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 TOKYO  2021/10/31 (Sun)
TOKYOを歩いてパチリ。
撮る目的で歩いている訳ではないので、たまたまスマホを手にした時に撮った。

今回は何時もの新幹線ではなく車での上京。荷物を運ぶ用事があったためで、そのためホテルに車を停めることになったが、ここのホテルはなんと駐車無料。丸二日間タダ。こんなことがあって良いのかと何度も確認したが、出庫する際に駐車券がもらえて0円表示に。朝食付きの部屋代もかなり安く、これもコロナの影響なのかと複雑な気持ちになった。

久し振りに見た人並  若い人が多いのもTOKYOだ
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何処で撮ったかも思い出せないが銀座か?
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赤いモニュメントが目に入った
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TOKYOは最新建築の見本市  古い建物もいいが新しい建物にもときめく
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地下鉄を乗り継いで次の場所に移動するが、最近の地下鉄の乗り換えはアップダウンがあり遠い  地上を歩いた方が早いかも
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ホテルの一泊目の朝食  和食セット  バイキングではなくセットになっている
朝食-1


ホテルの二泊目の朝食  洋食セット  
朝食-2

当日、このセットを注文すると2500円するが宿泊セットにすると宿泊代に入り凄く安くなっている。コロナ期の価格は利益度外視している感も。ロビーの人の数も少ない。外国人の姿は無かった。インバウンドで潤ってきたホテルは辛い時期が続きそうだ。

今日は衆議院選挙の日。前回の選挙の時、立会人を頼まれたが、日曜日なので既に予定が入っていてお断りした。
そういうこともあり、前回も今回も立会人の視線が気になって落ち着かなかった。私が断って誰に声が掛ったのか、そんなことを気にしての投票だった。
立会人は座っていればいいのだが、7時から20時までの投票時間ずーっと居なければならない。準備や片付けも考えると14時間の拘束。手当もそれなりに出るがかなり大変な役。前回断ったためか今回は話が来なかった。
選挙関係の人たち、ご苦労様です。投票率が低いとなんとなく可哀そうな気がしてきた。
 街の朝  2021/10/30 (Sat)
2泊目のスカイツリーの朝は日の出が見えた。
朝陽の中に目覚める街をガラス越しに。


朝陽が見えた
スカイツリーの朝-1


スカイツリーもはっきり見えるようになってきた
スカイツリーの朝-3


日が昇り明るさが増して来た
スカイツリーの朝-8


すっかり明るくなった  スマホで
スカイツリーの朝-9


南の方角はまだ暗い
スカイツリーの朝-5


朝靄に眠る街
スカイツリーの朝-6


明るくなって来た
スカイツリーの朝-6


クレーンはまだ仕事前
スカイツリーの朝-6
 お堀  2021/10/29 (Fri)
江戸城の堀をお堀と呼ぶ。
周囲をビルが囲み独特の雰囲気を創り出しいる。流れも無いので水鏡にもなる。
人はほとんどいない。そのため今まで見ていないお堀もゆっくり眺めることができた。
江戸城とそれを取り巻く景色がとても魅力的で私の東京の名所が一つ増えた。  スマホ撮影。

二重橋
お堀-1



お堀-2


松の先にビルがあるのも面白い
お堀-3


人はとんどいなかった  広い皇居前広場がよけい広く見えた
お堀-4


水鏡が美しい
お堀-5



お堀-6


松と櫓と白い鳥  日本的な情景
お堀-7
越前で100名城の一乗谷城跡、丸岡城を訪れスタンプを押してきた。
そして今度は東京の100名城、江戸城を訪問。江戸城といっても皇居と一体化しているので何度も来ているところ。
コロナのため東京は昨年の1月以来となった。改めて100名城スタンプを押すために江戸城に来たが人が居ない。
こんな皇居前広場は初めて。青空の下、広場が不思議な場所になっていた。
一眼レフはホテルに置いてスマホで撮影。

桜田門から  桜田門外の変のことを頭に浮かべた  雪の降る日に起きた水戸浪士による変  青空の下では想像もつかない  
江戸城-1


改めて江戸城を見ると大きい  他の城とは比べ物にならない大きさだ
江戸城-2


堀も大きいし石垣も高い
江戸城-3


天下人の造った城は大きい
江戸城-4


石垣も綺麗  隙間なく積まれた石垣は幾何学的で美しい  丸岡城とは全く違う
江戸城-5


堀の先のビル群も他の城とは違う景色
江戸城-6


皇居と思って見るのと城と見るのでは違って見える  人が少ない
江戸城-7
 スカイツリー 朝  2021/10/27 (Wed)
久し振りのお江戸。
越前から東京スカイツリーの朝へ。 越前を一カ月も続けたため、二つの日にちはかなり離れている。
ホテルの窓からスカイツリーが見えたので日の出のスカイツリーを撮ろうと5時に起きて東の空を狙った。
残念ながら雲が多く日の出は見られなかったが、刻々と変化する街の様子を撮れた。

5:40  空とスカイツリー  朝焼けが見えた
スカイツリー朝-1


6:20  雲の間から光が射して来た
スカイツリー朝-2



スカイツリー朝-3



スカイツリー朝-4


8:10  街が明るくなって来た
スカイツリー朝-5



スカイツリー朝-6
 丸岡城 スナップ  2021/10/26 (Tue)
丸岡城の天守に上がって四方を見回した。城は丘の上に建っているため眺めは最高。
500年前の人たちもここから敵の襲来に備えていたのだろう。
只、ここに上がって見られるのはごく一部の人だけ。今はお金を払えば誰でも見ることができるから幸せかもしれない。
石瓦のため屋根がシャープに見える。これが福井地震後に建てられた建物と思うと複雑な気持ちにもなった。
熊本城も地震で被害を受けたことを考えると、天災の多い日本で数百年間無事にいる建物は本当に貴重。

天守からの眺め
丸岡城スナップー1


城の下に街は広がる  城下町という言葉は平城では感じられないこともあるが丘の上に建つ城からはそれがストレートに伝わって来る
丸岡城スナップー2


石瓦の下には住宅街
丸岡城スナップー3


天守から降りて再び城の周りを一周して撮影タイム
丸岡城スナップー4


石瓦のためか屋根がシャープに見える
丸岡城スナップー5


鯱  石の鯱  
建築当初は銅ぶきの鉾だった  昭和の修復時には銅が手に入らず石に変えられた  それも地震で落下  現在は建築当初の銅ぶきに  これは地震で落ちた石の鯱 
丸岡城スナップー11



丸岡城スナップー6


石垣も初期の積み方
丸岡城スナップー7


公園の噴水  天守をバックに
丸岡城スナップー9


作業用のトラック  丸岡城の文字が誇らしく見えた
丸岡城スナップー10

長く続けて来た越前ツアーも今回で終了。季節はすっかり変り、記憶も曖昧になってきた。まだ残っている画像もあるが次に進むことに。

 丸岡城 天守  2021/10/25 (Mon)
天守は1575年築城の現存天守。高さは12m、石垣を入れると18m。
内部の階段は急こう配。屋根は石瓦出てきている。
福井地震(1948年)で天守は倒壊したが、1955年に70%以上の部材を再利用して修復再現した。
なので現存の定義に入らないという人もいる。地震の前までは国宝だった。

石段を登って天守へ  高さ6.3mの石垣の上に天守
天守-1


天守入口から
天守-2


一階の内部  急な階段にはロープも
天守-3



天守-4


外からの光は少ない
天守-5



天守-6



天守-7


石瓦  全て石で出来ているのは日本でも稀
天守-8



天守-9
 丸岡城  2021/10/24 (Sun)
現存する天守の一つ、丸岡城。現存天守の中でも初期の様式。
一乗谷城跡に続いて福井の100名城訪問となった。
駐車場から少し登ると天守がある。敵の攻撃に対し少し不安を感じてしまうが、天守は見事な姿。
天守に入る前に石垣の周りを一回りしてカメラに収めた。

丸岡城入口  石段を登る
丸岡城-1



丸岡城-2


石段の手摺  櫓の形に
丸岡城-3


直ぐに天守が見えてきた
丸岡城-4


丸岡城  記念写真コーナー
丸岡城-5


正面  天守は石垣の上に築かれている
丸岡城-6


まずは一回りして パチリ
丸岡城-7



丸岡城-8


現存とはいえ福井地震でかなりの部分が倒壊した
丸岡城-9



丸岡城-10
 瀧谷寺 石庭と  2021/10/23 (Sat)
瀧谷寺の境内に小さいが立派な石庭がある。
その石庭は観音堂の回廊からも、鐘楼門からも鑑賞者を楽しませてくれる。
境内を廻っていたら雨が降って来たため退散することにした。

石庭  この位置からが奥行きが出て一番いい
石庭と-1


石庭  正面から
石庭と-2



石庭と-3


鐘楼門から石庭  まるで絵画を見るような造りになっている  坐って見られるよう椅子もあった
石庭と-4


弘法大師像
石庭と-5


歴史を感じる墓所
石庭と―6


鐘楼門の鐘楼
石庭と-7


鐘楼門の真下から  鐘が見える
石庭と―8



石庭と-9


最後に門を
石庭と-10

衆議院選挙真っ只中。毎回話題になるのが女性議員の割合(人数)。日本の国会議員の女性の比率は15%前後(衆・参)で世界の150-160位。G7はほとんど30%以上。
大戦に敗れ、普通選挙が天から降って来た我が国は、その制度に国民がついていけなかった。男女平等も75年前の日本人が望んだことではなかったかもしれない。それまでの男性中心の社会を引きずったまま今日に至っている。投票率の低さも自ら勝ち取った制度ではないからか。
何故これほど女性の割合が低いのか、答えは簡単で立候補している女性の比率(17.7%)が低いから。特に政権政党の割合が極端に低い。自民党は立候補者336人に対し女性は33人(9.8%)、公明党は53人の立候補に対し4人(7.5%)しかいない。対する野党は全部合わせて662人中149人で22.5%。政権政党が変わらなければこの数字は変わりようがない。本県の選挙区は6あるが、政権政党に女性の候補はいない。対する野党は3人。
日本は戦後、経済的に大きな発展を遂げ、先進国の仲間入りはしたが、世界の潮流から大きく取り残されている部分も多い。
女性の進出は男女平等の言葉だけで終わらせてはならない…。
 重文  2021/10/22 (Fri)
瀧谷寺には重要文化財の建物が6つもある。永平寺には19あった。
それがあまり広くない境内に集まっているのだから凄い場所。
それらをカメラに収めながら廻った。

鐘楼門重要 文化財    
重文-1


観音堂  重要文化財  
重文-2


観音堂
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観音堂 屋根
重文-4


拝殿の鳥居から
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大佛
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開山堂  重要文化財  
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開山堂
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鎮守堂  重要文化財  
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墓所から
重文-10

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」がつまらなくなった。つまらないというか暗い。主人公の出る場面も少なく、周りの人の話ばかり。
妹も暗い。その妹の恋愛も前に進まない。
主人公の話し方もトーンが低い。朝から重ーい雰囲気が漂い朝ドラとしては疑問符がつく。
朝ドラは毎回DVDに録画してきたが、二週間前から止めてしまった。「半分、青い」「なつぞら」「スカーレット」「まれ」なども途中で録画を止めた。オリジナル作品についていけないのかも。

瀧谷寺は庭も名勝庭園に指定されている。
境内はそれほど広くないから凄い文化財密度。時間の無い旅行者にはありがたい施設ともいえる。
本堂の回廊を廻り、境内を撮り、庭園へと進んだ。庭園も見事。

境内  右は観音堂  重要文化財
境内と庭-1


老木と観音堂
境内と庭-2


回廊
境内と庭-3


回廊から石庭
境内と庭-4


庭園
境内と庭-5


庭園
境内と庭-6


回廊と庭園  回廊の柱の縦の線が画面を分割して綺麗
境内と庭-7


角の石もいい
境内と庭-8



境内と庭-9
 瀧谷寺  2021/10/20 (Wed)
東尋坊から三国湊へ。その三国に国宝のあるお寺があると知り向かった。本県には国宝は一つしかないから国宝が複数ある県が羨ましい。
その寺は瀧谷寺。門前に立つと国宝のある寺らしい雰囲気が伝わってきた。早速入山料を払うために受付へ。
ところが国宝を納めている宝物殿が改修工事のため閉館になっていた。その代わり入山料が割り引かれていた。
門を通ると一直線の参道が見えた。気持ちの良い直線だ。その先に本堂がある。その本堂も見事。その本堂を含め6つの重要文化財がある。
中は撮影禁止なので本堂の外観と回廊から庭だけを収めた。

瀧谷寺
瀧谷寺-1


総門
瀧谷寺-2


参道  一直線に続く  両側には立派な杉
瀧谷寺-3


鐘楼門  重要文化財
瀧谷寺-4


鐘楼門から参道を振り返る  一直線の参道
瀧谷寺-5


門から本堂
瀧谷寺-6


本堂  重要文化財 
瀧谷寺-7


本堂玄関  撮影はここまで
瀧谷寺-8


玄関の光りとり
瀧谷寺-9
 岩の上の若者たち  2021/10/19 (Tue)
昭和の観光地化が進んでいるにも関わらず若い人がたくさんいて驚いた。
見渡したら私より年の人はいない感じ。それを意識したら人の視線が気になり始めた。少しでも元気よく岩場を歩いてみたが・・・。
岩場なので足腰の悪い人には危険な場所。年寄りの姿が見えないのも当たり前かも。それにコロナが加わって若者の場になったのか。
若者は元気だ。岩場の先端にも平気で行く。そしてスマホでパチリ。何処でもスマホを使っている。撮った画像を誰かに送っているのだろう。
その若者をパチリ。

岩に若者たち  
岩の上の若者たち-1



岩の上の若者たち-2


女の子の方が先端に行っているようだ
岩の上の若者たち-3



岩の上の若者たち-4


気を付けてください
岩の上の若者たち-5


あの場所には何処から行くのだろうか  平らに見える場所は港や防波堤造りに削りとられた岩
岩の上の若者たち-6


岩場にはカップルが良く似合う
岩の上の若者たち-7


ランチ  福井名物のタレかつと越前蕎麦のセット  越前蕎麦は蕎麦に削り節を載せて食べる
岩の上の若者たち-9


レストランの窓から
岩の上の若者たち-8

天気も悪く遊覧船にも乗れなかったので、東尋坊の滞在時間は昼食を入れても1時間20分ほど。
次に向かったのは東尋坊の近くの港町、三国。北前船の寄港地で繁栄した町。当時の建物も残っている。
 東尋坊は曇り  2021/10/18 (Mon)
晴れた空に青い海、光に浮かぶ岩のゴツゴツ感を頭に浮かべてやってきたが曇り空。
光が無いから岩も平面的に見える。一日ズレていたらきっと素晴らしい景色が見られ、シャッターを押す指も勢いがあったのに・・・。
来たからには岩の先端にも行きたいと思い柱状節理の岩を歩き回った。
所々平らな処がある。近くの港の突堤や護岸工事に使われて削りとられた場所。

東尋坊
東尋坊-10


雄島  
東尋坊-11


岩の上にカップル
東尋坊-12


遊覧船   波の影響を受けない港から出港した舟
東尋坊-13


晴れていれば陰影がはっきりして立体的に見えるのに・・・
東尋坊-14


晴れていれば海の青さが綺麗だろうに・・・
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晴れていれば白い波が輝いていただろうに・・・
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東尋坊-17


立派な柱状節理
東尋坊-18



東尋坊-19
 東尋坊へ  2021/10/17 (Sun)
一乗谷から次の目的地、東尋坊へ。昭和の名勝地なので小さい頃から行って見たいところだった。
途中、福井市内を通ったこともあり、前に超遅い大型トラックも居て移動に1時間ほど掛った。天気も怪しくなってきた。
東尋坊タワーの駐車場(500円)に車を停め、土産店、食堂の並ぶ通りを歩き、柱状節理が造り出す断崖へ。
青空に青い海をイメージして来ただけに残念な訪問になった。波もあるため遊覧船も欠航。これも楽しみにしていただけにショック。

東尋坊タワー  昭和の香りタップリの塔   空が暗くなって来た   
東尋坊-1


土産店が並ぶが閉まっている店が多い  コロナの影響もあるようだ
東尋坊-2


展望台  東尋坊に到着
東尋坊-3


東尋坊の碑
東尋坊-4


東尋坊  こういうところはスマホで
東尋坊-5


南方向
東尋坊-6


波と風があって遊覧船は欠航  事前に遊覧船の動画を見て来ただけにショック
東尋坊-7


遊覧船乗り場  入口にはチェーン  この波では無理・・・  ここに3隻入りらしい
東尋坊-8


北側
東尋坊-9
久し振りの秋晴れ。天気予報は暫く雨模様。
この日を逃してはならないと思い午後から秋の色を探しに散歩へ。
秋は色が沢山あって何を撮っても絵になる。

秋の色の代表格、柿色  青空と
秋晴れ散歩-1


外来種の黄色
秋晴れ散歩-2


外来種と国産の闘い  赤と黄
秋晴れ散歩-3


色とりどり
秋晴れ散歩-4


紅葉と斜光で色付く山  そして白い月
秋晴れ散歩-5


緑も元気だ
秋晴れ散歩-6


一枚の葉の中に
秋晴れ散歩-7


秋の白は鮮やか
秋晴れ散歩-8

秋晴れなのに気持ちは晴れない。その原因を作っているのはある人からのショートメール。
8月に私の元の職場から私の連絡先を聞いて、それから私にショートメールを送っている。
その人は年上で、25年ほど前にある会で一緒の役をやったが、それ以後は数回会っただけ。この間ほとんど会話はしていない。その人が何の用だろうかとメールを空けてみたら支離滅裂の内容。
それからやり取りを始めたが大半はその人からの一方的な送信。自身のこれまでの出来事と病気(身体や精神)の事ばかり。そんなメールが40通以上届いている(私が送ったのは数通だけ)。 スマホの電源を入れるたびに嫌な気持ちになる。
その人を知っている方にそれとなく話しをしたら、俺のところにも来ている、とのこと。電話も来ているらしい。困ったものだ…。
最近はショートメールを使う人も少なくなった。使っても端的に用件を伝えるだけなので1、2往復すれば終わる。

一乗谷朝倉氏遺跡を廻っていたら草刈りや木の伐採の作業を行っている人たちを見かけた。
草ぼうぼうか、綺麗に刈られているかで受ける印象は全然違う。
人の作った施設は人が管理しなければならないが、維持して行くのは容易ではない。
のんびり観光している自分と比べ、作業する人たちの姿は格好よく写る。感謝の気持ちを込めてパチリ。
復元町並のスナップも入れて。

朝倉氏遺跡の入口で  斜面で掘りに近くかなり危険な場所  草の量も多い
遺跡を維持する人-1


サングラスが格好いい  ボーっと見学していては申し訳ない・・・
遺跡を維持する人-2


山の斜面で  私も草刈り機を使うが斜面の草刈りは足場が不安定になり、片方の足に負荷が掛かって疲れる
遺跡を維持する人-3


枝打ち  高所作業所を使って高い場所の作業  遠くから見ていたがドキドキした
遺跡を維持する人-4


復元町並の施設の中で  吉永小百合の写真を見つけ思わずパチリ
遺跡を維持する人-5


復元模型  武家屋敷の様子は模型で観られた
遺跡を維持する人-6


昔の町並みは自然素材で出来ているため色が少ない  そこに鮮やかな風鈴と和傘が彩りを添える
遺跡を維持する人-7


アップで
遺跡を維持する人-8


山里には煙が似合う  昔は何処でも見られた光景だったが最近はほとんど見られなくなった
遺跡を維持する人-9


最後は復元町並の屋根を  ここは雪の積もる地  復元した建物も定期的にメンテナンスが必要になって来る
遺跡を維持する人-10

永平寺、明智神社、そして一乗谷と歴史に残る場所を廻り越前の魅力に触れられた。
次に向かったのは景勝地として有名な東尋坊。天気も気になって来た・・・。
 遺跡を上から  2021/10/14 (Thu)
朝倉氏遺跡の先の山の中腹に湯殿跡がある。そこまで登ることにして石段へ。
庭に着くと遺跡全体が見える。ここからの景色は北陸随一とも言われたらしい。
大きな石が残る湯殿跡庭園も立派。ここまで岩を運び上げた当時の人たちの苦労はいかばかりか。

遺跡先の山を使って庭が作られている
遺跡を上から-1


湯殿跡に向かって石段を登る
遺跡を上から-2


広い範囲で遺構が残ったのは一乗谷が開発されなかったからだという  大規模な発掘作業を行わなくても礎石などが出て来た
遺跡を上から-3


湯殿跡から遺跡を望む 
朝倉義景は京に近いこともあって武より芸を好んだという  戦火の続く京から多くの公家たちが一乗谷に逃れ、一時は1万人がこの谷で生活したという    
遺跡を上から-4


遺跡全景  
義景は何度も信長討伐のチャンスを逃し、1573年、信長に攻められ41歳の生涯を閉じた 軍事センスの無い武将と呼ばれるようになった
遺跡を上から-5


湯殿跡庭園
遺跡を上から―6


立派な岩で造られている  どのように運び上げたのか?
遺跡を上から-7


遺跡を一回りして橋を渡り駐車場へ  御屋形橋
遺跡を上から-9

今年も「地域ブランド調査2021」が行われ、47都道府県の魅力度ランキングが発表された。
調査はそれぞれの地域に対して魅力度、認知度、情報接触度、各地域のイメージ(「歴史・文化のまち」など14項目)、
情報接触経路(「旅番組」など14項目)、地域コンテンツの認知(「ご当地キャラクター」など17項目)、
観光意欲度、居住意欲度、産品の購入意欲度、地域資源の評価(「街並みや魅力的な建造物がある」など17項目)などを質問。
調査項目は全89項目で、各地域の現状を多角的に分析している。
実際に行っていないところでもイメージで採点するので有名な観光地のあるところ、美味しい食べ物の多いところがテレビなどに登場する機会も多く、上位に入っている。若い人は旅の経験も少ないから余計イメージ優先になる。
こうした調査でも1位から47位まで順位が着くから、下位になった知事が毎年のようにクレームを付ける。
私は調査に参加したことは無いが、実際に行った都道府県でも旅行者として数日間滞在しただけなので一部を知るにとどまっていて、とてもまともな評価はできそうにない。
 朝倉氏遺跡  2021/10/13 (Wed)
復元町並を見学して、次に向かったのは朝倉氏の遺跡。周囲を堀に囲まれ、門と塀だけが復元された朝倉氏の屋敷跡。
堀は戦には使えないと思われる巾。戦国時代を生き抜く姿勢が弱かったかもしれない。
門の中は礎石だけが残っていたが、かなり大きな建物だった思われる。右奥に朝倉家の墓、その上には庭がある。
ここは無料ゾーン

一乗谷川を渡る
朝倉氏遺跡-1


朝倉屋敷の堀
朝倉氏遺跡-2


一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏遺跡-3



朝倉氏遺跡-4


中は礎石だけが残る
朝倉氏遺跡-5



朝倉氏遺跡-6


大きな建物だった
朝倉氏遺跡-7


朝倉義景墓所
朝倉氏遺跡-8


滅ぼされた家の末路は寂しい  光秀、義景、戦国時代を生き残れなかった
朝倉氏遺跡-9


江戸時代まで残れた家の墓所と比べ違いは大きい
朝倉氏遺跡-10

今年もJAFから「信号機のない横断歩道での歩行者横断時における車の一時停止状況全国調査」都道府県数値が発表された。
昨年も長野に行った時の印象を載せたが、今年も長野県(72.4%)が一位だった。福井県はどのくらいか、本県は、停まらない県は、と興味が湧いて調べてみた。
調査は8月の平日の10時から16時、各都道府県の2箇所、調査員がそれぞれ50回歩道に立ち、各県で100回実施。センターラインのある片側一車線、制限速度40-60kmの道路。
全国平均(21.3%)、福井県(19.7% 24位)、新潟県(49.4% 4位)、停まらない県は宮城県(5.7% 最下位)、東京(6.6% ブービー)だった。首都圏が低いのかと思ったら、神奈川(23.4% 19位)、千葉(26.7% 16位)、埼玉(12.4% 40位)だった。
福井県はほぼ真ん中なので走っていても普通だった。本県は嬉しい4位の49.4%。しかし、ちょっと違和感がある。二台に一台が停まっているとは思えないからだ。それにしても宮城県が最下位とは驚いた。昨年宮城に行ったがそれほどとは思えなかった。
長野県を走った時はホントによく停った。今年もダントツの数値に脱帽。
この数字に関心を持ってから歩道に人が立っていたら停まろうと思っているが、渡ろうとしているのか歩道近くに立っているのか、その見極めができない事が多く通過してしまう。
 復元町並  室内  2021/10/12 (Tue)
一乗谷朝倉氏遺跡の復元町並は町屋が中心。武家屋敷は門と塀だけの復元。規模が大きくなり復元が難しいからか。
町屋は米屋、染屋など入口の暖簾で分かるようになっている。
中は暗いが、中から見える外の光は魅力的。観光客的視点で撮った。

暖簾をくぐる
復元-1


米屋か
復元-2


染屋  中に鉢が並んでいた
復元-3



復元-4



復元-5



復元-6



復元-7


亀もいい
復元-8


案内図
案内図
明智神社から光秀も歩いたであろう細い山道を走って一乗谷に到着。
NHKの城の番組などで紹介されていて、一度は訪れたいと思っていたところ。そして日本100名城の一つ。
谷を使った城は全国でも珍しいようだ。谷の両側に城壁(上城戸と下城戸)を作り、その中に街がある。その町を復元させた。
中に入ると当時の町並みが見後に復元されていた。
当時は窓も小さく、電気も無く家の中は暗い。暗いから外の光に敏感になる。内から外の光を探してパチリ。

復元町並 入口
一乗谷朝倉氏遺跡-1


復元町並  ここは有料区域  入場料を払い中へ  入口に100名城スタンプがあったのでスタンプ帳に押した
一乗谷朝倉氏遺跡-2



一乗谷朝倉氏遺跡-3


家の裏のスペース
一乗谷朝倉氏遺跡-4


細部まで復元されている
一乗谷朝倉氏遺跡-5



一乗谷朝倉氏遺跡-6


武家屋敷の門
一乗谷朝倉氏遺跡-7



一乗谷朝倉氏遺跡-8



復元町並-11



一乗谷朝倉氏遺跡-9


便所  我が家も小学校の頃まではこんな感じの便所だった   子どもの頃は穴に落ちないかドキドキしたものだ
一乗谷朝倉氏遺跡-10


武家屋敷跡に造られた舞台  催し物が開かれる
一乗谷朝倉氏遺跡-11
 明智神社  2021/10/10 (Sun)
今日は真夏のような天気に気温。そして明日は平日。休日だと思っていたら平日。間違う人もいるのでは…。
越前ツアーは一乗谷城跡へ。
そこに行く途中で明智神社を見つけた。予定には入れていなかったが、明智神社となれば寄らないわけにはいかない。
大河ドラマでブレークしたのか駐車場が整備されていた。集落を進むと看板が見えてきた。その先に神社があったが小さい・・・。
光秀が浅井家の鉄砲指南役として庇護を受けていた5年間、この地に住んでいた。その家に神社が建てられている。ガラシャはここで生まれた。

神社のある東大味地区  煙がいい
明智神社-1


東大味地区を歩く
明智神社-2


明智神社の入口
明智神社-3


明智神社  年に一度、光秀の命日(6月13日)に御開帳される
明智神社-4


高さ13㎝の光秀像が入っている  3軒の農家によって400年間守られてきた
明智神社-5


資料館
歴史上の人物は画像や音声で触れることはできないので、映画やドラマでイメージを作るしかない。
大河ドラマファンとしては大河に出て来る役から歴史上の人物像を作り上げてきた。
明智光秀は戦国時代のキーマンでもあるのでたくさん登場している。調べたら15作に出ていた。
明智神社-6


資料館内部  大河ドラマ「麒麟がくる」の資料も沢山展示されていた
大河ドラマから明智光秀が重要なポジションで取り上げられた3作を選んでみた。
 光秀と深く関わる2人の天下人も
  第35作『秀吉』     光秀役・村上 弘明   信長・渡 哲也    秀吉・竹中 直人 
  第41作『利家とまつ 』 光秀役・萩原 健一    信長・反町 隆史  秀吉・香川 照之
  第59作『麒麟がくる』  光秀役・長谷川 博己    信長・染谷 将太  秀吉・佐々木蔵之介
明智神社-7


『秀吉』では、光秀と秀吉が共に生き出世して行く設定。『利家とまつ ~加賀百万石物語~』の萩原 健一はそれまでとはまったく違うイメージになった。役者の個性が強く出たからだろう。
信長に謀反を起こす過程や光秀に対する信長の言動が信長役で大きく変わる。渡哲也、反町隆史は二枚目でいながら見事だった。秀吉役の竹中直人、香川照之も良かった。
明智神社-9


石碑にカエル
『麒麟がくる』の長谷川 博己は善良で格好いい役になった。実際の容姿はどうだったのか。美人の基準は時代と共に、国の違いからも大きく変わるから現代の俳優とは真逆かもしれない。昭和30.40年代の時代劇の俳優は「男」らしさを全面に出していたが、今は女性にも受け入れられる容姿が求められている。
明智神社-8


ハートの苔
明智神社-10

光秀の人生は不明のところが多いが、越前に来て確かにここに光秀が生きていたことが分かった。
明智神社から一乗谷に向かう。一乗谷は朝倉家の居城(屋敷)。光秀も何度も足を運んだところ。その道だろうと思われる細い峠道を一乗谷に向かった。
 河に沈む  2021/10/09 (Sat)
永平寺訪問のシリーズが終わり次の目的地へ行く前に秋の夕暮れを。
陽の沈む位置は毎日少しずつ移動する。ここから見える夕陽の位置が河に重なるのは秋。
沈む直前雲に隠れたが、それもいい。
帰る途中、信号で止まった車のリアガラスに夕焼雲が写っていた。

雲に隠れる  雲に隠れた方が変化があって撮り易い
河に沈む-1


秋は河に沈む位置に
河に沈む―2



河に沈む―3



河に沈む―4


土手の上を自転車が通った
河に沈む―5


帰る途中、信号で止まっていた車にも
河に沈む―6
 偃月橋を渡る  2021/10/08 (Fri)
永平寺川に架かる偃月橋(えんげつきょう)。
その先にも建物があったので永平寺訪問の最後に廻った。
ちょっとレトロで苔に覆われた不思議な空間だった。

偃月橋  橋の先にも建物がある  ただ、渡るにはちょっと勇気がいる
偃月橋-1


稲荷堂  渡ってすぐ左にある祠
偃月橋-2


一昔前はみんな貼っていた
偃月橋-3


ここの建物は被写体としていいものばかり
偃月橋-4


金比羅堂
偃月橋-5


歌碑
偃月橋-6


トイレの中から対岸の永平寺を見る  
偃月橋-7


永平寺川  右はトイレ 上の写真はトイレから 
偃月橋-8


偃月橋を渡る女の子  だいたいの人は橋で引き返していた
偃月橋-9

下流の橋を渡り永平寺の参道に出た。門前町を歩いて車へ。もう来ることはないとの思いを胸に土産を購入し永平寺を後にした。
長く続けた永平寺も今回で終了。ちょっと引っ張り過ぎて越前ツアーが進まない。
 玲瓏の滝  2021/10/07 (Thu)
愛宕山公園の永平寺川の対岸に小さいが趣のある滝があった。
玲瓏の滝という。なんとなく人工感を受けた。後で調べたら昭和の初期(7年頃)に造られたものと分かった。
永平寺の奥なので修業の場かもしれない。形状もそれっぽい。
手持ち撮影なのでシャッター速度を変えて撮ることができなかった。

玲瓏の滝  落差15m
玲瓏の滝-1


瀧の横に石仏があるのもここらしい
玲瓏の滝-9



玲瓏の滝-3


上部  アップで撮るとブレブレに
玲瓏の滝-4



玲瓏の滝-5


玲瓏の滝の左にある岩  岩を伝って水が流れ出ている  道路に接しているため撮り易いが引いて撮ると趣がなくなる
玲瓏の滝-6


玲瓏の滝もいいがこちらもいい
玲瓏の滝-7


最後にもう一枚
玲瓏の滝-8
永平寺の前の永平寺川沿いの奥に寂光苑がある。
寂光苑は道元禅師の姿を現す像などのあるところ。
苑は愛宕山公園の中にあるので、公園を通って進んだ。
道元禅師の像と鐘楼が一直線上に建っている。

永平寺川に架かる白雲橋
公園と寂光苑-1


愛宕山公園
公園と寂光苑-2


公園
公園と寂光苑-3


寂光苑
公園と寂光苑-4


道元禅師像
公園と寂光苑-5


正面から
公園と寂光苑-6


ハスと道元禅師
公園と寂光苑-7


鐘楼「寂光の鐘」  誰でも自由に撞ける  ※後で知ったため撞かなかった
公園と寂光苑-8


一周して白雲橋
公園と寂光苑-9
 報恩塔  2021/10/05 (Tue)
多くの回廊を昇り降りし、永平寺の参拝ルートを廻って外に出た。出ると左にも建物がある。
近くに行きたいが進入禁止のエリア。その中に六角の報恩塔がある。塔の近くまで行くことができた。
大きくはないが趣があり、通用門から外に出てからも撮り続けた。


報恩塔  1996年建立と新しい建物だが存在感がある
報恩塔-1


写経を納める塔
報恩塔-2


門の外から報恩塔
報恩塔-3


報恩塔の左手前にあった
報恩塔-4


唐門の石段の入口から報恩塔
報恩塔-5



報恩塔-6


祠堂殿
報恩塔-7


唐門
報恩塔-8


格式のある塀
報恩塔-9

 前庭  2021/10/04 (Mon)
永平寺の山門を通るのは修行のために入山する時と修行が修了して下山する時の2回だけ。
その山門と中雀門の間の前庭。高低差があり幾つもの階段があって撮り易い。

中雀門  山門の先の中雀門
中庭-1


中雀門と仏殿の間の庭  左は中雀門、右に仏殿
中庭-2



中庭-3


中雀門
中庭-4



中庭-5



中庭-6


山門から中雀門に続く石段
中庭-7



中庭-8


作業中
中庭-9
 回廊から  2021/10/03 (Sun)
永平寺は回廊のお寺。沢山の廊下と階段が7堂伽藍を結んでいる。
その美しさ、屋根の重なりは今まで体験したことのない空間だった。
途中から回廊をどう撮ろうか真剣に考えるようになった。
内から外から、下から上から、そして立ち止まって撮った。

階段を上から  いいタイミングでカップル?(夫婦?)が逆光の中、登って来た  
回廊から-1


階段を下から  このような階段がたくさんある  
回廊から-2


廊下の先の石段  内と外が一体化している
回廊から-3



回廊から-4


回廊の屋根も美しい
回廊から-5



回廊から―6


途中で一休み  所々にある水平空間
回廊から-7


大すりこぎ棒   回廊を歩いていたら名物に出会った   200名近い修行僧(雲水)が生活している修行の場でもある
回廊から―8



回廊から-9
 承陽殿  2021/10/02 (Sat)
永平寺に戻って。
仏殿から階段を上り、法堂経由で承陽殿へ。承陽殿は道元禅師を奉祀する御真廟。
70ある建物でも高いところに位置する。
承陽門は後ろから見ることになる。

法堂 内部  七堂伽藍の一つ 住持が法を説く道場  各種法要儀式を行われる
承陽殿-1


承陽殿に渡る廊下
承陽殿-2


承陽殿
承陽殿-3



承陽殿-4


額と入口の戸の木彫りが見事
承陽殿-6



承陽殿-7


承陽門
承陽殿-5



承陽殿-11



新しい  こういう形は初めて見た
承陽殿-9
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