブラシ、櫛 など) ×
寝具(浴衣のようなもの) ×
スリッパ ×

58 ユーロ
交通はちょっと不便 【地下鉄C号線】の路線上だが、
どちらの駅にも徒歩10分程度
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【ポーランド + α 気まま旅】 第84回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第83回 へ      第85回 へ  
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2009年9月28日(月)早朝 クラコウ から 空路 プラハ へ
2010年6月1日(火)

暦の方は既に6月に入りました。
こちらのブログも“日付上は”年初より一日も欠けることなく続けて来られています。

さて、

【ポーランド + α 気まま旅】 第83回

 旅行の方は、クラコウ実質3日目(足掛け4日目)の 2009年9月28日(月)の早朝です。
 
 今日は早朝からチェコ共和国の首都プラハに移動です。
どれくらい早朝かと言うと、飛行機の飛び立つのが 朝 5 時半。
で、ホテルを出るのは 朝 4 時前 と言うほどです。

このシリーズのタイトル 【ポーランド + α 気まま旅】 の 「+ α」 は、
このようにポーランド以外の都市も訪問するためのものです。
ポーランド入りの前は「フランクフルト」、あとは「プラハ」。

 プラハへ行くのは、2005年ゴールデンウィークの
 【中欧三都市ふらり旅】
   以来早くも 4年ぶり になります。
 
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2009年9月28日(月)

 クラコフからプラハ行きの飛行機の便が、日本国内での事前の調べでは、早朝 5:30 の便しかとれてなかったので、もう少し遅い便にしようと、ホテルの親切なフロント係にも応援してもらって変更を試みましたが、かなわなかったのです。

 結局、27日夜は一睡もせずに、この記録を書いたり、荷物のリパッケージをしたりして、
朝3時には出発準備が整いました。

 3:30 に予定通りモーニングコールをしてくれたので、5 分ほどしてカウンター前に行き、そこのソファーで休んでいると、 3:48 分頃「タクシーが到着した」と起こされたので、早速乗り込んで空港へ。

空港に行く途上で、とんでもない濃い霧が立ち込めていたので、飛行機が飛ぶのか心配しました。

4:05頃には空港に到着。

 搭乗ロビーには早朝にも拘らず結構な人々が来ていて・・・
そして、それら全ての人々が私と同じプラハ便に乗るらしいことが解りました。
搭乗手続きが始まっていなかったのか列はなかなか前に進みません。

(ここから9月30日Incheon空港の乗り継ぎ待ち時間に修正追記)

 ようやく、手続きが終わって入場したときには、4:35頃になっていました。
ほぼ30分近く並んでいたことになります。

 少し時間がありそうなので、サラダとロールサンドとカプチーノを頼みましたが、
分量が多く、時間が掛かりそうでした。 35.5PLN
 ロールサンドは、半分搭乗口まで持っていって食べることに・・・ 
セキュリティ・チェックに引っ掛かった場合は放棄するつもり。

 幸い搭乗口まで持ち込むことができ、残りを食べている最中に搭乗案内が始まりました。5:05
急いで押し込んで、搭乗窓口を進むと、バスによる移動でした。 5:15 バスが出発。

 そして、到着した先は小型の双発プロペラ機でした。 ATR42/72型。
 座席はプロペラが真横に見える位置。

 搭乗定員が少ないため、早朝と言うのに満席!
これでは、午後の便が早々と満席になっていたのも無理からぬことでした。

 で、乗り込んだらすぐに爆睡。

1時間50分の搭乗時間ですが、ふと目が覚めたら まだクラクフの空港の誘導路で、
上空で 2 回ほど目を覚ましましたが、

DCF_0250m.jpg
(上空での夜と朝の境目 実際はもっと暗く画像処理で解り易くしています)

次に目が覚めたのは プラハ空港への着陸の振動でした。

結局、朝食のスナックにありつけませんでした。

 と言うわけで、殆ど時間を感じさせない“短時間の”飛行でした。 6:40 着陸。

DCF_0251m.jpg
  (プラハ空港に到着しても まだ夜は明けきっていませんでした。)  
DCF_0254m.jpg

6:55 徒歩で、Gate着。

 空港内の銀行で100ユーロ両替。 2800Kc(クローネ)位。
 当時のレートで1クローネ ≒ 5円 くらい。


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【ポーランド + α 気まま旅】 第83回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第82回 へ      第84回 へ  
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       前振り(第1回から13回)を省略して旅行記本編の冒頭(第14回)から読む
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アウシュヴィッツ・ツアーからクラコウ旧市街に帰って
2010年5月31日(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第82回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の午後3時過ぎです。
 
 アウシュヴィッツ・ツアーからクラコウ旧市街に帰って来ました。

 教会での「ピアノの演奏会」とヘンデルの「サロン・オペラ」の話は、以前書きました

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 今回は、教会や町の風景を御紹介します。

まず、前に御紹介した「ピアノの演奏会」が行われた教会です。

外側は、こんな古ぼけた感じ。

DCF_0238m.jpg

教会前は、旧市街の結構中心部らしく、観光馬車が客待ちをしています。

DCF_0239m.jpg

P9270149m.jpg


そして、中は前に紹介したようにこんな感じ(別の写真です)

P9270152m.jpg

P9270156m.jpg


パイプオルガンも座っています。

P9270154m.jpg

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こちらは、別の教会です。

DCF_0241m.jpg

P9270164m.jpg

内部は相当暗かった。

P9270167m.jpg


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こちらは、ヘンデルの「サロン・オペラ」が行われたシナゴーグ近くの砦跡(とりであと)?
でしょうか。

DCF_0246m.jpg

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第82回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第81回 へ      第83回 へ  
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【BIRKENAU 強制収容所】 Memorial 施設にて -3
2010年5月27日(木)

【ポーランド + α 気まま旅】 第81回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の昼すぎです。
 
 今回も、アウシュヴィッツ・ツアーの続き

 引き続き、重い話題ですが、御容赦ください。

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1944年10月収容所内で収容者の蜂起が行われた。

ソ連軍によって、解放された時、生き残っていたのは僅かに560人だった。

その当時の状況を残す破壊された建屋。

P9270117m.jpg


ビルケナウの広い敷地の片隅には、1976年にソ連とポーランドが協力して建てた
モニュメントがある。

P9270129m.jpg


その一つの碑文にはこう書かれている。
【ナチのジェノサイド(虐殺)の犠牲者となった
男たち・女たち・子どもたちを
忘れないために。
ここには、この人々の灰が埋まっている
かれらの魂の安息を願って】

P9270115m.jpg


こちらの碑文はポーランド語で書かれているようだ。

P9270126m.jpg

ガイドの若い男性(30歳前後か)は、2年前からこのガイドをしているが、その理由は祖父がアウシュヴィッツの犠牲者で、母も長い間アウシュヴィッツのガイドをしていたからからと言う。
「どうぞ、この事実を忘れないでください。そして伝えてください。友人の方たちに来てもらってください」

P9270131m.jpg


 2009年9月27日(日) 13:30 ~ 14:25終了
14:40 ツアーバス帰途に。
2010年5月25日(当時のメモより文章起こし;UP)

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公式サイト(英語)は、【Auschwitz-Birkenau Memorial and State Museum】

公式フォト・ギャラリィは、【Gallery】

Wikipedia による解説(日本語)は、【アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所】

【ポーランド政府観光局のブログ 】

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以下、次回。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第81回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第80回 へ      第82回 へ  
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【BIRKENAU 強制収容所】 Memorial 施設にて -2
2010年5月26日(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第80回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の昼すぎです。
 
 今回も、アウシュヴィッツ・ツアーの続き

 引き続き、重い話題ですが、御容赦ください。

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P9270110m.jpg

居住条件が極めて悪かったビルケナウ収容所の中でも、当時もっともましであった
(Best Condition)という部屋が再現されている。

P9270109m.jpg

レンガ造りの建物の中に3メートル四方の“3段ベッド”が並んでいる。

P9270108m.jpg

これだけなら、収容所としてはまずまずに見えるかもしれないが、ベッドのクッションは家畜同然の敷き藁であり、その3メートル四方に8~10人も押し込められていたというのだ。

P9270106m.jpg


冬場にはマイナス20℃にもなり、多くが凍死した。
一方、夏場は酷暑だった。

焼却場では、一日に5千人を焼却した。
焼却した灰は、人口池に埋めた。

P9270121m.jpg


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公式サイト(英語)は、【Auschwitz-Birkenau Memorial and State Museum】

公式フォト・ギャラリィは、【Gallery】

Wikipedia による解説(日本語)は、【アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所】

【ポーランド政府観光局のブログ 】

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以下、次回。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第80回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第79回 へ      第81回 へ  
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【ビルケナウ強制収容所】 Memorial 施設にて -1
2010年5月25日(火)

【ポーランド + α 気まま旅】 第79回

旅行の方は、2009年9月27日 引き続きアウシュヴィッツ・ツアーです。

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2009年9月27日 13:30 

 オシフィエンチム(Oswiecim;アウシュヴィッツ)からの見学を午後1時10分に終了し、
歩いて移動してビルケナウ収容所を視察する。午後1時半開始。

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1941年ヒトラーは新たな収容所の建設を決めた。
アウシュヴィッツ に 2万人、ビルケナウに 10万人が収容された。

P9270085m.jpg

映画【シンドラーのリスト】や日本のドラマ(題名亡失)で有名になった
ゲートと収容者を欧州各地から運んだレールの一部が残してある。

P9270087m.jpg

P9270084m.jpg

連れて来られた人々は所持品を全て取り上げられ、
選別されて強制労働させられたり殺されたりした。

P9270100L.jpg

強制労働に選別された強靭な男たちもやがてガス室で殺され焼却された。

P9270100R.jpg
 
  上の写真のいずれにも当時のゲートと現在のゲートが映っている。

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B1,B2 セクションを見学。1棟に400人収容
B2-2:一部の家族連れ “Part of Family”
B2-c:女性とハンガリー人
B2-e:ロマ人(ジプシー)
収容所病院:一応病院もあったが、選別して殺すか強制労働か・・・

殆どの建屋は崩壊し、
一部は崩壊したまま残され、
P9270112m.jpg

一部は当初の状態に再建されている。
P9270104m.jpg

多くは取り壊され整地されている。
P9270094m.jpg
   (見張り所 と 背後の多数の収容棟跡)


以下、次回

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【ポーランド + α 気まま旅】 第79回
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【AUSCHWITZ 強制収容所】 Memorial 施設にて -2
2010年5月24日(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第78回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の昼ごろです。
 
 今回も、アウシュヴィッツ・ツアーの続き

 引き続き、重い話題ですが、御容赦ください。

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1942年 ビルケナウに大きなガス室が4基設けられた。
27℃で毒ガスが蒸発しガス室内の人々が殺される。
直径15cm・高さ15cmほどの缶1個で2千人を殺せる。
(400缶ほどの空き缶が展示されている。 80万人を殺せる量)

【シャワー式ガス室】 
1回で700人をガスで殺害。
そのまま焼却炉へ(原理的には火葬場と同じ)

1941年に地下のガス室が初めて使われた。
ソ連兵400人、病気のポーランド人250人が最初の犠牲者となった。

焼却炉 ガス室で殺害した人々を焼却したところです。“Crematorium”

P9270067m.jpg
     (e:煙突 d:焼却炉 c:ガス室)

P9270021m.jpg

以下の写真は、記述と直接関連していません。

P9270022m.jpg

P9270063m.jpg

   (監視所:上 と 二重の鉄条網:下 が逃亡を阻止していた)

P9270064m.jpg

カナダ人キャンプ ビルケナウに30棟。

収容者から取り上げた大量の物品を展示(写真撮影禁止)

メガネばかりを集めた区画

クシ・ブラシばかりを集めた区画

女性の髪の毛を切ってさまざまな品物に加工していた。
  カーペット、兵士の靴下、枕の中身・・・
  (実際に刈られた大量の毛髪が展示されている)

靴ばかりを集めた区画(この区画だけで6千足!)

松葉杖・義足など歩行補助具ばかりを集めた区画

食器ばかりを集めた区画

スーツケースばかりを集めた区画

子ども用品ばかりを集めた区画

子どもの靴ばかりを集めた区画


・・・・・・
P9270054m.jpg

これらが修復・再建された“監獄”の各部屋に展示されている。

P9270041M.jpg


以下、次回。

 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第78回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第77回 へ      第79回 へ  
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【アウシュヴィッツ 強制収容所】 Memorial 施設にて -1 
2010年5月22日(土)

【ポーランド + α 気まま旅】 第77回

旅行の方は、2009年9月27日 引き続きアウシュヴィッツ・ツアーです。

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2009年9月27日 11:06 ビデオ終了を待っていたかのようにオシフィエンチム
            (アウシュヴィッツ)到着。

アウシュヴィッツ に 2万人
ビルケナウに 10万人が収容された。


入場手続きを終え記念施設内へ

観光客は戻って来られるが、殆どの収容者が二度とくぐれなかった門

P9270019m.jpg
  (何度か紹介した“Arbeit Macht Frei” 『労働こそ自由』のスローガン)

11:25 ガイド開始 (英語ガイド)

アウシュヴィッツを囲むように2本の川がある。

P9270009m.jpg

これらの川(Sota川、Wiswa川)によってアウシュヴィッツは遮蔽されていた。

1942年 110万人のユダヤ人を全ヨーロッパから集めてきて、絶滅させようとしていた。
  ユダヤ人、ジプシー(ロマ人)、ポーランド人、ソ連人、英国人など・・・

  世界を欺くプロパガンダとして、収容者によるオーケストラを創っていた。
P9270024s.jpg
  (オーケストラと言ってもマーチング・バンド程度だったようです
   下の説明によれば、収容者を労働に向かわせる行進曲などを演奏した…)

********************

収容所では1棟に千人収容していた。

P9270025m.jpg
   (修復された外観だけを見ると結構立派なレンガ造りに見えるが)

P9270024m.jpg
   (実際はこんな感じだった:当時の写真  1941年ナチス撮影)


あらゆる人間の殺し方を実験した。

14-15万人のポーランド人
110万人のユダヤ人
2万3千人のジプシー(ロマ人)
1万5千人のソビエト・ロシア人
その他の国々の2万5千人
が、殺された。
“Jews are a race that must be totally exterminated”
   Hans Frank ; General of Nazi

P9270033m.jpg
   (強制収容した多くの建物『監獄』が修復されている。
    ツアー参加者が付けているヘッドフォンはガイドの説明を聞くためのもの
    無線ガイドなので、多少距離が離れていても聞き取れる)

1940年6月14日 最初の収容者“prisoner”(と表現)が連れて来られた。
1940,June14 First Prisoner come

1941年
  ソビエト・ロシア人 15万人
  ハンガリー人 43万人
  ポーランド人 30万人
  フランス人  6万9千人
  オランダ人  6万人
  ギリシャ人  5万人
  チェコ人   4万6千人
   これらの90%が虐殺された。

ユダヤ人には「新天地へのチケット」として乗車券が与えられた。
80%がガス室送りとなり、20%がその他の人体実験に使われた。

P9270039m.jpg
   (右端の黒いブレザーの方がアウシュヴィッツ付きのガイド。バスのガイドとは別人)

以下、次回

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【ポーランド + α 気まま旅】 第77回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第76回 へ      第78回 へ  
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アウシュヴィッツ(Auschwitz)・ツアー  途上のバスで【ビデオ】放映 -2
2010年5月20日(木)

【ポーランド + α 気まま旅】 第76回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の昼ごろです。
 
 今回も、アウシュヴィッツ・ビルケナウ・ツアーのバス内でのビデオ放映の続き

 引き続き、重い話題ですが、御容赦ください。

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結構、小まめにビデオの内容をメモしていました。
(今回はちょっと長いですが・・・車内ビデオの紹介で何回も使えないので・・・)

1939年9月1日:ナチスがポーランドに侵攻。
         第二次世界大戦 勃発!

P9240066m2.jpg
 (ワルシャワ市内で掲示してあった1939年9月1日[ 1 Ⅸ ] 70周年 を示すパネル)

1939年9月27日:ヒトラーがワルシャワ城に入城。
  (ワグナーの「ワルキューレ」がBGM)
    北アフリカにも侵攻。

1939年9月17日:ソ連がポーランド東部に侵攻。
  ポーランドを助けるためではなく、ヒトラーとの密約でポーランドを分割支配するため。
  (ドヴォルザークの「新世界」がBGM。何で? 私には受け入れがたい!)

1940年:ユダヤ人だけではなく、各国の政治犯が収容され殺された。
  二流人種(Second class races)を撲滅する! と宣言。

1940年から1941年:第二収容所として、ビルケナウ・キャンプが建設された。

P9270008M.jpg
  (写真の下側【B】がアウシュヴィッツ収容所、上側【D】がビルケナウ収容所)

Siemens 他多くの有力企業がヒトラーと協定を結んだ。
収容所は、劣悪な生活環境であった。もはや「生活環境」と言えるものではない。
(映像では既にトラム・路面電車が走っている)

1941年:ガス室での最初の大量虐殺が行われた。
  (シャワー式ガス室の登場はもっと後となる)

アイヒマンがSS(政治警察)のトップとなり、ジェノサイドをオーガナイズ(組織的虐殺を開始)
ガス室で殺された人々は焼却場で灰にされた。

P9270070m.jpg


1944年:ビルケナウ収容所にヒトラーの支配下となった多くの欧州諸国からユダヤ人などが運ばれ、ガス室送りに。
医師の“診察”により強制労働の『適合者』と『ガス室送り』を選別した。

シャワー室型ガス室には女性と子どもが最初に送られた。

多くの犠牲者の名前は残らず、番号があるだけ・・・

P9270050m.jpg

『洗濯場』と言われる場所では銃殺が行われた。

『餓死室』というのもあった。

注射による毒殺が医師の実験として行われた。

【起立刑の部屋】
3feet(90cm)四角のスペースに3・4人立たされ、
数日から十数日立ったままにする刑を科した。

こうして、40万人が虐殺された。

共産党・社民党による命懸けの抵抗闘争が行われたが、厳しく弾圧された。

1944年10月:Getto蜂起

1945年1月:Death & Destruction
数少ない生存者が解放された。

このビデオは、ナチスによって引き起こされた悲劇のほんの一面に過ぎない。

11:05 ツアーバス 車内ビデオ(約1時間:英語版) 終了。

11:06 ビデオ終了を待っていたかのようにオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)到着。

以下、次回。


 
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【ポーランド + α 気まま旅】 第76回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第75回 へ      第77回 へ  
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ポーランド・南欧で異常気象 「豪雨」 の次は 初夏の 「大雪」
2010年5月19日(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第75回

今日はリアルタイムのポーランド情報です。

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一昨日、ポーランド南部では豪雨による洪水が発生し、
アウシュビッツも公開を中止したそうです。

反転して昨日は、初夏なのに時ならぬ大雪に見舞われたそうです。

m9344734.jpg

   (写真は「時事通信」ー提供)

 初夏に突然の雪景色
      時事通信 5月19日(水) 9時 5分
初夏にもかかわらず突然の大雪に見舞われたポーランド南部の町ザコパネ。豪雨で洪水が襲った後だっただけに、朝起きた市民は一面の雪景色にびっくり(18日)【EPA=時事】
 




 ポーランド洪水 アウシュビッツ跡地閉鎖

             2010年5月18日 【ベルリン 時事】

 ポーランド南部で17日、先週末から続く豪雨で洪水が発生し、地元メディアによると4人が増水した川に流されるなどして志望、役2000人が避難しました。

 多くの家屋が浸水し、道路や鉄道は寸断されました。ナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所跡地の博物館は、浸水の可能性があるため、18日まで閉鎖を決めました。
 被害は周辺諸国でも出ており、、チェコ北東部では1人が死亡、1万世帯が停電となりました。先週末にはセルビアで2人、ハンガリーで1人が死亡。スロバキアでも住民が避難しています。
 豪雨は20日まで続く見込みで、被害の拡大が懸念されています。
 



2010年5月22日追記
【在ポーランド日本国大使館公式サイトより】

ポーランド南部における洪水被害(20日午後時点の状況

平成22年5月20日 在ポーランド日本国大使館


 5月14日の集中豪雨以降、ポーランド南部では洪水被害が発生しています。20日午後以降、ヴィスワ川の水位の上昇がワルシャワ市(マゾヴィエツキ県)でも増してきており、21日午後まで水位がさらに増すことが予想されています。在留邦人及び渡航者の皆様におかれましては引き続き十分ご注意下さい。

なお、洪水被害に関し、20日午後までに当地主要メディアが報じている概要を以下のとおりお知らせします。

これまでの洪水による死者は8名,避難退避者は9329名。
ポーランド南部のヴィスワ川の水位は少しずつ下がりつつあり,同川上流にあたるシロンスク県及びマウォポルスカ県では,事態は沈静化しつつある一方,洪水被害の可能性は同川下流域に移りつつあります。

サンドミエシュ市(シフェントクシスカ県)でヴィスワ川右岸が決壊した結果,多数の住宅が浸水し,取り残された住民がヘリコプター等で救助されています。プワヴィ市(ルブリン県)では避難勧告が発出されています。

ヴィスワ川の高水位の波がワルシャワ市に達するのは20日午後で,その24時間後(21日午後)に最高780cm(警戒水位は650cm)に達すると予想されています。ワルシャワ市内では動物園沿いのヤギエロンスカ通り(Jagiellonska,ヴィスワ川右岸プラガ地区)及びオグルコヴァ通り(Ogorkowa,ヴィスワ川右岸スクシプキ地区)が危険視されています。  



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【ポーランド + α 気まま旅】 第75回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第74回 へ      第76回 へ  
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テーマ:ポーランド - ジャンル:海外情報

アウシュヴィッツ(Auschwitz)・ツアー  途上のバスで【ビデオ】放映 -1
2010年5月18日(火)

【ポーランド + α 気まま旅】 第74回

  旅行の方は、クラコウ実質2日目の 2009年9月27日(日)の朝です。
 
 ここから、アウシュヴィッツ(Auschwitz)の話になりますので、お笑い無し、オチ無しでお願いします。

 重苦しいこととは、思いますが御容赦ください。

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今日は、地元観光会社のアウシュヴィッツ・ツアーに参加することに・・・
鉄道での移動も計画したが、極めて便が悪く、ワルシャワからクラコウへの移動の際の状況を考えて、安直なバス・ツアーに変更。
昨日と同じようにホテル前でツアーバス乗り場行きワゴン車が
定刻の9:20到着してPick Up。

9:25ツアーバス乗り場 着。
昨日は、ツアーバスがすぐに来たが、今日はなかなか乗る予定のバスが来ない。
9:40続々とバスは到着するが乗せない。 どうも許容人数と参加希望者数にアンバランスがあるらしい。

9:50 大型バスがようやく到着。
E-ticket のようなA4サイズの紙を示して乗る人が結構多い。
 このバスでのツアー参加者28名。

9:55予定より25分遅れで出発。ガイドより配車のトラブルがあったことをまず謝罪
(forgive : お許しください…)それも3回も謝罪された。

ガイドの説明では、まず1時間ほどバスに乗って、
クラコウ西方のオシフィエンチム(Oświęcim)に行き、2時間ほど視察。
そこから歩いて移動して、ビルケナウを40分ほど視察する予定とのこと。

アウシュヴィッツ(これはドイツ語表現なので、地元の方はオシフィエンチムと言う)まではおよそ1時間のバスツアー。
車内ではナチスの悪行の数々とこれに抵抗したポーランド人やユダヤ人を描いたビデオを放映(英語解説)。私は、結構前の方に座っていたので、良く見えたし内容も(その時は)大体解った。(今は皆目覚えていませんが・・・)

P9270015m.jpg

10:05 早速ビデオを操作し始めたが・・・
  しかし、機械の?調子が悪くなかなか始まらない。特に言語選択がうまく行かない様子。
  前に座っていた私がリモコンを借りて色々試してみて設定完了(車内から拍手喝さい)

10:10 ビデオ上映開始。


メモを元にその一部を再現すると・・・

1941年から1945年の間に、ここ(アウシュヴィッツ収容所)を通って多くの人々が死地に赴いた。

ヒトラーの支配に都合の悪い本の焚書も行われた。
(ヒトラーの行進の模様が映されるが、そのBGMは何故かタイケ作曲「旧友」)

1935年:ニュルンベルグ司法当局がドイツの血統を守るため、非ドイツ系住民の撲滅を認めた。

1938年:ユダヤ商店(7万5千 店舗)を組織的に破壊。

1938年:ナチスがプラハ(当時 チェコ・スロヴァキアの首都)入り。“無抵抗”の抵抗

次はどこか?
1939年9月1日:ナチスがポーランドに侵攻。軍民協力して戦闘による抵抗。

  第二次世界大戦の勃発!

以下、次回に

 
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クラコウでの別のコンサートに出掛けました
2010年5月17日(月)

【ポーランド + α 気まま旅】 第73回

 お待たせしました。 このカテゴリーのブログを書くのは、ひと月ぶりです。

旅行の方は、2009年9月27日(日)のことです。

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2009年9月27日(日)

P9270004m.jpg

今朝の朝食です。

P9270005m.jpg

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今日は、地元旅行社のツアーで、アウシュヴィッツ・ビルケナウに行ってきました。
クラコフからツアーバスで片道丁度1時間ほどのところです。

P9270020m.jpg
  【ARBEIT MACHT FREI】 (労働こそ自由;ドイツ語) の皮肉な門
   (実際にはガス室と焼却炉が待っていた!)


P9270010M.jpg
  (アウシュヴィッツのいわれを書いていると思われるパネル
     ポーランド語、英語、ヘブライ語;ユダヤ人用?)


ビルケナウ収容所は、スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」で一躍世界に知られたところです。

P9270086m.jpg
  (多くのユダヤ人やナチスに反抗する人々がこの鉄路を運ばれ門をくぐった)

【アウシュヴィッツ・ビルケナウ】については、極めて長くなると思いますので、別に書きます。

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 クラコウ市内に帰ってから、一度ホテルにもどり、教会での“商業的な”ピアノ演奏会に出掛けました。
 最初の3曲ほどは聞き逃しましたが、ショパンのスケルツォやノクターン嬰ハ単調「遺作」を聴けただけでも良かったことにしておきましょう。

P9270150M.jpg

 他にハンガリアン狂詩曲を2曲、ベートーヴェンの「月光」第1楽章、ドビュッシーの「月の光」など。 1時間ほどなのに50PLN。
昨日の、演奏会よりも高い!

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 それが1時間程で終わってから、もう一つの演奏会・ヘンデルのオペラ「AMADIGI」を聴きにシナゴーグ街にあるCAPELLA CRACOVIENSIS まで30分かけて行きました。

 こちらは、20名ほどの室内楽でハープシコード引き振りで指揮をしていましたが、まさに頭で指揮をしていると言う感じ。

P9270201m.jpg
 
 楽器は全て古楽器で、木管楽器はまさに木製でした。演奏レベルも極めて高いと思います。
 観客も2百人程度の小さな会場でしたが、レンガ張りの素地なので、音響は結構良かったと思います。

 4人の独唱者は極めてハイテクニックの持ち主で、本格的な演奏でした。

P9270207m.jpg

P9270205m.jpg

P9270208m.jpg

 当時のオペラが現在のような大規模なものではなく、小規模な平土間のサロンで開催されていたことを考えると、原型に近い演奏形態だったのではないでしょうか?

 ただ、現代風の演出には違和感がありましたが、現地の人々はそれなりに楽しんでいたようです。おそらく、現地語(ポーランド語)上演だったのでしょう。
 少なくとも、ヘンデルの生まれたドイツ語や、後半生を過ごした英語や、フランス語ではありませんでした。

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本日の万歩計 19,726歩,12.82km
アウシュヴィッツで相当歩いたはずが(説明時間除を除いて2時間くらい?)、それほどでもありませんでした。
帰ってから、コンサート会場への往復へも相当歩いたつもり(往復1時間以上)でしたが・・・
まぁ、1時間あるいてせいぜい4km程度のものですからね。


明朝(今日)、早朝5:30の便でプラハに移動します。
で、荷造りをしておかなければならないので、今回はこの辺で・・・

(ここまで、現地時間27日夜クラクフのHOTELで追記)



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クラコウのコンサートから帰って
2010年4月20日(火)

【ポーランド + α 気まま旅】 第72回

  旅行の方は、クラコウ実質一日目の2009年9月26日(土)の夜です。
 
 コンサートから帰って昨日行ったパブに夕食を取りにゆきました。

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 今日は時間が遅かったのかジャズ・ライブはありませんでした。

まずは、地ビールを

     DCF_0225m.jpg

メイン・ディッシュ? というか、これだけですが、ビーフ料理?

DCF_0228M.jpg

食後のカプチーノ

DCF_0230m.jpg

ホテルに帰って、フロントで本日のツアーについての感想を訊かれたので、応えたついでに、「クラクフからプラハ行きの早朝5:30発の便を午後からの便に変更したいのだが手助けして頂けますか?」と問うと、便名などを持ってきてと応えて頂き、部屋に戻って示したところ、インターネットで、チェコ航空の電話番号を調べて電話してくれましたが、夜9時前だったのでつながらず、明日の朝もう一回当たってくれるとのことです。
このフロントの女性は親しみやすく親切です。

本日の万歩計 【19,200歩】,12.48km
ヴィエリチカ鉱山で相当歩いたはずが、それほどでもありませんでした。


 
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