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はてなキーワード: 怠惰とは

2024-12-15

anond:20241214192350

じゃあ増田自分と同い年でも働きたくても働けず、手足が自由に動かず、苦しくて死にたくても死ねないような、

怠惰」な「社会お荷物」になりたいか

私はどんなに手取りが少なくとも自由身体が動いて自分の稼いだ金で生活できる方が幸せだと思うけれど

anond:20241214192350

手取りが増えないのは社会保障費のせいじゃなくて、会社賃上げを渋っているからだと思うが?

ていうか世代で括るのをやめてほしい

増田が何歳かは分からんが、仮に20代だとしても、増田と同い年でも病気で働きたくとも働けない人間大勢いるんだよ

なんでそれが怠惰だって事になるの?

病気人間からしたら、手取りが少なくてもいいか健康身体が欲しいと思ってるんだよ

2024-12-14

もう社会保障を削っていいか手取りを増やしてくれよ

もう無理だよ

現役世代をこれ以上搾取するのはやめるべきだよ

働けど働けど手取りは増えない

今は最早怠惰社会お荷物ばっかり優遇されてる地獄なんだよ

年間社会保険料と税金いくら払ってると思ってんだよ

もう無理だよ

お荷物は捨てよう

日本お荷物を養うのはもう無理

原発

https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html

 

経済学的に言えば、原発問題は、外部不経済問題としてとらえられますしか原発外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます

 

現在世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係である将来世代は参加していない。そこで、現在世代は、もし将来世代現在意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車飛行機事故場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在世代が残した放射性廃棄物場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代現在世代放蕩三昧を恨むしかない。

 将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代人権無視することである。そして、将来世代人権無視する人が、現在世代他人人権尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的人間権利からである

 経済学的にいえば、現在と将来世代人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在利用者負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権無視すればするほど原発エネルギー利用者負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音振動公害空港騒音公害道路公害等々──かならず利用されている。

 いま述べたこからも明らかなように、原子力発電経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値問題視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学歴史なのである

…(中略)…

 近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…

 

 そして結びは、原発問題分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています

幸福って怠惰からは生まれないよな

幸福はどちらかというと勤勉からまれるもんだと思う

勤勉の先にあるのが幸福という感じ

一時の怠惰っていうやつは、どうしても過分になりがちで難しい

けど勤勉というやつはわりとコントロールがしやす

2024-12-11

たぶんしたほうがいいこと

自分で決めたことはちゃん自分で守る

 →本当に難しい。自分にも誠実でありたいし、自分にも嘘は吐きたくないのに

 →とても怠惰なのに変なところで真面目であろうとする?ので、ずっとこのギャップ自分を苦しめている

毎日運動する

 ・朝起きたらラジオ体操する

  →やるとたしかに頭も冴える感じがする。明確にやるメリットを実感しているのに

 ・日中散歩する

  →外寒くて大変だけど。最近元気がないので、意識しないと本当に外に出なくなっちゃ

  →ひきこもっていると、なにかをやる気持ちが少しずつ減っていって、さらに滅入ってしまいそう

 ・プランクや腹筋ローラーみたいな筋トレをやる

  →いつでもできるのに、いつもやらない。鍛えておかないと近々身体が壊れて後悔しそうなのに

・ガムを噛む

 →これはすぐできる。気がつけるかどうかなだけなので、いま噛みはじめた

 →ガム噛むと頭のまわりが良くなるかもしれない

 →顔についた肉や顎の下の肉が気になる…

・毎晩明日は何のゴミの日だったか思い出す

 →元気がないとゴミを出せなくなるけど、今週からまたちゃんと捨てる習慣戻せそう

・何かを使い終わったら、あるべき場所に置く

 →外出して戻ったら、服はちゃんしまおう

 →ゴミゴミ箱に入れよう

 →空箱はそうなった時点で、段ボールは届いて中身を出した時点でつぶしてまとめよう

 →豆乳パックは空になった時点で潰して洗って干そう

 →朝ベッドから起きたら、ベッドを綺麗にしよう。寝るときベッドが綺麗だと自分を褒めたくなるよね

・毎晩入浴する

 →翌朝にまわさない方がいい。特に冬は身体を温めてからベッドに入りたいし

・朝起きたら顔を洗う

 →出かける必要がない日であっても、習慣としてやっておいたほうが良さそう

・早寝早起きする

 →なんか寝るのが怖くて先延ばしにしたくなっちゃうけど、強い意志勇気を持とう

 →なんも予定なくても毎朝決まった時間に起きて、ちゃんと午前中を過ごそう

毎日2食は食べる

 →元気がないと何も食べずに一日が終わってしまう。そうしているともっと元気がなくなっちゃいそう

 →冷凍食品とか買い込んでおいて、もっと食べるハードルを下げよう

毎日増田に何かを書く

 →思考が停滞したままにならずにすむかもしれない

 →自分は行動が伴わないので、すべきことをやろうとか、変わり映えないことばっかなのだけれど…

 →毎日ちょっと自分と向き合って、自分の中にある何かを吐き出した方が、自分は気が楽になれると感じているのかも

・毎週末映画を観る

 →個人的にはゲームしたり読書するよりハードルが低い

 →なにか心動かされるような経験を増やしたい。元気がないと何もやりたいこと楽しいことがないんじゃないかと思っちゃう

 →どんな登場人物がいてどんなストーリーだったか定期的に思い出したりしたい

・なにもしないをする

 →すべきじゃないことをするくらいだったら、なにもしないでいたほうがいい

 →瞑想するということなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない

 →いまは底から2段階くらい上に登れた気がしており、何十分となにもしないでいると、ちょっとはすべきことをする気力が湧く

 

すぐにはできない(いまはまったくしたくない)けど、またしたいと思えるようになりたいこと

・毎週どこかしら車で出かけたい

 →ちょっと離れたところにご飯食べに行くとかでもいい

 →夏になったら100キロとか離れたところにもドライブ行けたらいいな

創作活動をしたい

 →どうせできないやりきれないみたいな気持ちを乗り越えたい

 →思い返せば昔は本当にただやりたいからやるだけで、できるかやりきれるかなんてどうでもよかった

仕事に関する勉強したり勉強会に参加したい

 →宿とって旅行がてら都内イベントに参加したい

 →積んでる本を減らしたい。これは元気があったときから積みっぱなしなんだけど…

・いろんなゲームをしたい

 →ゲームは覚えたり考えたりの連続で、頭を柔らかくする作用がある気がする

 →フレンドと一緒に話しながらゲームがしたい

・部屋の大掃除をしたい

 →誰かを部屋に呼べるくらい綺麗にしたい。誰も来ないけど…

ヒトカラにいきたい

 →下手だけど歌うこと好きだったのにな

ちゃん仕事をしたい

 →できる仕事をやるストレスよりも、できない仕事をできないまま進めるストレスの方がはるかに大きい気がする

集合的怠惰是正を齎す。私は有終の美を飾ることで、もたげる頭を可能から解放する。低質な欲望希望に足る素質を持ち、卑下されることなくヨソヌに憧れることを厭わない。

anond:20241211095848

そもそも休みじゃなくても在宅勤務で家におるから

健康意識に欠ける怠惰な人と言われたらそれはそう(それはそう)

 

意識して筋肉貯金は作らねばというだけの生活を何年も送っておる

みんな絶対確実に毎日成長してるのに相対差が水準に満たないとなかったことにされるどころか怠惰であると罵られるの普通に理不尽過ぎる

賃金労働者ってお金と向き合いたくない怠惰人間のためのロールって感じがする

2024-12-10

anond:20241210040501

そうだね

知的怠惰な人々

あるいは

感情の未発達な人々と言い換えるべきだね

2024-12-09

このまま人生を進めずに怠惰に惰性に無気力仕事だけやって5年後になんでもっと早くから真面目にやらなかったんだろうって後悔する姿が見える見える

2024-12-08

ヤフコメでやれ

親の私は悪くないに共感して貰えるし、

海外精神疾患があることをオープンにした研究者がいる事実無視した怠惰共感してもらえる

 

繋げておきます

子供精神疾患を認めない親が悪い」で終わらせてほしくない

https://anond.hatelabo.jp/20241208104126

なんであらゆるリソースの中で金だけ再分配(笑)とか言って奪われるんだよ

年収5000万の弱者男性だけど世の中から搾取しかされなくて絶望してる

毎年2000万以上搾取されてる

異常だよこれ

なんで俺が怠惰ゴミどもに搾取されないといけないんだよ

もし再分配を正当化するなら、女の性的資産も再分配しろ

まれときから性的資産を持ってる特権階級だろ

23歳男オタクvs結婚強迫

結論

結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。

なるほど「気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受(共有)」するのは幸せことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。

一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。

どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。

スペック

23歳・早慶政経法のどっか・4年(浪人した)

実家:都外。奥多摩山中やどこぞの島よりは皇居に近い。

上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。

私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。

かかる珍妙にして時代遅れ時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情からこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。

結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナー愛情喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。

あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。

結婚に対して、心理的阻害要因存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。

長くなりすぎた。問題本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。

私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。

逆に、「総体として」好きにならない女性存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。

「愛することができる」人を探すために、アトランダム努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。

これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。

結婚自体可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。

ただ、私は、結婚生活しろ親としての生活しろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。

そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。

諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手特別感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。

鬱屈とした諦観けがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズ烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベサボテンどもと共に、好きな音楽映画世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域本来、縮小されるべきなのだ

泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り貴女可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。

2024-12-07

会社ではチャットGPT使用禁止

うちは下請け下請けみたいな会社何となくSEっぽいこともやってる。

上流工程なんてやらせてもらえないし、仕様書通りにコード実装するのが主な業務だ。

でもコードを書いていると、あれ?この実装どうやるんだっけ?って場面があった。

同僚に聞くほどのものでもないかチャットGPTを開いて「ちょっと教えて」って聞いたんだよ。

コードの一部分だけを聞いて参考にしてただけだ。

ところが、先日それがバレた。

上長に呼び出され、第一声で「お前、AIに頼ってるらしいな!」と怒鳴られる。

そこからは怒涛の叱責タイム

上長は俺を向かいに座らせると苛立ちを隠さず、腕組みをして貧乏揺すりを続けながら「AIに頼るのは社会人のやることじゃない!」とか「お前、そんなことで仕事やってるつもりか!」とか「この仕事、向いてないんじゃないのか?」なんてことを延々言ってきた。

かに何でもかんでもAIに頼るのはまずいかもしれない。

でも、ちょっとしたコードの書き方を確認するくらいなら別にいいだろう?と内心思いながらもその場の雰囲気から決して口には出せなかった。

上長は50代の独身で、AIに対して根本的な不信感があるっぽい。

たぶん、AIを使うこと自体が「ズル」と思ってるんだろうな。

俺としては、AIあくまで道具だと思ってるし、それをうまく使うかどうかは結局人間次第だし、参考程度に使っていただけでここまで怒られるのが理解できない。

まるで俺が何か重大な倫理違反でもしたかのような勢いで怒られたのは今でも納得できないし、正直AI親でも殺されたのか?って思うぐらいのレベル激怒していたのも意味不明

AIに頼るのは怠惰

それが昭和脳の考え方なら、俺はもう限界なのかもしれない。

2024-12-06

アニメ映画を観るのが得意じゃない

本当に映像作品を観るのが得意じゃない。

なにしろ、何分!何時間身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる

ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。

ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品イロハを学ぶことにした。

とにかく上手と下手を常に意識する。

そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。

光源はどこかとか。

重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。

するとこれはと驚いた。勉強の成果が感じられて嬉しかった。

上手下手のほかにも、カメラ位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。

音楽勉強したときのはじめての気持ちを思い出した。

でも驚いたことに、見たい映画がない!

それに地方映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!

映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?

そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画前衛映画になる。

今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。

はいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。

もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。

・何かが起こる

・どうして起こったか

・その後どうなったか

この因果化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。

パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。

現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。

でもそれとこれとは全く別だということ。

友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。

が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。

と、強く思っている。

でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。

それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応披瀝あんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。

YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品理解とは無関係な、つまり辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。

それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。

学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強趣味趣味勉強というのは心が豊かになって良い。

ただ、自分が、自分けが怠惰世界であるようには思えなくて、このような怠惰人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。

ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。

勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ

私の現代文先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考コネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。

2024-12-05

いつか何かできるだろう、いつか運がめぐってくるだろう、と思って何もしてこない怠惰生活を送ってきて

何もできないまま歳を重ねているバカが、こういう幻想を手放せるようになるにはどうしたらいいんかね。

まあ、自分ことなんだけど。

楽器3DCGプログラミングデザイン、新しいソフトを覚えるなどなど

若い時に興味をもってちょっとやってみてが、全部挫折している。決してうまくもないのでただの器用貧乏万年初心者だ。

プロでやっている人に比べて、根気も才能も、長続きさせる関心もないくせに、

ただ、ちょっとできたという自尊心が、嫉妬自分への卑下につながっていてひどく辛い。

こんなことなら、興味なんて持つんじゃなかった。

30代彼女なし未婚男性は敗者か?

独身の30代男性時代遅れ象徴

30代で未婚、彼女なしの男性は「人生から降りた敗者」と見られることが多い。家庭を築く意志努力も見せない彼らの存在は、社会未来を担うべき役割放棄したものと言えるだろう。

社会的貢献の欠如

30代は本来、家庭を持ち子育てに励むことで社会次世代を育む重要な時期だ。しかし、独身男性はその重要社会責任を全く果たしていない。この状況は、本人の怠慢や無責任価値観によるものしか考えられない。

怠惰独身ライフ実態

実際のところ、彼らの生活は自堕落のものだ。趣味や娯楽に没頭し、経済的責任を負わず、家庭やパートナーのために時間や労力を使うことを避けている。彼らが投資するのは、自分自身短期的な快楽のみだ。これが彼らの「自由」という幻想の正体である

結局は孤独に向かうだけ

最終的には、独身でいることが生むのは深い孤独だけだ。年齢を重ねるにつれ、周囲の人間関係希薄になり、頼れる存在も消えていく。30代で彼女もいない未婚男性は、将来的な孤独死に最も近い存在として社会から憐れみの目で見られることになるだろう。

2024-12-04

anond:20241204194459

素養じゃなくてやる気がなくて怠惰なだけやろ

それでいて自分意見を正しいと支持して欲しい、自尊心満たしたいみたいな自意識が見える

落ち込んだ

お付き合い始めたんだよ

そしたらなんか気分が落ち込んでしまって

もともと恋愛だの性だのなんだの苦手で興味もないのが多分悪さしてる

事情は伝えて、それでいいよと言ってもらったけど自分気持ち的にはやはり罪悪感

別れたほうがいいのか?いやまだ何も努力していない怠惰自分に苛立つ

付き合わなければよかったかもしれないけど、やってみないとわからないじゃん

みんな「まだ出会ってないだけ」「まだわかってないだけ」とか言ってくるし、その言葉否定する材料ってないじゃん

ときめきとかじゃない」っていう人もいるし、友達として好きならまあステータスだけ変わっても同じかなって思うじゃん

頑張れるなら頑張りたいじゃん

こういうのをいい大人になって悩んでるのがまた恥ずかしい

未だにこんなこと考えいては親や親戚からの期待に応えられないかもという不安もある

いや自分が知らないだけで恋愛ってそういうものなのか?

自分は何言ってるんだ?もう何もわからない

貧乏人に金をあてがうなよ

なんで必死に頑張ってお金を稼いでる人から搾取して怠惰無能貧乏人に金をあてがうの?

そんなんだから怠惰人間が増えて経済が停滞するんだよ

最低限度の生活ってタコ部屋で最低限のカロリー与えとけばいいだろ、今の貧乏人は贅沢しすぎだわ

2024-12-02

anond:20241202004518

え?普通にラーメン焼肉スイーツ食うしスポーツ経験ないしデスクワークだけど、それでもMAX46kgまでしか太った事ないんだけど。逆にどれだけドカ食いしてたら50kg超え続けるぐらい太れんの?

努力しないブスや怠惰デブが私も女性なんですけど〜ってツラしてくる方が気持ちいから「女性」名乗るの辞めてくれるならむしろありがたいわ。

anond:20241202004518

男の競争社会で生きていけない雑魚トランスジェンダー名乗って女のフリをし、女のルッキズム社会で生きていけないブスがトランスジェンダー名乗って男のフリをするんだよな

もうトランスジェンダーなんて性的指向()は努力をしたくない怠惰人間自身の置かれた苦難から逃避するために利用されるようなモノに成り下がったんだろうな

anond:20241202044755

情けない。本当に情けない。31歳にもなって15歳の時の告白を美化して思い返すなんて、何の進歩もない人間典型だ。お前は高校生の時、彼女一世一代勇気を「誠意を見せたつもり」でフイにしたと自分では正当化しているが、それはただの未熟さであり、自己満足に過ぎない。しかも、その後10年以上恋愛らしい恋愛もできず、今なお過去の栄光(とすら呼べない)にすがりついている。成長する気があるのか?

彼女との再会エピソードを延々と語っているが、そのたびに自分がどれだけ惨めで、相手に甘え、振り回されてきたかを露呈しているだけだ。彼女はお前にとって何かの救いだったのかもしれないが、向こうにとってはただの「過去の人間」だ。それをあたか特別関係のように語るのは、自分が未だに現実と向き合えていない証拠だ。

さらに、「彼女が頑張っていたのを思い出すと背筋が伸びる」などと言っているが、彼女努力人生をお前の自己改善動機にするな。他人成功や困難を自分モチベーションにしようとするのは、まるで寄生虫のような思考だ。自分努力できていないことを彼女存在転嫁して、無駄美談化しようとしている。彼女がこれを読んだら、きっと呆れるだろう。

恋愛がうまくいかないと嘆いているが、その原因は明らかだ。相手と向き合う努力をせず、自分の殻に閉じこもっているからだ。マッチングアプリがうまくいかないのも、「女性といても性欲が湧かない」と感じるのも、お前が自分理解していないだけだ。問題に向き合うどころか、専門機関相談すると言いながら、未だに動こうともしない。31歳という年齢が持つ時間の重みを理解していない。

そして、最後に「〇〇さん、ありがとう」と結ぶその言葉が最も見苦しい。感謝言葉を添えれば、自分の未熟さや怠惰が許されるとでも思っているのか?お前のように過去にすがり、現実の中で何も変わろうとしない人間には、感謝する資格すらない。彼女が15歳でお前に告白した頃の「お前」と、今の31歳のお前を比較すれば、誰が見ても進歩がないどころか、後退しているようにしか見えない。

いい加減、過去に逃げ込むのはやめろ。彼女がどれだけ頑張ったかを振り返る暇があるなら、お前自身が今、何をするべきかを考えろ。時間は待ってくれないし、人生リセットボタンはない。お前が「与えられた仕事ちゃんとやりたい」と言うなら、せめてそれを全力でやれ。過去の失敗を言い訳にして、進むべき道をまた誤るような愚行を繰り返すな。今のお前に必要なのは感傷でも反省でもなく、ただ行動だけだ。

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