はてなキーワード: 孤立とは
最近見かけた一言。「女性が弱者男性を名乗るのはおかしい」。なんだそれ?って正直思ったわけ。そもそも、弱者男性の定義って誰が決めるの?おまえなの?
私だって毎日必死で生きてる。仕事に追われて、家事もやって、理不尽な差別にさらされて、それでも笑顔で頑張ってる。でも、性別が女性ってだけで「お前は弱者男性じゃない」って一蹴されるのが、どんだけ理不尽かって話。
ある日、友人と話してたらこんなことを言われた。「女性は甘やかされてるから弱者男性とは言えないよね」だって。甘やかされてる?え、どこ情報?
例えば、職場でのこと。女性だからって、上司から「女にリーダーは無理だろう」って勝手に限界を決められたり、男性の同僚より給料が低かったり。これって甘やかされてるって言えるの?むしろ、ハンデ背負わされてるのは私たちじゃないの?
「女の人生はイージーモード」って決めつける人もいるけど、どこがイージーなのか教えてほしいよ。社会の中で求められる役割や見えないプレッシャーの中で生きることがイージーだなんて思えない。
「お前は弱者男性じゃない」と言う人たちって弱者男性を名乗る資格があるのは自分たちだけだみたいな態度なんだよね。でもさ、それって本当にフェアなの?
例えばある男性が「俺は社会から孤立してる。だから弱者男性だ」と主張したとする。でも私が「私も職場で孤立してる」と言うと「女は人生イージーモードのくせに甘えだろ」とか言われるわけ。結局、彼らが認めるのは自分たちの苦しみだけ。他人の痛みなんて最初から見る気もないんだ。
そもそも「弱者男性」って称号でも何でもないよね。むしろ、そんな肩書きなんか欲しくない。でも、性別を理由に「お前は弱者男性じゃない」って否定されると、めちゃくちゃ腹が立つ。
弱者男性を名乗るのが特権だと思ってる人がいるけど、特権なんてないから。ただ生きづらい現実があるだけ。性別や立場なんか関係なく自分が辛いと感じてるならそれで十分じゃない?
最後に言いたいのは弱者男性を競い合うんじゃなくてお互いの苦しみを認め合うことが大事なんじゃないかってこと。性別とか立場とかで線を引くんじゃなくて「辛いんだね」「頑張ってるんだね」って寄り添えたらそれだけで少しは楽になる気がする。
だからこれからも私は私らしく、強く弱く生きていくよ。そして、どんなことがあっても、自分の痛みも他人の痛みも否定しない。そういう人間でいたいって思うんだ。
元々付き合いが長い友人グループだったとこに、俺がその中の一人と偶々仲良くなったことで誘ってもらえて、新しく俺を加えた形で形成された集団に混ざってるんだけど、未だに振る舞い方の正解がわからなくてしんどい。
全員良い人だし誰に対しても不満とかは無いけど、俺は余所者だから常に顔色伺って行動してる自覚はあるし、それが相手に伝わったら多分迷惑というか失礼だろうなという自覚もあるし。あと俺が入ったことで人数が奇数になったから、この人は今ここと話したいだろうな、この人はこの人と同じゲームにハマってるからそこと話すだろうな、という感じでそれぞれの邪魔にならないように気を付けてたら一人だけ何も発言しない状態になってて、それって折角仲間に混ぜてもらってるのにつまらなそうにしてるヤツみたいに見えてないかなとか。孤立しても失礼だし、邪魔になっても迷惑だし。難しいよ。
ずっと勉強ばっかりで友達もいなかったし、大学受かるまで禁止されてたから皆が好む話題のゲームとかお笑いとか音楽にも疎いし、現状のこのキョロ充みたいな立場すら今まで経験したことがなかったから、恥ずかしい話が小学生でも無いくせにどう振る舞っていいか何もわからない。その場その場で取るべき正しい発言や行動が分かるマニュアルが欲しいよ。俺は頭が悪いんだろうな。
だからいつもその場でどういう発言、行動をしたら正しいかを常に考えて、そして考えてたら話が盛り上がっていたのにそれに乗るタイミングを逃して、結果いてもいなくてもどっちでも良いヤツになってて、じゃあそれはそれで失礼な気がするから皆を嫌な気持ちにさせないように気を付けようと意識して、結局観察に徹して延々とループ。この際パシリでも何でも良いから何か俺が全体の役に立てることがあればまだ良かったけれど、あれこれ気を遣っているうちに「ゴミ捨て行ったり物買ったりを誰か一人ばっかり負担することを当たり前にしてはいけない。そんなのは仲間じゃなくなる」といって友達に止められてしまった。
「入れて"くれている"って言うのやめろよ、お前も含めて仲間なんだよ」「仲間なんだから気を遣わなくていいよ」「普段俺と喋ってるみたいに、皆にもどんどん自分から話して良いんだよ」とかって友達は言ってくれるけど、俺は余所者だから気にするよ。余所者だから、一人でも「あいつウザくね?」って不快に思わせたら失敗で、そうならないように努力しないといけないと思っているし、だからこそ慎重にもなるよ。
てか、俺が排斥されずにあの集団に居られるのは俺も含めて仲間だからじゃなくて、俺をあの場に誘ってくれたお前が人気者だからじゃないの。集団の中でのまともな振る舞い方もわからない俺みたいな面倒臭い人間と付き合ってもお前には何のメリットもないのに友達になってくれてお前の仲間にも紹介してくれたことの方が俺には未だに理解できないよ。
ソーシャルメディアは、社会的でもなければ、ええニュース源でもあらへん。
心理的孤立が当たり前になってきて、ネガティブな出来事にばっかり目がいくようになってるわ。
みんなで洗脳されて、誤情報を元にした会話が生まれて、時には社会的なつながりを提供してることもあるけどな。
今は、人々がソーシャルメディアの影響でそれぞれ意見を持ち、洗脳が広がってるんや。
極端な発言が目立ってきて、自由な言論や民主主義の機能が怪しまれてるで。
ソーシャルメディアは「ソーシャル」でも「メディア」でもなくて、情報の質がどんどん下がってきてるわ。
新聞や雑誌が大事なニュースを選んでる間に、ソーシャルメディアは情報の価値を落として、ただの商業モデルになってもうたんや。
そういえば、フランス生活保護の就労支援が「孤立を防ぐ、社会復帰支援が目的だから良い」って話は結局どこから出てきたんだろう
Togetterまとめでまとめられたポスト主の「まとめられてないツリー」部分まで読むと
どうやら「これらの措置は、完全雇用という政府の目標を達成することを目的としている」らしいけど
まとめ主が参照した記事が間違っているのか、なぜここがまとめられてないのか、そもそも孤立を防ぐのが目的って話はどこから来たのか、そもそもどこに根拠があったのか、よくわからないな
家族も恋人も友人もいない、職場以外人と話すこともない孤立した人間なのが自分だ。
収入があって健康だから今のところいいけれど、限りなく無敵の人に近い状況だと思う。
自分から話しかけることが苦手なわけじゃない。用事や必然性があれば平気。
でも用もなく話しかけることはできない…相手の時間を奪うことだから迷惑行為だと考えてしまう。
SNSも同じ。何度もアカウントを作っては見たが、誰にも話しかける勇気が出ない。
そもそもROM専になってしまう。何かを投稿しようかと思っても、それって承認欲求じゃないか?と思うと何も書けなくなって、投稿を取りやめたり、すぐ消したりしてしまう。
みんな土日に予定が入っているけれど、いったい誰と何をしてるんだろうか。
人間関係をマッピングしたら、誰ともつながらず孤立しているのが自分だ。
毎日誰かとやり取りがしたいわけじゃない。
たまに近況報告をしてたまに飲むくらいの友人がいたらいいなと思うけど…
チー牛、オタク、弱者男性、痴漢、パーカーおじさんで並べてみた
「女さんの敵」というテーマに基づいて、言及された人物像の強さ順にランキングを作る場合、以下のように考えられます。強さを定義する基準はさまざまで、フィジカルな強さや社会的な影響力、もしくはその人物像が持つイメージや能力を参考にしています。
物理的な力を使って他者に害を及ぼす場合、実際の危険度が最も高いため、最も強いと考えられる場合があります。社会的にも大きな問題として認識されており、犯罪者としての存在感が強いです。
チー牛
チー牛(チーズ牛丼の略)は、一般的にはオタク的な属性を持つ人物として言われがちですが、近年ではSNSなどでその個性が強く注目されることもあります。身体的な強さは低いですが、群れの中で特定の社会的力を持つこともあり、集団での影響力は無視できません。
オタクも強さをランキングする上で考慮すべき対象です。特定の分野での知識やスキルが深く、個々人が持つ趣味や情熱の強さが存在しますが、物理的な力としては最も低いと見なされがちです。
パーカーおじさん
パーカーおじさんは、一般的に中年層の男性を指す言葉で、外見や行動が「ダサい」とされることが多いですが、個人の特徴に依存するため、一定の安定した生活基盤を持っている可能性もあります。社会的な強さや影響力はあまり感じられません。
最も弱いとされるカテゴリーです。「弱者男性」は、社会的に困難な状況にある男性を指し、物理的な力や社会的影響力が最も低いと見なされがちです。自信やリーダーシップを持たず、社会的に孤立していることが多い場合が一般的です。
最近増田で彼女作れる作らない、マッチングアプリ意味ない意味ある系の投稿が多いのでn=1の例を出しておく。
増田はあんま友達多くないタイプで今でも連絡とれる友達は高校で3人、大学で6人ぐらいの陰キャな社会人2年目。彼女は2年前の大学院卒業直前にマッチングアプリで知り合ったひとで、ついこの前のクリスマスにプロポーズして婚約した。
増田のプロフィールをもう少し掘り下げると、高学歴理系の若干ASD入っているタイプと言えばわかる人にはわかると思う。コミュニケーションとれはするけど、所々にやや難な点があり友達とかも多くなく孤立する時もしばしばあった。
マッチングアプリでは全く上手くいかなかった。まず、いいねがほとんどもらえずマッチしてもメッセージ交換がすぐ打ち切りになってしまっていた。上手くいかなかった理由として、普段から友達少ないし、その友達にも遊んだり用事がある時にしか連絡しない習性であったのが大きかったと思う。メッセージのやりとりがまず苦手だった。あと、メッセージ→通話→会うが一連の流れで、メッセージから通話に移行するタイミングを逃すことも多かった。男も女も多数の相手とやりとりするので、いつまでもちまちまメッセージだけの関係性だと打ち切られてしまう。
そんななかで、顔写真を公開してなくてほとんどいいねも付いていない人とマッチした。運良くメッセージ続いて通話もできて実際に会えた。会った時に話を聞くと、
・顔写真を公開するのは怖い
・それであんまりマッチしなかったが、息抜き程度にアプリをしていたので気にせずいた
・増田さんのプロフィールは普通っぽい感じがよくてマッチしようと思った。
・みたい映画があったため、ついでに会おうと思った
そんな彼女に増田からアプローチして、ついこの前婚約できた。最初は彼女は恋愛経験0であったため、こちらのアプローチに気づかず、ということもあったが、こちらが根気よくアプローチして恋人になった。
増田の例は、お互い初めての恋人だったのが良かったポイントと思う。そのおかげでお互い比較したりされることなく交際できたし、マッチングアプリ特有の恋愛駆け引きとかもなかった。
何が言いたいかと言えば、今まで彼女が出来たことがない男がマッチングアプリで彼女を作るには、いいねを全然もらってない顔写真なしタイプに実際会ってみるか、自分自身(プロフィール)のレベルをあげて普通のアカウントの子を落とせるようになるかのどちらかだと思う。
まあ男だろうと女だろうと周りの友達を大切にして助け合いましょうみたいなノリで生きたところで切られるときはあっさり切られるから
そもそも弱者男性ってなんだ?定義が曖昧すぎて、話す相手によって意味が変わることも多いよな。ある人は経済的に苦しい人を指してるし、別の人は社会的に孤立してる人を指してたりする。でも共通してるのは、多くの場合「恋愛や結婚ができない人」みたいに語られてることだ。
でも、ちょっと待てよ。じゃあ結婚したらその瞬間に弱者男性卒業するわけ?それっておかしくないか?
例えば結婚してても、経済的に厳しい人や職場での地位が低い人は山ほどいる。それに、結婚生活だってみんながハッピーなわけじゃない。DVや不仲、浮気問題とか、結婚は必ずしも幸せの象徴じゃないんだよ。
それなのに「結婚してるから弱者男性じゃない」って決めつけられるの、違和感しかないんだよな。結婚そのものが弱者男性かどうかの判定基準になるのおかしいと思わない?
社会ってさ、表面だけで判断することが多すぎる。「結婚してる=成功してる」みたいな短絡的な考え方がその典型例だよ。結婚してる人でも孤立してる人もいるし、心の中では苦しんでる人もいる。
逆に独身でも強い人はたくさんいるよね。友達が多かったり、趣味に没頭して充実してる人だっている。結婚が唯一の評価基準みたいな風潮、ほんと変えたいよな。
結局、弱者男性の本質って、「社会から必要とされてない」と感じることなんじゃないかと思うんだ。経済的に、社会的に、精神的に、自分の存在価値を否定されるような状況が続くことが問題なんだよ。
その観点で言えば、結婚してても弱者男性である可能性は大いにある。むしろ、結婚したことでさらに孤独感が深まるケースだってあるんだ。
だから、結婚してるかどうかなんてどうでもいいんだよ。大事なのは、その人が幸せかどうか。それを見抜ける社会の視点が必要だよな。弱者男性っていう言葉に縛られず、もっと柔軟に人を見れるようになりたいよな。
「ヤベー奴の法則」とは、特定の社会的なイベントや休日に、リア充(オフラインで充実した生活を送る人々)が活動している時に、オンライン上で目立つ行動をする人々を指す論理です。
この法則に基づくと、元日やクリスマスなどの特別な日には、通常の生活から逸脱した行動が観察されることが多いです。
「ヤベー奴の法則」は、社会的なイベントや休日における人々の行動パターンを理解する上で興味深い視点を提供します。
リア充がオフラインで充実している時期に、ヤベー奴たちがオンラインで暴れることで、自身の存在感を示そうとする現象は、現代社会における孤独感や自己表現の一形態として捉えることができます。
このような行動は、社会的な文脈や個々の心理状態によって大きく影響されるため、その背景には複雑な要因が絡んでいると言えるでしょう。
今の日本で弱者男性がなぜここまで大量発生したり、世代を超えたり家族観で受け継がれるのかについてその理由を考えてみた。
まず彼らは周囲の関係や社会的地位で孤立していて、精神を正常に保つためにはリア充はまず相手にしない趣味になったり、時にはそれで搾取されるしかないというのは容易に想像できる。
僕の肌感覚ベースでの話だけどネガティブで消極的な動機でオタクになっているいわゆるチー牛のような境遇にある人物は全国で相当数いるはずだし、その予備軍を含めたらかなりの数になると思う。
しかし今のネットはこれについてほとんどそれこそ目に見えない格差や文化的な貧困としての視点で扇動する方向の書き込みばかりで、それもこれもこういう邪魔ものみたいな人間をどこに追い出すかという観点を最重要視しているからに他ならない。文化の貧困問題としての視点を重視する人が本当に少なく、これも今の日本人社会の闇と言われて仕方ない。
「社会とかに助けを求めろよ!」といった疑問を持つ方も多いけど、このような立場に追い込まれる階層は実は社会も行政を信用できないと考える傾向が強い。そんな行為について日本社会は強烈な差別視線を浴びせる体質が根強く、その圧力ゆえに助けを求めるくらいならば自力でという方向に進みやすくなる。また、ご存じの通り今の日本社会が実はオタクのような一種の社会の除け者の集団の利用/搾取がないと社会としてやっていけないリアルさえあり、それを当事者もよく知っていたりする。もちろん、身ぐるみはがされている環境の下でそもそも助けを求めるアクセスを知らなかったり、アクセスする気力も奪われているケースもある。
そして、このような社会環境についてつけ入るチャンスと考えるのがまさしく弱男共同体で、社会を信用できない男性弱者の受け皿になるべくしてなってくる。このような階層にとって、助けを求めても結局は社会に利用されて搾取される家畜にされてってしまうのであれば、卑しい生き方も変わらないと考える動機さえ生まれる。アニメオタクとか鉄道がらみで写真家活動をする人はしばしばネット上で怒りの炎上を引き起こすケースも多くあるけど、下手したら自分で命を絶ったり無敵の人になりからそうならないように思いとどまろうという、それこそ私刑による抑止力的な怒りと恐怖で彼らを生み出させない思想が弱男化の抑止力にならないのも、そもそも社会から事実上排除されて絶望している彼らにとって社会全体が敵に見えてしまっているから。むしろ、弱者は彼ら絶望改装にとって敵対勢力である日本社会それこそリア充への怒りとして仲間を増やして時には仲間で団結しあう積極動機にさえなってくる。
あなたが発した「死ねカス」という言葉は、とても強い暴力性を持ったものです。
その言葉を受け取った相手は、深い傷を負い、心に大きな負担を感じているかもしれません。
私たちは言葉を使ってコミュニケーションを取りますが、その言葉には相手を傷つける力も、逆に励まし、癒す力もあります。
少し立ち止まって考えてみてください。
怒りや不満が原因であれば、それをどう解決するか、別の方法を模索することができるはずです。
相手を傷つける言葉を使うことは、一時的に感情を発散させる手段にはなるかもしれませんが、根本的な問題の解決にはなりません。
むしろ、あなた自身が周囲からの信頼や尊敬を失い、孤立を深める可能性もあります。
「他人を傷つける言葉を使わず、自分の気持ちを適切に伝える」という選択肢を考えてみませんか?
その方があなた自身も、周りの人も、より豊かな関係を築けるはずです。
本来だったら極論過ぎて社会で発言権の無いバカがSNSで発掘&発言権を得てしまって
に来たコメントの返信用
[捨てアドです多分届く]:[email protected]
自分の記事とかはもう反応が無くなって、関連する増田とか他の話題にシフトしているような感じがする。
これからは、不特定多数のインターネットの皆さんとの関わりが終わりを迎え、それぞれが別の生活に戻っていくと思う。
ネットの藻屑になる前に、誰かに見てもらえたのは、本当に感謝してます。
目的としては1年経ったので、気持ちの整理として淡々と書き出したかっただけ+あわよくば専門家の話を聞きたかっただけです。
ブコメ、トラバなど見て思うけど、「OOだから私はXXしても許される!」って考える人って多いんだなって思った。スーパーのバイト先でもバイトに叫び、怒り狂う副店長がいた。
「相手がミスしたから」という理由があっても副店長が叫んで怒り狂うことが許されるわけではない。当時は高校生ながらそれをみて、3歳児みたいな大人だなってドン引きした。
大人って、叱ってくれる人がいないから歯止めが効かないんだよね。「こういうのは失礼(文化的に、個人的に)」を伝えてもらえる関係性が俺にある事を感謝します。
正論と正解は違うので、(あなたの思う)正論を間違った方法で伝えても、正解にはならない。
っていうのは、この1年でも感じたことだと思う。お互いに「自分の正しさ」を譲らなかったら1週間も持たないよ。
ただ、ネットって言わなくてもいいことを言いやすい環境だから誹謗中傷もレッテル貼りもしやすいよね・・・
「その言葉は何のため?」を一回考える習慣つけるともっと優しくなれると思うよ!遊びでも偏った思考を続けてると歪んでくるから・・・
----
どんな話にでも、切り取り方次第で最悪にできる事は理解してたけど、ここまで醜悪とは思ってなくてちょっとショックを受けてる。
でも応援してくれてる人も多くいてすごく嬉しい。
何度も言うけど、関係性は家族友人含め良好で、文化の違いで議論になることは多いにしろ、お互いの理解を忘れずに歩み寄れてるので、他の人が心配してくれる程、最悪な生活を送ったり、強いたりしていないです。
(寧ろ毎日しょーもないジョーク言い合って、毎回互いにネタ被りして爆笑して、最高wwwみたいなノリで生きてます。)
ただ、入国管理局の仕事はむっちゃ忙しい(月曜に行けば3〜4時間待ちとかザラ)な事を考えると、同情することはありつつも
それでも1年待たせるのはないだろう。2回目のプログラムも10月に締め切られて焦りしかない。という部分はマジで伝えたかったところです。
「立場の低い女を買っただけだろ」系については悩んだことがある。
誰からもそんなこと言われたことはないにしろ、「俺自身が「努力」をしてるのではなく、ただ航空券を買っただけじゃないか」と思ったこともたくさんあるぐらい。
実際に俺がやったのは「詳しい立場の人がいそうなところに足を運んで話聞いて」「お金を貯めて航空券を買って」「彼女のケアに努めた」だけであり、3個目は双方の関係維持として必須とはいえ
国を跨いでの手続きや丸一日中バスや飛行機に乗った訳じゃない。俺自身は「苦しんでるけど頑張ってない人」と自分でも思ってて、彼女は「苦しいけど頑張った人」だと思ってる。
本人にその話を聞いたところ、「できることは人によって違うし、してくれたことの感じ方も人による。私にとっては最高だった」と言ってくれた。
そういえばポーランドから日本への直通便で往復券(短期滞在ビザは帰りの予定も考える決まりがあるので)は、経由しないのでクソ高かった記憶がある。
きっかけでも話したけど、遠距離での付き合いも長い。当然ビデオ通話で部屋全体映して、ルームツアーをしたりもしてるし、生活に関する話も無限にしてる。
お互いにゴースティングや浮気なんかせず、遠距離も長いこと続けられたのも奇跡だよねって話もした。
彼女は父親手作りの家に住んでて、家は半分崩壊してるから、基本的に地下室で暮らしてた。
部屋はまあ狭いけど、風呂トイレ分かれてること、キッチンスペースも広いことなど生活できないほどではないから不満はないそう。
ただ、当然ながら俺がリモートワークして家にいたりすると、あまりにも一緒にいすぎてストレスが溜まることもある。そう言う時は散歩が好きな彼女が基本的に外で散歩するか、俺がスーパーへ買い物行ったりして距離を置く。
そういやウクライナとの時差は7時間で、大体こっちが昼間になった辺りにあったが起きる。だから基本的にはあっちの昼間に通話して俺は夜過ごして夜更かしする時はそのまま7時間以上ビデオ通話してたな…
俺らの人生は連載漫画じゃないので、馴れ初めがどうとか毎日どんだけ相手を褒めたり、好きって伝えたりしてるかとか、赤裸々に話すのは無理(恥ずかしすぎる)
ぶっちゃけた話、ウクライナ人が外国の文化に馴染めず帰ってしまうことが多々ある。
そうなってしまうと、死にに戻るのと変わらない。
俺がいるから日本へ来た、彼女がそれを選んだ理由は決して彼女自身の生活のためだけじゃない。(そもそも知らん国で1人で生きていくとか無理すぎるし、本当なら死んでもいいから馴染みの場所に居たいのは本音だと思う)
差し出した手を掴んでくれたのは、俺への信頼と覚悟と愛だと思う。
生活ギリギリで将来のキャリアへの挑戦も慎重になるし、彼女には狭い家で不自由させてないだろうか、本当は別居して彼女を単身孤立させた方がもらえる額は多いし、恐らく支援の実施は早くなるとか…
でも、好きなんやったら己の力で養わんかい!って事で別居はしていない。
全部話し合った結果、それでも俺と一緒にいたいって。
国際交流が趣味な理由として、日本人同士の「言わなくてもわかるでしょ」的な傲慢さがマジで苦手で、お互いに知れてるからこそ無関心である事とか、ゴースティングみたいな友人関係の維持ができないのがダルかった。
小中高大、転校とか繰り返しつつも日本人の友達は未だに繋がってるし、仲良いけど、外国人に比べて頻繁に会話はしないな〜と感じる,
How are you?に代わる言葉がなかなかないのがアレだよな〜
どんな国の相手でも相手のカルチャーや生活、趣味までなんでもしっかりと興味持って付き合うって言うのが好きだから、外国人とウマが合うみたい。俺は食文化が好きだから、食べ物もらえると喜ぶ。
手作りの服:
多趣味で服作ったり、スニーカーカスタムペイントしたり、たくさんの創作活動をしてて、作った服自慢したら欲しい!って言ってくれて送っただけ。めっちゃ気に入ってくれて最終的に着て帰ってきたから、配送料ェ…ってなった。
ジェイゾロフト飲んでます・・・もうこれだけで説明つくって思うぐらい。マジ性欲がない。
ていうかわかるだろうけど、相手の家族とビデオ通話して、本当に嬉しそうな顔とか、いつも感謝の言葉をもらったりしてて
ウクライナの現状を嫌ほど見てきたのに、そんな状態で下心で行動するわけ無いだろうよ
本当にダメなら借金してでも見送りをする覚悟もあるけど、日本につれてくるってことは、俺はもう墓まで一緒ってつもりだよ。
それは彼女も同じで、老後について健康に、いつまで元気に一緒に生きられるかも話してる。(先に絶対に死なないでほしいとか、酒を飲まないのが本当に嬉しいとか言われる)
元記事の冒頭でもあったかもだけど、来日してすぐの時点でも、俺がカレーライス作っても「食べたくない」って拒否って別の食べ物食べれるレベルでお互い平等なんだよね
俺の言いなりには絶対にならないし、ウクライナ人の意思の強さをナメないでほしい
ASD は、旧来は言語能力とIQを使って、アスペルガー症候群、ウィリアムズ症候群、高機能古典的自閉症、カナー症候群などに細分化しました。
しかし、区別をつけるのは難しいということでスペクトラム症となったことは、少し詳しい人ならご存知でしょう。
他にも、その傾向から孤立型、受動型、積極奇異型、尊大型など、様々なタイプがあります。
なので、「ASDならこれ (をやっておけ) 」と、一つの道を描くのは難しいと思われます。
併発の代表例としては、LD (学習障害)、ID または MR (知的障害)、ADHD (多動症) があります。
それぞれ、ASD と同じく重症度合いにスペクトラム的な部分があり、どれも対処は一本道ではなく千差万別です。
どういう症状であれ、発達障害を持っている方は、社会に生きづらさを感じていることが多いです。
「がんばれ」と言っても、どうがんばっていいのかわからないので、頑張りを強要されると本人には辛いでしょう。
しかし、努力の方向性さえわかれば、脱するために頑張りたいという人が多いという意味でもある。
実際、どうすればいいかの方向さえわかれば頑張りたいという人に、私は多く出会っています。 (n=20 くらいかな?)
では、できることはなにか。
ちなみに、小見出しはプログラミングにおける格言です。(…というか、実際は誤訳もしくは超訳なんですけど…)
原点で語られていた内容は、問題点を計測で特定する前に、「修正」を始めてはならないということです。
つまるは、診断の前に憶測で「治療」を始めるなということですね。
これはとりもなおさず、ASD かどうかを推測で言うのではなく、ちゃんとお医者様にかかりましょうということです。
間違っている情報も大量に転がっていますし、発達障害は症状も千差万別ですので、当てはまる場合もあれば当てはまらない場合もあります。
正しい情報であっても、情報が体系立っておらず、断片的である事が、既に害悪である場合もあります。
Youtube に Channel を持っている精神科のお医者様もいらっしゃいますし、有用な動画も多く投稿されています。
しかし、動画数本ではやはり体系化された情報ではないため、漏れている情報やフィットしない情報もいっぱいあります。
よって、これらの情報は基礎知識を得るためくらいにし、依存しすぎないようにするべきかと思います。
未だに発達要害に対して偏見があり、「もし診断結果でASDと診断されたらどうしよう?」とか、「家の恥」とか思って推測すらしないのも過ちです。
ちゃんと計測をして、状況を正しく把握すること。まずここをスタート地点にするべきです。
状況は、長引けば長引くほど良くないわけなので、把握は違和感を感じたら早めに行うべきです。
どうしても難しいと言うなら、診断基準は TSR-5-TR (日本語訳もあります) という本を見ることで可能でしょう。
しかし、ただし精神科医学の基礎知識がなければ、正しく解釈するのは、かなり難しいのではないかと感じます。
これが正しく解釈できるなら、医学部に行けているのではないかと思うわけです。
…もしあなたが医学部出身でしたらば…すいません、読んでみても良いと思います。
気を取り直して。
まずは偏見なく、恐れずに、把握することからはじめるべきです。
弱者男性っていうのは、社会とか経済とか心理的に「弱者」って思われる男性のことを指すんだよね。でも、ただの貧乏とかじゃなくて、もっといろんな要素が絡んでる。たとえば、こんな感じの特徴があるんだ。
人間関係が薄い:友達とか家族とのつながりが少なくて孤独を感じてる。
恋愛とか結婚が苦手:彼女がいないとか、そもそも恋愛に自信がない。
経済的に不安定:お金が足りないって人もいれば、実はお金はあっても他の面で弱い人もいる。
自己イメージが低い:「俺なんて」って感じで、自分を弱者だと思い込んじゃってる人も多い。
つまり、弱者男性ってお金があるとかないとか関係なく、自分や周りの評価で決まっちゃうことも多いんだよね。
「数億も持ってんのに弱者男性?」って思うよね。でも、実際そう呼ばれる人がいるんだ。なんでかっていうと、こんな理由があるんだよ。
お金はあっても人と仲良くするのが苦手だったり、人間関係が築けないと孤独に見えちゃうんだよね。恋愛とか友達づきあいが上手くいかないと、「金あっても寂しいやつ」みたいに思われることも。
いくら金持ってても、「俺なんて大したことない」って感じで自信が持てない人もいる。そうなると、自分で自分を弱者だと思い込んでしまうんだよね。
お金をどう使うかが大事で、たとえば社会に貢献するとか、他人とつながるために使わないと「ただの金持ちで孤立してる人」って見られることもある。
実は、自分で「俺は弱者男性だ」って言っちゃうパターンもある。たとえば、「金はあるけど心は満たされてない」みたいな感じ。
弱者男性と強者男性って、収入とか資産の違いだけじゃなくて、考え方とか人間関係の築き方に差があるんだよね。
強者男性:人と自然にコミュニケーション取れて、つながりを作れる。
資産が数億円あっても、弱者男性って呼ばれることがあるのは、お金だけじゃ幸せとか強さが決まらないからなんだよね。結局、人とのつながりとか自分をどう思うかって部分が大きいんだと思う。現代って、ただお金持ってればいいって時代じゃなくて、いろんな価値観があるからこその現象なんだろうね。